座敷童子のパティシエールとあやかしの国のチョコレート

青王様は王城へ戻り、私は店で明日の仕込みを始めた。すると瑠璃が「わたしも仕込みしますね」と言ってきてくれた。
「ありがとう。でもまだあんまり無理したらだめよ」
「はい、気をつけます。本当にすみませんでした」
「なにかあったら早めに言ってね。さて、仕込みしちゃいましょうか。明日は白様と茜様がいらっしゃるから、いつもより少し量や種類を増やしたいの」
「せっかくだから、カットケーキやボンボンショコラもちょっとかわいらしくデコレーションして、見た目もいつもと変えてみたらどうでしょう?」
「いいわね、そうしましょう!」

瑠璃は仕込みを終えると「レシピやデザインを考えてくる」と言って王城へ戻っていった。私もちゃんと考えて準備しておかなきゃ。

翌朝、私はいつものボンボンショコラ以外に、ホワイトチョコを抹茶やストロベリーパウダーなどの天然素材で着色し、カラフルで華やかなタブレットチョコなども作った。
「うわぁかわいい!これ、チョコペンで描いたんですよね。わたしにもチョコペン使わせてください!」
「ええ、どうぞ。ミルクチョコも色の濃さを変えられるから、欲しい色があったら言ってね」
「はい。あっ、蜂蜜味の黄色いチョコを作ってもらえますか?」
「わかったわ。ちょっと待っててね」
瑠璃はハニーレモンケーキに、蜂蜜味のチョコとビターチョコで作ったミツバチや花の形の飾りを使いかわいいデコレーションをし、チョコケーキやショートケーキも同様に飾り付けた。もともと考えていたデザインに、さらにチョコの飾りをプラスしたようだ。
ほかにも数種類のプリンやアイシングクッキーなど、いつもとは違うメニューも揃えてくれた。
「すごい...」
瑠璃は手際が良く、作業がとても早い。しかも繊細で丁寧なのだ。私も見習いたいと思うところがたくさんある。でもまぁ、そう簡単にはいかないのだけれど...

「穂香さん、今日はお菓子がいつもと違うから、お知らせの張り紙かなにかしておいたほうがいいかなって思うんですけど...」
「そうねぇ、前にスペシャルカカオの日ってやったじゃない?今日はスペシャルメニューの日なんてどうかしら?」
「あっ、初めて京陽のカカオを使った時ですね!たまにスペシャルデーを開催するのも楽しいかも。今日は『スペシャルメニューの日』の張り紙しておきますね!」
瑠璃があっという間に二階へ走って行くと、ドンッ!と大きな音と悲鳴が聞こえた。
体調が戻ったら今度は怪我した、なんてやめてほしい...

「できました! POP も作ったのでショーケースの上に置いてみてください。わたしはこれ、貼ってきますね」
「ちょっと待って。さっき二階で転んだでしょ。どこか怪我しなかった?」
「あのくらい大丈夫ですよ。妖は丈夫なので」
「体調崩したばかりなんだから、説得力ないよ」
「あはは...」
瑠璃は苦笑いをしながら、逃げるように張り紙をしに出て行った。

「そろそろお二人をお迎えに行ってくるから、お茶の準備しておいてもらえる?」
「はい、わかりました」

王城では準備万端の白様たちが待っていた。
「おはようございます。おまたせいたしました」
茜様は私の腕をガシッと掴んで「穂香ちゃんおはよう!待ってたわよ~。さあ、早く行きましょう!」と、朝から元気いっぱいハイテンションだ。
白様も青王様もなにも言わず「茜様のことは穂香に任せた」と、目で訴えているような気がする...

店に移動すると茜様は、今度は白様をつかまえ商品を見て歩いている。
まずは一つずつラッピングされた焼き菓子を、次々と店内用のかごに入れていく。白様は両手にかごを持たされてなにも言わずについて歩いている。これもお手伝いと言うのかな...

次にショーケースの中を見て、さらにテンションが上がった茜様から質問攻めに遭った。
「これはどんな味?こっちはなにが入っているの?わたしが一番好きそうなのはどれだと思う?」
「母上、穂香も瑠璃も困っているじゃないか。落ち着いて一つずつ聞いたほうがいい」
「あらやだ。つい興奮しちゃって。それじゃあ穂香ちゃん、このピンクのはなにが入っているの?」
「それは、いちご味のホワイトチョコの中にミルクソースといちごジャムが入っています」
「おいしそう!それ二つ欲しいわ」
すると今度はケーキのほうをじーっと見てなにか考え込んでる。
「このシュークリーム、中が空のものはある?」
「え、空のものですか?」
瑠璃が「ありますよ」と伝えると、
「その中に、昨日いただいたバニラアイスを入れて欲しいの。お願いできる?」
「でも今日はドライアイスがないので、王城へ戻って冷凍庫に入れる前に溶けちゃうと思いますよ」
「それは、わたしがいるんだから大丈夫よ~」
「あ、そうか!わかりました。準備しておきますね」
厨房ではすでに瑠璃が準備を始めてくれていた。
茜様はそれからしばらく、あれこれ迷いながらたくさんのケーキやボンボンショコラを選び、もう一度店内を見て歩いていた。

「白様、茜様、紅茶を淹れたので、少し休憩してください」
「あら、ありがとう!ちょうど喉が渇いていたの」
「あと、こちらもどうぞ。ガトーショコラです」
「うわぁおいしそう!ありがとう。いただくわね」
お二人が休憩している間、選んだ商品を箱詰めしているところへ青王様がやってきた。
「今のうちに会計してくれるかい?」
「代金をいただくのはちょっと複雑な気分ですけど...」
「母上はきっと、これからもここへ来たがるだろうから、その時は普通に買い物にきた客として迎えてやって欲しい。あまり暴走させないように、ちゃんとわたしが一緒にきて見ているから」
「ふふ、わかりました」

「穂香ちゃんごちそうさま。ガトーショコラ、とってもおいしかったわ~!穂香ちゃんが作るチョコレートもおいしいし、瑠璃もお菓子作りが上手だし、ここのお菓子を食べられる人は幸せね~」
「ありがとうございます。そう言っていただけると私たちも幸せです」

「そろそろ帰るわね」と言う茜様に、シューアイスを渡すために厨房へ入っていただいた。
「クーラーボックスに入れておいたので、すぐに冷やしていただけますか?」
「ええ、少し離れていてね」
雪女である茜様がクーラーボックスの中に手をかざし、熱湯も一瞬で凍りそうなほどの冷気を充満させた。
「これで大丈夫。穂香ちゃん、次はいつ王城にくるの?いつでも待っているからね。今度は一緒にお料理しましょうね」
「母上、もう開店の時間になってしまう。穂香が王城へきたらすぐに声をかけるから、安心して待っていればいい」
「わかったわ。穂香ちゃん、今日は楽しかったわ」
「穂香さん、お邪魔したね」
笑顔で手を振るお二人を、青王様が連れて帰っていった。

「瑠璃ちゃん、お疲れ様。いそいで開店準備しましょう」
「はい!」

スペシャルメニューの日と張り紙をしておいただけあって、今日はいつも以上の賑わいだった。常連のお客様も「こんなにかわいいケーキ、もったいなくて食べられない」「スペシャルメニューは今日だけなの?」と声をかけてくれた。

