翌日の営業は、すべての接客を誉と寿に任せてみることにした。結果、二人はしっかりと商品の説明もできていたし、ラッピングや会計なども安心して任せられるまでになっていた。
「来週から藤をオープンしましょう。開店して数日間はとても忙しいと思うけれど、私か瑠璃ちゃんがお手伝いするから安心してね」
「わかりました!」
「がんばりますっ!」
さっそく今夜から藤の店内設備を整えていくことにし、瑠璃とは生産体制についても話し合った。
Lupinus の営業、仕込みと商品作り、藤の開店準備と、とにかく忙しい日々を乗り越え、やっと開店の日を迎えた。
朝からたくさんのお客様が、初めて食べるチョコレートを楽しみに、そわそわしながら列を作っている。
「私たちもお手伝いするし、研修でやっていた通りにすれば大丈夫だからね」
「はい!ではオープンにしてきます!」
誉がドアにオープンの札をかけると、妖の姿のままだったり人の姿になっていたり、様々な見た目のお客様が次々と入ってくる。
寿と瑠璃は、チョコレートに興味はあるけど味がわからないと買いづらいと言うお客様に、試食用の小さなチョコレートを配ってまわる。
列の最後に並んでいた猫又の女の子に「いちごが入ってるのはありますか?」と聞かれた寿は、いちごジャムが入っているものをすすめている。
そのやりとりを聞いていた私は、あることを思いついた。あとで青王様に話しに行こう。
お客様が途切れることなくずっと忙しかったけれど、目立ったトラブルもなく、無事に初日の営業を終えた。
「疲れたけど、試食をした人たちがおいしいって言ってくれてなんだかうれしかったな~」
「そうだね。でも、苦くてあんまり食べられないって言う人もいたよね」
「うん。もうちょっと甘いのがいいって言ってたよ」
「それなら明日の試食用には、今日と同じものともう少し甘いものの二種類を用意するわ。両方食べてもらって、どちらが好みかがわかればおすすめしやすいでしょ」
人間と妖では味の好みが違うし、まして初めて見るものを口にするのは勇気がいることだと思う。安心して購入してもらうためにも、先に味を知ってもらうのは大事なことだろう。ほかに気づいたことなども話し合っていると、仕事を終えた青王様がやってきた。
「今日は珍しく忙しくて、初日なのに様子を見に来られなくてすまなかったね」
「いえ、お疲れさまでした。特にトラブルもありませんでしたし、二人ともしっかりしていて頼もしかったですよ」
「それならよかった。母上が夕食を準備しているから、片付けが終わったらみんなで戻っておいで」
そういうと青王様は茜様の手伝いをするからと、一足先に戻っていった。
「早く片付けましょう。もうおなかペコペコですぅ」
寿はおなかがすくと、わかりやすく元気がなくなる。
「もう少しがんばってね」
厨房がないぶん片付けも楽で、四人で分担すればあっという間に終わる。
「ただいま戻りました」
「おかえりなさい。みんなお疲れさま。さぁお食事にしましょう」
ダイニングにはホカホカの湯気をあげる衣笠丼が並んでいる。
おあげと九条ネギを甘辛く炊いて玉子でとじたこのメニューは、私の大好物だ。しかも茜様の得意料理なだけあって、彼女が作る衣笠丼はお出汁がきいていてやさしい甘さでいくらでも食べられる。
おいしいご飯をいただいておなかが満たされたら、もうなんにもしたくない。このまま眠ってしまいたいと思う。でも「仕込みが待ってますよ!」と瑠璃にむりやり立たされた。
茜様も「穂香ちゃん、片付けはわたしがするから大丈夫よ」と背中を押してくる。
「はい...ではお願いします」
「ではわたしも一緒に行って手伝おう」
「あ、そうだ青王様。店に戻ったらお話ししたいことがあります」
「ん?もしかしてあのことかな?」
え?あのことってなんのこと...?私が首をかしげていると
「ほら、王城でお菓子作りをしてほしいっていう」
あっ、忘れてた!まだ瑠璃ちゃんに相談してないよ...
「それはもう少し時間をください。とりあえず戻りましょう」
青王様とボンボンショコラを作りながら、営業中に思いついたことを話した。
「青王様の畑で、いちごやミニトマトを育てることはできますか?」
「大丈夫だよ。どちらも一週間もあれば収穫できるようになる。ほかに欲しいものはあるかい?」
「あとは種なしの巨峰があるとうれしいです」
「わかった。さっそく明日植えておこう」
「よろしくお願いします」
それにしても一週間で収穫できるなんて、あらためて青王様の力ってすごいなぁと思う。
仕込みが終わって青王様たちが王城に戻ると、やっと一日が終わる。結構疲れが溜まっているし、明日は瑠璃に藤のお手伝いをお願いしてあるから寝坊するわけにはいかない。
アラームを大音量でセットしたスマホと目覚まし時計を、歩いて行かないと止められない場所に置きベッドに潜り込んだ。
「よかったぁ、間に合った...」
「ギリギリでしたね。まさかまだ寝てるなんて思いませんでしたよ」
「起こしてくれてありがとう。助かったわ」
「一人で大丈夫ですか?寿をこっちに呼んだほうがいいと思うんですけど...」
瑠璃の心配はごもっともだ。
ベッドから出て目覚まし時計を止めたのに、その場で寝落ちしてしまった。その後も焦って階段を踏み外しそうになったところを瑠璃に支えられたり、厨房では何もないところで躓いてお砂糖をまき散らしたりと、朝から散々だった。ペンダントが反応して青王様を呼ばなかったのが不幸中の幸いだと思う。
「たしかに今日は、大丈夫って言っても説得力のかけらもないわね...」
「それじゃあこれ置いたら寿を連れて戻ってきますね」
瑠璃は藤に並べるお菓子を持っていき、すぐに寿と一緒に戻ってきた。
「瑠璃ちゃん、ありがとう。寿、今日はよろしくね」
「はい!しっかりお手伝いします!」
「こんにちは。ボタンの型のハイカカオチョコってありますか?」
「はい、ありますよ」
「よかった。お友達からこれを食べ始めてから肌が綺麗になったって聞いて来たの」
「ありがとうございます。効果は個人差があると思うので、様子をみながらお試しくださいね」
チョコレートは発酵食品だし、カカオに含まれるカカオポリフェノールは食物繊維が豊富だったり抗酸化作用を持っていたりする。そのため腸内環境を整えたりエイジングケア効果もあるのだ。
一袋五枚入りの、直径三センチ弱の薄いボタン型のチョコを渡し、
「薬ではないので効果はすぐに出ないと思いますが、こちらを一日一袋、数回に分けて召し上がってみてください」
「ありがとう。それじゃあ三袋いただくわ」
ほかのお菓子もチラチラと気にしながら、またゆっくり見に来ると言って帰っていった。
今日はたくさん購入されるお客様が多く、夕方にはケーキもボンボンショコラも売り切れてしまった。
「早いけど閉店にして、片付けたら藤にいきましょう」
「はい。あの、焼き菓子一つ買わせてください」
「おなかすいちゃったの?それならちょっとこっちに来て」
寿を厨房に連れていき保存バッグに入れたクッキーやフィナンシェを渡すと、もふもふの耳と尻尾がぴょこんと現れた。
「こっちの世界ではそのもふもふ、出しちゃダメよ」
寿はハッとしてすぐに耳と尻尾を隠した。
「私以外の人がいるところでは気をつけてね」
「はい、ごめんなさい...」
「うん。それは割れたり形が悪くて商品にならないものだから、遠慮しないで食べて。食べ終わったら店の片付けよろしくね」
...って言い終わる前に食べ始めてるけど、まあいいか。
私は先に厨房の片付けをして、おやつを食べた寿と一緒に店のほうも片付けたあと藤にやってきた。
「あ、穂香さん。今日はもう完売ですか?」
「そうなの。こっちももうすぐ完売しそうね」
ショーケースの中に残っているのは、チョコどらやきが二つだけ。それも店内にいたお客様が焼き菓子と共に購入し完売となった。
「さあ、みんなでササッと片付けちゃいましょう」
「穂香さん、ちょっといいですか?」
瑠璃が店の隅から手招きをしている。
「どうしたの?」
「誉が、開店して少しした頃に男の子が入ってきてすぐに出ていったって言ってたんですけど、それからさっきまでずっとその子が店の前をうろうろしてたんです。うまく化けててなかなかわからなかったんですけど、中身は鬼でした」
「鬼って...それは青王様に相談してみましょう」
それから片付けを終え王城にいくと「みんな、おかえり」と青王様が迎えてくれた。
「そうか。Lupinus に現れることはないと思うが、念のため両方の店に警備を増やそう」
ダイニングに入ると、まずは藤に現れた鬼のことを青王様に話した。
「ありがとうございます。明日は定休日で、明後日は私が藤に来るつもりです」
「だが明後日から数日、わたしは山形まで視察にいってしまうから、穂香はその間できればこちらに来ないほうがいいと思う」
「わたしが藤にいますから、穂香さんは Lupinus にいてください」
「わかったわ。そうする」
青王様も少し安心したような顔をしている。そこへ茜様がやってきた。
「あら~穂香ちゃん!来てるなら呼んでよ~。ねぇ、夕食一緒に作りましょう!青王、穂香ちゃん借りるわね~」
早く早く!と厨房まで私の背中を押していく茜様は、本当に楽しそうだ。青王様は困ったといった顔をしているけれど...
