どこにいても、何をしていても、いつもどこか息苦しい―こんな自分のことが大嫌いだ。

 私は小学校のとき、いじめられていた。人見知りだったわりには友達はたくさんいて、皆からしたわれていた。だけど、些細なことがきっかけで、それは始まった。悪気は全く無くて、何気なく発した言葉。自分の中では志緒のことを褒めているつもりで話していたが、言葉が足りなかったのか、志緒はその言葉に傷ついた。傷つけてしまった。
…私と志緒の間にあった絆は、一瞬にして無くなった。
しかし、いじめと言っても小学生によるもののため軽いもので、物が無くなったり、話しかけても無視されたりで、周りから見たらそんなことでいじめだと思っているのかと言われてしまうかもしれない程度だった。
だけど私にとってはとても辛く、怖いもので、今でもちょっとしたトラウマになっている。
周りの人と上手くコミュニケーションができなくなった。上手く返事ができない、何か話しかけようとしてもなかなか音にすることができなくなった。
志緒とは和解することなく、別々の中学に進学した。私は元々人見知りだったこともあり、中学ではあまり馴染めなかった。それでも一人になるのが怖くて必死になってクラスの子について行った。ついて行っても全然会話に入っていけないし、話を振ってもらえても、「そうだね」とか「確かに」としか答えられない…。私は変わってしまった。
また自分が発した言葉で誰かを傷つけるのが怖い、嫌われるのが怖い。
でも本当は、もうあんな辛い思いはしたくないっていう思いが一番強かった。
なのに思うように周りの人たちと話せない今は、少し辛かった。私は臆病だ…。
誰かを傷つけるのが怖い、傷つけたくないって思ってるのは、結局は自分が辛い思いをしたくないから言葉にできない…。全ては自分のためだった。
こんな自分に腹が立つ。
本当はもっと人と話したいのに、自分で自分に言葉を音にできない呪いをかけている。

 今日は一時間目から体育の授業があった。
体育は嫌いだ。元々運動は得意じゃないけど、体を動かすのは嫌いじゃない。だけど体育はペアになって何かをすることが多いから嫌いだ。
唯一救いなのは、クラスの女子が偶数人数であること。欠席が出た瞬間、私の救いはなくなるけど。まあそんなに欠席が出ることはないからそこそこ救いとしての働きをきちんとしている。
今日はまずアップをする二人組みをつくらなければいけない。私はだいたいいつも自分からは誘いに行けない。クラスの誰かが誘ってくれるのを待っている。今日もそうだ。
「咲菜、一緒に練習しよう?」
いつも美結が私に声をかけてくれる。
「‥うん、やろっか」
こんな返事しかできないけど、美結には感謝している。美結は私がいつもついて行くグループの中の一人で、私に話を振ってくれるのは、だいたい彼女だ。なのに毎回私は上手く返事ができない。
今日の授業内容はバドミントンのダブルス。
ペアはアップを一緒にやった相手で、最初の対戦相手は自由に決められる。だからみんな自然といつものメンバーが集まる。もちろん私達もいつものメンバーでやることになった。唯桜と望心が私達のところに来た。まずはラリーから始めて、それから三分後に試合が始まる。私はいつものこの三人について行ってるだけだけど、周りから見たらいつものメンバーに見えるんだろうななんて考えながらシャトルを打つ。
授業が終わり、着替えて教室に戻るのは、いつも決まって私が一番最後になる。だから私が戻る頃には、教室から楽しそうな話し声や笑い声が聞こえてくる。それを聞いて自然と足が止まり、教室に入るのを躊躇してしまった。私が入ってもいいのか分からなくなって、考えてしまう。
……怖くなってしまう。
扉の前に突っ立っていると、後ろから声をかけられた。
「何してるの、入らないの?」
「…あっああ、入るよ。ごめんね邪魔だったよね」
そう言って教室に入り、慌てて自席に向かう。
話しかけられたこの瞬間から私の日常、いや、人生が変わった。

