座敷童子のパティシエールとあやかしの国のチョコレート

青王様ったら、どうしてさっさと打ち明けないのかなぁ?
すごーく気にして、毎晩わたしに一日の出来事や様子を聞いてきたり、自分の力を注ぎ込んだペンダントまで持たせちゃって。
なにかあった時にいつでも助けに行けるようにって思う気持ちもわかるけど、相変わらずめちゃくちゃ過保護だよねぇ。まぁ、おかげであのオーナーが来た時は助かったけど...
穂香さんだって少しずつ思い出し始めているみたいだし、早く話して気持ちを確認すればいいのに...
「青王様、おはようございます」
「おはよう、よく来たね。それではさっそく商店街に行こうか」
「わたしはお留守番していますね」
「え、瑠璃ちゃんは行かないの?なんで?」
「ふふ、お二人でのんびり楽しんできてくださいね。あ、これ持って行ってください」
瑠璃はお茶が入った水筒二つとクッキーを差し出し「いってらっしゃーい」と手を振る。

王城を出て、カカオの森の中を歩き始めてそろそろ一時間ほど経つ。
「ふぅ...青王様、カカオの森ってどれだけ広いんですか?」
「出口まであと一時間はかからないと思うけれど、ちょっと疲れたかな?少し休憩しようか」
あと一時間はかからないって...それってまだ一時間近くかかるってことよね。
「はぁ、冷たくておいしい」
瑠璃が冷たいお茶とおやつを持たせてくれた理由がよくわかった。
「お手伝いにきてくれる妖たちは、いつもこんなに歩いてきているんですか?」
「いや。それぞれ飛ぶことができたり走るのが速かったり、中には瞬間移動ができる妖もいる。わたしだって飛ぶことも瞬間移動もできる。穂香だって懐中時計を使えば移動できるだろう」
「そ、それならどうして今日は歩いて移動しているんですか?瞬間移動すればいいのに」
「瞬間移動はできるけど、ちょっと苦手でかなりの力を使ってしまうんだ。それに、せっかく穂香と...」
青王様はもごもごとどんどん声が小さくなっていく。それにちょっと耳が赤いような...
「それなら懐中時計でもいいのに。商店街って言えば行けるんですよね?」
「まぁそれはそうなんだが...せっかくだから森の中をのんびり散歩するのもいいじゃないか」
「わかりました。そういえばたまに妖を見かけますけど、ここは王城の敷地の中なんですよね?」
「そうだよ。でもみんながゆっくり過ごせるように解放しているんだ。さて、そろそろ行こうか」

カラフルなカカオポットを眺めながら歩いていると、高いレンガの塀が見えてきた。よく見ると大きな鉄の門があり、門番らしき妖が数人立っている。
こんなに広い森だけどちゃんと全体が塀で囲まれているらしい。

門番の一人が「青王様、いってらっしゃいませ!そちらのお嬢さんもお気をつけて」とお見送りをしてくれる。
そういえばいつも護衛とか誰も一緒じゃないけど、青王様って王様なのに普段から一人で出歩いているのかな...

「うわぁ、賑わっていますね!」
「ここはいつも活気があって、見て歩くだけで楽しいんだよ」
「あれ?なんだかあっちこっちに井戸がありますね」
「京陽は綺麗な水が豊富に湧いているんだ。井戸は自由に使い放題だよ」
確かにみんな鍋や桶に水を汲んでいる。水が豊富って…そういえば青王様は雨を操ってカカオを守ってくれているけれど、
「青王様は何の妖なんですか?まさかカッパではないですよね...」
「カッパではないけど水にまつわる妖だよ」
カッパじゃないけど水関係...なんだろう?
「まぁそのうちわかるよ」
青王様はいつになってもなにも教えてくれない。そんなに言いづらい秘密があるんだろうか。

「え?きゃー!」
「穂香!!」
お店を覗いたりキョロキョロしながら歩いていると、突然なにかに腕を掴まれ細い路地に引き込まれてしまった。
あんなに賑やかだったのに、ここはなにも音がしない真っ白な空間。なにが起きているのかわからずただボーッと立ち尽くしていると、目の前に「ボッ」と黄色い炎が現れた。
「っ...!」
恐怖で声も出せない。「青王様!助けて!」と心の中で叫ぶ。きっとペンダントが私の居場所を教えてくれているはず。
すると黄色い炎は人の形に姿を変えた。もふもふの耳と尻尾がついているけど...あれは…狐?
「人間の女。俺の嫁になれ」
「は?!え...あ、あの...」
「俺さ、人間の世界に行きたいんだよ。でも自分の力では行けなくてさ。なにか手段はないかと思ってたら森の中でおまえを見つけたんだ。人間のおまえを嫁にすればずっと向こうにいられるだろ」
「早く連れて行け」と腕を引っ張られ、もうどうしたらいいのかわからない。
「青王様早く来て!」と心の中で叫びながら必死に抵抗するけど、どうしても振りほどくことができない。青王様、早く助けて...
わたしとしたことが、穂香が攫われる直前まであいつの気配に気づけないとは...

突然降り始めた前が見えないほどの豪雨で、買い物客は大慌てで避難し、商店は慌ただしく店じまいをしている。
商店街から妖たちの姿が見えなくなると同時に、二発の激しい落雷がおきた。すると辺りは目を開けていられないほどの眩しい光とともに、大きななにかが爆発したような衝撃に包まれた。
光が収まると、路地の入り口にうずくまる穂香と狐の妖の姿が現れた。青王は瞬時に穂香を抱きかかえると、狐の妖を大きな泡の中に閉じ込めその場を離れた。
「穂香、怪我はないか?わたしが一緒にいたのに、危険な目に遭わせてしまってすまなかった」
「青王様...私...怖かった...!」
(はる)、おまえはわたしがこの程度の結界を破壊できないとでも思ったのか。穂香にまで手を出すとはいい度胸だな。二度目はないと言ったはずだ。おまえには未来永劫、城内の牢にいてもらう。もちろん妖力も封印する!」
見るものすべてを震え上がらせそうな冷たい目をし、心まで凍り付きそうな冷たい声で話す、こんな青王の姿を穂香はただただ見つめていた。
まもなくやってきた数人の鬼が、遥を泡ごと担ぎ城へと戻っていく。遥は泡の中でしばらく暴れていたが、逃げられないとわかると力なくうなだれた。


いつの間にか雨は止み青空が広がっていた。
「本当に無事でよかった」と青王様は私をギュッと抱きしめて離そうとしない。背中に当たる青王様の指先はとても冷たく、少し震えていた。
「青王様、私...前にもどこかで狐の妖に襲われ...」
腕の力を緩め私と向き合った青王様がとても悲しそうな目をしていて、それ以上は言えなかった。
「あ、あの、私もう大丈夫ですから。せっかく来たんだからお店の場所、教えてください」
「穂香...あ、ああそうだな。みんなもう一度開店の準備を始めている。せっかくだから見て歩こうか」

あんなに激しい雨が降っていたのに、私は全然濡れていなかった。あの時私を雨から守ってくれていたのはたぶん、青く輝く...龍...?

