真夏の生徒会の部屋はまるでサウナ部屋のようだった。放課後の誰一人いない日当たりの良いこの部屋は、窓が閉まっていて空気の流れがない。もあんとした蒸気が立ち込めている。私は窓を開けた。その瞬間、真夏の湿気の多い生ぬるい風が私の顔にかかる。しかし、初めての部屋に来て緊張で体が強張っている私には、風が生ぬるいのかどうか分からなかった。少しの間、風を感じていた。
落ち着いて、窓を背にして生徒会の部屋を見回す。部屋には机がいくつかあり、その上には無造作に書類が置かれていたり、きちんと整理していたりする。机の他には、本棚があり、歴代の生徒会の書類がたくさん並んでいた。私は生徒会長というラベルが貼ってある机の前に立つ。
生徒会長自らが私を生徒会に誘ったのは数ヶ月前だ。
音楽の授業の教室移動のとき、同じクラスの千世と歩いていると突然話しかけられたのだ。
「湯川さん、生徒会に興味ある?」
生徒会の一人が辞めて、一人補充になることと、生徒会長として長野さんのことを知ってはいたがそれまでに生徒会長の長野さんとは個人的に面識があったわけではない。まず話しかけられたことに驚き、内容も理解せず、否定の言葉ではなく、肯定の言葉を返したのだった。そして、あれよあれよと生徒会の一員になったのだった。何でも、はいはい言うのは私の悪いクセだな。ため息がもれる。未だに生徒会長が私を指名したのは謎であり、本人に聞いてもはぐらかされるばかりであった。千世には気があるのではないかと唆される。違うよ、と否定する私。生徒会長は身長はそこまで高くないが端正な顔立ちで、女子に人気があったし、生徒会の南出さんと付き合っているという噂だ。
物思いに耽っていると、突然ドアが開いた。
「ちーすっ」
颯爽と登場してきた横顔に私は驚きを隠せなかった。同じクラスの三木くんだったからだ。私は生徒会の一員になる準備で忙しく、他のメンバーを知らなかったのだ。自分のことで精一杯だった。私は心のなかでガッツポーズをした。高身長で中性的な顔立ちをしている彼に実は、密かに想いを寄せていたのだ。いつしか生ぬるい風はどこかに行き、爽やかな風を感じていた。

生徒会の1日目が終わった。今日は各々の自己紹介が終わって解散だった。私は初めこそ緊張していたが、生徒会のメンバーに優しくされて、徐々に緊張は解れていった。帰り道、生徒会のメンバーを思い出しながら、静かな住宅街を一人でとぼとぼと歩いていた。生徒会のメンバーは5人。
長野総一朗、生徒会長。
南出風香、副生徒会長。
三木悠、会計。
近藤誠也、庶務。
そして私、湯川美波、書紀。
私以外は全員、前回の役員を引き継いでいるので、私だけが新メンバーである。取り敢えず、初対面の挨拶をクリアして、安堵で胸を撫でていた。そして、頭の中を切り替えようと、スマートフォンで日課のツイッターを開く。
【生徒会終わったー。今から帰るー。】
これは、最近見つけた三木くんのツイッターだった。男の子にしては、豆で更新頻度も高く、ついつい見てしまうのだった。今日は帰宅後には恋人と遊ぶらしく、その投稿もアップしていた。そう、三木くんには恋人がいる。この時点でもう失恋確定なのだが、好きな人を一瞬で諦めるのは難しい。生徒会という限られた場所で同じ空気を吸うのだから、近づいて嬉しい反面、こういうSNSを見ると遠い存在に感じてしまう。実際に恋人がいるのだから、そうなのだが。いい方に頭を切り替えるつもりが、悪い方に切り替えてしまった。スマートフォンをそっとカバンにしまう。残りの帰り道は何も考えず、帰ることだけに集中しようと思った。

その翌日、私は友人の千世に会い三木くんと生徒会が一緒だったと報告する。先に千世にとっては当たり前なのだが。
「私は、三木くんと一緒だね、良かったじゃんって言ったんだよ?!でも、美波は全然反応しなかったしー。自分の世界に入っちゃっててさ」
千世が口をすぼめて、ストローをコップに出し入れしながら言ってきた。
「ごめんごめん。でも、一緒に生徒会に入れたと喜んだけど、三木くんのツイッターをみたら、恋人と遊んでてさ。結局は遠い存在だよ。」
「わかる。好きな人のSNSって遠い存在に感じるよね。」
女子あるあるの共感ネタで盛り上がる私達。今日はファミリーレストランでランチをとっていた。祝日なので、レストランの中は客で賑わっている。