 放課後一人で下校していると、また後ろから声をかけられる。
「体育のあと教室の前で突っ立って何してたの、沢土岐さん?」
声をかけてきたのは体育の後に教室の前で少し話をした山野くん。
山野くんはいつもクラスの中心にいて人気者で、下の名前で涼とクラスのほぼ全員から呼ばれている。私とは普段あまり関わりが無く、少し苦手な存在だ。
そんな人に話しかけられるなんて、今日はついてないな…。
「…別に、特に何もしてないよ。ただ、少し考え事してただけ」
そう返事をして、歩くスピードを少しだけ早くする。
「考え事って何?明日の英語の小テスト、何が出るかなーとか?」
っ⁉ついてきた?苦手だから正直あまり関わりたくなかったのに…何で?
「……そんなところ。」
ああ、やっぱり私ってこんな返事しかできないのか。こんな返事して、嫌われたって何も言えないな。まあ、これで山野くんがついて来ることは無くなったよね。
誰だってこんな反応されたら嫌だよね…。
一緒に、いたくなくなるよね…。
嫌われるって分かってるのにこんな反応しかできないなんて、私って本当に最低だ。

”こんなだから嫌なんだ”

この強い気持ちは、ポツリと小さな音となった。
「何が嫌なの?」
彼の問いかけによってそれが音になって口から出たことに気づく。
というか、山野くんはまだついてきてるの?まあ、そんな事は今はどうでもいい。今はこの場から逃げたくていてもたってもいられず、何でも無いと言って走り出す。振り返ること無く、まっすぐ家に帰った。

 その日の夜、私はもしも山野くんに明日会ったときに、何が嫌なのか再度聞かれたときの言い訳を考えていた。
「全然言い訳思いつかない。明日学校、行きたくないな…。」
そんなことを口に出して言ったとしても、平日である限り大型連休でも無ければ学校があることは変えられないので、大人しく寝ることにした。
結局言い訳は見つからないまま朝になり、やはり学校があることは避けられないので仕方なくいつも通り支度をする。

 私はいつも学校には早く行く。学校はあまり好きじゃないけど、誰もいない教室は静かで落ち着くから早めに着くように行く。それに窓側の席だからカーテンを開けると朝日が教室に入り込んできて、それに当たりながら読む本は格別だと密かに思っている。
クラスの人たちは、だいたいいつも予鈴がなる十五分から二十分前くらいにぞろぞろと登校して来る。その中でも山野くんはだいたいクラス全員が揃った頃、最後に教室に入ってくる。今日もそうだ。
「おはよー」
クラスメイトに挨拶をしながら教室に入ってくる山野くんの声が教室中に響き渡る。この瞬間から、いつ昨日の話を聞かれるのか気になって、私は内心ドキドキしている。本を開いていても、ただずっと見ているだけで、全く進まなくなった。今か今かと緊張しているけど、全然話しかけられず、結局何も聞かれることは無かった。聞かれるどころか、話しかけられもしないで一日が終わった。
まあ、そうだよね……。私と山野くんとじゃ住む世界が違うんだし。
それから山野くんと特に何も話すこと無く、一週間がたった。