「ここで和菓子を買っていこう。どれもおいしいが、わたしのおすすめはトロッとした干し柿が入ったようかんだよ」
「それではそのようかんにします。あ、でも三笠(みかさ)もおいしそう...」
「両方買うといい。瑠璃にも土産に買っていこうか」
「はい!」

和菓子の詰まった袋を手に、着物屋、器屋、雑貨屋などを覗きながらしばらく歩くと、
「ここだよ。 Lupinus のように広くはないけれど、ここにチョコレートを作る機材を置かないのなら十分だろう。二階の部屋を休憩室として使えばいいし」
「素敵なところですね。あ、お店の名前はどうするんですか?」
「それは穂香と瑠璃で決めるといい。でも、和風の名前がいいだろうな。そのほうが京陽の妖たちには覚えやすいと思う」
「そうですね。瑠璃ちゃんと相談してみますね」
二階も見てみようと廊下を階段へ向かって歩いていると、突然ポンッと音を立てて目の前に瑠璃が現れた。
「穂香さん!大丈夫ですか?怪我はないですか?」
「びっくりしたぁ...」
「あれ?瑠璃。遅かったな」
「だって...なんか護衛の鬼たちが騒がしくて、何があったのか聞いたら遥が穂香さんに手を出したって言うからびっくりしちゃって」
「腰でも抜かしていたか」
「違いますよ!青王様がすぐに救出したって聞いたけど、なかなか王城に戻ってこないからもしかしたらここで休んでるのかもって思ってお茶を持って来たんです!」
瑠璃はぷくっと頬を膨らませて、まったく失礼な...とブツブツ文句を言っている。私はその頬をつんつんと突っつきながら声をかけた。
「瑠璃ちゃん、心配かけてごめんね。わざわざ来てくれてありがとう」
すると「わーん!穂香さんが無事でよかったよぉ」と私に抱きついて泣きだしてしまった。
「瑠璃は穂香のことを本当に大切に思っているんだよ」
と、青王様は私の耳元でささやいた。
私は瑠璃の頭をぽんぽんとなでて「もう大丈夫よ」と慰めた。
「せっかく瑠璃がお茶を持ってきてくれたし、二階の居間でおやつの時間にしようか。確かちゃぶ台が置いてあったはずだよ」
「青王様が買ってくれた和菓子もあるのよ。一緒にいただきましょう」
瑠璃は真っ赤になった目元を拭い「はい」と笑顔を見せてくれた。

「このようかん、おいしい!」
「三笠も、小豆がふっくら皮がもちもち、おいしーい!」
三笠を一つペロッと食べ終えた瑠璃はお茶を一口すすり、ふぅ、と息をつく。
「そうだ!あんことチョコレートって合わせられますかね?」
「チョコレートまんじゅうって言うものもあるし、近いうちに色々試してみましょうか。 Lupinus だとちょっと違うと思うけれど、ここのお店なら和菓子を置いてもいいかもね」
青王様は私たちの話を「二人が楽しそうでなによりだ」と笑顔で聞いてくれていた。

「そろそろ王城に戻るかい?」
「そうですね。私はちょっとカカオの様子を確認したいです」
「わかった。それではカカオの森に行こうか」
「今度は懐中時計使っていいですよね?」
青王様はこくんとうなずいて苦笑いした。

カカオの森では、騒ぎを聞きつけたお手伝いの妖たちが心配して待っていてくれた。
「おかえりなさい」
「穂香さん、無事でよかった」
「みんな、ありがとう。青王様が助けてくれたから私は大丈夫よ。さあ、カカオの様子はどうかしら?」
発酵箱と乾燥棚のところへそれぞれ移動し、私が確認するのを待っている。
「この棚のカカオ豆を回収して、こっちの箱のカカオを並べてくれる?その棚のカカオ豆は向きを入れ替えてね」
みんなが作業を終えるころ、瑠璃がアイスクリームを持ってやってきた。
「みなさーん、今日はアイスクリームを作ってきましたー!食べてみてくださいっ!」
アイスディッシャーですくった丸いアイスがシュガーコーンの上に乗っているビジュアルに、みんな興味津々だ。
おそるおそる舐めてみた妖たちは「冷たい!」「おいしーい!」と夢中になって食べ始めた。
舌の上でとろけるバニラアイスと、リボン状に混ぜ込まれたチョコレートのパリパリ食感が楽しい。
「おいしいな。これは初めての食感だよ。たぶん苺やコーヒーのアイスでも合うんじゃないかな」
「ありがとうございます。次は苺とコーヒーで作ってみますね」

チョコレートの入ったアイスクリームはとても好評で、瑠璃もうれしそうだった。
お店で出すとしたらシュガーコーンではなく紙のカップになってしまうけれど、きっと京陽の妖たちに気に入ってもらえるだろう。アイス用機材の導入をしっかり検討しようかな。

「今日は本当にすまなかった。次から商店街に行く時はきちんと護衛をつけよう。店にももう一人、力の強い妖を店番として置くことにするよ」
「...はい、よろしくお願いします」
「わたしは穂香さんと一緒に、一度 Lupinus に行ってきます」
青王様は「気をつけて」と言って王城へ戻って行った。

「ねぇ瑠璃ちゃん、京陽の店の名前、二人で決めていいって青王様に言われたんだけれど、どんなのがいいかしら?」
「うーん...ここと同じように花の名前とか...?」
「花かぁ...花...(ふじ)、なんてどうかしら。花言葉は歓迎。藤の花には魔除けの効果があるとも言われているみたいよ」
「歓迎...いいじゃないですか!それにしましょう。きっと青王様も賛成してくださいますよ」
今度青王様に会った時に話してみようと思う。

「あの、懐中時計にわたしの妖力を込めさせてください。もしまた何かあった時、青王様のペンダントみたいにわたしにも知らせてくれるように」
「ありがとう。心強いわ」
瑠璃が懐中時計に触れると、一瞬ふわっと光ってあたたかくなった。
「これで大丈夫です。穂香さん、まだ時間ありますか?」
「ええ」
「それじゃあ、和菓子の試作しませんか?」
二人で厨房にこもり、時間を忘れてレシピ考案と試作をくりかえした。
「ねぇ瑠璃ちゃん、さっそく製造用機材をそろえるから、まずは京陽のお店にアイスクリームを置いてみない?」
「えっ!やったー!ありがとうございます」
「あと、昨日のチョコようかんとチョコ大福を定番商品にしましょう」

Lupinus の営業が終わったあと、青王様のところへ行き、京陽のお店の名前のことを話した。
(ふじ)か。いい名前だね。看板には藤の花の絵も描いて華やかにしよう」
「よかった。これでお店の名前は決まりですね!」
私たちが顔を合わせて「よかった」とうなずき合っていると、
「店番をしてくれる妖がもうすぐ来るよ。狐の妖だけど(はる)とは関係ないから安心していい...あ、来た来た。紹介するよ。二人は兄弟で、兄の(ほまれ)と妹の寿(ひさ)だ」
「はじめまして!五尾の狐の誉です。よろしくお願いいたします!」
「は、はじめまして、あの...三尾の狐の寿です」
誉は明るくてハキハキと話し、寿は内気な感じで誉の一歩後ろで小さくなっている。
「はじめまして、岩星穂香です。二人とも、これからよろしくね」
誉はにこにこ笑顔だけど、寿は緊張しているのか硬い表情をしている。この調子で接客なんてできるのか、ちょっと心配...

