利き足の怪我が完治して、ようやく半地下の療養部屋から出られるようになった。
 改装が済んだ黒猫の新しい部屋は、加湿器から吹き出る霧が夢の続きを見せるように室内を霞ませていた。あちこちのインテリアからのLEDライトに照らされぼんやりと光る部屋は柔らかく、甘く、そして優しい。
 窓際にはたっぷりとした布が垂れ下がる、少女の夢みるような天蓋付きベッド。シーツは淡いピンク色をしてレース模様の大輪の花を咲かせている。蒼龍から貰ったテディベアを抱えて眠れば、毎日いい夢がみられそうだ。
 ユニコーンの時計が置かれたお洒落なドレッサー。スタンドライトとサイドテーブルにあるソファなんて読書に最適だ。床やソファにはハートや星、お菓子など可愛らしい形のクッションがたくさん置いてある。ふわふわのラグで昼寝している蒼龍は虎が寝そべっているようで何だか面白い。一枚扉を隔てた向こうには壁に取り付けられた棚にずらりと並ぶシャンプーとオイル、猫脚の付いた純白のバスタブが置かれた、繊細なタイル張りのバスルームがある。
 メルヘンとキュートで構成された、贅沢なドールハウスの世界だった。
 お金がないというより、他に欲しい物があったり当時の黒猫の家庭環境では高価すぎて諦めた物ばかりが集まっている。まるで女の子が一度は夢見る楽園を、リオンは現実に作ってくれた。いい匂いがして、綺麗で可愛い物に囲まれて一日中過ごせる。
 極め付きにインテリアの配置は黒猫の動きのパターンや癖を熟知して作られているので、彼女の行動が制限される事はない。そんな真似ができるのは、たった一人のためだけにこんな事ができるのは――。黒猫はこれが自分に捧げられた箱庭だと、数日過ごして気がついた。
 本当に黒狼家の妻という立場は居心地がいい。だが一方で怖くなる。外界に隔たれた美しい孤島に囲われてしまったのではないかと、時おり背中を不安が走るのだ。不自由も不便もない代わりに、自分では何もできなくなるのではないか……。

「君は何も心配しなくていい。全て私達に任せていればいいよ。世界で一番安全で、優しい場所を作ってあげるからね」

 穏やかに笑う世鷹の瞳が、彼の前で婚姻届けを書いたあの時と静かな不穏を滲ませて歪む。狂気的ともとれる程、高揚した場違いに明るい光が灯されている。抱きしめる腕も、頭を撫でる手つきも優しいのに。

「大丈夫、僕達を信じて」

 恐ろしい。やがてこの恐怖と違和感が、判らなくなる事が心底……。