座敷童子のパティシエールとあやかしの国のチョコレート

「おはようございます!よろしくお願いしますっ!」
「お願いします!」
元気よくやってきた二人にエプロンを渡すと、さっそく瑠璃が付けかたを教えていた。後輩ができたことがうれしいようで、とても張り切っている。
「穂香、瑠璃、二人のことは頼んだよ」
「はい。安心して(ふじ)を任せられるようにしっかり育てますね」
青王様は一つうなずき、厨房の奥にある椅子に腰掛けた。

「レジや冷蔵ケース、それに棚の位置とか、藤でも同じ機材を使ってできる限りここと同じレイアウトにするわ。だからここでしっかりできるようになれば、あとはただ店の場所が変わるだけだから困ることはないと思うの」
「はい。がんばって覚えます!」
「それじゃあ瑠璃ちゃんは寿(ひさ)にいろいろ教えてあげてね。(ほまれ)には私が教えるわ」
それぞれ挨拶をし、開店の準備を始めた。

まずは品出しから。
瑠璃たちは焼き菓子などの棚に並べる商品を、私たちはケーキなどの冷蔵ケースに入れる商品を持ち厨房を出る。
寿は商品名の札と商品の組み合わせをしっかり確認しながら、間違えのないよう慎重に並べている。
対して誉は手際よくどんどん並べていく。以前働いていた和菓子屋さんでは、寿は品出しをしたことがなかったと誉が教えてくれた。
「これで品出しは終わり。会計や箱詰めは実際に接客しながら教えるわ。それじゃ開店しましょう」

一度にたくさんのお客様が入ることはなく、それぞれに会計と箱詰めを教えることができた。レジの使い方が少し難しかったようだけど、やっているうちに覚えられるだろう。
「少し早いけど、完売しちゃったから閉店にしましょう。ある程度片付けたら王城に行って夕食にしましょうね」
寿は「やった~!もうおなかペコペコですぅ」とおなかをさすっている。
「わたしは先に戻ってトマトとナスを収穫しておくよ」
青王様は「母上も楽しみに待っているよ」と言って戻っていった。


「ただいま戻りました」
「誉、寿、おかえり。穂香も瑠璃もお疲れさま」
「お待たせしました。さっそくカレーを作りましょう。誉と寿は今日の復習をしながら待っててね」
青王様は「穂香、ちょっと...」と私を呼び止めると「さっきからその辺りを母上がウロウロと歩き回っている。気をつけて」と耳元でささやいた。
「気をつけて...って?」

厨房に向かって歩いていると、うしろからドタバタと足音が近づいてきて突然抱きつかれ転びそうになった。
...なるほど、そういうことだったか...
「穂香ちゃ~ん、いらっしゃい!待ってたのよ~。一緒にカレー作りましょうね~」
「あ、茜様、こんばんは。今日はよろしくお願いします」
茜様は私の腕をガシッとつかみ「もう離さないわよ~」と楽しそうに小躍(こおど)りしながら歩いている。
歓迎していただけるのはとてもありがたい。でも今の私が青王様の妃になることはないのだから、もしそれを期待されているとしたら...と思うと心がチクチクと痛む。

「すごい!おいしそうなトマトがいっぱいですね」
「青王ったら毎日毎日『おいしくそだ...』」
「母上!それ以上は言わないでくれ!」
青王様が真っ赤な顔をしてめちゃくちゃ焦っている。きっと畑で野菜たちに話しかけているところを茜様に見られたのだろう。
実は空良の時に何度も目撃していたけれど、あえて知らないふりをしていたのだ。そうやって野菜の世話をしている時の青王太子様が、とてもやさしくて幸せそうな顔をしていたから。
私は青王様に「湯むき、お願いします」とトマトを手渡した。
「瑠璃ちゃんはご飯を炊いてね。それからサラダ用のフルーツのカットも」
「はい!」
「茜様、私たちはタマネギを切って炒めましょう」
「ふふ、こうしているとあの頃を思い出すわぁ。なつかしいわね」
「そうですね。あの頃は楽しかったなぁ...」
でももう戻れないんだと思ったら胸の辺りがキュッとなった。

茜様がタマネギを炒めてくれているあいだに、私はナスと青王様が湯むきをしてくれたトマトを大きめに切っていく。
あとは隠し味であるバナナを、丁寧に裏ごししピューレにする。

私は小さい頃からトマトとナスが入ったカレーが大好きで、よくおばあちゃんに作ってもらっていた。だけどおばあちゃんのカレーにも、大きくなり自分で作るようになってからも、一度もバナナが入ることはなかった。
でも先日青王様と一緒にトマトのカレーを作ったとき、前世の記憶と共にこの隠し味のことも思い出した。それからは私もこの隠し味を入れるようになったのだ。

「できた!瑠璃ちゃん、誉たちを呼んできてもらえる?」
「父上はわたしが呼んでくるよ」
「はい、お願いします」
茜様と二人でカレーとサラダを盛り付けテーブルの準備が整ったころ、丁度みんながダイニングに集まった。
「いただきます!」
このカレーを初めて食べる誉と寿は、おいしいと言いながら夢中になって食べている。
「空良妃と同じ味だね。なつかしいなぁ」
「ええ、本当に。作りかたも隠し味もあの頃と同じだった。穂香ちゃん、また一緒にお料理ができてうれしいわ」
「ありがとうございます」
「ねぇ穂香ちゃん、またここでみんな一緒に暮らさない?」
「え...?」
それが叶うならどんなに幸せか...でも私は青王様の妃にはなれない。
だけど瑠璃のように、王城に住み込みでお手伝いをしながらお店のこともできるかな...
この際だから王城で雇ってもらうとか?
...って、私なに考えてるの?!
「穂香...穂香?」
「あ!はい、すみません...」
「穂香ちゃんがいてくれたらわたしも楽しいし、なによりあなたたちはお互いに惹かれあってるんでしょ?見ていればわかるわよ」
「母上!突然なにを言うんですか!穂香が困っているじゃないか」
私は驚きで声も出ない。青王様に自分の気持ちを伝えることはできないのに、茜様にはこの気持ちに気づかれていた。瑠璃にも見ていればわかると言われていたし、ちょっと青王様に馴れ馴れしくしすぎたかな...
ん?お互いに、ってどういうこと?
「だって~、二人で話してるときの穂香ちゃんはキラキラしてるし、青王はやさしい顔をしてるし、幸せオーラがにじみ出てるもの~」
青王様と私は顔を見合わせ固まってしまった。
「ほら~やっぱり~。二人とも顔が真っ赤よ。恥ずかしがってないで、ちゃんと気持ちは伝えなきゃダメよ」
「母上...」
私は恥ずかしさと、この気持ちは心に留めておかなければいけないという思いで頭の中がごちゃごちゃになって、涙があふれてしまった。
「ごめんなさい、私...」
どうしたらいいのかわからなくて、ダイニングを飛び出してしまった。
「一度部屋に戻って落ち着こう...」
「青王、ごめんなさい。穂香ちゃんの気持ちも考えないであんなことを言ってしまって」
「穂香は自分が人間であることを気にしている。半妖だった空良でさえあんなに気にしていたんだから」
「もうここへは来てくれない、なんてことないわよね...」
「どうだろうな。とりあえず穂香の様子を見てくる」
瑠璃に、事態を飲み込めないでいる誉たちに説明するよう指示し、青王は穂香のもとへ向かった。

「大丈夫かい?」
「青王様...取り乱してしまってすみませんでした」
「穂香、わたしは穂香のことをとても大切に思っている。できることならずっと抱きしめていたい。穂香が人間であることを気にしているのはわかっている。でも本当の気持ちを聞かせてほしい。どうか話してはもらえないだろうか」
青王様の綺麗な水色の瞳が、とても不安げに揺れている。
今、本当の気持ちを言ってしまったら青王様を困らせてしまう。でも、私のことを大切だと言ってくれた青王様に、その気持ちには応えられないと言ったら悲しませてしまうかもしれない。
やっと止まりかけた涙がまた流れ始めうつむく私の頭をなでながら「落ち着いてからでかまわないから」とやさしく声をかけてくれる青王様。

