それから数日後、宴に出席する日となり、ミトは母からもらった顔パックをしていた。
 その様子を波琉は興味深そうに見ている。
「ミト、それはなんの意味があるの?」
「お肌がプルプルになるんだって。お母さんが、他の龍神の方とお会いする大事な日なんだから、お手入れをちゃんとしときなさいってくれたの」
 今まで家計ギリギリの生活をしてきたミト一家にとっては、顔パックなど贅沢品である。
 しかし、村での薄給だった扱いから、この町に越してきて仕事に見合った正規の給料をもらうようになり、家計にもゆとりができた。
 それは花印の家族が持つカードの優遇の力もあるだろう。
 ミトは顔に貼っていたパックを取ると、頬を触る。
「おお~」
 志乃の言う通りいつもよりモチモチプルプルしている気がする。
 ミトが感動しながらさわっていると、横から波琉が手を伸ばしてきた。
 その手を振り払うことなく受け入れる。
 やわやわと触れる波琉は、首をかしげた。
「うーん?」
「プルプルしてない?」
「まあ、してる気もするけど、そんな薄い紙ごときでミトの魅力は変わらないよ」
 これは喜んでいいのだろうか。
 波琉のことなので悪意があるわけではないのは確かだが、せっかくお手入れをしたのだから褒めてほしい気持ちもある。
 女心とは複雑なのだ。
 肌のお手入れを終わらすと、待っていましたとばかりに蒼真があらかじめ呼んだお手伝いの人たちに連れられて部屋を移動し、着物の着付けと髪を結い上げられる。
 無駄のない流れるような動きでテキパキとミトの支度がされていく。
 最後にメイクまでしてもらい、完成した姿を鏡で見て、ミトは感動した。
 衣装とメイクでここまで変わるのかと。
 ミトは急いで波琉の部屋へ向かうと、波琉も準備を終えていた。
 しかし、波琉は普段とあまり変わらない服装だ。
 着飾らなくても美しい人というのは、普段通りで十分輝いている。
 そんな美しい波琉の隣に立つのかと思うと、少し気後れしてきたが、波琉はミトを見て相好を崩す。
「綺麗だよ、ミト」
「ありがとう」
 どう見ても波琉の方が綺麗なのだが、大好きな人に褒められて嬉しくないはずがない。
 ミトははにかんだ。
 波琉はミトをぎゅっと抱きしめ。
「あー、こんなかわいいミトを他の男に見せたくないなぁ。やっぱり行くのやめようか」
 などと言い出した。
 これに困るのは宴を楽しみにしていたミトである。
「駄目だよ。皆困っちゃうし」
 龍神が集まる宴である。
 その準備をするのはもちろん龍神ではなく、龍神に仕える神薙であった。
 龍花の町にいてもほぼ単独で好きなように過ごしている龍神たちがそろうことなど滅多になく。
 というか、年寄りの尚之でも初めてらしく、それはもう神薙の間では大騒ぎになったそうだ。
 龍神の王ふたりもそろう宴を貧相なものにするわけにはいかないと、神薙の人たちは頭を悩ませ、最大限の気遣いをしながら宴の準備をしたと聞く。
 蒼真はもちろん、普段龍神には仕えていない千歳までもが駆り出されたらしく、疲れた様子で学校に来ていた。
 それを見ていたら、最初に宴を言い出したのは誰だと犯人探しをしたくなってくる。
 龍花の町において龍神はもてなされる側なので、軽い気持ちで無理難題を口にするから厄介だと、千歳がげんなりとしながら愚痴っていた。
 そんな千歳の姿を見ていると、蒼真が嫌そうにしていた意味が分かるというもの。
 そんな神薙たちが必死の思いで作り上げた宴を、直前になって行かないというのはあまりにかわいそうすぎる。
「神薙の人たちが頑張って準備したんだから」
「そうですよ、紫紺様。今さら行かないなんてなったら、神薙のジジババたちがショックのあまり泣きだしますよ」
