弘が部屋に入ると、異様な光景が広がっていた。
ハルが室内で刀を抜いて、自分の首の後ろに持っていっているのだ。何故かオオカミ達は全く慌てていない。
「え!え、ハル、ちょっと待って何してんの?」
慌てる弘とは対照的に、のんびりとした調子でハルが答えた。
「怪我で腕が水平以上に上がらなくなっちゃったから、髪を切ろうかと」
「結べないから?」
「うん」
「事情は分かった。でもなんで刀で切るんだよ」
「鋏で上手に切れる気がしないんだもん」
そう言うと、バッサリと一息に髪を切ってしまった。
「狼鬼、食べる?」
切った髪を狼鬼の前に差し出す。
《俺は人間喰わないんだよ》
ハルの冗談に、狼鬼は真顔で返した。
「はいはい、知ってますよー」
ハルが楽しそうに笑った。でも恐らく、この場で楽しいのはハルだけだろう。
弘は溜息をつくと、ハルに声を掛けた。
「何にせよ、そのままじゃ外出れないだろ。来い、切り揃えてやるから」
「はーい」
《弘、お兄ちゃんみたい》
勝が笑って言うのを横目に、本当に年上なんだから当たり前だろ、と悪戯っぽく返した。

縁側に座ったハルの耳元で、和鋏がシャクシャクと小気味良い音を立てていく。手慣れた様子で鋏を操っていく弘に、ハルは真っ直ぐ前を向きながら声を掛けた。
「髪切るの上手いね」
「そう?まぁ、妹のをよくやってたからかな」
「妹いたの?」
「うん。話してなかったっけ?」
「初めて聞いた。弘って何人兄妹なの?」
「4人。俺が一番上で、妹が2人、弟が1人。」
「へぇ、4人兄妹か。私と一緒だ。私が三番目で、兄ちゃんと姉ちゃんと、それから咲羅。この羽織は姉ちゃんのだよ」
「ハルの羽織じゃなかったの?」
「うん、だから前は少しぶかぶかだったんだよね」
「それで大きさ合ってなかったんだな。...それに薄々思ってたけど、やっぱり咲羅末っ子なんだ」
「うん。我儘娘でしょう?」
「ハルも負けてないぞ」
「うわぁ、酷い」
ハルはそう言いながらも、どこか楽しそうだった。
「なんか、よく姉ちゃんにこんな感じで髪切って貰ってたなぁ」
ハルが懐かしそうに言った。
「父さんも母さんも仕事が忙しかったから」
「そういえば、咲羅から聞いたんだけど、ハルの家代々猟師やってるって本当?」
弘が鋏を動かしながら訊いた。
「うん、本当だよ。弓矢で、鹿とか、猪とか。私と咲羅はまだ小さかったから兎とか獲ってたかな。じゃあなんで妖の討伐に弓矢使わないんだって言われそうだけど」
「あ、それ咲羅から聞いた。先生が刀しか教えてなかったから刀に切り替えたんだろ?」
「そ。それで剣士の仲間入り」
「良いなぁ、刀は。ちゃんと剣士ってかっこいい名前があって」
「何か考えれば良いじゃん。薙刀士とか」
「ナギナタシ...えー、かっこ悪い」
「えええー」
頭を後ろに倒したハルに、もうちょっとだから動くな、と制して、弘が作業を続ける。暫くするとシャクシャクという音が止んで、弘がハルの顔を覗き込むようにしながら言った。
「はい、完成」
弘に渡された手鏡を覗いて、ハルがぱっと顔を輝かせる。
「弘すごい!ありがとう!」
「此方こそ」
「へ?」
「大きくなった妹を見てるみたいで嬉しかった」
ハルは少し驚いたように弘を見た後、くすくすと楽しそうに笑った。
「それじゃ、また切らせてあげても良いよ」
「そこは、また切ってもらえる?だろ」
2人は顔を見合わせて、楽しそうに笑った。
「ありがとね」
ハルが真っ直ぐ弘を見ながら言う。
「髪ならまた切っても良いよ」
悪戯っぽく返した弘に、ハルは首を横に振った。
「それもだけど」
「けど?」
「私ね、家族が妖にやられて、咲羅がいなくなっちゃってさ。で、冬にみんなで妖の始祖を倒したでしょう?此間起きてから、死にたいって訳じゃないし、命は大事にしなきゃって分かってはいるんだけど...なんか、なんで生きてるのか解らなくなっちゃってね」
弘が息を呑むのが分かった。悲しそうな微笑みを浮かべながら、ハルが続ける。
「オオカミも組織の人も随分減っちゃったし、私も弘も大怪我したし。もう十分生きたんじゃないかなぁなんて思ったりしてね。でも」
ハルが弘の目を真っ直ぐに見つめる。
「煌と、勝と、狼鬼と。それから、何より弘がいるなら、もうちょっと生きていたいなって、思えたから」
ハルが陽だまりのような笑顔を浮かべた。
「だから、ありがとう」
弘の目が大きく広がった。
「...此方こそ。俺も、多分お前らがいなかったら生きて来られなかったと思う、ありがとな」
ひと呼吸置いてから、弘がもう一言付け加えた。
「これからも、よろしく」
ハルは花開いたように笑った。
「うん。よろしくね」

2人を見守るように、可憐な白い君影草(きみかげそう)が春風に吹かれて揺れていた。