「それで、さっそく本題に入りたいんだけどいいかな?」
 波琉が切り出すと、煌理も真剣な顔をする。
「星奈の一族に関してだったな」
「そうだよ。百年前なにがあったか知りたい。そのせいでミトは生まれてからずっと大変な目にあっていたからね」
「どういうことだ?」
 煌理はミトの生い立ちまで聞いていないのか、不思議そうにする。
 波琉はミトを見る。
「ミト、話して構わない?」
「うん。でも、私から話す方がいいかな?」
「辛い記憶をわざわざ口にする必要はないよ」
 そう言って、波琉はミトの頭を撫でた。
 まるで、ミトのつらい気持ちすら自分が引き受けるとでもいうように。
 ミトは波琉に甘えることにした。
 正直言うと、村での生活を思い返しながら自分から話すのは涙が出そうなほどしんどいのだ。
 そうして、波琉からミトが生まれてから星奈の一族の村での扱いが伝えられた。
 時々顔を険しくさせる波琉からは村民への怒りが感じられると同時に、空が曇ってきたのでいつ雷が落ちないか心配でならない。
 やはり自分から伝えた方がよかったのではないかとミトは後悔した。
 ミトの生い立ちが話終わると、煌理も怒りを感じた表情をしており、千代子にいたっては悲しげに目を伏せていた。
「あの一族はまったく変わっていないようだな」
 煌理の口から吐き捨てるように紡がれた言葉には、嫌悪感があった。
「……ミトさんがそんな目にあってしまったのは私のせい、なのかもしれませんね」
 千代子から発せられた小さな声を聞き取った煌理が強く否定する。
「馬鹿言え! あれは星奈の一族が悪かったのだ。あの女が元凶であるのは間違いない」
 そう言って千代子を腕に抱きしめた。
 それでも千代子の顔色は晴れない。
「ですが、九楼様が堕ち神となってしまったのも、その事件があったからです」
 千代子の『堕ち神』という言葉にミトだけでなく波琉も反応する。
「なにがあったんですか? 百年前に」
 煌理は千代子を抱いたままゆっくりと話し始めた。
 今や龍花の町の人間が知らない百年前の出来事を。
「話しは百年ほど前、私に花印が浮び、龍花の町へ降りたことから始まる。すでに家族とともに龍花の町に移り住んでいた千代子を見つけるのは至極簡単だったな。まだ幼かった千代子の成長を間近で見られるのは私の楽しみでもあり、千代子も歳を経るごとにつれ、私への好意を抱いてくれているのを感じるのが嬉しかった」
 昔を思い出しながら話す煌理の顔は優しく、千代子をどれだけ愛しているのかが伝わってくるようだった。
 けれど、突如として煌理の表情が抜け落ちる。
「そんな千代子には友人がいた。星奈キヨという千代子と同じ歳の娘だ」
 ミトははっとして反芻する。
「星奈……」
 自分と同じ星奈の名前。
「当時星奈の一族は代々優秀な神薙を輩出する名家だった。そんな名家から初めて花印を持って生まれたのがキヨだ。星奈の一族はそれは大事に育てていたのを覚えている」
「ま、そうなるだろうね」
 波琉は冷めた声色で相づちを打った。
 誰よりも神のそばに仕える神薙だからこそ、花印を持つ者への扱いには慎重だったのだろう。
「キヨはよく私の屋敷に顔を出していた。千代子とは仲がよかったからな。私もキヨが遊びに来ることに否やはなかった。千代子も楽しそうにしていたし、よく三人でお茶会をしたりもしたものだ」
 話しだけを聞いているとここまでなにも問題はないように思える。
「楽しかった……。そう、私も千代子とキヨといる時間はとても楽しく、天界では味わえない穏やかな幸福感に満たされていた」
 煌理はどこか悲しげな目で昔を懐かしむ。
 それは隣にいる千代子も同じであった。
