道の端にある電灯が心もとなく光っている。
最初こそは恐怖心から何とも言えない気配を感じて怖かった夜道も、今ではなんてことなく歩いている。どこかの誰かが、人間の定義はどんなことにも慣れることだと言っていた。
「はぁ」
 一つ重いため息を吐くと、持っていたカバンに力を込めた。吐いた息が白い。
 どうせ家に帰っても誰もいない。
お母さんから千円もらっているので、塾帰りはコンビニによって弁当を買い、家で一人悲しく冷えたコンビニ飯を食べている。それを繰り返す毎日だ。自炊をしようという考えは一切ない。そして、残りのお釣りが今日の私のお小遣いになる。
お母さんが、いつ、どこにいて、何をしているのか、私は全然分からない。ただ、朝起きて冷蔵庫を見るとお母さんが作ったお弁当だけが入って入る。それも、お米からおかずまで全てがレンチン料理。文句を言える立場ではないが、これならコンビニ弁当と何の変りもない。
それでも、一日に一回お母さんからのメールが送られてくる。
『勉強はしましたか?塾にはちゃんと行きましたか?』
 毎回同じ文だ。コピペしているのだろう。
『はい』
 という私も毎回同じ返事なのだが。
 結局のところ、お母さんは私の学力しか興味ないのだ。一週間に一回、家に帰って来てシャワーを浴びているお母さんに会うことが出来たら、明日は槍でも降るのではないかというほど。
 だから私は、勉強を頑張っている。それだけしか、お母さんにアピールできない。私から学力を奪われたら、もう何も残らない。
 テストの結果が帰ってくるたび、食卓の上に広げて置いている。ここなら、帰って来た時に見てくれるだろう。いや、絶対見てくれる。そんなことを思いながら。
 今日はコンビニに行く気力さえ起きなかった。店内から漏れる光を横目に見ながら通り過ぎた。一日、一食食べなかったぐらいで死にはしない。このまま家に帰って寝よう。
 重い足を必死に動かす。
「今日は、星、綺麗だな」
 空に広がる満天の星を見上げる。昨日は曇りだったので何も見えなかった。腕を伸ばしてオリオン座をなぞる。
とても離れているのに、地球まで光を届けている。私は、地球から地球にいるお母さんに何も届けることが出来ていないのに。
 下唇を強く噛む。何か負けた気分だ。
「あれ?」
 こんな家の近所に小料理屋があっただろうか。丸みを帯びた文字で「ごんぎつね」と書いてある。近くには可愛らしい狐の置物もあった。
コンビニとは違い、温かい光が漏れていた。ここでなら、温かいご飯を食べることが出来る。千円以内で収まらないかも知れないが、その時はお小遣いから出せばいい。それでも、この時間に来たら嫌な顔をされるだけかも知れない。心の中で葛藤が生まれる。でも、口の中は温かい料理を恋しがっていた。
「よし」
 意を決して、暖簾をくぐった。

 ガラガラと扉を開ける。
「あっ、いらっしゃいませー」
 お店の人の明るい声が聞こえ、反射的に頭を下げる。今更ながら、このようなアットホームな雰囲気は慣れていない。
それにしても、お店の人の声はとても籠っている。
 どうしてだろう、と厨房を覗いた。
「ひっ……」
 思わず顔が引きつる。やっぱり家に帰ろう。こんな所に来るべきではなかった。お店の人が、能で使われていそうな怖い形相をしたお面をかぶっていたからだ。
 私が慌てて引き帰ろうとするのを見て、店の人は、ちょっと待って、と私を止めた。
「ごめんごめん。今さっきまで室町時代の人の接客してたから。これなら大丈夫でしょ?」
 一度後ろを向いて誰にも顔を見えないようにすると、お祭りで売っていそうな、某国民的アニメのお面をかぶった。
 大丈夫ではないが、さっきよりかはいくらかマシだ。お店の人との距離は保ちつつ、思った疑問を口にした。
「あの、何でお面かぶってるんですか?」
「いやぁー、職業柄、みたいな?後々面倒くさくなるからさ」