「はぁ...さすがに疲れたぁ」
「お疲れ様でした。ミルクティー淹れましたよ」
「ありがとう。体調は大丈夫?」
「はい、もう大丈夫です」
そのあと二人とも無言でミルクティーを飲んでいると、瑠璃がそっと話しかけてきた。
「空良様の頃のこと、思い出したんですよね...」
「ええ」
「青王様から、すべて思い出したようだって聞きました。あの...空良様を守れなかったわたしたちのことをその...穂香さんは...恨んだりしてないんですか?」
瑠璃はとても言いにくそうに、ゆっくり少しずつ言葉にしてきた。きっと瑠璃は空良を守れなかったことを今も悔やんで、苦しい思いをしているのだろう。
「恨むなんてそんな...王城へ逃げればいいのに、わざわざ崖のほうに向かって走ってしまった。あれは私の判断ミスが原因だもの」
「でも...」
涙を流す瑠璃をそっと抱きしめ背中をさすり、
「恨んだりしてないし、瑠璃ちゃんも青王様たちも悪くない。みんな空良を大切にしてくれたじゃない。それに今は私を守ってくれているでしょ」
瑠璃はそのまましばらく泣き続け、落ち着いた頃にとんでもないことを言い出した。
「穂香さん、青王様のお嫁さんになってください!」
「はっ!?突然なにを言い出すの!?」
「青王様のこと、お嫌いですか?」
「そんなことないけれど、青王様のお気持ちはわからないし...いきなりすぎてなんて言ったらいいか...」
「じゃあ、青王様に聞いてみましょう!」
「ちょっと待って!今日はもう仕込みをして休みましょう。瑠璃ちゃんだって疲れたでしょ」
瑠璃は不満そうな顔をしながらも「わかりました...」と仕込みを始めた。
瑠璃があんなことを言い出して、一瞬なにを言われているのかわからないぐらい驚いた。でも、前世の記憶を思い出した私には、空良の気持ちがはっきりわかる。長い時を経てやっと再会できたのだ。またあの頃のようにしあわせな時間を過ごしたい。失った時間を取り戻したい。青王太子様のことを深く愛していたし、深く愛されていたのだから…

空良は半妖とは言っても妖の血が流れている。人間よりもはるかに長く生きられるのだから、あんなことさえなければ今も変わらず幸せに暮らしていたに違いない。

穂香として生まれ変わった私も、たぶん青王様のことが好きだ。
頭をなでられたりあの手で触れられることが心地いいと思うし、一緒にいるととても安心できる。

でも青王様はどう思っているだろう。
青王様の反応を見るかぎり、少なくても嫌われてはいないと思う。
だけど青王様が愛しているのは空良であって穂香ではない。
いくら空良の魂を引き継いだ生まれ変わりだろうと、空良ではない私を、青王様は同じように愛してくれるだろうか...
「おはようございまーす!穂香さん、今夜お店を閉めたら王城へ行きましょう!」
「え、どうして?」
「青王様の気持ちを聞きに行くに決まってるじゃないですか!」
「ちょっ...ちょっと待って。とりあえず一回落ち着こう」
瑠璃は、不満というか不安というか、なんともいえない顔をしている。
瑠璃なりに思うところがあるのだろうけど、焦っても仕方ないし、私だってなにも考えていないわけではないのだ。
「私もね、自分の気持ちはどうなのか、青王様のことをどう思っているのか、いろいろ考えているところなの。瑠璃ちゃんの気持ちもわかるわ。でも、もう少し待っていてくれる?」
瑠璃は少し悲しそうな顔をしつつ「はい、すみませんでした...」と、いつも通りお菓子を作り始めた。
私も、ケーキ用のチョコレートを瑠璃に渡し、ボンボンショコラを作り、開店準備を進めた。

今日もたくさんのお客様に声をかけていただいた。「昨日みたいなかわいいケーキ、また作って」「次はどんなスペシャルデーか、楽しみにしてるわね」お客様に喜んでいただけると、やっぱりうれしい。

「明日はお休みだから、片付けが終わったら今日はもう王城に戻って休んでね」
「はい。お疲れ様でした」

瑠璃は仕事のあと王城に戻ると、ほとんど部屋から出ないと言っていた。なので、私は瑠璃が戻ったのを確認してから、こっそり青王様に会いに行くことにした。

「あれ?穂香、どうした?なにかあったのかい?」
「いえ、あの、少しお願いがありまして...」
「ん?なんだろう」
「明日お休みなのでちょっとお出かけしようと思っているんですけど、よかったら一緒に行っていただけませんか?」
青王様は驚いた顔で耳を真っ赤にしている。
「穂香に誘ってもらえるなんてうれしいよ。それで、どこへ行くんだい?」
「朝九時頃に出発して、初めに伏見稲荷を参拝して、それから宇治まで行きたいんです。やりたいことと、あとちょっとお買い物したくて」
「そうか、それでは九時前に迎えに行くよ」
「ありがとうございます。あっ、瑠璃ちゃんには絶対に内緒にしてください」
青王様は「わかった。誘ってくれてありがとう」と、私の頬に手をあてる。
顔が熱くなっていく。どうしよう、ドキドキする。恥ずかしくてうつむいていると、青王様は手を離し、そしてそっと頭をなでた。
顔を上げられないでいる私に「すまない。穂香の気持ちをもっとしっかり考えるべきだった」と頭を下げる青王様。
「いえ、大丈夫です。なんだかちょっと恥ずかしくなっちゃって...」
「...そうか。では明日のためにそろそろ休んだほうがいい」
「そうします。おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」

部屋に戻ってもまだドキドキしている。
青王太子様は空良の頬に手をあて、そのままそっと口づけをするのが「おやすみ」の挨拶だったから。その時の光景が頭に浮かび、どうしようかと焦ってしまった。青王様が、今の私にそんなことをするはずがないのに...

ほとんど眠れないまま朝を迎えてしまった。シャワーを浴びて気持ちを落ち着かせ、朝ご飯には具だくさんのお味噌汁を食べた。
宇治では少しのんびりとお散歩をしたいから、紅茶が入った水筒と、キャラメル味やいちご味のガナッシュを入れた球体のチョコレートにスティックを刺したロリポップをバッグに入れた。
それから、この前デパートでたまたま見つけた青王様の髪の色と同じ水色のワンピースを着て、ストラップ付きローヒールの黒いパンプスを履いたところに青王様がやってきた。
「おはよう、穂香」
「おはようございます」
青王様は、髪の色より少し濃い水色のボタンダウンシャツに細身の黒いデニム、黒のハイカットスニーカーを合わせている。
普段の着物姿も素敵だけど、スラッとした長い手足に、モデルのような体型がよくわかるピッタリとした服を着こなし、今日は一段とかっこよく見える。しかもこれってリンクコーデって言うのかな。どうしよう、またドキドキしてきた...
「穂香、具合でも悪いのかい?」
「え...あっ!いえ、大丈夫です」
「では行こうか。途中で具合が悪くなったらすぐに言うんだよ」
「わかりました」

伏見稲荷まで歩き、本殿でお参りをする。本当は山頂まで行きたいけれど、今日は別の目的があるからまた次の機会にゆっくり登ろうと思う。
「宇治までは、JR奈良線で二十分かからないのですぐに着きますよ」
「宇治でもどこかの神社に参拝するかい?」
「はい。宇治神社と宇治上神社に行こうと思っています」
「わかった。では行こうか」
稲荷駅は伏見稲荷の目の前だ。そんなに大きくない駅だけれど観光のお客さんがたくさんいて、様々な国の人たちで賑わっている。
ホームに着くとちょうど電車が入ってきた。満員の車内からはたくさんの人が一斉に降りてきて、ここから乗車した私たちはゆったりと座ることができた。
斜め向かいに座っている若い女性四人組が「あの人かっこよくない?」「声かけてみない?」「一緒に写真撮ってくれるかな?」と、キャーキャー騒ぐ声が聞こえる。きっと私のことは視界に入っていないのだろう。なんとなく心がモヤモヤして居心地が悪い。すると青王様が、
「穂香、今だけ君に触れていてもいいだろうか」
「え?」
「あまりいい気分ではないのだろう?」
青王様は私の気持ちを察し声をかけてくれたようだ。小さくうなずくと、私の肩に手を回しグッと自分のほうへ引き寄せ頭をなでてくれる。やさしくて、心地よくて、こんな時間がずっと続けばいいと思ってしまった。でもこれはきっと空良の気持ちだ。今の私は青王様に対する自分の気持ちがまだよくわからないから...