 今日もいつもと変わりのない一日を過ごしていた。会話に入らないのに美結たちについて行って授業をして、嫌いな給食・掃除の時間を過ごす。みんなが楽しそうに話してる中、私だけ静かに給食を食べて、掃除をする。この時間が毎日あるのに正直大分辛さを感じていた。
そしてやっと六時間目終了のチャイムが学校中に響き渡る。これで一週間分の学校生活が終わった。この一週間を短いという人は多いだろう。けど、私にとってはものすごく長く感じられて、一週間なのに、まるで三週間が過ぎたんじゃないかと思うくらい長かった。
チャイムが鳴るとみんなが一斉に帰る支度をして下校していく。私は時間を少しずらしてから一人で静かに帰る。みんなは誰か友達と帰るのが当たり前になってるから、同じ時間に一人で帰ると目立つ。自分が浮いてるのがすぐに分かるから嫌になる。だからいつもそうやって時間が被らないように帰る。
なのに……。
「沢土岐さん!」
っ⁉
あーこの感じ知ってるな…。一度体験したことある、あの人か…少しめんどくさいな。
そう思いながらも無視するのは気が引けて、仕方なく振り返ることにした。
「……何?」
「あー良かった、返事してくれた。」
山野くんの表情は笑顔だった。
一言返事しただけで、どうして喜んでいるんだろう…しかも冷めたい一言なのに。山野くんの考えていることが全く分からない。
何で喜んでるのか聞いてみてもいいのかな…?聞いたら、どんな反応をするのかな。嫌がられないかな…?
そんなことをずっと考えていたら、山野くんにまた話しかけられて、結局タイミングを逃し、聞けなかった。
「この前少し一緒に下校した時、“だから嫌なんだ”って言ったでしょう?なんでも無いって言われたけど、どうしても何が嫌なのか気になって考えてたんだけど、全然分からなかったよ。俺がなにか嫌だなって思わせるようなことしちゃったかな?だとしたらごめんね。で、良ければ何しちゃったのか教えてくれない?ちゃんと直したいんだ。癖になってることかもしれないから。」
長い…。こんなに一人で長く話してる人始めてみた。
それが少し、羨ましく思えた。私はそんなに長く言葉を繋げられなくて、すぐに会話が終わってしまう。真反対だな……。
「‥別に、山野くんに対して嫌だなって思ったわけじゃないから気にしないで。」
「そっか、それなら良いんだけど。」
気にさせてしまったのは申し訳ない。私が何も言わないで帰ったせいで悪くないのに謝らせてしまった。
せめて、なにかお詫びできないかな。
そういえばこの前、遊園地のチケットを貰ったな…。使い道がなくてそのままにしてたけど、山野くんにあげたら喜んでくれるかな?
でも、迷惑になるかな。
私が何も話せないでいるせいで、沈黙している。それでも彼は楽しそうで、なぜかじっと見られている。私は沈黙と視線に耐えられず、考える前にとりあえず謝ろうと決心した。
「…ごめんなさい、山野くんは何も悪くないのに謝らせちゃって。」
自分から話しかけるのはなかなかに勇気が必要で、声が震えてたかもしれない。それでもまあ、言えて良かった。言葉を発するときに、これは話してもいいことなのか、相手を困らせたりしないか考えて戸惑って、いつも喉に突っかかる。だけど、一言話せれば結構言葉になる。
でも今日は、なんだかいつもより自然に話せた気がする…。久しぶりかもな。
「………。」
「………。」
返事が帰ってこない‥。だけどなんだかものすごく視線を感じる。またか。
山野くんにバレないようにそっと横目で様子をうかがってみると、驚いたとでも言いたげな表情でこちらを見ていた。
「……何?」
「あっごめんね、さっきから真剣な顔してたから何考えてるのかなって考えてたんだけど、そんな事考えてたんだね。大丈夫だよ、俺は何も気にしてないから。」
さっき見られてたのは観察?とかされてたのかな。
変わった人だな。
でもなんとなく、山野くんは優しい人なんだろうなーって思った。だから私も少し頑張って遊園地のチケットの話をしてみようかと思えた。
「…あの、この前遊園地のチケットを貰ったんだけど、私は使わないから貰ってくれる?」
「遊園地か、最近行ってないな。でも、どうして使わないの?せっかく貰ったなら自分で使えばいいのに。乗り物乗れないとか?」
何で使わないのか、か…。一緒に行く人がいないからなんてとてもじゃないけど言えない。だけど早く返事をしないと不自然になる…。
「…えっと、乗り物に乗れないわけではない。けど、みんな予定が入ってるみたいで……。」
結局一緒に行く人がいないのを遠回しに答えた感じになってしまった。それでもまあ質問に対して早めに答えられたから、良しとするか。
もう早く帰りたい…。早く家につかないかな。
それにしてもどこまで同じ道を帰るんだろうか…。
「もしかしてあまり聞いてほしくない話だった?まあ、それならチケット、貰おうかな。ありがとう。」
バレてる…。だけどもう遊園地の話はしたくない。何か話を変えないと。
「……あのさ、山野くんはこの近くに住んでるの?」
「そうだよ、この近くのマンションに住んでるんだ」
マンション…。この近くのマンションって一つしかないよね?なんだかとてつもなく嫌な予感がする…。
それからいつ遊園地のチケットを渡すのか話しをして、明日の放課後、一緒に帰ることになった。私は寄るところがあるからと言って家には寄らず山野くんと別れたから確実なことは分からないけど、多分同じマンションに住んでるんだろうな、というのを私だけが知っている。
明日の放課後の話をして別れたあと、山野くんは遊園地に誰と行こうかなあと楽しそうに独り言を言いながら帰っていた。それを遠巻きに見ていたら、なんだか面白くて思わずクスッと笑ってしまった。

