カラン、コロン。
カラン、コロン。
今日も私は元気に『エスメルダ王国婚姻解析課』こと、こんぶ課にて勤務中。
(愛することは、自由)
心が開放される合言葉を胸に、今日もクリスタルと真摯に向き合い世のため人のため、婚姻座標に示される古代文字を解析していた。
「アリシア、何か今日クリスタルの調子がおかしくないか?」
「そう?私は快調だけど」
「……俺の気のせいか」
「そうね。気のせいよ」
午前中はキースの気づきを軽く流していたのだがお昼休みを終え、午後の就業が始まってから一時間後。
私たちこんぶ課は前代未聞の緊急事態に直面していた。
「すみません、僕の方にも、メアリー・ホロックスと名が」
「俺のところにもレベッカ・フランクリンと現れました」
「きたきた、こっちにも。ええと、ジュヌヴィエーヴ・メレディス……って確か彼女はすでに他界していたような」
「あ、それ。同姓同名で確か今年デビューした娘がいたはずだ。回覧板で注意するようにって、知らせが来てただろ?」
「あー、そうだったな」
突然みんなのクリスタルに異変が起きた。
「アリシア、お前のクリスタルはどうだ?」
課長に問われ、私は肩をビクリとさせる。
「ええと……」
(何で私の名前が殿下と結びついているの?)
あり得ない事実を前に目を瞬く。しかしいくら目をパチパチしたところで、結果が変わるわけではないのが辛いところ。
「あっ、アリシアは自分の名前が表示されてる!」
向かいに座るキースが勝手に私のクリスタルに浮き出る文字を解析したようだ。その結果、出来れば誰にも知られたくない分析結果を大声で課長に告げられてしまう。
(余計なことを)
私はキースをキリリと睨む。
「でも、オリヴァー殿下の相手はクリスティナ・トンプソンのはずですよね?」
キースは私の恨みのこもる視線を完全に無視し、課長に告げる。
「そうであったはずだが。ふむ、一体何が起きているんだ」
みんなのクリスタルを確認し、腕を組み困惑する課長。
というのも先程からまるで誰かに乗っ取られたかのように、みんなのクリスタルにオリヴァー殿下と婚姻を結ぶべき相手の名前が、次々と映し出されてしまっているからだ。
「も、もしかしてサーバーがハッキングされたとか……」
同僚の一人が恐る恐るといった感じで呟く。
「それはあり得ないだろう」
「そうだよな。サーバーには外部からの侵入を防ぐために、魔法局の連中が何十にもトラップをしかけてあるっていうし」
「しかもかなり精巧な魔法でファイアウォールを張っているらしいぞ」
「だよなあ。だから、こんな事態が起きるなんてありえないんだよ」
「じゃあ、このエラーは何なんだ?」
みんなが困惑した声をあげる。
もちろん私も絶賛困惑中だ。
「そもそもエラーじゃなかったとしたら」
キースがぼそりと口を挟む。
「どういう意味だ?」
課長が眉根を寄せ、聞き返す。
「ツガイシステムが間違いを導き出すはずがない。それは我らだけではなく、エスメルダ王国民の常識です。となるとシステムのエラーやバグではなく、示された結果は合っている。そう考えられるのではないかと」
キースの意見に一同頷く。
(確かにツガイシステムのバグなんて聞いた事ないかも)
ざっと思い返してみても、そんな記憶は私の中に残されていない。
「そうか、わかったぞ。帝国の王族は一夫多妻制だ。だからこのように多数の女性がマッチングしてしまったんだ」
先輩の一人が眼鏡をクイッとあげながら声高らかに考えを述べた。
「ああ、なるほど。それなら納得できる」
「そういうことか」
「一夫多妻制か」
他の人達が一斉に腑に落ちたと言った感じで声をあげた。
そんな中、私は一人青ざめる。
「嘘でしょ……私はオリヴァー殿下の、その他大勢の妻の一人になるってこと?散々待ってこれってちょっとひどくない?」
思わずクリスタルに向かって声をあげてしまう。
そして私の不満たっぷりな声は、思いのほか課内に響き渡ってしまった。
「あー」
「まぁ」
「うん」
「アリシア、頑張れ」
「せめて君が多くの妻の一番になれるよう、祈ってる」
「そうだな」
「ファイトだぞ、アリシア!」
先輩やキースから憐れみのこもる視線を向けられてしまった。
「とりあえず、他の部署で何かバグらしきものが発生していないか調べたほうがいいかも」
「クリスタルに異変がないかどうか、魔法局の古物鑑定課に見てもらおう」
「それに、サーバー管理課にも知らせないと」
「とりあえず魔力を流すのだけは、念のためストップしておいたほうがいいかもな」
「ないとは思うけど、ハッキングの可能性もまだ残っているわけですしね」
「過去に一夫多妻の結果があるかどうか、それを資料室で調べるべきかも」
それぞれが意見を出し合う。
「よし、分担してこの異例な事案に対応しよう」
課長の指示を仰ぎ、私たちは関係各所に散っていったのであった。
そして調査の結果。
「クリスタルにも、サーバーにも問題がなかったそうだ」
課長の言葉でこの特異的な案件は解決……しなかったのであった。
ついに念願のクリスタルに私の名前が示された。通常であれば、即座に両親に報告。今頃「マンドラゴランドに今度行きませんか?」などと、未来の旦那様に対し勇気を出してお誘いしている頃だ。
けれど運命は意地悪なもの。誰かを愛することに目覚めた私に対し、「一夫多妻制」という思いもよらぬ試練をお与えになったようだ。
課長が一連の件を陛下に相談した。その結果陛下は、オリヴァー殿下にツガイシステムの解析結果を一応報告するという事になったようだ。
その話を課長から聞かされた時、第六感を信じると言っていたオリヴァー殿下のことだ。流石にごそっと、我が国の令嬢達をまとめて帝国に連れ帰りはしないだろうと私は楽観視していた。
(願わくば私だけを連れ帰ってくれたら最高なんだけどな)
殿下からいただいたゴラちゃんのキーホルダーを眺めながら、私は願うような気持ちで過ごしていた。
しかしそんな私の楽観的な予想と願いは、あっさり裏切られる事となる。
「陛下いわく、オリヴァー殿下は大層喜んでおられたそうだ。そして望む者がいれば帝国政府と相談の上、前向きに妻として迎えたいと仰っていたらしい」
渋い顔をした課長に私はそう告げられた。
(オリヴァー殿下は一体どういうつもりなんだろう)
あんなにツガイシステムを信じない。そんな雰囲気だったのに、手のひらを返したような対応に私は動揺した。
「どうやらオリバー殿下の第六感は、行方不明になっちゃったのね」
落胆する気持ちに襲われるも、私は自分が信じるツガイシステムの結果を受け入れた。
「一夫多妻制だろうと何だろうと、私は選ばれたんだもの」
しかも旦那様候補は、自分が好ましいと思う人物だ。たとえ一夫多妻制だとしても、もはや断る理由が私には思いつかなかった。
そしてついに私の元にも王城から「ツガイシステムによる通知書」なるものが届いた。
『おめでとうございます。厳選なるマッチングの結果、あなたのお相手はローゼンシュタール帝国、第三皇子オリヴァー殿となりました事をお知らせ致します。
なお、今回に限りローゼンシュタール帝国の婚姻法を適用したため、あなた以外の女性に、この通知書をお送りしておりますことをお知らせしておきます。
この結果に申し立てをしたい場合、一週間以内にエスメルダ王城内国づくり部、エスメルダ王国婚姻解析課までお気軽にお越し下さい』
待ち望んだその紙を目にした時。私は一人声をあげた。
「お気軽にお越し下さいなんて書いてあるから!!」
だからこぞって我がこんぶ課に、みんながクレームを言いにくるのだ。
