事件が起きたのは、中学二年生になった時だった。
平和だった生活は、四月のクラス替えの直後に跡形もなく崩壊した。
何処にいても殴られ、蹴られ、逃げてもしつこく追い回された。抵抗すればするほど暴力は増加していき、身も心もボロボロに傷付けられた。
そして、最終的にたどり着いた場所がこの部屋だった。
暴力を楽しんでいるようで、全く表情の変わらないあいつらの顔が怖かった。
私に出来るのは、この部屋の中だけは安全な場所でありますようにと願う事ぐらいしか無かった。
でも、いつまたあいつらが牙を剥くかは分からない。
この部屋から一歩も外に出られなくなって、早くも五年が経とうとしていた。
この部屋を姉と使い始めた当初は、かなり痩せていて、私の体重は四十キロも無かったように記憶している。
そう考えると五年間で約二倍の重さになっていることに驚く。
二つ年上の姉は、元から太めの体型だった。
頭が良く、論理的思考で状況を判断するのが得意な姉は、物分かりが悪い私にとって憧れの存在だった。
「仲良くすれば良いのに、何であいつらは私達の事をいじめるんだろうね? 絶対に許せない!」
ポテトチップをバリバリと食べながら、姉はいつものように怒っている。
私は姉と一緒にベッドに座りながら何故こんな目に遭っているのか考えてみたが、良く分からなかった。黙ってテレビを見つめる。
テレビのニュースでもこの事件は大きく取り上げられ、社会問題になっていた。
コメンテーター達が様々な解決策を議論しているが、被害に遭った当事者からすると、どれもが無駄に思えてしまう。
「萌子は何も悪くないからね、あいつらがおかしいだけだから。何があっても私が守ってあげるから大丈夫よ。ほら、ポテトチップ食べな」
「うん、ありがとう」
一枚だけ手に取ると、端からゆっくりと食べ始めた。まだショックから抜け出せずに、食欲があまりなかった。
それに引き換え、姉は三食の食事の合間には必ずお菓子を食べるようになっていた。
もしかしたら、痩せ細っている私に少しでも食べるきっかけを与えようとしてくれていたのかもしれない。
どれだけ大量に食べても、私たち姉妹が寝静まった後で毎日元通りに食料は補充された。
しかも、毎回種類を少しずつ変えて飽きないように配慮までしてくれる。
痩せた私を心配しているのか、この部屋から出られない事に対する気遣いなのかは分からない。
毎日が食べ放題という自堕落的な生活を続けていると、いつしかあいつらへの恐怖も少しずつ薄れていった。
姉に影響され、同じ食生活をする様になると体重もみるみる増えていった。
姉の体重が七十キロを超えた時に「私、今日から痩せる!」とダイエットが宣言された。
姉のダイエットに巻き込まれて、この部屋には様々なルールが出来た。
朝ご飯は朝八時、昼ご飯は昼十二時、夜ご飯は夜八時、おやつは昼三時に決まった。
それ以外の時間に食べ物を口にするのは禁止になった。
ベッドの上で腹筋を毎日十回ずつやる事も決めたが、これは辛くて一日で辞めた。
一週間ほど二人で励まし合いながら頑張っていたが、テレビと食事しか娯楽の無い部屋で、その内の一つを制限するのは土台無理な話だった。
ある日、二段ベッドの下で夜中に目が覚めると、暗闇から「コキッ、コキッ」と奇妙な音が聞こえているのに気が付いた。
最初は気のせいだと思って寝ようとしたが、あまりにもハッキリと聞こえるため、怖くなり、部屋の電気を点けた。
台所の前で眩しそうに目を細める姉がそこにいた。
手にはピーナッツチョコレートを握りしめて、両頬はリスのように膨らんでいた。
「違うの、ピーナッツには、その、ゲホッゲホッ、睡眠の質を高める効果があるから、これはルール違反じゃないから」
よく分からない言い訳をする姉の横をすり抜け、流し台の下の棚からポテトチップの袋を取り出す。
「あっ、ダメだよ、ポテトチップは! ずるいよ、私も我慢してたのに。わっ、しかも私の一番好きなサワークリームオニオン味じゃん。ねぇ、ピーナッツチョコと少し交換しない?」
私達は笑い合い、その日でダイエットは終了した。
リバウンドだろうか、そもそもほとんど痩せてはいなかったが、とにかく以前よりも食欲が増加していた。
起きてすぐにお菓子を食べ始め、寝る直前まで口に頬張っていなければ満足出来なくなっていた。
夢の中でさえお菓子を食べながら姉と笑い合っていた。幸せだった、姉の事が大好きだった。
いつも優しい姉だったが、たまに夜寝る前になると「いつかこの部屋を出てやる、あいつらに復讐してやる」と呟く事があった。
私は姉と離ればなれになるのが怖くて、そんな事はしないでくれとお願いしていたが、最後まで決意が揺らぐ事は無かったようだ。
気付いたら、姉の体重は八十キロを超えていた。そして、この部屋から出て行った。
出て行く時に姉は全てを悟ったような顔で、最後に言葉を掛けてくれた。
「萌子はちゃんとダイエット頑張るんだよ」