「いくつかお菓子を持ってきたの。こんな時間だけどみんなでお茶にしましょう」
「紅茶も淹れますね」
青王様も、誉も寿も期待に満ちたキラキラな瞳でこちらを見つめてくる。これで寿の緊張が解けてくれるといいんだけど。

「チョコレートっておいしい!カカオってこんな味だったんだ!お兄ちゃんが食べてるのはなに?」
「これはチョコ大福だって。お餅が柔らかくて中のチョコもとろとろで甘くておいしいよ。寿も食べてごらん」
寿の緊張はどこへ行ったのか、表情は一変し兄弟仲良く笑顔でお菓子を食べている。
「人間で言うと誉は大学生ぐらい、寿は中学生ぐらいかな。特に寿は幼く感じるけど結構しっかりしているから、誉をフォローしつつ店をうまくまわすだろう」
「二人仲がよさそうですね。きっと楽しく店番をしてくれそうだから安心して任せられます」
「あっ。そういえば店の警護には誰が来るんですか?」
「ああ、それなら城の警護をしている鬼たちの中から日替わりで一人ずつ行かせようと思う。店の入り口に立たせるとさすがに威圧感がすごいだろうから、二階に待機させるよ」
鬼が警護してくれるなんて、本当に心強いな。オーナーや遙が来ることはないだろうけれど、やっぱりちょっと不安だったから本当にありがたい。

「穂香さん、瑠璃さん、お菓子とってもおいしかったです!お客さんにもぼくたちがしっかりおすすめします!」
「しっかり味を覚えて、お客様のご希望に合わせておすすめしてね」
「はい、がんばります!」
「わたしもがんばります!」
二人とも力強く返事をしてくれた。寿の緊張も解けたようで一安心だ。

「開店日だが、穂香たちの準備が間に合いそうなら来月の始めでどうだろう」
「大丈夫だと思います。開店早々在庫切れしないように準備しますね」
「誉と寿も大丈夫かな?」
「はい、ぼくたちはいつでも大丈夫です」
「では、店の備品で必要なものをおしえてもらえれば、数日中にこちらでそろえておくよ」
「はい、わかりました」
明日、改めて打ち合わせをすることにして、今日はこれで解散となった。

翌日の営業終了後王城に集合した私たちは、まず試食会をすることにした。
ケーキや焼き菓子、クッキーにボンボンショコラなどなど。たくさんの種類を試食できるようにどれも一口サイズにカットしたり小さく作ってある。
「すごい!昨日は和菓子だけだったけど、こんなにたくさんの種類があるんですか?」
「昨日はお茶菓子にするのに少しだけ持ってきたの。商品はほかにもたくさんあるけれど、一度に全部試食するのは大変だから数日後にもう一度試食会しましょう。全部試食してみて、その中からお店に出す商品を誉と寿に選んでもらうわね」
「私たちが選んでいいんですか?」
「妖の国のお店なんだから、二人が選んだほうが妖の好みがわかるでしょ」
二人は「それもそうだね」といいながら、あれがおいしい!これが好き!と楽しそうに選んでいた。

「青王様、お店で必要なものですが、 Lupinus の店内と同じようなレイアウトにしたいと思うので、ケーキの冷蔵ケースと焼き菓子を並べる棚、あとはアイスクリームの冷凍ケースが欲しいです。ラッピングの材料は私が準備しますね」
「わかった。 Lupinus と同じものを用意するよ。それと、看板のデザインはわたしに任せてもらえるかな。穂香にも絶対に気に入ってもらえる看板をつくるから」
「はい。楽しみにしていますね」

「あれ?瑠璃ちゃんが見当たらない...」
「先ほどまでそこにいたけれど...お茶でも淹れに行ったのかな」
いつの間にか瑠璃がいなくなっていたけれど、私は明日の仕込みもあるので今日は帰ると青王様にことわり、一人で Lupinus へ戻った。

「あ、瑠璃ちゃん、先に戻ってたの?」
「すみません。あんまり遅くなると仕込みが間に合わなくなっちゃうと思ったんですけど、青王様とお話しされていたので黙って戻ってきちゃいました」
「そうだったのね。ありがとう、助かるわ」
「わたしのほうはもう終わりますけど、なにかお手伝いありますか?」
「大丈夫よ。今日はもう休んで」
「はい。それじゃあお疲れさまでした」
瑠璃の動きがいつもよりなんだかゆっくりで、こころなしか顔が赤いような気がしたけれど...
「私も仕込みしたら今日はもう休もうかな」

翌日、ちょっと寝坊してしまい、急いで厨房へ行くとまだ瑠璃は来ていなかった。
「瑠璃ちゃん、どうしたんだろう」
その時、厨房のドアをノックする青王様が見えた。
「おはようございます。どうかしましたか?」
「おはよう。実は瑠璃が熱を出してしまって...でもどうしても店に行こうとするから、わたしが穂香に話に行くと言ってなんとか寝かせてきたんだ」
「えっ...わざわざありがとうございます。瑠璃ちゃん、頑張りすぎちゃったのかな...」
「ああ、ちょっと疲れが出たんだろう。でもすぐによくなると思うよ」
青王様は「心配しなくていい」と言ってくれた。瑠璃のことはもちろん心配だけど、まずは今日の分の商品はどうしよう。私一人ではいつもの量を作るのは難しい。
「穂香。今日はわたしにチョコレートを作らせてもらえないかな。この前教えてもらったボンボンショコラならできると思うから」
「でも、商品として出すには結構な量が必要ですから」
青王様は「それでも、少しでも手伝わせてほしい」と言ってお願いされてしまった。
「んー...それではお願いします。この前とても綺麗に作ってくださったので、同じように作っていただければ大丈夫です。形とフィリングの組み合わせはここに書いてある通りにしてくださいね」
私はレシピを渡し材料を用意して、あとはお任せすることにした。

