盲目の王弟は青痣令嬢に愛を乞う~見えないあなたと醜い私~

 ディーンがメイベルと結婚したことで、先代王はホッと胸をなでおろした。

 しかし、王であるジョージはそうはいかない。

 二人の結婚式にも臨席していたジョージは、焦りを募らせる。

 魔力量の少ないジョージが愛して結婚した正妃は、同じく魔力量が少ない。

 それに比べて魔力量の多いディーンが愛して結婚したメイベルは、同じく魔力量が多いのだ。

 先代王がいくら魔力量にこだわるなと言っても、従う臣下ばかりではないだろう。



(目が見えるようになったディーンを、王の座に近づけたい勢力が出てくるのではないか?)

 

 これまではディーンの目が見えないからこそ傲慢でいられたジョージ。

 しかし、このままでは王の座は揺らいでしまう。

 自らの地位がおびやかされて初めて、ジョージは自分勝手な考えを止めた。

 アバネシル皇国にいい顔をするだけではなく、渡り合えるような王になろうと己を叱咤し善政を目指す。

 臣下の意見をよく聞き話し合う姿が、それからは見られるようになったという。



 ◇◆◇



 ディーンの目が見えるようになったと聞いて、クラリッサは喜んだ。

 だが続けて、ディーンがメイベルと結婚したと聞いて激怒した。

 

「どうして!? どうしてなんですか、お父さま!? ディーンさまの目が見えるようになったのなら、また私と婚約を結び直してくださるはずでしょう!?」



 クラリッサは、父親のホイストン公爵に詰め寄る。

 婚約の解消は一時的なものだと聞いていた。

 クラリッサが他の令息にエスコートをされてパーティへ遊びに行けるように、取り計らってくれたのだと思っていた。

 ダンスや遊行は魅力的だが、ディーンほど美しい男性はいない。

 クラリッサは手放したくなくてごねた。

 

「まさか、また目が見えるようになるとは思わなかったんだ。そうと知っていれば、婚約の解消などしなかったさ」

「だったら今からでも! なんとかしてください!」

「それがそうもいかない。お前にはもう、新しい婚約者がいるんだ」

「なんですって? 新しい婚約者?」

「そうだ、アバネシル皇国の公爵だ。ちょっと年上だが、爵位も申し分ない」

「アバネシル皇国の公爵と言えば、お母さまの甥でしょう? 私の従兄でしょう? ちょっと年上って、12歳も上ではないですか!?」

「大したことはないだろう? ただ、面食いのお前には申し訳ないんだが……」

「知っていますわ!! 従兄がダンスも出来ないほど太っていることくらい!! どうしてこんな婚約を取り決めてしまったのですか!!」

「お前にとっても都合がいいのではないか? この国にいて、仲の良い王弟夫婦を見て悔しがるよりは、アバネシル皇国に嫁いだ方が気がまぎれるだろう?」



 とってつけたような言い訳をするホイストン公爵を、クラリッサはぎりぎりと奥歯を噛みしめ睨みつける。

 どうあがこうと、クラリッサは嫁がされる。

 これは決定事項なのだ。

 クラリッサは離宮の庭で見たメイベルを思い出す。

 何の取り柄もない、暗いだけの令嬢だと見下したのに。

 今ではクラリッサよりも高い地位にいる。

 

(負けたのだ。私は、あの令嬢に、負けたのだわ)