私は部活には入らず生徒会のみ。千世も部活には入っていなかった。千世とは、新学期のときに席が上下だったこともあり、意気投合し仲良しである。
「で、どうするの?」
「何が?」
私は目を見開き、不思議そうに疑問をぶつけた。
「何がって。告白よ。三木くんに告白するの?」
「いや、しないよ。」
「じゃあいつまで三木くんのツイッターを見て、凹むつもり?」
「それは。。。」
自分でもよくわからない。好きで好きになったのではないし。逆に好きではなくなるのは、どうやったら好きではなくなるのだろうか。三木くんのことを目で追わなくなれば、好きではなくなるのだろうか。三木くんのツイッターも金輪際見なければ、三木くんのことを忘れて、好きではなくなるのだろうか。しかし、奇しくも同じ生徒会に入ったので、否が応でも会うことにはなる。私は頭を抱えた。なんてタイミングで入ってしまったのだろうか。
結局答えは出ず、ファミリーレストランを出たあとウンドウショッピングをした。綺麗に飾られているインテリアショップや本屋を巡ると、少し頭がすっきりした。しかしその一方でその時から、私は背中に視線を感じていた。

その視線は学校でも続いた。
朝から授業中や教室移動の時もずっと視線を感じていた。お昼休憩中、千世と一緒に学校の中庭のベンチでお弁当を食べている時にも背中に視線が突き刺さる。
私、何かした?!それを千世に言うと、気まずそうに千世がポツリと言った。SNSの学校の掲示板で美波のことが書かれていると。千世がスマートフォンでそのSNSの掲示板を見せてくれた。「学校かったるい」など書かれている中に「湯川美波はアバズレ」と書かれていた。当たり前だが匿名で特定できない。ドキリ、とした。一瞬時が止まったかと思った。真夏なのにねっとりとした冷や汗が流れた。いつもはベンチ上の木からの木漏れ日が心地良かったが、今の状態では何も感じることができない。
はっきり言って、私はこれまでお付き合いしたこともないし、男の子と遊んだこともない。何をもってアバズレなのかが意味不明である。一番最初に思ったのが、三木くんはこの掲示板を見ただろうかという疑問だ。見ず知らずの人にこのことを見られても嫌だが、特に好きな人に見られてしまったら、胸が痛む。
咄嗟に私は三木くんのツイッターを見た。三木くんのツイッター上にはこのことについては書かれてなかった。少しホッとした。
誰がこんな事をしたのだろうか。悶々と一人で顔を下に向けて右手で顎を抑えながら考えていると、千世が顔をしかめながら私に声を掛けた。
「もしかして、あの人じゃない?美波に告白してきたやつ」
確かに。そういえば、と。数日前の生徒会の後のことを思い出す。帰ろうとした時、私はある男子に声を掛けられ告白をされた。しかし、私は三木くんが好きだし、さらに全く面識のない人だったので丁重にお断りしたのだった。
「絶対あの人だよ。」
千世は確信を持った顔で言う。
「男のプライドに傷ついて、こういうことをしたんだよ。あの人、自分に人一倍自信持ってそうだし」
確かに、告白をしてくれた人は、スラッとしていて格好良かった。南田翔太とか言う名前だったような。あとから千世にきいたが、一部の女子の間では、ファンクラブも出来てるらしい。
しかし犯人がわかったところで、どうすることもできない。消したところで、真実かはどうであれ、情報は皆にもう知れ渡っているから、朝から視線を感じるのだ。
やるせなさを感じながら、私は、ちびちびと残りのお弁当を食べることを再開した。
何気なく、自分のスマートフォンを見る。
「何これ」
その小さい画面上にポップアップがまばたきよりも速く次々に届いていたのだ。

「湯川さん、大丈夫か?」
そう言われて、はっとした。そして、ここは一瞬どこだろうかと周りを見渡した。同時に生徒会のメンバーも私の方を不思議そうに見ている。
今日は、生徒会で文化祭のテーマを決めようという課題で集まっていた。2人一組、3人一組で話し合って、その後発表し合う事になっていた。私は、同じ年の三木くんと生徒会長の長野さんとペアを組んで話し合っていた。