「瑠璃ちゃんがほとんどの仕込みをしておいてくれて助かった...」
いつもケーキや焼き菓子は瑠璃に任せていて、私はほとんど作らない。いくら瑠璃が準備をした生地でも、焼き加減が違えば味や食感も変わってしまう。
お客様をがっかりさせてしまわないように、どうかうまく焼けますように...
「うわぁ、どうしよう...」
ケーキや焼き菓子をオーブンに入れたあと、青王様と一緒にボンボンショコラを作っていたら、つい焼き加減の確認を怠り焼きムラができてしまった。ちょうど良く焼けているものもあるけど、焦げたり焼き色が付いていなかったり...
瑠璃はいつも途中で場所を入れ替えたり火加減を調整したりしている。私にはそういう細かな配慮が足りないのだ。
「どうした?」
「せっかく瑠璃ちゃんが仕込みをしてくれたのに、焼くのを失敗してしまって」
「そうか。失敗してしまったものは仕方がない。開店まではまだ時間があるから、穂香が作れるものをできるだけたくさん作って、今日は商品内容がいつもと違うことをドアに張り紙をして告知しておけばいいんじゃないかな」
「そうですね。綺麗に焼けたものだけは並べて、あとは全部チョコレートにします」
「それでいいと思うよ。もし穂香がよければ、今日一日、わたしにも手伝わせてもらえないかな」
「でも、青王様もお仕事があるんじゃないですか?」
「一日ぐらい大丈夫だよ」
「ありがとうございます。せっかくなのでお願いします」
青王様はよく私の手伝いをしたいと言う。申し訳ないと思うけれど、青王様の気持ちがうれしくて、つい頼ってしまう。

...そういえば、いつかどこかで、こうやってお手伝いをしたがるだれかのそばにいたことがある気がする。それにその人は私のことをとても大切にしてくれていた気がする。でも、いつ?どこで?


すぐに告知の張り紙をして、二人でチョコレートを作ることにした。
ボンボンショコラは時間がかかってしまいたくさん作れないので、小さなタブレットチョコやフィリングの入っていないプレーンチョコも作り、ばら売りだけじゃなくて、数種類を詰め合わせにしたものも用意した。
あとは少量だけど綺麗に焼けたケーキや焼き菓子も並べて、なんとか開店に間に合った。
「青王様はもう少しチョコレートを作っていただけますか」
「わかった。でも手が足りなくなったら呼ぶんだよ」
私の頭をポンポンとなでて「無理はしないように」と微笑んだ。

「いらっしゃいませ」
「こんにちは。あら?今日は瑠璃ちゃんはお休み?」
「すみません。ちょっと体調を崩してしまって」
常連の着物の女性は「いつもと違うチョコがいっぱいね」と言いながら、定番のキャラメルクリームのボンボンショコラと、プレーンチョコの詰め合わせを購入し「瑠璃ちゃん、おだいじにね」と帰って行った。

青王様に接客をお願いするほどではなかったものの、お客様が途切れることはほとんどなく、夕方には商品が完売してしまった。
「今日はもう閉店にしたほうがいいんじゃないかな」
「そうですね。会社帰りに寄ってくださるお客様には申し訳ないですけど」
「それと、瑠璃は明日もう一日休ませようと思う。穂香だけでは無理だろうから、店も休みにするほうがいいと思うが、どうだろう」
そう言われると、確かに私一人で店をまわすのは難しいと思う。無理矢理開店しても、かえってお客様に迷惑をかけてしまうだろう。
「はい。明日はお休みにします。そのほうが瑠璃ちゃんも安心して休めると思いますし」
閉店時間繰り上げのお詫びと、明日の休業の告知を書いた張り紙をして店を閉めた。

「青王様、夕食召し上がっていかれますか?」
「ありがとう。いただくよ」
青王様はとてもうれしそうな笑顔を見せたあと、何かを言おうとして迷っている感じがした。
「どうかしましたか?やっぱりもう王城に戻られますか?」
「あ、いや、そうではないんだ。もし材料が揃っていたら、トマトのカレーを作ってもらえないだろうか」
「トマトのカレーですか?少し時間がかかりますが大丈夫ですよ」
「それでは、わたしにも手伝わせてくれるかい?トマトの湯むきとか...」
「え?は、はい。では材料の準備だけしちゃいますね」
どうしてトマトの湯むきなんて知っているんだろう。だいたい、トマトのカレーなんて王城でも食べたりするのかな...

「ではトマトはお任せしますね」
湯むきのやり方はわかるそうなので、私はご飯を炊いてナスやタマネギの下準備をすることにした。
ふと青王様を見ると、トマトをフォークに刺しコンロの火で直接炙っている。それを氷水に入れ皮をむく。
「え...どうして...」
そのやり方は私がいつもやっている方法だ。
「青王様、そのやり方って...」
「ああ、これは昔教えてくれた人がいてね」
「そう、ですか」
あ、私、ずっと昔に青王様とこうしてお料理をしていたことがある。
それに、たまに感じていた懐かしさや安心感は...

「穂香、どうした?」
「な、なんでもありません。トマト、大きめにカットしたほうがいいですよね」
「そうだね。トマトとナスはゴロゴロ入っているほうが好きだよ」
やっぱりそうだったんだ...
「あっ!タマネギ焦げちゃう!」
すると青王様は「わたしが見ているよ」と言って鍋の中をゆっくり混ぜ始めた。

私はいつもカレーと一緒に、ヨーグルトドレッシングで和えたフルーツサラダを作る。
今も、昔も...

「できました。お手伝いありがとうございました。たくさん召し上がってくださいね」
「このサラダ...懐かしいな」
「あの、青王様、食後に少しお話ししてもいいですか?」
「ああ、わかった。ではいただこう」
「いただきます」

青王様は、おいしいと言ってたくさんおかわりしてくれた。
「瑠璃ちゃんもこのカレーが大好きなんですよ。これを作るととても喜んでくれるんです」
「そうか。次は王城で作ってくれるかい?誉や寿にも食べさせてやりたい」
「もちろん、いつでも作りますよ」
「ありがとう」と、また頭をポンポンとなでた。


「私、思い出したんです。青王様と一緒に暮らしていた時のこと...」
「そうか」
「はい。あの頃、青王様はまだ王太子様でしたよね。それに、瑠璃ちゃんのことも遙のことも、全部、全部...」
青王様は、安心したような喜んでいるような、とにかくとても優しい表情をしている。
「白王様と王妃様はどうしていらっしゃいますか?」
「父も母も、王城の敷地内の泉のそばにある離れで毎日のんびりと過ごしているよ」
「お二人にご挨拶したいけれど、私はもう王太子妃でもなんでもないから...」
「そんなことはない。父も母も穂香が空良(そら)の生まれ変わりだとすぐにわかるはずだよ」
私は前世で、お二人にとても大切にしていただいた。特に王妃であった茜様は、人間の父と妖狐の母から生まれた半妖の私を「純粋な妖に比べると弱いのだから」と、いつもそっと見守っていてくださった。
「今度、チョコレートを持ってご挨拶にうかがってもいいでしょうか?」
「もちろん。きっと喜んで迎えてくれるよ」
青王様は「思い出してくれてありがとう」と私を抱き寄せ、そっと頭をなでた。
やっと思い出してくれた。城の屋上から叫んでしまいたいほどうれしい。この気持ちをどこにぶつければいいのかわからないほど興奮している。

穂香が最初に京陽に来たときに、わたしからおまえは空良の生まれ変わりだと話してしまいたかった。けれど、そんなことを突然言われて素直に受け入れられる人間などいないだろう。
だからわたしは自分の気持ちを抑え込み、穂香が自分で思い出してくれるときを待つことにした。思い出すキッカケになればと、空良にしていたように頭をなでてみたり、手伝いをしたいと言ってみたり...

