四章

「宴?」
 ある日唐突に波琉がそんなことを口にした。
「どういうこと?」
「どうやら今龍花の町にいる他の龍神が、僕と煌理がいるなら宴を開きたいと言い出したみたい」
「へぇ」
 龍神の集まる宴か。
 まるでおとぎ話のようだ。
 しかし、波琉をよくよく見てみると、あんまり嬉しそうではない。
「波琉は嫌なの?」
「嫌っていうか、面倒くさい」
 それを嫌がるというのではないだろうか。
「まあ、他の龍神が宴を開きたいって言い出すのも仕方ないんだよね。龍神の王同士が顔を合わせるのは滅多にないし」
「どれぐらい会わないの?」
「百年に一度会えばいいとこかな?」
 それは滅多にないどころではない。ミトは声を出すことなく驚く。
「しかも、この龍花の町で王がふたりも降りてきてるなんて初めてじゃないかな? ねぇ、蒼真?」
 波琉は控えていた蒼真に問いかける。
「ええ。過去の文献を調べてみましたが、初らしいです」
 蒼真の顔には波琉と同じ面倒くさいと言わんばかりの表情が浮かんでいる。
「おかげで龍神様方以上に神薙のジジババどもがはっちゃけて、最高のおもてなしをするぞと気合い入れて動いてますよ。あれはきっと後々体に響きますね」
 蒼真は「くそめんどくせぇ」と、舌打ちした。
「誰が後始末すると思ってやがんだか」
 どうやら龍神以上に神薙にとっても大変な宴のようだ。
「不参加でもいいかな?」
「そうしてくれるなら非常に助かりますけどね。龍神の我儘は紫紺様のような格上の龍神にしか止められませんから」
「じゃあ、僕は不参加って他の龍神に伝えてもらおうかなぁ」
 波琉と蒼真がそんな会話をしているそばで、ミトは波琉の袖をつんつんと引っ張った。
「どうしたの、ミト?」
「波琉、宴に参加しないの?」
 どこか残念そうな顔をするミトに波琉は気づいたようだ。
「ミトは参加したいの?」
 ミトは波琉の顔色をうかがいながら、こくりと頷いた。
「だって、龍神様が集まる宴ってどんなものか興味あるし……」
 ミトがこれまで会ったことがある龍神は、波琉と煌理と久遠。
 それから顔を見ただけで言えばありすの龍神もだ。
 そのどの龍神も神々しく、とても綺麗な容姿をしていた。
 そんな龍神が一堂に会する。その現場を見てみたいと思うのはミーハーだろうか。
 だが、ミトでなくとも興味を持つ者はたくさんいるだろう。
 絶対にミトだけではないはず。
 現に神薙たちは大興奮しているようだし。
「ミトがそんなに出たいなら出席しようかな」
 一転して意見を変えた波琉に、ミトはキラキラと目を輝かせ、蒼真は嫌そうに顔をしかめた。
「まじで言ってます?」
「ミトが望んでるんだよ。理由はそれだけで十分じゃない?」
「はあ……」
 蒼真はげんなりとしたように深いため息をついた。
 蒼真には申し訳ないが、きっと龍神の集まる宴なんてそうそうあるはずがないのはミトでも想像できる。
 波琉がこの龍花の町に降りてきて十六年。
 ほぼ外出していないと聞いていたので、他の龍神も似たようなものだと思っている。
 そんな龍神が集まるなんて、どんな宴になるのだろうか。
 考えるだけでわくわくしてきた。
「仕方ない。まあ、すでにジジババはやる気満々でしたからね。やらなかったらやらなかったでうるさそうですし」
「頼んだよ、蒼真」
「はいはい。……と、そうだ。宴に参加するならそれなりの格好が必要だな」
 蒼真がミトに視線を向けると、波琉もまたミトを見る。
 ミトはこてんと首をかしげた。
 波琉は蒼真の言うことが理解できた様子。
「確かにそうだね。蒼真、屋敷に業者を呼んでくれるかな?」
「かしこまりました」
 ミトひとりがついていけていない。
「なに? 波琉も蒼真さんもどういうこと?」
「宴に参加するためのミトの衣装を用意するんだよ」
「え、いいよ。もうたくさん持ってるし」
