午後の授業を終えて、特別科の教室に戻るミト。
やはりひとりだけで授業を受けるのはなんともつまらない。
ミト以外に特別科の高校一年生がいないのだから仕方ないのだが、キャッキャウフフな学校生活を送れると思っていたのにあまりにひどい裏切りである。
「はぁ……」
思わずため息をつくぐらいは許してもらいたい。
けれど、ミトも分かっているのだ。
村での孤立した生活に比べたら、学校に通えていられるだけでとんでもなく幸せなのだと。
ここではミトを虐げる者も、忌み子と蔑む者もいない。
けれど、期待していた分だけ少し物足りない気持ちがある。
千歳の存在に大きく助けられているが、千歳以外の友人も欲しかった。
できれば同性の子だとなおいい。
女の子同士で恋バナだとか、ファッションやメイクの話だとか、そういう年頃の女子高生のような会話をしてみたいものだ。
それはもう切実に思う。
だが、現在の特別科の面々を見ていると、ミトに媚びるばかりでそれが難しいと感じる。
とても対等な関係は作れないだろう。
ならば普通科の子に狙いを定めようかと考えたりもしたが、それはもっと厳しい現実があった。
なにせ、龍花の町においても学校においても、優遇されている花印を持つ特別科の生徒は、文字通り特別な存在なのだ。
神の花嫁、花婿候補。
それがこの龍花の町においての、花印を持った者たちへの認識。
世話係をすることもある神薙科の生徒と比べると、普通科の生徒は特別科の生徒を遠巻きにしており、積極的に関わらないようにしているところがある。
それは特別科の生徒が、普通科に対して傲慢な態度を見せるからでもあった。
自分たちは選ばれた人間なのだと、普通科の生徒に高圧的な態度を取っている場面を時たま見かける。
龍神のために作られたこの町において、花印を持った人間に逆らうのは、町で生きにくくするだけ。
普通科の生徒は嵐が過ぎ去るのを待つように、特別科の生徒の言いなりになるしかない。
そんな背景があるので、いくらミトが仲良くしたいと近づいていっても、対等な関係など築けるはずがないのである。
特別科の生徒だろうと龍神に選ばれていようと、物怖じせずに皐月やありすの世話係の要請を断った千歳がまれな例だっただけなのだ。
悲しいかな。それが現実だった。
「友達欲しい……」
ミトが肩を落としていると、ピチチという鳴き声が聞こえる。
廊下を歩いていたミトが開いた窓の外を見るとスズメのチコがいた。
チコは窓辺へと降り立つ。
『またなにか落ち込んでるわね。友達なんて私やクロやシロがいるじゃない』
どうやらミトのひとり言を聞かれていたようだ。
「もちろんチコたちは大事な友達だけど、それとはまた違うの。人間の女の子の友達が欲しいのよ。チコは人間のことは分からないでしょう?」
『まあ、そうね』
「私も村から出たことがないから、普通の女子高生の生活が分からなかったりするし、そういうのを教えてくれたり、一緒に経験したりしてみたいの」
ミトは一般常識が少々欠けている。
それはあんな外部から閉鎖された小さな村から出ることを許されなかったのだから無理もない。
だからこそ、これまでできなかったいろんな体験をしてみたいのだ。
どうせなら、ひとりではなく、波琉や気を許せる友人とがいい。
それは我儘が過ぎるのだろうか。
「少し前までは、村から出て学校に行けるだけでも十分幸せだって思ってたのに、望みすぎちゃってるのかな?」
『いいんじゃないの? 人間ってのは欲が深い生き物ですもの。ミトの我儘ぐらい大したことないと思うわよ』
「波琉に嫌われない?」
ミトにとってはそれがなにより気になる。
『ならないわよ。あの神様はそれぐらいを受け止められないほど狭小じゃないはずだもの』
「だといいんだけど」
ミトは再度深いため息をついてからはっとした。
