メイベルにとってデートは慣れないものだったが、新たに婚約者となったマシューはそれを感じさせないような心配りのできる人だった。

 メイベルを気負わせないよう常に話題をふり、沈黙が落ちないように会話をつないでくれる。

 今日もそんなデートの最中で、二人は人気のレストランに来ていた。

 

「子どものときに、初めて火魔法を剣にまとわせることを思いついて、大人にバレないようにこっそり練習したんだ。だけど最初からうまくいくはずがなくて、けっこうな火傷を負ってしまってね」



 マシューの話し方も、ずいぶんフランクになった。

 そのほうがメイベルも緊張しなくて済む。

 マシューが右腕のそでをまくり上げて、赤い痣を見せてくれた。

 どうしてこんな話になったのかというと、以前、メイベルに青痣があったことを話したからだ。

 マシューは、メイベルの青痣のことは知っていたらしい。

 そして自分にも痣があるよ、と話してくれたのだ。

 そして見せてくれた赤い痣は、薄くはなっていたが、かなり広範囲にあった。

 

「もう痛くはないのですか?」



 やや皮膚にひきつれがあった。

 そこが痛そうに見えたメイベルはマシューに尋ねる。



「うん、痛くはないよ。歴代、魔法剣士を輩出している伯爵家の嫡男が、火傷で腕が使い物にならなくなったとあっては名折れだから。父が必死で治癒魔法の使い手を探したと聞いた。魔力量の少ない使い手だったらしく、治すのはここまでが限界だと言われたんだ」