「そんな関係が壊れ始めていたことに気づけていたら、もっと違ったのかもしれない」
「なにがあったの?」
 波琉が問う。
「私が鈍かったのだろうな。年頃の女性に成長してきたキヨは、いつからか私に恋心を抱くようになっていた。それにより、私の伴侶である千代子を邪魔に感じ出したのだ」
「あの……。邪魔もなにも、花印が違う龍神様に好意を持っても報われるんでしょうか?」
 ミトがおずおずと口を挟む。
「いや、花印とは天帝が決めた龍神と人とのつながり。花印が違えば天界へ連れていくことは叶わない。そもそも私は千代子を愛していたからな。他に目は向いていなかった。キヨにもそうはっきりと告げ、私のことはあきらめるようにと言い聞かせていた」
「キヨという方はそれで納得したんですか?」
「いや、それどころか、千代子を排除しようと動いたのだ」
 ミトが千代子に視線を向けると、顔を俯かせている。
「キヨには普通の者とは違う不思議な力があった」
 体をびくりとさせたのはミトだ。
 ミトもまた動物と会話できるという普通の人間にはない不思議な力がある。
 これは偶然なのか、星奈の一族自体にそういう力を持った者が生まれやすいのか、ミトには分からない。
「どういう力だったの?」
 ここで初めて強い興味を示した波琉が問う。
「人を操る力だ」
 苦々しく感じているのか、煌理の顔が険しくなると、波琉もまた眉根を寄せた。
「人を操るってどういうの?」
「その言葉通りだ。本人の意思を奪い、自分の思うように命令を遂行させられる。キヨはその力をみずからの一族に使い、あろうことか千代子を殺そうとした」
「そこまでするなんて……」
 ミトは両手で口元を隠す。
「千代子がいなくなれば、自分が伴侶になれると本気で思っていたようだった。ありえないというのに」
 ミトは衝撃を受ける。
 そんなことで人の命を奪おうとするキヨという人物に対して。
 そして、人にはない力は時に人の命を奪おうと思えるものなのだと知り、ミトは自分の力が危険なものなのではないかと初めて怖くなる。
「キヨさんはどうなったんですか?」
 目の前に千代子が無事でいるというのを考えれば、キヨの計画は防がれたと考えていいはずだ。
「キヨは、私が殺した。操られた人間たち諸共な」
 淡々とした口調の煌理からは、なんの感情も感じられなかった。
 ミトもどう反応していいのか分からない。
 そんな中で波琉は関係ないとばかりに口を開く。
「珍しいね。基本的に温厚な君が操られた被害者と言ってもいい者たちまで殺すなんて。いくらでも手加減できただろうに。ましてや、最愛の伴侶を殺そうとした害悪に安易な死を与えるなんてずいぶん優しいんだね」
「操られていたと言えど千代子を殺されそうになって手加減できなかったんだ。キヨに対しても同じだ。殺してしまった後で、千代子を狙った罪をその身に償わせればよかったと後悔したさ」
 そのふたりの会話の内容を聞いていたミトは、やはり龍神なのだなと再認識させられていた。
 淡々と人の死を語っている。
 慈悲と冷酷さのふたつを相反するものを持ち合わせているのがきっと神なのだろう。
「私はその事件の後、星奈の一族を龍花の町から追放した。それまでにもキヨの危なっかしさを感じていた私は、キヨをよくよく見張るように言いつけておいたのに、見張るどころか一族の中には逆にキヨに協力する者もいたのでな」
「なるほどねー。それは追放されてもおかしくないね。僕だったら同じことがミトに起こったら、町どころか国から出ていけって言ってるかも」
 膝を立てて頬杖をつく波琉は少々あきれ気味でそう言った。
「それで、さっき言ってた堕ち神がどうして星奈の一族に関わってくるの?」