(魔法文筆課め……面倒ごとを全てこんぶ課におしつけやがって)
私は呪いの呪文をうっかり、口にしかけたのであった。
***
そして私の元に通知書が届いた翌日。私と同じように、王城から通知書が届いたらしい令嬢達で朝からこんぶ課の応接室は満杯になった。
「一体どういうことですの!!」
「一夫多妻制なんてお断りですわ」
「確かにオリヴァー殿下は素敵ですけれど、帝国に嫁ぐつもりはありません」
「この結果に断固抗議しますわ」
どうやら通知書を送った八割ほどの令嬢が抗議のため、お気軽にこんぶ課を訪れたようだ。
「えぇ、ごもっともですわ」
「キース君、例のものを早く!!」
私と課長は、鼻息荒く押し寄せる令嬢たちの対応に負われる事となる。
お怒りの女性達にはひとまずロンネの最高級の紅茶に、王宮訪問者用のクッキーを提供した。もちろん紅茶カップも王城オリジナルのプレミアム感たっぷりなもの。青ざめた様子のキースによって運ばれた「おもてなし上セット」でご機嫌を取り、ひたすら腰を低くし、なんとか彼女たちに落ち着いてもらおうと、課長と私で誠心誠意対応した。
「今回は異例の事態でありますので、辞退されたとしても何ら評判に傷つく事はございません」
おもてなしセットで多少怒りを鎮めてくれた令嬢たちを前に、課長は断言する。
「むしろ帝国の皇子殿下のお相手に選ばれるほど、結婚相手として優れたものをお持ちだと言う、何よりの証拠にもなりますし、決して社交界から誹謗中傷されるような事態にはならないかと」
事前の打ち合わせ通り、私もすかさず補足する。
「ありがたいお話ですけど、でも一夫多妻制だなんて」
「えぇ」
「自分の今後も不安ですけれど、そもそも私たちが断る事で、王国に不利になったりしませんわよね?」
今回の件に関して、令嬢たちの多くはあまり乗り気ではないようだ。
まぁそれは当然のこと。我が国では一夫多妻、そしてその逆にも馴染みはない。よって拒絶反応を示す気持ちはよく理解できる。
それに加え彼女たちを浮かない気分にさせているのは、帝国の皇子殿下の求婚を断った場合、王国に迷惑がかかるかもしれないという懸念のようだ。それこそ名誉を傷つけられたとか何とか言って、帝国側が難癖をつけてくる可能性だってあると不安に思っているようだ。
「その点についても、全く問題ございません」
私はきっぱりと断言し、チラリと課長に視線を送る。
「オリヴァー殿下は、我が国と帝国における婚姻に対する制度の違いを留意されております。よってこの件をお断りしたからといって、両国間の関係が悪化する事はございません」
課長が告げると、令嬢たちは一様にホッとした表情を浮かべた。
「それと、こちらは非公開でお願いしたいのですが。実はオリヴァー殿下が今回名前が上がってしまったご令嬢にはご迷惑をおかけしたと仰っており、是非こちらをと」
課長が極めつきとばかり、ツツツと令嬢達に提示したのは一枚のチケット。
それは王室御用達として名高い有名デザイナーが経営する洋品店で、ドレスを一着ほど無料で仕立ててもらえるというプラチナチケットだ。
そのチケットを目にし、一気に令嬢たちの表情が明るいものとなる。
「まぁ、別にこのようなものを頂かなくとも」
「殿下に悪いですわ」
「でも折角ですから」
「お断りするのも悪いですし」
そう言いながら令嬢達はしっかりとチケットをポーチに仕舞い込んでいた。
個人的には「マンドラゴランド年間パス」の方が嬉しい気がしたが、洋品店の無料ドレスチケットの効果は抜群。
特に大きな問題となることなく、自ら断りを申し出た、令嬢たちの方は片付いたのであった。
***
現在私は有給を使い、王城内の中庭でオリヴァー殿下を囲む会……のようなものに参加している。
というのも、あと数日でオリヴァー殿下が帝国に帰国されるとの事で、今回ツガイシステムでマッチングしたのち、辞退しなかった子達を集めた婚姻説明会兼お茶会が開かれているからだ。
(かなり辞退したと思ってたけど)
現在クリスティナと私を入れて五人ほどが、オリヴァー殿下と仲良く丸テーブルを囲んでいる。
一夫多妻制というものに馴染みのない私からしたら、ここにいる五人の女性全てがオリヴァー殿下の妻になるだなんて、正直シュールな光景にしか思えない。
(しかもみんな私より若いし)
ざっと確認したところ、この場に集合しているのは、花嫁学校で後輩だったと認識している子ばかりだ。どうやらここでも悪い意味で、私は頭ひとつ飛び抜けてしまっているらしい。
(でも、通知は私の所にもきたし)
その他大勢の一人という結果にはガッカリだけれど、私はツガイシステムに選ばれ、ここにいる。
だから恥じる事はないと、自分で自分を励ました。
「緊張しないでいいよ。何でも質問して」
みんなの注目を集めるオリヴァー殿下が優しく微笑む。
「一夫多妻制と言っても、様々な形があると思うのですけれど、帝国では平等に扱って頂けるのですか?」
黄色いドレスを着た女性が誰もが気になる質問を早速オリヴァー殿下にぶつける。
「うーん、出来ればそうしたいところではある。しかし、私も一人の人間だ。よって見た目や性格等で気に入る者、そうでない者と差が出てしまうかも知れない」
オリヴァー殿下は思いのほか正直に答えた。だからって、「誠実な人だわ」とプラスポイントにならないのが、悲しいところだ。
「後宮のような所はあるのですか?」
「そういったものはない。私は皇子と言っても三番目。そこまで重要な皇子じゃないからね」
「…………」
返答に困る言葉を返され、私達は一斉に目を泳がせた。
「あちらでの住まいは、どういった形になるのでしょうか?」
「申し訳ないけれど、共同生活になると思う。勿論使用人はいるから、生活に困るような事はないと約束しよう」
オリヴァー殿下は胸を張り誇らしげに答えた。しかし「共同生活」という言葉を聞いた令嬢達の顔は青ざめている。
(妻同士が毎日顔を合わせるってどんな感じなんだろう……)
花嫁学校の延長のような感じなのだろうか。
未知なる世界だ。
「殿下、よろしいですか?」
数日前一緒にマンドラゴランドに行った記憶の残る帝国側の近衛が、オリヴァー殿下の耳元で何かを告げる。
オリヴァー殿下は小さく近衛に頷くと、私達に爽やかな笑みをよこす。
「すまない、少し席を外さなければならなくなった。戻ってくるつもりではあるけれど、私の事は気にせず、茶会を続けてくれ」
「殿下、でもご説明がまだ……」
席を立つオリヴァー殿下に、紫色のドレスを身にまとう女性が遠慮がちに声をかけた。
「すまない。何かと忙しくてね」
「でも、帝国に嫁ぐ前に色々と殿下の事を知りたいと思うのですが」
緑色のドレスの女性が勇気を出してといった感じで殿下に声をかける。するとオリヴァー殿下は思い切り深い溜め息を吐き出した。
「君たちはツガイシステムによって、私の妻に最適だと選ばれたんだろう?だったらそれを信じればいい。では」
オリヴァー殿下はそう言い切ると、颯爽と去って行ってしまった。
(まるでわざと嫌われようとしてるみたい)
今の殿下はマンドラゴランドで感じた、優しさのようなものを一切感じなかった。
どうやらあれは全て夢だったのかも知れないと思いかけ、そんな馬鹿なと即座に自分の閃きを否定する。
(いったい何を考えているんだろう……)
私は何とも言えない気持ちになりながら、紅茶を一口飲む。
(あ、これはおもてなし上セットの、ロンネの最高級の紅茶だ)
少なくともオリヴァー殿下は私達を蔑ろにしたいわけではないようだ。
(もしかして、照れ屋なのかな?)
