「やっぱり、お星さまの力はすごいな。私のクマちゃんを旅行に連れて、そして別のクマさんと出会うなんて、すごい、すごい」
 ミカはとても喜んでいた。優子もこの展開には驚いてしまう。それはまるで仕組まれていたかのようなドラマティックな演出すら感じてしまう。
「次はどこに行って、誰と会うんだろう」
 ミカは毎日がわくわくして楽しみで仕方がない。そんな明るい娘の様子を見ていて、優子も涙ぐんでしまう。色んな人のご厚意で奇跡が起こっている。有難い。
 だけどそんな気持ちが、ツイッターを見てすっと消えていく。
 ――ミカチャレンジって、なんかのやらせじゃないの? あまりにも出来すぎてるよね。
 ――あとで寄付を募ってきたりして。
 ――みんなの協力があるからできることなのに、ミカママって仕切って何様だよね。
 いい人がいれば、心無い言葉を掛けてくる者もいる。顔が見えないから、歯に衣着せぬ言い方だ。
「ママ、どうしたの?」
「ううん、なんでもないのよ」
 娘にはいい部分しか見せられない。SNSの威力は励ましにもなるし、落ち込みにもなる。嫌なことは無視をしよう。
<皆さん、いつもありがとうございます。写真のアップが楽しみで、ミカもとても喜んでいます。>
 書き込みと一緒にミカのかわいい元気な写真をアップした。
 すぐさまいいねが沢山ついていく。
 優子はそれに励まされ救われた。まさに一喜一憂だ。
 全体的には好意的なコメントで埋め尽くされているが、そこに例え一つの心無いコメントがあると、それが驚異的に全てをネガティブ思考に変えてしまう。
 沢山の嬉しい言葉よりもなぜほんのちょっとの嫌な言葉に翻弄されてしまうのだろう。
 心の奥に届きやすいSNSの言葉の難しさを感じていた。

 それから暫く順調に写真が投稿され、観光で有名な場所、美しい景色や美味しい食べ物といったものと一緒に様々な写真が登場した。そうされるのが当たり前に思っていた節があった。平和に事が起こることの方がとても珍しいことだったと気がついたのは、急にぱたりと投稿がなくなった時だった。
「最近、写真がないね。クマちゃん、今どこにいるんだろう」
 ミカの顔が曇り、心配になっていた。
 優子も不安になってくる。もしかしたらクマのぬいぐるみは故意に捨てられて紛失したかもしれない。そうじゃないことを願いながら優子は書き込んだ。
<今、クマのぬいぐるみはどこにいますか? 見かけた方はぜひ写真を撮ってアップして下さい。ミカが気にしております。どうかよろしくお願いします。>
 自分が書き込む度、ネガティブなコメントがつかないか少しドキドキしてしまう。
 でも杞憂だった。
 ――本当にどこにいるんだろう。私も会いたいです。
 ――大丈夫。クマちゃんはきっと移動中ですよ。
 ――今、誰がクマちゃんを持ってるの。早く旅行させてあげて。
 様々なコメントが付いた後、ようやく連絡が入った。
 ――これがあのクマのぬいぐるみかわからないのですが、二人の男性がもみ合って奪い合っているのを前に見ました。とりあえずその時の様子を撮影したのでアップします。
 距離があるが、行き交う人々の中で、二人の男性がクマのぬいぐるみを引っ張り合っている映像だった。それは十秒程度のもので詳細がよくわからない。一体何が起こっているのか、それをミカに見せていいものか優子は戸惑っていた。