やばい。私ったらぼーっとしてた。しっかりしなきゃ。思いに耽っている場合ではないと。昨日の掲示板の事もあるが、私のインスタが荒らされたのだ。私の事を発信するツールとして、趣味として承認欲求を満たし楽しんでいたのに。いいねの肯定ではなくて否定の意味でそれが返ってくるのは、相当なダメージをくらうものだと身をもって感じる。
「すいません、ちょっと具合が悪くて」
咄嗟に誤魔化そうとするが少し無理がある。
「どうする?もう遅いし、帰るか?送ってくよ。」
長野さんが、心配そうな顔をして言う。
「いえいえ。申し訳ないです。心配しないでください。」
そう断りを入れたが、当の本人は送ってくれる気が満々だった。
「よし、今日はお開きだ。明日、また放課後集まろう。解散!」と言った直後、まさかの三木くんが
「湯川さんと俺の家の方向って一緒だよね?俺も混ぜてー。」
と言い出したのだ。この発言で、私の悩みというものは、どうでもよくなった。まさかの三木くんとの帰り道デートが実現するなんて。長野さんさえ居なければ、完璧なのに。私の心配してくれる事はありがたいが、今日のところは手を引いてほしい。長野さんにちらりと視線を投げる。しかし、その視線を間違って捉え、
「おう。三木も一緒に帰ろう。3人親睦を深めるぞ」
と寧ろ人数が増えて喜んでいる。
というわけで、3人で帰ることになったのだ。

夕方だが暑くムシムシしていた。セミの鳴き声が聞こえてくる。ヒグラシだろうか。私の家は電車で二駅で、駅から徒歩二十分のところにある。
一緒に電車を降り駅からの道中、長野さんが中心に喋っていた。その内容のほとんどは、長野さんが今ハマっている有名youtuberだった。
「いやぁ~。本当に可愛いし、歌が上手いし、料理も美味しそうだし最近ハマっちゃってさ~。」
そのyoutuberは歌がメインで活動していて、サブでは料理や日常を投稿している。最近ではテレビ出演もしている売れっ子だ。
「そういえば、そのyoutuberの人の住んでるところがこの地域って噂になってますよね」その噂があって、三木くんもたまに聞いているそうだ。
「え、MELが?!すごい〜」私も頑張って合いの手を入れた。セミの鳴き声も合いの手に聞こえてくる。
「近くにいるってだけでも光栄だし感動するよ。」長野さん、目頭が熱くなっている。まさかそれほどとは。本気で推しているようだ。
その直後、パトカーのサイレンが大きくなり私達の横を通り過ぎた。大きい音に気圧され、逆に私達の間に沈黙が流れる。それを破ったのは長野さんだった。今までのテンションを落として、話しだした。
「湯川さん、大変だったね。生徒会長として掲示板は廃止になるように努力するよ。でも、そういうのって廃止してもまた出来て、イタチごっこなんだけどね。インスタもめげずに投稿してね。俺フォローしてるからさ。」
掲示板のことを知っているのに驚いた。案外ミーハーなのかもしれない。私のインスタを見てくれてることにも驚きだった。そういえば、数ヶ月前に長野さんに突然フォローされていた事を思い出した。生徒会に入る前だったので、長野さんとの接触はないので驚いたことを覚えている。私のことを心配してくれていることには、素直に嬉しかった。
「ありがとうございます。」
これ以上なにか言うと今度は別の意味で私もたまに目頭が熱くなりそうなので、この言葉で精一杯だった。
「湯川さん、インスタやってるの?俺もフォローする。教えてー」
一瞬、思考回路が停止した。現実だろうか。ほっぺをつねってみた。痛い。現実だ。三木くんが私のインスタをフォローしてくれるだなんて、とても嬉しい。私はスマートフォンをすぐさま出し、三木くんと相互フォローした。
「大したこと投稿してないんだけどね。それに最近インスタが荒れてて、見れるもんじゃないけど。」
ほっぺを赤らめながらそう言うと、
「俺、見るの好きだからさ。生徒会も一緒だし、湯川さんのこと知りたいし。インスタが荒れてるのは、暇な奴らの仕業だから、気にしなくていいよー」
私は、今までの悩みが吹っ飛んだ。一緒に帰ることを提案してくれた長野さんに心から感謝をする。
真っすぐ行って右に曲がれば、私の家になる。私の家はもう見えていた。
「あそこの白い家が私のです。よかったら、お茶でも飲んでいきますか。」