恋愛に疎い私はすっかりそう思い込み、紅茶の香りを楽しむのであった。
オリヴァー殿下がいなくなったお茶会。
現場に残されたのは、黄色、紫、緑の令嬢と桃色のドレスに身を包むクリスティナ様。そして動きやすさ重視。シンプルな青いドレスに身を包む、私を合わせた五人の花嫁候補だ。
一夫多妻という、重くのし掛かる現実に気まずい雰囲気が漂う中。
最初に口火を切ったのは、黄色いドレスの女性だった。
「皆様、どうなさいます?」
「私達の事などあまり興味がなさそうでしたわ」
「それに共同生活だなんてあんまりだわ」
すでに緑色ドレスの女性は泣きそうだ。
「一夫多妻制というのは、一体何人まで妻を持てるものなのかしら?まさか、オリヴァー殿下には私たちの他にも、帝国に奥様候補がいらっしゃったりしないわよね?」
クリスティナ様が鋭い指摘を口にする。
彼女の指摘に刺激され、とある国では後宮に何十人も妻を持つ皇帝が存在するなどと言う、ゾッとすること必須な情報を思い出す。
「アリシア様。一夫多妻制の妻の数に、上限はあるのでしょうか?」
一斉にみんなの顔が私に向けられた。
なぜ私が問われるのだろうかと不思議に思い。
(あ、年長者だから?)
一人納得する。
「ごめんなさい。私にもよくわかりません」
年齢に関係なく、知らないものは知らない。
私は正直に答えておいた。
「でもアリシア様はエスメルダ王国婚姻解析課の人間として、こちらにいらっしゃるのですよね?」
「詳しく説明してください」
「このままでは、帝国になんて行けません」
「そうよ、アリシア様。そもそもどうしてこんなに沢山の人が選ばれるのですか?」
溜め込んでいた疑問を吐き出す面々。
(そういうことか)
どうやらこの場にいる私を、婚活案内の支援職員がなにかと勘違いしているようだ。
(はっ、まさか)
私は自分のドレスを眺める。
私を除く四人は、今日という日を最高な形で迎えようとしたのであろう。念入りに準備をしてきたであろう事が、各々の気張ったドレスからもわかる。
それに対し、王城内にある独身寮に住む私にとってみたら、ここは庭のような場所。そのためいつもと同じ。仕事着にもなる簡素なドレスに袖を通している。
それが原因で、みんなから職員に見えてしまっている可能性は充分ある。
しかもオリヴァー殿下から一番遠い位置に座っていた。よってみんなが勘違いするのは、仕方がない状況なのかも知れない。
「もし、今回の件を断ったらどうなるのかしら」
紫ドレスの女性が呟く。そしてもれなく私の顔に皆の視線が集まった。
(だから、婚活職員じゃないんだってば……)
内心不服に思いながら、ツガイシステムについてここにいる誰よりも詳しいのは自分だと諦める気持ちになった。
私はすぅと息を吸い込み、仕事モードに切り替える。
「今回断ったとしても、特にペナルティ等はございません。ただ、これから更に舞踏会に積極的に参加するなど等をして頂き、出会いの場を広げていく必要はあるかと思います」
こんぶ課に配属されて四年。応接室を訪れた数多くの悩める令嬢たちに向かって、幾度となく繰り返した説明を口にした。
「でも次のマッチングがすぐに起こるかどうか。それは確証がないですよね?」
これもまた、毎回必ず問われることだ。
「そうですね。正直必ずマッチングされるとお約束はできませんし、万が一されたとしても、それが一体いつになるか。具体的な時期などについては何とも申し上げられません」
私の言葉に不安そうな表情を浮かべる面々。
「私の体感ではありますが、出会いを広げる努力をされた方は比較的早い段階でお相手が見つかっております。もちろん、一概には必ずそうなるとは言えませんけれど」
すっかりこんぶ課職員の顔になった私は、淡々とうら若き令嬢たちに説明する。
「このままオリヴァー殿下を信じて帝国についていくか」
「それとも新たな出会いを求めるか」
「でもツガイシステムは絶対ですものね」
一気に悩ましい表情になり俯く面々。
(将来のことだもの。仕方がないよね)
それにまだみんなは若い。行き遅れになりたくないと思い、決断を迷う気持ちは痛いほどわかる。
「でも私には共同生活は無理かも知れないわ」
「私はそもそも一夫多妻が無理ですわ」
「そうね。時間がかかっても、誰かの一番になりたいもの」
みんなが諦めの方向に向かい始めた時。
「アリシア様はどうされるおつもりなのですか?」
クリスティナ様が私にたずねる。
「もしかして、私を参加者だって気付いてくれたのですか?」
思わず、弾む表情をクリスティナ様に向ける。
「最初から気付いてましたわ。そもそも、アリシア様がこういうお茶会に参加されるなんて、槍が空から降るくらい珍しい事ですもの」
さすが年下だけれど、頼もしい知人だ。
「え、そうなんですか」
「ごめんなさい。てっきり説明係かと」
「でも言われてみれば、アリシア様だって選ばれてもおかしくはありませんものね」
クリスティナ様の言葉を耳にした令嬢たちは、納得した顔でうなずく。
「そもそも、建国三百八年を祝う舞踏会で殿下に告白されてましたものね。どうせ殿下の本命はクリスティナ様なんでしょう?」
ツンとした顔を私に向けるクリスティナ様。
「告白ですか?」
(価値観の違いで、言い合った記憶はあるけど)
告白された記憶はない。
私は困り果てた顔をみんなに向ける。
「確かにあの時の殿下は、先程までの儀礼的な態度とは正反対。とても楽しそうでしたわ」
「曇った瞳を明るく照らすとかなんとか。そんな風に仰っていましたものね」
緑の子の発言に思わず目を丸くする。
(え、あれが告白なの?)
