翌日、波琉に見送られながら学校へと向かう。
「おまじないをしておいたから大丈夫だとは思うけど、気をつけてね」
「うん」
結局ミトを階段から落とした人物は見つけられなかったと、昨日の夜に千歳が連絡してきた。
石像の件もひっかかっていたが、ただの偶然だと思うようにして不安を振り払う。
車はいつものルートで学校への道を走っていた。
学校までは別に歩いて行けないこともないが、花印を持つ者は基本的に単独で行動しない。
必ず車で移動し、外に出る時には人が付き添う。
学校では付き添いなど世話係以外いないが、学校のセキュリティはかなり高く、問題ないそうだ。
だからこそ、ミトが階段から落ちた件は重要視されており、警備の見直しがされることになったとミトは蒼真から教えてもらった。
紫紺の王の伴侶が階段から落ちたという事件は、ミトが思っている以上に大事らしく、学校側は顔を青ざめさせたらしい。
神薙本部からも警告が出されたようで、校長の毛根が心配になってくる。
一度や二度ハリセンで叩いたぐらいでは間に合わないかもしれない。
ミトは流れる景色をなんの気なしに眺めていた。
すると、赤信号であるはずの横の方から車が突っ込んでくるのが見えた。
「きゃあ!」
運転手が車を避けようととっさにハンドルを切るが間に合わず、ミトの座る後部座席に直撃した。
車は何度か回転し、どっちが上で下かも分からない状態になりながら、車はひっくり返った状態でようやく止まった。
「ミト様大丈夫ですか?」
運転手が後ろを振り返りミトに声をかける。
どうやら頭を怪我してしまったようで、血が出ている。
幸いにもミトはなんともなかった。
「はい。なんとか……」
運転手が這い出し、ミトもシートベルトを外して出ようとしたが、シートベルトが外れない。
あれっと思った直後、漏れだしたガソリンに火がついた。
「ミト様!」
「嘘、嘘っ」
焦り出すミト。
必死でシートベルトを外そうとするのに、ミトは捕らわれたようにその場から逃げられない。
火の熱さがミトを襲ってくる。
もがけばもがくほど、余計に焦って冷静な判断ができない。
「ミト様!」
「やだ! 助けて!」
運転手もミトを助け出そうと必死になってくれているが、火がその行く手を阻んでいる。
このままでは爆発して運転手も巻き込まれてしまう。
けれど、そんなことにきがまわらないほどミトは恐怖に襲われていた。
「いやっ! 波琉!」
こんな時、頭に浮かぶのは波琉しかいない。
けれど、ここにいない波琉が助けられるはずもなく、死を覚悟したその時、ミトの体が淡く光る。
「えっ……」
驚きのあまり恐怖心を忘れたミトの周囲を光が渦巻き、その光は広がって車を包み込む。
すると、近づくことすら危険だった炎が一瞬で消え去ったのだ。
なにが起こったかすぐには分からなかったが、あの慣れ親しんだ強い気配。波琉の神気にミトは涙が出そうになった。
そして、波琉が言っていた『おまじない』が頭をよぎる。
「波琉……」
波琉が守ってくれたのだと確信する。
燃える心配がなくなったミトは、再度シートベルトを外すべく動かすと、今度は先ほどまでのはなんだったのかと思うほどあっさりと外れた。
そして、運転手の手を借りながら車の外に出る。
「ミト様、大丈夫ですか?」
「はい。私は全然なんともないです」
自分よりも、頭から血を流す運転手の方が心配である。
車はかなり損壊しており、よく無事だったなと思わせるほどで、特にミトが座っていた後部座席が一番ひどかった。
花の契りのおかげで、寿命が尽きる前に死んでしまっても問題なくなったとはいえ、死にたいわけではまったくない。
波琉のおまじないの力を実感して、ミトはほっと息をつくとともに、自分の身になにかが起こっているのを感じる。
なにせ、横から追突してきた車には誰も乗っていなかったのだ。
そんなことあるのだろうか。
警察がすぐに訪れて調べているが、ミトにはただの事故とは思えない。
階段からの落下。倒れてきた石像。そして無人の車の追突。
偶然にしてはおかしすぎる。
そう思っていたから、波琉もミトにおまじないと言ってミトを守る力を与えてくれたのではないだろうか。
波琉はなにか知っている?