 次の日、放課後にチケットを渡すのは決めていたけど、待ち合わせ場所を決めて無いことにお昼に思い出した。放課後になった今、私は心のなかでオドオドしていた。待ち合わせ場所が決まっていなければ、会える保証なんてどこにもない。もしかしたら山野くんに会えないまま帰ることになるかもしれない。
昨日の私に待ち合わせ場所を決めろって言ってあげたい。ものすごく言ってあげたい。
とりあえず勝手に帰るわけにはいかないので、教室で読書をしてることにした。
クラスの人たちは楽しそうに話しながら帰っていく。
なんでそんなに楽しそうなんだろうな。いつもみんな笑顔で楽しそうにしてる。私ただ一人だけがこの空間から切り離されているような感じだ。
まあ、それは今のところどうでもいい。いま大事なのは山野くんのことだ。山野くんは用事があるみたいで教室に荷物だけ置いて姿はない。
先生にでも呼ばれてるのかな。荷物がここにあるならきっと会えるよね?
「あっ、良かった!まだ帰ってなかった」
静かな教室に山野くんの声が響く。急に声が聞こえたからビクッと少し肩を上げて驚いてしまった。
「……勝手に帰るとでも思った?」
「いや、全然思ってないよ。けど、待ち合わせ場所決めてなかったからどうしようかなって思ってた。」
山野くんもそこ、気になってたんだ…。まあそりゃそうだよね。友達と遊びに行ったりするときに、場所と時間だけ決めて待ち合わせ場所を決めないなんてこと、無いもんね。
同じ家に帰るのにわざわざ放課後一緒に帰る約束をしてしまったことに今更になって後悔する。私しかまだそのことに気づいてないけど…。今まで誰かと一緒に下校したことなんて無くて、落ち着かない。
正直もうあまり関わりたくない。山野くんといるといつもとは違う何かがある。だけど、この“何か”が分かる前に関わるのをやめたい。
誰かを傷つけるくらいなら、自分が傷つくくらいなら。いつもそうやって周りの人とは一線を引いて過ごしてきた。それでも一人でいるのは怖くて、結局美結たちについて行く。私は矛盾している。こんな私が本当に大嫌いだ。
山野くんと関わるのはもうやめたい。
「……はい、チケット。」
これでもうおしまいにしようって思いたいのに、また矛盾してしまう。もっと一緒にいたいって。
山野くんが、「チケットありがとう」って笑ってくれるから、優しくしてくれるから、私の冷たい返事に一切嫌な顔しないで聞いてくれるし話しかけてくれるから、もっと一緒にいたいって思わされる。このまま一緒にいたらきっと“何か”が分かってしまうのに。
こんな気持になったのは初めてだ……。
「ねえ、この遊園地一緒に行かない?」
……え、今なんて?
いや、でも私なんかが誘われるわけないし、聞き間違いだよね………。
えっ、そうだよね?
「………今、なんて言った?ごめん、あまり良く聞き取れなくて。」
私の返事に山野くんはクスッと笑って、優しく答えてくれた。
「このチケット使って一緒に遊園地に行かない?って聞いたんだよ!」
「なんで私?私と行っても楽しくないと思うよ……。他の人誘って行ってきなよ!」
私なんかと行ったら沈黙で気まずい空気になるに決まってる。絶対に断ろう。楽しんで来てもらいたいし‥‥。その方がいいに決まってる。
山野くんは私が何度も断っても誘ってきた。だから一応会話は途切れずなんだかんだでマンションに到着したわいいものの、山野くんはまだ私を誘うのを諦めてない様子だった。
「あっここが俺の家!マンション住まいなことは言ってあったよね?」
ですよね……。私の嫌な予感はやっぱり的中していた。こんな予感は的中しないほうが良かったけど。
「…そうなんだ。」
「沢土岐さんはこの近くに住んでるの?」
答えたくない……。でも、今日は宅配が来るから家にいてほしいとお母さんに頼まれている。ここで回れ右して寄り道する訳にはいかない。
………しょうがないか。
「…私も、このマンションに住んでる。」
「え〜偶然じゃん!何号室?俺は401号室だよ!」
「………405号室。」
私たちが住んでるマンションは五階まであって、各フロアに五部屋だから、つまり……
「同じ階の端と端じゃん!えっまじで偶然だね!」
嘘であってほしい事実だな……。
誰か嘘だって言って………。
「……じゃ、私は帰るから。また、ね?」
「もう帰っちゃうの?早くない?もっと話しようよ!遊園地の話とか。同じマンションに住んでるんならエントランスとかで話そうよ~!」
何でそんなに私と話したいんだか。学校からここまでの下校中、結構話せていたのはほぼ奇跡みたいなもので、通常だったらこんなに話せない。それでも話そうって言ってくれて、少し嬉しいと思ってしまうのはなぜだろう。こんなに誰かと話せたのは久々だったからかな。
「‥‥今日は宅配が来るから、家にいないといけないから帰る。それと、何度誘われても行かないからね。」
山野くんはそうなのか〜と残念そうに独り言を言いながら残念そうにしている。やっぱりよくわからない本当に私と話して何が楽しいんだか…。変わった人だな。でも、だから一緒にいたい、嬉しいって思うのかな。