 マシューは赤い痣をするりと撫でた。

 それはなんだか愛着を感じさせる仕草だった。

 もしかしたらマシューは、この赤い痣を、案外嫌ってはいないのかもしれない。

 それでも念のため、メイベルは己の魔法について告白することにした。

 それは、夫になると思ったディーンにもしたことだった。

 次はマシューが夫になるのだから、同じようにしなくてはと思ったのだ。



「あの、私、治癒魔法が使えます。よかったらその火傷の痣、もう少し治しましょうか?」



 多分、メイベルの魔力量ならば、ひきつれている皮膚は完全に治るだろう。

 時間が経過しすぎているので、赤い色は残るかもしれないが。



「へえ、治癒魔法の使い手なんだね? 私に話してしまってよかったの?」



 マシューにもディーンと同じことを聞かれた。

 それだけ治癒魔法の使い手は、隠れて生きているのだ。



「その……親族には話してもいいのです。マシューさまは、私の、夫になる方ですから」



 夫。

 ディーンにそう宣言したときは、顔が真っ赤になったはずだ。

 だが、今は違う。

 なぜか、なんて分かり切っていた。

 メイベルの気持ちはまだ切り替わっていないのだ。

 ディーンを想っている。

 早く忘れなくてはいけないのに。

 マシューがメイベルの夫になるのに。

 うつむいたメイベルに、マシューが困ったように笑った。



「ありがとう。でも、火傷の痣はこのまま残しておくよ。自戒の念を忘れないようにね」

「分かりました。他に痛む傷があれば、いつでも言ってください」



 日常的な会話のときは、しっかり顔をあげて、目を見て話せるようになったメイベル。

 しかし、男女の話になると、途端にメイベルはうろたえる。

 そのことにマシューは気がついていた。

 だから先ほども困ったように笑ったのだ。

 メイベル本人は気がついていないのだろう。

 メイベルは誰かを心に住まわせている。

 それがマシューより先に婚約者だった王弟ディーンかもしれないと、マシューは考える。

 そもそもこの婚約の話は、新しくディーンと縁を結んだホイストン公爵家からサンダーズ伯爵家へもたらされたものだ。

 ホイストン公爵家のクラリッサがディーンの婚約者となったため、その座から降りたリグリー侯爵家のメイベルの新たな婚約者を探していると。

 魔力量の高い令嬢で、なおかつ特殊魔法の使い手であると聞けば、引く手は数多だったろうに。

 悪い噂がつきまとい、青痣があるというだけで、腫れ物扱いをされていたメイベル。

 マシューは迷わず名乗りを上げた。

 とにかく本人に会ってみたいと思った。

 それで気が合いそうになければ、断るまで。

 でも、そうでなければ護りたいと思った。

 貴族として生まれた以上、家のための結婚は仕方がない。

 だからといってそれを味気ないものにはしたくない。



 そして顔合わせをしたメイベルは、マシューの想像を超えてきた。

 好ましいと思った。

 それからデートを重ねる中で、メイベルの中に他の男の存在を嗅ぎ取った。

 ずっと社交界から離れ、引きこもりだったメイベルが、出会う男など限られている。

 マシューは仕方のないことだと思った。

 自分はメイベルに二番目に会ったのだ。

 ここから一番になる努力を怠る理由にはならない。

 もうディーンとメイベルの縁は切れたのだ。

 ゆっくりでいいから、マシューをその懐に入れて欲しい。

 マシューはそう思いながら、今日もメイベルに話しかける。



 メイベルは、マシューといながらも、ディーンを思い出してしまう自分に気がついていた。

 先ほど、治癒魔法の使い手であると告白したときもそうだ。

 マシューはよく話しかけてくれるので、会話は途切れない。

 比べて、目が見えない頃のディーンは沈黙することが多かった。

 それは耳をすませていたからだ。

 ディーンは小さな音もよく聞き分けた。



「あ、ウサギの足音がしたよ。右の方にいないかな?」

「右ですか? ……います、こっちを見ています。すごい、よく分かりますね?」

「目が見えないと、耳や鼻がよくなるそうだよ」



 そう言って笑ったディーンと、もうどれだけ会っていないだろう。

 どこかに出かけることもなく、離宮の中で完成していた二人の世界。

 それはとても小さなものだったけれど、温かく大切なものだった。

 目が見えるようになっても、知識を補うまでは離宮に留まると言っていたディーン。

 メイベルとの婚約を解消し、今は新たな婚約者のクラリッサとお茶をしているのだろう。

 またいつか、どこかで会うことがあるだろうか。

 

「デザートはどれにする? 季節のフルーツタルトがおすすめらしいよ」



 メイベルはハッと顔を上げる。

 今はマシューとのデートの最中だ。

 ディーンとの思い出に浸っていい場面ではない。

 マシューが渡してくれたメニュー表を受け取り、中身を見る。

 一番上に、おすすめの季節のフルーツタルトの絵が載っていた。

 そこから下にゆっくり目をすべらせると、最後の方にアイスクリームの乗ったワッフルがあり、絵ではたっぷりのキャラメルソースがかけられていた。



(キャラメルソース……。口の端についていたのを、目が見えるようになったディーンさまが拭ってくれた)



 また思考がディーンに戻っている。

 メイベルは振り切るように、メニュー表の一番上を指さした。



「これにします、おすすめの季節のフルーツタルト」

「じゃあ私は、アイスクリームの乗ったワッフルにするよ。半分こしようか?」



 メイベルがあえて避けたワッフルを、マシューが選んでしまった。

 マシューはメイベルの視線がワッフルの上で長く留まっていたことを見て、そちらも食べたいのかなと思って気を利かせたのだった。

 そうとは知らないメイベルは、またうつむき小さな声で返事をする。



「いえ……半分こは、遠慮しておきます」

「そう? 食べたくなったら言ってね」



 マシューは通りかかった店員にデザートの注文をする。

 メイベルは、ディーンのことを考えていたのが、マシューに伝わったのではないかとドキドキした。

 しかしマシューはそんな素振りを見せず、次のデートの誘いをしてきた。



「改装オープンする劇場で、こけら落としに歌劇をやるそうなんだ。メイベルは歌劇に興味はある?」



 そもそも歌劇を観たことがなかったので、メイベルは嬉しくて二つ返事をしてしまう。

 そんなメイベルを見て、マシューは笑った。



「よかった。来週、一緒に行こう。また迎えに行くよ」



 こけら落としには、箔つけのために多くの高位貴族が招かれる。

 そこでメイベルは出会ってしまうのだ。

 あれほど会いたかったディーンと、ディーンにエスコートをされるクラリッサに。