それから三日経ったが、チコからもクロからも、そして波琉からも堕ち神が見つかったという情報はもたらされない。
 この三日間大事を取って学校を休んでいたミトだったが、事故による影響も見られなかったので学校へ行くのを許された。
 堕ち神が見つからないこんな時にと思いはしたが、龍神ですら見つけられない相手をミトが探せるはずもない。
 それ以外にも問題はある。
 外に出る度に危険な目にあったため、屋敷から出る怖さがあった。
 しかし、それは屋敷の中にいても変わらないかもと波琉が言い出した。
 日中、波琉は堕ち神を探すために屋敷を留守にしており、波琉のいない屋敷はむしろ人手が少ないので危ないかもしれないとのこと。
 だったら学校に行かぬ理由はない。
 それにミトには波琉のおまじないがあると強気な気持ちを持てた。
 事故に遭っても、炎に包まれても無事だっとのである。
 ちょっとやそっとではミトをどうにかできないだろう。……たぶん。
 ということで、数日ぶりに学校へ登校すると、玄関で千歳が待ってくれていた。
「千歳君、おはよう」
 なんだかずいぶんと久しぶりのような気がしてならない。
「おはよ。もう大丈夫なの?」
「うん。……たぶん?」
「その間がめちゃくちゃ気になるけど、聞かないでおく」
 ミトにも大丈夫なのか分からないのだから仕方ない。
 本当は波琉のそばにいるのが一番安全だと分かっているが、波琉にも波琉のやることがあるので我儘は言えない。
「私が休んでる間になにか変わったことあった?」
 教室へ向かいながら談笑する。
「いや、ない……こともない?」
「どっちなの?」
 ミトは苦笑する。
「校長が毎日俺のところに来てミトの様子聞いてきてた。そろそろハリセンの効果が欲しいんだってさ」
「校長先生……」
 これにはミトも頭を抱えたくなった。
 どれだけミトのハリセンの力を必要としているのやら。
 だがまあ、確かに学校がある日はほぼ毎日校長室に行き、ハリセンでぶっ叩いていたので、校長もハリセンの効果が切れるのを恐れたのかもしれない。
 ちなみに尚之も昨日は叩いてもらえなかったからか、今朝早くとりあえず挨拶代わりにハリセンを渡して叩いてもらっていた。
 堕ち神が見つからない苛立たしさからか、いつもより叩く力が強かった気がするが、むしろ効果がありそうと尚之はたいそう喜んでいたのを見た。
 校長も似たようなものだなと、ミトはげんなりしつつ、波琉の気持ちがよく分かった。
「校長は放置で。他は?」
「そうだな、吉田美羽と世話係が別れたらしいって話だよ」
「えっ!」
 ミトは目を大きくして驚く。
 なにせ龍神からの求めを拒否してまで得た関係だというのに、そんなあっさり破局するなんて誰が思うだろうか。
「なんで?」
「結局場の空気に盛り上がってただけじゃない?」
「どういうこと?」
「これまでクラスメイトから虐げられていたヒロインと彼女を守るヒーロー。その前に立ち塞がった龍神という恋の障害。そんな少女漫画のようなストーリーに自分を当てはめてテンションが上がってただけで、龍神という障害がなくなったら一気に気持ちが冷めたってところかな」
「えー……」
 それはなんともお粗末な寸劇である。
「龍神じゃなく世話係を選んだことに非難する奴もいたけど、普通科の生徒とか中心に、龍神にも負けない真実の愛を貫いたって応援する奴が圧倒的な多かったからさ。結構批判が集まってたりするんだよねー」
「そうなんだ」
「恋愛なんて我に返ったら終わりだよ」
「なんか千歳君悟りを開いた仙人みたい」
 チャラそうな見た目なのに彼女がいないのは知っているのに、なんともドライだ。
 彼女が欲しいとか憧れはないのだろうか。
 そんなことを考えていると、後ろから声がかけられる。
「千歳くぅ~ん」
 聞いた覚えある猫なで声に、千歳は嫌そうに顔をしかめた。
 ミトがそろりと振り返ると、今日もメイクばっちりな吉田愛梨が手を振って駆けてくるのが見えた。
「あいつほんとウザイ。ミトが休みの間ずっとつきまといやがる。一回しめるかな」