 全然答えになっていない。間抜けな返事に呆れる。ぱっと見た感じでは、三十代ほど、いや二十代にも四十代にも見えてきた。年齢不詳だ。分かることは男という事だけ。いや、それも怪しくなってきた。
 お店の中には平安貴族のような恰好をした人が一人いた。そこまで繁盛している風でもない。店内は十五畳ぐらいで想像以上にこじんまりとしている。
「……平安貴族ぅ?」
 冷静になってお客さんの恰好を見つめた。コスプレにしてはクオリティーが高すぎる。さっきお店の人は「室町時代」とかなんとかと言っていた。
 驚いて目が点になっている私を見たお店の人は、とっても面白そうな顔をし、いたずらっ子のような笑みで私に近づいてきた。
「ははっ、良い反応するね。君名前は?」
「は?」
 名前を聞くノリが同級生にでも聞くようだ。一瞬答えることを渋ったが、アットホームな店では当たり前の事なのかも知れない。
「みのり。秋って書いてみのりです」
「へえ、秋って書いてみのりなんだ。秋生まれ?」
「そうです」
「秋ちゃん、よろしくねー。好きなとこ座って良いよ。今丁度グループで来たお客様が帰ったところだから」
 今丁度帰ったグループのお客さんとすれ違っただろうか。グループなら気づきそうなものだが。
 別に深く考える事でもないか、と私は厨房から一番離れた席に座った。
「えー、ちょっとちょっと。せっかくなんだからカウンター席に座りなよ。カウンター席なら僕と話しながらご飯が食べれるって人気なんだよ」
「いや、私は」
「はいはい座りな」
 問答無用でカウンター席に案内された。好きな所に座って良いと言ったのはどこのどいつだ。
 少し高めのイスに座ると、目の前にメニュー表を置かれた。
「あの、名前教えてください」
 厨房へと戻るお店の人の背中に話しかけた。
「え?僕?」
 仮面で表情は見えなかったが、渋っていそうな声だった。人に名前を聞いておきながらその反応は、と一瞬イラっとしたが、ここで思った事をそのまま口にしたらただの迷惑客かもしれない、と喉で言葉を飲み込んだ。
「あっ、ごめんなさい。やっぱ……」
「ああ、別にいいんだよ。僕の名前でしょ?うーん、そうだなぁ。ごんぎつね、とでも呼んどいて」
 本名ではないことはすぐ分かったので、逆に呼びやすかった。
 ごんぎつねさんですね、と一度彼の名を呼んでみる。
「お話からですか?新美南吉さんの」
「まあそんなところ。このお店のコンセプトに似てるから」
「コンセプトって何なんですか?」
 お店のコンセプトとは?と疑問に思った。キャッチコピーのようなものだろうか。
「おっ、良いとこ聞くね。届かなかった思い、とかかな」
「届かなかった思い……?」
 お話がお店のコンセプトに似ていると言われても、小学生の時教科書で読んで以来なので、はっきりと内容が思い出せない。
「このお店は、もう食べることのできない思い出の味を再現するんだ。まあ、食べることのできない理由も様々なんだけど。懐かしいあの味をもう一度食べたい。そう強く願う人だけがこのお店に出合うことが出来る」
「え?」
 意味不明な解説に、頭がこんがらがる。
「まだ言ってなかったね。ようこそ、時空を移動する小料理屋さんへ」
 イスに座っている私を、ごんぎつねさんは両手を広げて歓迎した。
 間抜けな顔でごんぎつねさんを見つめる。何だこの人は。おかしい病にでも侵されているのではないだろうか。本気で心配する。
「まあ、人によって物語の解釈は変わってくると思うんだけど、少なくとも僕はそう感じたんだよね。秋ちゃんはもっと違う解釈の仕方だった?」
「そっちの事じゃなくて……」
「ああ、時空を移動するってほう?」
「まあ、そうです。タイムスリップなんて……」
 タイムスリップなんて、物語の世界でもあるまいし。真っ当な高校生の解答だと思う。