どう見たって、喧嘩を売られていただけだ。
(まさかこれが巷で噂の、ジェネレーションギャップなのだろうか)
私は若い子の感性についていけないと困惑する。そしてそう思う事こそ、すでに年老いた者の考え方だと気づき、さらに落ち込む。
「結局のところ、帝国に行ってもアリシア様が寵愛されるに決まってる。私は自分の人生を当て馬で終える一生で納得するつもりはないわ」
クリスティナ様がきっぱりと言い切る。
「けれどツガイシステムで、私達の名が上がった事は確かですわよ?」
「そうね。つまりそれって私達もオリヴァー殿下に選ばれたってことじゃないの?」
「こういうパターンは初めてだからよくわからないけど、多分そういう事ですわよね」
困惑した表情を浮かべる面々。
確かにツガイシステムにミスはなかった。だからここに集められた人はオリヴァー殿下と相性がいい事は確かだ。
(ただそれが、一人だけじゃなかっただけ)
その事実はこうして集められてみると、意外にも重く感じるもの。
「皆様と家族になるかも知れないのですね」
冷めてしまったであろう、手元に置かれた紅茶を眺めながら事実を噛み締めるようにゆっくりと呟く。
「この私がみんなと家族。というかその他大勢に成り下がるなんてありえないわ」
クリスティナ様が堂々と胸を張り宣言する。
「それに、ここだけの話なんだけど」
クリスティナ様がみんなに手招きをし、顔を寄せるように合図する。私たちはその合図に応え、ズイッと体をテーブルに寄せ姿勢を低くした。
「ツガイシステムはそもそも出会った人の中で、より最適な相手を見つける魔法のシステム。それは皆様ご存知ですわよね?」
クリスティナ様の言葉に一同頷く。
「皆様はその事が念頭におありだから、出会いを求めなければと交友関係を広げる」
これまた正しい知識であり、特段異議もないため頷きを返す。
「いい?私の両親は狙ったように美男美女で、しかも相思相愛なのはご存知よね?」
「確かにクリスティナ様のご両親は類い稀なる美貌を持つ、素敵なお二方ですわよね」
黄色の子が呟く。
「そんな私の両親は出会った瞬間、お互いの美しさに目を奪われ、一瞬で恋に落ちたんですって」
「まぁ!!」
「素敵ですわ」
「出会った瞬間恋に落ちるなんて、まるで恋愛小説のようですわ」
乙女心全開。うっとりとした表情をみせる面々。
気持ちはよく理解できる。
私だって出会った瞬間、まるで雷に打たれたように「この人が運命の人」だと思えるような、そんな素敵な恋に落ちてみたいと常々願っている。
ただ、みんなより先に社交界デビューを済ませ、こんぶ課にて人の結びつきを散々見てきた結果。
出会った瞬間、両思いになる。そんな運命的な出会いに恵まれる確率は限りなく低い。
残念だけれど、それが現実だと私は知っている。
「私の両親は出会った瞬間恋に落ちました。すると、ほどなくしてツガイシステムが反応し、二人は結ばれたそうよ」
クリスティナ様が誇らしげに告げる。どうやらクリスティナ様のご両親は、類いまれなる強運の持ち主らしい。
「とても良い話ね」
「ほんと、理想的ですわね」
「私も誰か一人と結ばれたいわ」
緑の子が念を押すように言う。
最後に漏れた「誰か一人と」という言葉には、私も同意だ。
(出来れば私だって、誰かの一番になりたかった)
けれど、実際はその他大勢の中のひとり。それでもいつまでも選ばれない辛さを知る身としては、これで我慢しなければと思う。
「それでここからが本題なのだけれど、皆様はオリヴァー殿下から、屋敷に花束が届きませんでした?」
確認するようにクリスティナ様が私たちの顔を順に見回す。
「え?」
私はもらっていないと首を横に振る。
「頂きましたわ」
「え、私もよ」
「やだ、私だけに届いたわけじゃないってこと?」
動揺し目を丸くする三名。
(え、頂いてないけど?)
ただ一人、オリヴァー殿下から贈られた花束という存在を初めて知った私は、違う意味で目を丸くする。
「やっぱりね。突然届いたからおかしいと思ったのよ」
クリスティナ様がやれやれと言った感じで肩を落とす。
「ええと、どういうことかしら?」
一人花をもらえなかった私は悲しみを抱えつつ、クリスティナ様に問いかける。
「私たちはまんまと殿下に利用されたんだわ」
悔しそうな声を吐き出すクリスティナ様。しかしその意味がわからず、私は更に首を傾げる。
「殿下からお花が届いた私は、てっきり殿下が私を好きなんだと疑いもせずそう思ったわ。みんなはどう?
「そりゃねぇ」
「誰だってお花が贈られたら」
「私の事を好きなんだと思うに決まってるわ」
クリスティナ様の問い掛けに、みんなが遠慮がちに密やかな想いを告白する。
「その気持ちを団体で、まるっと利用されたのね。全く呆れてものが言えないわ」
今度はクリスティナ様が苦虫を潰したような表情になった。
「えーと、クリスティナ様。利用されたって一体どういうことなんですか?」
恐る恐るもう一度たずねてみる。
するとクリスティナ様は私を見て、大きなため息をついた。
「全ては殿下がアリシア様を手にするためよ」
「え、私を?なぜ?お花すら届いてないのに?」
ひたすら混乱する私であった。
オリヴァー殿下が退出したお茶会。
主人不在で残された、私を含む妻候補達は混乱を極めていた。
なぜならクリスティナ様が「私たちは利用された」と爆弾発言をしたからだ。
さらに私だけ殿下からお花を頂いてなかった事が判明し、もはや私は悲しみに打ちひしがれるといった状況。それなのにクリスティナ様は「全ては殿下がアリシア様を手にするためよ」などと、矛盾したことを言い出した。
「クリスティナ様、私はお花を頂いておりません。ですからオリヴァー殿下が私を手にするために、という点が全く理解できないのですが。だって手にしたければ、先ずは皆様にお送りしたそのお花とやらを、先ずは私に贈るべきだと思うのです」
年長者ぶった私は、渦巻く疑問を「お花を頂けなかった」という悲しみと共にぶつける。するとクリスティナ様は呆れたような視線を私に向け、大きくため息をついた。
「アリシア様、順に説明しますから、少し黙っていて下さるかしら」
クリスティナ様は私に薄目を向けた。仕方がないので私はキュッと口を結ぶ。
「そもそも今回オリヴァー殿下のお相手として、ツガイシステムのマッチング対象になった方。それは殿下に好意を抱いていた者全てが、選ばれてしまったような気がしませんこと?」
クリスティナ様が紫、緑、黄色のドレスに身を包んだ、三色トリオの皆様にたずねる。
「だってお花が届いたからてっきり」
「そうよ。あんな素敵なダリアが届いたら、誰だってねぇ」
「ええ。てっきり相手も自分に好意を寄せていると、勘違いもしちゃうわ……って私もダリアが届いたわ!」
緑の子が目を見開く。
「私もダリアだったわ。クリスティナ様は?」
紫の子がクリスティナ様にたずねる。
「もちろん私の所に届いたお花も、みなさまと同じ。ダリアでしたわ」
「クリスティナ様もダリアを……」
「つまりみんなが同じをお花を贈られたってこと?」
「それって絶対、私の事を好きじゃない気がするわ」
夢から醒めたといった感じで呟く緑の子。
そんな緑の子の意見に同意するように、黄色と紫の子が大きく頷く。
確かに全員に同じお花が届くなんて偶然にしては不自然過ぎるし、とりあえず花でも送っておけという投げやりな感じが否めない。
(だけど、そんな事を言ったら私はお花すら頂けていないわけで)
投げやりでもいい。オリヴァー殿下からお花が届いたという事実が私も欲しかった。
仲間に入れてもらえない。
そんなのあまりに酷いというものだ。
もはや私は、目の前で繰り広げられる不可解な会話から除外されただけではなく、そもそも一夫多妻というスタートラインに立った時点で、何歩も出遅れてしまっているようだ。
(もうやだ)
ツガイシステムに引っかかったと思い、喜んだのは数秒。
その後、次々と解明される事実に落ち込むばかり。
私は悲しみの気持ちを抱えつつ、ひとまず話の主導権を握るクリスティナ様の顔を見つめる。
「私が思うにツガイシステムは、出会ってさえいれば恋心を抱く相手をちゃんと選ぶ可能性があると思うのです。実際私の周囲には、すでに好意を抱いていた者同士が結ばれるパターンが、いくつか確認できているし」
クリスティナ様が得意げな表情を浮かべた。
(え、そうなの?)
