盲目の王弟は青痣令嬢に愛を乞う~見えないあなたと醜い私~

 リグリー侯爵は20歳になったメイベルの婚約がまとまらず、いよいよ困っていた。

 このままでは、19歳のシェリーまでが行き遅れてしまう。

 リグリー侯爵はしぶしぶ、領地からシェリーを呼び戻すことにした。

 シェリーもメイベルと同時進行で、婚約相手を探すしかなかった。



 シェリーはやっと領地から王都へ戻れるとあって、大喜びをした。

 毎日毎日、あの湾曲した万華鏡を握りしめ、お願いをしたかいがあった。

 これでマシューさまと結ばれる。

 シェリーは少しも疑っていなかった。

 その証拠に、王都へ帰ってきたシェリーは、すぐに邸を抜け出した。

 そのままサンダーズ伯爵家へ馬車を向かわせたが、門前払いをくらう。



「どうして通してくれないの!? 私とマシューさまは結ばれる運命なのよ!?」

「いい加減にしてください。リグリー侯爵家のかたは、サンダーズ伯爵家とは関わらない約束のはず。それにマシューさまは現在、邸にはいらっしゃいません」



 うっかり門番が口をすべらせた情報を、シェリーは聞き逃さない。

 大人しく引き返すふりをして、シェリーは友人たちの邸を訪ね回る。



「マシューさまの居場所を知らない?」

 

 義姉の婚約者に懸想して、夜這いまでしたシェリーのことを面白がり、ある令息が教えてくれた。



「マシューさまなら今、魔法師団長のもとでしごかれているよ。直属の部下になって、クルス国とこちらを行ったり来たりしているらしい」

「サンダーズ伯爵家で待ち伏せしていても会えないってこと?」

「おそらくね。それよりは魔法師団長の仕事場の周辺で、待ち伏せしたほうがいいんじゃない?」



 有力な情報だ。

 ありがとうとお礼を言って、その日はリグリー侯爵家へ帰った。

 そしてシェリーの日参が始まった。



「シェリー、毎日どこへ行っているんだ? そろそろお前も身を固めるんだから、遊び歩くのもいい加減にしなさい」



 このところ、うるさくなったリグリー侯爵が、外出着のシェリーを見つけて小言を言う。

 身を固めるためにマシューの待ち伏せをしているというのに、まったく分かってない。

 うんざりした顔でシェリーは反論する。



「お父さま、私なりに身を固めるために動いているのです。引きこもっているメイベルのようになれと言うの? そうしていたらお婿さんが見つかるの? 違うでしょう? 見つかっているのならば、メイベルは今日も編み物なんかしていないわ!」

 

 ぐうっと黙った父親をふんと鼻で笑い、シェリーは意気揚々と邸を出る。

 今日も魔法師団長の仕事場を張り込むのだ。

 季節は春になっていた。

 おかげでシェリーの待ち伏せも、寒さ的にはつらくはない。

 ただ馬車の中に座り続けるので、お尻が痛くなるだけで。

 だがそこは、愛の力で乗り越える。

 

(今日こそ会える気がする)

 

 シェリーはいつもの御者を呼ぶ。

 御者も慣れたもので、シェリーが何も言わなくても待ち伏せの場所へ馬車を向かわせた。

 堂々と道端に馬車を停めて、そこで数時間、魔法師団の建物の出入り口を眺めるのが御者の仕事だ。

 銀髪の男性が出てきたらシェリーに教えるように言われている。

 銀髪はこの国では珍しい。

 この数日、そんな人は見かけなかった。

 だが眺めているだけで金貨がもらえるので、御者はこの仕事が嫌ではなかった。

 今日も数時間が経過し、そろそろ帰る時間になったときだった。

 出入り口から銀髪の男性が歩いて出てきた。

 もう春だというのに、ふわふわした茶色のマフラーをしている。

 なんだか御者はそのマフラーを見て誰かを思い出しかけたが、それよりもシェリーに教えることを優先した。



「シェリーさま、出てきました! 銀髪の男性です!」

「え!? マシューさま!?」



 シェリーはすぐに馬車を降り、銀髪の男性がマシューであると分かると、走って追いかけた。



「マシューさま! 待って! 私です! シェリーです!」



 マシューは思いもよらない人物に呼び止められ、面食らった。

 こんな場所で誰かに会うなんて、待ち伏せされていたとしか思えない。

 嫌な顔を隠せなかったマシューだが、シェリーは怯まない。



「よかった! ようやく会えましたね! 私たち、結ばれるんですよ! 全てこれのおかげです!」



 シェリーは高々と湾曲した万華鏡を掲げて見せた。

 それを見たマシューが驚愕する。

 それを探すために、マシューはクルス国に何度も飛ばされているのだ。

 隙をみてメイベルに会いに行こうとしても、そんな隙を許さないほどの過密スケジュールが組まれている。

 今も、見つかりませんでしたと魔法師団長に報告を済ませてきたところだ。

 そんな曰くの品物を、シェリーが握りしめている。

 マシューはシェリーの腕ごと、湾曲した万華鏡をつかんだ。



「こ、これを……ど、どこで!?」



 マシューがどもるのも仕方がない。

 これを魔法師団総動員で探していたのだ。

 マシューに注目してもらえて嬉しいシェリーは胸を張る。



「我が家の領地です! よく当たるという占い師が、私とマシューさまが結ばれるためにと提供してくれたんです! 私、教えられたとおりに、満月の夜に血を捧げてお願いしました!」



 マシューは魔法師団長の直属の部下になったとき、呪いの魔道具についての説明を受けた。

 セリオのかけた呪いがあいまいだったせいで、ディーンだけでなく、メイベルも呪いの影響を受けた可能性があることを。

 魔法師団長がマシューに話してくれたのは、おそらく、メイベルがマシューの元婚約者であったことも考慮されていたのだろう。

 だからシェリーの発言を聞いて、マシューはガバリと頭を下げた。

 すぐにでもその魔道具を魔法師団長のもとに持っていかなくてはならない。 



「この魔道具を譲ってもらえないか? 条件なら何でも聞く」

「え? マシューさま、これが欲しいんですか? でも、もう二人が結ばれるっていう願い事はしたんですよ?」

「どうしても欲しいんだ。頼む」

「え~、どうしようかな? じゃあ、メイベルみたいにデートに誘ってくれますか? 私もマシューさまにうんと甘やかされたいな~」



 シェリーが体をくねくねさせながら、チラリとマシューを伺う。

 マシューは迷わなかった。



「分かった、明日にでも行こう。だからこれを今、譲って欲しい」

「いいですよ! じゃあ、明日はここで、同じ時間に待ち合わせしましょ!」



 シェリーはルンルンで、惜しげもなく薄汚い万華鏡をマシューに手渡した。

 もう願い事が叶ったと思っているシェリーには、不要のものだったからだ。

 シェリーの頭の中は、すでに明日のデートのことで一杯だ。



「マシューさま、私、明日のドレスのことで今から忙しくなりそうなので、先に失礼しますね! どこに連れて行ってくれるのか、楽しみにしてますわ!」



 シェリーは待たせていた馬車に乗って、さっさと帰っていった。

 マシューも出てきた建物に戻った。

 階段を一段とばしで駆け、魔法師団長の部屋を目指した。

 温かくなっても外せなかったマフラーに、マシューの上がる息がこもる。

 

(メイベル――)

 

 茶色の毛糸で編んでもらったのは、マシューの希望だった。

 メイベルの髪の色と同じマフラーがいいと、わざわざ言ったのだ。

 メイベルは照れながらも、質感まで似た毛糸で編んでくれた。

 ふわふわしていて茶色くて、可愛いメイベルの髪。

 その髪に顔をうずめているようで、マシューは春になってもずっとマフラーを手放せなかった。

 今、メイベルが青痣に苦しめられているのなら、それを救うのは私でありたい。

 その思いで、厳しい魔法師団長のしごきにも耐えてきた。

 二人が、もう二度と一緒になれないとしても、思いは変わらない。

 大切なメイベル、愛している。



「失礼します、魔法師団長! 呪いの魔道具が見つかりました!」



 ノックも忘れて、マシューは魔法師団長室に飛び込んだ。
 届けられた魔道具を見て、魔法師団長はレンズにこすりつけられた血を確認した。



「間違いないでしょう。これがセリオの作った呪いの魔道具ですね」

「では、それを発動させたのはメイベルの義妹のシェリーですね」

「おそらくは。何も疑わずにこんなに闇の気配をふりまく魔道具に血を捧げてしまうとは……あなたを夜這うだけはありますね」



 シェリーが考えなしだと言いたいのだろう。

 マシューもそれには激しく同意する。

 魔法師団長は呆れ顔で、あちこちの角度から魔道具を見ている。

 そしてレンズを指さしてマシューに命じた。



「セリオの証言が正しければ、再びこのレンズに発動者の血を捧げることで、解呪できるでしょう。あなたにはシェリーとやらの血を採ってきてもらいます。そうですね、解呪のタイミングは先代王に相談するとして、血を新鮮な状態で保存できる魔道具が必要ですね」