睡眠不足と電車の揺れ、それに青王様の腕の中という安心感から、ついウトウトしてしまったらしい。「穂香、もう着くよ」という声で目を覚ますと、電車は宇治駅に到着するところだった。
「あっ、すみません、私...」
「かまわないよ。夕べはあまり眠れていないのだろう。朝から少し目が赤い」
「えっ、あ...それは...」
「まぁ穂香が大丈夫なら行こうか。でもあまり無理はせず、途中で休憩をしながらのんびり歩こう」
私は電車を降りるとまずホームのベンチへ向かい「ここで少しお茶を飲んで行きましょう」と腰を下ろした。隣に座った青王様に水筒とロリポップを渡すと「チョコレートまで持ってきてくれたのか。ありがとう」と笑顔を見せた。

「ん?これはいつもと少し違うね」
「そうなんです。今日は歩いて疲れると思ったので、ガナッシュはいつもより甘めにしました。でも甘くなりすぎないように、まわりのチョコはハイカカオのビターチョコにしたんです。でもやっぱりいつものほうがよかったですか?」
「いや、いつものもこれも、どちらも好きだよ。それに手で直接持たずに食べられるのもいいね」
「よかった。まだあるので、またどこかで休憩したときに食べましょう」
「そうだね」と、私の頭をそっとなでた。

ゆっくりお散歩をしながら宇治神社に着くと、まずは授与所へ『うさぎ絵馬』をいただきに行った。
「この絵馬にお願い事を書いてからお参りをしましょう」
「願い事か...穂香には内緒にしてもいいかな?」
「え~、内緒ですかぁ...ふふ、いいですよ。気になるけど、嫌なら無理に見たりしませんから」
「よかった。ありがとう」
お願い事を書き終えお参りをしたあと、青王様にここでの一番の目的を説明した。
「うさぎさん巡りと言って、この絵馬を持って本殿を時計回りに三周するあいだに三つのうさぎの置物を見つけられると、ここに書いた願い事以上のご利益を授かれるんです」
「それならわたしも、この願い事を叶えてほしいから真剣に探すよ」
「妖力を使って見つけたらだめですよ」
「絶対に叶えて欲しいからね。そんなずるいことはしないよ」
「ごめんなさい。青王様はそんなことしないって、ちゃんとわかってますよ。では行きましょうか」
それから私たちは本気で探し始めた。
二周して二つのうさぎを発見した。でも、どうしても最後の一つが見つからない。ちょっと焦る気持ちもあるけど、あと一周してこの場所に戻ってくるまでにもう一つ見つければいいのだ。必ず見つけられると信じ一歩踏み出した。

蟻一匹も見逃さないぐらいの気持ちで、あっちこっちのぞき込んだりしながらゆっくり見て歩き、それでもどうしても見つからなくて諦めかけたとき「あ、あった...!」やっと見つけた最後の一つ。なんだかホッとして力が抜けていくのがわかる。体全体が緊張していたみたいだ。

「穂香、全部見つけられたみたいだね。わたしもやっと見つけたよ。さぁ、絵馬を掛けに行こうか」
私は笑顔でうなずき、お互いのお願い事が見えないように絵馬掛けに絵馬を結びつけた。
青王様はどんなお願い事を書いたんだろう。私のお願い事も叶うといいな。

続けて宇治上神社にもお参りをして、近くのお茶屋さんで休憩をしたあと、もう一つの目的だったお買い物に行くことにした。
宇治川に架かる朝霧橋の上で、ふと空を見上げると綺麗な彩雲が出ていた。
空を指さしながら青王様に声をかけると、私と同じように空を見上げ「彩雲か。わたしたちがここへ来たことを歓迎してもらえているのかな」と私の顔を見て微笑んだ。
「なんだか良いことがありそうですね。これから行くお店でいいものを見つけられそうな気がします」

目的のお店に着き色とりどりの雑貨やアクセサリーが並ぶ店内に入ると、そのかわいらしさに目を奪われた。つい見入ってしまったけれど「いけない。ちゃんとした目的があって来たのに...」なにも言わず後ろからそっと見守ってくれていた青王様に
「ここは組紐のお店なんですよ。実は青王様にこの組紐をプレゼントしたくてここに来たんです」
「わたしに?」
「はい。青王様はいつも、着物の端切(はぎ)れで作った紐で髪を結ってますよね。でもせっかく綺麗な髪なのだからこういう綺麗な組紐で結ってほしくて」
「穂香...」
私は何本もの組紐を、あれでもない、これでもないと、一本ずつ青王様の髪に合わせていく。
「あっ、これがいいと思います。どうですか?」
「うん、わたしもこの色がいいと思う」
「ではこれにしましょう」
薄いベージュと白の糸で組まれた組紐を店員さんに渡し、会計をして包んでもらう。
店を出たあとは宇治川のほうへ戻り、宇治公園で休憩することにした。

公園のベンチに座ってお茶を飲んでいると、私たちの前を、手をつないでお散歩をしている老夫婦や犬のお散歩をしている親子が通り過ぎていく。
わた雲が浮かぶ空を見上げていると穏やかな気持ちになる。そういえば、あの頃も青王様とよくこうして空を見上げて、雲の流れや星の瞬きを眺めていたなぁ。
「こうしてゆっくり空を眺めるのはいつぶりだろう。空良がいなくなってから、わたしはこういう穏やかな時間があることを忘れていたよ」
「青王様...私も今、あの頃のことを思い出していました。懐かしいですね」
「穂香、もしよかったら...あ、いやその...先ほどの組紐で髪を結ってくれるかい?」
「わかりました。少し横を向いてください」
青王様のサラサラとした絹のような髪を後ろで一つに結う。組紐が解けてしまわないようにしっかりと。
スマホで写真を撮り「こんな感じです」と青王様に見せた。
「素敵だね。この色にしてよかった。ありがとう、穂香」
「いえいえ、よくお似合いです」

さっき青王様は、もしよかったら...このあと本当はなにを言おうとしたのだろう。きっと髪を結って欲しかったわけではないと思う。

「そろそろ帰りましょうか。伏見稲荷駅の近くでちょっと買いたいものがあるんです」
「ではゆっくり行こうか」
「はい。帰りは京阪に乗るのでこっちです」
青王様の少し後ろで、大きな背中を見ながら歩いていると「やっぱり私は青王様のことが好きなのかも」と思う。でも私はただの人間で、青王様とは住む世界も生きる時間も違いすぎる。

伏見稲荷駅に着き、近くにあるお店へ向かう。
「ここの生姜のおせんべいが大好きなんです。とってもおいしいですよ」
薄く焼いた玉子せんべいを折りたたみ生姜味の砂糖蜜をかけたもので、サクサクした食感としっかりした生姜の風味がクセになるお菓子なのだ。
「それではわたしも買っていこう。穂香のおすすめなら母上もよろこぶだろう」
生姜のおせんべいを二袋ずつ購入すると、お店のお姉さんが「これ失敗作だけど、おまけに入れておきますね」と、耳の先が少し割れてしまった狐のお面のような形のおせんべいも入れてくれた。

「今日はとても楽しかった。ありがとう。それにこの組紐はわたしの宝物だ。大切にするよ」
「いえ、こちらこそありがとうございました」
青王様は「穂香...」と、なにか言いかけて黙ってしまった。宇治公園で休んでいるときもなにか言いたそうだった。もしかして、絵馬になにを書いたか聞きたい...とか?