私は素直に驚いた。
そして「恋心を抱く相手同士が結びつく」という発想が、今まで自分の中に芽生えた事がなかったと気付く。なぜなら日々業務に追われる私からしたら、ツガイシステムに示される結果こそが大事なのであり、その過程を詳しく分析しようと思ったことがなかった。
もちろん私だって、ツガイシステムの原理に興味がないわけではない。しかしそういった分析は、私達こんぶ課の仕事ではなかっただけ。古物を専門とする研究職の管轄だ。
そしてこれは言い訳になってしまうが、日々やることリストが真っ黒に埋まる私たちは、畑違いの事に時間を割く余裕など無い。
「でもクリスティナ様のその考えだと、やっぱりオリヴァー殿下は私の事が好きって事になるわ」
「好意を抱いていた者同士がマッチングされるのならばそうよね」
「けれどさっきの殿下の態度は、とても愛情深い感じではなかったわ」
三色トリオが不服そうな声をあげる。
「この私を前に、煙たがっている感じでしたわ。全くもってあの態度は、許し難い愚行でしたわ」
クリスティナ様もムッとした表情と声で参戦する。
「それにみんなに同じ花束を贈っていただなんて、ショックだわ。でも一夫多妻ってきっとそういう事なのよね……」
「そうよね、結局横並び。一番にはなれない」
「でも殿下はあからさまに贔屓をするっておっしゃってたわ。やだ、血を見る事になりそうな未来しか思い浮かばないんだけど」
みんなが揃って浮かない表情を浮かべた。
(やっぱり私だけお花を貰えてないのが、わりとショックなんだけど)
一人だけベクトルの違う不満を口にするのもはばかられ、私は口をつぐむ。
「それで、好意を抱いていた者同士がマッチングされる事と、今回の件について。クリスティナ様は一体どう関係があるとお考えなのですか?」
黄色のドレスに身を包む子が、鋭い質問をぶつける。
「私の第六感によると、通常であれば第一希望同士。つまり両思い同士が結びつく為に背中を押すのがツガイシステムなんだと思うの」
クリスティナ様は堂々とした態度で私達に告げる。
「そもそもの事実として、エスメルダ王国は小さな国だわ。そして魔法使いが存在する国。そのおかげで何とか周辺諸国に攻め込まれずに済んでいる。だからこれからも魔法使いを輩出する必要がある。それはみなさまもご存知よね?」
突然講義をはじめたクリスティナ様。
(それと、お花の問題が関係あるの?)
疑問に思いつつ、私は真面目な顔で頷く。
「我が国が生き残るために、ツガイシステムは重要だわ」
「ええそうよね。我が家は先祖代々ツガイシステムでマッチングされた人と結婚してるし、そのおかげでみんな魔法使いとして、国に仕えているもの」
「というか貴族社会に属する者で、ツガイシステムに疑問を持つ人なんて見たことないわ」
三人はエスメルダ王国の模範的国民といった様子で、口々にツガイシステムを肯定する発言をする。そしてそれに対し、満足そうな表情を見せるクリスティナ様。
「皆様のおっしゃる通り私たちは、盲目的にツガイシステムを信じている。けれどツガイシステムは、ある意味乱暴なシステムだと言えるわ。なぜなら自分が将来を共に歩む相手を、原理不明のよくわからない水晶の占いによって決められてしまうんだもの」
クリスティナ様は少し悲しげな表情を見せた。
「確かに全てが解明されたものではありません。けれど、少なくともツガイシステムは人を不幸にしたりする結果は示さないはずです」
私は、落ち込む様子のクリスティナ様に悪いなと思いながらも反論する。
「でも実際に、今回の件で私達は傷ついていますわ。アリシア様だって一夫多妻制という帝国のとんでもない決まりを考慮したツガイシステムの結果に対し、少しは悩まれたはずです」
「今回は特殊な感じで、殿下が帝国人だからであって、むしろツガイシステムは頑張ったというか」
若干しどろもどろになりながらも、私はこんぶ課を代表し、ツガイシステムを援護する。
「だったらアリシア様は、今回示されたツガイシステムの結果に充分満足しているという事ですか?」
「それは……諦めの部分がないわけじゃないですけれど」
私は小声で自分の気持ちを暴露する。
ツガイシステムは絶対だと信じたい気持ちは未だにある。一方で、出来れば私一人を選んでくれていたらと、ツガイシステムを恨みたくなる気持ちが全く湧かないわけではない。
「ツガイシステムは絶対。けれど、それが全ての人にとって確実に幸せな結果をもたらすとは限らない。今回の件でそれは証明されたのではないでしょうか?」
「…………」
クリスティナ様にあっさり論破され、私は何も言い返せないのであった。
クリスティナ様が言う事は正しい。
確かにツガイシステムは全ての人を幸せな未来に導くものではない。
なぜなら一夫多妻制で選ばれた私たちには、ちっとも明るい未来が待っているとは思えないから。
私はその事を、今回の件で身をもって知った。
けれど、心の奥底ではツガイシステムの不具合を認め難いと思う気持ちがまだある。
「ただ、私は」
膝の上でギュッと拳を握る私にクリスティナ様が静かに語りかける。
「今回の事は例外だと主張されるアリシア様のお考えも間違ってはいないと思います」
「どういうこと?」
私は顔をあげてクリスティナ様にたずねる。
「なぜなら、ツガイシステムの結果を不服に思う人が多数いたとすれば、このシステムはとっくに廃れていたはずだからです。けれど私達はツガイシステムを受け入れている。それは誰もがツガイシステムに疑問を覚えない理由があるからなんじゃないかしら?」
思いもよらぬ問いかけに、紫色のドレスに身を包む子がたずねる。
「ツガイシステムが受け入れられる理由という事ですか?」
「ええ。我が国の人間が、ツガイシステムに相手を勝手にマッチングされて文句を言わない理由。それは今までちゃんと、好きな人とマッチングされてきたからではないかしら?」
静かに話に耳を傾けていた私は、数日前。
エリオット兄様が意味ありげに与えてくれたヒントの答えは、それだと閃く。
『私はツガイシステムが妻を示す前に、すでに彼女を特別な女性だと思っていた』