そんなとき、メニューをリクエストし一緒に料理を作れるチャンスが訪れた。
空良と二人で頻繁に作っていたトマトのカレー。当時はわたしが菜園で育てたトマトやナスを使っていた。
一緒に作り二人で食べることで、なにか少しでも思い出してくれればと期待した。
すると穂香は、あのフルーツサラダを作り、話がしたいと言ってきた。わたしは穂香がなにかを思い出したに違いないと確信した。でもまさか一度にすべてを思い出すとは思わなかった。

ただ、遙のことだけは忘れたままでいて欲しかった。きっととても怖かっただろうし悔しかっただろうから。
「瑠璃ちゃん、体調はどう?」
「すみません、お休みしちゃって...青王様に明日も休むようにって言われたんですけど、もう大丈夫ですから」
「明日は店もお休みにしたから、ちゃんと回復するまでしっかり休んでね」
その時、瑠璃のおなかがグゥ~っと大きな音をたてた。
「す、すみません...」
「ふふ、本当にもう大丈夫そうね。さっきね青王様と一緒にトマトのカレーを作ったの。食べられそう?」
「はい!いただきます!」

瑠璃は大喜びでペロッとカレーをたいらげた。
おなかが満たされ落ち着いたところへ青王様がやってきた。
「それだけ食べられれば大丈夫だな。でも明日までしっかり休むこと」
「はい、わかりました。そういえばこのカレー、青王様も一緒に作られたんですよね。なんだかとても優しくて懐かしい感じがしました。穂香さんが一人で作った時よりもっと懐かしい感じ...」
「それはね、私が空良だった頃のことを思い出して、あの頃入れていた隠し味が入っているからだと思うわ」
瑠璃はとても驚いた顔をして固まってしまった。
「青王様からそのカレーをリクエストされて、一緒に作っているときに思い出したの。いつもこうして一緒にお料理してたなって」
「...空良様...いえ、穂香さん、このカレーとってもおいしかった...あの頃、白王様も王妃様も、みんなで一緒に食べた味でした」
瑠璃は涙を流しながら、でも笑顔で「懐かしかった、思い出してくれてうれしい」とよろこんでくれた。

「あっ!瑠璃ちゃんに謝らないといけないんだっだ」
瑠璃は「ん?」という顔をして首をかしげている。
「せっかく瑠璃ちゃんが仕込みをしておいてくれた生地だったのに、焼くのを失敗してしまったの...ごめんなさい」
「いえ、あのオーブン、ちょっとクセがあって右側が少し強いんです。だから途中で入れ替えないと焦げちゃうんです。わたしがちゃんと穂香さんに言っておくべきでした。すみません」
「瑠璃ちゃんは悪くないわ。私、自分の店のことなのにちゃんと把握してなかった。今度からなにか気づいたことがあったら、お互いにしっかり伝えるようにしましょう」

オーブンを使うお菓子は、ほとんど瑠璃に任せきりにしてしまっていたのだ。逆に瑠璃にチョコレート製造のことはほとんど教えていなかった。これでは情報共有ができない自由が丘の店のオーナーと同じだ...

「私はカカオの森へ寄ってから帰るわ。明後日の朝待ってるから、明日はしっかり休んでね」
「はい、ありがとうございます」
「穂香、わたしも一緒に行くよ」

青王様と一緒にカカオの森へ行くと、すねこすりたちとお手伝いの妖たちが集まってきた。みんなが妖の本来の姿でいてももう怖いとは思わない。だって空良としてここにいた頃はたくさんの妖に囲まれて暮らしていたのだから。

「今、カカオ豆の在庫はたくさんあるから、今日はカカオパルプを集めてほしいの。カカオ豆のまわりの白いところね。とりあえずこの中に入れてね」
王城の厨房から持ってきた寸胴鍋を二つ、みんなの前に並べた。
すると一斉にカカオポットを取りに行き、次々とカカオパルプを集めていく。あっという間に二つの鍋がいっぱいになった。
「みんなありがとう。明日おやつを持ってくるから楽しみにしていてね」
私が懐中時計を取り出すと、妖たちは「待ってるね」と言って見送ってくれた。

青王様と一緒にたくさんのカカオパルプを持って Lupinus へ戻った私は、さっそくおやつを作ることにした。
「わたしも手伝っていいかい?」
「もちろんです」
とてもうれしそうにしている青王様に、まずはカカオパルプの味見をしてもらった。
「甘酸っぱくておいしいですよね。今日はこれでシャーベットを作ろうと思っています。まずはミキサーでなめらかにしましょう」
青王様にカカオパルプをミキサーにかけてもらっている間に、レモン果汁を準備する。
なめらかになったカカオパルプをボールに移し、レモン果汁を混ぜて大きめのバットに流し冷凍する。
「凍ったら泡立て器で崩して、また凍らせます。これを何度か繰り返しますね」
「凍るのを待つ間、お茶を飲みながら休憩しよう。紅茶を淹れてもらえるかい」
「はい、すぐ淹れますね」

紅茶とチョコレートを用意し、青王様に話しかけた。
「青王様は私をあの店で見かけたとき、空良の生まれ変わりだとわかったから瑠璃ちゃんに(そば)で見守らせていたんですね。でも瑠璃ちゃんが空良のことを話さなかったのは、青王様が口止めしていたから、ですよね。そんなこと言われても私が困ってしまうと思ったから」
青王様は「穂香の言う通りだよ」と苦笑いの表情を浮かべ
「突然そんなことを言われても受け入れられないだろうから、穂香が自分で思い出すまでは絶対に言わないようにと言い聞かせていたんだ」
「待っていてくださってありがとうございました。私、青王様とお話したり頭をなでられたりしたとき、何度も安心感や懐かしさを感じる瞬間があったんです。それなのに、どうしてもっと早く思い出さなかったんだろう...」
「前世の記憶なんて、普通は思い出さないだろう。でも穂香は空良から妖の魂を受け継いでいる。だからなにかキッカケがあれば思い出す可能性もあるかと思って待っていたんだ」
「妖の魂...」
「空良も妖の魂を受け継いでいて前世の記憶を思い出したんだ。わたしの三代前の王に仕える妖だったと」
ということは、私は純粋な人間だから、私の生まれ変わりの人からあとは前世の記憶を思い出すことはなくなっちゃうのかな...
「穂香、頼みがあるんだ」
「え...?」
「今までと同じように Lupinus で働き、わたしにも会いに来てほしい。それと、たまには一緒に料理をし、チョコレートも作らせてほしい」
「もちろんです!」
青王様はまだなにか言いたげな表情をしていたけれど、結局それ以上はなにも言わなかった。
「そろそろ凍ったかな」
冷凍庫から取り出したカカオパルプはしっかりと凍っていた。泡立て器で崩しながら
「こうやって崩して空気を含ませると、口当たりがなめらかになるんです」
「これを何回か繰り返すんだね」
「はい。もう一度凍ったら、今度は青王様がやってみてくださいね」
青王様はうれしそうに笑顔でうなずいた。