 宴の準備に追われていたためか、やや疲れが見える蒼真がツッコム。
「それはそれで面倒くさいんでちゃんと出席してください」
 すると、波琉はため息をついた。
「行くなんて言わなきゃよかったかな」
 とは言い後悔しつつも、ミトが行くとなればついてきてくれるのが波琉である。
 ミトにはこれでもかというほど甘いのだ。
 蒼真がパンパンと手を叩く。
「ほらほら、時間になりましたから行きますよ、紫紺様」
「だって。行こう、波琉」
 ミトが手を引けば、波琉は仕方なさそうにしながらも歩き出す。
 車に乗り込んで会場となる場所へ向かう。
 本当はミトの両親も一緒に連れていきたかったのだが、龍神が集まる場所へなど、粗相をして気分を害さないか緊張するので行きたくないと言われてしまった。
 まあ、確かにその気持ちは分かるので、両親は留守番となった。
 しかし、興味はあるのか、帰ってきたらどんな様子だったか教えてくれと言われた。
「ねえ、波琉。今龍花の町にいる龍神様って何人いるの?」
「さあ?」
 波琉に聞いたのが間違いだったとすぐに思う。
 代わりに問うように蒼真に視線を向ければ、すぐに答えてくれる。
「現在町に降りてこられている龍神は、紫紺様、先日来られた金赤様と環様を含めて七人だ」
「少ないんですね」
 波琉、煌理、美羽の相手である環、そしてありすの相手である龍神以外には三人しかいない。
 ミトは指を折り曲げて数える。
「だったら、煌理様と吉田さんに断られた環様を除くと、龍神に選ばれた伴侶は私を含めて五人ということですか?」
「いや、花印関係なく町に遊びに来てるだけの方もいる。お前、桐生ありす、環様を拒否った吉田美羽の他はひとり。今は五十代の男性の伴侶の方だ。それ以外のふたりの龍神は休暇で町に来ている」
「それ、かなり偏ってません?」
 六十代の男性以外は全員学生ではないか。
「ああ。まったくだ。だから学校の教師どもは毎日胃が痛そうだな」
 くくくっと笑う蒼真はなんとも悪い顔をしている。
 そんな顔で歩いていたらきっと職質されるに違いない。
「普段の神薙の苦労が理解できるだろうさ」
 そのストレスのせいで校長の頭が寂しくなってきたのではなかろうか。
 ハリセンで叩くのを強要されるミトしては迷惑この上ない。
「なにか理由があったりするの?」
 その質問は蒼真では分からないだろうと、波琉に向けてする。
 しかし、波琉は首をかしげるだけ。
 すると、それも蒼真が答えてくれた。
「理由はどうか知らないが、花印の伴侶が偏る世代があるのは過去にもたまにあったみたいだ。なぜかは聞くなよ。紫紺様でも答えられないのに俺が教えられるわけねえからな」
「波琉、ほんとに知らないの?」
「天帝の気まぐれじゃないかな。たぶん」
 特に興味がないのか、かなり適当に答える波琉に、ミトは苦笑する。
「蒼真さん。私の他にも龍神様と参加する伴侶の方はいるんですか?」
「金赤様の伴侶の千代子さまぐらいだな。男性の伴侶の方は最近体調が芳しくないから無理だ。おそらく近いうちに天界に登られるだろうな」
「天界……」
 天界へ登る。
 それはつまり人間としての寿命を迎えるということを意味する。
 自分もいつか……。
 しかし、あまりピンと来ないのは、ミトが自分の『死』をイメージできないからだ。
 歳を取ればそのうち変わってくるのかもしれないが、十六歳である若いミトにはまだ難しい。
「桐生さんは?」
 ずっと学校に来ていないありすはどうなのか。
 あれからなぜ学校に来なくなったのか分からない。
 皐月に襲われたのがよほどショックだったのだろうか。
「あー、そいつは来るんじゃないか? 紫紺様と金赤様のための宴だから、他の龍神方は全員参加するようだし、体調が悪いでもない限りは参加するだろ」