 魔法師団長はすぐに魔法研究員に声をかける。

 マシューにその魔法研究員と、新鮮な血を保存できる魔道具を見繕うように言って、魔法師団長は先代王の執務室に急いだ。

 呪いに関しては最優先事項だと言われている。

 わざわざ謁見の許可など取る必要はなかった。



 魔法師団長が先代王に呪いの魔道具が見つかったことを報告している頃、ディーンは一人静かに、離宮の庭で過ごしていた。

 すでにクラリッサとの婚約は解消されている。

 この静かな暮らしに、華やかで社交好きなクラリッサは馴染めなかったのだ。

 森を走る小動物の足音を聞き分けられるほどの静寂。

 ディーンが愛した離宮での楽しみを、クラリッサとは共有できなかった。

 何度か一緒に出かけたパーティのように、人々がたくさん集まり、にぎやかで騒々しい場がクラリッサには似合っている。

 ダンスを踊って活き活きとしていたクラリッサを思い出し、ディーンは苦笑した。

 行ってみて分かったが、ディーンはそういう場が嫌いだった。

 不慣れだからではない。

 ディーンのよすぎる耳には喧騒がつらいし、よすぎる鼻には体臭と香水の匂いが強烈だ。

 目が不自由だったからこそ鋭敏になった感覚が、ディーンにそうした場を倦厭させた。

 ディーンは、かつてメイベルとお茶会をしたテーブルセットに腰かけ、春の光の柔らかさを堪能する。

 肌で感じることに、ディーンは慣れてしまった。

 そのせいで、メイベルをもう感じられない。

 左腕をさする。

 ここに温かなメイベルを感じていたのは、わずかな間だけだった。

 春の花の色が黄色だとメイベルに教えてもらったが、その春になる前に呪いが復活した。

 もう黄色という色は知っていたけれど、ディーンは黄色の春の花を見たいと思った。

 きっとその柔らかさと優しさは、メイベルに通じるものがあるのではないか。

 テーブルの上から手を伸ばす。

 メイベルがいつも座っていた席はここだ。

 ディーンの左隣のひじ掛け付きの椅子。

 今は、ここで嬉しそうにケーキを食べる人はいない。

 それが寂しくて仕方がない。

 ディーンは伸ばした手を引っ込める。

 それをそのまま左目にあてた。

 呪いが復活して、ディーンの目は見えなくなった。

 ディーンの目とメイベルの青痣は、呪いに関して連動しているふしがある。

 もしかしたら、メイベルにも青痣が現れたのではないか。

 呪いについて、もっと魔法師団長に詳しく聞けばよかった。

 ディーンは空を見上げる。

 秋の空は青く高く、冬の空は白っぽく陰鬱だった。

 春の空は何色だろう。



(メイベル――)

 

 青痣があれば、誰とも婚約しないでいてくれるだろうか。

 仲良くしていたように見えた魔法剣士との婚約は、思わぬ不祥事が起きて破棄されたと聞いた。

 このまま、相手が見つからなければいい。

 ディーンは己が、こんなにも仄暗い思いを抱き、それに悦びを感じることに失笑した。



(盲目と青痣、僕たちはきっとお似合いなんだ)

 

 もう離れ離れにならないよう、婚約なんてせずに結婚できないか。

 ディーンが使える力なんて、たかがしれている。

 だが、そんなディーンを哀れみ、今も罪悪感にさいなまれている先代王がいる。

 使えるものは使うしかない。



「何をしてでも、君が欲しい」

 

 ディーンは侍従を呼び、先代王に会う時間が欲しいと伝えてもらう。

 すぐに設けられたその場で、ディーンは生まれて初めて、父親への我がままを口にした。



 ◇◆◇



 解呪するには、魔道具を発動させた者の血が必要だ。

 マシューは次の日、シェリーとのデートの待ち合わせ場所に、青いバラの花束を持って行った。

 一部分に、わざと棘を残して。

 マシューは時間より少し早めに到着して、シェリーを待つ。

 じっとしていると、どうしてもメイベルのことを考える。

 メイベルは心に誰かを残しながら、それでもマシューを好きになろうとしてくれた。

 マシューも政略とは思えないほど、メイベルの真摯で誠実な心に惹かれた。

 何事もなければ、いい夫婦になれただろうと思う。

 マシューは今日もつけているマフラーに顔をうずめる。

 魔力量が少ないセリオがかけた呪いは、正確性に欠け、あいまいだった。

 そのせいで呪いは、王族の血が流れる魔力量の多い赤子を無差別に襲った。

 父親が先代王であるディーンはもちろん、メイベルにも王族の血が流れていたのだ。

 メイベルの母親は、先代王の従妹だったという。

 そして二人は産まれながらにして、盲目と青痣という業を背負った。

 そして何の因果か婚約をし、解呪されなければそのまま結婚していた。

 だがセリオの死により、二人は業から解放される。

 業のせいで結ばれた婚約は解消され、それぞれ違う相手と政略の婚約を結び直す。

 思い合っていただろうディーンとメイベルは、またしても運命に弄ばれてしまった。



(もし、メイベルがまだ王弟を想っているのならば――)