「あっ、そろそろ(ふじ)の開店準備を始めたいので、明日の閉店後に(ほまれ)寿(ひさ)に会えますか?」
「あ、ああ、わかった。二人に声をかけておくよ」
「では明日、王城にうかがいますね。よろしくおねがいします」
青王様は笑顔でうなずき「店まで送るよ」と言って一緒に帰ってくれた。

部屋に戻り一人になったとき「もう少し青王様と一緒にいたかったな」と、少し寂しさを感じた。
一緒にお出かけをして楽しい時間を過ごしているうちに、青王様に対する自分の気持ちを確信した。空良ではなく穂香として、今の私として青王様のことが好きなんだ。
でもそんなこと絶対に言えない。人間の私に好きだと言われても、きっと青王様は困ってしまうだけだ。


「青王様おかえりなさい。どこに行ってたんですか?」
「ちょっと散歩にね」
「おしゃれして、デートですか?ん?その組紐は...」
瑠璃は目敏(めざと)く組紐を見つけわたしに詰め寄ってくる。
「いや、これは...しかもデートって...いいか、ただの散歩に行っていただけだ」
「ごまかさなくてもいいじゃないですか。穂香さんと一緒だったんですよね」
顔がどんどん熱くなっていく。瑠璃には隠し事ができないようだ。穂香、すまない...

「穂香から瑠璃には内緒にしてほしいと言われているんだが...」
瑠璃はちょっといじけたような恨めしそうな目で見てくる。
「出かけるから一緒に来てほしいと言われて、宇治まで行ってきた。いつもの端切れの紐ではなく綺麗な組紐を使ってほしいからと、組紐の店でこれを選んでくれたんだ」
「まぁたしかに、青王様の髪にあの紐は合わないですからね。それで、青王様は穂香さんに誘われたとき、どう感じました?うれしいと思いましたか?」
「もちろんうれしかった。つい...その...口づけをしそうになってしまった...でも穂香は下を向いたまま顔を上げてくれなかった。恥ずかしくなったと言っていたけれど、穂香に不快な思いをさせてしまったかもしれない」
「はぁ...見ていればわかりますけど、青王様は穂香さんのことがお好きなんですよね。どうしてちゃんと穂香さんの気持ちを聞こうとしないんですか?」
「それは...穂香のことはしっかり考えるからそんなに焦るな」
瑠璃はため息をつき呆れたという顔をしている。けれどわたしも、どうすればいいかわからないのだ。穂香の気持ちもわからないのに、自分の気持ちを伝えることで彼女を苦しめることになってしまったら...と思うと怖いのだ。

「あっそうだ。穂香が藤の開店準備のために誉と寿に会いたいと言っていた。二人に、明日の夕方王城へ来るよう伝えておいて欲しい」
「わかりました。伝えておきます」
もう!青王様も穂香さんも本当にじれったい!
あんなに長い時間一緒にいたんだから、お互いの考えていることぐらいわかるでしょ、って思う。

でも、穂香さんは人間であることを気にして、自分の気持ちに(ふた)をしているように見える。きっとそれさえなければ、青王様にしっかり気持ちを伝えることができる人だ。

青王様に組紐を贈ったのはたぶん、空良様が青王太子様の髪を短く切り手入れをしていたことを思い出したから。
穂香さんはよく青王様の髪をチラチラと見て、なにかを気にしている感じだった。自分がいなくなってから伸ばしっぱなしにしている髪を、あんな粗末なもので結っていることに心を痛めていたんだろう。

青王様だってずっと穂香さんのことを気にしてて、大切に思っているし好きなんだよね。だけど穂香さんの気持ちはわからないからなんて言って、ただ聞く勇気がないだけじゃない!

お互いに、相手がどう思っているかわからない、気持ちを伝えても困らせてしまう、って勝手に思ってなにも言えないでいるなんて、そんなのもったいないよ...
「穂香さん、(ほまれ)寿(ひさ)に今夜王城へ来るように伝えておきましたよ」
「ありがとう。開店にむけてそろそろ本格的に打ち合わせを始めないと」
「そうですね。もう少しメニューやレシピも考えないといけないし...」
「店内の備品は青王様が揃えてくれているはずだから、セッティングは私たちでやりましょう」
「それはわたしの妖力でササッと終わらせちゃいますよ!」
そうだ。瑠璃には転移の力があるんだった。物を移動させるのなんて簡単なこと。あの頃も大掃除のときなんかに家具を動かしてもらっていたな。
「ふふ、頼りにしてるからね」
瑠璃は大きくうなずきながら、商品を持って店のほうへ向かった。時計を見るともうすぐ開店の時間だ。私もいそいで準備しなきゃ。

「いらっしゃいませ」
西の空がオレンジ色に染まりつつあるころ、ある一組の男女のお客様がやってきた。
「うわぁどれもおいしそう。あれ?これって...」
「ん?ああ、あの店でもこういう印、付いてたよね」
二人がボンボンショコラを見て話す内容に、私はドキッとして背中が冷たくなるのを感じた。
こういう印とは、中のガナッシュやフィリングを区別するために、ボンボンショコラの側面に色づけをしたホワイトチョコで付けた小さな点のこと。
自由が丘の店では、同じ形だけど中身が違うボンボンショコラがいくつもあったから、混ざってしまわないように付けていたのだ。本当はもう必要ないけれど、今も癖でなんとなく付けてしまう。
「もしかして、自由が丘のお店にいた店員さん?」
「あ...はい、そうです」
「やっぱり!突然この印がなくなったと思ったら間違いが増えて、しかも味も落ちちゃったのよ。すごくおいしくてお気に入りだったのにショックだったわ」
「すみません、突然辞めてしまって...」
「あの店のオーナー、パワハラがすごいって噂で聞いたんだ。最近ほとんどお客さんが入らなくて今月いっぱいで閉店するらしいよ。辞めて正解だったんじゃないかな」
「そうだったんですか。でも、お客様にはご迷惑をおかけしてしまって申し訳ありませんでした」
二人に頭を下げると「謝らなくていいよ。大変だったね」と声をかけてくれた。
苦しかった毎日を思い出してしまい、やさしい言葉を聞いたとたん涙があふれてしまった。
「すみません...」
「穂香さん、テンパリング終わりましたよ」
「え?あの、ちょっとチョコレートの様子を見てきます。すぐ戻りますね」
本当は今、テンパリングなんてしていない。きっと瑠璃が気を利かせて涙を拭く時間を作ってくれたのだ。
冷たいタオルで目元を拭いたあと、二種類のボンボンショコラをそれぞれ半分にカットしピックを添えて店内へ戻った。
「すみません、おまたせしました。よかったら試食してみてください。あの店とは別の種類のカカオを使っているので、だいぶ味が違うと思います」
「ありがとう。いただきます」
「お、うまい!」
「ホントにおいしい!やだ、どうしよう」
女性のお客様が「太っちゃうよぉ」と言いながら、でもとても楽しそうに話している。
「彼の仕事の都合でね、京都に引っ越すことになったの。だからこのタイミングで結婚することにしたのよ。それで今日はやっと引っ越し荷物が片付いたから伏見稲荷にお参りに行ってきたの。そうしたらまさかまたあなたのチョコレートに出会えるなんて!」
「そうだったんですか。ご結婚おめでとうございます」
「ありがとう。これからよろしくね」
「こちらこそ。いつでもお待ちしています」
二人は店内を行ったり来たりし、たくさんのお菓子を抱える奥様に旦那様が「いつでも来られるんだから、少しずつ買ったほうがいいよ」と声をかけると「そうね、新しいうちに食べたほうがおいしいよね」と仲良く選んでいる。幸せそうでちょっとうらやましいな。