「今夜は煮込みハンバーグにしようと思ってるの。トマトソースで煮込むとおいしいのよね~」
「それでは私はハンバーグを作りますね」
「お願いね~」
ハンバーグを柔らかく仕上げるために、牛乳に浸した生パン粉とマヨネーズを少し混ぜる。よーく捏ねて小判型にしたら真ん中をへこませて焼き目をつけ、茜様が作ったトマトソースで煮込む。
「もうおいしそう!ソースの中にお野菜やきのこをたっぷり入れたから、あとは玉子スープでも作ればいいわね」
「それでは玉子スープ、作りますね」
茜様が白様を呼びにいくと、青王様がやってきて仕上げを手伝ってくれた。
「相変わらず強引ですまないね」
「いえ、大丈夫ですよ。茜様と一緒にお料理するの、楽しいですし」
「そうか。ありがとう」
「あぁおいし~!おかわりしてもいいですか?」
「あっ、ずるい!わたしもおかわり~!」
瑠璃も寿もすごい食欲だ。誉はちょっと呆れている。
「二人ともたくさん食べなさいね。青王はどうする?」
「それでは少しいただこうかな」
みんなおなかいっぱい食べて、誉と寿を帰らせたあと私は瑠璃と一緒に片付けをする。
「穂香さんは明日お出かけとかするんですか?」
「ええ、ちょっとお買い物にいこうと思ってるわ」
「のんびりしてきてください。あっ、ちゃんとペンダント持っていてくださいね」
「ええ、もちろん」
青王様は着物に合わせて帯の色を変えるから、組紐の色も合わせたらもっとおしゃれだと思う。だから今度は自分で作った組紐をプレゼントしたくて、宇治のお店へ道具を買いにいこうと思っているのだ。
部屋に戻ると、とにかく眠くてなにもしたくない。今日はもう休んで明日に備えようかな...
さっそく宇治の組紐のお店にいき、予約をしていた手組み体験で組紐の組み方を教えてもらったあと、道具一式を購入した。
組紐用の紐はたくさんの色があり、青王様の着物や帯の色を思い出しながらどの色にするかあれでもないこれでもないと迷っていると、あっという間に一時間以上が経っていた。
「ちょっと買いすぎたかな...」
どうしても選びきれなかったのと、おそろいの色で自分用の帯締めも作りたいと思ってしまったことで、たくさんの荷物を抱えて歩くことになった。
「せっかく来たんだからお参りして帰ろう」
のんびりお散歩をしながら宇治神社と宇治上神社をまわり、しっかりとお参りをした。
「組紐が上手に作れますように...青王様に気に入ってもらえるといいな」
「瑠璃、ちょっと穂香のところへいってくる」
「あ、穂香さんは今日お買い物にいくって言ってましたよ」
「そうか...」
「でも、夜には来ると思いますから、その時には会えますよ」
青王は残念そうにうつむきながら自室へ戻っていった。
「きっと穂香はもうすぐ帰ってくる」そう思った瑠璃は Lupinus の厨房で待っていることにした。
「あれ?明かりがついてる」
「穂香さん、おかえりなさい」
「あっ、瑠璃ちゃん、どうしたの?」
「さっき青王様がここに来ようとしていたんですけど、穂香さんはお買い物にいってるって伝えたら、なんだかしょんぼりしちゃって」
青王様が来ようとした理由はたぶん...と瑠璃が話してくれた。
「それならあとで持っていきましょう。瑠璃ちゃん、ちょっとお手伝いしてくれる?」
「もちろん!」
「青王様、明日からの視察のお供に持っていってください」
私はいろいろな味のボンボンショコラを作り、瑠璃に個包装にしてもらったものを青王様に渡した。
「ありがとう。じつは先ほど穂香のところへいこうとしたら、今日は買い物にいっていると瑠璃から聞いてね。明日持って行くためにチョコレートが欲しかったけれど諦めていたんだ」
青王様は視察にチョコレートを持っていきたいんだと思う、と瑠璃から聞いたので、ボンボンショコラを作り食べやすいように個包装にしたのだ。
「それならよかったです。気をつけていってきてくださいね」
私と瑠璃は仕込みがあるからと王城を出て、泉に寄ってから Lupinus に戻った。茜様から泉の水のことを聞いてからは、一日一回は必ずこちらへ来て水を口にするようにしている。
仕込みを終え瑠璃が王城へ戻ったあと組紐を作ることにした。少しだけと思っていたけれど、同じ動作の繰り返しで思っていた以上に無心になりかなり没頭していたらしく、気がつくと結構な時間が経っていた。仕事に影響が出ないようにしないといけないけれど、青王様が視察から戻って来るまでに仕上げたいと思う。
それからも私は毎晩王城や泉に通っていたけれど、例の男の子の姿をした鬼に出くわすことはなかった。出没するのは営業中の藤の周辺だけで、カカオの森でも見かけたという情報はない。
青王様が視察に出かけてから四日後、誉と一緒に閉店後の片付けをしているところへ瑠璃がやってきた。
「穂香さん、今夜青王様が帰ってきますから、王城でカレーを作って待ってましょうよ」
「そうね。せっかくだからデザートにチョコレートケーキを作ってもらえる?」
「いいですね!ケーキ用のチョコレートは少しビターにしてください。あと、かわいいデコレーションもしたいので、チョコペンも作ってください」
私は瑠璃からリクエストされた通り、ビターチョコと七色のチョコペンを作り王城へ向かった。
「穂香ちゃん、いらっしゃい!はい、これ。トマトもナスもいっぱい収穫しておいたからね~!早く作りましょう!」
王城の厨房では、籠いっぱいの野菜とともにやる気満々の茜様が待っていた。
いつものようにトマトのカレーとフルーツのサラダを作り、準備が整ったところへタイミングよく青王様が帰ってきた。
「ただいま。穂香、なにか変わったことはなかったかい?怖い思いや怪我なんかもしてないか?」
「ちょっ...青王様!とりあえず離してもらえませんか」
「いやだ。ぜったいに離さない!」
青王様は帰って来るなり私をギュッと抱きしめ頭をなでてきた。みんなが見ているのに恥ずかしすぎる!