「キヨを私が殺したことでそれに怒った者がいたんだ。それは、キヨと同じ花印を持つ龍神だった。九楼と言って、漆黒の王に連なる者だ」
「えっ、その方には同じ花印の龍神様がいらっしゃったんですか?」
 ミトはびっくりして目を大きくする。
 なにせ、煌理を好きだったというから、てっきり龍神の伴侶はいないものと思っていたのだ。
「ああ。と言っても、キヨは私が好きだと言って、九楼の求愛を断っていた。それもあって九楼からは憎々しく思われていたようだが、さすがに王である私になにかするわけではなかった。しかし、私がキヨを殺したことで歯止めが消えてしまってな」
 煌理は、小さく嘆息した。
 あまり思い出したくない記憶なのだろうか。表情が曇っている。
「怒りを私だけに向けてくるならまあいい」
「いや、よくないでしょう。人間界で龍神同士が戦うのはご法度だよ」
「そうなの?」
 思わずふたりの会話を遮るようにミトが声をかけてしまった。
 波琉は怒ることもなく、ミトに微笑む。
「そうだよ。龍神といっても制約がないわけではないんだ。特に人間界にいる間わね。天帝が取り決めたルールがあって守らないと堕ち神になる場合もある。それはまたいつか教えてあげるね」
「うん。話の腰を折っちゃってごめん」
 ミトは申し訳なさそうにした。
 気にする必要はないというようにミトの頭を撫でてから、波琉は煌理に視線を戻した。
「それで、その龍神はなにしたの?」
「手がつけられないほど怒り、龍花の町で暴れ回った結果、多くの命を奪ったのだ」
「あー、それは駄目だね。天帝から罰を与えられるのも仕方ないか」
 波琉は納得しているが、ミトは首をかしげる。
 ミトには違いが分からなかったのだ。
 疑問符を浮かべるミトの様子に気がついた波琉が声をかける。
「どうしたの、ミト?」
「いや、煌理様は千代子様の命を狙われて操られた人やキヨさんを殺したのに、その九楼っていう龍神様がたくさんの命を奪ったのはいけないの? どっちもたくさん殺したことに変わりはないのに」
 ミトの素朴な疑問だ。
 別に煌理を責めるわけではないが、やっていることは同じように感じるのに、九楼だけが罰を与えられたというのが腑に落ちない。
「そこが気になったのか。まあ、確かに同じように感じるけど全然同じじゃないんだよ」
「ん?」
「ねえ、煌理。命を狙われた時に千代子とは花の契りを交わしていたんだよね?」
「ああ。その通りだ」
 またミトの分からない単語が出てきた。
『花の契り』
 波琉はミトに目を向け説明する。
「花印を持った人間が天界へ行くためにはね、龍神に選ばれればいいってものではないんだよ。それ以外に花の契りという契約を交わす必要があるんだ」
「それをしないと天界へ行けないの? 私も?」
「そうだよ。そして、その花の契りをしている伴侶は龍神と同じ存在とみなされる。それを踏まえた上で考えてみて。人間が龍神の命を狙ったとしたらどうなると思う?」
「龍神様を怒らせちゃう?」
 ミトは自信なさげに答えた。
「その通り。龍神を害そうとする人間に神罰を与え、神の威光を知らしめたところでなんら問題ない。人間に舐められたら駄目だからね。だから龍神と同等の存在である千代子を殺そうとした人間たちは、ただ神罰を与えられただけなんだよ。ここまではいい?」
「うん……」
「けれど、その九楼という龍神は、なんら罪のない命を無為に奪った。その中にはきっと人間だけじゃない命も含まれていただろうね」
 煌理に視線を向けると、波琉の言葉を肯定するように頷いた。
「天帝は罪なき命を刈り取ることを許しはしない。だから、その罰としてその者は天界から追放されたんだ。至極真っ当な理由だよ」
「同じだけど違うってのはそういうことなんだ」
「うん、そうだよ」