 そして、笑って虹を見ていたディーンの顔を思い出す。

 一目で好きになった。

 あんなに美しい人を見たのは初めてだった。

 ぼろりと大きな涙がこぼれた。

 それは悔し涙だったか、悲しみの涙だったか。



 ◇◆◇



 メイベルが無事に結婚できたことで、リグリー侯爵は浮かれていた。

 ずっとメイベルをお荷物だと思っていたが、とんでもなかった。

 見事、リグリー侯爵家と王家の縁を繋いでくれた。

 これで侯爵家としても体面が整ったというものだ。

 ところがそこへ、もうひとつの悩みの種が通りかかる。

 髪の色と瞳の色を変えて、またしても邸を抜け出そうとしているシェリーだ。



「監視をしているメイドはどうした!?」



 リグリー侯爵の驚いた声を聞いて、シェリーはビクッと肩をすくめた。

 そして声の方向を確かめると、反対に向かって廊下を走り出した。

 今まで甘やかしてきたつけが、まとめてやってきていた。

 リグリー侯爵の言うことなんて意にも介さない、とんだ跳ねっかえりに育ったシェリー。

 人の迷惑を顧みず、自分の欲望に忠実で、ひたすら騒動ばかりを起こす。

 リグリー侯爵もついに匙を投げた。



「ええい、もうこうなったら誰でもいい! 婿を取るぞ! シェリーの手綱を取れるだけの婿を!」



 さっさと婿を取らなければ、碌なことにならないと悟ったリグリー侯爵は、条件をかなり下げてシェリーの婚約を見繕う。

 逃げてばかりで反省をしなかったシェリーは、気がつけば家に知らない人がいて、あれは誰だとメイドに聞いたら「シェリーさまの旦那さまです」と言われて、真顔になるまであと少しだった。



 ◇◆◇



 マシューは国境の砦から、白く輝く雪山を見上げていた。

 夏も近づいているというのに、山の雪は解ける気配もない。

 ここでは誰の目も気にすることなく、茶色のマフラーをつけていられる。

 そのことがマシューは嬉しかった。

 魔法剣士だったマシューは、魔法師団長のもとで新しく中隊を預かる中隊長となり、国境警備の仕事を任されていた。

 北の砦の先には、ウィロビー王国とは国交のない国がある。

 近々、きな臭い動きがありそうだから、ここの見張りを強化せよとの王弟命令だ。

 だが魔法師団長からは、マシューが抜擢されたのは、概ねディーンの嫉妬だろうと言われた。

 短い間ではあったが、メイベルの元婚約者だったマシュー。

 そんなマシューに、ディーンはわずかたりとも妻のメイベルを近づけたくないのだ。

 だから物理的にマシューを北へ飛ばした。

 ていのいい、中隊長という身分を与えて。

 本当はマシューでなくてもよかったのだ。

 マシューも、魔法師団長の言うことが真相かもしれないと思っている。

 一度だけ会ったディーンは、それはそれは暗い瞳をしていた。



(誰があの緑目を常緑樹に例えたんだ? 魔界の沼のように澱んでいるじゃないか……)



 そんな目に射られたのだ。

 敵対視されていないと思うほうがおかしい。

 メイベルとディーンの仲が、睦まじいことは聞いている。

 マシューが北の砦にいることで、ディーンの嫉妬心が治まるのなら、お安い御用だ。

 ふうと息を吐くと、マフラーに包まれた顔に熱が伝わる。

 このマフラーと思い出があれば、それでいい。

 マシューの気持ちはどこに居ようと変わらない。



 ◇◆◇



「北の砦、ですか?」

「ああ、視えたんだ。近々、そこに敵兵が押し寄せるだろう」

 

 ディーンの持つ特殊魔法は、未来視だった。

 だから盲目のときは使えず、何の特殊魔法持ちなのか不明だったのだ。

 もしかしなくても、それは側妃フロリタから引き継いだ特殊魔法で、フロリタもセリオの未来を視たのかもしれない。

 悲しい未来を変えて欲しくて、一言だけの手紙を残したのかもしれない。

 感傷にひたっていた魔法師団長に、構わずディーンは言いつける。



「だからそこに、マシューを赴任させてくれ」

「なぜマシューなんです?」

「適任だろう? 呪いの件では手柄を上げたんだ。褒美に出世させてやるといい」



 ぬけぬけとそう言うディーンを見て、この人は変わったなと魔法師団長は思った。

 今までは、一歩さがった物言いをする人だった。

 それが今では堂々と、権力で妻の元婚約者を僻地へ飛ばす命を下す。

 嫉妬深いゆえに。

 

(変わりすぎだ……)



 心中、ため息をついて、魔法師団長は命令に従う。

 マシューにとってもいいかもしれない。

 仲がよすぎることで、王城の噂の的になっている王弟夫婦を、間近で見るのはつらいだろう。

 マシューの心がまだメイベルにあることは、手に取るように分かる。



(いつもマシューが手放さないマフラーが、メイベルさまの手編みだとディーンさまが知ったら、どうなることやら)