長い時間ずいぶんと悩みながら焼き菓子を選び、今度は冷蔵ケースの前でケーキとチョコのどちらにするか悩んでいる。
「チョコレートは、ご結婚のお祝いに私たちからプレゼントさせてください」
「え、うれしい!ありがとう!」
「ありがとう。それじゃあ今日はケーキを買おうかな」
二人が選んだ二つのケーキを、瑠璃が厨房へ持っていきデコレーションをして戻ってきた。
「今日は特別にデコレーションさせていただきました」
「うわぁ、かわいい!」
「本当に、いろいろありがとう」

笑顔で帰って行くお客様を見送ると、瑠璃が私の顔をのぞいてきた。
「穂香さん、いやなこと思い出しちゃいましたよね。大丈夫ですか?」
「ありがとう。もう大丈夫」
「よかった。それで、あの、穂香さんは青王様のことがお好きですよね。見ていればわかります。青王様に気持ちを伝えたりしないんですか?」
「え...だって...人間の私がそんなことを言っても、青王様を困らせるだけでしょ」
瑠璃が口を開きかけたとき、数名のお客様が来店された。そろそろ会社帰りのお客様で賑わう時間だ。

「いらっしゃいませ」
「よかった。今日はチョコレートのモンブラン残ってた」
「ありがとうございます。お電話いただければお取り置きもできますよ」
「それじゃあ今度からお願いするね」
瑠璃が箱詰めしたケーキを渡すと、とてもうれしそうな笑顔で帰っていった。

次は大量注文のお客様。
「明日、チョコチップクッキーと蜂蜜のフィナンシェ、三十個ずつ欲しいんだけどお願いできますか?」
「大丈夫ですよ。ご来店は何時頃のご予定ですか?」
「お昼過ぎには来られると思います」
「かしこまりました」


その後もバタバタしているうちに、あっという間に閉店時間になった。
「先に仕込みしちゃう?」
「いえ、誉たちが待ってると思うので先に王城に行きましょう」

おやつにシュークリームを持って行き、瑠璃に紅茶を淹れてもらい打ち合わせを始めた。「シュークリーム、おいしい!」
「寿、口のまわりがクリームだらけだよ」
誉は寿の顔を拭き、クリームがこぼれない食べ方を教えていた。二人はとても仲が良くて微笑ましい。
一息ついたところで店内を整備する日程や商品ラインナップを決め、研修のために明日から Lupinus に来るよう伝えた。
今まで何度か試食会をしたり瑠璃に持って行ってもらったお菓子を食べて、二人はほとんどの味と商品名を覚えていた。記憶力がいい二人なら、接客や箱詰めの方法など必要なことをすぐに覚えられるだろう。
「明日は初日だから、わたしも朝から閉店まで二人の様子を見ていようと思う」
「わかりました。それなら夕食にトマトのカレーを作りますね」
「ありがとう。せっかくだから王城で作ったらどうだろう。実は離れのそばでトマトとナスを育てているんだ。もうたくさん実っているからそれを使うといい。それに父上と母上にも食べさせてやりたい」
誉と寿も「カレー食べたい!」と期待に満ちた顔をしている。
「青王様が育てたトマト...はい、がんばってあの頃と同じカレー作りますね」
「わたしも手伝うよ」
「えぇ~、お手伝いはわたしがします!」
青王様と瑠璃がお手伝い権を取り合っている。「瑠璃はいつも穂香と一緒にお菓子作りしてるじゃないか」「それはお手伝いじゃなくてお仕事ですっ!」青王様はちょっと困った顔で言葉に詰まっている。瑠璃は結構気が強くて、青王様にもしっかり言い返す。
「二人とも、王城の厨房は広いんだから三人で作りましょう。あ、四人かな?きっと茜様も来てくださると思うし」

青王様と瑠璃のやりとりを、ぽかんと口を開けて見ていた誉と寿。きっと青王様のあんな子どもっぽいところ、初めて見てビックリしただろうな。

「瑠璃ちゃん、そろそろ戻って仕込みしましょう」
「あっ、そうだった!」

「明日の朝、待ってますね」と手を振ると、青王様たちも手を振りながらお見送りしてくれた。
「おはようございます!よろしくお願いしますっ!」
「お願いします!」
元気よくやってきた二人にエプロンを渡すと、さっそく瑠璃が付けかたを教えていた。後輩ができたことがうれしいようで、とても張り切っている。
「穂香、瑠璃、二人のことは頼んだよ」
「はい。安心して(ふじ)を任せられるようにしっかり育てますね」
青王様は一つうなずき、厨房の奥にある椅子に腰掛けた。

「レジや冷蔵ケース、それに棚の位置とか、藤でも同じ機材を使ってできる限りここと同じレイアウトにするわ。だからここでしっかりできるようになれば、あとはただ店の場所が変わるだけだから困ることはないと思うの」
「はい。がんばって覚えます!」
「それじゃあ瑠璃ちゃんは寿(ひさ)にいろいろ教えてあげてね。(ほまれ)には私が教えるわ」
それぞれ挨拶をし、開店の準備を始めた。

まずは品出しから。
瑠璃たちは焼き菓子などの棚に並べる商品を、私たちはケーキなどの冷蔵ケースに入れる商品を持ち厨房を出る。
寿は商品名の札と商品の組み合わせをしっかり確認しながら、間違えのないよう慎重に並べている。
対して誉は手際よくどんどん並べていく。以前働いていた和菓子屋さんでは、寿は品出しをしたことがなかったと誉が教えてくれた。
「これで品出しは終わり。会計や箱詰めは実際に接客しながら教えるわ。それじゃ開店しましょう」

一度にたくさんのお客様が入ることはなく、それぞれに会計と箱詰めを教えることができた。レジの使い方が少し難しかったようだけど、やっているうちに覚えられるだろう。
「少し早いけど、完売しちゃったから閉店にしましょう。ある程度片付けたら王城に行って夕食にしましょうね」
寿は「やった~!もうおなかペコペコですぅ」とおなかをさすっている。
「わたしは先に戻ってトマトとナスを収穫しておくよ」
青王様は「母上も楽しみに待っているよ」と言って戻っていった。