「え、あの大きな家が湯川さんチなの?すごいね」
周りの家が2階建てなのに対し、私の家は3階建てなので目立つ。屋根はなく、屋上があり、普通車を5台ぐらい止めることが出来るガレージがある。真夏だからか重厚感が増して感じられた。
「いえいえ。両親が頑張ったみたいで。」
実際に両親は共働きで、夜遅く帰ってくるのがほとんどだ。なので、今現在は誰も居ないだろう。そう思って、二人には勇気づけられたし、何しろこの真夏の中送ってくれたお礼にお茶を誘った。二人は快く受け入れてくれ、3人でまた談笑をした。3人の仲が深まったように感じる。生徒会に入って良かったと思った。大きなイベントである文化祭も成功できる気がしてきた。

翌日、学校に行くと南出さんや近藤さんが心配の声を掛けてくれた。最初は溶け込むことが大変だった生徒会だったが、長野さんや三木くんのお陰でこの日をきっかけに生徒会のメンバーとは、仲良くなったと感じる。このあと、ある人物と急接近する。放課後、私は千世と一緒に下校中に音楽室の机の中に教科書を忘れていたことに気づく。千世には先に帰っといてと言い、学校へ戻る。音楽室は3階の一番端にあり、私は階段を気怠く歩いていた。面倒なので引き返えそうと思ったが音楽は月に2回ペースのみなので、その間に誰かに盗まれたら嫌だし、と思いながら1段また1段と歩いていく。3階に降り立った時、ポロンと小さい音が響いていた。音楽室に行くにつれて、ピアノの音色がどんどん大きくなる。音楽室の前に立ち、ドアに手を掛ける。入るのに躊躇した。しかし、ドアを開ける前に向こうから開けてきた。
「誰かと思ったら、湯川さんだ。」
爽やかな笑顔で私を迎えてくれたのは生徒会の近藤さんだった。近藤さんとは、生徒会のメンバーだが、あまり喋った事はなく少し戸惑った。
「お邪魔してしまってすいません。教科書を取りに来たんですけど。」
申し訳なさそうに言うと
「そうなんだ。どうぞ入って。」
自分の机の下に教科書を取る。
「近藤さんってピアノをされてるんですね」
爽やかな笑顔のバッグにピアノはお似合いだった。
「そうなんだ。もうすぐコンクールが近づいててね。自分の家のピアノでも良いんだけど、気分転換に学校のピアノでも弾こうと思って。」
立って、ピアノを鍵盤を軽く弾きながら言う。
「勉強とピアノと生徒会を頑張っててすごいですね。」
「生徒会は楽しいからね。息抜きみたいなもんだよ。どう?慣れた?」
ピアノの鍵盤蓋をおろしながら言う。
「はい。皆さん優しくて、良くしてもらってるので、慣れてきました。」
「それは良いね。そう言えば、長野が君を推薦するって言った時にはびっくりしたよ。」
「私もびっくりしました。そこまで接点はなかったので。」
「でも、彼を見てると君のことが好きなんだろうね。君のことを目で追ってるし、この前も送ったりして。」
ためらいもなく、ストレートに言った。
「そんなことないですよ。」
咄嗟に否定した。ぼっと火が出たように顔が赤くなるのを感じ、手で顔を隠しながら答える。長野さんのことは好きだけど、恋愛感情ではない。それに、長野さんには南出さんが彼女って噂があるし。しかし、好かれるのは、素直に嬉しいと思った。
そのあとは、生徒会のメンバーのことや文化祭の事を喋った。近藤さんは、見た目の通り爽やかな人だった。聞き上手で私が話すことに笑顔で応えてくれる方で、一緒にいると安心感を覚えた。

翌日、登校すると千世が突然、
「犯人がわかったわよ!」と私に襲いかかるように言ってきた。
「何の?」
一瞬なんのことかわからなかった。
「掲示板の犯人よ」
少し前まで掲示板とインスタのことでずっと落ち込んでいたのに、もう忘れていた。
「探してくれてたんだ。ありがとう。」
「当たり前よ。友だちなんだから。」
腕を組んで、鼻を膨らませながら言う。
「とにかく、美波がふったやつだと思って、問い詰めたけど違ったわ。そいつのことを好きな女が犯人だったのよ。」
花上美々。掲示板で私のことを悪口書いてた犯人らしい。最初に南田くんを問い詰めたところ、彼は自分じゃない、たぶん自分のファンクラブの誰かだと思うと言ってきたのだ。自分のファンを売るなんて最低だ、と感じたが、見事にそのファンクラブのリーダーが白状したのだ。「自分がやりました。」、と。