 マフラーをディーンに取り上げられることを恐れるマシューが、口を滑らせることは絶対にない。

 ぜひともメイベルには、手編みのマフラーをマシューに贈ったことがあるなどと、うっかり口を滑らせないで欲しいと願ってやまない魔法師団長だった。
 嫉妬深いのはディーンだけではない。

 メイベルも口に出すことはしないが、決してしない行為がある。

 それはディーンの腕に、自らの腕を絡めることだ。

 まるでそれが穢れた行いであるかのように、忌避している。

 メイベルは、劇場で見たディーンとクラリッサの姿が忘れられないのだ。

 腕を絡めて仲良く歩いていた二人。

 思い出すたびに、どす黒いものがこみ上げてくる。

 だからメイベルは手をつなぐ。

 ディーンもメイベルが手をつなぐのが好きだと知っている。

 服や手袋越しではなく、素手と素手で、手をつなぐ。

 あなたは特別だと示すために。

 

 ◇◆◇



 先代王に習い、少しずつ執務をするようになったディーン。

 政事を面白いほど吸収していくディーンに、ジョージはますます怯えている。

 特殊魔法の未来視を使って、北の砦に攻めてきた敵兵を防いだこともある。

 前もって中隊を派遣していたおかげで、怯んだ相手が何もせずに逃げ帰ったのだ。

 戦争を回避した功績は大きい。

 臣下たちの評価はうなぎのぼりだ。

 ジョージがハラハラするほどの活躍を見せる未来視だが、実はディーンがこれを多用しているのは私生活でだった。

 この特殊魔法があると分かって、まずディーンが行ったのがメイベルとマシューの接点を潰すことだった。

 マシューが王都に居る限り、接点がなくならないと知ったディーンは、容赦なくマシューを国境へ飛ばした。

 赴任を命じるときに、一度だけ真正面からマシューと顔を合わせた。

 短い銀髪に濃い紫の瞳。

 たくましい体躯はディーンが持っていないものだ。

 この男が一時ではあっても、メイベルの近くにいたことに憤りを覚える。

 不甲斐ない自分のせいではあるのだが、それとこれとは別感情なのだ。

 殺したい気持ちを視線に込めたら、どうやら相手に伝わったようでよかった。

 

(二度とメイベルに近づくな――)



 マシューは勘の鋭い相手だ。

 ディーンの言いたいことを、正しく理解してくれただろう。

 そしてディーンは知っている。

 メイベルがクラリッサに嫉妬していることを。

 メイベルは気がついていないかもしれないが、ディーンの額と自分の額を絶対にくっつけない。

 これは雪の結晶が出来上がるところを覗き込んだディーンが、うっかり距離を取り損ねてクラリッサの額に額をくっつけてしまったからだ。

 うかつだった。

 あれは恋人同士のすることだ。

 それをメイベルの前で、クラリッサにしてしまった。

 もしかしたら腕を絡ませるのを嫌がるのも、クラリッサが原因なのかもしれない。

 ディーンはメイベルのそんな嫉妬を、とても愛しく思っている。

 だからこうしてマシューに嫉妬するディーンのことも、メイベルは許してくれるだろうと判断している。

 

 もうメイベル無しでは生きていけない。

 真っ暗な人生に、初めて灯った温かな光。

 左腕につねに感じていた優しい存在。

 遠ざかってしまったときは、毎夜、悔やんだものだ。

 だが、今は手の中にある。

 大事に大事に。

 握りつぶしてしまわないように。

 他の人に奪われないように。

 

(僕の中に閉じ込めてあげる。僕しか見えないようにしてあげる。どうかこのまま僕に溺れて。これからも僕の愛をねだって)

 

 メイベルの願いは全部叶えるから。

 

「呪いの青痣ごと、メイベルを僕にちょうだい」



 ◇◆◇

 

 何も知らないころは、何も望まない二人だった。

 しかし恋をして、それを失って、ディーンとメイベルは変わったのだ。

 それまでは、不幸に慣れた二人だった。

 自分たちが幸せになるなど、考えたこともなかっただろう。

 だから最初は幸せを掴み損ねた。

 でも、もう離さない。

 