「ただいま戻りました」
「誉、寿、おかえり。穂香も瑠璃もお疲れさま」
「お待たせしました。さっそくカレーを作りましょう。誉と寿は今日の復習をしながら待っててね」
青王様は「穂香、ちょっと...」と私を呼び止めると「さっきからその辺りを母上がウロウロと歩き回っている。気をつけて」と耳元でささやいた。
「気をつけて...って?」

厨房に向かって歩いていると、うしろからドタバタと足音が近づいてきて突然抱きつかれ転びそうになった。
...なるほど、そういうことだったか...
「穂香ちゃ~ん、いらっしゃい!待ってたのよ~。一緒にカレー作りましょうね~」
「あ、茜様、こんばんは。今日はよろしくお願いします」
茜様は私の腕をガシッとつかみ「もう離さないわよ~」と楽しそうに小躍(こおど)りしながら歩いている。
歓迎していただけるのはとてもありがたい。でも今の私が青王様の妃になることはないのだから、もしそれを期待されているとしたら...と思うと心がチクチクと痛む。

「すごい!おいしそうなトマトがいっぱいですね」
「青王ったら毎日毎日『おいしくそだ...』」
「母上!それ以上は言わないでくれ!」
青王様が真っ赤な顔をしてめちゃくちゃ焦っている。きっと畑で野菜たちに話しかけているところを茜様に見られたのだろう。
実は空良の時に何度も目撃していたけれど、あえて知らないふりをしていたのだ。そうやって野菜の世話をしている時の青王太子様が、とてもやさしくて幸せそうな顔をしていたから。
私は青王様に「湯むき、お願いします」とトマトを手渡した。
「瑠璃ちゃんはご飯を炊いてね。それからサラダ用のフルーツのカットも」
「はい!」
「茜様、私たちはタマネギを切って炒めましょう」
「ふふ、こうしているとあの頃を思い出すわぁ。なつかしいわね」
「そうですね。あの頃は楽しかったなぁ...」
でももう戻れないんだと思ったら胸の辺りがキュッとなった。

茜様がタマネギを炒めてくれているあいだに、私はナスと青王様が湯むきをしてくれたトマトを大きめに切っていく。
あとは隠し味であるバナナを、丁寧に裏ごししピューレにする。

私は小さい頃からトマトとナスが入ったカレーが大好きで、よくおばあちゃんに作ってもらっていた。だけどおばあちゃんのカレーにも、大きくなり自分で作るようになってからも、一度もバナナが入ることはなかった。
でも先日青王様と一緒にトマトのカレーを作ったとき、前世の記憶と共にこの隠し味のことも思い出した。それからは私もこの隠し味を入れるようになったのだ。

「できた!瑠璃ちゃん、誉たちを呼んできてもらえる?」
「父上はわたしが呼んでくるよ」
「はい、お願いします」
茜様と二人でカレーとサラダを盛り付けテーブルの準備が整ったころ、丁度みんながダイニングに集まった。
「いただきます!」
このカレーを初めて食べる誉と寿は、おいしいと言いながら夢中になって食べている。
「空良妃と同じ味だね。なつかしいなぁ」
「ええ、本当に。作りかたも隠し味もあの頃と同じだった。穂香ちゃん、また一緒にお料理ができてうれしいわ」
「ありがとうございます」
「ねぇ穂香ちゃん、またここでみんな一緒に暮らさない?」
「え...?」
それが叶うならどんなに幸せか...でも私は青王様の妃にはなれない。
だけど瑠璃のように、王城に住み込みでお手伝いをしながらお店のこともできるかな...
この際だから王城で雇ってもらうとか?
...って、私なに考えてるの?!
「穂香...穂香?」
「あ!はい、すみません...」
「穂香ちゃんがいてくれたらわたしも楽しいし、なによりあなたたちはお互いに惹かれあってるんでしょ?見ていればわかるわよ」
「母上!突然なにを言うんですか!穂香が困っているじゃないか」
私は驚きで声も出ない。青王様に自分の気持ちを伝えることはできないのに、茜様にはこの気持ちに気づかれていた。瑠璃にも見ていればわかると言われていたし、ちょっと青王様に馴れ馴れしくしすぎたかな...
ん?お互いに、ってどういうこと?
「だって~、二人で話してるときの穂香ちゃんはキラキラしてるし、青王はやさしい顔をしてるし、幸せオーラがにじみ出てるもの~」
青王様と私は顔を見合わせ固まってしまった。
「ほら~やっぱり~。二人とも顔が真っ赤よ。恥ずかしがってないで、ちゃんと気持ちは伝えなきゃダメよ」
「母上...」
私は恥ずかしさと、この気持ちは心に留めておかなければいけないという思いで頭の中がごちゃごちゃになって、涙があふれてしまった。
「ごめんなさい、私...」
どうしたらいいのかわからなくて、ダイニングを飛び出してしまった。
「一度部屋に戻って落ち着こう...」
「青王、ごめんなさい。穂香ちゃんの気持ちも考えないであんなことを言ってしまって」
「穂香は自分が人間であることを気にしている。半妖だった空良でさえあんなに気にしていたんだから」
「もうここへは来てくれない、なんてことないわよね...」
「どうだろうな。とりあえず穂香の様子を見てくる」
瑠璃に、事態を飲み込めないでいる誉たちに説明するよう指示し、青王は穂香のもとへ向かった。

「大丈夫かい?」
「青王様...取り乱してしまってすみませんでした」
「穂香、わたしは穂香のことをとても大切に思っている。できることならずっと抱きしめていたい。穂香が人間であることを気にしているのはわかっている。でも本当の気持ちを聞かせてほしい。どうか話してはもらえないだろうか」
青王様の綺麗な水色の瞳が、とても不安げに揺れている。
今、本当の気持ちを言ってしまったら青王様を困らせてしまう。でも、私のことを大切だと言ってくれた青王様に、その気持ちには応えられないと言ったら悲しませてしまうかもしれない。
やっと止まりかけた涙がまた流れ始めうつむく私の頭をなでながら「落ち着いてからでかまわないから」とやさしく声をかけてくれる青王様。

『穂香、大丈夫よ。この人ならあなたを絶対に大切にしてくれるわ。自分の気持ちに素直になりなさい』
顔を上げられないでいると、脳内に直接語りかけるような声が響いた。どこかで聞いたことがあるようで懐かしい、でも誰だかわからない、(おだ)やかで澄んだ安心感のある声。

「わ、私...青王様のことが好きです。初めは空良の気持ちを思い出しているだけだと思っていました。でも、ちゃんと今の私の気持ちなんだ、って気がつきました。ただ、私は人間だから...」
「穂香、ありがとう」
私を笑顔でぎゅっと抱きしめるこの人の腕の中は、なんて暖かくて安心できる場所なんだろう。ずっと帰りたかったところへやっと帰ってこられたんだと思ったら、だけどこれで青王様を困らせてしまうかもしれないと思ったら、また涙が溢れて止まらなくなってしまった。

青王様は私が顔を上げるまで、何も言わずずっと抱きしめてくれていた。
「少し落ち着いたかい?」
「はい...あっ!」
「どうした?」
突然我に返ってしまった。ムードもなにもあったもんじゃないな...
「すみません...茜様に謝らないと。それに明日の仕込みもしないと」
青王様は驚いた顔をしながらも「母上には明日の夜にでも会いに行けばいい。わたしは穂香ともう少し話したかったが...次の休みにでもまた二人で出かけようか」と笑顔を見せてくれた。
「お出かけしたときには、私が思っていることをちゃんとお話しします」
「わかった。どこかゆっくりできるところで話そう。では、わたしは王城に戻って瑠璃を来させるよ。穂香は厨房で待っているといい」
「ありがとうございます。おやすみなさい」
青王様は私の頭をポンポンとなで「おやすみ」と帰って行った。