私の困惑した顔を見た茜様が「青王、穂香ちゃんが困っているわよ。そろそろ離してあげなさい」と助け船を出してくれた。
「あ...すまない。何日も会えなくて心配だったから、つい」
「変わったことも怖いこともありませんでしたよ。ほら、みんな待ってますから夕食にしましょう」
「今夜はカレーか。帰って来たときからいい香りがしている」
「食後にデザートもあるので、あまり満腹にしないでくださいね」
「うわぁ!かわいい!」
「食べちゃうの、もったいないわぁ」
瑠璃が作ったチョコレートケーキは本当に手が込んでいてかわいらしく、寿と茜様はお皿を持ち上げいろいろな角度から眺めている。
「スポンジがふわもちでおいしい!瑠璃ちゃんはどんどん腕を磨いているわね」
「穂香さんのお店に来るお客様に、笑顔になってほしいんです。そのためにパティシエールとしても座敷童子としても、もっとがんばりますよ~」
「ありがとう。私も負けられないわね」
みんなおなかいっぱいになり幸せな笑顔で「ごちそうさま」をすると、瑠璃が片付けを引き受けてくれたので、私は青王様に山形視察のお話を聞くことにした。
将棋の駒の形をしたとても大きなオブジェがある広場にいったとか、普通のもりそばを注文したのに山盛りのそばが運ばれてきて、これが普通盛りだと言われて驚いたとか...
いままで見たこともないものをいろいろ口にしたけれど、その中でも一番気に入ったものがあるそうだ。
「芋煮というものがおいしかったんだ。店ごとに少しずつ味が違うんだが、基本的には甘辛い醤油味だった」
「芋煮って、ニュースで見たことがあります。家族や友達同士で、河原で作って食べるんです。あれはおいしそうだなって思ってました」
「それなら今度一緒に山形を旅行しよう!芋煮以外にもおいしいものがたくさんあったし、温泉もあるし...その...」
青王様の耳がどんどん赤くなっていく。
「り、旅行はそのうちに...私、芋煮の作り方を調べておくので、明日の夕食に作りましょう。お手伝いしてくださいね」
「それは楽しみだ。いくらでも手伝うよ!」
旅行の話から青王様の気をそらすことに成功した私は「少しやることがあるので、今日はもう帰りますね」と家に戻ってきた。
結局組紐は青王様が戻ってくるまでには仕上げられなかった。でもせっかく作るのだから青王様に喜んでほしくて、歪んだりしないよう焦らず丁寧に組んでいった。
それでももう少しでできあがる。明日には渡せるように深夜までかかって仕上げをした。
「できた!」
初めてにしては綺麗に仕上がったと思う。早く渡したいという気持ちを抑えて、約束の芋煮の作り方を調べ、うっすら明るくなってきた空を見ながら少しだけ仮眠することにした。
「あのね、青王様から王城でお菓子作りをするようにしてほしい、って言われたの。厨房の設備もちゃんと揃えるからって。瑠璃ちゃんはどうするのがいいと思う?」
この前青王様に言われたことにそろそろ返事をしないといけないだろうと思い、瑠璃の意見も聞いてみた。でも、瑠璃の答えはこうだったのだ。
「えっと、たぶん青王様は、穂香さんに生活の拠点ごと王城に移してほしいっていう思いも込めてそう言ったんだと思うんです。だから、穂香さんがどうするか決めるべきですよ」
私はこの家をとても気に入っている。仕事が終われば誰にも邪魔をされることなく、一人でのんびり自由に過ごせるから。
だけど、王城で青王様や茜様たちと一緒に過ごすことが、本当に楽しくて幸せな時間だということも知っている。
「厨房は王城のほうが広くて使いやすいと思うの。だけど...」
「穂香さん、どうしても決められないなら、一週間ぐらい王城で過ごしてみたらどうでしょう?やっぱりこっちのほうがいいと思ったらすぐに戻ってこられるんだし」
「そうね...しばらく空良が使ってた部屋で過ごしてみようかな...」
「はい。でも無理して空良様のお部屋を使わなくても、別のお部屋をすぐに用意しますよ?」
「ありがとう。だけど空良の部屋で大丈夫よ」
そこへ青王様が大きな籠を抱えてやってきた。
「穂香、できたよ!」
「うわぁすごい!おいしそう」
籠の中には紫と緑のぶどう、真っ赤ないちごとミニトマト。それからつやつやのさくらんぼが入っていた。
「今収穫してきたばかりだよ」
「ありがとうございます。食べてみても...」
「甘~い!おいしい!」
私が青王様と話している隙に、瑠璃がいちごとさくらんぼを頬張っている。
寿は瑠璃からいちごを手渡され、ちょっと困惑している。食べてもいいのかと迷っているようだ。
「まったく瑠璃は...」
はぁ、と大きなため息をつく青王様の横で、今度は両手にぶどうを掴んでいる。
「あの青王様、まだ時間ありますか?」
「大丈夫だよ」
「それなら少し待っていてください」
私は果物を一粒ずつ味見したあと、ホワイトとビターのチョコレートを用意して、いちごと紫のぶどうを丁寧に薄くチョココーティングしていった。
「これ、食べてみてください」
ビターチョコでコーティングしたいちごを一口で頬張ると、青王様は「おいしい…」と目をまん丸にして驚いている。
青王様が育てた果物は本当に甘くてジューシーで、苦みのあるビターチョコととてもよく合う。
「すぐにもっと収穫してくるから、たくさん作って店に並べるといい」
「はい、ぜひそうさせてください」
青王様が京陽へ戻ると、瑠璃はいちご大福にすると言って求肥と餡を作り始めた。
「今日の夕食は王城で作るから、片付けが終わったらすぐに戻ってね」
「はい、わかりました!」
私はできあがったお菓子を抱えて藤へ向かった。
今日は私と誉が藤の店番をする日だ。お菓子を並べていると誉が「あ、またいる」と店の外を見つめている。
男の子の姿をした鬼は、開店待ちのお客様に紛れて店の前をうろうろしていた。
私は初めてその鬼に遭遇した。瑠璃が言っていたとおり本当にうまく化けていて、よく見ないと妖だと見破るのは難しいと思う。
時間になったので警戒しながら開店したけれど、鬼は店の中には入ってこない。
「何が目的なのかしら...」
「うーん...でもいつ入ってくるかわからないので、穂香さんはなるべく店の奥にいてください」
「誉も気をつけてね」
「はい」とうなずき、いつも通りに接客をしていく。
それは一瞬の出来事だった。
店内にお客様がいなくなった瞬間鬼が店内に入ってきて、入り口の扉が勢いよく閉まったと同時に誉が倒れた。
「誉!!」
私はなんとか誉を抱き起こしたけれど、一人ではそれ以上動かすことができない。
「その狐は眠ってるだけだから大丈夫。それよりお姉ちゃん、僕にもチョコレートちょうだい」
鬼は見た目に違わぬ子どもの声で話しかけてきた。
「こんなことしないで普通にお買い物に来てくれればいいのに」
「僕にお金を払えって言うの?まだ僕がだれだかわからないの?」
「え...?」
鬼...あっ、加悦!
空良は子どもの頃、鬼にいじめられていた。理由はわからないけれどいつも目の敵にしてくる子どもの鬼。空良を見つけると必ず追いかけ回してきて、追いつくと叩いたり突き飛ばしたりしてくる。でもなぜか神社に逃げ込むとそれ以上はついてこなかった。
「空良、やっと思い出してくれた?いつも追いかけっこして遊んであげてたのに、僕になにも言わず嫁入りなんかしちゃってさ。しかもいつの間にかいなくなったりして」
「加悦!あなたに遊んでもらってた覚えはないわ。あれはいじめって言うのよ」
「違う!あんなに仲良く遊んでたのに!」
あぁ、あれか...