 昨夜、魔法師団長から聞かされた今後の話を思い出す。

 それでメイベルが幸せになるのならば。



「私がその助けになれることを、嬉しく思おう」



 本当は、マシューがメイベルを幸せにしたかった。

 マシューは何度も誘ったデートで、メイベルがどれだけ喜んでいたかを思い返す。

 メイベルの笑った顔はとても可愛かった。

 しかし、マシューに残されたのは、もう思い出とマフラーだけ。



 かなり遅れてシェリーが現れた。

 どうやら邸を抜け出すのに、変身魔法を使ったようだ。

 髪の色と瞳の色が違う。

 顔はシェリーのままだ。

 寝ぼけていない限りは、間違えようがない。

 マシューはメイベルと思って抱き寄せた、過去の自分のうかつさを責めた。



「お待たせしました! ちょっと手こずっちゃって……」



 マシューはすかさず青いバラの花束を差し出す。

 ちょうど受け取る位置に棘が来るようにして。



「今日の記念に。よかったら受け取って」

「わあ! 嬉しい! 青いバラって珍しいわね!」



 普通、青いバラは恋人には送らない。

 同じバラならもっと、恋人にふさわしい花言葉のものがたくさんあるからだ。

 だけどシェリーは気がつかない。

 花束を勢いよく受け取った。

 そして棘が刺さる。



「痛っ!!」

「いけない、棘が残っていたかな? 指を見せて、血が出ていない?」



 マシューはなるべく優しく聞こえるように声をかけ、シェリーの手をそっと握る。

 右手の中指から、赤い血が滴っていた。

 マシューは胸ポケットから、きれいに折りたたまれた白いハンカチを取り出し、シェリーの指にあてる。

 白いハンカチに血が滲み、みるみる赤くなる。

 このハンカチこそ、血を新鮮な状態で保存できる魔道具だった。

 強く抑えて圧迫し、血が止まるまでそうしていた。

 マシューがハンカチを指から離すと同時に、魔法剣士の隊服を着た同僚が足早に通りかかる。



「マシュー! 魔法師団長がお呼びだ! 緊急事態だ!」



 やや棒読みではあったが、マシューにもシェリーにも内容は正しく伝わった。

 マシューはシェリーに向き直り、深々と頭を下げた。



「申し訳ない、どうやら急な仕事のようだ。今日はこれで失礼するよ」

「え~、残念~」



 マシューは演技の下手な同僚と一緒に、魔法師団の建物へ走った。

 あからさまに落胆しているシェリーを残して。

 指に怪我をさせたことも落胆させたことも、マシューは心から申し訳ないと思っているが、シェリーが夜這いさえしなければ、こんなことにはならなかったのだ。

 正しくシェリーの自業自得であった。
 先代王は悔いていた。

 側妃フロリタとその恋人セリオを不幸にしたのは自分たちだ。

 いくら臣下たちの進言であったとしても、愛のない結婚は止めるべきだった。

 遺伝の要素が強いとはいえ、魔力量は運に左右される部分もある。

 また、魔力量の多さだけが、子に求められるのはおかしい。

 王族だからと、子をなす道具になってはいけない。

 幸いなことに、ジョージは愛する者を見つけ、正妃とすることができた。

 ディーンにも、ぜひともそういう結婚をして欲しい。

 先代王は、ディーンの初めての我がままを思い出す。

 魔法師団長からは、呪いの発動者の血を確保したため、いつでも解呪が可能であると報告があった。

 先代王はペンを手に取る。

 そしてリグリー侯爵家に宛てて、文章をしたためる。

 呪いの犠牲者はディーンだけではない。



「我が従妹の血を継ぐこの娘もまた、私たちが不幸にした」



 今一度、解消されてしまった縁を結ぶ。

 先代王は強い意志を持って、通達を書き上げた。



 ◇◆◇



 リグリー侯爵は、王家からの通達が届いたのを知り、ぎょっと青ざめた。

 早く開けたほうがいいと執事が促すので、しぶしぶ封を切る。

 メイベルのために整えてもらった婚約を台無しにしたことについて、何か言われるのではないかと、ずっと恐れていたのだ。

 それがついに来たのだと思った。

 しかし、そうではなかった。



「なんだって!? これは……どういうことだ!?」



 素っ頓狂な声を上げるリグリー侯爵がいつまでも指示を出してくれないので、執事は横から文面を覗き込んだ。

 そこには――。



「これはおめでたい。すぐに、メイベルさまにはご準備をしていただきましょう。シェリーさまに知られないように、内密に動いた方がいいでしょうね」



 執事は、返事を待っている王家の使者のために、リグリー侯爵に代わって文面をしたためる。

 それをリグリー侯爵に確認してもらっている間に、メイベルのもとへ行き、外出の準備をするよう伝える。

 本来ならば、相応しいドレスに着替えたり、髪や化粧直しをしたり、時間がかかるものなのだが、そんなことをしていてはシェリーに勘付かれてしまう。

 執事はあえて、着のみ着のままのメイベルを王城へ届けることにした。

 通達に書かれていたことが本当であれば、用意はあちらでしてもらえるはずだ。

 メイベルは何が何だか訳がわからないまま、執事に勧められる通り外出着に着替えて、急ぎ玄関へ向かう。

 邸の外に出るのは久しぶりだ。

 もうすっかり空気が春めいている。

 メイベルの心はずっと冬のままだが。



「さあ、メイベルさま、馬車に乗ってください。シェリーさまがやって来る前に」



 慌ただしい執事の姿を見るのは、婚約披露パーティの次の日以来だ。

 あの朝、初めてメイベルは執事が走るところを見た。

 その執事が手を引いて、メイベルを馬車のあるところまで案内した。

 その馬車には、かつてお茶会に招待されたときと同じ、王家の紋章があった。



「え? この馬車に乗るんですか? 王家の紋章が――」



 メイベルがすべてを言い終わる前に、執事と御者によってメイベルは馬車に乗せられ、扉を閉められた。

 御者も急いで連れてくるように言われているのだろう。

 執事に礼をすると、すぐに馬に鞭をくれて、性急に馬車を出発させた。

 この馬車に王家の紋章があったことで、初めてメイベルは行先の予想がついた。

 これから王城に行くのだ。

 メイベルは改めて着てきた服を見る。

 

「こんな格好で、王城に? 嘘でしょう?」



 しっかり者の執事が、こんなうっかりをするはずがない。

 ということはよほど急いで出向かなくてはならない何かがあったのだ。

 まさかそのうちの一つが、シェリーに勘付かれないためだったとは、メイベルは知らなかった。



 メイベルが王家の馬車に揺られているころ、シェリーは自室で青いバラを眺めてはため息をついていた。



「早く次のお誘いが来ないかしら? もう私とマシューさまは、付き合っているも同然よね?」



 シェリーは待つのに飽きて、また邸を抜け出し、マシューに会いに行こうと思い立つ。

 髪の色と瞳の色を変えて、外出着に着替えて、さあ抜け出すぞというときにリグリー侯爵に見つかった。

 マシューとの待ち合わせ場所に行く日も、こうやって見つかってしまったのだった。

 あのとき同様に、リグリー侯爵の横をすり抜けようとしたが捕まった。



「あれほど言いつけたのに、まだ分からないのか。誰か! シェリーを長椅子にでもくくりつけろ! 今日だけは絶対に邸から一歩も出してはならぬ!」



 カンカンに怒ったリグリー侯爵によって、シェリーは自室に戻され、より一層厳しい監視の目がつくのだった。



「何よ? 何があるっていうのよ? どうして今日は駄目なのよ?」



 くくりつけられはしなかったものの、三人のメイドがシェリーを取り囲んでいた。

 そのうちの一人が首をかしげる。



「先ほど、メイベルさまは外出されていましたよ。ずっと部屋にこもっていらしたから、心配だったんですよね。今日は少しはお元気になられたのかしら?」

「メイベルは外出を許されたってこと? 私ばかり駄目出しされて、悔しい! メイベルはどんな格好だった? めかしこんでいなかった?」

「いいえ、ふつうの外出着でしたよ。あの恰好で他家を訪問するのは、少しためらわれるでしょうね」



 このメイドは、メイベルが玄関へ急ぐところしか見ていなかった。

 もし王家の紋章がついた馬車に乗り込むところを見ていたら、それを聞いたシェリーの爆発を抑えるのに苦労していただろう。

 執事が、馬車を見えにくい所に誘導した成果だった。



「そうなの? それならいいんだけど。メイベルだけ楽しんでいるのは不公平だものね! 一体、お父さまはいつまで私を軟禁するつもりなのかしら。いい加減にして欲しいわ!」



 ぷりぷり腹を立てるシェリーを見て、メイドたちは目線を交わした。

 みんな、シェリーの自業自得だと知っているのだ。

 邸内であれだけの騒動を起こし、メイベルが婚約破棄された原因はシェリーだ。

 そんなシェリーを大人しくさせようと、リグリー侯爵が必死に婚約相手を探していることを知っている。

 婿を迎えて、少しは落ち着いてくれたらいいのだが。

 誰にもらったのか知れない青いバラを眺めてうっとりしているシェリーを、引き続きメイドたちは監視し続けたのだった。

 

 ◇◆◇



 軽快に走る馬は、メイベルの乗った馬車を王城へ導く。

 メイベルには、こうしてお茶会に通っていたのが、ずいぶん昔のことのように思えた。

 車窓からの眺めは、すっかり春色に変わっている。

 初顔合わせに緊張していたのは、まだ秋の初めだった。



「離宮までは行かないのね? では私を呼んだのは誰かしら?」



 いつもよりも、かなり手前で馬車が止まる。

 離宮は王城の奥にあるので、お茶会のときは王城を通り過ぎていたのだ。

 御者が扉を開けて、手を差し出す。

 メイベルはそれを助けに、馬車から降りた。

 降りた先には、王城に仕える侍女長が待ち構えており、メイベルを王城の中へと案内する。

 メイベルはこれまで王城には足を踏み入れたことがない。

 どこに向かっているのかなど、分かるはずもなかった。



「あの、私はどなたに呼ばれたのでしょうか?」



 メイベルよりもかなり年上のはずの侍女長は、メイベルよりもよほど足腰がしっかりしていて、その歩く速度についていくのがメイベルにはやっとだ。

 こんなところに引きこもりの障害が出ている。

 侍女長は歩く速度はそのままで、簡潔にメイベルに返答する。



「わたくしどもからはお教えできないのです。ですが、すぐに分かりますよ」



 ニッコリ笑ってくれたので、悪いことではなさそうだ。

 その笑顔に安心して、メイベルは侍女長についていくため足を動かすことに専念する。
 メイベルは邸に引きこもっている間、ずっと思考の海にいた。

 メイベルに青痣が現れたということは、ディーンも盲目になったかもしれない。

 クラリッサは、目が見えないディーンを、献身的に支えるだろうか?