 波琉はニコニコとミトの頭を撫でた。
 小さな子を褒めるような行いにミトは恥じらう。
「それにしても、その龍神が怒ったってことはキヨという子と花の契りはしていなかったのか……」
 つぶやくような波琉の言葉に、煌理が肯定する。
「ああ。なにせ、私を追っかけ回していたからな。だが、キヨの悪いところは、はっきりと拒否はせずにあいまいにしつつ九楼を手放してはいなかったことだ。だからこそ、九楼もあきらめきれずキヨから離れられなかった」
「うわー、最悪」
 波琉が嫌悪感をあらわに顔をしかめる。
 ミトもそれがいかにひどいか分からないほど恋愛に無知ではない。
「いいように使われちゃったんだね」
「ああ。だから、九楼が堕ち神となった時、桂香はキヨに対してかなり怒っていたな。自分の身内から堕ち神を出す原因となった女なのだから」
「苛烈な彼女ならそうなるだろうね。もしかして星奈の一族を追放したのもそれがあるから?」
「ああ。星奈の一族を皆殺しにしかねない勢いだったからな。桂香まで堕ち神にするわけにはいかない」
 会話を続ける波琉と煌理のそばで、千代子がそっと教えてくれる。
「桂香様とは漆黒の王のお名前ですよ。波琉様にも負けず劣らずお美しい女性の龍神様なのですが、怒らせると天界一怖い方なので気をつけてくださいね」
「そうなんですか。ありがとうございます」
 ミトひとりだけ話についていけなかったのでその情報は非常に助かった。
 漆黒の王は苛烈な女性。というのをミトは胸に刻んだ。
 それにしても皆殺しとは穏やかではない。
「全員が全員キヨに加担していたわけではなかったが、キヨを止められなかった責任と桂香のことを考慮して追放としたのだ。その後星奈の一族がどこへ行ったかは私も知らない。まさか、よかれと思ってしたことが巡り巡って波琉の伴侶に辛い思いをさせるとは思わなかった。すまない。私の責任だな」
 煌理は素直に謝ったが、ミトは煌理が悪いなどとは微塵も思っていないので慌てた。
「いえ! 確かに村での生活は苦しかったけど、今は波琉がいるから大丈夫です」
「それなんだけどさ、村の人たちはキヨや星奈の一族の罪を知っていてミトを虐げていたのかな?」
 などと、突然波琉が言い出したが、確かにそこは気になるところだ。
 両親は花印が村にとってよくないものとは代々教えられていたが、なぜなのかまでは知らなかった。
 村の中でも、真由子ぐらいの若い世代の子たちも知らなかったのではないかとミトは思っている。
「……村長なら、知ってたかもしれない。たぶんだけど……」
 村長以外にも年寄りは知っていたのではないだろうか。
 確証があるわけではないのだが、ミトを見るあの目を思い出してそう感じさせた。
 まるで危険なものでも見るかのような目。
 そして、執拗に外に出さないようにしていたのは、なにか理由があったのではないかと思っていた。
「本人に聞いてみようか」
「えっ!?」
 突然の波琉の発言にミトはびっくりする。
「蒼真~!」
 声を大きくして部屋の外に向かい波琉が呼びかけると、すぐに蒼真が襖を開いて姿を見せた。
「御用でしょうか?」
「うん。あのさ、星奈の村の村長たちってどうなった?」
「花印を故意に隠していた罪で裁判中ですね。その者たちがなにか?」
「村長たちと話とかできる?」
 蒼真は一瞬間が開いたが、すぐに頭を下げた。
「紫紺様がお望みとあらば、すぐにでも手配いたします」
「じゃあ、頼むよ」
「かしこまりました」
 今は煌理もいるからだろうか。
 いつもより蒼真の態度が丁寧なのでなんか変な感じだ。
 完璧な笑顔を仮面のように貼りつけた上で、猫を何重にも被っていて気味が悪い。
 しかし、空気の読めるミトは口にはしなかった。