犯人を特定して、発言を撤回しても見た人は一定数いるし、それで私に偏見の目を向けてくる一人一人に対処できない。それに人の噂も七十五日ということわざがある。ほうっておけば良いと思っていた。しかし、友人思いの千世はそれでは納得がいかないらしく、花上が私に直接謝ることを設けた。屋上で待っているらしく、私達も向かう。
屋上は、風が強く吹いていた。扉を開けたすぐそこに髪を風でなびかせながら、花上は立っていた。私の一個上の先輩らしく、ふてぶてしく立っていた。
「今回の件は、すいませんでした。」
花上が言う。
「なんであんなことをしたんですか?」
私が問いかけると
「許せなかったの。翔太くんに好かれていることにもムカついたけど、その上翔太くんをフルなんて。腹いせよ。」
怒りで眉間にしわが寄っていた。謝りに来てるのにその態度かと思ったが、聞いてみたいことがあったので問い詰めた。
「インスタのもあなたがやったんですか?」
「それは違うわ」
すぐにはっきりと言った。
「あなたのインスタなんて興味ないし。」
イラッ。その言葉にはムカついて言い返そうと思った途端、千世が花上の胸ぐらを掴んでいた。
「あんた、謝りに来てるのに、懲りてないの?」
先輩に向かっていう言葉ではないが、こうなった千世は誰にも止められない。千世は運動部に入っていない帰宅部だが筋トレが好きで筋肉質だ。胸ぐらを掴んでいるので上腕二頭筋のすごさがより一層分かる。
「ご、ごめんなさい。」
酸素が通ってないからか花上は顔を青ざめながら謝罪した。千世がぱっと腕を離した途端、花上の体が崩れる。
「ゴホゴホッ」
花上が苦しそうに咳をする。
「もう二度と美波に悪いことしないでよね」
千世がそう言うと、花上はすぐさま逃げるように屋上を出ていった。
「あぁ、インスタの情報を脅して聞くはずだったのに」
千世が肩を落とす。
「もう十分だよ。千世ありがとう。」
私がそう投げかけると
「嫌だ。私は納得いってない。それに、インスタは私にも関わりがあることだし。」
千世がそう言っているのは、コメントを荒らされたインスタの写真のことである。その写真はこの前、千世とカフェに行ったときのもので、カフェ内で千世と私がピースして写っているものだった。
至って普通に荒れるような事はしてない。
「私達に嫉妬しているやつだよ、きっと。この学校の人だと思うんだけどな」
私もあの写真だけが荒れたのは、きっと私達を知ってる人だと思った。私は、コメントも落ち着いてきたし、もう犯人探しはいいと思ってた。だが、何度も言うように千世はやると言ったら猪突猛進である。そっと見守ろうと思った。

生徒会での文化祭の出し物は文化祭の最終日の最後にダンスパーティをしようという事になった。ダンスパーティといってもガッツリとダンスをするのではなく、ゆるりと自由にダンスをするのが
目的だ。選曲や照明などを決めてる時、ふと三木くんが、「あ、そう言えば文化祭には関係ないんですけど」と切り出した
「長野さんと3人で帰ったとき、パトカーが走ってたじゃないですかー」
そう言えば、長野さんと三木くんと私で帰った時、一台のパトカーとすれ違った。
「あぁ走ってたな」
長野さんが返す。
「あれ、うちの生徒って噂らしいですよー」
「えぇ。誰だ?警察沙汰って何やったんだ」
「誰かはわからないけど、彼氏彼女のトラブルで、殴られたって聞きましたけど」
「最近はそういうの多いよな。恐ろしい」
それきりでその話は終わり、途中だった選曲、照明の話に戻る。
「やっぱり最後だから、しっとりな曲で決めたいですよねー」
と、三木くんがボールペンを机に突きながら言う。
「そうだな。昼間はワイワイガヤガヤやってるもんな」
長野さんもうんうん、と頷き
「でも、流行りの曲も取り入れたいわよね」
と南出さんも腕を組みながら言う。流行りの曲はポップなものが多いので、しっとりした曲ではない。どうしようか、と悩んでる時、私は近藤さんのピアノ姿を思い出し、思いついた。
「あ、いいこと思いつきました。近藤さんのピアノで最近流行りの曲を弾くっていうのはどうですか?」
私がアイデアを近藤さんの方を向いて伝えると
「ん?ごめん、何だった?」
