昼休憩になったので千歳と食堂へ行っても、いたるところから聞こえてくる美羽の話題で生徒たちがざわめいていた。
 それは特別科の生徒だけでなく、普通科や神薙科もである。
「吉田さんと環様の話で持ちきりだね」
 今は金赤の王である煌理もこの町に来ているのに、煌理の名前は全然出ていない。
「そりゃあそうなるよ。ミトはここに来てまだそんに経ってないから分からないだろうけど、花印を持った龍神が同じ花印を求めて天界から降りてくること自体珍しいから」
「そうなの?」
「うん。そもそも現在町にいる龍神は片手の指で足りるほどしかいないんだ。その中の全員が花印を持った伴侶を目的にして訪れているわけではなく、ただの観光目的で来ている龍神も含まれてるからね。時間の感覚が人間と違う龍神が学生のうちに現れるのはかなり稀有だよ」
 ミトは「へぇ~」と感心したようにしながら美羽に視線を向ける。
 美羽はいろんな人に声をかけられびくびくと怯えたように周囲の目を気にしている。
 そんな彼女を守るように、陸斗という美羽の世話係が生徒たちを近づけないように四苦八苦していた。
 美羽はよほど陸斗を頼りにしているのだろう。
 陸斗に身を隠すように、陸斗にくっついている。
 それを見ていたミトは心配になって口を開いた。
「あれって大丈夫なのかな?」
「なにが?」
 千歳は波琉と一緒で特に興味がないのか、美羽の方を見ようとすらしない。視線はカツ丼に釘付けだ。
「なんていうか、お世話係にしてはやけにふたり親密そうっていうか……。龍神様が会いに来たのに、あんな風に仲良さげにしていたら、龍神様は怒ったりしないのかな? 私が同じように千歳君にくっついてるの目撃したら、波琉は千歳君の脳天に雷落とすかもななんて思ったから」
 ちょうどご飯を口に含んでいた千歳はブッと吹きそうになるのを間一髪こらえた。
 そして、口の中のものを飲み込み、ミトをにらむ。
「なに怖いこと言ってるんだよ! 危うく吐き出しそうになっただろ!」
「いや、たとえだよ。本当に波琉がそんなことはしないと思う。たぶんだけど……」
「たぶん!?」
 冗談で口にしておきながらミトは自信がなかった。
 今朝も人類滅亡がどうとか言っていたぐらいだし。
「まじ怖い。なに、龍神て皆そんななの?」
「さあ? そこは千歳君の方が知ってるんじゃないの? 私はこの町に来たばかりだもの」
 波琉以外の龍神で話したことがあるのも、久遠と煌理ぐらいだ。
 それもほんの少しだけ会っただけで、会話らしい会話もそんなにしていない。
「俺も龍神の世話はしたことないから分からないよ」
「そっかぁ。でも蒼真さんによると、波琉は温厚で我儘も滅多に言わないから仕えやすいって」
「脳天に雷落とそうとするのに?」
 千歳は疑いの眼差しだ。
「ほんとだよ。波琉が怒ってるところなんかあんまり見ないし……。あ、でも怒ると雷落とすかも」
 村に行った時とか、ミトが学校で虐められていると知った時とか。
「やっぱり怖いじゃん!」
 千歳は顔色を悪くする。
「頼むから俺を好きになったりしないでよ」
「失礼な。私は波琉一筋だもん」
 それこそ子供の頃からである。
 ミトは夢に出てくる波琉という男性にずっと恋していた。初恋の相手なのだ。
「前例があるから忠告してるんだよ」
「どういうこと?」
 ミトは首をかしげる。
「花印を持った特別科の生徒と世話係の神薙とが恋仲になって神の求婚を断ったなんて話は過去にもあるからね」
「あ、それ前に波琉が言ってたかも」
「そういう事例があるから、紫紺様も俺に釘を刺したんだろうし……」
「釘を刺した? いつ?」
「気づいてないならそれでいいよ」
 千歳はそっと視線をそらした。

 そんなことがあった数日後、新たにやって来た環という龍神の話もひと騒ぎして落ち着きを取り戻しつつあった頃、またもや美羽の話題で騒がしくなった。
 なんと、美羽は環との関係を拒否し、神薙科でもあり、自分の世話係でもある陸斗を選んだのだった。
 これに驚いた人間は多く、またもや美羽は生徒たちに取り囲まれていた。
 しかし、あらかじめ千歳から前例を聞いていたミトは、本当にそういうことがあるのかと感心しただけだ。
 美羽は特別科の生徒から質問攻めにあっていた。