今、ミトの周りで起きている不思議な出来事の原因を。
「波琉は話してくれるかな?」
波琉はミトに過保護なところがある。
心配させまいと話してくれない可能性も高かった。
けれど被害にあっているのはミトなのに、仲間はずれにされるのは気分がよくない。
帰ったら問い詰めようと思ったが、まずは現状をなんとかするのが先だ。
さすがに車がこんな状態で学校には行けないだろう。
見事なほどにボロボロだ。
その上、先ほどの炎上で、ミトの鞄が燃えてしまった。
中に入っていた教科書はノートも使い物になりそうにない。
「はあ……」
ため息をつくミト。
先ほどあんなに取り乱していたのに、今は逆に冷静であった。
「なんで私ばっかり」
不運ではとうてい片付けられない。
少しすると救急車がやって来て、頭を負傷した運転手とともにミトも乗り込む。
そして二日連続で精密検査をする羽目になってしまった。
検査を終えて待合室へ行くと、警察と思われる人と蒼真が話し込んでいた。
ミトに気づくと、警察は一礼してから離れていき、蒼真がミトに近づいてくる。
「散々だったな、ミト」
「ほんとです。運転手の方は大丈夫ですか?」
「ああ。場所が場所だから念のため今日一日入院することになったが、本人はいたって元気だ。心配しなくていい」
「そうですか」
それを聞いてミトもほっとした。
けらど、すぐに真剣な表情へと変わる。
「ぶつかってきた車、人が乗ってなかったですよね?」
見間違えた可能性も考えて蒼真に問うが、蒼真は肯定した。
「ああ。車には誰も乗ってなかった」
蒼真も険しい顔をしている。
「原因は分かったんですか?」
人が乗っていない車が猛スピードで突っ込んできたのだ。
車には持ち主だっていただろうに。
「今は調査中だ。お前は気にするな」
「気にしますよ! 昨日からいったい何度死にかけたと思ってるんですかっ」
思わず声を荒げてしまうミトだが、それも当然というもの。
「隠さず話してください」
問い詰めるミトの視線を受けた蒼真は、髪をくしゃくしゃと掻き、どうしようか悩んでいる様子。
「まあ、なあ。お前の気持ちも分からんではないが、ほんとに理由が分かってないんだよ」
「嘘」
ミトはじとーっとした目で蒼真を見つめる。
「嘘じゃねぇよ。学校で階段から落ちたにしても、学校ないにはいくつもの監視カメラがあるんだ。それを確認したが、ミトが落ちる場面は映っていたが、その後ろには誰もいなかった」
「えっ……」
学校内に監視カメラがあったことにもびっくりだが、ミトが落ちた場面が証拠として映っていたことにも驚く。
「ほんとに誰も?」
「ああ」
「でも押されたか当たったかしたのは絶対です! 嘘なんて言ってません!」
「俺も嘘をついたとは思ってない。だからこそ厄介なんだよ」
蒼真は興奮するミトを落ち着かせるように頭にぽんと手を置いた。
「この町でなにか起こってる。それもお前の周りでな。紫紺様はそれを理解された上でお前を守ろうとしている」
「あ……」
車が炎に包まれた時、ミトを守った光。
波琉の神気。
まるで自分がそばにいるから大丈夫だと言われているかのような安心感があった。
「紫紺様は堕ち神が関係しているんじゃないかと考えているようだ」
「堕ち神って、波琉が言ってた、展開を追放された龍神」
百年前に星奈の一族から生まれた花印を持った女性の相手。
キヨと玖楼。
キヨは煌理を愛し、玖楼はキヨを愛していた。
それゆえに起こった事件によりキヨは煌理に殺され、玖楼はたくさんの生き物を殺した罰で堕ち神となった。
百年前の因縁が今のミトに影響を及ぼしている。
もしミトを狙っているのが堕ち神なのだとしたら、相手は龍神だ。
力のないミトに立ち向かえるとは思えない。
「紫紺様によると堕ち神はこの龍花の町のどこかにいるらしい。紫紺様の命を受けた龍神たちが目下捜索中だ。そいつを見つけないことには、ミトの周りで起きた事故と関連づけることができない」
「龍神様ならすぐに見つけられるんじゃないんですか? すごい力を持ってるのに」
「龍神たちも頑張って探しているらしいが、龍神とてそんな万能じゃないんだそうだ。なんの制約も制限もなく、好き勝手に人間界で力を使えるわけじゃないんだとさ。まあ、そうだよな。本来天界にいるはずの龍神が人間界に来ているわけだし、好き勝手力を使われたら町ぐらい簡単に滅ぶ」
「そうなんですか……」
ミトはしゅんとする。
龍神の力があればすぐに解決するかもしれないと思っていたのに、そう上手くは運べないらしい。
「とりあえずいったん屋敷に帰るぞ。どうせ学校なんて行っても授業に身が入らないだろ」
「はい。そうですね」
ミトははっきりとしない今の現状にモヤモヤとした感情を抑えながら、蒼真の後についていく。
蒼真はやけに周囲を警戒しながら歩いているのが分かり、自然とミトにも緊張感が走る。
何事もなく病院を出て、玄関前に停められた車に乗り込もうと歩いていた時、ミシミシとなにやら音が聞こえた。
きょろきょろと辺りを見回すミトを不振そうに蒼真が振り返る。
「どうした?」
「なんか変な音しません?」
「変な音?」
その時ふと蒼真が視線を上に向けた途端、その顔に焦りをにじませる。
「ミト!」
「え?」
きょとんとするミトを蒼真が引き寄せ、抱きしめながら前に飛ぶと、地面に転がるようにして倒れたミトの耳に大きな音が響いた。
状況が理解できないミトが体を起こせば、瓦礫の残骸が散らばっていた。
この瓦礫がどこから来たのかと上を見上げると、どうやら建物の外壁が剥がれたらしい痕跡が壁に残っていた。
幸いにも周囲にはミトと蒼真以外に人はおらず、被害を受けた人はいないようだが、この騒ぎに周囲から人が集まってきている。
ザワザワとする周囲の喧騒も頭に入ってこないほど、ミトは顔を青ざめさせて蒼真にしがみついている。
「まじか……」
顔を強ばらせる蒼真は、思わずといった感じでつぶやいた。
「下手したら死んでんぞ」
その言葉にびくりと体を震わせるミトに気づき、蒼真ははっとする。
「悪い。怖がらせたか」
「いえ、大丈夫です……」
言葉とは裏腹にとても大丈夫そうには見えないミトだったが、四度目ともなると嫌でも理解させられる。
「私、狙われてるんでしょうか?」
「…………」
ミトの問に蒼真は沈黙をもって返したが、それが答えのように感じた。