『穂香、大丈夫よ。この人ならあなたを絶対に大切にしてくれるわ。自分の気持ちに素直になりなさい』
顔を上げられないでいると、脳内に直接語りかけるような声が響いた。どこかで聞いたことがあるようで懐かしい、でも誰だかわからない、(おだ)やかで澄んだ安心感のある声。

「わ、私...青王様のことが好きです。初めは空良の気持ちを思い出しているだけだと思っていました。でも、ちゃんと今の私の気持ちなんだ、って気がつきました。ただ、私は人間だから...」
「穂香、ありがとう」
私を笑顔でぎゅっと抱きしめるこの人の腕の中は、なんて暖かくて安心できる場所なんだろう。ずっと帰りたかったところへやっと帰ってこられたんだと思ったら、だけどこれで青王様を困らせてしまうかもしれないと思ったら、また涙が溢れて止まらなくなってしまった。

青王様は私が顔を上げるまで、何も言わずずっと抱きしめてくれていた。
「少し落ち着いたかい?」
「はい...あっ!」
「どうした?」
突然我に返ってしまった。ムードもなにもあったもんじゃないな...
「すみません...茜様に謝らないと。それに明日の仕込みもしないと」
青王様は驚いた顔をしながらも「母上には明日の夜にでも会いに行けばいい。わたしは穂香ともう少し話したかったが...次の休みにでもまた二人で出かけようか」と笑顔を見せてくれた。
「お出かけしたときには、私が思っていることをちゃんとお話しします」
「わかった。どこかゆっくりできるところで話そう。では、わたしは王城に戻って瑠璃を来させるよ。穂香は厨房で待っているといい」
「ありがとうございます。おやすみなさい」
青王様は私の頭をポンポンとなで「おやすみ」と帰って行った。

厨房へ入るとちょうど瑠璃もやってきた。
「穂香さん、大丈夫ですか?」
「瑠璃ちゃん、びっくりさせてごめんなさい。もう大丈夫よ」
「よかった。夕食、あんまり食べてなかったからおなかすいてませんか?カレー持って来たので、よかったら仕込みの前に食べてください」
トレーに乗せたカレーとフルーツサラダをテーブルに置き、冷たい麦茶を淹れてくれた。
「ありがとう、いただくわね。瑠璃ちゃんは仕込み始めてて」
「はーい」

絶対に言ってはいけないと思っていたのに、突然降ってきた誰かの声に背中を押され勢いで言ってしまった本当の気持ち。それを聞いた青王様が笑顔を見せてくれたことで少しホッとしたけれど、やっぱりまだ不安や迷いは消えない。

「穂香さん、わたしのほうは終わりました」
「お疲れさま。こっちももう終わるから瑠璃ちゃんは戻って大丈夫よ」
「はい。お疲れさまでした」
瑠璃が戻ったあと、私は明日茜様に持って行こうと思い、たくさんのボンボンショコラを作った。ほんの少し悪戯(いたずら)をしかけて...


「おはようございます!」
「おはよう。二人とも、昨日はビックリさせてごめんなさい。今日も研修頑張ってね」
「はーい!」
瑠璃が、(ほまれ)寿(ひさ)に昨日の出来事に至るまでの経緯を説明したと言っていた。それでも今日二人はいつも通りに、何事もなかったかのように接してくれた。
「穂香さん、今日はわたしたちが冷蔵ケースのほうの品出ししますね」
「よろしくね」

今日はお客様が多くて忙しかったけれど、二人はしっかり接客ができていた。この調子なら安心して(ふじ)を任せることができそうだ。

「お疲れさま。私も王城に行く用事があるからみんなで戻りましょう」
ボンボンショコラが詰まった箱を持ち王城へ戻ると、青王様と白様、茜様が出迎えてくれた。
「白様、茜様、昨日は取り乱してしまってすみませんでした」
「穂香ちゃんは悪くないわ。わたしはあなたの気持ちも考えずに思ったことをそのまま口にしてしまった。軽率だったわ。本当にごめんなさい」
「あ、あの、もう大丈夫ですから」
深く頭を下げる茜様に恐縮してしまい、私はあたふたするばかり...
格上の人にこんな風に謝られたらどうしていいかわからない。
「えっと...ボンボンショコラを持ってきました。みんなでお茶にしませんか?」
「紅茶、淹れてきますね!」
瑠璃が厨房へ走って行く。その後ろを「お手伝いします」と寿が追いかける。
「穂香ちゃん、ありがとう。お茶の後に二人だけで少しお話できるかしら?」
「はい、大丈夫です」

「紅茶の準備ができました。ダイニングへどうぞ!」
ボンボンショコラを大皿に並べると、私はみんなに説明した。
「今日はロシアンルーレットにしました!」
みんなの頭の上に「?」が浮かんでいる。
「この中に二つだけ、唐辛子が入っているものがあります。でも人間の世界には実際に唐辛子や胡椒が入っているチョコレートが売っているので、特におかしなものではありません」
「それを選んだらアタリなのかな?それともハズレかな?」
「うーん...それは、もし白様がそれをおいしいと思ったらアタリ、まずいと思ったらハズレ、ではないでしょうか」
「なるほど。そう言われればたしかにそうだね」
青王様と瑠璃はワクワクした表情で、ほかのみんなは息をのんで慎重に選んでいる。
ちなみに私が選んでしまったらおもしろくないので、だれも気づかない程度の目印をつけてある。
それぞれ選んだボンボンショコラを持ち、一斉に一口かじる。

一つ目、二つ目はだれも唐辛子を引かなかった。そして三つ目...
口に入れしばらくすると、青王様と茜様が同時に動きを止めた。
「うっ、辛っ!ん?...でもおいしいな」
「辛いけれど、これはこれでありね!」
意外にも二人にはアタリだったようだ。
「わたしにとってはアタリなのかハズレなのか、気になる...」
「穂香さん、わたしも食べてみたいです!」
「白様、瑠璃ちゃんも、きっとそう言うと思ってちゃんと持ってきていますよ」
私は別の大皿に全部同じ形のボンボンショコラをいくつも並べ
「なにも印がないものが唐辛子、白い粒が乗っているのが胡椒、それからホワイトチョコにはワサビが入っています」
「ワサビって、あのツーンとするワサビ?」
「茜様、そのワサビです」

とにかくみんな、まずは唐辛子のものを一口。これは全員アタリだったようだ。
次に胡椒のものをかじると、誉と寿にはハズレで青王様には大アタリだった。「ピリッとしたあとにくる爽やかな感じがいい!」そうだ。
最後にワサビのもの。あまり刺激が強くないようにワサビは少なめにしてある。それにこれはホワイトチョコなので、苦みはなく甘さが強い。
「これおいしい!穂香さん、これは店にも並べませんか?」
「そうね、ワサビと唐辛子を並べてみましょうか。実は私もワサビチョコが好きなのよ」