「あっ、ホームルームに遅れる! またね、チコ」
『コケないように気をつけるのよ』
チコといいクロといい、気にかけてくれるのはいいのだが、まるで母親のようだなとミトは苦笑しつつ、教室へと急いだ。
教室へ行くとすでに生徒はそろっていた。
けれどまだ草葉は来ていないようだ。
ほっとして扉の前にいたミトが教室内へ入ろうとすると、なにやら教室内の空気がピリピリとしたようなおかしなことに気がつく。
原因となっているのはひとりの女子生徒のよう。
大人しそうな雰囲気のその女子生徒を、男女複数人の特別科の生徒が囲んでいる。
あきらかに怯えている様子を見るに、友人同士で楽しくおしゃべりしているとはとても思えない。
「彼女は確か……」
ミトはまだ特別科の生徒全員の名前を記憶してはいなかったが、囲まれている彼女は覚えていた。
以前まで皐月の取り巻きのひとりとして、皐月の後を追いかけるようにくっついていた子だ。
自己主張が激しい特別科においては珍しく影が薄い子だが、ミトは気の強い皐月とは正反対の大人しそうな彼女のことが逆に印象に残っていた。
皐月がミトに怒鳴り散らしている時も実はいたのだが、影の薄さをさらに薄くしてひっそりと皐月の後ろについていたので気にしていなかった。
名前は確か吉田美羽と言ったか。
皐月の派閥に属してはいたが、絶対にいやいや付き合っているのだろうなというのを感じていた。
彼女は率先してミトを虐めるようなタイプではなく、気弱そうで人の顔色をうかがって生きているいるような人。
周りから特別扱いされ続けたがゆえに我儘な性格の者が多い特別科の生徒の中では異質だろう。
とはいえ、虐められているミトを助けるわけでも、また、皐月を諌めるでもない彼女への関心は低い。
そんな彼女を囲んでなにをしているのだろうかと、ミトは教室の外からこっそりと様子をうかがう。
「なあ、吉田さん。俺たちこの後用事あるから、教室の掃除しといてくれるよな?」
「えっ、あの……」
「なに? 嫌なの? 私たちがこんなにお願いしてるのに」
「そういうんじゃ……」
モゴモゴと語尾が小さくなりながら話す美羽は、はっきりとした返事はせずに視線をさ迷わせている。
教室の掃除は当番制。
大事な花印を持つ子に掃除などさせて不満が出ないのかと思ったが、天界へ行けば龍神の位によっては龍花の町のような特別待遇がされるとは限らないので、最低限身の回りのことはできるように教育しておけと、過去龍花の町を訪れた龍神が命じたとか。
そのため、学校では掃除などは特別科の生徒もすることになっている。
さすがの特別科の生徒も、龍神の命令に異を唱えることはしない。
不満を持っているかは別としてだが。
なので、ミトもきちんとしている。
千歳や蒼真などからは王の伴侶のだから天界へ行っても特別待遇は変わらず、きっと身の回りのことは誰かがしてくれるはずなので必要ないんじゃないかとも言われたが、学校でできる行いすべてがミトには新鮮なのだ。
それがたとえ他の人が嫌がる掃除と言えども、ミトには楽しくてならない。
皐月やありすなどは周囲が気を使って当番を変わっていたらしく、ミトにも同じように他の生徒が気を使って当番を変わろうとしたが、こんな楽しいことを譲るつもりはなかった。
鼻歌交じりに掃除をするミトを、周囲は異質な目で見ていたが、ミトは気づいていなかった。
けれど、やはり喜んで掃除をするのはミトぐらい。
どうやら美羽を囲んでいる生徒は、美羽に掃除を押しつけようとしているらしい。
「それとさ、日直の日誌も書いて先生に渡しといて。それから掃除が終わったら鍵も閉めといてよ」
「あ……。でも私、今日は用事が……」
「えっ? なに? 聞こえなーい」
か細い美羽の声は他の生徒の声でかき消される。