エリオット兄様の言葉が鮮明に蘇る。
この言葉の意味するところは、エリオット兄様と奥様はツガイシステムで選ばれる前に、すでに想い合っていたということ。逆に言えば、想いあっていたからこそ、ツガイシステムに引っかかったとも言えるのではないだろうか。
もしこの仮説が正しいとすると、夫婦喧嘩をする度にエリオット兄様がこんぶ課のせいにするなんて、八つ当たりすぎると感じた。
(今度会ったら、ちゃんと文句を言っておかなくちゃ)
心のメモ帳にしっかりと記す。けれどすぐに、エリオット兄様には普段からメンタルケアをしてもらっている事を思い出す。
(ふむ、こんぶ課のみんなには悪い気もするけど)
個人的な理由から、エリオット兄様にだけはこんぶ課に八つ当たりをする権利をそのまま保持してもらう事にした。
「そもそも帝国の人間であるオリヴァー殿下は魔力を持たない人間だわ。だけど今回ツガイシステムに名前が登場したのは、主に私たちエスメルダ王国側の人間から、オリヴァー殿下に対する好意の気持ちが大きくなりすぎたせい。そしてそれは贈られた花のせいでもある」
クリスティナ様は自分に言い聞かせるように呟く。
「つまり、それこそが今回沢山の人がツガイシステムに選ばれてしまった理由なのよ」
まるで名探偵のように、クリスティナ様が私達の顔を一人ひとり確認していく。
その雰囲気に完全にのまれた私は、ごくりと唾を飲み込んだ。
「それは殿下が一夫多妻制の国の人だからってことかしら?」
「それもあるけど、今回は殿下に好意を抱いている者みんなが選ばれてしまったってことよね?」
「確かに辞退した子もみんな、殿下の事を素敵って言ってる子ばかりだったわ……ってまさか、私たち以外にもみんながお花を頂いたってこと?」
緑の子がハッとした表情になったのち、驚くべき速さで扇子を口元に当てた。
「殿下からお花が贈られた子全員が、好意を持たれたと勘違いしたかどうかはわからないわ。でも少なくとも辞退した子を含め、ツガイシステムに引っかかってしまった子は、確実に殿下からダリアを受け取ったはずよ」
クリスティナ様は自信ありげに断言する。
そしてそのまま言葉を続けた。
「ダリアの花言葉は「華麗」や「優雅」だわ。一方で、「移り気」や「裏切り」という意味も含む。今回殿下は悪い方の意味を込めて私達にダリアを贈ったのよ」
「そんな……」
「酷いわ」
「でも何でそんなこと」
みんなが困惑した表情になる。
私も何でオリヴァー殿下がそんな事をわざわざするのか、その意味がわからず戸惑う。
「それはアリシア様に……ここから先はご本人が自分の口から告げたいでしょうから、言わないでおくわ」
やけに大人びた表情で、クリスティナ様が勝手に話を終了させた。
「そうですわね」
「なるほど、私達はまんまと利用された。その意味が理解できましたわ」
「ほんと、失礼しちゃうわ」
私を除く面々は納得した様子で、既に冷めてしまったであろう紅茶に手を伸ばす。
(一体どういうことなの?)
私一人、状況が理解できていないようだ。
「皆様には悪いけれど、私はこの件から降りる事にします。だって私は誰よりも可愛いし、若くて可能性に満ちておりますもの」
晴れやかな顔をしたクリスティナ様が胸を張って言い放つ。
「私も辞退しようと思いますわ。正直誰か一人の妻になりたいもの」
緑の子が頬を膨らませながら答える。
「私も降ります。だってやっぱり共同生活なんて絶対無理だもの」
黄色の子が吹っ切れたように笑う。
「私も辞退します。だって私が辞退しなければ、アリシア様の婚期がますます伸びてしまいますものね」
最後に残った紫の子が、私に挑戦的な笑みをよこした。
「確かに。この中で一番後がないのは私ですもんね。はははは」
私は引きつった顔で、乾いた笑いをもらす。
「それで、アリシア様。あなたは殿下が好きなの?」
「え?」
クリスティナ様に問われ、私は一瞬固まってしまう。
「私達が勘違いしてしまった原因の一つは、おそらくあなたの態度にもありますのよ」
「態度ですか?」
「そう。ご自分の気持ちに素直に向き合わなかった結果、こんな風にみんなを巻き込む結果になってしまった。その罪は大きいわ」
「ご、ごめんなさい……」
クリスティナ様に鋭い視線を向けられ、思わず謝罪する私。
そして頭を下げながら、クリスティナ様から放たれた言葉の意味について考える。
(確かに私は今まで恋というものに対し、真摯に向き合っていなかった)
何故なら恋というものは、ツガイシステムにマッチングされてから始まるものだと思い込んでいたからだ。けれどそうやって割り切って生きてきた結果、婚期も後れ、ようやく芽生えたオリヴァー殿下を慕う気持ちにも、なかなか気付けなかった。
(それで、ようやく気付いた時にはこんな風になっちゃって……)
みんなに迷惑をかけたのであれば、私も辞退すべきなのだろうか。
いまさらその事に思い当たった。
(だけど、断りたくない)
勿論みんなに比べて後が無いと焦る気持ちがあるから、一夫多妻という制度でもいいやと自分を納得させた部分は多々ある。けれど私は、心の底からオリヴァー殿下に惹かれている。だからどんな形でもこのまま離れるなんて嫌だと思ってここに来た。
「皆様には申し訳ないと思う。だけど私はオリヴァー殿下が」
「私がどうしたって?」
突然オリヴァー殿下が現れて、私は驚きのあまり椅子ごとひっくり返りそうになった。
「おっと、あぶない」
オリヴァー殿下が爽やかな笑顔と共に、私の椅子と体を支えてくれる。
「あ、ありがとうございます」
私は慌てて机を掴み、体を立て直す。
「殿下、大変申し訳ございませんが、私は今回のお話を辞退させて頂きますわ」
クリスティナ様が椅子から立ち上がり、凛とした表情でオリヴァー殿下に告げた。
「殿下、私も誰か一人に愛される人生が良いので辞退させて頂きますわ」
「申し訳ございません。私も一夫多妻はちょっと無理そうです」
「私も共同生活は流石に送りたくないので。申し訳ございません」
緑の子、黄色の子、紫の子が次々に辞退を表明する。
「では、私達はこれで失礼致します。お邪魔いたしました」