「龍神様じゃなくて世話係を選んだって本当なの!?」
「うん」
 美羽は迷うことなく肯定した。
「なんでぇ、もったいない。せっかく龍神様が迎えに来てくれたのに!」
「私は陸斗がいいから……」
 弱々しい雰囲気を出しながらも、その言葉ははっきりとしていた。
「絶対後悔するよ~。龍神様の伴侶になったら天界へ行って永遠の命も手に入れられるんだよ? 龍神様に選ばられたがってる子はたくさんいるのに、自分からチャンスを手放すなんて馬鹿じゃないの?」
 龍神に選ばれる機会を自分から捨てる美羽への嫉妬かあきれからか、信じられない様子で罵倒する女子生徒に対し、美羽は机を叩いて声を荒らげる。
「馬鹿なんかじゃない! 私だって好きで花印を持って生まれたわけじゃないもの! 私には陸斗がいてくれればいい! いつも虐められて誰も助けてくれなくて、陸斗だけが私の味方でいてくれたんだから!」
 いつも大人しい美羽の剣幕に生徒たちは唖然としているが、すぐに不満いっぱいの顔へと変わっていく。
「なにそれ。好きで花印を持って生まれたわけじゃないってさ、散々この町の恩恵に預かってる人間の言葉じゃないよね」
「ほんとほんと」
「そういう言葉はすべての権利を手放してから言って欲しいわ」
 興醒めだというように、美羽の周りから人が散っていく。
 その目にあからさまな蔑みを浮かべて。
 どうやら美羽は今の言葉で多くの生徒を敵に回してしまったようだ。
 美羽もそれに気がついたようだが、その時にはもう美羽の周りに誰も人はいなくなっていた。
 そんな様子を関わり合いにならない場所から見ていたミトは、人間関係の難しさに頭が痛くなりそうだった。

 昼休みに入ると、千歳が迎えに来る。
 ふたりで食堂へと向かいながら、千歳に今朝の出来事を話して聞かせる。
 あまり興味はなさそうだが、かまわず話すと、千歳は当然だといった様子。
「波琉からも千歳君からも、龍神ではなく神薙やお世話係の人を選ぶ例があるって聞いたけどまさか実際に起こるなんて思わなかった」
「びっくりしてるのはたぶん神薙たちも同じだよ。ミトにああは言ったけど、実際に龍神から求められて応じない人間はほんとに少ないんだ。なにせ赤子の頃からこの町で暮らして、いかに龍神に選ばれることが名誉か聞かされ続けるんだからね」
 確かにその環境で育っていれば、龍神を拒否したりしようと思う者は少ないのかもしれないが、外で育ったミトにはあまり気持ちが理解できなかった。
「それにさ、学校なんかでの対応でも、花印を持っている奴はあからさまに特別待遇するからさ、特別な扱いに慣れた奴はそれが壊れるのを怖がる。今与えられているものが龍神の威光によるものだとよく理解してたら断りづらいよねー」
 と、千歳はつけ加える。
「じゃあ、龍神が迎えに来た人はほとんど天界に行ってるんだね」
「いや、そうとも限らない。龍神の方から愛想をつかされて破談になる事例が結構ある。ていうか、破談になる理由のほとんどがそれ。我儘女その一みたいに」
 皐月と別れ、ひとり天界へと帰った久遠を思い起こす。
「そうなの?」
「それだけ悠久の時を生きる龍神と、ただの人間とでは価値観やらが大きく違うってことなんだろうね」
 ミトは他人事のように「へぇ」と感心している。
「ミトも紫紺様に愛想尽かされないように気をつけた方がいいよ」
「うぅ……」
 そんなの絶対ない!と反論できるほどの自信はミトにはなかった。
 自分は波琉一筋だと声を大にして言えるが、この先波琉にずっと好いていてもらえるかまでは断言できないのが悲しい。
 そんな話をしていると、突然千歳を呼ぶ声が聞こえてきた。
「千歳く~ん」
 猫なで声の甘ったるい女の子の声。
 目を向けてみれば、バッチリメイクのまつ毛が重そうな子が寄ってきた。
 途端に嫌そうな顔をする千歳。
「知り合い?」
 ミトが問うと、千歳が舌打ちをしたのでミトはびっくりした。
 どうやらあまり関わりたくない相手らしい。
 ミトも、真由子や皐月のように、メイクが派手な人にあまりいい思い出がないので、ちょっと引き気味だ。
 女の子は千歳にしなだれかかろうとして避けられている。
「ねえ、一緒にご飯食べようよ」