好きな子の気を引きたいけどどうすればいいかわからなくていじめちゃうやつ。
「私は仲良くしてたつもりはない。お買い物をするんじゃなかったら出て行ってくれる?」
「なんでだよ!友達だと思ってたのに!空良のことが好きだったのに...」
「あんなことしたら嫌われるに決まってるでしょ。早く誉を起こして出て行って!」
私はあの頃の嫌だった気持ちを思いだして、つい大声を出してしまった。すると加悦は悔しそうな顔をして走って出て行ってしまった。
「ちょっと、待ちなさいよ!」
どうしよう。誉は眠ったままだ。
あれ?そういえばペンダントも懐中時計も光ったのに二人とも来てくれない。しかも警備の鬼たちまで。もしかして誰にもこの状況が伝わってないってこと?
とりあえず店を閉めて、誉を連れて王城へ戻ることにした。
「青王様、誉が!」
「穂香、なにがあった?落ち着いて説明して」
藤で起こったことをすべて話すと青王様は「なんだ、あいつだったのか」なんて言いながら誉を抱きかかえ頭に手をかざし何かをつぶやいた。すると誉はすぐに目を覚まし、キョロキョロとまわりを見回して驚いた顔をしている。
「誉、気分は悪くないか?」
「え?あ、はい、大丈夫です」
青王様が誉に加悦のことを話すと「そんなのただのいじめっ子じゃないですか!」と怒っている。
「でも、ペンダントは光ったのにどうして青王様に知らせが届かなかったんでしょう」
「加悦が得意とするのは変化の術と結界術。あいつが張る結界の力はとても強いんだ。だからペンダントの力が結界を越えられなかった。でもそのほかの力はとても弱い。誉にかけたのは瑠璃でも簡単に解ける程度の催眠術だ」
誉が無事だったのはよかった。だけど藤に張られた結界はどうなるんだろう。そう考えていたら「加悦は自分がいる場所にしか結界が張れないから、もう藤の結界は消えているよ」と教えてくれた。
「また来たらめんどくさいな...」
「まぁしばらくは姿を見せないと思うが、もし来ても今日のように追い払えばいい。穂香には手を出さないだろうから」
私たちが藤へ戻ると、外にはたくさんのお客様が待っていた。
その後二時間程度でお菓子は完売してしまったので、私たちは一度伏見へいき、スーパーで買い物をして王城へ向かった。
「青王様、戻りました。これから芋煮を作りましょう。お手伝いしてくださいね」
「おかえり。すぐに準備してくる!」
うれしそうな顔で走っていく青王様を見送り、私は離れに移動し茜様に声をかけた。
「穂香ちゃ~ん!わざわざ呼びに来てくれたの?今日は何を作るの?」
「芋煮というお料理を作ります。青王様も準備万端で待ってると思うので早く厨房にいきましょう」
茜様の手を握り懐中時計に声をかけ厨房に移動すると、目の前には見慣れない姿の青王様が立っていた。
襟元がレースと刺繍で装飾された、なんともかわいらしい割烹着を着ている。
「これ、いいだろう。穂香と母上のぶんもあるから早く着てみて」
手渡された割烹着は、刺繍の柄がみんな少しずつ違う。
「まぁ!ふふふ、青王にこんな趣味があったなんて」
青王様は「や…やっと戻ってきた幸せな時間なんだ。揃いの割烹着ぐらいあってもいいじゃないか」と耳を真っ赤にしている。
青王様に一緒に料理をするのが幸せな時間だと思ってもらえているなら、私も幸せだ。
「ありがとうございます。それじゃあさっそく作りましょう」
青王様にはこんにゃくを一口大にちぎってもらい、茜様には長ネギを斜めに厚めに切ってもらう。私はそのあいだに里芋を洗い布巾に並べておく。
「次は里芋の皮をむこう」と包丁を握った青王様。
「濡れていると滑りやすいので、よく乾いたものからお願いします」と言うと、それを聞いていた誉が、狐火を照らして乾かしてくれた。
「誉、ありがとう。そうだ、瑠璃ちゃんたちのお手伝いにいってくれる?」
「わかりました」
私は青王様に少し抜けると声をかけ、誉を Lupinus へ送っていった。誉と寿は自分の力ではこちらと人間の世界を行き来できないのだ。
三人で里芋の皮をむき、特大鍋に水を張り里芋とこんにゃくを入れる。
煮立ったら酒と砂糖を入れて灰汁を取り、醤油を入れて里芋が柔らかくなるまで煮る。
長ネギ、牛肉、それと舞茸をほぐしながら入れてもう一度灰汁を取って味を整え、牛肉に火が通ったらできあがり。牛肉や長ネギを煮過ぎないのがコツらしい。
「おぉ!これだよ、山形で食べた芋煮は。ありがとう、穂香」
「ただいま~。うわぁいいにおい!」
ちょうどできあがり、味見をしているところへ瑠璃たちが戻ってきた。
茜様が白様を呼びにいっているあいだに、芋煮と炊きたてご飯を準備する。
「いただきま~す!」
「うわぁこれおいしい!お肉やわらか~い」
みんな、見たこともない料理に興味津々でさっそくお椀に口をつけると、ほっこり幸せそうな笑顔を見せた。
「知らない料理を作るのって結構大変なのよ。それでもこんなにおいしく作れるなんて、穂香ちゃんが料理上手でよかったわね、青王」
「あ、ああ...」
「青王様ったら照れちゃって。顔が真っ赤ですよ~」
「こら、瑠璃!」
穂香は子どもの頃、あたたかいご飯は食べさせてもらっていたけど、こんなふうに賑やかで楽しく食卓を囲んだことがなかった。
だから今、こうしてみんなでわいわいと食事をできることがとても幸せだと実感している。
「やっぱりこっちに来ようかな...」
「ん?穂香、どうした?」
「あ、いえ...えっと私、王城の厨房でお菓子作りしようと思います。それと、ここに引っ越してきてもいいですか?」
みんなが驚いた顔で私のほうを見つめている。
「あ、すみません。無理にとは言わないので...」
「穂香!いいのか?本当に来てくれるのかい?」
「穂香ちゃん、無理してない?」
「私、ここに来たいです。お願いします!」
青王様は真っ赤な顔をしてプルプル震え、茜様は「そう言ってもらえてうれしいわ」と目頭を押さえている。白様も笑顔で迎え入れてくれてホッとしたら、勝手に涙が流れてしまった。
「それならさっそく厨房の準備をしないと。それと、穂香の部屋はどうしようか。やっぱりわたしの部屋と隣同士がいいかな。なんなら一緒の部屋でも...」
「ちょっと青王様、落ち着いてください。とりあえずお食事しましょう」
あらためて食事を始めると、誉も寿も青王様もたくさんおかわりしてくれた。
それでも、たっぷり作った芋煮は鍋にまだ半分ほど残っている。
「茜様、冷蔵庫に入れたいので少し冷ましていただけますか?」
「ええ、ちょっと離れていてね」
茜様が、凍らないように調整しながら手をかざすと、鍋はあっという間に冷めてしまった。
「これは明日リメイクをして夕食にいただきましょう」
「なににリメイクするの?こっそり教えてよ~」
「カレーにしたらおいしいかなと思って。いつものトマトのカレーとは全然違う味で、新鮮に感じるんじゃないかな...と」
「おいしそうね!おなかいっぱいだけど今すぐにでも食べたいわ」
楽しそうにしている茜様を見ていると、私も明るい気持ちになってくる。
「二人とも、なんだか楽しそうだね」
「あっ、青王様。茜様とお話するのはとても楽しいですよ」
「ふーん...」
あれ?なんかいじけちゃったかな?