高圧的な女子生徒の声に負けて、美羽は顔を俯かせている。
「えっと、その……」
「やるわよね?」
それは有無を言わせぬ命令と変わらぬものだった。
最初こそ抵抗を見せていた美羽も、あきらめたのか小さく頷く。
「うん。分かった……」
「それとぉ」
彼女たちは美羽の机の上にバサバサとノートを置いた。
「これ、今日の課題。代わりにやっておいてくれよな」
「えっ!」
美羽が驚愕したように俯かせていた顔を上げると、囲んでいた生徒たちはそろって意地悪く笑っていた。
「用事があるって言ったでしょ。そんな課題なんてしてる暇ないの」
「それなら、お世話係の人に頼んだら……」
「なに言ってるのよ。そんなことしたらかわいそうじゃない。神薙科の生徒はただでさえ課題が多いんだからさ。そんな気遣いもできないなんて吉田さんたらサイテー」
「ほんとほんと。性格悪いわよ」
いやいや、どの口が言うのか。
ミトはツッコミを入れたいのを我慢した。
美羽に絡んでいない他の生徒は我関せずといった様子。
かかわり合いになりたくないのか、もとより興味がないのか。
どっちにしろ、美羽を助けるつもりはないらしい。
ここはミトが行くべきか。
これまでミトが村でされてきた虐めと比べたら優しいものなので虐めと言っていいのか判断に迷う。
以前蒼真から、ミトは虐められ続けてきてその辺の感覚が麻痺してるなどと怒られたりしたので、なおさら困った。
どうしようかと足踏みしていると、後ろから肩を叩かれる。
ビクッとしたミトが振り返ると、担任である草場がいた。
「あ、先生」
「星奈さん、なにをしているんですか? ホームルームを始めますから早く席についてください」
「はい……」
草葉は今の教室内でのやり取りを見ていなかったのか、いつも通りの様子で教室内へ入っていく。
それとともに美羽を囲んでいた生徒たちも自分の席へと戻って行った。
ホームルームが終わり、生徒が一斉に帰り支度をする。
先程美羽に掃除を押しつかていた生徒たちは我先にと教室を出ていってしまった。
ミトは彼らの背をなんとも言えない表情で見送る。
美羽はひとりで掃除を始めた。
沈んだ表情の彼女を見ていると、ミトの良心が揺れ動く。
今日はミトの当番ではなかったが、先ほどのやり取りを見た後ではなんとも帰りづらい。
「はぁ……」
ミトは息をついてから、持っていた鞄を机の上に置いた。
「きっと千歳君に文句言われちゃうだろうな」
千歳からの苦言は覚悟の上で、ミトはロッカーからほうきを取り出した。
それを見た美羽が驚いたように目を大きくする。
「私も手伝う」
「え、でも……」
「いいの。ふたりの方が早いから。さっさと終わらせちゃおう」
これまで美羽とは接点がなかった。
話をしたのもこれが初めてかもしれない。
なにせ、美羽はいつだって皐月の背後に隠れるようにして付き添っていたから。
「吉田さん。嫌なら嫌ってはっきり言ってもいいと思うよ。でないともっとひどい要求をされちゃうかもしれないから」
強者におもねるのが悪いとは言わない。それもまた平穏に生きるための知恵のひとつなのだから。
けれど、押し殺し続けた心は悲鳴をあげて、いつかぱりんと壊れてしまう。
村で忌み子と呼ばれ続けたミトと違い、美羽は花印を持つ者としてこの町で絶対的な地位が約束されているのだから、同じ立場の彼らの言うことを素直に聞かなくても生きていける。
彼らに反抗するだけの力はすでにその手に持っているはずなのだから。
村での苦しい生活を思い返しながら、ミトはそう忠告した。
しかし、どうやら美羽にミトの気持ちは届かなかったよう。
「それは星奈さんが紫紺様の伴侶だから強気なことが言えるのよ。弱い私は人の顔色をうかがって生きるしかないわ。私の気持ちなんて分からないくせに!」
「吉田さん……」