「タイムスリップじゃないって。時空を移動するの。それに秋ちゃん間違ってるよ」
「はぁ、何がですか」
「お店自体はどこにも時空を移動してないよ。移動しているのはお客さんだけ。このお店は、どの時代にも存在しない、時空のゆがみにある、って言ったら分かりやすいかな。お店のドアがタイムマシーンみたいな感じ。このドアが色んな時代の至る所に現れるんだ。もちろん、さっき言った通り、あの味をもう一度、と強く願う人の所にだけどね」
 誇らしげに言うごんぎつねさんは、SF映画の世界観に憧れる子供のようだった。
「素敵な妄想ですね」
 嫌味も込めて返事をした。ご飯を食べるためにこのお店に来たのに、注文する前にここまで足止めをされるなんて思っていなかった。
「この時代の人には受けが悪いのか……メモしとかないと」
 ポケットから小さなメモ帳を取り出すと、ポールペンでスラスラと文字を書き足した。
「そのメモ帳は?」
「時空を移動する、って言っても、受けのいい時代と良くない時代があるからね。秋ちゃんの時代からのお客様は初めてだから、きちんとメモしとかなくっちゃ」
「ちなみに、受けのいい時代は?」
 興味本位で聞いてみた。どの時代にもそんな頭のおかしい人はいないと思うのだが。
「うーん。秋ちゃんからしてみれば未来の時代の人かな」
「どうしてですか?」
「まあ、それは秘密。自分で考えてみて」
「えー……」
 そこまでペラペラと喋るのなら、最後まで話し切ってほしい。最終回のラストを濁して終わるドラマを見た気分だ。
 未来に行くためには光よりも早く移動することが出来ればよい。なので、その時代には光よりも早く移動する技術があったのかもしれない。
 でも光より早く移動する技術なんて、と頭に浮かんだ論を消し去る。そもそも時空を移動することがあり得ない。
「秋ちゃん、そんなに信じられないんだったらあのお客さん見てみなよ。教科書で見たような立派な服着てるでしょ?それでも信じられない?」
「はい!」
 ここではっきり言っておかないと本当にそう思ってしまいそうだった。
「さっき、私からしてみればって言いましたけど、だったらごんぎつねさんはいつの時代の人なんですか?」
「僕はどの時代の人でもないよ。秋ちゃんが見慣れたものが多いのは、秋ちゃんの時代のものが好きなだけであって、秋ちゃんの時代の人、って訳でもないんだ。秋ちゃんよりも先のものを使ってるとダメ人間になりそうで……。あっ、人間は人間だから安心してね」
「はあ」
 全然何も安心できない。早く救急車を呼びたいぐらいだ。
 この人と話していると頭がおかしくなりそうだったので、ここで話を切り、メニュー表に目を通す。ごんぎつねさんも、厨房に戻って行った。
「これ、いくらですか?値段が書かれてないんですけど」
 メニュー表をもち上げてごんぎつねさんの方に見せる。
「お代はお気持ちだけってしてるから気にしないで。時代によってお金の価値も違うから」
 そこまで大掛かりな設定だとは思っていなかった。
「それにしても、秋ちゃんは珍しいね」
「何がですか」
「一番最後のページに書いてあった商品見なかったの?」
「いや、見ましたけど」
「注文しないの?今僕に見せてるページ全然違うから」
「注文しませんよ。あなたが食べたい思い出の料理なんて。そもそもそんな料理ないです。ごんぎつねさんの理論でいくと、私がこのお店に来たのは何らかの不具合でしょうね」
 大人に対する敬意すらも薄れてきた。
「……まあいっか。注文は?」
「この肉じゃがで。あとご飯の小をお願いします」
「案外小食なんだね」
 早く食べて帰りたいだけ、と危うく口を滑らしてしまうところだった。
 ごんぎつねさんはそそくさと料理をし始める。カウンターからでも手さばきが良いことが伺えた。とりあえず小料理屋詐欺ではないようだ。