 いいえ、クラリッサは華やかな世界でこそ花開く女性だ。

 静かな離宮でお茶を飲むだけの生活に、満足するはずがない。

 新しいもの好きで、人としゃべるのが好きで。

 常にキラキラした空気を振りまいていたクラリッサ。

 盲目のディーンに、嫌気がさしてくれないか。

 メイベルは仄暗い望みを抱く。



(クラリッサさまに捨てられてしまえば、私が拾いに行けるのに――)



 鬱々としていたメイベルは、期せずしてディーンと似たようなことを思い描いていたのだった。



 ◇◆◇



 メイベルが連れていかれた先には、10人以上の侍女が控えていた。

 それにぎょっとしてしまったメイベルを、侍女たちは容赦なく裸にしていく。

 拾われてきた野良犬のように、全身を隅々までしっかり洗われたメイベル。

 恐ろしく香り高い香油でマッサージをされ、足の爪の先まで磨かれた。

 着たこともないような肌触りのよい下着を身につけたメイベルに用意されていたのは――。



「花嫁衣装……?」



 純白のドレスだった。

 うろたえるメイベルにお構いなく、侍女たちは手際よくドレスを装着させる。

 

(私、結婚するの?)

 

 ドレスを着たメイベルの青痣を、侍女が化粧で隠していく。

 長年、隠し続けてきたメイベルよりも、よほど上手だった。

 まったく青痣が分からなくなったメイベルの頭に、ヴェールが乗せられる。

 足元しか見えなくなったが、手を引く者が現れる。

 それに従いメイベルは足を進めた。

 もうこうなってしまっては、ついていくのが一番早い。

 そうしないと何が何だか、訳が分からない。

 説明が聞ける場所へ行こうと、メイベルは歩いた。



 このとき、メイベルの手を引いていたのは魔法師団長だった。

 長い白髪に赤い目、まとう深緑のマントは縁に飾り刺繍が入り、明らかに高い位を表していた。

 ヴェールの隙間からそれらが見えなかったメイベルは、妙な緊張もせずに済んだ。

 侍女長よりもゆっくり歩いてくれる引率者に感謝して、メイベルは聖堂まで来る。

 聖堂――王族が結婚するときに誓いを交わす場だ。



(やっぱり、結婚するのだわ、私。しかも、相手は多分――)



 音もたてずに両開きの扉が引かれ、中へ案内される。

 赤い絨毯を踏み、数段の階段を上り、誓いの証人の前に来た。

 そこでようやく、メイベルのヴェールが持ちあげられ、視界が広がった。

 

 メイベルの予想した通り、メイベルの隣に立っていたのはディーンだった。

 メイベルの方を見ているようで視線が合わない。

 見えていないのだ。

 これもメイベルの予想が当たっていた。

 盲目と青痣に戻ったディーンとメイベルは、再び縁が繋がったのだ。



 ディーンもメイベルに似た白い正装だった。

 おそらくは花婿衣装なのだろう。

 メイベルとディーンの前に設置された台に、誓いの証人が誓約書を置く。

 内容は結婚についてだ。

 証人が読み上げ、両人がサインをすることで成り立つ。

 ディーンは侍従にペンを渡され、サインする紙面の上まで右手を導かれていた。

 手を置かれた場所に、見えないながらもディーンはサラサラとサインをした。

 次はメイベルの番だ。

 ディーンが、メイベルがいるだろう場所に向けてペンを差し出す。

 それを受け取り、メイベルもディーンの隣にサインをした。

 婚約ではなく結婚だ。

 もう誰も二人を引き離すことは出来ない。

 証人がサインを確認し、無事に誓約がなったことを証言する。

 わずかな拍手がおきた。

 どうやら聖堂には臨席者がいるようだ。

 メイベルには見渡す余裕がなかったが、おそらくはディーンの関係者だろう。

 ということは王族だ。

 急に緊張してきたメイベルの慌てた気持ちが、ディーンに伝わったかどうか。

 ディーンは右手を伸ばし、メイベルの存在を確かめ、ゆっくりと体の線に沿い、やがてメイベルの頬に到達した。

 もうメイベルのヴェールは持ち上げられている。

 ディーンはメイベルの唇の位置を親指で探って、そこに自分の唇を寄せていった。

 メイベルは突然のことに、目をつむることが出来なかった。

 よって、長いディーンの金色のまつ毛を、感極まってふるふる震えながら見ているのが精一杯だった。

 時間的に長かったのか、短かったのか、メイベルには判断が出来ない。

 ようやくディーンが唇を離し、そっと瞼を持ち上げる。

 そして、確かにメイベルと視線を合わせたのだ。

 ディーンの頬が赤らんだ。

 見えているのだ。

 メイベルも自分の頬が赤い自覚がある。

 そんな二人に、先ほどよりも大きく拍手が沸いた。

 

「では、説明いたしましょう。メイベル嬢にも種明かしをしなくては」



 すっと前列から立ち上がったのは、魔法師団長だった。

 メイベルは位置的に、聖堂まで手を引いてくれたのが魔法師団長だったと分かった。

 魔法師団長は、懐から湾曲した何かを取り出した。

 それをメイベルにも見えるように掲げ、説明を始める。



「これは呪いの魔道具です。ディーンさまの盲目も、メイベル嬢の青痣も、全て呪いのせいでした」



 メイベルは、ディーンの目が見えるようになったときに、「呪いが解けた」と漏らした先代王の言葉を思い出した。

 呪い――闇魔法の使い手による魔法。

 魔法師団長による話は続く。

 先代王の時代に起きた悲劇が、今回の呪いを生みだした。

 対象となった、王族の血が流れる魔力量の多い赤子に該当してしまった二人に、苦難が襲いかかる。

 呪った本人も、こんなに長く続くとは思っていなかったらしい。

 呪った本人が亡くなったことにより一度は解けた呪いだが、行方が分からなくなっていた魔道具をうっかり発動させてしまった者がいて、再び呪いがディーンとメイベルを襲った。

 

「お二人は、これまで呪いだと分からないまま、長らく苦しんだことでしょう。だが今ここに、呪いの魔道具の完全なる封印を行いました。この呪いが発動することはもうありません。どうぞ、末永くお幸せに」



 魔法師団長が深く礼をして下がる。

 それに代わり、先代王が前に出た。



「今回の悲劇は、子に魔力量の多さだけを求めた結果、起きたことだ。我々は二度と、こんな悲劇を繰り返してはならない。王族と言えど、不本意な結婚はしなくていいと、儂は思う。臣下にも、それを理解してもらいたい」



 先代王の言葉を締めに、式は終わった。

 青痣が出たり消えたりしたのは、呪いが再発動したせいだった。

 一体、誰がそんな恐ろしい呪いの魔道具を扱ったのか。

 魔力量の多いメイベルには、魔法師団長が封印したにも関わらず、呪いの魔道具が醸し出す嫌な気配がしっかり見えていた。

 しかし、うっかり発動させたのが義妹のシェリーだとまでは分からなかったようだ。



「メイベル、抱きしめてもいいだろうか? もう私のものだと確信したい」



 横を見ると、両腕を伸ばしたディーンがいた。

 その腕で囲いたいということだろう。

 メイベルも両腕を伸ばす。

 二人は互いに抱きしめ合った。

 もう離さない。

 誰にも渡さない。

 強い思いを感じさせる抱擁だった。

 純粋だったはずの二人が、心に仄暗い思いを抱えてまで求めあった相手だ。

 長い抱擁の後は、自然に口が重なった。

 それは誓約のときよりも、ずっと深い口づけだった。

 

 こうして、運命に弄ばれ引き離された二人の心は、ようやく繋がった。

 初めての恋を失い、後悔に眠れない夜を過ごし、相手の不幸を望むほど狂おしかった思いは、ディーンをしたたかにさせた。

 一生に一度の我がままを、先代王に言ったディーン。



『メイベルが欲しい』

 

 役に立てない自分は、ひっそりと息をひそめて生きるほうがいいと、ディーンはずっと思っていた。

 だが、どうしても欲しいものが出来てしまった。



『メイベルを得るためなら、何にでもなる』

 

 その思いが兇変をひっくり返したのだ。

 ディーンはもう、優しいだけのディーンではいられない。

 メイベルを護るため、自分の地位を確固たるものにしていく。
 ディーンがメイベルと結婚したことで、先代王はホッと胸をなでおろした。

 しかし、王であるジョージはそうはいかない。

 二人の結婚式にも臨席していたジョージは、焦りを募らせる。

 魔力量の少ないジョージが愛して結婚した正妃は、同じく魔力量が少ない。

 それに比べて魔力量の多いディーンが愛して結婚したメイベルは、同じく魔力量が多いのだ。

 先代王がいくら魔力量にこだわるなと言っても、従う臣下ばかりではないだろう。



(目が見えるようになったディーンを、王の座に近づけたい勢力が出てくるのではないか?)