クリスティナ様が立ち上がり、他の三人もそれに続く。
「え、みなさま?」
私は唖然としたまま声をかける。するとすでにこちらに背を向けていたクリスティナ様がくるりと振り返る。
「あ、そうだ。噂で聞いたのですが、辞退するとドレスをお詫びに頂けると聞いたのですが。勿論それは」
クリスティナ様が含みを持たせたまま言葉を切った。
「ああ、もちろんだとも。この度は本当にすまないことをしたと思っているからね。だから是非受け取って欲しい。君たち宛に贈らせてもらうよ。謝罪の花と共に」
オリヴァー殿下が肩をすくめながら笑顔で告げる。
「お花は結構ですわ。ドレスの方だけお願いします。では、ごきげんよう」
クリスティナ様はうやうやしく淑女のお辞儀を殿下に返すと、背筋を伸ばし綺麗な歩みのまま庭園を去って行く。そしてその後を、無口な侍女達がしずしずと追いかけていた。
「どうやら僕は相当みんなに嫌われたようだ」
空席となった私の席の隣にストンと腰を下ろすオリヴァー殿下。
「ええと」
「君以外みんな辞退しちゃった」
「みたいですね……」
「まさか君まで辞退するとか言わないよね」
「勿論です。だってあとがないですから」
私は正直な気持ちの半分を殿下に明かす。
流石にここで唐突に「実は好きでした」なんて恥ずかしくて言えなかったからだ。
「ふーん。後がないからか」
オリヴァー殿下が私を探るようにジッと見つめる。
「何だか喉が」
私は慌てて視線を逸し、紅茶カップに手を伸ばしたのであった。
棚ぼた気味ではあるが、図らずも一夫多妻制を勝ち残り、オリヴァー殿下と二人きりになった私。
(う、嬉しいけど)
何だか、いざとなると無性に緊張する。
「少し散歩しないか?」
「え、城下にですか?」
私は咄嗟に答える。なぜなら、前回課長に突然殿下のお守りを頼まれた流れを思い出したからだ。
するとそんな私にオリヴァー殿下はくすりと微笑む。
「許されるのであればもう一度、君とならばマンドラゴランドに行きたい所だけれど、今日は流石に無理かな。帰国を控えて色々とやらなきゃいけない事もあるし」
オリヴァー殿下の口からマンドラゴランドの名が飛び出し、私はふと気付く。
「あ、そ、その節は大変ご迷惑をおかけ致しました。ジュリアンに叱られ、大人気なかったと反省しました。それと、可愛いキーホルダーをありがとうございます」
ようやく言えたと、私はホッとする。
「楽しかったからそのお礼だ。二十歳の子に贈る物としてはどうかと思わなくもなかったけど、君はゴラちゃんとやらが、とても好きそうだったから」
「ものすごく嬉しかったです!」
私はすかさず自分の気持ちを口にする。
(だって本当に嬉しかったから)
二十歳で行き後れの立派なオトナだけど、でも可愛いものは好きだ。
「そっか、喜んでもらえて嬉しい。僕が最初に君に贈ったものだし。ある意味君の記憶にしっかりとあの日の思い出と共に刻まれると考えれば悪くないか。さてと」
オリヴァー殿下は言い終えると立ち上がる。
そして私に手を差し出した。
「ひとまずさ、散歩しよう」
オリヴァー殿下の優しい笑顔が私に向けられる。
私が好きな爽やかな笑顔だ。
「はい!」
私は迷わず浮かれた気持ち全開で、オリヴァー殿下の手を取ったのであった。
***
私と殿下は成り行きで手を握ったまま、王城内の庭園をゆっくりと歩く。
(もっとマシなドレスを着てくればよかった)
周囲に咲く花は私を見てと言わんばかり、美しく咲き誇っている。
それに比べ私は普段着のドレスだ。
(でも今日は始まりの日だもの)
これで「さようなら」ではない。
だからこの失敗を挽回するチャンスはいくらでもある。
その事が嬉しくて、先程まで少し残念な気持ちで動かしていた足に、今度は弾む気持ちが宿る。
「君は僕を選んで後悔しない?」
ピンクのバラで作ったアーチをくぐった時、オリヴァー殿下が静かな声でたずねた。
「え? どうしてですか?」
オリヴァー殿下の言葉に私は首を傾げる。するとオリヴァー殿下は立ち止まり、私の手を離した。
「だって君は、後がないから僕の妻になろうとしているんだろう?」
少し拗ねたようにオリヴァー殿下は口をすぼめる。
「あっ……」
確かに私は半分の本音しか伝えてないと、いまさらその事に気付く。
「私は殿下が好きです。だから後悔なんてしないです」
私は手遅れになる前にと、今度こそしっかりと自分の気持ちを伝えた。
するとオリヴァー殿下はホッとしたように、肩を下ろす。
「そっか。僕も君が好きだ」
オリヴァー殿下が優しく微笑んでくれる。
「つまり勝負は引き分けだ」
そう言ってオリヴァー殿下は再び私の手を取り、歩き出す。
「引き分けってどういう事ですか?」
「前に君のその曇った目を必ず晴らしてみせるって、そう言っただろう」
「確かに仰ってました」
あの時から考えると、今こうしてしっかりと手を取り合い歩いている今が嘘みたいだ。
「あの言葉を発した時はまだ君を帝国に連れて帰るつもりなんてなかった。生意気な子だと思ったし」
「私も殿下をあまり好きじゃなかったです」
私は小声で本音を口にする。そして言ってしまってから、「これはわざわざ伝えなくても良かったのでは?」とすぐに後悔する気持ちに襲われた。
「でも僕は君に対し、認めがたい気持ちを抱いているはすなのに、第六感では君が特別な子になるってわかったんだ」
「第六感ですか」
「つまり君の信じるツガイシステムは、意外にあてにならないって事が証明されたな」
オリヴァー殿下が勝ち誇ったような声を出す。
「で、でも。ツガイシステムだって、殿下と私を見抜いたわ」
思わずムキになって言い返す。
「それは僕がどんな手を使ってでも、君を絶対連れ帰ろうと思ったからだよ」
「どんな手を使ってもですか?」
私は思わず聞き返す。
「あの子達に聞いたんじゃないの?」
「えーと、みんなはダリアを貰った事を、殿下に利用されたって怒っていました」
「ふふ、そうだね。怒って当然だ」
何故か嬉しそうにオリヴァー殿下は頬を緩ませる。
どうやら全然反省していなさそうだ。
(だけど何の反省?)