それ以来、姉とは会えていない。
平和だった生活は、四月のクラス替えの直後に跡形もなく崩壊した。
何処にいても殴られ、蹴られ、逃げてもしつこく追い回された。抵抗すればするほど暴力は増加していき、身も心もボロボロに傷付けられた。
そして、最終的にたどり着いた場所がこの部屋だった。
暴力を楽しんでいるようで、全く表情の変わらないあいつらの顔が怖かった。
私に出来るのは、この部屋の中だけは安全な場所でありますようにと願う事ぐらいしか無かった。
でも、いつまたあいつらが牙を剥くかは分からない。
この部屋から一歩も外に出られなくなって、早くも五年が経とうとしていた。
この部屋を姉と使い始めた当初は、かなり痩せていて、私の体重は四十キロも無かったように記憶している。
そう考えると五年間で約二倍の重さになっていることに驚く。
二つ年上の姉は、元から太めの体型だった。
頭が良く、論理的思考で状況を判断するのが得意な姉は、物分かりが悪い私にとって憧れの存在だった。
「仲良くすれば良いのに、何であいつらは私達の事をいじめるんだろうね? 絶対に許せない!」
ポテトチップをバリバリと食べながら、姉はいつものように怒っている。
私は姉と一緒にベッドに座りながら何故こんな目に遭っているのか考えてみたが、良く分からなかった。黙ってテレビを見つめる。
テレビのニュースでもこの事件は大きく取り上げられ、社会問題になっていた。
コメンテーター達が様々な解決策を議論しているが、被害に遭った当事者からすると、どれもが無駄に思えてしまう。
「萌子は何も悪くないからね、あいつらがおかしいだけだから。何があっても私が守ってあげるから大丈夫よ。ほら、ポテトチップ食べな」
「うん、ありがとう」
一枚だけ手に取ると、端からゆっくりと食べ始めた。まだショックから抜け出せずに、食欲があまりなかった。
それに引き換え、姉は三食の食事の合間には必ずお菓子を食べるようになっていた。
もしかしたら、痩せ細っている私に少しでも食べるきっかけを与えようとしてくれていたのかもしれない。
どれだけ大量に食べても、私たち姉妹が寝静まった後で毎日元通りに食料は補充された。
しかも、毎回種類を少しずつ変えて飽きないように配慮までしてくれる。
痩せた私を心配しているのか、この部屋から出られない事に対する気遣いなのかは分からない。
毎日が食べ放題という自堕落的な生活を続けていると、いつしかあいつらへの恐怖も少しずつ薄れていった。
姉に影響され、同じ食生活をする様になると体重もみるみる増えていった。
姉の体重が七十キロを超えた時に「私、今日から痩せる!」とダイエットが宣言された。
姉のダイエットに巻き込まれて、この部屋には様々なルールが出来た。
朝ご飯は朝八時、昼ご飯は昼十二時、夜ご飯は夜八時、おやつは昼三時に決まった。
それ以外の時間に食べ物を口にするのは禁止になった。
ベッドの上で腹筋を毎日十回ずつやる事も決めたが、これは辛くて一日で辞めた。
一週間ほど二人で励まし合いながら頑張っていたが、テレビと食事しか娯楽の無い部屋で、その内の一つを制限するのは土台無理な話だった。
ある日、二段ベッドの下で夜中に目が覚めると、暗闇から「コキッ、コキッ」と奇妙な音が聞こえているのに気が付いた。
最初は気のせいだと思って寝ようとしたが、あまりにもハッキリと聞こえるため、怖くなり、部屋の電気を点けた。
台所の前で眩しそうに目を細める姉がそこにいた。
手にはピーナッツチョコレートを握りしめて、両頬はリスのように膨らんでいた。
「違うの、ピーナッツには、その、ゲホッゲホッ、睡眠の質を高める効果があるから、これはルール違反じゃないから」
よく分からない言い訳をする姉の横をすり抜け、流し台の下の棚からポテトチップの袋を取り出す。
「あっ、ダメだよ、ポテトチップは! ずるいよ、私も我慢してたのに。わっ、しかも私の一番好きなサワークリームオニオン味じゃん。ねぇ、ピーナッツチョコと少し交換しない?」
私達は笑い合い、その日でダイエットは終了した。
リバウンドだろうか、そもそもほとんど痩せてはいなかったが、とにかく以前よりも食欲が増加していた。
起きてすぐにお菓子を食べ始め、寝る直前まで口に頬張っていなければ満足出来なくなっていた。
夢の中でさえお菓子を食べながら姉と笑い合っていた。幸せだった、姉の事が大好きだった。
いつも優しい姉だったが、たまに夜寝る前になると「いつかこの部屋を出てやる、あいつらに復讐してやる」と呟く事があった。
私は姉と離ればなれになるのが怖くて、そんな事はしないでくれとお願いしていたが、最後まで決意が揺らぐ事は無かったようだ。
気付いたら、姉の体重は八十キロを超えていた。そして、この部屋から出て行った。
出て行く時に姉は全てを悟ったような顔で、最後に言葉を掛けてくれた。
「萌子はちゃんとダイエット頑張るんだよ」
それ以来、姉とは会えていない。