 

 これまではディーンの目が見えないからこそ傲慢でいられたジョージ。

 しかし、このままでは王の座は揺らいでしまう。

 自らの地位がおびやかされて初めて、ジョージは自分勝手な考えを止めた。

 アバネシル皇国にいい顔をするだけではなく、渡り合えるような王になろうと己を叱咤し善政を目指す。

 臣下の意見をよく聞き話し合う姿が、それからは見られるようになったという。



 ◇◆◇



 ディーンの目が見えるようになったと聞いて、クラリッサは喜んだ。

 だが続けて、ディーンがメイベルと結婚したと聞いて激怒した。

 

「どうして!? どうしてなんですか、お父さま!? ディーンさまの目が見えるようになったのなら、また私と婚約を結び直してくださるはずでしょう!?」



 クラリッサは、父親のホイストン公爵に詰め寄る。

 婚約の解消は一時的なものだと聞いていた。

 クラリッサが他の令息にエスコートをされてパーティへ遊びに行けるように、取り計らってくれたのだと思っていた。

 ダンスや遊行は魅力的だが、ディーンほど美しい男性はいない。

 クラリッサは手放したくなくてごねた。

 

「まさか、また目が見えるようになるとは思わなかったんだ。そうと知っていれば、婚約の解消などしなかったさ」

「だったら今からでも! なんとかしてください!」

「それがそうもいかない。お前にはもう、新しい婚約者がいるんだ」

「なんですって? 新しい婚約者?」

「そうだ、アバネシル皇国の公爵だ。ちょっと年上だが、爵位も申し分ない」

「アバネシル皇国の公爵と言えば、お母さまの甥でしょう? 私の従兄でしょう? ちょっと年上って、12歳も上ではないですか!?」

「大したことはないだろう? ただ、面食いのお前には申し訳ないんだが……」

「知っていますわ!! 従兄がダンスも出来ないほど太っていることくらい!! どうしてこんな婚約を取り決めてしまったのですか!!」

「お前にとっても都合がいいのではないか? この国にいて、仲の良い王弟夫婦を見て悔しがるよりは、アバネシル皇国に嫁いだ方が気がまぎれるだろう?」



 とってつけたような言い訳をするホイストン公爵を、クラリッサはぎりぎりと奥歯を噛みしめ睨みつける。

 どうあがこうと、クラリッサは嫁がされる。

 これは決定事項なのだ。

 クラリッサは離宮の庭で見たメイベルを思い出す。

 何の取り柄もない、暗いだけの令嬢だと見下したのに。

 今ではクラリッサよりも高い地位にいる。

 

(負けたのだ。私は、あの令嬢に、負けたのだわ)



 そして、笑って虹を見ていたディーンの顔を思い出す。

 一目で好きになった。

 あんなに美しい人を見たのは初めてだった。

 ぼろりと大きな涙がこぼれた。

 それは悔し涙だったか、悲しみの涙だったか。



 ◇◆◇



 メイベルが無事に結婚できたことで、リグリー侯爵は浮かれていた。

 ずっとメイベルをお荷物だと思っていたが、とんでもなかった。

 見事、リグリー侯爵家と王家の縁を繋いでくれた。

 これで侯爵家としても体面が整ったというものだ。

 ところがそこへ、もうひとつの悩みの種が通りかかる。

 髪の色と瞳の色を変えて、またしても邸を抜け出そうとしているシェリーだ。



「監視をしているメイドはどうした!?」



 リグリー侯爵の驚いた声を聞いて、シェリーはビクッと肩をすくめた。

 そして声の方向を確かめると、反対に向かって廊下を走り出した。

 今まで甘やかしてきたつけが、まとめてやってきていた。

 リグリー侯爵の言うことなんて意にも介さない、とんだ跳ねっかえりに育ったシェリー。

 人の迷惑を顧みず、自分の欲望に忠実で、ひたすら騒動ばかりを起こす。

 リグリー侯爵もついに匙を投げた。



「ええい、もうこうなったら誰でもいい! 婿を取るぞ! シェリーの手綱を取れるだけの婿を!」



 さっさと婿を取らなければ、碌なことにならないと悟ったリグリー侯爵は、条件をかなり下げてシェリーの婚約を見繕う。

 逃げてばかりで反省をしなかったシェリーは、気がつけば家に知らない人がいて、あれは誰だとメイドに聞いたら「シェリーさまの旦那さまです」と言われて、真顔になるまであと少しだった。



 ◇◆◇



 マシューは国境の砦から、白く輝く雪山を見上げていた。

 夏も近づいているというのに、山の雪は解ける気配もない。

 ここでは誰の目も気にすることなく、茶色のマフラーをつけていられる。

 そのことがマシューは嬉しかった。

 魔法剣士だったマシューは、魔法師団長のもとで新しく中隊を預かる中隊長となり、国境警備の仕事を任されていた。

 北の砦の先には、ウィロビー王国とは国交のない国がある。

 近々、きな臭い動きがありそうだから、ここの見張りを強化せよとの王弟命令だ。

 だが魔法師団長からは、マシューが抜擢されたのは、概ねディーンの嫉妬だろうと言われた。

 短い間ではあったが、メイベルの元婚約者だったマシュー。

 そんなマシューに、ディーンはわずかたりとも妻のメイベルを近づけたくないのだ。

 だから物理的にマシューを北へ飛ばした。

 ていのいい、中隊長という身分を与えて。

 本当はマシューでなくてもよかったのだ。

 マシューも、魔法師団長の言うことが真相かもしれないと思っている。

 一度だけ会ったディーンは、それはそれは暗い瞳をしていた。



(誰があの緑目を常緑樹に例えたんだ? 魔界の沼のように澱んでいるじゃないか……)



 そんな目に射られたのだ。

 敵対視されていないと思うほうがおかしい。

 メイベルとディーンの仲が、睦まじいことは聞いている。

 マシューが北の砦にいることで、ディーンの嫉妬心が治まるのなら、お安い御用だ。

 ふうと息を吐くと、マフラーに包まれた顔に熱が伝わる。

 このマフラーと思い出があれば、それでいい。

 マシューの気持ちはどこに居ようと変わらない。



 ◇◆◇



「北の砦、ですか?」

「ああ、視えたんだ。近々、そこに敵兵が押し寄せるだろう」

 

 ディーンの持つ特殊魔法は、未来視だった。

 だから盲目のときは使えず、何の特殊魔法持ちなのか不明だったのだ。

 もしかしなくても、それは側妃フロリタから引き継いだ特殊魔法で、フロリタもセリオの未来を視たのかもしれない。

 悲しい未来を変えて欲しくて、一言だけの手紙を残したのかもしれない。

 感傷にひたっていた魔法師団長に、構わずディーンは言いつける。



「だからそこに、マシューを赴任させてくれ」

「なぜマシューなんです?」

「適任だろう? 呪いの件では手柄を上げたんだ。褒美に出世させてやるといい」



 ぬけぬけとそう言うディーンを見て、この人は変わったなと魔法師団長は思った。

 今までは、一歩さがった物言いをする人だった。

 それが今では堂々と、権力で妻の元婚約者を僻地へ飛ばす命を下す。

 嫉妬深いゆえに。

 

(変わりすぎだ……)