「そうですか」
 とはいえ、ありすが参加すると分かったところでなにが変わるわけでもない。
 休んでる理由は少し気になるところだが、それ以外で特にありすにかける言葉もなく、それは彼女も同じだろう。
 それよりは千代子と話をしたい。
 天界でのこととか、聞かたい話題は尽きそうにない。
 車に乗ってさほど遠くない場所に宴の会場は用意されていた。
 波琉の屋敷のような和風の豪邸。
 車はそのまま玄関の前に横づけされ、車を下りる。
 先に車を下りた波琉がさりげなく手を貸してくれる。
 着物は華やかで美しいのだが、少々動きづらいのが難点だ。
「ありがとう、波琉」
 波琉は優しく微笑んでくれる。
 とても貴い神なのに、偉ぶることもなく優しい波琉。
 他の龍神はどんな者たちなのだろうか、とても気になる。
「行こうか」
「うん」
 先頭を歩く蒼真の案内で屋敷の中へ入っていく。
 波琉の屋敷と比べてもとても広いのが分かる。
「蒼真さん。ここは普段なにをする場所なんですか?」
「こちらは、龍神様が酒宴など、お集まりになる時使うために作られた屋敷でございます」
「……なんで敬語なんですか?」
 いつもの蒼真はミトに絶対敬語なんて使わないのに。
 ミトはうろんげに蒼真を見る。
「他の龍神方がいるのに、紫紺様伴侶相手にいつも通りでいられるわけないだろ」
 蒼真は声を潜めてこそっと話す。
 なるほどと納得するが、やはり違和感がある。
「なんか気持ち悪いです」
「今は我慢しとけ」
 やはり口の悪い蒼真の方が、ミトはなにやら安心する。
 だが、蒼真の言う通り、他の龍神がいる中で、蒼真が龍神の頂点にいる波琉とその伴侶であるミトに気安くしていたら蒼真が責められそうだ。
 変な感じはするが、宴の間ばかりは我慢するしかない。
 きっとミトより蒼真の方が誰より違和感があるのだろうし。
 気を取り直して蒼真の後について歩くと、広間に到着した。
 畳が敷かれた広い座敷に、卓がいくつもあり、上座には四つの卓が横一列に並んでいる。
 上座のうちふたつの席にはすでに煌理と千代子が隣同士で座っている。
 金赤の王である煌理がその場にいるなら、煌理の隣ふたつの席は波琉とミトのものだと察せられた。
 どうやら他の龍神はそろっているらしく席は埋まっており、最後がミトと波琉だったようだ。
「やっと来たか、波琉。遅いぞ」
「もう飲んでるの?」
 手に透明な液体の入った盃を持った煌理が手を上げる。
 千代子が酒瓶を持っているので、きっと中身はお酒だろう。
 波琉はややあきれた様子。
 席に着くべく上座に向かって歩く波琉が龍神たちの前を歩いていく。
 それに従い頭を下げる龍神たちの姿に、やはり波琉は王なのだと感じさせられた。
 人間が尊ぶ龍神すら頭を下げる存在。
 それが波琉。
 普通ならミトと出会うはずもない雲の上の存在なのだ。
 なんだか不思議な気持ちだなとミトは思いながら、波琉の隣に座った。
 上座に並べられた四つの席の真ん中ふたつに波琉と煌理が座り、両端にミトと千代子が座る。
 そして、下座に他の神々が座っている。
 その中にはありすの姿もあった。
 以前に学校に乗り込んできた龍神の隣に静かに座っている。
 特にどこか体調が悪そうには見えないので、やはり皐月の事件が理由で学校に来ていないのだろうか。
 失礼にならない程度にそれぞれの龍神たちを観察していると、波琉の盃に煌理が酒を注いだ。
「ほら、波琉。お前の伴侶にも注いでやれ」
 酒を波琉に押しつける煌理に、ミトは慌てる。
「わ、私は未成年なのでお酒は……っ」
「なんだ、それは残念だ」
 ミトには代わりに蒼真がオレンジジュースを持ってきてくれ、ほっとする。