厨房へ入るとちょうど瑠璃もやってきた。
「穂香さん、大丈夫ですか?」
「瑠璃ちゃん、びっくりさせてごめんなさい。もう大丈夫よ」
「よかった。夕食、あんまり食べてなかったからおなかすいてませんか?カレー持って来たので、よかったら仕込みの前に食べてください」
トレーに乗せたカレーとフルーツサラダをテーブルに置き、冷たい麦茶を淹れてくれた。
「ありがとう、いただくわね。瑠璃ちゃんは仕込み始めてて」
「はーい」

絶対に言ってはいけないと思っていたのに、突然降ってきた誰かの声に背中を押され勢いで言ってしまった本当の気持ち。それを聞いた青王様が笑顔を見せてくれたことで少しホッとしたけれど、やっぱりまだ不安や迷いは消えない。

「穂香さん、わたしのほうは終わりました」
「お疲れさま。こっちももう終わるから瑠璃ちゃんは戻って大丈夫よ」
「はい。お疲れさまでした」
瑠璃が戻ったあと、私は明日茜様に持って行こうと思い、たくさんのボンボンショコラを作った。ほんの少し悪戯(いたずら)をしかけて...


「おはようございます!」
「おはよう。二人とも、昨日はビックリさせてごめんなさい。今日も研修頑張ってね」
「はーい!」
瑠璃が、(ほまれ)寿(ひさ)に昨日の出来事に至るまでの経緯を説明したと言っていた。それでも今日二人はいつも通りに、何事もなかったかのように接してくれた。
「穂香さん、今日はわたしたちが冷蔵ケースのほうの品出ししますね」
「よろしくね」

今日はお客様が多くて忙しかったけれど、二人はしっかり接客ができていた。この調子なら安心して(ふじ)を任せることができそうだ。

「お疲れさま。私も王城に行く用事があるからみんなで戻りましょう」
ボンボンショコラが詰まった箱を持ち王城へ戻ると、青王様と白様、茜様が出迎えてくれた。
「白様、茜様、昨日は取り乱してしまってすみませんでした」
「穂香ちゃんは悪くないわ。わたしはあなたの気持ちも考えずに思ったことをそのまま口にしてしまった。軽率だったわ。本当にごめんなさい」
「あ、あの、もう大丈夫ですから」
深く頭を下げる茜様に恐縮してしまい、私はあたふたするばかり...
格上の人にこんな風に謝られたらどうしていいかわからない。
「えっと...ボンボンショコラを持ってきました。みんなでお茶にしませんか?」
「紅茶、淹れてきますね!」
瑠璃が厨房へ走って行く。その後ろを「お手伝いします」と寿が追いかける。
「穂香ちゃん、ありがとう。お茶の後に二人だけで少しお話できるかしら?」
「はい、大丈夫です」

「紅茶の準備ができました。ダイニングへどうぞ!」
ボンボンショコラを大皿に並べると、私はみんなに説明した。
「今日はロシアンルーレットにしました!」
みんなの頭の上に「?」が浮かんでいる。
「この中に二つだけ、唐辛子が入っているものがあります。でも人間の世界には実際に唐辛子や胡椒が入っているチョコレートが売っているので、特におかしなものではありません」
「それを選んだらアタリなのかな?それともハズレかな?」
「うーん...それは、もし白様がそれをおいしいと思ったらアタリ、まずいと思ったらハズレ、ではないでしょうか」
「なるほど。そう言われればたしかにそうだね」
青王様と瑠璃はワクワクした表情で、ほかのみんなは息をのんで慎重に選んでいる。
ちなみに私が選んでしまったらおもしろくないので、だれも気づかない程度の目印をつけてある。
それぞれ選んだボンボンショコラを持ち、一斉に一口かじる。

一つ目、二つ目はだれも唐辛子を引かなかった。そして三つ目...
口に入れしばらくすると、青王様と茜様が同時に動きを止めた。
「うっ、辛っ!ん?...でもおいしいな」
「辛いけれど、これはこれでありね!」
意外にも二人にはアタリだったようだ。
「わたしにとってはアタリなのかハズレなのか、気になる...」
「穂香さん、わたしも食べてみたいです!」
「白様、瑠璃ちゃんも、きっとそう言うと思ってちゃんと持ってきていますよ」
私は別の大皿に全部同じ形のボンボンショコラをいくつも並べ
「なにも印がないものが唐辛子、白い粒が乗っているのが胡椒、それからホワイトチョコにはワサビが入っています」
「ワサビって、あのツーンとするワサビ?」
「茜様、そのワサビです」

とにかくみんな、まずは唐辛子のものを一口。これは全員アタリだったようだ。
次に胡椒のものをかじると、誉と寿にはハズレで青王様には大アタリだった。「ピリッとしたあとにくる爽やかな感じがいい!」そうだ。
最後にワサビのもの。あまり刺激が強くないようにワサビは少なめにしてある。それにこれはホワイトチョコなので、苦みはなく甘さが強い。
「これおいしい!穂香さん、これは店にも並べませんか?」
「そうね、ワサビと唐辛子を並べてみましょうか。実は私もワサビチョコが好きなのよ」