「だったら料理のレパートリー広いですよね。色んな時代の人の料理作らないとだから」
 話しながらご飯を食べることが出来ると言っていたので、料理中に話しかけたって問題ないだろう。少しずつだがこの雰囲気に慣れてきた気がする。
「あっ、信じてくれた?」
 嬉しそうに振りむかれた。
「仮定です」
「悲しいなあ」
「信じる人がいるのが信じられないです」
 私の言葉に、プッと軽く噴き出した。
「まあ、それもそうかも。あっ、今の同時に二つの質問に答えたなぁ。レパートリーと信じる信じない。ははっ、面白い。短歌とかで使えないかなあ」
「ごんぎつねさんって、最近の若もんって感じがあるのに、時々爺臭くないですか」
「秋ちゃんにとっての最近の若もんの定義が分かんないからどう反応すればいいの分かんないけど、短歌の話をしただけでおじさん認定はちょっと悲しいな」
「別に短歌の事じゃないです。普通に話してても、ちょっと爺臭さを感じます」
「精神年齢が高いってことは大人びてるってことだから!っていうか、僕の年齢分からないでしょ」
「そうですね。そのお面を外してくれたら分かるんですけどね。声だけだったら、声優みたいにいくらでも変えれるでしょうし」
「このお面はさすがに外せないって!」
 くだらないやり取りに今度は私が噴き出した。
「良かった。秋ちゃん、なんか張りつめてる感じだったから」
 穏やかになった声に、ドキッと心臓が跳ねる。
 恋愛的な意味ではない。誰かにこんなに優しい声で話しかけられたことが無くて、ただただ純粋に嬉しくなったのだ。それでもその中には悲しさも混じっている。今のセリフを言ったのがお母さんだったら、私はどんなに幸せを感じることが出来ただろうか。
「おまちどーさま」
 お盆の上に、真っ白な白米と肉じゃがを乗せて私の前にコト、と置いた。
「あの、これって?」
 お盆の端の方に置かれた小松菜の胡麻和え。メニュー表に載ってはいたが、頼んではいない。
「おまけだよ。肉じゃがとご飯だけだったら色が悪いでしょ。それにたいしたものじゃないから気にしないで」
「でも、こういうのってお得意さんにするものじゃないですか」
「お得意さんなんていないよ。このお店に来れるのは一度きりなんだから」
 一度きり。その言葉がやけに心にしみた。
「さあさあ、食った食った」
 箸を持つと、肉じゃがのジャガイモをつまんで口の中に入れた。口の中が温かくなる。
 味わって食べようと思い、食べることに集中する。
 そこからしばらくの間は静かな店だった。奥に座っている平安貴族風の人は、黙々と食べ進んでいるし、店内にBGMも流れていない。ごんぎつねさんも、座って自分の作業をしている。新しいお客さんが入ってくる様子もない。
「すみません」
 平安貴族風の人が立ち上がった。
「はい」
 ごんぎつねさんんも立ち上がる。私が見ていない間に、お面はアニメものからその時代にあったものへと交換されていた。
「ありがとうございました。これで……」
「……はい。良かったです」
 はっきりと会話を聞き取ることは出来なかった。というより、人の話を聞いたら悪いと思い、あまり意識を向けなかった。
 少し話し込んだ後に、私の方へ向かって貴族風の人が近づいてきた。近くで見ると、なかなかのイケメンだ。最近流行っている韓流アイドルとは、また違ったカッコよさを持っている。
和風イケメンの方が私は好みだな、とどうでもいいことを考えた。
「いいご飯を食べることが出来ましたね」
 それだけ言い、満足そうな笑みでお店を出て行った。
 彼は思い出の料理を注文したのだろう。どういった経緯でその料理を食べたいと強く願ったのかは分からないが、彼にとっては色々な感情が詰まった料理なのかもしれない。
「っ……」
 私だって、私にだって、食べたい料理の一つや二つはある。


『秋~、ご飯よ』
『お母さん、今日のご飯は?』