それからしばらくわいわいとおしゃべりをしていると、茜様が私だけに見えるようにテーブルの下で廊下を指さした。
私はそっと廊下へ出て、少しすると茜様もダイニングを抜け出してきた。
「青王に見つからないように離れに行きたいのだけど」
「それなら懐中時計を使って行きましょう」
コソコソと話し、離れに移動してくると茜様のお部屋に案内された。
「二人だけで話したかったの。青王がいるとまたなにか言われるかなぁ、と思って」
「ふふ、内容によっては怒られそうですし」
「そうよね。別に悪口を言っているわけではないのにね。あっ、わたしたちがいないことに気づいたら探しに来ると思うから、伝えたかったことを先に話しちゃうわね」
椅子に座ると「お茶も出さずにごめんなさいね」と言って話し始めた。
「穂香ちゃんは、自分が人間であることを気にして本当の気持ちを言えないでいたのよね。だけどね、白様や青王は妖というより神に近い存在なのは知っているでしょ。純粋な人間である穂香ちゃんは、その神に近い青王が力を注いでいる泉の水を飲み続け、そして青王の子をおなかに宿すことで青王と同じ性質を持つ、つまり青王と同じような神に近い存在になるのよ」
「え...だったら空良は...」
「空良妃は半妖とはいえ妖の性質を持つ存在だった。自分は半妖だから青王よりはるかに寿命が短いっていつも気にしていたでしょ。だけどいくら泉の水を飲んでいても子を宿したとしても半妖であることは変わらない。だからこのことを空良妃には言わなかったの。変われるのは純粋な人間だけなのよ。わたしだって青王を産んでも妖であることに変わりはない。いつかは白様を一人にしてしまうときが来るわ」
「そんな...」
「そんな顔しないで。まだまだずっと先のことなんだから。それより、穂香ちゃんの悩みはこれで解消されたかしら?」
「えっと...」
なんて言えばいいのかわからない。私が青王様の子を宿すとか、神に近い存在になるとか、ちょっと想像が追いつかない。
でも青王様は子どもが欲しいといつも言っていた。空良はその願いを叶えることができなかったけど、もし私がそれを叶えられれば青王様にとても喜んでもらえるだろう。
青王様には笑顔でいてほしい。ずっと幸せでいてほしい。
「青王様もそのことは知っているんですよね?」
「もちろん。でも、穂香ちゃんの気持ちがはっきりわからないから、伝えることができずにいるみたい」
「そうですか。茜様、ありがとうございました。私、青王様に自分の気持ちをしっかり伝えます」
茜様は笑顔でうなずき「王城まで歩いて戻りましょう。なにか言われたら、星を眺めていたことにすればいいわ」そう言いながら離れを出る。今夜は満天の星だ。
王城へ戻る途中すねこすりたちが集まってきた。茜様は先に戻り、私はこの子たちを思いっきりなでまわした。「ほのか~もっとなでて~」とすり寄ってくるもふもふは、とにかくかわいくて癒やされる。
「穂香、楽しそうだね」
「あっ、青王様!一緒にもふもふしませんか?癒やされますよ~」
「おまえたち、わたしもなでていいかな?」
すねこすりたちは返事の代わりに青王様にすり寄って行った。
私たちはすねこすりたちと存分に遊び、みんながカカオの森へ帰るのを見送っていると、ふと目が合いそのまましばらく見つめ合ってしまった。
どうしよう、どんどん顔が熱くなっていくのがわかる。なんだかドキドキする...
すると青王様は「わたしは穂香をなでまわしたい...」なんてつぶやいた。
「はっ!?なに言ってるんですか!」
心臓がパンクしそうなほどドキドキして息が苦しい。青王様ってこんな冗談を言うような人だったっけ?
「もう!早く王城へ戻りましょう!」
「あ、いや...つい...すまなかった。そんなに怒らないでくれ」
私は聞こえないふりをして早足で王城へ戻り、何事もなかったような顔でダイニングへ入ると、すぐに瑠璃が声をかけてきた。
「穂香さん、どこ行ってたんですか?なんか顔が赤いですよ」
「茜様と星を眺めて、戻る途中ですねこすりたちと会ってね、思いっきりなでまわしてきたの」
「そ、そうですか...紅茶、淹れなおしますね」
「ハニーミルクティーにしてもらってもいい?」
「わかりました。少し甘めに淹れますね」

瑠璃が淹れるミルクティーは、ホッとする優しい甘さで心が落ち着く。
「明日お休みだから、青王様とちゃんとお話してみようかな...」そう思い、どこに行こうか考えた。静かでのんびりできるところってどこだろう?
「青王様、先ほどはすみませんでした。えっと、明日店はお休みなので、もしお時間があればお出かけしませんか?」
「え、あぁ大丈夫だよ。からかったりしてすまなかったね。いや、からかったわけではなくてその...穂香が...」
どんどん声が小さくなっていく青王様。半分ぐらいしか聞き取れなかった。
「え?」
「な、なんでもない。どこか行きたいところはあるかい?」
「この前の宇治公園もいいんですけど、糺の森(ただすのもり)をお散歩するのも気持ちがいいかなと思って。でも、ゆっくりお話ができればどこでもいいんです」
「それなら糺の森に行こうか。十時頃に迎えに行くから」
「はい、お待ちしてます」

瑠璃が残りのボンボンショコラを箱に詰めると、茜様がそれをうれしそうに持って白様と仲良く帰っていった。
「それではまた明日。おやすみなさい」
(ほまれ)たちも帰らせたし、瑠璃も部屋へ戻ったので私も帰ろうとすると「やっぱり送っていこう」と青王様が声をかけてきた。


「ありがとうございました...はっ?!ち、ちょっ...!」
直接自室へ戻ったのが間違いだった。青王様は突然私をベッドに押し倒してきた。
すると、ペンダントと懐中時計が同時に光りはじめた。
「あっ、懐中時計が...すぐに瑠璃ちゃんが来ますよ」
ハッとした顔の青王様が私から離れるのとほぼ同時に瑠璃が飛び込んできた。
「穂香さん!大丈夫ですか!って、あれ?青王様?あっ、青王様もペンダントに呼ばれたんですよね」
瑠璃は部屋の中を見回し危険がないことを確認すると「よかった。特に被害はなさそうですし青王様がいればもう大丈夫ですね」と戻っていった。
「青王様!どうしてこんなこと!...青王様?」
ものすごく落ち込んだ様子でベッドの横に正座をしている。
「あの...すみません、大声出したりして」
「いや、まさかわたしのことをペンダントが危険だと判断するとは...」
「あぁ、たしかにペンダントも光ってましたよね。あっでも瑠璃ちゃんは青王様が先に来て解決したと思ったみたいなので、押し倒したことはバレてませんよ」
それでもまだ正座のままうなだれている。
「あの青王様、お茶淹れますからここでお話しませんか?少し待っていてくださいね」

お茶を持って部屋に戻ると、青王様はまだ正座のまま渋い顔をしている。
「まだそんな顔しているんですか?」
「本当に申し訳なかった...」
「とりあえずお茶をどうぞ。宇治緑茶とお茶請(ちゃう)けの梅こんぶです」
青王様は梅こんぶを一つ口に入れ、お茶を飲んで一息つくと、私に頭を下げた。
「乱暴なことをしてすまなかった。穂香がわたしのことを好きだと言ってくれて、もう手放したくないという気持ちが抑えられなかった」
「あの、お願いですから頭を上げてください」
ゆっくり頭を上げ私を見つめる青王様の瞳が、少し(うる)んでいて悲しそうに見えた。
「私、青王様のことが好きなんだって気づいたけど、ただの人間がそんなこと言っても青王様を困らせてしまうだけだと思ったら、どうしても気持ちを伝えることができなくて...でもどこからか懐かしい声が聞こえてきて背中を押されたんです」
青王様は私をじっと見つめて聞いてくれている。
「青王様のことが大好きです。でもやっぱり不安で...だけど茜様がいろいろ教えてくださいました。青王様が受け入れてくださるなら、私は青王様と一緒にいたいです。お願いします。そばにいさせてください!」
大きく目を見開いたまま固まっていた青王様は、突然ひと筋の涙をこぼし私をぎゅっと抱きしめた。
「ありがとう、必ずしあわせにする。もう手放したりしない」
「青王様、ちょっと苦しいです...」
「あっ、すまない、つい力が入ってしまった」と私をゆっくり解放し、涙を(ぬぐ)って一度深呼吸をした。