「青王様、これからちょっと Lupinus へ一緒にいってもらえますか?」
「もちろん!」
茜様に挨拶をしてすぐに Lupinus へ戻ると、青王様は突然ギュッと抱きしめてきた。
「穂香、今日はありがとう。王城へ来ると言ってもらえてとてもうれしかった。もうぜったいに離さない。なにがあっても穂香を守ると約束するよ」
「ありがとうございます。私も青王様から離れません」
これでもかと言うほど私の頭をなで回した青王様は「加悦の結界に負けないように強化しよう」と、私の胸元にあるペンダントを握りしめなにかをつぶやく。すると、ペンダントが青王様の手の中で強い光を放ち、その光は私の体を包み込んだ。
「これでよし」
その後お茶を飲みながら王城の厨房に用意してほしいものや引っ越しの時期についてなどを話し合った。
私は持ち物が少なく、家と王城をほんの数回往復すればすべての荷物を移動させることができるだろう。引っ越しは数時間で完了すると伝えた瞬間、青王様が目をキラキラ輝かせ「それなら今から引っ越して、それで明日にでも結婚しよう!」と手を握ってきて、私は心底驚き絶句した。
「あの...私はまだまだチョコレートを作りたいです。仕事に専念したいんです。だから結婚のお話は...」
「結婚しても今と同じように仕事をすればいい。むしろ、藤は王妃が営む菓子店だと話題になって、ますます繁盛するんじゃないか?」
「でも、青王様のお手伝いをすることが王妃の勤めだと思うので」
「京陽国民を笑顔にするのが穂香の仕事だよ。でも穂香の助けが必要なときには声をかけるから、その時は王妃としてわたしの力になってもらえたらうれしい」
今この場で決められるような話ではないので、少し考える時間がほしいと伝えると、青王様は残っていたお茶を飲み干し「いい返事がもらえるとうれしい」と、私の頬に手をあてそっと口づけをして王城へ戻っていった。
空良もやりたいことを自由にやらせてもらっていた。白王様が危険だと判断したことは止められたけれど、掟など特になんの縛りもなくのびのびと過ごしていた。
それはこれからも変わらないだろう。
「もう迷ってないで青王様と結婚してもいいのかな...」
ベッドの中でそう思ったとき、いつかも聞いた脳内に直接語りかけるような声が響いた。
『大丈夫。あの人のそばにいれば、あなたはずっと幸せでいられるから』
藤を誉と寿の二人だけに任せられるようになったので、翌日は久しぶりに瑠璃と一緒に Lupinus の店番をしていた。すると「ハイカカオチョコってありますか?」「ハイカカオチョコ五袋ください」と朝からハイカカオチョコを求めるお客様が列を作っている。
「どうしてこんなに?」
「最近はチョコレートを話題にした番組とか見てませんけど...」
あたふたしているところへ常連のお客様がやってきて教えてくれた。
「 SNS で見たのよ。ほらこの書き込み見て」
目の前に差し出された画面には『毎日少しずつハイカカオチョコを食べてたら肌荒れが気にならなくなったよ〜。それにおなかの調子もいいみたい。伏見稲荷近くの Lupinus っていうお店のチョコがおいしくてお気に入り!』と、チョコレートの写真付きの記事が表示されていた。
「なるほど...」
しかもすごい数のいいねと『今日買いにいこうかな』『仕事帰りでも残ってるかなぁ』などたくさんのコメントがついている。たぶん、少なくてもこれから数日間はハイカカオチョコを求めるお客様が増えるだろう。
けれど今朝コンチングを終えたチョコレートの分でカカオ豆の在庫はなくなっている。予定よりもたくさんのチョコレートを作るとなると、少しでも早く次のコンチングを始める必要がある。
「瑠璃ちゃん、ちょっとカカオの森へいってくるわ。すぐに戻るから」
私はいそいで保存してあるカカオ豆を持ってきて焙炒を始めた。
「穂香さん、ハイカカオチョコがあと五袋しかありません。どうしますか?」
「すぐに作るわ。でも固まるまでは少し時間が必要...あっ!茜様を呼んできてもらえる?」
「わかりました!いってきます」
茜様の力を借りれば、あっという間に固めることができる。型にチョコレートを流し入れ準備をしているところへ茜様と一緒に瑠璃が戻ってきた。
「茜様、すみません...」
「いいのよ。穂香ちゃんのためだもの~。あ、これを固めればいいのね」
茜様は「いつも食べているぐらいの固さでいいのよね」と言って、低すぎない温度で丁寧に冷やしていった。できあがったチョコのラッピングを瑠璃に任せ接客をしていると、残っていたハイカカオチョコもすぐに売り切れてしまい、もうすぐできると伝えると店内で待つと言うお客様が続出した。
「いらっしゃい...ませ」
え...どうして?青王様が術をかけて、この人はもうここへ来られないようにしてくれたはずなのに。
「 SNS で見たんだけど、ハイカカオチョコはあるかな?」
「えっ...と、まもなくお出しできますので少々お待ちいただけますか」
「それじゃほかのお菓子を見ながら待たせてもらうよ」
厨房では心配そうな顔の瑠璃と不安そうな顔の茜様がこちらの様子をうかがっている。
二人に「大丈夫です」と声をかけると、瑠璃は「もうここには入れないはずなのに。でもなんかこの前と様子が違うような...とりあえず青王様を呼んできます」と王城へ戻っていった。
「穂香ちゃん、はいこれ。ラッピング終わった分ね。わたしもお店のほうにいきましょうか?」
「ありがとうございます。一人で大丈夫です。危ないと思ったらすぐに逃げて来ますから」
たくさんのチョコレートが乗ったトレーを茜様から受け取り「おまたせしました」と、できあがりを待っていたお客様に渡していく。
「穂香さん、交代しますね」
青王様を連れて戻ってきた瑠璃が交代してくれたので、私は追加のチョコレートを作りに厨房へ。
「青王様、商品がまだ足りなそうなんです。私はもう少し作るので瑠璃ちゃんとオーナーの様子を見ていてください」
青王様は小さくうなずき店のほうを覗いている。
「茜様、もう少しお手伝いお願いできますか?」
「もちろんよ~。どうせならわたしもここで働かせてもらおうかしら」
「そんなことしたら私が白様に怒られちゃいます」
「怒ったりしないわよ。あっ、今はチョコレート作らないとね」
私たちはおしゃべりをやめハイカカオチョコを作り続けた。
「すみません、もう少しお待ちいただけますか?」
「だったら先にこのキャラメルクリームのボンボンショコラを一つもらおうかな。ちょっと味見してみたくて」
「はい、かしこまりました」
瑠璃がボンボンショコラを一粒小さな透明の袋に入れると、オーナーは「封はしなくていいよ。今すぐ外で食べちゃうから」と袋を受け取り、店の前でチョコレートを頬張った。
「おまたせしてすみませんでした」
店内で待っていた二名のお客様が店を出るのと入れ替えに、オーナーがゆっくり戻ってきた。
瑠璃は、指先の震えを必死に抑える私をかばうように前に出る。青王様も厨房の中で、何かあったらすぐに出てこられるよう構えているようだ。
「とてもおいしいチョコレートだった。それに、キャラメルクリームはなんだか懐かしい感じがしたんだ。ハイカカオチョコのほかに、ボンボンショコラを全種類一つずつもらおうかな」
「はい、すぐご用意しますね」
瑠璃が目で合図をしてきたので、私は恐々とレジの前に立ち会計をした。
「今度はケーキを買いにくるよ」
「はい、お待ちしています。ありがとうございました」
オーナーが出ていくと私は体の力が抜けてしまい、倒れそうになったところを青王様が支えてくれた。
それでもなんとか追加のチョコレートを作り閉店までがんばると、片付けもそこそこに王城へ向かった。
「茜様、閉店までお手伝いさせてしまってすみませんでした」
「いいのよ~。わたしは穂香ちゃんとチョコレート作りができてうれしかったわ。さあ、夕食の準備を始めましょう」
「はい。今日は残りの芋煮にカレールウを入れるだけなので、あとはご飯を炊いてサラダを作るだけですね」
誉たちも戻ってきて、みんなでわいわいと夕食を食べる。二キロ分のお米を炊いたのに、七人であっという間に平らげてしまった。
「おいしかった~。また作ってください!」
「わたしはずっと芋煮と芋煮カレーの繰り返しでもいいな」
「青王ったら子どもみたいなことを言って。せっかく料理上手の穂香ちゃんがいるんだから、ほかにもおいしいお料理をたくさん食べさせてもらいましょうよ。ね、穂香ちゃん?」
「はい、いろいろ作りますから茜様も青王様もお手伝いしてくださいね」
「もちろん」とうなずいてくれた茜様。青王様は「わたしと穂香の二人だけで作ってもいいんだよ?」なんて言っている。
「あらあら、ふふふ。穂香ちゃん、子どもみたいで大変だと思うけれど青王をよろしくね」
みんなが青王様と私を交互に見ている。は、恥ずかしい...