 ディーンはメイベルを甘やかす。

 それはメイベルや侍従が驚くほどに。

 寡黙で静かだったのは昔のこと。

 ディーンは、雨が降るように、陽が差すように、メイベルに愛を囁く。

 そしてその愛は、メイベルのお腹に子を宿す。

 ディーンは知っていた。

 この子が息子であることを。

 そして治癒魔法の使い手であることを。

 だから安心して、お腹が大きくなるメイベルを支えていたが。

 一人、のっぴきならぬほどメイベルの妊娠に慌てている人物がいた。

 先代王だ。

 側妃フロリタの壮絶な出産シーンが、いまだトラウマなのだ。

 未来視の使い手のディーンが、いくら「出産時、母子とも無事だから心配はいらない」と言ってもきかない。

 先代王の命で、ディーンとメイベルが暮らす離宮に、最新の医療機器と施術体制が用意された。

 医療チームによる、メイベルの一挙手一投足を見守る姿勢に、メイベルのほうが恐縮した。

 王弟妃となったメイベルの妊娠に、王城中が注目している中、いよいよ陣痛が始まる。

 もちろんディーンは最初から立ち会った。

 メイベルが安心するように、ずっと手を握って励ます。



 「大丈夫だよ、この子も元気だ、もうすぐ会えるからね」



 初産だったので時間がかかった。

 ほぼ一日中、唸っていたメイベル。

 その隣でずっと看病し続けたディーン。

 母子ともに体調に異変はなく、今か今かと皆がその瞬間を待ちわびた。

 うろたえるばかりで役に立たない先代王は、ディーンの命で侍従が王城に閉じ込めた。

 王城ではジョージも、そわつく気分を隠せないでいた。

 そして離宮に産声が響く――。



「おぎゃあああ! おぎゃああああ!」

 

 メイベルも息子も、ディーンの視た通り無事だった。

 それというのも、息子が母体を癒しながら産まれてきたからだ。

 赤子のときから治癒魔法が使えるのは、魔力量が多いせい。

 王城中と言わず、国中が歓びに沸いた。



 生まれた子は、ヒューゴと名付けられた。

 ディーン譲りの金髪青目で、顔立ちはメイベルに似ていることから、ディーンがたいそう可愛がる。

 メイベルも魔力量が多く、かなりの治癒魔法の使い手なのだが、ヒューゴはそれを上回った。

 メイベルは診ようと思わないと治癒魔法が使えないのだが、ヒューゴは無意識でそれを使ってしまうのだ。

 それが分かったのは、ジョージと王妃がヒューゴに会いに来たときのことだった。

 生まれたばかりのヒューゴが、やたらとジョージに手を伸ばす。

 抱っこされたいのかと思って、まんざらでもない顔でジョージはヒューゴに近づいた。

 そしてジョージがヒューゴを腕に抱いた瞬間、ヒューゴの治癒魔法が発動し、ジョージの股間が光った。

 あまりに間抜けな図に、ディーンは噴き出すのをこらえるのが間に合わなかった。

 王妃は呆気に取られて、光るジョージの股間を見ている。

 同じ治癒魔法の使い手であるメイベルだけが、その現象の意味するところに気がついた。

 

「もしかして、そちらに病気があったのではないでしょうか?」

 