それからしばらくわいわいとおしゃべりをしていると、茜様が私だけに見えるようにテーブルの下で廊下を指さした。
私はそっと廊下へ出て、少しすると茜様もダイニングを抜け出してきた。
「青王に見つからないように離れに行きたいのだけど」
「それなら懐中時計を使って行きましょう」
コソコソと話し、離れに移動してくると茜様のお部屋に案内された。
「二人だけで話したかったの。青王がいるとまたなにか言われるかなぁ、と思って」
「ふふ、内容によっては怒られそうですし」
「そうよね。別に悪口を言っているわけではないのにね。あっ、わたしたちがいないことに気づいたら探しに来ると思うから、伝えたかったことを先に話しちゃうわね」
椅子に座ると「お茶も出さずにごめんなさいね」と言って話し始めた。
「穂香ちゃんは、自分が人間であることを気にして本当の気持ちを言えないでいたのよね。だけどね、白様や青王は妖というより神に近い存在なのは知っているでしょ。純粋な人間である穂香ちゃんは、その神に近い青王が力を注いでいる泉の水を飲み続け、そして青王の子をおなかに宿すことで青王と同じ性質を持つ、つまり青王と同じような神に近い存在になるのよ」
「え...だったら空良は...」
「空良妃は半妖とはいえ妖の性質を持つ存在だった。自分は半妖だから青王よりはるかに寿命が短いっていつも気にしていたでしょ。だけどいくら泉の水を飲んでいても子を宿したとしても半妖であることは変わらない。だからこのことを空良妃には言わなかったの。変われるのは純粋な人間だけなのよ。わたしだって青王を産んでも妖であることに変わりはない。いつかは白様を一人にしてしまうときが来るわ」
「そんな...」
「そんな顔しないで。まだまだずっと先のことなんだから。それより、穂香ちゃんの悩みはこれで解消されたかしら?」
「えっと...」
なんて言えばいいのかわからない。私が青王様の子を宿すとか、神に近い存在になるとか、ちょっと想像が追いつかない。
でも青王様は子どもが欲しいといつも言っていた。空良はその願いを叶えることができなかったけど、もし私がそれを叶えられれば青王様にとても喜んでもらえるだろう。
青王様には笑顔でいてほしい。ずっと幸せでいてほしい。
「青王様もそのことは知っているんですよね?」
「もちろん。でも、穂香ちゃんの気持ちがはっきりわからないから、伝えることができずにいるみたい」
「そうですか。茜様、ありがとうございました。私、青王様に自分の気持ちをしっかり伝えます」
茜様は笑顔でうなずき「王城まで歩いて戻りましょう。なにか言われたら、星を眺めていたことにすればいいわ」そう言いながら離れを出る。今夜は満天の星だ。
王城へ戻る途中すねこすりたちが集まってきた。茜様は先に戻り、私はこの子たちを思いっきりなでまわした。「ほのか~もっとなでて~」とすり寄ってくるもふもふは、とにかくかわいくて癒やされる。
「穂香、楽しそうだね」
「あっ、青王様!一緒にもふもふしませんか?癒やされますよ~」
「おまえたち、わたしもなでていいかな?」
すねこすりたちは返事の代わりに青王様にすり寄って行った。
私たちはすねこすりたちと存分に遊び、みんながカカオの森へ帰るのを見送っていると、ふと目が合いそのまましばらく見つめ合ってしまった。
どうしよう、どんどん顔が熱くなっていくのがわかる。なんだかドキドキする...
すると青王様は「わたしは穂香をなでまわしたい...」なんてつぶやいた。
「はっ!?なに言ってるんですか!」
心臓がパンクしそうなほどドキドキして息が苦しい。青王様ってこんな冗談を言うような人だったっけ?
「もう!早く王城へ戻りましょう!」
「あ、いや...つい...すまなかった。そんなに怒らないでくれ」
私は聞こえないふりをして早足で王城へ戻り、何事もなかったような顔でダイニングへ入ると、すぐに瑠璃が声をかけてきた。
「穂香さん、どこ行ってたんですか?なんか顔が赤いですよ」
「茜様と星を眺めて、戻る途中ですねこすりたちと会ってね、思いっきりなでまわしてきたの」
「そ、そうですか...紅茶、淹れなおしますね」
「ハニーミルクティーにしてもらってもいい?」
「わかりました。少し甘めに淹れますね」

瑠璃が淹れるミルクティーは、ホッとする優しい甘さで心が落ち着く。
「明日お休みだから、青王様とちゃんとお話してみようかな...」そう思い、どこに行こうか考えた。静かでのんびりできるところってどこだろう?
「青王様、先ほどはすみませんでした。えっと、明日店はお休みなので、もしお時間があればお出かけしませんか?」
「え、あぁ大丈夫だよ。からかったりしてすまなかったね。いや、からかったわけではなくてその...穂香が...」
どんどん声が小さくなっていく青王様。半分ぐらいしか聞き取れなかった。
「え?」
「な、なんでもない。どこか行きたいところはあるかい?」
「この前の宇治公園もいいんですけど、糺の森(ただすのもり)をお散歩するのも気持ちがいいかなと思って。でも、ゆっくりお話ができればどこでもいいんです」
「それなら糺の森に行こうか。十時頃に迎えに行くから」
「はい、お待ちしてます」

瑠璃が残りのボンボンショコラを箱に詰めると、茜様がそれをうれしそうに持って白様と仲良く帰っていった。
「それではまた明日。おやすみなさい」
(ほまれ)たちも帰らせたし、瑠璃も部屋へ戻ったので私も帰ろうとすると「やっぱり送っていこう」と青王様が声をかけてきた。


「ありがとうございました...はっ?!ち、ちょっ...!」
直接自室へ戻ったのが間違いだった。青王様は突然私をベッドに押し倒してきた。
すると、ペンダントと懐中時計が同時に光りはじめた。
「あっ、懐中時計が...すぐに瑠璃ちゃんが来ますよ」
ハッとした顔の青王様が私から離れるのとほぼ同時に瑠璃が飛び込んできた。
「穂香さん!大丈夫ですか!って、あれ?青王様?あっ、青王様もペンダントに呼ばれたんですよね」
瑠璃は部屋の中を見回し危険がないことを確認すると「よかった。特に被害はなさそうですし青王様がいればもう大丈夫ですね」と戻っていった。
「青王様!どうしてこんなこと!...青王様?」
ものすごく落ち込んだ様子でベッドの横に正座をしている。
「あの...すみません、大声出したりして」
「いや、まさかわたしのことをペンダントが危険だと判断するとは...」
「あぁ、たしかにペンダントも光ってましたよね。あっでも瑠璃ちゃんは青王様が先に来て解決したと思ったみたいなので、押し倒したことはバレてませんよ」
それでもまだ正座のままうなだれている。
「あの青王様、お茶淹れますからここでお話しませんか?少し待っていてくださいね」

お茶を持って部屋に戻ると、青王様はまだ正座のまま渋い顔をしている。
「まだそんな顔しているんですか?」
「本当に申し訳なかった...」
「とりあえずお茶をどうぞ。宇治緑茶とお茶請(ちゃう)けの梅こんぶです」
青王様は梅こんぶを一つ口に入れ、お茶を飲んで一息つくと、私に頭を下げた。
「乱暴なことをしてすまなかった。穂香がわたしのことを好きだと言ってくれて、もう手放したくないという気持ちが抑えられなかった」
「あの、お願いですから頭を上げてください」
ゆっくり頭を上げ私を見つめる青王様の瞳が、少し(うる)んでいて悲しそうに見えた。
「私、青王様のことが好きなんだって気づいたけど、ただの人間がそんなこと言っても青王様を困らせてしまうだけだと思ったら、どうしても気持ちを伝えることができなくて...でもどこからか懐かしい声が聞こえてきて背中を押されたんです」
青王様は私をじっと見つめて聞いてくれている。
「青王様のことが大好きです。でもやっぱり不安で...だけど茜様がいろいろ教えてくださいました。青王様が受け入れてくださるなら、私は青王様と一緒にいたいです。お願いします。そばにいさせてください!」
大きく目を見開いたまま固まっていた青王様は、突然ひと筋の涙をこぼし私をぎゅっと抱きしめた。
「ありがとう、必ずしあわせにする。もう手放したりしない」
「青王様、ちょっと苦しいです...」
「あっ、すまない、つい力が入ってしまった」と私をゆっくり解放し、涙を(ぬぐ)って一度深呼吸をした。

「茜様のお話を聞いてちょっと気になったんですけど、京陽のカカオを使ってるとこちらの世界の人たちになにか影響があったりしますか?」
「それはないから安心していい。穂香は泉の水の話を聞いて気になったんだろうけど、あくまでも京陽国内で泉の水を飲むことでその力を得ることができるんだ。水はそのまま飲まなくても料理やお茶を淹れるときに使ってもいい。でも京陽から出たらそれはもうなんの力もないただの水。カカオも同様だよ」
「よかった。それならずっとあのカカオでチョコレートが作れますね」
青王様は私の頭をそっとなでながら「好きなだけ作るといい」と微笑んだ。
「わたしからも一つ話したいことがあるんだが、今日はもう休んで、明日糺の森で話そう」
「わかりました、十時に待っています。おやすみなさい」
青王様は小さくうなずくと私の頬に手をあて「穂香」とつぶやきそっと口づけをした。

座敷童子のパティシエールとあやかしの国のチョコレート

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