片付けを瑠璃に任せて、青王様と一緒に家に戻ってきた。
「どうしてオーナーが店に入れたんでしょうか。それにペンダントも反応しませんでしたし」
「以前とは態度が全然違って穏やかな雰囲気だったから、ペンダントが危険だと判断しなかったんだろう。それに、穂香のことを認識していないようだったからあの男にかけた術は効いていると思う。きっとペンダントと同じように建物にかけた結界の術があの男を危険人物だと判断しなかったんだろう」
私のことを思い出さず、ただ普通に買い物をして帰ってくれるならかまわない。でも、もしまた罵声を浴びせられたら、と思うと不安でしかたない。
「できれば結界を強化したいところだが、そうするとほかの客にも影響するかもしれないから...今後またあの男が店に来たら今日のようにすぐに呼びに来ればいい。もし瑠璃がいなくても、穂香だって一瞬で私のところに来られるだろう」
「はい、わかりました。ありがとうございます」
青王様は「穂香はわたしが絶対に守るから」と、私の頭をやさしくなでた。
「私、明日は早朝からやることがあるのでそろそろ休みますね」
「早朝から?」
「はい、今コンチング中なんですけど、それが終わるのが明け方ぐらいなんです。終わったらすぐに作業したいので」
ん?なんだか期待に満ちた目をしている気がする...
「あの...お手伝いしたいっていう顔してますね」
青王様はうんうんと大きくうなずいている。
「やっぱり...うーん、では瑠璃ちゃんが来るまでお手伝いしてください。朝五時ごろに来てくださいね」
「わかった。おやすみ」
やさしく口づけをすると、スキップでもしそうな勢いでうれしそうに戻っていった。
「穂香、おはよう」
「おはよ...うございます」
テンパリングを終えたチョコレートを、ボールに移しているところで声をかけられ振り向くと、そこには割烹着を着て三角巾で頭を覆った青王様がにこにこしながら立っていた。
「えっと...三角巾までつけているとどこかの食堂のおかあさんみたいですね」
「初めて芋煮を食べた山形の店の女将さんもこんな感じだったな。あ、そういえばマスクもしていた」
「へぇ...」
私が着たら指先まで隠れてもまだあまりそうなほど長い袖も、青王様にはだいぶ短くて、それがなんとも滑稽で、何度見ても笑いそうになる。だけど、青王様はこの割烹着が気に入っているようだから笑ったりしたら落ち込んでしまうだろう。でも笑いを堪えるの、つらい...
「今日はハイカカオチョコをたくさん作ります。この型の中にこのくらいずつチョコを流していってください」
ボタンの形の型に絞り袋でチョコを流し入れながら説明すると、青王様は「気をつけないと溢れそうだ」と言いながら真剣な表情を浮かべ慎重に作業を始めた。
二人で七十袋分のハイカカオチョコを作り終えると、青王様はボンボンショコラも作りたいと言う。
期待に満ちた顔でお願いされてしまい、すぐに調理台に材料を並べると青王様は慣れた手つきでボンボンショコラを作り始めた。
「もう完璧ですね」
「これなら従業員として雇ってもらえるかな?」
「なに言ってるんですか。従業員になったら、お手伝いじゃなくてお仕事ですよ」
青王様は「しまった!」という顔でこちらを見つめている。
「ふふふ、これからもお手伝いしてくださいね」
「穂香のためならなんでも手伝うよ」
私は笑顔でうなずき作業を再開すると、すぐに瑠璃がやってきた。
「おはようございます」
「おはよう。いつもより早いけど、どうしたの?」
「藤のほうでいちご大福五十個の予約が入っていて。青王様、なんだかすごい格好してますね...えっと、お願いしておいたいちごはどこですか?」
「あっ、すっかり忘れていた。すぐに収穫してくるよ」
「ちょっと待ってください」
バタバタと割烹着を脱いでいる青王様を呼び止め「私も使いたいのでたくさん収穫してきてください。瑠璃ちゃんも一緒にいってきてね」と声をかけ瑠璃に大きな籠を渡した。
二人を見送り、瑠璃から「これ、お願いします」と渡されたメモを確認すると、そこには瑠璃が今日作る予定のお菓子とそのレシピが書いてあった。
私はそれぞれのレシピに合わせたチョコレートを準備していく。
「戻りました!」
「おかえりなさい。うわぁすごい!」
真っ赤で大粒のいちごが山盛りに詰まった籠からは、甘くておいしそうな香りが漂ってくる。
「食べ頃のものが思ったよりたくさんあったんだ。少し取っておいて、あとでそのまま食べるといい」
「はい、そうします!」
「穂香さん、チョコの準備ありがとうございます」
私はコクンとうなずき、あっという間に元の割烹着姿になった青王様に「それでは続きをお願いします」と声をかけ、三人で黙々とお菓子作りを進めた。
お菓子を一通り作り終えると、青王様と瑠璃はたくさんのお菓子を抱え藤に向かった。
今日は私と寿が Lupinus の店番をする。瑠璃が寿を連れて戻って来るのを待ちながら開店準備をしていると、目の前に四人の人影が現れた。
「またあの男が来ると心配だからね」
「チョコレートが足りなくなっても、すぐに固めてあげるからね~」
「...ということなので、わたしは藤に戻ります!」
瑠璃は「わたしは青王様に連れていくように言われただけですからね!」と、逃げるように戻っていった。
「穂香さん、おはようございます。わたしは商品を並べてますね」
寿はサッとその場を離れ冷蔵ケースにケーキを並べ始めた。
「わたしは瑠璃に連れていってほしいと頼んだんだ。決して命令したわけではないから」
「青王様、なんだか目が泳いでますけど...」
きっと瑠璃に無理矢理ついてきたんだろう。青王様はとても過保護だから、きっと何を言ってもここに居座るんだろうな。たぶん本当の目的はお手伝いだと思うけど...
だけど、本音を言えば二人のお手伝いはとてもありがたい。
「わかりました。商品が足りなくなった時はお手伝いお願いしますね」
「もちろん!」
「わたしたちは邪魔にならないところにいるからね~」
そう言って厨房の奥にある椅子に座った二人。それにしても、割烹着に三角巾姿だと場違いというか、ここにいるととても違和感がある...
ハイカカオチョコは想定をはるかに上回る売れ行きで、午前中にボンボンショコラまで品薄になってしまった。青王様と茜様にお手伝いをお願いして追加のチョコレート作りをしていると、十四時を過ぎた頃にオーナーがやって来た。
「昨日購入したチョコレートがとてもおいしかったから、ぜひショコラティエさんとお話をしたいんだけど」
「私がここのショコラティエですが」
「ああ、あなたがこのチョコを作ってるんだ。ここで使ってるカカオ豆って、もしかしてチュアオ?」
「それは企業秘密です」
「そうか...俺はパティシエやってて、今度東京に店を出すんだ。君の腕は確かだし、もしよかったら俺の店に来てもらえないかな?」
その時、ワイシャツにスラックス姿でエプロンをした青王様が厨房から顔を出し「オーナー、二号店から電話ですよ」と声をかけてきた。
振り向いた私の耳元で「寿と一緒に厨房にいって、穂香は電話に出ているフリをして」とささやき私たちを避難させてくれた。
「彼女がここのオーナーなの?」
「そうですよ」
「なんだ、そうなのか...あ、ねぇ、君はこの店で使ってるカカオ豆の産地、知ってる?」
「それは企業秘密なのでお伝えできません」
「やっぱりだめか。それじゃ今日はザッハトルテを一つもらうよ」
「かしこまりました」
電話を耳に当てながら青王様の様子をうかがっていると、慣れた手つきでラッピングと会計をしている。今まで接客をお願いしたことなんてないはずなのに...