 股間と言うのがはばかられて、曖昧な単語になってしまったが、メイベルの言いたいことは伝わった。



「つまり、兄さんの股間にあった何らかの病気を、ヒューゴが治癒魔法で治したと?」

「はい、おそらくですが、これまで王妃さまが子を宿せなかった原因が、もしかしたらそこに……」



 メイベルがいまだ光り続けるジョージのそこを見る。

 ジョージに抱かれたかったわけでもなかったヒューゴは、ジョージの腕の中からディーンに手を伸ばしていた。

 戻りたいという意思を感じて、ディーンがジョージからヒューゴを受け取る。

 ジョージの股間から光が消えた。

 ヒューゴはひと仕事したせいで眠くなったのか、口をむにゃむにゃさせ始める。

 消えた光を見てメイベルの言葉を理解した王妃が、ハッとした顔をする。



「では、これからは私たちにも子が望めると……?」



 最も後継者を期待されていながら、結婚して5年間、妊娠することがなかった王妃。

 両目からポロポロと涙をこぼし、眠そうなヒューゴに「ありがとう、ありがとう」とお礼を言う。

 ジョージも、ディーンとメイベルとヒューゴに頭を下げると、王妃とともに急いで帰っていった。

 今からきっと、子作りをするんだろう。

 王という地位に魅力を感じないディーンには分からないが、そこに縋りついているジョージに子が産まれてくれたら、息子のヒューゴは伸び伸び育てられると安心する。

 貪欲になったディーンの思考は、完全に家族中心だった。
 ディーンとメイベルは、ヒューゴが生まれたことを亡き人たちに報告して回った。



 最初は、側妃フロリタの墓だ。

 先代王の計らいで、隣には恋人セリオの墓があった。

 ディーンが墓前に白百合の花束を供える。

 

「母上が命を懸けて僕を産んでくれたおかげで、僕は今とても幸せです。こうして息子にも恵まれました」



 ディーンがヒューゴを抱き、墓の傍に近づける。

 ヒューゴは墓に向かって手を伸ばす。

 冷たくてペタペタとした感触が楽しいのだろう。

 きゃっきゃと笑った。

 ヒューゴがここにいるのは、ディーンとメイベルが結ばれたから。

 二人が結ばれたのは、セリオが呪いをかけたから。

 ディーンの特殊魔法が未来視であったことから、フロリタの特殊魔法もまた未来視だったと想像がつく。

 フロリタは、未来をどこまで視たのだろうか。

 己の死?

 セリオの死?

 誰に何を託して、何を願いながら逝ったのか。

 夏の雲が空に育つ。

 ディーンは母親を思い、ヒューゴを強く抱きしめた。



 ◇◆◇



 メイベルは義母の墓の前に立った。

 この墓場までの道のりは、昔と違って人通りも多くなっていた。

 人身売買組織に襲われたのも、こんな雨の日だったと思い出す。

 

「お久しぶりです。以前に来たときから、ずいぶん間が開いてしまいました。実は私、妊娠していたんです。今日は息子を連れてきました」



 メイベルはヒューゴがよく見えるように、墓に向かってしゃがんだ。

 ディーンは二人が濡れないように傘をさす。

 



「ヒューゴと言います。とても賢くて元気なの。子育ては初めてですが、ディーンと協力して頑張っています」



 ヒューゴをディーンに渡し、メイベルは侍従からリンドウの花束を受け取る。

 それをそっと墓に供えた。



「お義母さんがいろいろなことを教えてくれたおかげで、私は王家に嫁いだ後もきちんとやれています。だから心配しないでくださいね」

 

 小雨がしとしと降り注ぐ。

 それが顔に落ちてきても、もうメイベルの顔に青痣は浮かばない。

 

 ◇◆◇



 リグリー侯爵家の領地に行くには、ある程度の時間が必要で、それを捻出しているうちに冬になった。

 ヒューゴは、メイベルの編んだ帽子と手袋と腹巻と靴下をつけている。

 馬車の中は寒くはないが、ヒューゴはお気に入りのそれらをいつでも身につけたがる。

 時折がたがたと揺れながら、ディーンとメイベルとヒューゴを乗せた馬車は、メイベルの両親が眠る丘へ向かっていた。

 メイベルにとってこの丘は、幼少期の思い出の場所だ。

 代々のリグリー侯爵家の祖先が眠り、領地を見守る丘。

 春には家族総出で、墓参りを兼ねたピクニックに来た。

 あの頃は誰も、青痣について言う人はいなかった。

 幸せな幼少期を過ごしたと思っている。

 