結局のところ私にはいまいち良く理解できていない。
「僕は彼女達を利用した。君を欲しいと願ったから」
「でも、私にはお花をくださらなかったわ」
思わず不満げに口にすると、オリヴァー殿下は苦笑する。
「君に花を送ったら意味がない」
「どうしてですか?」
「僕にとって君だけが特別な子だからだよ」
オリヴァー殿下がサラリと情熱的な言葉を口にする。
「……ありがとうございます」
私は真っ赤になって俯く。今の言葉はみんなが贈られたダリアよりもずっと、私には価値があると思った。
(だからもうお花の事はいい)
私は密かにオリヴァー殿下を許す。
まぁ、実際は許すも何もないのだけれど。
「喜ぶのは、まだ早いかも」
「え?」
ほころびかけた顔を慌てて平常に戻し、オリヴァー殿下に向ける。
「そもそもツガイシステムを信じると言い切った君を帝国に連れて帰るには、どうしたらいいと思う?」
突然問われ、私は驚きつつも答える。
「ツガイシステムがマッチングしたら、私は迷わず殿下に付いて行きます……あ」
私の口が間抜けに開いたまま固まる姿を見て、オリヴァー殿下がくすりと笑みをもらす。
「僕は君たちから見たらツガイシステムに認識されにくい外部の人間だ。だからまず自分の名をシステムに認識させる必要があった。だから手当たり次第意味ありげに彼女たちに花を送ったんだ」
「それは、みんなが殿下を好きになるようにですか」
「そうだね。少なくとも多くの者に好意を抱いて貰えれば、流石にシステムだって僕を放置しないだろうと思ったから」
「殿下はどうしてそんな詳しくご存知なんですか?」
先程からずっと頭をぐるぐると巡る、最大にして素朴な疑問を殿下に投げかける。
「そもそもエリオットにツガイシステムの事を聞いていたし、それにこの前借りた論文。あそこにも書いてあった。「恋愛感情を抱かなくなると、ツガイシステムは正常に機能しなくなる恐れがある」ってね。しっかり問題提起されてたよ」
「え、そうなんですか」
(しまった……)
恋愛なんてマッチングしてからでいいと思っていた私は、自分にとって耳が痛い話が記載されていそうな論文は「大した情報を得られない」と敬遠していた。
(何事も思い込みに囚われては駄目ってことか)
柔軟な心を持たないと、有益な情報を逃す事になる。
そして大事なチャンスを逃す結果になったりしたら、目も当てられない。
「あ、じゃもしかして私が行き遅れになったのは……」
「あの論文によると、出会う人数よりも特定の人物に好意を抱く気持ちの方が、ツガイシステムでは重要視されている可能性があるといったような事が書いてあった」
オリヴァー殿下の口から飛び出した衝撃的な事実に私は思わず足を止める。
「つまり私は自分で未来を閉ざしていたってこと……そんな」
「悲観する事はないよ。だって僕にとっては、君が恋愛に興味なく生きてくれていてすごく助かったんだから」
爽やかミントの香りを漂わせたオリヴァー殿下は私の手を引っ張る。
「もし君が恋愛に積極的な子だったら、今頃誰かの妻に収まってただろうし。そしたらさ、僕は君を手に入れるために、もっと犯罪じみた事をしなきゃならなかったかもだし」
「えっ」
(は、は、犯罪!?)
オリヴァー殿下の恐ろしい発言に私の背筋は凍りつく。甘い雰囲気から一転、まるでマンドラゴランドのホーンテッド・マンドラゴラにうっかり入ってしまったくらいホラーな展開だ。
「そうだな。例えば誘拐とか監禁とかしちゃうかも知れない」
オリヴァー殿下は何でもないことのようにさらりと口にする。
「……冗談ですよね?」
恐ろしさのあまりオリヴァーの顔色をうかがうように見上げると、彼は困ったような表情を浮かべる。
「君は僕と結婚する。その事に異議はない?」
「はい。だから誘拐なんてしなくても大丈夫です」
私はそこだけは太鼓判を押しておく。
(だって私は殿下が好きだもの)
この気持は何にも代えがたいものだ。
「じゃあ、僕が君を帝国に今すぐ連れて帰りたいと言ったら、素直についてきてくれる?」
「それは……もちろんです」
少し迷ったが、それでも私は殿下と共にいたい。
「でもさ、仕事はどうするの?」
「…………」
この質問に私は咄嗟に答える事ができなかった。
「どうしよう」
正直仕事はやめたくはない。
やりがいを感じるし、必死で古代語の勉強して得た仕事だから。
(まだ四年だけど)
私はこの仕事のお陰で随分と成長できた。
だからもはや、仕事は私を形どる一つだと思うくらいには大事だ。
(だけど私はオリヴァー殿下も好き)
横を歩くオリヴァー殿下を見上げる。
彼の青く澄んだ瞳はどこか遠くを見つめていた。
私には今殿下が何を考えているかさっぱりわからない。
(だけどお父様とお母様はこういう時、阿吽の呼吸で理解し合ってる)
それはきっと時間をかけて育んでいる絆が為せる技なのだろう。
(私もそうなりたい)
だったら仕事に固執する必要はないのかも知れない。
「仕事を辞めるのと、僕と結婚する事。どちらを選ぶ?」
オリヴァー殿下が真剣な表情を私に向け、たずねてきた。
「私は、仕事を」
「などと言って、君に二択を迫るつもりはないから安心して」
まるで悪戯が成功した子どものように、オリヴァー殿下が楽しげに笑う。
「ただ、僕の本音としては君を帝国に連れ帰って、そのまま一生離したくない。それができないなら君を閉じ込めてしまいたいとすら思ってる」
オリヴァー殿下がやたら重ためな言葉と共に、熱っぽい視線をこちらに向けてくる。私は恥ずかしくなり、思わず顔をそらし前方に見えてきた噴水をジッと見つめる。
「君が仕事を続けたいと言うのであれば、僕は君の意思を尊重するよ」
「でもそれじゃ、離れ離れになってしまいます」
(それは嫌だな)
わがままにもそう思ってしまった。
「そうだね。僕だって嫌だ。だからこれからそれについては考えよう。君は魔法が使えるわけだし。何なら帝国にある僕の屋敷に転移装置をつけたっていいし」
「えっ」
(それって国家レベルの話だと思うけど)
私の「仕事をやめたくない」という個人的な思いで国を巻き込むのはちょっとやりすぎな気がしなくもない。
「僕は君が側にいないと、嫌だな」
オリヴァー殿下の口から甘やかな言葉が紡がれる。
「エリオットが言うには、ツガイシステムはさ、運命の相手を見つけると、もうそれ以外の人間は目に入らないようになるらしい」
オリヴァー殿下がポツリと呟く。
「実際、そんな馬鹿なって思ってたけど。今ならあいつの気持ちがわかる」
オリヴァー殿下はそう言うと、立ち止まる。
そして私を引き寄せ、大きな胸にぎゅっと閉じ込めた。
「で、殿下、苦しいです」
「ごめん。君を手放すのが嫌でつい力が入っちゃった。僕ってわりと重い男だからさ、覚悟して」
有言実行とばかりオリヴァー殿下が私を抱きしめる手をさらに強める。
私の体に殿下の体温が伝わってくる。その暖かな温もりを感じながら、私は彼の想いに応えようと、背中におそるおそる手を回した。
「僕と結婚してくれる?」
オリヴァー殿下の優しい声が耳元で響く。
(問題は山積みだけど)
それはゆっくりと解決すればいい。
「はい、私はあなたと結婚します」
私は返事をすると、オリヴァー殿下の胸の中で小さく微笑んだ。