 千歳が蒼真のような怖いことつぶやき出した。
「それはちょっとまずいと思う。ほら、相手は女の子だし」
「あんなの女という名のモンスターだよ」
 やさぐれたように話す千歳。ミトが休みの間になにがあったのやら。
「お、は、よ」
 語尾にハートがつくような話し方で千歳の腕に抱きこうとしたが、さっと千歳がかわしたので、愛梨はたたらを踏む。
「千歳君たら恥ずかしいの?」
 頬を染める愛梨だが、今の千歳の顔のどこをどう見て恥ずかしがっていると思うのか疑問である。
 千歳は長居は無用とばかりにミトの手を引いて早足になった。
 どこまでついてくるのかと様子を見ていたら、特別科まで後を追ってくる。
 ミトを送り届けた後に千歳がひとりになるのを狙っているに違いない。
「大変だね」
 ミトにはどうにもできないので、苦笑いしかない。
 特別科の教室に着く。
 見慣れたはずの教室内はなにやらいつもより静かだ。
 ここでもなにかあったのかと首をかしげるミトのところに、先ほど話題に上がった美羽が走ってきた。
 けれど、正確にはミトではなく、一緒にいる千歳のところにだった。
 美羽は千歳の前に立つや、一気にまくし立てる。
「成宮君、お願いします! 環様に会わせて! 神薙であるあなたなら話をつなぐことができるでしょう? お願いよ!」
 なにを言い出すのかとミトだけでなく千歳も、教室内にいた生徒も驚いている。
 美羽には、千歳の隣にいる自分の妹にも気づいていなさそうだ。
 お願いされた千歳は一瞬だけびっくりした顔をした後、凍えるように冷たい眼差しを向けた。
「無理」
 千歳の回答は至極簡単なものだったが、美羽は納得していない。
「どうして!?」
「いや、そもそも会ってどうするの?」
「私が馬鹿だったの。やっぱり花印を持ってる私には環様の伴侶になるのが当然の流れだったわ。私は選ばれたんだもの?だから、今から環様と……」
「恋仲になるって?」
 千歳が美羽の言葉を遮るように、口を開いた。
 その目には軽蔑という感情が浮かんでいる。
「なに言ってるの、あんた。そんな都合がいい話聞き受けるわけないじゃん。今さらやっぱり龍神がよかったなんてさ、龍神を馬鹿にしてるの?」
「そんなつもりじゃ……」
「じゃあ、なんのつもり? あんたには愛しの世話係がいたんじゃなかったの?」
 千歳はかなり怒っているようだが、されはミトも同じだったので止める気はない。
 こっちと上手くいかなかったからといって、龍神に乗り換えるなんて、相手が龍神でなかったとしても失礼な話だ。
「陸斗とのことはちょっと間違えたの。本気じゃなくて……。環様の方がずっといいって気がついただけで」
 彼女は今なにを言っているのか分かっているのだろうか。
 損得で相手を選ぼうとしているのが透けて見え、ミトは不快でならない。
 それは千歳もだろう。
「残念だけど、環様はとっくに天界に帰ったよ」
「えっ」
 驚きのあまり声が出ない美羽と違い、思わず声を上げてしまったミトは、千歳に問う。
「環様って帰ったの?」
「うん。昨日だったかな。今は金赤様が町にいらっしゃるから、早めに帰ることにしたみたい。なんせ、花印を持つ相手からは恋人がいるからって断られたからね」
 そう告げながら美羽をにらむ千歳はかなり迫力があった。
「そんな……」
 愕然とする美羽をかわいそうとは思わない。
 正直自業自得なのだろう。
 その時、大きな笑い声がした。
 声の主は美羽の妹である愛梨だ。
 その笑い声は美羽を嘲笑っている。
「あははっ! 馬鹿みたい。自分から手放しておきながら、今になってすがろうとするなんて、お笑い草だわ。ほんとに馬鹿」
 お腹を抱えて笑う愛梨を、美羽はにらむが、あまり怖そうに見えないので、愛梨にも効いていないだろう。
「笑わないでよ。そもそも普通科のあなたがどうしてここにいるの?」
「私がどこにいようとあんたに関係ないでしょ」
「姉に対してそんな言い方……」