「茜様のお話を聞いてちょっと気になったんですけど、京陽のカカオを使ってるとこちらの世界の人たちになにか影響があったりしますか?」
「それはないから安心していい。穂香は泉の水の話を聞いて気になったんだろうけど、あくまでも京陽国内で泉の水を飲むことでその力を得ることができるんだ。水はそのまま飲まなくても料理やお茶を淹れるときに使ってもいい。でも京陽から出たらそれはもうなんの力もないただの水。カカオも同様だよ」
「よかった。それならずっとあのカカオでチョコレートが作れますね」
青王様は私の頭をそっとなでながら「好きなだけ作るといい」と微笑んだ。
「わたしからも一つ話したいことがあるんだが、今日はもう休んで、明日糺の森で話そう」
「わかりました、十時に待っています。おやすみなさい」
青王様は小さくうなずくと私の頬に手をあて「穂香」とつぶやきそっと口づけをした。
「おかえりなさい!」
「おぉ、びっくりした...瑠璃、まだ部屋に戻っていなかったのか」
まったく失礼な!おばけでも見たみたいに驚くなんて!わたしはおばけじゃなくて座敷童子ですよ!
「青王様を待ってたんですっ!明日、穂香さんとお出かけするんですよね?」
「ああ、散歩をしながら話をしようと言ってある」
「せっかく二人で出かけるなら、穂香さんにその組紐のお礼をしたらどうですか?」
それはずっと気になっていた。けれど、どうしたものか...
「礼と言っても、穂香はどんな物ならよろこぶだろう。空良のときとは時代が違うから、なにを選べばいいかまったくわからない」
「穂香さんに聞いてみてもいいけど、なにもいらないって言われそうだし...あっ、でも穂香さんはいつも同じピアスをつけています。あと、リングは一本も持っていないみたいですよ」
そういえば河原町(かわらまち)に不思議な外見の店があった。ジュエリーショップのようだが覗くわけにもいかず、気にはなるが用もないのに入れなかった店。
「わかった。考えてみるよ」


「今日はお着物にしようかな...」
おばあちゃんに教えてもらった通りに、おばあちゃんが(のこ)してくれた大島紬(おおしまつむぎ)の着物を着付けていく。
くすんだ水色の地に色んな色の花柄が織り込まれていて、落ち着いているけれどかわいらしい、お気に入りの着物だ。

「穂香、おはよう」
私の姿を見て口が半開きの状態のまま立ちつくしている青王様。そんな青王様も今日は素敵な着物姿だ。いつもの着流しではなく、藍染(あいぞ)めの着物に同色の羽織、濃いめの水色の帯を締めている。とにかくカッコいい。
「お、おはようございます」
「まさか穂香も和服とは...とても似合っているよ」
「青王様だって素敵ですよ」
しばらく見つめ合っていると青王様が「糺の森(ただすのもり)の散歩のあと、一緒に行って欲しい店がある」と言ってきた。
「わかりました。ではそろそろ出発しましょう」

伏見稲荷駅から京阪電車に乗ると、前回のお出かけのときのことを思い出してしまい、チラチラと青王様を見ている数名の女性のことがとても気になってしまう。
そんな私に気づいた青王様は「穂香、大丈夫だよ」と手を握ってくれ、ずっと他愛もない話をして気を紛らわせてくれた。
出町柳(でまちやなぎ)駅に着くと、糺の森までは歩いて十分ぐらいだ。のんびりと歩き、糺の森へ入ると青王様が話しはじめた。
「穂香、本音を言えばわたしは穂香にずっと王城に、わたしのそばにいて欲しいと思う。でも穂香から仕事を取り上げるようなことは絶対にしたくない。だから、せめてあちらでお菓子作りをするようにしてもらえないだろうか。厨房や設備もしっかり用意するから。すぐに決める必要はないけれど、少し考えてみてほしい」
「えっと、それは...ちょっと時間をください。瑠璃ちゃんにも相談したいですし」
「まぁそんなに簡単に決められることではないだろう。焦らなくていいから」
「はい...」
そのあとしばらく広い糺の森を歩きまわり、休憩処で一息つき下鴨神社でお参りをしたあと、青王様が行きたいという店へ向かった。
「なんのお店に行くんですか?」
「着いてからのお楽しみだよ」
なんだかとても楽しそうにしているけれど、祇園にはたくさんのお店があって、どこを目指しているのか見当も付かない。
しばらく歩くと変わったデザインの黄色い扉の前で「ここだよ」と立ち止まった。
「ここって...青王様がどうしてこの店に?」
「穂香は来たことがあるのかい?」
「一度入ったことがあります。でも、素敵だけどちょっと手が出せなくてすぐにお店を出ちゃいました」
「そうか。実は穂香に贈り物をしたくてね。だけど今の女性がなにをよろこぶのかわからなくて。空良のように着物やかんざしというわけにはいかないだろう。だから穂香と一緒に選ぼうと思ったんだ」
誕生日やクリスマスでもないし、どうして青王様が私に贈り物を?
「ほら、早く入ろう」
青王様は私の背中をそっと押し、店に入るよう促した。
店内では私の手を取りショーケースの端から順番に見ていき「気に入った物があれば出してもらおう」と笑顔で話しかけてくる。でもどれも高級で「これがいい」なんて絶対に言えない...
すると、私が黙って見ている隣で青王様が店員さんに声をかけ「これと、あれと...」と出してもらっている。
ハーフエタニティーのリングがいくつか乗ったトレーを私の前に置き「わたしはこういう細いものが穂香には似合うと思うんだが、この中に気に入ったものはあるかい?」と聞いてくる。その中には、以前素敵だと思ったけれど見せてもらうには勇気が出なくて諦めたものがあった。無意識にそのリングに目をとめていたようで、私の顔をのぞき込んだ青王様が「これが気に入ったのかい?」とそのリングを手に取りそっと私の指にはめた。
驚いてなにも言えないでいると「あれ?これではなかったかな。わたしはこのデザインもいいと思うが、穂香の好みを教えほしい」とリングを外そうとする。
「あの...私、以前見たときもこれが気になったんです。なんだかカヌレを一列に並べて真上から見たような感じがかわいいと思って」
「ははは、それは穂香らしいね。ではサイズもぴったりだしこれにしよう。組紐のお礼に受け取ってほしい」
そう言うと店員さんに「このまま付けていくから」と声をかけサッと購入してしまった。

店を出ると青王様は私の頭をそっとなでて手をつないできた。
「穂香が気に入るものがあってよかった。...わたしは穂香にもっと甘えてほしいんだ。いろいろおねだりをしていいしわがままを言っていい。なんというか、真面目すぎるんだ。穂香も、空良も...」
ほんの少しうつむきながらそう話す青王様の水色の瞳が、ちょっと寂しそうに揺れていた。
八坂神社の近くのお寿司屋さんで、おみやげに鯖寿司(さばずし)を購入し王城に戻ると、瑠璃が勢いよくダイニングへ飛び込んできた。
「おかえりなさい!あっ、今日は穂香さんもお着物だったんですね。やっぱり似合いますね」
「そう?ありがとう」
「あの、空良様のお着物も今までちゃんとお手入れしていつでも着られるようにしてあります。だからよかったら今度着てみてください」
空良は着物をたくさん持っていた。茜様が丁寧に仕立ててくださったものや青王様が選んでくれたもの。毎朝どれを着ようか迷うのが日課だった。
「せっかくだから見てくるといい。空良の部屋もあの頃のままにしてあるから」
私がうなずくと「一緒にいきましょう」と瑠璃が背中を押した。