 心中、ため息をついて、魔法師団長は命令に従う。

 マシューにとってもいいかもしれない。

 仲がよすぎることで、王城の噂の的になっている王弟夫婦を、間近で見るのはつらいだろう。

 マシューの心がまだメイベルにあることは、手に取るように分かる。



(いつもマシューが手放さないマフラーが、メイベルさまの手編みだとディーンさまが知ったら、どうなることやら)



 マフラーをディーンに取り上げられることを恐れるマシューが、口を滑らせることは絶対にない。

 ぜひともメイベルには、手編みのマフラーをマシューに贈ったことがあるなどと、うっかり口を滑らせないで欲しいと願ってやまない魔法師団長だった。
 嫉妬深いのはディーンだけではない。

 メイベルも口に出すことはしないが、決してしない行為がある。

 それはディーンの腕に、自らの腕を絡めることだ。

 まるでそれが穢れた行いであるかのように、忌避している。

 メイベルは、劇場で見たディーンとクラリッサの姿が忘れられないのだ。

 腕を絡めて仲良く歩いていた二人。

 思い出すたびに、どす黒いものがこみ上げてくる。

 だからメイベルは手をつなぐ。

 ディーンもメイベルが手をつなぐのが好きだと知っている。

 服や手袋越しではなく、素手と素手で、手をつなぐ。

 あなたは特別だと示すために。

 

 ◇◆◇



 先代王に習い、少しずつ執務をするようになったディーン。

 政事を面白いほど吸収していくディーンに、ジョージはますます怯えている。

 特殊魔法の未来視を使って、北の砦に攻めてきた敵兵を防いだこともある。

 前もって中隊を派遣していたおかげで、怯んだ相手が何もせずに逃げ帰ったのだ。

 戦争を回避した功績は大きい。

 臣下たちの評価はうなぎのぼりだ。

 ジョージがハラハラするほどの活躍を見せる未来視だが、実はディーンがこれを多用しているのは私生活でだった。

 この特殊魔法があると分かって、まずディーンが行ったのがメイベルとマシューの接点を潰すことだった。

 マシューが王都に居る限り、接点がなくならないと知ったディーンは、容赦なくマシューを国境へ飛ばした。

 赴任を命じるときに、一度だけ真正面からマシューと顔を合わせた。

 短い銀髪に濃い紫の瞳。

 たくましい体躯はディーンが持っていないものだ。

 この男が一時ではあっても、メイベルの近くにいたことに憤りを覚える。

 不甲斐ない自分のせいではあるのだが、それとこれとは別感情なのだ。

 殺したい気持ちを視線に込めたら、どうやら相手に伝わったようでよかった。

 

(二度とメイベルに近づくな――)



 マシューは勘の鋭い相手だ。

 ディーンの言いたいことを、正しく理解してくれただろう。

 そしてディーンは知っている。

 メイベルがクラリッサに嫉妬していることを。

 メイベルは気がついていないかもしれないが、ディーンの額と自分の額を絶対にくっつけない。

 これは雪の結晶が出来上がるところを覗き込んだディーンが、うっかり距離を取り損ねてクラリッサの額に額をくっつけてしまったからだ。

 うかつだった。

 あれは恋人同士のすることだ。

 それをメイベルの前で、クラリッサにしてしまった。

 もしかしたら腕を絡ませるのを嫌がるのも、クラリッサが原因なのかもしれない。

 ディーンはメイベルのそんな嫉妬を、とても愛しく思っている。

 だからこうしてマシューに嫉妬するディーンのことも、メイベルは許してくれるだろうと判断している。

 

 もうメイベル無しでは生きていけない。

 真っ暗な人生に、初めて灯った温かな光。

 左腕につねに感じていた優しい存在。

 遠ざかってしまったときは、毎夜、悔やんだものだ。

 だが、今は手の中にある。

 大事に大事に。

 握りつぶしてしまわないように。

 他の人に奪われないように。

 

(僕の中に閉じ込めてあげる。僕しか見えないようにしてあげる。どうかこのまま僕に溺れて。これからも僕の愛をねだって)

 

 メイベルの願いは全部叶えるから。

 

「呪いの青痣ごと、メイベルを僕にちょうだい」



 ◇◆◇

 

 何も知らないころは、何も望まない二人だった。

 しかし恋をして、それを失って、ディーンとメイベルは変わったのだ。

 それまでは、不幸に慣れた二人だった。

 自分たちが幸せになるなど、考えたこともなかっただろう。

 だから最初は幸せを掴み損ねた。

 でも、もう離さない。

 

 ディーンはメイベルを甘やかす。

 それはメイベルや侍従が驚くほどに。

 寡黙で静かだったのは昔のこと。

 ディーンは、雨が降るように、陽が差すように、メイベルに愛を囁く。

 そしてその愛は、メイベルのお腹に子を宿す。

 ディーンは知っていた。

 この子が息子であることを。

 そして治癒魔法の使い手であることを。

 だから安心して、お腹が大きくなるメイベルを支えていたが。

 一人、のっぴきならぬほどメイベルの妊娠に慌てている人物がいた。

 先代王だ。

 側妃フロリタの壮絶な出産シーンが、いまだトラウマなのだ。

 未来視の使い手のディーンが、いくら「出産時、母子とも無事だから心配はいらない」と言ってもきかない。

 先代王の命で、ディーンとメイベルが暮らす離宮に、最新の医療機器と施術体制が用意された。

 医療チームによる、メイベルの一挙手一投足を見守る姿勢に、メイベルのほうが恐縮した。

 王弟妃となったメイベルの妊娠に、王城中が注目している中、いよいよ陣痛が始まる。

 もちろんディーンは最初から立ち会った。

 メイベルが安心するように、ずっと手を握って励ます。



 「大丈夫だよ、この子も元気だ、もうすぐ会えるからね」



 初産だったので時間がかかった。

 ほぼ一日中、唸っていたメイベル。

 その隣でずっと看病し続けたディーン。

 母子ともに体調に異変はなく、今か今かと皆がその瞬間を待ちわびた。

 うろたえるばかりで役に立たない先代王は、ディーンの命で侍従が王城に閉じ込めた。

 王城ではジョージも、そわつく気分を隠せないでいた。

 そして離宮に産声が響く――。



「おぎゃあああ! おぎゃああああ!」

 

 メイベルも息子も、ディーンの視た通り無事だった。

 それというのも、息子が母体を癒しながら産まれてきたからだ。

 赤子のときから治癒魔法が使えるのは、魔力量が多いせい。

 王城中と言わず、国中が歓びに沸いた。



 生まれた子は、ヒューゴと名付けられた。

 ディーン譲りの金髪青目で、顔立ちはメイベルに似ていることから、ディーンがたいそう可愛がる。

 メイベルも魔力量が多く、かなりの治癒魔法の使い手なのだが、ヒューゴはそれを上回った。

 メイベルは診ようと思わないと治癒魔法が使えないのだが、ヒューゴは無意識でそれを使ってしまうのだ。

 それが分かったのは、ジョージと王妃がヒューゴに会いに来たときのことだった。

 生まれたばかりのヒューゴが、やたらとジョージに手を伸ばす。

 抱っこされたいのかと思って、まんざらでもない顔でジョージはヒューゴに近づいた。

 そしてジョージがヒューゴを腕に抱いた瞬間、ヒューゴの治癒魔法が発動し、ジョージの股間が光った。

 あまりに間抜けな図に、ディーンは噴き出すのをこらえるのが間に合わなかった。

 王妃は呆気に取られて、光るジョージの股間を見ている。

 同じ治癒魔法の使い手であるメイベルだけが、その現象の意味するところに気がついた。

 

「もしかして、そちらに病気があったのではないでしょうか?」

 