オーナーが退店したのを確認し店へ出ると、青王様が「大丈夫かい?」とそっと背中をなでてくれた。
「態度はいいとは言えないけれど、初めて来たときのような攻撃性は感じなかった。でもあの感じだとまた来るだろうな」
「何度か来るうちに私のことを思い出したりしないでしょうか。私が空良のことを思い出したみたいに...」
「術は効いているからそう簡単には思い出さないはずだよ。だけどこれからしばらくは穂香がここにいたほうがいい。もしあの男が来たときに穂香がいなかったら、瑠璃たちから二号店のことを聞き出そうとするだろうからね。さっきわたしが二号店から電話だと言ってしまったから」
ということは、またオーナーと顔を合わせる可能性が高いということ。怒鳴られなかったとしても何度もしつこく言われたら「言うことを聞かなければ...」と思ってしまいそうで怖い。
「穂香、ちょっと手を握らせてもらうよ」
青王様はそう言って私の両手をギュッと握り「うん」とうなずいた。
「え?」
「わたしもここにいるから大丈夫だよ。次にあの男が来たらしっかり記憶を消してやろう。その時は穂香の力を借りるために手を握らせてもらうからね」
「私の力...」
青王様が言う私の力とはなんなのか、それをどう利用するのか、まったくわからない。だけど、せっかくオーナーから逃れてここまで来たのだから、もうこれ以上邪魔されたくない。
「青王様、お願いします。もうオーナーが来ないようにしてください!」
閉店後、王城で夕食をいただき、カカオの森ですねこすりたちをなでて遊んでいると、突然目の前に瑠璃が現れた。
「穂香さん、白様がお話をしたいそうなんですけど、これからお部屋にいってもいいですか?ここだといつ青王様に見つかるかわからないですから」
「白様が?...まぁたしかに青王様がいるとゆっくりお話できないかも。それじゃあ先に帰っているから厨房のほうに来てね」
「わかりました」
すねこすりたちに「またね」と声をかけ伏見に帰り、厨房でお茶の準備をしていると、背中でなにかがゴソゴソと動いた。
「えっ、なに?!」
いそいでパーカーを脱ぐと、フードの中から一匹のすねこすりがぴょこんと顔を出した。
「あれ?なんで?」
そっと抱き上げると、すねこすりはきょとんとした顔でこちらを見つめている。どうやらフードの中で遊んでいるうちに眠ってしまったようだ。
普通の動物を厨房に入れることはできないけれど、この子たちはもふもふなのに毛が抜けたりしないから、まあいいかな...
「こんばんは穂香さん。こんな時間にすまないね」
「いえ、大丈夫ですよ」
「あれ?その子どうしたんですか?」
「フードの中で寝てたみたい。気づかなくて連れてきちゃった」
ササッと紅茶を淹れた瑠璃が「お話のあいだ、わたしが抱いてますね」と私の腕の中からそっと受け取った。
「白様、なにかありましたか?」
「穂香さんに少しお願いがあってね。茜のことなんだが...空良妃がいなくなってからずっと、表では明るく振る舞っていても、やっぱりどこか寂しそうだったんだ。でも穂香さんが来てから毎日とても活き活きと心から楽しそうにしている。もし穂香さんがよければ、茜にお菓子作りの手伝いをさせてやってもらえないだろうか」
「あの、私、白様と茜様にあの頃と同じように接してもらえて、帰ってきたんだなぁって感じがして、本当に嬉しかったんです。茜様とお料理をするのだってとても楽しくて。だから...ありがとうございます。私から茜様にお手伝いのお願いしてみますね」
「よかった、頼んだよ。それと、青王のことなんだけどね。彼は王位を継いでからこれまで王妃なしで一人で京陽を守ってきた。周りに弱みを見せず、寂しさを紛らわすため仕事に没頭し、わたしたちを含め城内の妖ともあまり会話をしない。そんな彼を見ているのが辛かった。だけどある時から様子が変わったんだ。顔つきがやさしくなったというか...きっとその頃こちらの世界で穂香さんを見つけたんだろうな」
「白様、青王様は私のことを絶対に守ると言ってくれました。私ももう青王様から離れないとお約束したんです。だからこれからは青王様が笑顔でいられるように、わたしがそばで支えていきます」
白様は涙を浮かべ「ありがとう」と何度も頭を下げた。自身も辛い思いをしながら、ずっと茜様を支え青王様の心配をしてきた白様は、やっとあの頃と同じやさしい笑顔を見せてくれた。
それから二日後、またオーナーがやって来た。
「このチョコ、やっぱりチュアオだよね?ねぇ、どこから仕入れてるのか教えてよ」
「企業秘密なので...」
「それじゃあやっぱりうちの店に来てよ。ここより東京のほうが客も多いし、君の腕があればすぐに人気店になれるからさ」
これ以上拒否を続けたらまた怒鳴られる。そう思うと声も出せなくなっていた私の隣に青王様がやってきて「そろそろ追い払おう」と耳元でささやきギュッと手を握った。
「ほかのお客様のご迷惑になりますから」
青王様はオーナーに向かってそう言うと、人差し指を唇に当てフーッと息を吐いた。するとオーナーは「あれ?ここどこだ?」と店内をキョロキョロと見回し始めた。
「お客様。なにかありましたか?」
「あ、いや...」
「出口はあちらですよ」
オーナーは「おじゃましました」と、青王様が指差すほうへ向かっていき、ドアの前で「駅ってどっちですか?」と振り向いた。
青王様も外に出ていき、駅までの道のりを説明しているようだ。
二人をボーッと眺めていると、厨房から出てきた瑠璃が「大丈夫ですか」と背中をさすってくれた。
「あ、ごめん大丈夫」
「お客様、待ってますよ」
気づくと会計待ちのお客様が数名、心配そうな顔でこちらを見ている。
「すみません、おまたせしました」
瑠璃と手分けをして接客をしていると、戻ってきた青王様が「ちょっと王城に戻るよ」と言い残し厨房の奥へ入っていった。
チョコレートもケーキも完売したため少し早めに閉店し片付けをしているところへ、青王様がやってきて真剣な顔で一言。
「穂香、これから引っ越しておいで」
「え......こ、これから?!」
一瞬なにを言われたのか理解できなかった。
「明日は休みだろう?機材は揃ったから一緒に厨房の整備をしよう」
本当は明日、青王様を誘ってお出かけしようと思っていたんだけど...