近藤さんはぼーっとして上の空で、心あらずの状態だった。最初から説明すると、「僕でよければ」と快く引き受けてくれた。
「じゃあ、次は照明ねー」
それから順調に計画は進み、夕方頃には終わった。解散になり、南出さんが思い出した、という顔をして言う。
「そう言えば、今日は花火大会じゃない?皆で行こうよ」
小規模だが、花火大会があった。
「行きたいです!」
私が言うと、
「「俺も行く」」
と三木くんと長野さんが言う。それを南出さんが微笑ましそうに見て、
「近藤くんも行くでしょ?」
「ん?ああ、行くよ」
上面の声で言う。やはり、今日の近藤さんはぼーっとしていて、変だった。

祭りは、賑わっていた。一人一人の声が重なり合っていて、自分たちもその声の一つとなる。皆、思い思いに自分の好きなものを屋台で買って食べていた。
「先輩のもーらいっ」
三木くんが長野さんのたこ焼きを横取りする。
「あー、お前ー。食ったなー」
長野さんが三木くんのフライドポテトをとる。阻止する三木くん。
「ちょっと、何してんのー」と南出さんが笑いながら言った。
私も近藤さんも笑う。生徒会のメンバーと会っていく内にこうやって、笑い合えるなんて考えられなかった。入って良かったな、と思う。
もうすぐ花火が始まろうとしていた。よく見える位置に移動しようと、みんなで移動する。そこは、森の中腹辺りで、少し祭りから外れるので、人の数も少ない。皆、各々座ろうと思った時、違和感に気付いた。
「あれ?近藤さんは?」
辺りを見渡しても近藤さんがいない。
「私、探してきます。」
私が言うと、
「一人じゃ危ないから俺も行くよ」
と長野さんが言う。俺も、と言いたげな三木くんだったが、それだと南出さんだけが残ってしまうので、言い留まった。私と長野さんで近藤さんを探しに行く。あたり一面、草がたくさんお生い茂っており、どこから探そうかという業況だった。しかし、そう遠くには行ってないと思い、歩けそうな道を探し歩いていく。
なかなか見つからず、山の頂上に差し掛かったところ、近藤さんを発見したが、それは目を疑う光景だった。頂上は崖になってて、そこから近藤が飛び降りようとしていたのだ。
「近藤さんっ」
私が大きい声を出すと、近藤さんは一瞬こっちを見たが、もう体は宙に浮いていた。私達は駆け出した。私はめいいっぱい力の限り手を伸ばした。しかし、カスリはしたが、掴むことはできなかった。ああもう駄目だと思った時、
ガシッ
長野さんが崖から身を乗り出して近藤さんの腕をしっかりと掴んだ。
「手を離してくれ」
近藤さんが叫ぶが、長野さんは問答無用で離さず、近藤さんを地面にもつれこむ。
「はぁ、、はぁ、何やってんだよ、お前」
長野さんが息を切らしながら言う。
「もう僕には関わらないでくれ」
「何があったんですか。話してください」
私の問い掛けに、ピアノのコンクールで優勝を逃した事を近藤さんが言う。
「また次があるじゃないですか」
「次じゃ駄目なんだ。推薦の大学が関わっていた大事なものだったんだ。もう終わりだ。」
手を頭に抱えながら、顔を青ざめて悲壮感たっぷりに言う。いつもの爽やかさはどこえやら。その時、花火が上がった。
「この際だから言うよ。インスタのコメントを荒らしたのは僕なんだ」
近藤さんが花火の影響で紫色の顔で言う。どこかのダークヒーローみたいだ。
「え?」
目が点になった。まさか私のことが話題に上がるなんて。
「君と友だちの写真の後ろに小さく僕が写ってたんだ。コンクールの準備をしに買い物に行っている僕の姿が。それをインスタで見て、僕はなんだか惨めに感じたんだ。なんで僕はずっと小さい頃から友だちと遊ばずにピアノの練習ばかりしてなきゃいけないんだって。」
完全にとばっちりであった。私が、何も言えずに黙っていると、
「お前はそんなんだから優勝できないんだ。イヤイヤやってたらそりゃ無理だ。」
花火で顔が赤い長野さんがド直球に言う。それは逆効果では、、近藤さんの方を見ると
「お前になにがわかるんだ」
近藤さんは長野さんに掴みかかった。しかし、細身の近藤さんが長野さんに負けるのは明らかだった。すぐに近藤さんはまた地面に吸い寄せられる。
「取り敢えず花火見て帰るぞ」
そう言いながら、長野さんは近藤さんを引きずって連れていこうとする。近藤さんの顔が花火で青色になっていた。