 股間と言うのがはばかられて、曖昧な単語になってしまったが、メイベルの言いたいことは伝わった。



「つまり、兄さんの股間にあった何らかの病気を、ヒューゴが治癒魔法で治したと?」

「はい、おそらくですが、これまで王妃さまが子を宿せなかった原因が、もしかしたらそこに……」



 メイベルがいまだ光り続けるジョージのそこを見る。

 ジョージに抱かれたかったわけでもなかったヒューゴは、ジョージの腕の中からディーンに手を伸ばしていた。

 戻りたいという意思を感じて、ディーンがジョージからヒューゴを受け取る。

 ジョージの股間から光が消えた。

 ヒューゴはひと仕事したせいで眠くなったのか、口をむにゃむにゃさせ始める。

 消えた光を見てメイベルの言葉を理解した王妃が、ハッとした顔をする。



「では、これからは私たちにも子が望めると……?」



 最も後継者を期待されていながら、結婚して5年間、妊娠することがなかった王妃。

 両目からポロポロと涙をこぼし、眠そうなヒューゴに「ありがとう、ありがとう」とお礼を言う。

 ジョージも、ディーンとメイベルとヒューゴに頭を下げると、王妃とともに急いで帰っていった。

 今からきっと、子作りをするんだろう。

 王という地位に魅力を感じないディーンには分からないが、そこに縋りついているジョージに子が産まれてくれたら、息子のヒューゴは伸び伸び育てられると安心する。

 貪欲になったディーンの思考は、完全に家族中心だった。
 ディーンとメイベルは、ヒューゴが生まれたことを亡き人たちに報告して回った。



 最初は、側妃フロリタの墓だ。

 先代王の計らいで、隣には恋人セリオの墓があった。

 ディーンが墓前に白百合の花束を供える。

 

「母上が命を懸けて僕を産んでくれたおかげで、僕は今とても幸せです。こうして息子にも恵まれました」



 ディーンがヒューゴを抱き、墓の傍に近づける。

 ヒューゴは墓に向かって手を伸ばす。

 冷たくてペタペタとした感触が楽しいのだろう。

 きゃっきゃと笑った。

 ヒューゴがここにいるのは、ディーンとメイベルが結ばれたから。

 二人が結ばれたのは、セリオが呪いをかけたから。

 ディーンの特殊魔法が未来視であったことから、フロリタの特殊魔法もまた未来視だったと想像がつく。

 フロリタは、未来をどこまで視たのだろうか。

 己の死?

 セリオの死?

 誰に何を託して、何を願いながら逝ったのか。

 夏の雲が空に育つ。

 ディーンは母親を思い、ヒューゴを強く抱きしめた。



 ◇◆◇



 メイベルは義母の墓の前に立った。

 この墓場までの道のりは、昔と違って人通りも多くなっていた。

 人身売買組織に襲われたのも、こんな雨の日だったと思い出す。

 

「お久しぶりです。以前に来たときから、ずいぶん間が開いてしまいました。実は私、妊娠していたんです。今日は息子を連れてきました」



 メイベルはヒューゴがよく見えるように、墓に向かってしゃがんだ。

 ディーンは二人が濡れないように傘をさす。

 



「ヒューゴと言います。とても賢くて元気なの。子育ては初めてですが、ディーンと協力して頑張っています」



 ヒューゴをディーンに渡し、メイベルは侍従からリンドウの花束を受け取る。

 それをそっと墓に供えた。



「お義母さんがいろいろなことを教えてくれたおかげで、私は王家に嫁いだ後もきちんとやれています。だから心配しないでくださいね」

 

 小雨がしとしと降り注ぐ。

 それが顔に落ちてきても、もうメイベルの顔に青痣は浮かばない。

 

 ◇◆◇



 リグリー侯爵家の領地に行くには、ある程度の時間が必要で、それを捻出しているうちに冬になった。

 ヒューゴは、メイベルの編んだ帽子と手袋と腹巻と靴下をつけている。

 馬車の中は寒くはないが、ヒューゴはお気に入りのそれらをいつでも身につけたがる。

 時折がたがたと揺れながら、ディーンとメイベルとヒューゴを乗せた馬車は、メイベルの両親が眠る丘へ向かっていた。

 メイベルにとってこの丘は、幼少期の思い出の場所だ。

 代々のリグリー侯爵家の祖先が眠り、領地を見守る丘。

 春には家族総出で、墓参りを兼ねたピクニックに来た。

 あの頃は誰も、青痣について言う人はいなかった。

 幸せな幼少期を過ごしたと思っている。

 

「ここに、メイベルの弟さんか妹さんのお墓もあるの?」

「いいえ、母のお腹にいた子は、そのまま母と一緒に埋葬されました」

「そうか。一緒の方が、安心かもしれないね」



 ディーンはヒューゴを抱き直す。

 メイベルは、息子を生むまでディーンがこんなに子煩悩だとは知らなかった。

 ディーンは、夫の顔、父親の顔、王弟の顔をうまく使い分けている。

 優しいばかりの顔では、貴族社会では舐められると、もうメイベルも分かっていた。

 妻として、母親として、王弟妃として、メイベルも強くならなくては。

 事故にあった両親が、最後まで子を護ろうとした姿に、メイベルは自分を重ねる。

 きっとディーンもメイベルも、ヒューゴを護るためなら盾になるだろう。

 それが親なのだ。

 両親の姿がメイベルのお手本だった。



「いい眺めだ。暖かい季節だったら、ピクニックをしたかったね」



 ディーンが領地を見下ろせる場所から、こちらを振り向く。



「昔はよくしていたんです。たくさんのサンドイッチを作ってもらって」

「いいね、楽しそうだ。ヒューゴがもう少し大きくなったら、また来ようよ」



 あ、とディーンが目を押さえる。

 この動作をするときは、未来が視えているのだと、メイベルは知っている。

 今の会話の何かがきっかけで、ディーンの特殊魔法が発動したのだ。



「おやおや、ビックリだ。次にここに来るときには――いや、黙っていたほうがいいかな。とにかく、楽しいことになっているよ」



 ディーンは笑みだけをメイベルに向けた。

 変えたくない未来については、影響を及ぼす要素は少ない方がいい。

 つまりディーンは正夢にしたい夢のように、黙っていなくてはいけないのだ。

 うずうずする口元を押さえているディーンを、メイベルは微笑ましく思う。

 それから両親の墓参りをした。

 ヒューゴが自慢げに、墓に向かってメイベルの手編みセットを見せていた。

 ここに眠るメイベルの母親が、その編み方を教えたことが分かっているように。

 メイベルは親になった報告をした。

 初めて領地の墓参りに来たディーンも、メイベルの両親にたくさんのことを話しているようだ。



 先ほどディーンが立っていた丘のてっぺんに、メイベルも立ってみた。

 小さいときは、ここが世界の全てだった。

 この領地で育ち、暮らし、嫁ぎ、生きて、死ぬと思っていた。

 青痣のあるメイベルを、両親は領地から出すつもりはなかったのかもしれない。

 ここで悪評にさらされることなく、幸せな人生のまま過ごさせる。

 メイベルは、それこそシェリーに馬鹿にされるくらい、貴族社会のマナーを知らなかった。

 外の世界を教えないことも、親の愛だったのだろう。

 

 だがメイベルはここから巣立った。

 今ではディーンの妻として、国内国外に目を配る毎日だ。

 そして両親が憂慮したであろう、青痣も消えた。

 義母にマナーを叩きこまれ、どこに出ても恥ずかしくない令嬢になった。

 胸を張ってディーンの隣にいられる。

 メイベルはそれをありがたく思った。

 何もかもが、偶然の先にある奇跡だ。

 巡り合うべくして巡り合った相手ではない。

 いくつもの複雑な糸が絡んだことで、つながった未来だ。

 メイベルは丘の上から、ディーンを振り返る。

 

「ディーンさま、これからもよろしくお願いします」

「急にどうしたの、そんな当たり前のことを聞いて? 僕がメイベルを手放すわけがないでしょう? メイベルはね、来世も僕のお嫁さんにするって決めているんだよ?」

 