「ここに、メイベルの弟さんか妹さんのお墓もあるの?」

「いいえ、母のお腹にいた子は、そのまま母と一緒に埋葬されました」

「そうか。一緒の方が、安心かもしれないね」



 ディーンはヒューゴを抱き直す。

 メイベルは、息子を生むまでディーンがこんなに子煩悩だとは知らなかった。

 ディーンは、夫の顔、父親の顔、王弟の顔をうまく使い分けている。

 優しいばかりの顔では、貴族社会では舐められると、もうメイベルも分かっていた。

 妻として、母親として、王弟妃として、メイベルも強くならなくては。

 事故にあった両親が、最後まで子を護ろうとした姿に、メイベルは自分を重ねる。

 きっとディーンもメイベルも、ヒューゴを護るためなら盾になるだろう。

 それが親なのだ。

 両親の姿がメイベルのお手本だった。



「いい眺めだ。暖かい季節だったら、ピクニックをしたかったね」



 ディーンが領地を見下ろせる場所から、こちらを振り向く。



「昔はよくしていたんです。たくさんのサンドイッチを作ってもらって」

「いいね、楽しそうだ。ヒューゴがもう少し大きくなったら、また来ようよ」



 あ、とディーンが目を押さえる。

 この動作をするときは、未来が視えているのだと、メイベルは知っている。

 今の会話の何かがきっかけで、ディーンの特殊魔法が発動したのだ。



「おやおや、ビックリだ。次にここに来るときには――いや、黙っていたほうがいいかな。とにかく、楽しいことになっているよ」



 ディーンは笑みだけをメイベルに向けた。

 変えたくない未来については、影響を及ぼす要素は少ない方がいい。

 つまりディーンは正夢にしたい夢のように、黙っていなくてはいけないのだ。

 うずうずする口元を押さえているディーンを、メイベルは微笑ましく思う。

 それから両親の墓参りをした。

 ヒューゴが自慢げに、墓に向かってメイベルの手編みセットを見せていた。

 ここに眠るメイベルの母親が、その編み方を教えたことが分かっているように。

 メイベルは親になった報告をした。

 初めて領地の墓参りに来たディーンも、メイベルの両親にたくさんのことを話しているようだ。



 先ほどディーンが立っていた丘のてっぺんに、メイベルも立ってみた。

 小さいときは、ここが世界の全てだった。

 この領地で育ち、暮らし、嫁ぎ、生きて、死ぬと思っていた。

 青痣のあるメイベルを、両親は領地から出すつもりはなかったのかもしれない。

 ここで悪評にさらされることなく、幸せな人生のまま過ごさせる。

 メイベルは、それこそシェリーに馬鹿にされるくらい、貴族社会のマナーを知らなかった。

 外の世界を教えないことも、親の愛だったのだろう。

 

 だがメイベルはここから巣立った。

 今ではディーンの妻として、国内国外に目を配る毎日だ。

 そして両親が憂慮したであろう、青痣も消えた。

 義母にマナーを叩きこまれ、どこに出ても恥ずかしくない令嬢になった。

 胸を張ってディーンの隣にいられる。

 メイベルはそれをありがたく思った。

 何もかもが、偶然の先にある奇跡だ。

 巡り合うべくして巡り合った相手ではない。

 いくつもの複雑な糸が絡んだことで、つながった未来だ。

 メイベルは丘の上から、ディーンを振り返る。

 

「ディーンさま、これからもよろしくお願いします」

「急にどうしたの、そんな当たり前のことを聞いて? 僕がメイベルを手放すわけがないでしょう? メイベルはね、来世も僕のお嫁さんにするって決めているんだよ?」

 