あの頃も本当にたくさんお手伝いしてもらったなぁ...
嫁いで間もない頃は王太子という立場の人にお手伝いなんかさせてしまっていいのかと、とても悩んだ。
でも王妃様も白王様にたくさんお手伝いさせていて、悩んでいる私に「やりたいと言ってくれるのだから遠慮なく頼めばいい」と言ってくださった。
王になった今でも、変わらずお手伝いをしたいと言う。やっぱり白王様と青王様は親子なんだなぁ、と思い、つい口元が緩んでしまった。

空気を含ませる作業を三回ほど繰り返し、やっとできあがったカカオパルプのシャーベットを青王様が一口試食をし「おいしい」とよろこんでいる。
「これと、瑠璃ちゃんが作っておいてくれたバニラアイスにフルーツも使ってパフェを作りましょう」
オレンジ、マンゴー、それとナタデココを用意し、グラスに盛り付けていく。青王様も隣で「シャーベット多めがいいな」なんて言いながら一緒に盛り付けをしている。

できあがったパフェを二人同時に食べ始めた。
「さっぱりしていておいしい。やっぱり南国系のフルーツとあうわね」
「この四角い物体、どこかで見たことがあるが...思い出せない」
「それはナタデココと言って、ココナッツ果汁を発酵させたものです。ずいぶん前に日本で流行ったみたいですよ」
「ああ、ナタデココは聞いたことがある。食感がおもしろいな。でもわたしはこのシャーベットのほうが好きだ」
青王様はシャーベットをおかわりしている。本当に気に入ったみたいだ。
「明日、王城の厨房を使わせてください。カカオの森の妖たちにもおやつを持って行くと約束したし、瑠璃ちゃんにも食べさせてあげたいです」
「二階の厨房にはいつも料理番の妖がいるけれど、一階の厨房なら普段は使っていないから好きなときに使ってかまわないよ」
「はい、ありがとうございます」
「できれば少し多めに作って、父と母にも振る舞ってくれないか」
どうしよう...まだご挨拶もしていないのに、私が作ったものなんて召し上がってくださるだろうか。しっかりご挨拶をしてから、改めて伺ったほうがいいんじゃないかな...
私がどうしようかと考えていると、青王様が声をかけてくれた。
「穂香、大丈夫だよ。二人ともすぐに穂香を受け入れてくれる。きっと空良と同じように大切に思ってくれるよ」
「そうでしょうか...」
青王様は「心配ないよ」と頭をなでてくれる。
「わかりました。明日、準備します。チョコレートも持って行きますね」

青王様にもお手伝いをしてもらい、すべてのカカオパルプを冷凍庫に入れた。
「明日は荷物が多いから、十時頃に迎えにくるよ」
「ありがとうございます」
青王様は私の頭をポンポンとなでて、笑顔で帰って行った。
翌日、青王様は約束通り十時にお迎えにきてくれた。
「シャーベットとアイスはこのクーラーボックスに入れておきました。フルーツはこっちです」
「準備してくれてありがとう。懐中時計を使うときにクーラーボックスに触れていれば一緒に移動できるから」
「わかりました。では行きますね」

私たちは王城の厨房に直接移動した。
シャーベットとアイスを冷凍庫に入れ、まずは白王様と王妃様にご挨拶をするために、青王様と一緒に泉のそばの離れへ向かう。
「この泉、懐かしいです。よくここで、白龍の姿になった青王様と一緒に水浴びをしていましたね」
「そうだね。またあの頃のように水浴びするかい?」
「えっ...いえ、それはちょっと...あっ、離れは新しくなっていますね」
「わたしが王位を継承した後に父と母がゆっくり過ごせるよう建て直したんだ」
あの頃は二階建ての小さな木造の建物だったけれど、今はレンガ造りのゆったりした広さの平屋で、隣に物置に使うであろう、やはりレンガ造りの蔵が建っている。
「そろそろ行こうか。わたしが穂香と出会い京陽へ連れてきた経緯は話してある。二人とも穂香に会うのを楽しみに待っているよ」
「ちゃんと、攫ってきた、って言いましたか?」
「攫ったつもりはないけれど、穂香がそう思っているのなら申し訳なかった...」
「まぁ、あの時はいきなり連れてこられて、驚いたし困惑しましたけど...それより、なんだか緊張してきました」
「大丈夫だよ。二人とも、特に母はビックリするぐらいあの頃と変わらないから」

離れに入るなり、誰かがドドドッとすごい勢いで走ってきた。
「穂香ちゃん!待っていたのよ~」
ビックリしたぁ...王妃様、本当に変わってない...
「母上...穂香が驚いているよ」
「だって~、やっと会えたのよ。もう嬉しくて嬉しくて!」
「あ、あの、初めまして。空良(そら)さんの生まれ変わりの穂香です!」
緊張と驚きで変な挨拶をしてしまった...
「父上はいないのか?」
「なんかね、穂香さんに会うのにどの着物を着ればいいだろう、って悩んでいたわ」
青王様は、はぁ、とため息をついて「呼んでくる」と言って行ってしまった。
「穂香ちゃん、とにかく入って。話したいことがい~っぱいあるのよ」
「はい。お邪魔します」

王妃様と一緒にリビングへ入ると、青王様と白王様がソファーに座って待っていた。
「穂香さん、よく来てくれたね。空良妃はこんなにかわいらしいお嬢さんに生まれ変わったのか...よかった。本当によかった」
白王様は目を真っ赤にして今にも泣き出しそうな顔をしている。
「そうね。あんなことになってしまって...私たちは空良妃を守ってあげることができなかった。本当に申し訳なくて、せめて早く生まれ変わって幸せに暮らしていてくれたらと願っていたのよ」

空良は、(はる)に「人間の世界へ連れて行け」と迫られ、頑なに拒否をすると「俺の言うことが聞けないヤツはここから消えろ!」と、崖から谷底へ突き落とされてしまったのだ。きっと空良の体は今もその谷底に眠っているだろう。

「母上、せっかく穂香が来てくれたのだから、明るく楽しい話をしよう」
「そうね、ごめんなさい。穂香ちゃんは今、瑠璃と一緒にお菓子のお店をやっているのよね。そこではどんなお菓子を作っているの?」
私はラッピングをしておいたボンボンショコラを差し出しながら、
「私はショコラティエと言って、チョコレートを作るお仕事をしています。今日はボンボンショコラという、中にジャムなどが入っているチョコレートを持ってきました。お店の定番商品です。ぜひ召し上がってみてください」
「あら?これは青王がたまに持ってきてくれたものと同じね。もしかして、あれも穂香さんが作ったものだったの?」
「あれは穂香を見つけた店で、穂香が作っていたものを買ってきたんだ」
「えぇ~、穂香ちゃんが作っているって、どうしてもっと早く教えてくれなかったのよ~」
と青王様に文句を言い、すぐに四角い形でキャラメルソースが入ったボンボンショコラを持って、これが一番好きだと白王様と話し始めた。
青王様もこれが一番好きで、今も自ら買いに来ることがある。さすが親子、好みが似ているのね。

