ナナちゃん、瑠衣ちゃん、わたし。
 三人で行動することが増えたけど、わたしは基本的にふたりの一歩後ろを歩いていた。だけどこれは三人組ではよくあることだし、なによりナナちゃんと瑠衣ちゃんは中学校からの付き合いだったからわたしが余るのは仕方のないことだ。
 しょうがないよね、と自分に言い聞かせた。


 ――あまり、これやっといてくれない?
 ――ねえナナ、今日の放課後あそこ行こうよ。

 わたしは彼女たちにとってアンドロイドの次に都合のいい存在だったし、放課後の遊びに誘われることもなかった。ナナちゃんにうっすらと見下されていることも、瑠衣ちゃんに”余りもののあまり”と呼ばれていることものちに知った。
 それが、ナナちゃんたちがわたしに提示した、友だち像だった。

 そのことに気づいたときにはもう遅く、入学してから半年近く経っていた。
 今さら他のグループに入れてもらうことなんてできない。ひとりぼっちでいることも耐えられない。

 だから、わたしは必死だった。
 ナナちゃんと瑠衣ちゃんに嫌われないように、この居場所を失わないように、必死だった。

 なにもかも諦めたわたしが唯一執着していること。
 それが、友だちだったのかもしれない。

 だけど時折、すべて投げ捨てたい衝動に駆られる。
 蔑ろにされたとき、面倒事を押しつけられたとき、友だちってなんなんだろう、ってふと考えたとき。

 そんなとき、わたしは決まってそんな考えを打ち消して、こう思い直すようにしている。
 次こそは、この場所では上手くいく、って。

 そう、願わずにはいられない。