少し複雑な気持ちだった。みんな空良が大切でずっと忘れられずにいる。私は『穂香』じゃなくて『空良の生まれ変わりの人間』なんだ。
青王様も私の中の空良のことが大切なのだろう。そう思ったら胸が締め付けられるようで、今にも涙がこぼれそうだ。
「穂香さん?大丈夫ですか?」
「あっ、ごめんなさい。私ちょっと用事を思い出したからもう帰るわね」
懐中時計をギュッと握りしめ、瑠璃の顔も見ずにいそいで帰ってきてしまった。
「はぁ、私、なにやってるんだろう...」心がざわざわして胸が苦しい。

私は心を落ち着かせるために伏見稲荷へやってきた。本殿でお参りをすると気持ちがスッと軽くなっていく。
それでもまだなんとなく帰りたくなくて、ゆっくりと階段を上り千本鳥居をぬけて奥社までやってきた。だけど、そろそろ明日の仕込みのために瑠璃がやってくるはずだ。

どうしても一人になりたくて、懐中時計もペンダントもテーブルの上に置いてきてしまった。心配性の青王様のことだから、それを知ったら大騒ぎになるだろう。
ふと触った左手の中指には、さっき青王様からもらったリングがある。
「そういえばちゃんとお礼してなかったな...」
もう帰ろうと思い振り返ると、千本鳥居の向こうから誰かがこちらへ向かって走ってくるのが見えた。
「あ...」あの髪の色は青王様だ。
あっという間に私の目の前までやってくると「よかった!」とギュッと抱きしめられた。
「怪我はないか?怖いことはなかったか?ペンダントも置いたままになっていて心配した。なにがあった?」
青王様がここまで焦って不安そうな顔をするのはとても珍しい。
「ごめんなさい...大丈夫です」
「大丈夫じゃないだろう。悩みがあるなら話してほしい。もしかしてそのリングが気に入らなかったか?」
「そんなこと...このリングはとても気に入っています。青王様、ありがとうございます。これは私の宝物です」
青王様は私の左手を握り「歩きながら話そう」と千本鳥居をくぐっていく。

「穂香、わたしはなにか穂香を傷つけるようなことをしてしまったかい?なにがいけなかったのか教えてくれないか」
「私が勝手にいじけてただけですから...」
「いじけてた?」
「私は空良の代わりなんだ...って。だからみんなが大切にしてくれるんだろうと思ってしまって...」
青王様は足を止め、苦しそうで今にも泣き出しそうな悲しい顔で私を見つめてくる。
「いつか空良が戻ってくることを願って着物の手入れをしたり部屋をそのまま残していたりしたなら、みんなは私じゃなくて私の中の空良を歓迎しているんだ...って。そう思ったら苦しくて」
「それは違う!わたしもみんなも穂香だから大切に思うんだ。たとえ空良の生まれ変わりだとしても、自分のことしか考えないような人間だったら相手にしようとは思わない!」
突然大声を出した青王様に驚いてしまった。こんな青王様を今まで見たことがなかったから。
声も出せずにいる私に「すまない、怒鳴ったりして」と言いながらそっと頭をなでてくる。
「たしかに最初に穂香を見つけたときは、せっかく生まれ変わった空良に出会うことができたのだから今度こそ守らないといけないと思った。でも今は違う。穂香のことを大切にしたいと思う。わたしはこの先穂香とずっと一緒にいたい」
「青王様、心配させてしまってすみませんでした。もう大丈夫です。私も空良みたいにみんなに大切に思ってもらえるようにがんばりますから」
「ありがとう、穂香。瑠璃に先に仕込みを始めているよう言ってあるから、そろそろ店に戻ろう」
「あっ!仕込みのこと、頭からすっかり抜けてた...」
「わたしも手伝うからすぐに戻ろう」
青王様が私の手を握りなにかをつぶやくと、あっという間に店へ移動していた。

「あっ、穂香さん!」
「瑠璃ちゃん、ごめんなさい。もうだいじょ...」
その時、バタンッ!と青王様が倒れてしまった。
「えっ!青王様?!」
「もう...瞬間移動は苦手なのに無理するからですよ。今お茶持ってきますね」
私は青王様をなんとか起き上がらせ、背中を支えながらお茶を飲んでもらい、ついでにボンボンショコラを一つ口の中に押し込んだ。
「ふぅ...すまなかった。もう少しだけここで休ませてほしい」
青王様を椅子に座らせると、私たちは仕込みに取りかかった。

一通りの仕込みが終わると「瑠璃、ちょっと」と青王様が瑠璃に声をかけ店のほうへ移動していった。
「穂香は、自分が空良の生まれ変わりだからみんなに大切にしてもらえているんだと思っていたらしい」
「そんな...」
青王は穂香が話していたことをすべて瑠璃に伝えた。
「わかりました。空良様のことはあまり話題にしないように気をつけます」
「うん。もし穂香の様子で気になることがあったら、どんなに小さなことでも教えて欲しい」
「はい。あっ、そういえば穂香さんにリングをプレゼントしたんですか?」
「ああ、穂香が以前から気になっていたものらしい。カヌレを並べて上から見たような感じがかわいいと言っていた」
たしかにかわいいと思うけど、そうじゃなくて...
「どうして左の中指に付けているんですか?」
「ん?」
「なんで薬指じゃないんですか」
「それはもちろん...」
いつか穂香に、わたしの妃になってほしいと伝えるときのために空けておきたかったからだよ。
翌日の営業は、すべての接客を(ほまれ)寿(ひさ)に任せてみることにした。結果、二人はしっかりと商品の説明もできていたし、ラッピングや会計なども安心して任せられるまでになっていた。
「来週から(ふじ)をオープンしましょう。開店して数日間はとても忙しいと思うけれど、私か瑠璃ちゃんがお手伝いするから安心してね」
「わかりました!」
「がんばりますっ!」
さっそく今夜から藤の店内設備を整えていくことにし、瑠璃とは生産体制についても話し合った。

Lupinus の営業、仕込みと商品作り、藤の開店準備と、とにかく忙しい日々を乗り越え、やっと開店の日を迎えた。
朝からたくさんのお客様が、初めて食べるチョコレートを楽しみに、そわそわしながら列を作っている。
「私たちもお手伝いするし、研修でやっていた通りにすれば大丈夫だからね」
「はい!ではオープンにしてきます!」
誉がドアにオープンの札をかけると、(あやかし)の姿のままだったり人の姿になっていたり、様々な見た目のお客様が次々と入ってくる。
寿と瑠璃は、チョコレートに興味はあるけど味がわからないと買いづらいと言うお客様に、試食用の小さなチョコレートを配ってまわる。

列の最後に並んでいた猫又の女の子に「いちごが入ってるのはありますか?」と聞かれた寿は、いちごジャムが入っているものをすすめている。
そのやりとりを聞いていた私は、あることを思いついた。あとで青王様に話しに行こう。

お客様が途切れることなくずっと忙しかったけれど、目立ったトラブルもなく、無事に初日の営業を終えた。
「疲れたけど、試食をした人たちがおいしいって言ってくれてなんだかうれしかったな~」
「そうだね。でも、苦くてあんまり食べられないって言う人もいたよね」
「うん。もうちょっと甘いのがいいって言ってたよ」
「それなら明日の試食用には、今日と同じものともう少し甘いものの二種類を用意するわ。両方食べてもらって、どちらが好みかがわかればおすすめしやすいでしょ」
人間と妖では味の好みが違うし、まして初めて見るものを口にするのは勇気がいることだと思う。安心して購入してもらうためにも、先に味を知ってもらうのは大事なことだろう。ほかに気づいたことなども話し合っていると、仕事を終えた青王様がやってきた。
「今日は珍しく忙しくて、初日なのに様子を見に来られなくてすまなかったね」
「いえ、お疲れさまでした。特にトラブルもありませんでしたし、二人ともしっかりしていて頼もしかったですよ」
「それならよかった。母上が夕食を準備しているから、片付けが終わったらみんなで戻っておいで」
そういうと青王様は茜様の手伝いをするからと、一足先に戻っていった。
「早く片付けましょう。もうおなかペコペコですぅ」
寿はおなかがすくと、わかりやすく元気がなくなる。
「もう少しがんばってね」
厨房がないぶん片付けも楽で、四人で分担すればあっという間に終わる。

