霙が降る中を、弘は全速力で走っていた。角を曲がった瞬間、濡れた地面で足を滑らせ、強かに身体をぶつけたものの、間髪入れずに立ち上がり、また走り出す。
討伐が終わった弘の元に隼で連絡が来て、慌てて舞い戻ってきたのだ。
待機所の扉を勢い良く開けると、目の前にいた看護婦がぎょっとした顔で弘を見た。泥だらけでずぶ濡れな人間がいきなり入ってきて驚いたのだろう。会釈をして横を通り過ぎる。
部屋に入ると、布団に横たわる人影が見えた。
「...ハル」
ぴくりと人影が動いたものの、それが声を出すことはなかった。
弘はそっと布団に近づき、音を立てないように正座をした。
「ハル」
もう一度声を掛けると、人影が–−−ハルが、驚いたようにがばと起き上がった。
「弘?...なんで」
「連絡受けたから帰ってきた。お前、怪我は」
ああ、とハルが笑った。
「全然大したことないから、大丈夫」
咲羅に比べたら、と小さく呟いたのが、弘の耳に届いた。
大丈夫、と言いつつも、その怪我が全く大丈夫ではないのは一目見ただけで分かった。頭には包帯が巻かれ、傍に畳んで置いてある白縹(しろはなだ)の羽織は、元々何色だったのか分からないほど血まみれだった。
「...咲羅、ごめん」
ぽつりと声が聞こえて、弘が顔を上げると、ハルの顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。
「ごめん、ごめんね、守れなくて」

弘、と明るい声が聞こえて、顔を上げると、あの赤狐面よりもずっと明るくて、無邪気な笑顔がそこにあったのだ。あれを、もう二度と見ることはできなくなった。
自分たちはいつも死と隣り合わせであることは、十分過ぎるほど分かっていたつもりだった。2年前、妖に襲われて家族がみんないなくなってしまった時に、既に学んでいた筈なのに。

弘は口を開けた。
何か言おうと思って、それでも何も浮かばなくて、代わりに、ハルを優しく抱きしめた。
弘の瞳から涙が溢れ、それと一緒に一言、言葉が口からこぼれ出た。
「お疲れさま」
お疲れさま、頑張ったな。
ハルの身体が細かく震えているのが分かる。
ハルは、弘にぐったりと身体を預けると、声を上げて泣いた。