美羽はミトからほうきを強引に奪った。
「手伝ってくれなくていい……。そんなの頼んでないわ。同情なんてしないでよ。惨めになるだけじゃない! さっさと帰って!」
強い口調で拒否されてしまった。
悲しげな顔をするミトは、全身で拒絶の姿勢をとる美羽にそれ以上なにか口にするのは逆効果になると思い、仕方なく鞄を持って立ち去ることにした。
教室を出るミトと入れ違うようにしてひとりの男の子が教室へ入っていくと、美羽は表情を明るくし男の子にすがりつく。
「陸斗!」
「美羽。また押しつけられたのか?」
「うん……」
「俺も手伝うよ」
すると美羽は涙をにじませ手で拭いながら何度も頷いていた。
複雑な心境のまま教室を出たミトは、外で千歳が立っていたのに気づく。
「千歳君。ごめんね、待たせちゃったね」
「別にいいよ。ていうか、ミトにあれだけ言い返せるなら気にしてやる必要はないって」
「聞いてたんだ」
いったいどこから見られていたのやら。
「彼女なの。昼ご飯の時にカーストがあるって言ったでしょう? これまで現場を見たわけじゃなかったんだけど、彼女は他の特別科の子にいろいろ押しつけられてるっぽいの」
「みたいだね」
「手助けしようとしたんだけど、ちょっと押しつけがましかったかな?」
「いいんじゃない? ミトらしくて。お人好しなとこが」
その言葉には少々嫌味が混じっている気がするのだが、ミトの気のせいだろうか。
「ああいうのは放っておくにかぎるよ。世話係も一緒にいるんだしなんとかするでしょ」
「さっきの男の子が吉田さんのお世話係なんだ」
美羽は陸斗と呼んでいた。
ずいぶんと気を許しているように見えた。
まあ、ミト自身も千歳にはかなり心を許しているので、お世話係との関係は距離が近いものなのかもしれない。
「虐められてるなら止めた方がいいよね。私が言ってやめてくれるかな?」
美羽を囲んでいた生徒たちをミトはよく知らない。
そんな人たちに言葉は届くだろうか。
懸念はもうひとつ。先ほどの美羽の様子だと、ミトがなにかすることを望んではいなさそうだということ。
すると、千歳が真剣な表情でミトを止める。
「やめときなよ。ミトが下手に首を突っ込んでなにかあった時に被害をこうむるのは町全体なんだからさ。ミトだって紫紺様を怒らせたくないでしょう?」
「波琉か……。うーん……」
ミトが虐められていたと知った時に嵐が起こった時のことを思い出してミトは唸る。
あの時は暴風雨で済んだが、天候を操る波琉の機嫌を悪くしないようにと蒼真からも口酸っぱく言われている。
「俺から特別科の担任に言っておくよ。今回はそれで引いておいて」
「うん。分かった」
草葉がなんとかしてくれるだろうか。
いつもやりたい放題の生徒たちをまとめきれていない頼りない姿を見ているに、草葉ではなんともできないような気がしていた。
「まあ、期待はしない方がいいよ。この町では教師なんかより特別科の生徒の方が立場が上だから。普通科のことならまだしも、特別科の生徒のやることには教師も生徒も見て見ぬふりだよ」
やはりそうなのかと、千歳の言葉を聞いてミトは意気消沈した。
「私はごくごく普通の学校生活を送りたいだけなのに……」
ミトのつぶやきに、千歳から「無理でしょ」という言葉が返ってきて、さらにミトを落ち込ませるのだった。
その時、ミトははっとして振り返る。
しかし、その先には誰もいない。
様子のおかしなミトに千歳が首をかしげる。
「どうかした?」
「……ううん。なんでもない。たぶん気のせい」
「なに?」
「なんか最近誰かに見られてるような気がするんだよね。でも、特に誰もいないし。だからきっと気のせい」
きっと皐月の一件で警戒心が強くなっているだけなのだ。
「待たせてごめんね。帰ろう」
ミトは気を取り直して笑顔を見せた。