 ミトがこの屋敷で暮らし始めたと同時に、ミトが生活するに困らないものが十分すぎるほど用意されていた。
 その中には服や装飾品も含まれている。
 わざわざ業者を屋敷に呼んでまで買う必要性を感じない。
 だが、波琉と蒼真の考えはそうではないようだ。
「ミトには一番綺麗にしてもらいたいからね」
「いや、でも……」
 すると、遠慮するミトに蒼真が窘める。
「でもじゃねぇよ。お前は紫紺様が選ばれた伴侶だ。他の龍神方が集まる宴で、紫紺様の相手が貧相な格好をしていたら示しがつかないだろうが。お前は誰よりド派手に着飾る必要がある。お前の評価は紫紺様の評価につながるんだぞ!」
 びしっと指を突きつける蒼真に、ミトは衝撃を受ける。
「私が波琉の?」
「そうだ。だから、めいいっぱい着飾れ。紫紺様の伴侶だと舐められないように、これでもかというほどな」
 波琉にも迷惑をかけると聞いたら、もはや嫌とは言えない。
 むしろやる気に満ちあふれてきた。
「わ、分かりました! 気合い入れて頑張ります」

 それから一時間もしない内に業者がたくさんの着物を持って訪れた。
 それなりに広い部屋の中に一点一点並べられた色鮮やかな着物の数々に、ミトは開いた口が塞がらない。
「すごい……」
「これだけしか持ってきてないの?」
 圧巻な光景なのに、波琉は着物の種類に不満そうにするため、業者の人たちが冷や汗を流し顔色を悪くする。
 この龍花の町に暮らす者にとったら、龍神の機嫌を損なうような事態はさぞ肝が冷えるだろう。
 ここは自分の出番だと、ミトは波琉に微笑む。
「波琉、これだけあれば十分だよ。どうせ宴で着ていけるのは一着だけなんだし」
「それもそうだね」
 納得した波琉に、業者の人たちはそろってほっとしている。
「ほら、ミト。好きなのを選んでいいよ。どれにする?」
 波琉にそう言われても自分にはどれがいいのか分からないミトは困惑顔。
 その様子を悪い方に取った波琉はミトの顔を覗き込む。
「やっぱり数が少ない?」
 ミトは慌てて首を横に振った。またもや業者の人たちが顔を強ばらせているではないか。
「その逆! こんなにたくさんあって、どれが一番いいのか分からないの」
 着物に触れてみると、それだけで質のいい生地が使われていることが分かる。
 いったいこれはどれだけ高額なのだろうか。
 考えただけでも気が遠くなりそうだ。
 そもそも、業者を家に呼ぶとはどういうことだ。
 普通は店に買いに行くのではないのだろうか。
 わざわざ店の方から商品を持ってくるなんて、なんという贅沢極まりない待遇。
 この町での龍神の力の強さがうかがい知れる。
 ミトはゆっくりと時間をかけながら姿見の前で着物を体に当ててみたりするが、どれもこれも素敵すぎて決め兼ねる。
「波琉はどれがいい?」
「どれもかわいいよ」
 眩しいほどの美しい微笑みに、業者の女性が目を奪われている。
 気持ちは十分に分かったので、ミトは苦笑した。
「それじゃあ決められないよ」
「そうだね。じゃあ、これ」
 波琉が選んだのはふたりの手にある花印と同じ、椿の花が鮮やかに描かれた赤い着物。
「僕とミトをつなぐ、特別な花だからね。他の龍神へのお披露目には相応しいと思わない?」
 ぱあっと、ミトの顔が明るくなった。
「うん。それがいい!」
 自分と波琉をつなぐ特別な花と言われたら即決だった。
 それに合わせた髪飾りも選び、思ったよりあっさりと準備は整った。
 せっかくたくさんの着物を持ってきてもらったのだが、それ以外は持ち帰ってもらうしかない。
 たった一着のために来てもらい申しわけなく感じていたが、業者の人たちはなにやらほくほく顔をしていた。
「本日は我々をご利用いたただきありがとうございます! 紫紺様のご伴侶の方の着物をご用意させていただく栄誉に、胸がいっぱいです」
 それはもう嬉しそうに頭を下げる業者の人たちに、改めて龍神の重要さを感じるミトだった。