「ただいま戻りました」
「おかえりなさい。みんなお疲れさま。さぁお食事にしましょう」
ダイニングにはホカホカの湯気をあげる衣笠丼(きぬがさどん)が並んでいる。
おあげと九条ネギを甘辛く炊いて玉子でとじたこのメニューは、私の大好物だ。しかも茜様の得意料理なだけあって、彼女が作る衣笠丼はお出汁(だし)がきいていてやさしい甘さでいくらでも食べられる。

おいしいご飯をいただいておなかが満たされたら、もうなんにもしたくない。このまま眠ってしまいたいと思う。でも「仕込みが待ってますよ!」と瑠璃にむりやり立たされた。
茜様も「穂香ちゃん、片付けはわたしがするから大丈夫よ」と背中を押してくる。
「はい...ではお願いします」
「ではわたしも一緒に行って手伝おう」
「あ、そうだ青王様。店に戻ったらお話ししたいことがあります」
「ん?もしかしてあのことかな?」
え?あのことってなんのこと...?私が首をかしげていると
「ほら、王城でお菓子作りをしてほしいっていう」
あっ、忘れてた!まだ瑠璃ちゃんに相談してないよ...
「それはもう少し時間をください。とりあえず戻りましょう」

青王様とボンボンショコラを作りながら、営業中に思いついたことを話した。
「青王様の畑で、いちごやミニトマトを育てることはできますか?」
「大丈夫だよ。どちらも一週間もあれば収穫できるようになる。ほかに欲しいものはあるかい?」
「あとは種なしの巨峰があるとうれしいです」
「わかった。さっそく明日植えておこう」
「よろしくお願いします」
それにしても一週間で収穫できるなんて、あらためて青王様の力ってすごいなぁと思う。

仕込みが終わって青王様たちが王城に戻ると、やっと一日が終わる。結構疲れが溜まっているし、明日は瑠璃に藤のお手伝いをお願いしてあるから寝坊するわけにはいかない。
アラームを大音量でセットしたスマホと目覚まし時計を、歩いて行かないと止められない場所に置きベッドに潜り込んだ。
「よかったぁ、間に合った...」
「ギリギリでしたね。まさかまだ寝てるなんて思いませんでしたよ」
「起こしてくれてありがとう。助かったわ」
「一人で大丈夫ですか?寿をこっちに呼んだほうがいいと思うんですけど...」

瑠璃の心配はごもっともだ。
ベッドから出て目覚まし時計を止めたのに、その場で寝落ちしてしまった。その後も焦って階段を踏み外しそうになったところを瑠璃に支えられたり、厨房では何もないところで(つまず)いてお砂糖をまき散らしたりと、朝から散々だった。ペンダントが反応して青王様を呼ばなかったのが不幸中の幸いだと思う。
「たしかに今日は、大丈夫って言っても説得力のかけらもないわね...」
「それじゃあこれ置いたら寿(ひさ)を連れて戻ってきますね」
瑠璃は(ふじ)に並べるお菓子を持っていき、すぐに寿と一緒に戻ってきた。
「瑠璃ちゃん、ありがとう。寿、今日はよろしくね」
「はい!しっかりお手伝いします!」


「こんにちは。ボタンの型のハイカカオチョコってありますか?」
「はい、ありますよ」
「よかった。お友達からこれを食べ始めてから肌が綺麗になったって聞いて来たの」
「ありがとうございます。効果は個人差があると思うので、様子をみながらお試しくださいね」
チョコレートは発酵食品だし、カカオに含まれるカカオポリフェノールは食物繊維が豊富だったり抗酸化作用を持っていたりする。そのため腸内環境を整えたりエイジングケア効果もあるのだ。
一袋五枚入りの、直径三センチ弱の薄いボタン型のチョコを渡し、
「薬ではないので効果はすぐに出ないと思いますが、こちらを一日一袋、数回に分けて召し上がってみてください」
「ありがとう。それじゃあ三袋いただくわ」
ほかのお菓子もチラチラと気にしながら、またゆっくり見に来ると言って帰っていった。

今日はたくさん購入されるお客様が多く、夕方にはケーキもボンボンショコラも売り切れてしまった。
「早いけど閉店にして、片付けたら藤にいきましょう」
「はい。あの、焼き菓子一つ買わせてください」
「おなかすいちゃったの?それならちょっとこっちに来て」
寿を厨房に連れていき保存バッグに入れたクッキーやフィナンシェを渡すと、もふもふの耳と尻尾がぴょこんと現れた。
「こっちの世界ではそのもふもふ、出しちゃダメよ」
寿はハッとしてすぐに耳と尻尾を隠した。
「私以外の人がいるところでは気をつけてね」
「はい、ごめんなさい...」
「うん。それは割れたり形が悪くて商品にならないものだから、遠慮しないで食べて。食べ終わったら店の片付けよろしくね」
...って言い終わる前に食べ始めてるけど、まあいいか。

私は先に厨房の片付けをして、おやつを食べた寿と一緒に店のほうも片付けたあと藤にやってきた。
「あ、穂香さん。今日はもう完売ですか?」
「そうなの。こっちももうすぐ完売しそうね」
ショーケースの中に残っているのは、チョコどらやきが二つだけ。それも店内にいたお客様が焼き菓子と共に購入し完売となった。
「さあ、みんなでササッと片付けちゃいましょう」
「穂香さん、ちょっといいですか?」
瑠璃が店の隅から手招きをしている。
「どうしたの?」
(ほまれ)が、開店して少しした頃に男の子が入ってきてすぐに出ていったって言ってたんですけど、それからさっきまでずっとその子が店の前をうろうろしてたんです。うまく化けててなかなかわからなかったんですけど、中身は鬼でした」
「鬼って...それは青王様に相談してみましょう」
それから片付けを終え王城にいくと「みんな、おかえり」と青王様が迎えてくれた。


「そうか。Lupinus に現れることはないと思うが、念のため両方の店に警備を増やそう」
ダイニングに入ると、まずは藤に現れた鬼のことを青王様に話した。
「ありがとうございます。明日は定休日で、明後日は私が藤に来るつもりです」
「だが明後日から数日、わたしは山形まで視察にいってしまうから、穂香はその間できればこちらに来ないほうがいいと思う」
「わたしが藤にいますから、穂香さんは Lupinus にいてください」
「わかったわ。そうする」
青王様も少し安心したような顔をしている。そこへ茜様がやってきた。
「あら~穂香ちゃん!来てるなら呼んでよ~。ねぇ、夕食一緒に作りましょう!青王、穂香ちゃん借りるわね~」
早く早く!と厨房まで私の背中を押していく茜様は、本当に楽しそうだ。青王様は困ったといった顔をしているけれど...
「今夜は煮込みハンバーグにしようと思ってるの。トマトソースで煮込むとおいしいのよね~」
「それでは私はハンバーグを作りますね」
「お願いね~」
ハンバーグを柔らかく仕上げるために、牛乳に浸した生パン粉とマヨネーズを少し混ぜる。よーく()ねて小判型にしたら真ん中をへこませて焼き目をつけ、茜様が作ったトマトソースで煮込む。
「もうおいしそう!ソースの中にお野菜やきのこをたっぷり入れたから、あとは玉子スープでも作ればいいわね」
「それでは玉子スープ、作りますね」
茜様が白様を呼びにいくと、青王様がやってきて仕上げを手伝ってくれた。
「相変わらず強引ですまないね」
「いえ、大丈夫ですよ。茜様と一緒にお料理するの、楽しいですし」
「そうか。ありがとう」