「あら?これ、いつものよりおいしい気がするわ。何が違うのかしら...」
「本当だね。まわりのチョコレートが違うのかな...」
「このチョコレートはカカオの森のカカオで作りました。私も驚いたのですが、京陽のカカオは人間の世界にある希少価値が高いカカオにとてもよく似た味で、本当においしいんです」
「あのカカオがこんなにおいしかったなんて...」
と、お二人とも驚き、「今までもったいないことをしていたね」と言いあっている。
「それと、お店で出しているものではありませんが、今日は白王様と王妃様に召し上がっていただこうと思い、もう一つおやつを用意してきました。すぐに厨房から持ってきますね」
「あらっ!楽しみだわ~。あっ、私たちのことは名前で呼んでね。もう王でも王妃でもないんだから」
「は、はいわかりました。白様、茜様、少々お待ちください」

青王様と二人で、急いで厨房へ向かった。
「今日はカカオパルプシャーベットを一番のメインにしたいので、ナタデココなしにしました。青王様も一緒に盛り付けしていただけますか?」
「わかった。わたしは穂香と自分のぶんを盛り付けるから、穂香は父と母と瑠璃のぶんを頼むよ」
「はい。あっ、青王様のぶんはシャーベット多めにしていいですよ」
青王様は、いたずらがバレた子どものような顔で耳を真っ赤にしている。
やっぱり初めからそのつもりだったんだ...こういうちょっと子どもっぽいところ、あの頃と変わらないなぁ。

青王様が一足先に盛り付けを終えたので、瑠璃を呼びに行ってもらうことにした。
その間に私も盛り付けを終わらせ、リビングへパフェを運び紅茶を淹れ、ちょうど準備が整ったところへ青王様と瑠璃がやってきた。
「うわぁ、なんですかこれ。おいしそ~!」
「ふふ、瑠璃ちゃん元気そう。明日は開店できそうね」
「はい!」
「白様、茜様、お待たせいたしました。これはカカオパルプシャーベットのパフェです。カカオパルプとは、カカオポットの中の果肉です。どうぞ召し上がってみてください」
「これもあのカカオ?早くいただきましょう!」
「では穂香さん、いただくよ」
「「「いただきます!」」」
白様たちが一斉に食べ始め、みんなの笑顔を見たところで青王様が、
「穂香、わたしたちもいただこうか」
「はい、いただきます」

みんなあっという間に食べ終え、紅茶を飲んで落ち着くと、
「あの硬い実の中にこんなにおいしいものが入ってたなんて!穂香ちゃんはすごいわぁ!ねぇ、ほかにはどんなものを作るの?まだ見たこともないようなものがいっぱいありそうね。あっ、お店にも行ってみたいわ。ねぇ青王、今度連れて行ってくれない?」
茜様は相変わらず明るくテンションが高くて、一度にいろいろな話題を投げかけてくる。その性格は、半妖であることに劣等感を抱いていた空良の心を、暖かく優しく包み込んでくれていたのだ。
「母上...ちょっと落ち着いてくれ。穂香、母上を Lupinus へ連れて行ってくれないかな?」
「もちろん大丈夫ですよ。商品が揃っている開店前の時間がいいと思います。明日、準備ができたらお迎えに来ますね」
「あら~本当に?どうしましょう!楽しみだわ~。今夜は眠れないかも!白様も一緒に行きますよね?」
「そうだね。穂香さん、二人で行っても迷惑じゃないかな?」
「迷惑だなんて、そんなことありません。ぜひお二人でいらしてください」
「穂香ちゃん、お迎え待っているわね!」
茜様は本当に楽しみで仕方がないのだろう。白様に「明日の着物は今夜中に決めておいてね」「わたしは何を着ようかしら」なんて話している。

片付けを終え、青王様と一緒に離れを出てカカオの森へ向かった。
お手伝いの妖たちにも約束通りパフェを振る舞うと、みんな「これがカカオ!?」と驚き「おいしい!」と言ってくれた。

みんなと別れ青王様と二人になると、
「穂香、今日はありがとう。二人ともずっと空良のことを悔やんでいたから、あんなにうれしそうな笑顔を見られてホッとしたよ」
「はい。喜んでいただけて私も安心しました。人間の私を受け入れてもらえるのか、実はとても不安だったんです」
「空良のときも自分は半妖だから、と言っていたね。でも父も母も差別なんてしなかっただろう。そんなことを気にするような性格じゃないから、なにも心配する必要はないよ」
「そうですね。明日はもっと喜んでいただけるよう、気合いを入れてお菓子を作りますね」
青王様は「ありがとう」と頭をなでてくれた。いつも以上に優しくゆっくりと...
今はこの手の感触が心地良いしとても安心できる。
青王様は王城へ戻り、私は店で明日の仕込みを始めた。すると瑠璃が「わたしも仕込みしますね」と言ってきてくれた。
「ありがとう。でもまだあんまり無理したらだめよ」
「はい、気をつけます。本当にすみませんでした」
「なにかあったら早めに言ってね。さて、仕込みしちゃいましょうか。明日は白様と茜様がいらっしゃるから、いつもより少し量や種類を増やしたいの」
「せっかくだから、カットケーキやボンボンショコラもちょっとかわいらしくデコレーションして、見た目もいつもと変えてみたらどうでしょう?」
「いいわね、そうしましょう!」

瑠璃は仕込みを終えると「レシピやデザインを考えてくる」と言って王城へ戻っていった。私もちゃんと考えて準備しておかなきゃ。

翌朝、私はいつものボンボンショコラ以外に、ホワイトチョコを抹茶やストロベリーパウダーなどの天然素材で着色し、カラフルで華やかなタブレットチョコなども作った。
「うわぁかわいい!これ、チョコペンで描いたんですよね。わたしにもチョコペン使わせてください!」
「ええ、どうぞ。ミルクチョコも色の濃さを変えられるから、欲しい色があったら言ってね」
「はい。あっ、蜂蜜味の黄色いチョコを作ってもらえますか?」
「わかったわ。ちょっと待っててね」
瑠璃はハニーレモンケーキに、蜂蜜味のチョコとビターチョコで作ったミツバチや花の形の飾りを使いかわいいデコレーションをし、チョコケーキやショートケーキも同様に飾り付けた。もともと考えていたデザインに、さらにチョコの飾りをプラスしたようだ。
ほかにも数種類のプリンやアイシングクッキーなど、いつもとは違うメニューも揃えてくれた。
「すごい...」
瑠璃は手際が良く、作業がとても早い。しかも繊細で丁寧なのだ。私も見習いたいと思うところがたくさんある。でもまぁ、そう簡単にはいかないのだけれど...