「では、乾杯だ。波琉に無事伴侶ができたことを祝って」
 煌理が盃を掲げると、同じように龍神たちが一斉に盃を持ち上げた。
「乾杯!」
 というかけ声と同時に、龍神たちの宴が始まった。
 それを見計らったように、美味しそうな料理が運ばれてくる。
 龍神たちはどちらかというとお酒を楽しんでおり、どんどん酒瓶が空になっていいく。
 そのペースたるや、神薙たちが顔色を変えるほどだ。
「やべ。じじい、酒足りるか?」
「早急に補充を頼んでくる」
 控えていた蒼真と尚之が、ひそひそと話している声が聞こえてきた内容からは緊迫感があり、尚之が慌てて座敷を出ていった。
 部屋の中にはお酒の匂いが充満し始め、匂いだけで酔いそうだ。
 誰よりも多く飲んでいる煌理は、なんとも楽しそうに千代子にお酌をしてもらっている。
 どの龍神の様子をうかがっても、素面のようにまだまだ飲みそうだ。
 ミトは隣に座る波琉に視線を向ける。
 煌理のように豪快に飲むわけではなく、静かにお酒の味を味わうかのような飲み方をしている。
 だが、波琉もかなり飲んでいるのをミトは見ていたので知っている。
「波琉は酔わないの?」
「うん。別にこれぐらいの量では酔わないかな。強いお酒ではないし、水と変わらないよ」
「水……」
 それを聞いた蒼真が、言葉を失っているではないか。
「波琉ってお酒好きなの? 家じゃ飲んでるの見たことないのに」
 ミト一家と食事は取るが、お酒を飲んでいるのを見るのは初めてだ。
「まあ、昌宏も志乃も飲まないしね」
「それもそっか」
 ミトの両親はお酒を飲まない。
 飲めないわけではないが、別に飲まなくても困らないという感じだろうか。
 もしかしたら無理をさせてしまっていたのではないかと、ミトは心配になってきた。
「家でも飲みたかった飲んでいいよ?」
「んー、別にどっちでもいいから大丈夫だよ。お酒が特別好きってわけでもないし。今日は周りが飲んでるからそれに合わせてるってだけだから」
「それならいいんだけど……。飲みたくなったら言ってね?」
「うん。ありがとう、ミト」
 ふわりと微笑んだ波琉の目にはミトへのあふれんばかりの愛おしさが感じられる。
 それを見ていた煌理はニッと口角を上げた。
「あの波琉がずいぶんと感情豊かになったものだ。なあ、千代子?」
「ええ。本当に」
 千代子もまた微笑ましそうにミトと波琉を見ている。
「うるさいよ、煌理」
 波琉はミトに向けていた表情から一転して、不満そうに煌理をにらむが、煌理にはまったく効いていない。
「事実だろう。天界ではいったい誰がお前の心を射止めるかと男女問わず争っているというのに。お前と来たらどんな美人の色仕掛けでもけんもほろろに断っていたじゃないか。それが溺愛と言っても過言ではないなんて、早く天界の者たちに見せてやりたいな。きっとあまりの違いに腰を抜かすぞ」
 煌理はずいぶん楽しげである。
「煌理……」
 恨めしげな目を向ける波琉だが、今ミトは聞き捨てならないことを聞いた。
「美人の色仕掛け……」
 ミトは顔色を変えてつぶやく。
 ただでさえ綺麗な龍神の中の美人といったら、ミトでは絶対かないっこない。
「波琉。流されてないよね?」
 不安そうに見つめるミトの眼差しに、波琉も慌て出す。
「してない、してないっ。僕にはミトだけだよ! 煌理! 変なこと言うからミトが不安がったじゃないか」
 波琉はミトを抱きしめ煌理に抗議するが、その様子すら煌理は笑いの種にしかならない。
「はははっ。ほらみろ、私の知っている波琉とは大違いだ。皆もそう思うだろ?」
 煌理が他の龍神たちに問えば、龍神たちも微笑みを浮かべて頷いていた。
 波琉以外はなんとも和やかな空気に満ちている。