「あぁおいし~!おかわりしてもいいですか?」
「あっ、ずるい!わたしもおかわり~!」
瑠璃も寿もすごい食欲だ。誉はちょっと呆れている。
「二人ともたくさん食べなさいね。青王はどうする?」
「それでは少しいただこうかな」

みんなおなかいっぱい食べて、誉と寿を帰らせたあと私は瑠璃と一緒に片付けをする。
「穂香さんは明日お出かけとかするんですか?」
「ええ、ちょっとお買い物にいこうと思ってるわ」
「のんびりしてきてください。あっ、ちゃんとペンダント持っていてくださいね」
「ええ、もちろん」

青王様は着物に合わせて帯の色を変えるから、組紐の色も合わせたらもっとおしゃれだと思う。だから今度は自分で作った組紐をプレゼントしたくて、宇治のお店へ道具を買いにいこうと思っているのだ。

部屋に戻ると、とにかく眠くてなにもしたくない。今日はもう休んで明日に備えようかな...
さっそく宇治の組紐のお店にいき、予約をしていた手組み体験で組紐の組み方を教えてもらったあと、道具一式を購入した。
組紐用の紐はたくさんの色があり、青王様の着物や帯の色を思い出しながらどの色にするかあれでもないこれでもないと迷っていると、あっという間に一時間以上が経っていた。
「ちょっと買いすぎたかな...」
どうしても選びきれなかったのと、おそろいの色で自分用の帯締(おびじ)めも作りたいと思ってしまったことで、たくさんの荷物を抱えて歩くことになった。
「せっかく来たんだからお参りして帰ろう」
のんびりお散歩をしながら宇治神社と宇治上神社をまわり、しっかりとお参りをした。
「組紐が上手に作れますように...青王様に気に入ってもらえるといいな」


「瑠璃、ちょっと穂香のところへいってくる」
「あ、穂香さんは今日お買い物にいくって言ってましたよ」
「そうか...」
「でも、夜には来ると思いますから、その時には会えますよ」
青王は残念そうにうつむきながら自室へ戻っていった。
「きっと穂香はもうすぐ帰ってくる」そう思った瑠璃は Lupinus の厨房で待っていることにした。

「あれ?明かりがついてる」
「穂香さん、おかえりなさい」
「あっ、瑠璃ちゃん、どうしたの?」
「さっき青王様がここに来ようとしていたんですけど、穂香さんはお買い物にいってるって伝えたら、なんだかしょんぼりしちゃって」
青王様が来ようとした理由はたぶん...と瑠璃が話してくれた。
「それならあとで持っていきましょう。瑠璃ちゃん、ちょっとお手伝いしてくれる?」
「もちろん!」


「青王様、明日からの視察のお供に持っていってください」
私はいろいろな味のボンボンショコラを作り、瑠璃に個包装にしてもらったものを青王様に渡した。
「ありがとう。じつは先ほど穂香のところへいこうとしたら、今日は買い物にいっていると瑠璃から聞いてね。明日持って行くためにチョコレートが欲しかったけれど諦めていたんだ」
青王様は視察にチョコレートを持っていきたいんだと思う、と瑠璃から聞いたので、ボンボンショコラを作り食べやすいように個包装にしたのだ。
「それならよかったです。気をつけていってきてくださいね」
私と瑠璃は仕込みがあるからと王城を出て、泉に寄ってから Lupinus に戻った。茜様から泉の水のことを聞いてからは、一日一回は必ずこちらへ来て水を口にするようにしている。

仕込みを終え瑠璃が王城へ戻ったあと組紐を作ることにした。少しだけと思っていたけれど、同じ動作の繰り返しで思っていた以上に無心になりかなり没頭していたらしく、気がつくと結構な時間が経っていた。仕事に影響が出ないようにしないといけないけれど、青王様が視察から戻って来るまでに仕上げたいと思う。

それからも私は毎晩王城や泉に通っていたけれど、例の男の子の姿をした鬼に出くわすことはなかった。出没するのは営業中の(ふじ)の周辺だけで、カカオの森でも見かけたという情報はない。

青王様が視察に出かけてから四日後、(ほまれ)と一緒に閉店後の片付けをしているところへ瑠璃がやってきた。
「穂香さん、今夜青王様が帰ってきますから、王城でカレーを作って待ってましょうよ」
「そうね。せっかくだからデザートにチョコレートケーキを作ってもらえる?」
「いいですね!ケーキ用のチョコレートは少しビターにしてください。あと、かわいいデコレーションもしたいので、チョコペンも作ってください」
私は瑠璃からリクエストされた通り、ビターチョコと七色のチョコペンを作り王城へ向かった。

「穂香ちゃん、いらっしゃい!はい、これ。トマトもナスもいっぱい収穫しておいたからね~!早く作りましょう!」
王城の厨房では、(かご)いっぱいの野菜とともにやる気満々の茜様が待っていた。
いつものようにトマトのカレーとフルーツのサラダを作り、準備が整ったところへタイミングよく青王様が帰ってきた。
「ただいま。穂香、なにか変わったことはなかったかい?怖い思いや怪我なんかもしてないか?」
「ちょっ...青王様!とりあえず離してもらえませんか」
「いやだ。ぜったいに離さない!」
青王様は帰って来るなり私をギュッと抱きしめ頭をなでてきた。みんなが見ているのに恥ずかしすぎる!
私の困惑した顔を見た茜様が「青王、穂香ちゃんが困っているわよ。そろそろ離してあげなさい」と助け船を出してくれた。
「あ...すまない。何日も会えなくて心配だったから、つい」
「変わったことも怖いこともありませんでしたよ。ほら、みんな待ってますから夕食にしましょう」
「今夜はカレーか。帰って来たときからいい香りがしている」
「食後にデザートもあるので、あまり満腹にしないでくださいね」

「うわぁ!かわいい!」
「食べちゃうの、もったいないわぁ」
瑠璃が作ったチョコレートケーキは本当に手が込んでいてかわいらしく、寿(ひさ)と茜様はお皿を持ち上げいろいろな角度から眺めている。
「スポンジがふわもちでおいしい!瑠璃ちゃんはどんどん腕を磨いているわね」
「穂香さんのお店に来るお客様に、笑顔になってほしいんです。そのためにパティシエールとしても座敷童子としても、もっとがんばりますよ~」
「ありがとう。私も負けられないわね」
みんなおなかいっぱいになり幸せな笑顔で「ごちそうさま」をすると、瑠璃が片付けを引き受けてくれたので、私は青王様に山形視察のお話を聞くことにした。

将棋の駒の形をしたとても大きなオブジェがある広場にいったとか、普通のもりそばを注文したのに山盛りのそばが運ばれてきて、これが普通盛りだと言われて驚いたとか...
いままで見たこともないものをいろいろ口にしたけれど、その中でも一番気に入ったものがあるそうだ。
芋煮(いもに)というものがおいしかったんだ。店ごとに少しずつ味が違うんだが、基本的には甘辛い醤油味だった」
「芋煮って、ニュースで見たことがあります。家族や友達同士で、河原で作って食べるんです。あれはおいしそうだなって思ってました」
「それなら今度一緒に山形を旅行しよう!芋煮以外にもおいしいものがたくさんあったし、温泉もあるし...その...」
青王様の耳がどんどん赤くなっていく。
「り、旅行はそのうちに...私、芋煮の作り方を調べておくので、明日の夕食に作りましょう。お手伝いしてくださいね」
「それは楽しみだ。いくらでも手伝うよ!」
旅行の話から青王様の気をそらすことに成功した私は「少しやることがあるので、今日はもう帰りますね」と家に戻ってきた。