「穂香さん、今日はお菓子がいつもと違うから、お知らせの張り紙かなにかしておいたほうがいいかなって思うんですけど...」
「そうねぇ、前にスペシャルカカオの日ってやったじゃない?今日はスペシャルメニューの日なんてどうかしら?」
「あっ、初めて京陽のカカオを使った時ですね!たまにスペシャルデーを開催するのも楽しいかも。今日は『スペシャルメニューの日』の張り紙しておきますね!」
瑠璃があっという間に二階へ走って行くと、ドンッ!と大きな音と悲鳴が聞こえた。
体調が戻ったら今度は怪我した、なんてやめてほしい...

「できました! POP も作ったのでショーケースの上に置いてみてください。わたしはこれ、貼ってきますね」
「ちょっと待って。さっき二階で転んだでしょ。どこか怪我しなかった?」
「あのくらい大丈夫ですよ。妖は丈夫なので」
「体調崩したばかりなんだから、説得力ないよ」
「あはは...」
瑠璃は苦笑いをしながら、逃げるように張り紙をしに出て行った。

「そろそろお二人をお迎えに行ってくるから、お茶の準備しておいてもらえる?」
「はい、わかりました」

王城では準備万端の白様たちが待っていた。
「おはようございます。おまたせいたしました」
茜様は私の腕をガシッと掴んで「穂香ちゃんおはよう!待ってたわよ~。さあ、早く行きましょう!」と、朝から元気いっぱいハイテンションだ。
白様も青王様もなにも言わず「茜様のことは穂香に任せた」と、目で訴えているような気がする...

店に移動すると茜様は、今度は白様をつかまえ商品を見て歩いている。
まずは一つずつラッピングされた焼き菓子を、次々と店内用のかごに入れていく。白様は両手にかごを持たされてなにも言わずについて歩いている。これもお手伝いと言うのかな...

次にショーケースの中を見て、さらにテンションが上がった茜様から質問攻めに遭った。
「これはどんな味?こっちはなにが入っているの?わたしが一番好きそうなのはどれだと思う?」
「母上、穂香も瑠璃も困っているじゃないか。落ち着いて一つずつ聞いたほうがいい」
「あらやだ。つい興奮しちゃって。それじゃあ穂香ちゃん、このピンクのはなにが入っているの?」
「それは、いちご味のホワイトチョコの中にミルクソースといちごジャムが入っています」
「おいしそう!それ二つ欲しいわ」
すると今度はケーキのほうをじーっと見てなにか考え込んでる。
「このシュークリーム、中が空のものはある?」
「え、空のものですか?」
瑠璃が「ありますよ」と伝えると、
「その中に、昨日いただいたバニラアイスを入れて欲しいの。お願いできる?」
「でも今日はドライアイスがないので、王城へ戻って冷凍庫に入れる前に溶けちゃうと思いますよ」
「それは、わたしがいるんだから大丈夫よ~」
「あ、そうか!わかりました。準備しておきますね」
厨房ではすでに瑠璃が準備を始めてくれていた。
茜様はそれからしばらく、あれこれ迷いながらたくさんのケーキやボンボンショコラを選び、もう一度店内を見て歩いていた。

「白様、茜様、紅茶を淹れたので、少し休憩してください」
「あら、ありがとう!ちょうど喉が渇いていたの」
「あと、こちらもどうぞ。ガトーショコラです」
「うわぁおいしそう!ありがとう。いただくわね」
お二人が休憩している間、選んだ商品を箱詰めしているところへ青王様がやってきた。
「今のうちに会計してくれるかい?」
「代金をいただくのはちょっと複雑な気分ですけど...」
「母上はきっと、これからもここへ来たがるだろうから、その時は普通に買い物にきた客として迎えてやって欲しい。あまり暴走させないように、ちゃんとわたしが一緒にきて見ているから」
「ふふ、わかりました」

「穂香ちゃんごちそうさま。ガトーショコラ、とってもおいしかったわ~!穂香ちゃんが作るチョコレートもおいしいし、瑠璃もお菓子作りが上手だし、ここのお菓子を食べられる人は幸せね~」
「ありがとうございます。そう言っていただけると私たちも幸せです」

「そろそろ帰るわね」と言う茜様に、シューアイスを渡すために厨房へ入っていただいた。
「クーラーボックスに入れておいたので、すぐに冷やしていただけますか?」
「ええ、少し離れていてね」
雪女である茜様がクーラーボックスの中に手をかざし、熱湯も一瞬で凍りそうなほどの冷気を充満させた。
「これで大丈夫。穂香ちゃん、次はいつ王城にくるの?いつでも待っているからね。今度は一緒にお料理しましょうね」
「母上、もう開店の時間になってしまう。穂香が王城へきたらすぐに声をかけるから、安心して待っていればいい」
「わかったわ。穂香ちゃん、今日は楽しかったわ」
「穂香さん、お邪魔したね」
笑顔で手を振るお二人を、青王様が連れて帰っていった。

「瑠璃ちゃん、お疲れ様。いそいで開店準備しましょう」
「はい!」

スペシャルメニューの日と張り紙をしておいただけあって、今日はいつも以上の賑わいだった。常連のお客様も「こんなにかわいいケーキ、もったいなくて食べられない」「スペシャルメニューは今日だけなの?」と声をかけてくれた。

「はぁ...さすがに疲れたぁ」
「お疲れ様でした。ミルクティー淹れましたよ」
「ありがとう。体調は大丈夫?」
「はい、もう大丈夫です」
そのあと二人とも無言でミルクティーを飲んでいると、瑠璃がそっと話しかけてきた。
「空良様の頃のこと、思い出したんですよね...」
「ええ」
「青王様から、すべて思い出したようだって聞きました。あの...空良様を守れなかったわたしたちのことをその...穂香さんは...恨んだりしてないんですか?」
瑠璃はとても言いにくそうに、ゆっくり少しずつ言葉にしてきた。きっと瑠璃は空良を守れなかったことを今も悔やんで、苦しい思いをしているのだろう。
「恨むなんてそんな...王城へ逃げればいいのに、わざわざ崖のほうに向かって走ってしまった。あれは私の判断ミスが原因だもの」
「でも...」
涙を流す瑠璃をそっと抱きしめ背中をさすり、
「恨んだりしてないし、瑠璃ちゃんも青王様たちも悪くない。みんな空良を大切にしてくれたじゃない。それに今は私を守ってくれているでしょ」
瑠璃はそのまましばらく泣き続け、落ち着いた頃にとんでもないことを言い出した。
「穂香さん、青王様のお嫁さんになってください!」
「はっ!?突然なにを言い出すの!?」
「青王様のこと、お嫌いですか?」
「そんなことないけれど、青王様のお気持ちはわからないし...いきなりすぎてなんて言ったらいいか...」
「じゃあ、青王様に聞いてみましょう!」
「ちょっと待って!今日はもう仕込みをして休みましょう。瑠璃ちゃんだって疲れたでしょ」
瑠璃は不満そうな顔をしながらも「わかりました...」と仕込みを始めた。