 次の日学校に行くと、いつも通りの日常だった。移動教室ごとに美結たちについて行って、また会話に全然入れなくて自分のことが嫌いになる。次の日もその次の日もまたその次の日も。毎日同じことの繰り返しで、最近は美結たちについて行くのも辛くなってきて、どんどんネガティブになっていった。会話に入れないのに美結たちについて行って、どう思われているのか分からなくて、いつか無視されちゃうんじゃないかと考えて怖くなる。会話に入らないくせについてきてうっとおしく思われてるんじゃないかとも考える。そのうち人の目が気になるようになった。いろんな人が私を否定しているように感じて、学校に行くのも辛くなった。
話しかけられてもうまく話せないし、こんなんじゃ山野くんにも嫌われちゃうよね…。嫌われるくらいならもう会うのをやめよう。どうせこの性格は変わらないんだから、もう全て諦めてもいいよね…。いくら変わりたいって思ってても、変わるための行動が出来ないんじゃ変わりようがない。この辛さから逃げよう。

…………次の日から学校に行かなくなった。
何もかもから逃げたら楽だった。家族としか関らなくてすむから人の目も気にならないし辛さも感じなかった。だけど、どこかポッカリと穴があいているような感覚になった。
これで良かったと心から思えているんだろうか……。

 ピンポーン
…誰?宅配かな、出たくないな。
今、家には私しかいない…インターホンに応じないという選択はできない。
仕方ないのでゆっくりと立ち上がって玄関に行き、扉を開ける。すると、そこに立っていたのは…
「あっ出てくれた!はい、これ今日休んでたから授業のノートとプリント。ノート返すのはいつでもいいから!」
…山野くんだった。
一番会いたくなかった…。山野くんに会うのが怖かった。嫌われるのが怖い。
何もかも諦めた私に呆れてるんだろうな…。
「…ありがとう、それじゃあ。」
怖くて山野くんの目が見られない。だからお礼だけ言って一人になろうと思ったのに、山野くんがちょっと待ってと言って私を引き止めた。
引き止められたらそれに応じるしかないじゃん…。一人にしてよ。
こんな私と話したって何にもならないよ…。
「…何?」
「遊園地のことなんだけど、やっぱり沢土岐さんと行きたいなって。だめかな?」
っ!?なんで…。どうして私なの…。
「…そのことならもう断ったよね。何度言われても行く気はないから。…ごめん。」
「理由は?俺のことが嫌い?ならそう言えばいいじゃん。それとも他に理由があるの?何でも言ってよ、どんなことでもいいからさ!俺、諦め悪い方なんだよね、ごめんね。だから教えてほしい。」
もうこれ以上、私の心の中に入ってこないでよ…。どうしてそこまでするの?ただのクラスメイトじゃん。
「教えて、沢土岐さん!」
っ!?なんで…
「…もう、入ってこないでよ。どうして私なの?私なんかと行って、話しして何が楽しいわけ?冷たく感じるような言葉でしか返事が返せない私なんかといるより他の人といたほうが何倍も幸せになれるし楽しいでしょ。……私はもう、誰とも関わりたくないの。だから逃げたの、変われない私に自分で幻滅して、もう何もかも嫌なの、大嫌いなの。お願いだからもう、私に構わないで…。」
…言ってしまった。まあ良いか。どうせもう、さようならだし。もう、どう思われてもいい。
きっとネカティブすぎ、重い、そんなふうに思われたんだろうな。
「言えるじゃん、自分の気持ち。聞けてよかった!」
「は?何が良かったの?まだ分からないの?私がどんな人間なのか。ちゃんと聞いてた?」
「聞いてたよ。それにちゃんと理解してるよ?疑うなんて酷いな~。」