『家にあったもので作れた野菜炒めとみそ汁とご飯。ごめんね、休みが入ったら秋の食べたいものいっぱい作るから』
『大丈夫だよ!お母さんが作ってくれたものは全部美味しいから!』

 
 小さな自分とお母さんのやり取りを思い出す。自然と涙がこぼれてきた。焦って強火にして少し焦げてしまった野菜炒めも、味付けを間違えて辛くなってしまったお味噌汁も、どんな高級料理店で出される料理よりも大好きだった。味で比べたらかなり劣るが、何よりも愛が詰まっていた。
 でも、今は自分のために休みをつくってまで料理を作ってくれないだろう。もっと愛嬌のある私だったら、もっと私のために何かしてくれたのだろうか。
 自分の知らないうちに、あの料理を乞うていた。食べたい。お母さんの作った不器用なご飯を。
「その様子だと見つかったようだね。食べたいご飯」
 ふいにかけられた声。
 はい、と私は強く優しく返事した。
 そして思った。この人なら、長年私が溜めてきた思いを受け止めてくれるかもしれないと。
「勉強ばかりしていたら、真面目子ちゃんのレッテルを張られて誰からも気軽に話しかけてもらえなくなりました」
 前置きも何もなく話し始める。それでも彼は優しく頷いてくれた。
「私の記憶の中に父はいるんです。モヤモヤっとした感じですけど。けど、ある日から記憶が無くなってるんです」
 そしてその後から母は仕事に時間を多く費やすようになった。今思い出せば、揉めている声を聞いたことが多々ある。
「他にも……他にも……もっと、あるんです。けど、母は私のために働いてくれているから……だから、わがまま言えないですし……」
 駄目だ。今ごんぎつねさんに言わなければならないことはこんなことじゃない。
「母の料理を、私は食べたい」
 凛とした私の声が狭い店内に響く。
「良く言えたね」
 幼稚園児をあやすように、腰をかがめ座っている私に視線を合した。お面越しでも、その目はしっかりと私を見ている。
「ですが残念です。僕は貴方の願いを叶えて差し上げることが出来ません」
「え?なんで……」
「それは、その料理は、秋ちゃんのお母さんが作ることに意味がある。僕が作っても、なーんも良い事は無いよ」
「分かってます……。でもそれが無理だから、頼んでるんです」
「無理って言うけど、それは秋ちゃんが決めつけてるだけじゃないの?お母さんに真正面から無理って言われた?」
「それは……」
 もごもごと口ごもる。彼の言うことが私の核心を突きすぎていた。
「さあさあ、早くご飯食べて。女子高校生がこんな時間にこんな店に来てたら僕が捕まっちゃうから」
 促されて食べたご飯は、少し冷たくなっていた。
 食べ終わった後、いくら払えばいいか、とごんぎつねさんに尋ねた。
「ホントにいくらでも。っていうか、一銭も置いて帰らない人もいるし」
 と言われたので、取り合えず千円札を手渡した。
「ごちそうさまでした」
「うん。これで秋ちゃんは思い出の料理を注文しなかった人第一号だね」
「それって、名誉あります?」
「さあ、分かんない」
 店の引き戸を開けようとして、一度ためらった。一度きりのこのお店。後ろを振り返り、店内を見渡した。今更になって、あそこにはあんなポスターが貼られていたんだ、などと気づく。
 そしてもう一度ごんぎつねさんを見つめた。
「ありがとうございました」

 お店を出て後ろを向くと、そこは何もない空き地だった。ただ端の方に狐の置物がぽつんと置かれてある。
 さっきまでの事が私の妄想だったとしても、ごんぎつねさんが私に一歩踏み出す勇気を与えてくれた。そのことに何ら変わりはない。
 ポケットからスマホを取り出すと、文字を打った。





『お母さん。私と一緒にご飯を作りませんか。忙しいのなら、半日だけでもお願いします。一緒に時間を過ごしたいです。返信お願いします』