「わかりました。それではここの厨房のお掃除、お手伝いしてくださいね」
「もちろんなんでも手伝うよ!」
すると瑠璃が「掃除はわたしたちでやりますから、穂香さんはお部屋の片付けをしたらどうでしょう」と提案してくれた。
「そうね。そのほうが早くお引っ越しの準備ができるわね」
「この箱を使うといい。掃除が終わったら手伝いにいくよ」そう言って、組み立て前の段ボール箱をいくつかと粘着テープを渡してきた。
「とりあえずすぐに使う物だけでいいかな」
いつでも簡単に戻って来られるし、一度に全部持っていかなくても困らない。
あっという間に荷造りは終わり、部屋の掃除も終わるころ青王様たちがやってきた。
「穂香、厨房のほうは終わったよ。なにか手伝うことはあるかい?」
「お疲れ様でした。私のほうもこれで終わりです」
「うん。穂香は空良の部屋とわたしの隣の部屋、どちらを使いたい?どちらもすぐに使えるようにしてあるから、好きなほうへ移動するといい」
私は今まで空良の部屋でいいと思っていた。でも、やっぱり青王様の隣の部屋を使わせてもらうことにした。
「わかりました。それではいきますね」
「うわぁすごい!素敵です!」
木目が美しい家具で統一されたその部屋は、あたたかな空気に包まれたホッと落ちつく場所だった。
「気に入ってもらえたかな。穂香がゆっくりできるようにと、母上が一緒に整えてくれたんだ。まぁ穂香がこの部屋を選んでくれるかはわからなかったが」
「ありがとうございます。空良の部屋にはお着物もたくさんありますし、大切な物を置く場所として使わせてください」
「どちらの部屋も穂香の好きなように使うといいよ」
「さあさあ青王様、穂香さんも、そろそろダイニングにいきましょう。茜様が夕食の準備をしてくれてますから」
「あら~穂香ちゃんいらっしゃい!お部屋はどうだった?これからここが穂香ちゃんの家だからね。なにかあったらすぐにわたしに相談してね!」
「茜様、素敵なお部屋を準備していただいてありがとうございます。これからよろしくお願いします」
「穂香ちゃん、おかえりなさい」
茜様は「うれしいわ」と私をそっと抱きしめ背中をポンポンとなでた。
翌日、朝から厨房の整備をし、午後から青王様とお出かけすることにした。
「あとでわたしが着る着物を選んでもらえないかな」
「わかりました。ちょっと準備してからお部屋にいきますね」
「ああ、待っているよ」
私は空良の部屋の箪笥の中から、流水の地模様が入った藍色の着物を選び、空色の帯に藍と金の帯締めを合わせた。
「お待たせしました」
「その着物...」
「はい。空良のお気に入りだったものです」
青王様は「よく似合うよ」と、そっと頬をなでた。
「あ、えっと、お着物選びましょうか」
私は青王様の箪笥の中から、露草色の着物と瑠璃色の帯を選んだ。
「廊下で待っているので着替えたら呼んでくださいね」
「ここにいてもいいのに...」
私は聞こえないフリをして廊下に出た。頬をなでられてから、ずっとドキドキして顔が熱くて大変だったのに、着替えているところに一緒にいるなんてとんでもない...
「穂香、できたよ」
ボーッとしているところへ声をかけられ、飛び上がるほど驚いてしまい、落ち着くために深呼吸をしてから部屋に入った。
「穂香と同じ色合いだね。揃いの感じでうれしいよ。ありがとう」
「あ、あとこれも...」
私は、藍と金の紐で組んだ組紐を差し出し「よかったらこれで髪を結んでください」と手渡した。
少し前に出来上がっていたけれど、自分の帯締めも仕上げてから渡そうと思い、今まで渡さずにいたのだ。
「これは私が組みました。この帯締めとお揃いです」
「穂香の手作り...しかもお揃い...」
青王様の様子が突然おかしくなった。耳まで真っ赤な顔をして組紐をみつめ、身体を小刻みに震わせている。
「あ、あの、大丈夫ですか?」
パッと私の顔を見た青王様は、コホンと咳払いをし「すまない、少し取り乱した」とつぶやきながら私から目をそらした。
「まさか手作りの贈り物をもらえるなんて思っていなかったから、本当に嬉しくて。危うく白龍の姿になるところだったよ」
「あはは...よろこんでいただけてよかったです」
私の作った物が原因で王城の壁が破壊されるところだった。次からは渡す場所を考えないと...
「髪、結びますね」
青王様から組紐を受け取り、絹のように艶々さらさらな髪を後ろで一つにまとめた。
「できました」と、合わせ鏡にして後ろ姿を見せると「こうして着物と色を合わせるのも素敵だね。ありがとう、穂香」と頭をそっとなでてくれた。
「そろそろ出かけようか。今日はどこかいきたいところがあるのかい?」
「すみません、特にいきたいところはないんです。ただのんびりお散歩ができれば...」
青王様はしばらく「うーん」と考えると
「では、わたしの買い物に付き合ってくれるかい?」
「はい、もちろん」
わたしたちはまず懐中時計を使って伏見の家に移動し、伏見稲荷駅から祇園四条駅まで京阪電車に乗り、八坂神社、高台寺、そして二年坂を手をつないでのんびり歩いた。すると青王様が「ここだよ」と、一件のお店の前で足を止めた。
中に入ると、手ぬぐいや簪などの和雑貨が所狭しと並んでいる。
青王様はしばらく店内を見渡すと、私の手を引き、がまぐちが並ぶ棚の前までやって来た。
「賽銭用の小銭を入れておこうと思ってね。ええと、これなんかどうだろう」
青王様は藤の花の柄の小さながまぐちを手に取った。
「素敵ですね。いいと思いますよ」
「ではこれにしよう。あとは...」
今度は根付の棚を眺めると、丸い銀色の水琴鈴が付いたものを一つずつ振りながら音を確かめている。
「これがいいな。では会計をしてくるから、穂香は店内を見ているといい」
「では、手ぬぐいのところにいますね」
「うん」
今まで手ぬぐいをじっくり見ることはなかったけれど、伝統的なものから現代風のものまで様々な柄がある。それに、正方形の手ぬぐいを結びつけてバッグのようにできる持ち手なんていうものも。これなら着物の色や柄に合わせて選べていいかも。
また今度見に来ようかな、と考えているところへ青王様が戻って来た。
「おまたせ。なにかいいものは見つかったかな?」
「あ、いえ。また今度改めて来てみようと思います」
「そうか。それじゃあ帰ろうか」
私たちはまた手をつなぎ、来たときと同じ道をのんびり戻っていく。
伏見の家に着き、お茶を飲んで一息つくと、私は気になっていたことを聞いてみることにした。
「この前、オーナーが来たとき、私の手を握ってなにか確かめていましたよね?青王様は納得したような感じでしたけど、あれってなにを確かめたんですか?」
「ああ、あれはね、穂香の妖力を見ていたんだよ。泉の水を摂取するようになってある程度の時間が過ぎたし、そろそろ空良の魂の力が戻ってきているだろうと思ってね」
「空良の魂の力...」
「穂香が王城へ初めて来たころは、妖たちに姿を消すか人間の姿になるように言い聞かせていたけれど、それができないすねこすりたちの姿は見えていただろう?でも、普通の人間には妖自身がわざわざ姿を見せようとしないかぎり、見えることはない。つまり、穂香には初めから妖が見える程度の妖力があったということだ。そこへ泉の水を摂取して、空良の魂の力をさらに引き出した」
それが茜様が言っていた「青王様と同じ性質を持つようになる」ということ?
「それじゃあオーナーの記憶を消すと言って手を握られていたとき、身体全体があたたかいなにかに包まれた感じがしたのは、私の中の妖力を使ったからですか?」
「そうだよ。空良の魂の力は、今ではもう穂香自身の力になっている。あの男から穂香の記憶を消すとき、その対象である穂香自身の力を使えば、より強固な術になるからね」
そうか...私は本当に青王様に近い存在になってきているんだ。あとは「青王様の子をおなかに宿す」って言ってたけど、それはまだちょっと無理かな...
「穂香?どうした?なんだか顔が赤い」
「えっ!あ、なんでもないです。大丈夫です」
「それならいいが。そうだ、これは穂香に」
青王様は小さなピンク色の包みを私の手のひらに乗せた。
「これは?」
「開けてごらん」
そっと包みを開くと、さっき青王様が選んでいたがまぐちが出てきた。しかもがまぐちの中からシャラン、と水琴鈴まで顔を出した。
「これって青王様が選んでいたがまぐち...」
青王様は「わたしとお揃いだよ」と、着物の袂から同じ物を出して見せた。
「ここに根付を付けてがまぐちを帯に挟むんだよ」
そう言って、私の帯にがまぐちを挟んだ。帯の外に水琴鈴が下がり、シャラシャラとやさしい音が響いた。
「ありがとうございます。青王様とお揃い、うれしいです」
「そ、そうか。よかった」
耳を真っ赤にした青王様は「これから伏見稲荷へお参りにいこう」と、自分のがまぐちに小銭を入れ始めた。
私も同じように小銭を入れ「奥社までいきましょうね」と声をかけた。