 返ってきた重みのあるディーンの言葉に、メイベルは破顔一笑する。

 亡くなった人の上に、自分たちの未来を積み上げる。

 そうしてディーンとメイベルも、いずれ歴史となっていくのだ。

 メイベルはそれを嬉しく思う。

 誰かの礎になれる自分の人生が、愛しかった。

 丘から降りて、ディーンとヒューゴのもとへ行く。

 そしてメイベルは二人を抱きしめた。



「私も、ディーンさまのお嫁さんになりたいです。来世でも」

「約束しよう。来世でも、僕たちは出会って結婚する。たとえどんな困難があっても、メイベルを手に入れるまで、僕は諦めない」



 降り出した雪が、チラチラと舞う。



「必ず春にまた来よう。ここで黄色い野花が咲くのを見たい。目が見えない僕に黄色を教えてくれたとき、メイベルはここの風景を思い出したんでしょう?」

「よく分かりましたね。ここは幸せな思い出だらけなんです」

「さらに幸せな思い出を作ろう。僕たち家族の思い出を」



 なんて素敵な提案だろう。

 家族を一度に亡くしてしまったメイベルにとって、ディーンとヒューゴという新しい家族は宝物だ。



「ディーンさま、私、幸せです」

「奇遇だね、僕もだよ」



 気温は低く寒いはずだが、ディーンとメイベルの周りは、春色の空気に包まれていた。

 次にこの丘に来るときには、家族がもう一人増えている。

 それは、今はまだディーンだけが知る未来――。
 ※二十四話までのマシューの身の振り方について、満足している読者さんにとっては蛇足になります。お気を付けください。

 ※二十五話は、マシューが不憫でたまらないという読者さんの、心の慰めになることを願って書きました。

 ※マシューに、今後もずっとメイベルを想っていて欲しい方は、絶対に読まないでください。



 ◇◆◇



 北の砦を護り続け、中隊長から大隊長に昇格したマシューは、数年ぶりに王都へと帰還した。

 すでに魔法師団長の直属の部下ではないが、これまでに何度も危機を救ってくれた恩人だ。

 真っ先に挨拶に行こうと、マシューは魔法師団長のもとを訪れた。

 かつての職場なので、勝手知ったる何とやらで、まっすぐに執務室へ向かう。

 ノックをしようと手を上げたが、扉の向こうから先客と話す魔法師団長の声が聞こえた。



(しまった、ちゃんと約束をしてから訪問するべきだった)



 そうマシューが反省していると、扉越しに二人の話が進んでいく。



「それで? マシューはいつ王都へ戻ってくるのかな?」

「そろそろでしょう、ディーンさま。……どうするおつもりですか? またマシューを、遠くへ飛ばすんですか?」



 しかも、心配そうにしている魔法師団長の話し相手は、魔王みたいな王弟ディーンのようだ。



(まずいな、会ったら殺されるかもしれない――)



 マシューが背後の退路を確認していると、案外冷静なディーンの声が続く。



「仕方がないだろう? マシューには女難の相が出ている。王都にいる限り、メイベルの妹の執着からは逃れられないんだ」

「なにしろシェリーは、呪いの魔法具にためらいなく血を捧げた人物ですからね。確かに、マシューに何をするか分かりません」

「メイベルへの気持ちを断ち切ってもらうためにも、早くマシューには『メイベル以外』の心から愛する女性と出会って欲しい。王都にいると、その機会が全てメイベルの妹によって打ち壊されてしまう」



『メイベル以外』をことさらに強調してディーンが言うので、珍しく魔法師団長が笑った。

 

「最初は私も信じられませんでしたが、シェリーが北の砦を目指して家出した話を聞いて、その執着力に驚きました。……てっきりマシューは、ディーンさまの嫉妬のせいで飛ばされたと思っていたので」



 それに応えるディーンの声は、幾分かムスッとしている。



「僕を何だと思っているんだ? ……半分は当たっているが、半分はちゃんとマシューのことを考えている」

「そうですね。マシューに危機が訪れそうになるたび、私のところへ忠告に来てくれましたね。その結果、マシューは怪我もせずに任務を遂行、シェリーの突撃訪問を避けた先で手柄まで上げて、今では大隊長になってしまいました」



 マシューは、扉の前で立ち尽くしたまま、思いもよらない話に驚いていた。

 これまでにあった危機を、何度も乗り越えられたのは、未来視の力を持つディーンのおかげだったのだ。



「仕方がないよ。僕が傷つけてしまったメイベルを、癒やしたのはマシューだ。……直接、礼を言うつもりはないけどね」



 そこまで聞いて、マシューはたまらず扉をノックした。

 そして魔法師団長の返事を待たずに、パッと開けて中に入る。



 ガタンッ!!



