今日からショートカット

「えらい怖い顔してんやな」
 吉岡店長は引きつった顔で言うのだった。
「お前が髪切ったんは、俺のせいなんやろな」
「そうや。浮気性のあんたがベタベタ触ってたからな」
「知らんがな」と笑いだす吉岡店長。
 ついさっき、こんな男に心を揺らした自分に腹が立ってきた。
「私、あんたなんか大嫌い」
「俺、お前なんか大嫌い」
 私はますます苛々してきた。
「まあ、その話はもうええわ。とにかく『吉屋』に復帰してホール守ってくれ。まとめ役がおらんかったら、俺も困んねん」
 これが吉岡店長の本音なのだろう。ホールを仕切れる者であれば、誰でも良いと思っているに違いない。
「お前も今までのキャリア捨てんの、ほんまは嫌なんやろ。店の皆はお前の退職、まだ知らん。今やったらお前、しれえっと復帰できんで」
 そんなことをしゃあしゃあと言うなんて、自分勝手にもほどがある。
「俺に逆らわんと働けや。それやったら、正社員どころか社長夫人にしたるわ。お前って上昇志向の強い女やからな」
 もう、この男と話したくない。
「私があんたの嫁になるわけないやろ。とっとと自分の店に帰ってまえ」
 それだけ言うと、私はくるりと背を向けた。

「おい、こら」
 私の後ろで怒鳴り声がした。
「お前、俺を呪ったやろ」
「何で私やねん。あんたを呪いたい女はあっちこっちに居てるわ」
「いや、お前がやったに決まってる」
「どっちにしてもやね、私に怒る資格はあんたにないわ。女の気持ちが分からん奴やもん」
 あの男は戦法を変えた。泣き落としを始めたのだ。
「おい、助けてくれ。本店のホールがガタガタになったら、じいちゃんに怒られるやないか」
「黙りや。さっきからスマホに録音してんで、あんたの嘘八百」
 顔を引きつらせて、あの男が叫んだ。
「鬼みたいな女やな」
「あんたのせいで、私はこうなったんや」
 真っ青になっているあの男を振り切って、私は歩き出した。
 心のなかで返事をする。
「これはあんたの自業自得。自分で蒔いた種じゃないか」
 まあ、数時間前にこの場所であの男を呪ってはいるけど。
『あいつなんか、自業自得で破滅してまえっ』って。

 帰宅した。
 シャワーを浴びていて「あほな話やわ」と独り言。
 あんな男に二回目のプロポーズされてしまうとは。
 しかも、その理由が「体が丈夫」とか「仕事ができる」とかだから、女としても嬉しくない。
 まあ、あの男との結婚話、二回とも私から断ったから良いとしよう。あの狡い男を成敗した今は爽やかな気分でいる。
 私はにっこりした。
「やっつけたと思うねん」
 今頃は店に戻って、てんてこ舞いになっているはず。店長自らホールを走り回って接客しているに違いない。

 愛ちゃんからのメールやスマホで録音した内容は、しばらく消さずに置いておく。あの男のことだから、また何か言ってくるかもしれない。
「ほんま、油断も隙もない性格してやるから」
 私はシャワーの栓をぎゅっと閉めた。私はあんな男と付き合っていたのだと、つくづく考えてしまう。

 風呂場から出て、濡れた髪のままでリビングへ行った。
 チェストの引き出しを開ける。
 取り出したのは、色褪せた何冊もの預金通帳。一番に新しい預金通帳を開いた私は深々とため息を付いた。
 凄いな、私。
 自分の店が持てるだけの金額が通帳にきらきらと輝いている。
 今日、石井さんと話をして改めて思った。
 寂しい誰かに、温かい食事を出して心のこもったおもてなしをしたい。それが私の一生の仕事、そして幸せな生き方。
石井さんにいただいたぶり大根、私は一生忘れない。

 窓を開けて凍えるような風を受け、風呂上がりの冷たい炭酸水を飲む。
 爽やかなレモンの香りがする炭酸水だった。ボトルの中で泡が次々にのぼってきては、消えていく なんて美しいのか。
 ネオンが煌めく夜の街に向かって、炭酸水のボトルを自分の身長より高く掲げた。
「私の未来に乾杯」と微笑んでみる。

 頑張れ、ショートカットの私。
 新しい人生に。




了