「嘘、全然分かってない。私は、周りの人を傷つけたくないって言いながら本当は、自分が傷つくのが怖いから何もかもから逃げて諦めたの。結局は自分の身のために逃げた最低な人間なんだよ…。どうせ山野くんだって何もかもから逃げた私に呆れてるんでしょう?」
何でまたこんなことまで言ってるの、私は…。もうヤケクソだ、どうとでもなってしまえ。
山野くんにはやっぱりいつも調子を狂わされる。こんな事知って欲しいわけじゃないのに。
山野くんはいつも、私が考えている斜め上の返事をしてくる。本当に、何を考えてるのか全く読めない。
「呆れてなんかいないよ。辛かったんだね…俺にはその辛さは分からない。けど、それなら逃げてもいいんじゃない?って俺は思うよ。辛いのにその辛さから逃げなかったら、自分が壊れちゃうよ?だから、沢土岐さんが逃げたのは全くダメなことなんかじゃないし、自分を守るための大事なことだと思う。頑張れなんて、無責任なことは言わないよ。でも、まだ自分を変えたいって気持ちは忘れないで、諦めないでいて欲しい。諦めたら本当にそれでおしまいだからね。」
どうして山野くんは私にも優しいの…。いつも周りの人と同じように明るく楽しそうに接してくれる。誰かが話しかけてくれても、こんなに深入りしてくる人はいなかった。
……君なら、こんな私を理解して受け入れてくれる?
「俺もまだ諦めてないよ、沢土岐さんと遊園地に行くの!あっあと、自分なんかって言うのやめない?もっと自分のこと大事にしてあげて!それから~」
「フフッ、アハハハ。まだ言いたいことあるの?そんなに言われるなんて思ってもみなかった。もう降参。そこまで言うなら、私で良ければ遊園地、一緒に行ってあげてもいいけど?」
そんなにたくさんの言葉を貰ったら、嫌でも期待しちゃうよ?
そばにいてくれる?

 次の祝日、私たちは遊園地に行くことになった。今回はきちんと待ち合わせ場所も決めて、前みたいなことにはならないように二人で予定を立てた。
「最初何に乗る?やっぱり定番のジェットコースターからかな!絶叫系も乗れるんだよね?」
山野くんは案内マップを見ながら、今日も笑顔で楽しそうにしている。
「楽しそうだね。」
「当たり前じゃん!久しぶりの遊園地だし、何よりあんな頑なに行かないって言ってた沢土岐さんが一緒に来てくれたんだよ?楽しくないわけ無いじゃん!ほら行こう、せっかく来たんだから沢土岐さんも楽しもうよ!」
「はいはい、そうだね!」
山野くんといると、やっぱり調子が狂う。だけど、なんだか居心地がいいな。
今日はずっと楽しかった。行きの電車も今も、きっと帰るまで。
いつからだろう、山野くんを目で追い掛けるようになったのは。学校にいても下校していても、いつも探して目で追ってしまう。
今も山野くんから目が離せないでいる。
「楽しい」、「当たり前じゃん!」と言ってくれた山野くんの言葉が、大袈裟かもしれないけど、今までの私の人生を覆してくれた。こんな私でもそんな言葉をくれる人がいるなんて思ってもみなかった。
山野くんに出会えて良かった。
楽しいな。
「……今日、来てよかったな。」
誰にも気づかれないようにボソッと音にする。
山野くんがそう感じさせてくれた。
しばらくあまり感じてこなかった感情、楽しさを君が私に教えてくれた。これからも君に、たくさんの感情を教えてもらうんだろうな。まだ問題が解決したわけではない。だけど諦めなければ、今の私ならもしかしてって思ったりしなくもない。
今までどんなに考えても自分に自身が持てないままで、変わらずに来たのに、悩んでたのが嘘だと思うくらい考えが変わるのは一瞬だった。どうせ何をしたって変われない。そんな考えを山野くんが覆してくれた。やっぱり山野くんはすごいな。
全部君のおかげだよ。山野くんに出会えて、本当に良かった。

少しだけ息がしやすくなった気がした。