花火に向かって歩いていると
「花火とSNSって似てるよな。頑張って一瞬を着飾るところ。」
近藤さんは、花火でカラフルな顔でポツリといった。
「キレイですよね」
私も顔面に花火の色を付けながら言う。
花火はクライマックスに掛かっていて、夜空にキレイに散っていた。

そうこうしている内に、文化祭が開催された。地域の人や他校からも例年よりもたくさん人が来て大盛りあがり。千世と私のクラスはお化け屋敷をすることに。お化け役の私と千世は、2人して白装束を着て、客待ち中である。
「インスタの犯人が近藤さんってびっくりだったね」
千世が袖を口に当ててヒソヒソ声で言う。
「うん。でも、私達に恨みを持ってる訳じゃなくて嫉妬だったから、その点は良かったかも。」
コメントをまた荒らされることはなさそうだ。しかし、SNSは誰が見てるかわからない。自分達が楽しい写真でも、誰かにとっては嫌な写真になる。私は今度からは、自分が映したいものだけを切り取って、インスタにあげようと思い直した。
あれから、近藤さんはピアノから少しの間距離を置くことにしたのだそうだ。もちろん、今日の文化祭のピアノは快諾してくれた。
千世が入口付近に指を指して小声で話す。
「見て見て。三木くんが来たよ。」
千世が言って自分の持ち場に戻った。
私も驚かす態勢をとったが、体が固まり、動けなくなった。三木くんの隣に女のコがいて、2人で笑い合いながら入ってきたのだ。三木くんに彼女がいることはSNSで知ってはいたが、実際に目にすると、現実を突きつけられる。私は白装束を着たまま、突っ立ってしまった。

夕方になり、ダンスパーティの準備に取り掛かる。ピアノを運動場の中心に置き、照明もポツポツと照らし出される。私は、出来れば三木くんと一回は踊ろうと思っていたが、さっきの光景が頭に残っており意気消沈して呆然としていた。
近藤さんがピアノの前に座る。もうすぐ始まろうとしていた。近藤さんがピアノの鍵盤に触る。音色に合わせて皆が思い思いの相手と、踊っていた。その様子をぼーっと見ていると、誰かに後ろから肩を叩かれた。
「一緒に踊ろう。」
長野さんだった。手を差し出してくれてる。私は無言で、その手を取った。長野さんの手は暖かく心地よかった。一曲踊った後、長野さんが真剣な顔をして声をかけてきた。
「湯川さんに伝えたいことがある。」
「は、はい」
気圧されて、長野さんについていく。胸がドキドキする。近藤さんのピアノの音が遠ざかる。運動場から離れて、人気のない場所に行く。微かにピアノの音色が聞こえる。それをバックグランドにしながら、長野さんは言う。
「ずっと伝えたかったことなんだけど、好きなんだ、君の、、、」
「ちょっと待った!」
「え?」
左横の草むらから誰かが出てきた。
「南出さん?」
南出さんが般若みたいな形相で草むらの葉っぱを頭につけながら私に近づいてくる。
「翔太にも色目を使って、今度は総一朗にも?!私の周りの男ばっかりたぶらかして、アバズレ女がっ!」
そう言って、ポケットから何かを手に取り、私をめがけて刺そうとする。「さされる」私は避けられないと思い、目を瞑った。が、一向にさされる気配はない。そろりと片目を開けると、三木くんが南出さんの腕をしっかりと捉え、阻止していた。ボールペンがコロコロと落ちる。
「三木くん?」
突然の三木くんの登場に驚く。
「湯川さんを探してたら、こんな事になっててびっくりだよ。南出さん、落ち着いてください」
「離してっ。落ち着いてなんていられないわよ」
南出さんが腕を振りほどき自由になる。
「あんたを懲らしめなきゃ私、満足しないから」
だいぶ興奮していて、何を言っても言う事を聞いてくれなさそうだ。しかし、そこに長野さんが切り込む。
「あのさ、まず何度も言ってるけど風香とは何もないから。風香は俺の彼女とか言いふらしてるらしいけど。本当に迷惑だから辞めて。」
冷やかな目で南出さんを見下ろす。
南出さんは、自分で長野さんと恋人関係ということを噂を広めたらしい。上品な見た目とのギャップに驚きを隠せない。
「それに、掲示板に湯川さんの事を書いたのもお前なんじゃないの」
南出さんが、ギクリと肩を震わせた。あれ、掲示板は、花上さんがやったんじゃ?