「姉だなんて思ってないもの。これまであんたのせいでどれだけ私が我慢させられたと思ってるのよ。花印を持ってるってだけで、すべてがあんたを中心にまわった家族。それがどれだけ苦しかったあんたは気づこうとすらしなかったでしょうね」
 どうやらこの姉妹にもいろいろと問題があるらしい。
「ほんと滑稽ね。龍神に去られた花印に価値なんてないわよ」
 愛梨は歪んだ笑みを浮かべながら「お疲れ様。価値のなくなった花印様」と、言い捨てて去っていった。

 それからはもうクラス内の空気は最悪である。
 シクシクと泣く美羽を誰ひとり慰めようとはしない。
 数日前まで人の輪が絶えなかったというのに、特別科の生徒もあからさまである。
 この町では、龍神に選ばれるかがすべてを決める。
 自分から龍神の手を振り払った美羽に、今後龍神が迎えに来ることはない。
 そうしたらどうなるか。
 それはミトも皐月の時に経験済みだ。
 もともとそれまでクラス内の立場が弱かった美羽は、一気に前の状況に戻ってしまった。
 いや、前よりさらに悪いかもしれない。
 千歳から聞いていた、これまで美羽と陸斗の恋を応援していた者たちまで、美羽の敵となった。
 あまりにも早すぎる破局と、美羽が環に乗り換えようとしたことも噂として回り、身持ちの軽さから悪女の汚名を受けてしまった。
 しかし、それでも一応花印を持っていることに変わりはなく、手を出されるような事態にはなっていないのが幸いだ。
 もし皐月の時のようにひどい場合はミトも口を出そうと思っていたが、どうやらそこまでではないようだったので傍観者に徹した。
 美羽には前に手を貸して怒られたことがあるので、また怒らせる結果になりはしないかと、助けに入るのもはばかれた。
 千歳に話すと「それでいい」となんとも冷たい対応。
 どうやら美羽の優柔不断さは、千歳には受け入れがたかったよう。
 千歳からは助ける必要はないと言われたが、様子を見つつ、助けに入ろうと心に決める。

 そん日の放課後。
 いったん屋敷に帰ったミトだったが、忘れ物をしていたのに気がつき、再度学校へと向かった。
 明日の授業にも必要な宿題だったので、面倒だが仕方ない。
 付き合わせる運転手に申し訳なくなりながら学校へ向かえば、まだちらほらと生徒が残っている。
 さすがに教室には誰もいないかと思ったが、教室には美羽がいた。
「あ……」
 美羽もミトに気がつき、なんとも言えぬ気まずい空気が流れた。
 ここはすぐに撤退するのが良策だと、机の中をあさる。
 美羽はどうやらノートを書き込んでいるようだ。
 また誰かに押しつけられたのかもしれない。
 声をかけようか一瞬迷ったが、また怒らせるだけかもと思い口を閉じた。
 すると、突然立ち上がった美羽の方から声をかけてきた。
「ねえ。どうして助けてくれなかったの?」
「は?」
 ミトは責めるような美羽の言葉の意味が分からず、素っ頓狂な声を出した。
「朝のこと。私が環様に会いたいって言ってたのに、どうして成宮君に取りなしてくれなかったの?」
「えーっと……」
 そんなことを言われてもミトとて困る。
 そもそも環は天界へ帰ってしまったのだし、ミトがなんとかできるはずがない。
 そんなものは説明せずとも分かるだろうに、美羽は困惑したミトに構わず話を続ける。
「環様を断って陸斗を選んだことを、両親も責めてくるのよ。そんなの私の自由でしょう? それなのに陸斗もなんだか様子がおかしくなって、これまで私に優しかったのに、急に強い態度を取ったり説教したりしてくるの」
「それは……」
 当たり前なのではないかとミトは思う。
 世話係はあくまで世話係。
 立場で言えば花印を持った者の方がどうしても立場が上になってしまう。
 けれど、恋人になるなら立場は対等なはずだ。
 喧嘩もすれば、文句だって出てくる。
 恋人なら当然の関係ではないか。
 美羽の感覚はどこかズレている。
 いや、この町ではミトの方がズレているのか。
 特別に扱われるのが常の花印を持った者は、下に扱われることが滅多にない。