 返ってきた重みのあるディーンの言葉に、メイベルは破顔一笑する。

 亡くなった人の上に、自分たちの未来を積み上げる。

 そうしてディーンとメイベルも、いずれ歴史となっていくのだ。

 メイベルはそれを嬉しく思う。

 誰かの礎になれる自分の人生が、愛しかった。

 丘から降りて、ディーンとヒューゴのもとへ行く。

 そしてメイベルは二人を抱きしめた。



「私も、ディーンさまのお嫁さんになりたいです。来世でも」

「約束しよう。来世でも、僕たちは出会って結婚する。たとえどんな困難があっても、メイベルを手に入れるまで、僕は諦めない」



 降り出した雪が、チラチラと舞う。



「必ず春にまた来よう。ここで黄色い野花が咲くのを見たい。目が見えない僕に黄色を教えてくれたとき、メイベルはここの風景を思い出したんでしょう?」

「よく分かりましたね。ここは幸せな思い出だらけなんです」

「さらに幸せな思い出を作ろう。僕たち家族の思い出を」



 なんて素敵な提案だろう。

 家族を一度に亡くしてしまったメイベルにとって、ディーンとヒューゴという新しい家族は宝物だ。



「ディーンさま、私、幸せです」

「奇遇だね、僕もだよ」



 気温は低く寒いはずだが、ディーンとメイベルの周りは、春色の空気に包まれていた。

 次にこの丘に来るときには、家族がもう一人増えている。

 それは、今はまだディーンだけが知る未来――。
 ※二十四話までのマシューの身の振り方について、満足している読者さんにとっては蛇足になります。お気を付けください。

 ※二十五話は、マシューが不憫でたまらないという読者さんの、心の慰めになることを願って書きました。

 ※マシューに、今後もずっとメイベルを想っていて欲しい方は、絶対に読まないでください。



 ◇◆◇



 北の砦を護り続け、中隊長から大隊長に昇格したマシューは、数年ぶりに王都へと帰還した。

 すでに魔法師団長の直属の部下ではないが、これまでに何度も危機を救ってくれた恩人だ。

 真っ先に挨拶に行こうと、マシューは魔法師団長のもとを訪れた。

 かつての職場なので、勝手知ったる何とやらで、まっすぐに執務室へ向かう。

 ノックをしようと手を上げたが、扉の向こうから先客と話す魔法師団長の声が聞こえた。



(しまった、ちゃんと約束をしてから訪問するべきだった)



 そうマシューが反省していると、扉越しに二人の話が進んでいく。



「それで? マシューはいつ王都へ戻ってくるのかな?」

「そろそろでしょう、ディーンさま。……どうするおつもりですか? またマシューを、遠くへ飛ばすんですか?」



 しかも、心配そうにしている魔法師団長の話し相手は、魔王みたいな王弟ディーンのようだ。



(まずいな、会ったら殺されるかもしれない――)



 マシューが背後の退路を確認していると、案外冷静なディーンの声が続く。



「仕方がないだろう? マシューには女難の相が出ている。王都にいる限り、メイベルの妹の執着からは逃れられないんだ」

「なにしろシェリーは、呪いの魔法具にためらいなく血を捧げた人物ですからね。確かに、マシューに何をするか分かりません」

「メイベルへの気持ちを断ち切ってもらうためにも、早くマシューには『メイベル以外』の心から愛する女性と出会って欲しい。王都にいると、その機会が全てメイベルの妹によって打ち壊されてしまう」



『メイベル以外』をことさらに強調してディーンが言うので、珍しく魔法師団長が笑った。

 

「最初は私も信じられませんでしたが、シェリーが北の砦を目指して家出した話を聞いて、その執着力に驚きました。……てっきりマシューは、ディーンさまの嫉妬のせいで飛ばされたと思っていたので」



 それに応えるディーンの声は、幾分かムスッとしている。



「僕を何だと思っているんだ? ……半分は当たっているが、半分はちゃんとマシューのことを考えている」

「そうですね。マシューに危機が訪れそうになるたび、私のところへ忠告に来てくれましたね。その結果、マシューは怪我もせずに任務を遂行、シェリーの突撃訪問を避けた先で手柄まで上げて、今では大隊長になってしまいました」



 マシューは、扉の前で立ち尽くしたまま、思いもよらない話に驚いていた。

 これまでにあった危機を、何度も乗り越えられたのは、未来視の力を持つディーンのおかげだったのだ。



「仕方がないよ。僕が傷つけてしまったメイベルを、癒やしたのはマシューだ。……直接、礼を言うつもりはないけどね」



 そこまで聞いて、マシューはたまらず扉をノックした。

 そして魔法師団長の返事を待たずに、パッと開けて中に入る。



 ガタンッ!!



 慌てた動作で、座っていた椅子から立ち上がったのはディーンだ。

 それを見て、マシューはわざと微笑んでみせた。



「マシュー……まさか今の話を……」

「立ち聞きとはいけませんね。部下にそんな躾をした覚えはないのですが」



 顔を青くするディーンとは対象的に、魔法師団長は久しぶりに会えたマシューを見て嬉しそうだ。



「僕の耳は、近づく人間の足音を捉えていない。どうやってここまで――」

「雪の多い地方に居たものですから、敵に悟られずに雪の上を歩く訓練をしていたら、自然と足音が消えてしまいました」



 飄々と応えるマシューに、知られたくなかった話を聞かれてしまったことを悟ったディーン。

 ここは分が悪いと判断したのだろう。

 開かれたままの扉に歩み寄り、鍛え上げられたマシューの身体を邪魔そうに押しのけると、顔だけ魔法師団長の方に向ける。



「魔法師団長、出直してくる。……いいか、王都からは早々に立ち去るんだ」



 ディーンの最後の一言は、マシューに放たれた。

 ツンと顔を反らして出て行くディーンの後ろ姿に、マシューは顔が緩むのを止められなかった。



(メイベル、君が愛した人はずいぶんと――)



 ディーンはメイベルと同い年だから、マシューの2つ年下だ。

 しかし、未来視を使って国の行く末を護る王弟として、今や国中から称えられる立派な存在だ。

 それが、マシューに礼を言えず、隠れてマシューを助け、それがバレると子どもっぽい態度をとるしか出来ないなんて。

 

「ずいぶんと、ディーンさまの印象が変わったのではないか?」



 こちらも顔を緩ませた魔法師団長が、マシューに聞いてくる。

 

「私が勝手に、ディーンさまの嫉妬のせいで北の砦に飛ばされたのではないか、などと仮説を立てたものだから、マシューもいい印象はなかっただろう? だが、ディーンさまはマシューのことを、ただ放り出したわけではなかったんだ。……口止めをされていて、伝えられずにすまなかったな」

「いいえ、もうディーンさまの気持ちは、分かってしまいましたから」



 マシューは、メイベルに贈ってもらった茶色のマフラーを思い浮かべる。

 北の砦にいる間、肌身離さず、ずっとそれを着け続けた。

 メイベルが傍に居るようで、温かい気持ちになったものだ。

 ずいぶんと擦れて、薄くなってしまった茶色のマフラーを、今も大切にしているが――。



「魔法師団長、今度の任務先は、暖かいところにしてもらえますか?」



 決意がこもったマシューの紫色の瞳に、魔法師団長の驚いた顔が映る。

 暖かいところに行くということは、もうマフラーを着ける機会がなくなるということだ。

 つまり、それは――。

 

「マシュー、いいのか? 思い続けることは罪ではない。無理に忘れようとしなくても……」

「いいえ、ディーンさまがはっきりと言っていたではないですか。私は、『メイベル以外』の心から愛する女性に出会う機会があるのだと。だったら、私はその女性を、今も待たせていることになる」



 ディーンがうっかり零した言葉から、マシューは自分の未来を読んだ。

 今はメイベルしかいない心の中に、他の誰かが住む可能性があるのだ。



「なるべく早く任務先を決めてください。なにしろ私には、王都で女難の相があるようなので」



 マシューは明るく笑ったつもりだったが、魔法師団長は複雑な顔をしたままだった。

 それでも願いを聞き届け、数日のうちにマシューの南の砦への赴任が決まった。

 

 任命式にて、北の砦へ赴任を命じられたときと同じく、ディーンを前にして頭を垂れるマシュー。

 南の砦への赴任を命じるディーンの瞳は、もう魔界の沼のように澱んではいなかった。

 ディーンの視た未来では、マシューは『メイベル以外』の心から愛する女性と出会い、大国ウィロビー王国の魔法剣士という名誉ある称号を手放していた。

 なぜなら、『メイベル以外』の心から愛する女性が、ディーンの母の出身国、小国クルス国からお忍びで来ていた王女だったからだ。

 サンダーズ伯爵の大反対を押し切り、マシューは婿入りを果たすとともに、クルス国の騎士となる。

 これまで、お手本のようにいい子だったマシューが、初めて親へ歯向かい、抵抗し、盾を突くのだ。

 

 任命書を読み終わったディーンは、最後にマシューへ声をかける。



「行ってこい、マシュー。己の未来と出会うために」

「謹んでお受けします」

 

 そう言って、ディーンを見上げたマシューの顔つきに、迷いはなかった。

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