 慌てた動作で、座っていた椅子から立ち上がったのはディーンだ。

 それを見て、マシューはわざと微笑んでみせた。



「マシュー……まさか今の話を……」

「立ち聞きとはいけませんね。部下にそんな躾をした覚えはないのですが」



 顔を青くするディーンとは対象的に、魔法師団長は久しぶりに会えたマシューを見て嬉しそうだ。



「僕の耳は、近づく人間の足音を捉えていない。どうやってここまで――」

「雪の多い地方に居たものですから、敵に悟られずに雪の上を歩く訓練をしていたら、自然と足音が消えてしまいました」



 飄々と応えるマシューに、知られたくなかった話を聞かれてしまったことを悟ったディーン。

 ここは分が悪いと判断したのだろう。

 開かれたままの扉に歩み寄り、鍛え上げられたマシューの身体を邪魔そうに押しのけると、顔だけ魔法師団長の方に向ける。



「魔法師団長、出直してくる。……いいか、王都からは早々に立ち去るんだ」



 ディーンの最後の一言は、マシューに放たれた。

 ツンと顔を反らして出て行くディーンの後ろ姿に、マシューは顔が緩むのを止められなかった。



(メイベル、君が愛した人はずいぶんと――)



 ディーンはメイベルと同い年だから、マシューの2つ年下だ。

 しかし、未来視を使って国の行く末を護る王弟として、今や国中から称えられる立派な存在だ。

 それが、マシューに礼を言えず、隠れてマシューを助け、それがバレると子どもっぽい態度をとるしか出来ないなんて。

 

「ずいぶんと、ディーンさまの印象が変わったのではないか?」



 こちらも顔を緩ませた魔法師団長が、マシューに聞いてくる。

 

「私が勝手に、ディーンさまの嫉妬のせいで北の砦に飛ばされたのではないか、などと仮説を立てたものだから、マシューもいい印象はなかっただろう? だが、ディーンさまはマシューのことを、ただ放り出したわけではなかったんだ。……口止めをされていて、伝えられずにすまなかったな」

「いいえ、もうディーンさまの気持ちは、分かってしまいましたから」



 マシューは、メイベルに贈ってもらった茶色のマフラーを思い浮かべる。

 北の砦にいる間、肌身離さず、ずっとそれを着け続けた。

 メイベルが傍に居るようで、温かい気持ちになったものだ。

 ずいぶんと擦れて、薄くなってしまった茶色のマフラーを、今も大切にしているが――。



「魔法師団長、今度の任務先は、暖かいところにしてもらえますか?」



 決意がこもったマシューの紫色の瞳に、魔法師団長の驚いた顔が映る。

 暖かいところに行くということは、もうマフラーを着ける機会がなくなるということだ。

 つまり、それは――。

 

「マシュー、いいのか? 思い続けることは罪ではない。無理に忘れようとしなくても……」

「いいえ、ディーンさまがはっきりと言っていたではないですか。私は、『メイベル以外』の心から愛する女性に出会う機会があるのだと。だったら、私はその女性を、今も待たせていることになる」



 ディーンがうっかり零した言葉から、マシューは自分の未来を読んだ。

 今はメイベルしかいない心の中に、他の誰かが住む可能性があるのだ。



「なるべく早く任務先を決めてください。なにしろ私には、王都で女難の相があるようなので」



 マシューは明るく笑ったつもりだったが、魔法師団長は複雑な顔をしたままだった。

 それでも願いを聞き届け、数日のうちにマシューの南の砦への赴任が決まった。

 

 任命式にて、北の砦へ赴任を命じられたときと同じく、ディーンを前にして頭を垂れるマシュー。

 南の砦への赴任を命じるディーンの瞳は、もう魔界の沼のように澱んではいなかった。

 ディーンの視た未来では、マシューは『メイベル以外』の心から愛する女性と出会い、大国ウィロビー王国の魔法剣士という名誉ある称号を手放していた。

 なぜなら、『メイベル以外』の心から愛する女性が、ディーンの母の出身国、小国クルス国からお忍びで来ていた王女だったからだ。

 サンダーズ伯爵の大反対を押し切り、マシューは婿入りを果たすとともに、クルス国の騎士となる。

 これまで、お手本のようにいい子だったマシューが、初めて親へ歯向かい、抵抗し、盾を突くのだ。

 

 任命書を読み終わったディーンは、最後にマシューへ声をかける。



「行ってこい、マシュー。己の未来と出会うために」

「謹んでお受けします」

 

 そう言って、ディーンを見上げたマシューの顔つきに、迷いはなかった。

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