 美羽はクラスで立場が弱かったが、世話係である陸斗に対しては自分の方が上という傲慢があったのではないだろうかと、話を聞いていると感じてくる。
「ねえ。星奈さんの相手は紫紺の王様なんでそょう? だったらあなたから環様に連絡をして。そうしたらまた環様が町に来てくれるでしょう?」
「なに言ってるの? そんなことできるわけないでしょう」
「できるわよ! あなたの相手は紫紺の王なんだから」
 下から見上げるようににらむ美羽は、妬ましげに告げる。
「あなたはいいわよね。紫紺の王なんて、勝ち組じゃない。私だって王が相手だったら迷わず龍神を選んだのに」
 その言葉にミトはカッとする。
 こればかりは聞き流せない。
「私はそんな理由で波琉を選んだんじゃないわ! 波琉だから私は彼を選んび、選んでくれたの。そのための覚悟だってちゃんとできてる。簡単に変わってしまう気持ちしか持たず、覚悟もないあなたに文句を言われる筋合いはないわ」
 美羽は自分のことしか考えていない。
「環様がたたえ戻ってきたとしても、あなたを選ぶが分からないのに、自分の都合ばっかり。そんな人の言うことなんて聞きたくない!」
「それぐらいしてくれてもいいでしょう? そうじゃないと、私はいつまでも特別科で立場が弱いままなのに」
 ミトにこれだけ言い返せるなら十分逆らう力は持っているはずだ。
 なのに自分で自分を弱いと決めつけている。
 それに、今の状況すら彼女が選んだ選択の結果だ。
 自分で後始末をつけるべきだとミトは思う。
「なんと言われようと波琉には頼まない」
 そんなことに波琉の力を借りようとは思えなかった。
 毅然とした態度で断ると、突然美羽が掴みかかってきた。
「なんで!? それぐらい協力してくれてもいいてもいいでしょう」
「離して……」
 見た目に反して力が強い。
 揉み合いになるミトは抵抗するが、美羽も必死な様子で掴んでくるから逃れられない。
 教室内には他に誰もいないので、助ける者もいない状況だ。
 すると、ミトの体が淡く光りだす。
 これは事故の時にも起こった現象だったのでミトは驚かなかったが、美羽は違う。
「なに、これ!」
 光はミトを掴んだ手を通して美羽に移り、眩いほどの光を発した。
「きゃあ!」
 必死で光を振り払おうとする美羽だが、次の瞬間、急に力をなくしたようにがくりと倒れた。
 ミトは慌てて確認するが、どうやら意識を失っただけの様子。
 けれど、波琉の力がどんな影響を及ぼしたのか分からないので、すぐに助けを呼ぶ必要がある。
 教師なら職員室にいるだろうと部屋を出ようとした時、教室に千歳が入ってきた。
「えっ、千歳君? どうして?」
 目を丸くするミトだが、千歳もまた同じような顔をしている。
「ミト? ミトこそなにしてるの? 俺は叫び声が聞こえたから様子見に来ただけだけど……って、誰か倒れてる?」
「あー、うん。さっき彼女に掴みかかれちゃって、波琉おまじないが反応して彼女が急に倒れちゃったの」
「そうなんだ」
「人を呼んだ方がいいと思うんだけど、どう説明しよう?」
 ミトが困ったように眉尻を下げる。
「紫紺の王の守りにやられたって言えばいいよ」
「うん」
 その時、ミトのスマホが鳴った。
「あ、ごめん。ちょっと待って」
 どうやら電話がかかってきたようで、画面を見るとミトの顔が強ばった。
 そして、ゆっくりとスマホを耳に当てると……。
 スマホの向こうから聞こえてきた声にミトは驚愕し、目の前にいる千歳に声をかける。
「ねえ、千歳君?」
「なに?」
「あなた……誰?」
 震える声で問うミトのスマホの画面には、『千歳君』の文字。
 そして電話の向こうからミトを呼ぶ千歳の声が聞こえてきていた。
 目の前にいる千歳の姿をした誰かは、ニィと嗤った。
「百年前の恨みは忘れはしない」
 身の危険を感じ、弾かれたように逃げようとするミトだったが、急に意識が遠くなり、その場にゆっくりと倒れる。
「今の女で王の加護を使い切ってくれて助かったよ」
 遠くなる意識の向こうで、そんな声が聞こえたのを最後に、暗転した。