結局組紐は青王様が戻ってくるまでには仕上げられなかった。でもせっかく作るのだから青王様に喜んでほしくて、(ゆが)んだりしないよう焦らず丁寧に組んでいった。
それでももう少しでできあがる。明日には渡せるように深夜までかかって仕上げをした。
「できた!」
初めてにしては綺麗に仕上がったと思う。早く渡したいという気持ちを抑えて、約束の芋煮の作り方を調べ、うっすら明るくなってきた空を見ながら少しだけ仮眠することにした。
「あのね、青王様から王城でお菓子作りをするようにしてほしい、って言われたの。厨房の設備もちゃんと揃えるからって。瑠璃ちゃんはどうするのがいいと思う?」
この前青王様に言われたことにそろそろ返事をしないといけないだろうと思い、瑠璃の意見も聞いてみた。でも、瑠璃の答えはこうだったのだ。
「えっと、たぶん青王様は、穂香さんに生活の拠点ごと王城に移してほしいっていう思いも込めてそう言ったんだと思うんです。だから、穂香さんがどうするか決めるべきですよ」

私はこの家をとても気に入っている。仕事が終われば誰にも邪魔をされることなく、一人でのんびり自由に過ごせるから。
だけど、王城で青王様や茜様たちと一緒に過ごすことが、本当に楽しくて幸せな時間だということも知っている。
「厨房は王城のほうが広くて使いやすいと思うの。だけど...」
「穂香さん、どうしても決められないなら、一週間ぐらい王城で過ごしてみたらどうでしょう?やっぱりこっちのほうがいいと思ったらすぐに戻ってこられるんだし」
「そうね...しばらく空良が使ってた部屋で過ごしてみようかな...」
「はい。でも無理して空良様のお部屋を使わなくても、別のお部屋をすぐに用意しますよ?」
「ありがとう。だけど空良の部屋で大丈夫よ」
そこへ青王様が大きな(かご)を抱えてやってきた。
「穂香、できたよ!」
「うわぁすごい!おいしそう」
籠の中には紫と緑のぶどう、真っ赤ないちごとミニトマト。それからつやつやのさくらんぼが入っていた。
「今収穫してきたばかりだよ」
「ありがとうございます。食べてみても...」
「甘~い!おいしい!」
私が青王様と話している(すき)に、瑠璃がいちごとさくらんぼを頬張っている。
寿(ひさ)は瑠璃からいちごを手渡され、ちょっと困惑している。食べてもいいのかと迷っているようだ。
「まったく瑠璃は...」
はぁ、と大きなため息をつく青王様の横で、今度は両手にぶどうを(つか)んでいる。
「あの青王様、まだ時間ありますか?」
「大丈夫だよ」
「それなら少し待っていてください」
私は果物を一粒ずつ味見したあと、ホワイトとビターのチョコレートを用意して、いちごと紫のぶどうを丁寧に薄くチョココーティングしていった。
「これ、食べてみてください」
ビターチョコでコーティングしたいちごを一口で頬張ると、青王様は「おいしい…」と目をまん丸にして驚いている。
青王様が育てた果物は本当に甘くてジューシーで、苦みのあるビターチョコととてもよく合う。
「すぐにもっと収穫してくるから、たくさん作って店に並べるといい」
「はい、ぜひそうさせてください」
青王様が京陽へ戻ると、瑠璃はいちご大福にすると言って求肥(ぎゅうひ)(あん)を作り始めた。


「今日の夕食は王城で作るから、片付けが終わったらすぐに戻ってね」
「はい、わかりました!」
私はできあがったお菓子を抱えて(ふじ)へ向かった。
今日は私と(ほまれ)が藤の店番をする日だ。お菓子を並べていると誉が「あ、またいる」と店の外を見つめている。
男の子の姿をした鬼は、開店待ちのお客様に紛れて店の前をうろうろしていた。
私は初めてその鬼に遭遇した。瑠璃が言っていたとおり本当にうまく化けていて、よく見ないと妖だと見破るのは難しいと思う。
時間になったので警戒しながら開店したけれど、鬼は店の中には入ってこない。
「何が目的なのかしら...」
「うーん...でもいつ入ってくるかわからないので、穂香さんはなるべく店の奥にいてください」
「誉も気をつけてね」
「はい」とうなずき、いつも通りに接客をしていく。

それは一瞬の出来事だった。
店内にお客様がいなくなった瞬間鬼が店内に入ってきて、入り口の扉が勢いよく閉まったと同時に誉が倒れた。
「誉!!」
私はなんとか誉を抱き起こしたけれど、一人ではそれ以上動かすことができない。
「その狐は眠ってるだけだから大丈夫。それよりお姉ちゃん、僕にもチョコレートちょうだい」
鬼は見た目に(たが)わぬ子どもの声で話しかけてきた。
「こんなことしないで普通にお買い物に来てくれればいいのに」
「僕にお金を払えって言うの?まだ僕がだれだかわからないの?」
「え...?」
鬼...あっ、加悦(かえつ)
空良は子どもの頃、鬼にいじめられていた。理由はわからないけれどいつも()(かたき)にしてくる子どもの鬼。空良を見つけると必ず追いかけ回してきて、追いつくと叩いたり突き飛ばしたりしてくる。でもなぜか神社に逃げ込むとそれ以上はついてこなかった。
「空良、やっと思い出してくれた?いつも追いかけっこして遊んであげてたのに、僕になにも言わず嫁入りなんかしちゃってさ。しかもいつの間にかいなくなったりして」
「加悦!あなたに遊んでもらってた覚えはないわ。あれはいじめって言うのよ」
「違う!あんなに仲良く遊んでたのに!」
あぁ、あれか...
好きな子の気を引きたいけどどうすればいいかわからなくていじめちゃうやつ。
「私は仲良くしてたつもりはない。お買い物をするんじゃなかったら出て行ってくれる?」
「なんでだよ!友達だと思ってたのに!空良のことが好きだったのに...」
「あんなことしたら嫌われるに決まってるでしょ。早く誉を起こして出て行って!」
私はあの頃の嫌だった気持ちを思いだして、つい大声を出してしまった。すると加悦は悔しそうな顔をして走って出て行ってしまった。
「ちょっと、待ちなさいよ!」
どうしよう。誉は眠ったままだ。
あれ?そういえばペンダントも懐中時計も光ったのに二人とも来てくれない。しかも警備の鬼たちまで。もしかして誰にもこの状況が伝わってないってこと?
とりあえず店を閉めて、誉を連れて王城へ戻ることにした。
「青王様、誉が!」
「穂香、なにがあった?落ち着いて説明して」
藤で起こったことをすべて話すと青王様は「なんだ、あいつだったのか」なんて言いながら誉を抱きかかえ頭に手をかざし何かをつぶやいた。すると誉はすぐに目を覚まし、キョロキョロとまわりを見回して驚いた顔をしている。
「誉、気分は悪くないか?」
「え?あ、はい、大丈夫です」
青王様が誉に加悦のことを話すと「そんなのただのいじめっ子じゃないですか!」と怒っている。
「でも、ペンダントは光ったのにどうして青王様に知らせが届かなかったんでしょう」
「加悦が得意とするのは変化(へんげ)の術と結界術。あいつが張る結界の力はとても強いんだ。だからペンダントの力が結界を越えられなかった。でもそのほかの力はとても弱い。誉にかけたのは瑠璃でも簡単に解ける程度の催眠術(さいみんじゅつ)だ」
誉が無事だったのはよかった。だけど藤に張られた結界はどうなるんだろう。そう考えていたら「加悦は自分がいる場所にしか結界が張れないから、もう藤の結界は消えているよ」と教えてくれた。
「また来たらめんどくさいな...」
「まぁしばらくは姿を見せないと思うが、もし来ても今日のように追い払えばいい。穂香には手を出さないだろうから」

私たちが藤へ戻ると、外にはたくさんのお客様が待っていた。
その後二時間程度でお菓子は完売してしまったので、私たちは一度伏見へいき、スーパーで買い物をして王城へ向かった。