「言いがかりはやめてよ。それは花上がやったっていうじゃない。私は関係ないわよ」
「なんで花上さんって知ってるんですか」
「それは。。」
言い淀むが、そのあと吹っ切れたように喋りだした。
「だって、私の可愛い弟があんたに振られたって言ったから。ちょっとした戒めよ。」
南出さんが茶色の巻髪を手でくるくるさせながら言う。
「弟?」
「翔太は私の弟よ。知らなかったの?」
全生徒が知ってるわよ、というような口ぶりだ。南田翔太じゃなくて、南出翔太だったのか。言われてみれば、目の部分が似ている。それに花上さんには南出さんが指示して嘘をつかせてたのか。なんて女だ。
長野さんはため息をつく。
「もうお前は副会長を今日からクビだ。」
「なんですって?!」
「前々からお前の行動は、目に余る。」
ふと、前方から生活指導の先生が来るのが見えた。
「いたぞ!南出。お前なぁまたやったな」
「や、やばい」
南出さんが逃げるようにして去った。
「南出ぇ」
先生達も走って追いかける。
長野さんがさっきよりも長いため息をついた。
「たぶんこの前のパトカーもあいつだろうな」
「3人で帰った時のですか?」
「あぁ」
確かに、さっきの狂気的な南出さんを見たら納得できる。なぜ生徒会に入れたのだろうか。生徒会に入るために、花上さんにしたように、恐らく色々やっていたのだろう。
「邪魔者も居なくなったしやっと渡せるよ。湯川さんのお姉さんにこれを渡してほしい。生徒会長より、よろしくと言っといてくれ」
宛名を見て三木くんが驚いていた。
「え、あのMELって湯川さんのお姉さんだったの?」
そこには、youtuber MELさまとの宛名が書いてあったのだ。そう、私の姉は、youtuberのMELである。これが広まると色々面倒くさいことになるので、ひた隠しにしていた。長野さんはこの前の私の家を訪ねたときに確信したんだろうか。家が大きいのも両親の影響もあるが、大半は姉がつぎ込んだのだ。あそこでは、ちょっとした豪邸である。それにしても、長野さんはファンレターを渡すためだけに、私に生徒会を誘ったり、気を遣ったりしていたみたいだ。
「わかりました」
私はそう言って、複雑な面持ちで受け取った。
長野さんがピアノの鳴る方向へ去っていく。
「。。。」
三木くんと2人に残された。
「三木くん、さっきはありがとう。」
私はお礼を言うのを忘れていたことに気づく。
「いやいや大丈夫だった?」
三木くんが心配してくれる。
「大丈夫。三木くんがいなかったら、危なかったよ。そう言えば、彼女はどうしたの?」
「彼女?」
「うん。私のクラスのお化け屋敷にさっき来たじゃない」
「いや、俺行ってないけど」
「え?」
私の頭の中は、さっきから驚いてくるくるしているのに、さらにぐるぐるになる。
「もしかして、弟じゃない?俺、双子なんだ。」
なんと、私が見て意気消沈していたのは、三木くんの弟らしい。
「そうだったんだ。」
「そうそう。これが俺の弟。」
そう言って、見せてきたのは、ツイッターの写真だった。
「俺の弟、ツイッターやってるんだよね。俺はしてないけど。双子でもこんなに違うんだって俺が実感してる。」
私が三木くんだと思って見ていたツイッターは、どうやら三木くんの弟らしい。私は地面にヘナヘナと倒れていった。
「湯川さん?」
「ごめん、一気に色んな事がありすぎて疲れちゃった」
顔を下に向けて言う。
「だよね。でも、あと俺から1つだけ良いかな?」
なんだろう、上を向くと
「湯川さんのこと好きだから付き合ってほしい。」
真剣な三木くんの顔がアップであった。これが追い打ちで完全に頭が真っ白になって固まっている私に
「おーい」
と呼びかける三木くん。そして、しゃがんでいる私に手を伸ばした。
「はい」
私はやっと言葉を発した。

それから私達は、順調に交際していたが私は違和感を感じるようになった。好きなのにモヤモヤする。三木くんと触ることも接することも少しずつ嫌になってきた。大好きなのに。三木くんは、私の事を好いてくれてるとわかってる。それを千世に相談した。放課後の教室には私達しかいない。少しずつ日が沈むのが早くなってきた。夕暮れで私達の顔は赤い。
「蛙化じゃない?」
千世が腕組みをして机の上にべたりとつけて言った。
「蛙化?」
「それそれ。好きな人と両思いになったら気持ち悪くなるんだって」
「へぇ」
若者の中で問題になっているらしい。
「じゃあさ、私はどう?」
一瞬、理解ができなくて、ぽかんとしていたら、千世が身を乗り出した。唇が柔らかいものと重なり合う。
「美波が好きな人と幸せになって欲しいなって思ってたけど、そうじゃなかったら私と幸せになって欲しいなって」
千世が私のことを本気で好いてくれてることに驚いたけど嬉しかった。千世が好きな人のSNSを見てると切なくなるって言っていたのは、私のインスタのことだったのかと、ふと思った。私と一緒に写っている写真を見て虚しくなっていたのだろうか。実際に、千世との写真はインスタによく載せている。私が何気なく上げてるSNSに近藤さん、千世までも影響を与えていたことで、私は何だか申し訳なさを感じた。ちょっとインスタを控えようかな。
ふと千世を見ると顔色が夕日でわからない。でも、夕日と同じくらい赤くなっているんじゃないかと思った。それが可愛いな、と思い、今度は私から口づけしたのだった。