「見て分からないの? 俺は世話係で忙しいからどっかいってくれる?」
 その時になって初めて女の子はミトを目に写した。
 そして、にっこりと微笑む。
「あなた特別科の子でしょ。優秀な千歳君をお世話係に選ぶ審美眼は褒めてあげるけど、千歳君はあなたのものじゃないんだから、あんまり千歳君を独占しないでくれる?」
 口は笑っているのに、なんとも分かりやすい敵意を向けられている。
「ほらぁ、千歳君。いっつもその子といるんだから、たまには私と一緒に食べよ。ね?」
 千歳の腕を掴み、小首をかしげて上目遣いをする女の子にミトは軽い衝撃を受ける。
 あざとかわいい……。
 これは千歳もノックアウトされてしまうのではないだろうかと思っていたが、千歳はめちゃくちゃ嫌そうに顔を歪めていた。
 もう少し取り繕ってもいいかもしれないと思うほどひどい表情である。
 千歳は自分の腕にくっつく女の子の手を振り払うと、何事もなかったようにミトを席に誘導した。
「ミトはなにするの?」
「えっと、日替わり定食で」
「了解」
 千歳は女の子の存在などまるっと無視をして食事を取りに行ってしまった。
 できれはふたりで残してほしくなかったが、千歳は逃げるようにさっさと行ってしまったので文句も言いようがない。
 予想通りというか、女の子はミトを憎々しげににらみつけてくる。
 いったいこの状況をどうしろというのか。
「勘違いしないでよ! 千歳君があなたの世話係になったのは紫紺の王に選ばれたってだけなんだから!」
「あ、はい……」
 彼女はきっと千歳に気があるのだなと、聞かなくても分かった。
「ほんとに花印を持ってるからってあなたたちは偉そうなのよ。なにが花印よ。そんなのただのアザじゃない」
 先ほどまでの猫なで声はどこへやら、なんとも強く厳しい声色でミトを攻撃する。
「そんなのがあるだけで特別待遇されるなんて、間違ってるわ。私と比べたらすべてにおいて劣ってるくせに、花印があるってだけでチヤホヤされて、ほんといいご身分だわね!」
「えーっと……」
 彼女はミトを攻めているようでいて、別の誰かに向かって言っているように感じた。
 彼女は苛立たしげに親指の爪を噛みながら、続ける。
「私はもっと価値のある人間なのよ。それなのに花印を持っていないだけで上に上がることを邪魔する。ふざけんじゃないわよ!」
 ミトに怒りをぶつけられても困るのだ。
 心の中で『千歳君、早く帰ってきて~』と叫びながら待っているしかない。
「千歳君に目をつけてアタックしてたのは私が先なんだから! それなのに私が風邪で休んでる間にあなたの神薙になってるなんて詐欺よ詐欺! 学校一番の優良物件をどうしてくれるのよ!」
「あ、えと、ごめんなさい?」
 なんとなく勢いで謝ってしまったが、自分が悪いのか?とミトに疑問が浮かぶ。
 そんなやり取りをしていると、やっと千歳が戻ってきた。
「まだいたの?」
「千歳君」
「千歳くぅ~ん」
 がらりと変わった甘ったるい声に、ミトはびっくりした。
 よくぞそこまで声を変質させられるものだ。
「お前邪魔。とっととどっか行けよ」
 なんとも冷たい眼差しの千歳に、さすがにこれ以上は怒らせるだけだと感じたのか、彼女は去っていった。
 最後にミトをひと睨みするのを忘れずに。
 まるで嵐が過ぎ去ったかのよう。
「千歳君。さっきの人は?」
 なんだか今後も現れそうな勢いだったので、誰なのか聞いておきたかった。
「普通科の一年。吉田美羽の妹の吉田愛梨だ」
「へぇ~」
 それを聞いて最初に思ったのは、なんて似てない姉妹なのかというものだった。
 それは先ほどの愛梨がメイクをしっかりしていたせいもあるのかもしれない。
 美羽の方はどちらかというとほとんどメイクをしておらず地味だったので。
 まあ、メイクをしていないのはミトもなので、別にそこは人になにかを言える立場にない。
 そんな姉妹の違いは、性格も見るからに真逆である。
 面倒事を押しつけられても文句が言えない大人しい美羽と、気が強そうな肉食系女子を思わせる愛梨。
「綺麗な子だったね」
 メイクの派手さはあるものの、整った顔立ちをしていたのは間違いない。
「ミト目が悪いの?」
「えー。美人さんだったじゃない」
 確かに波琉や煌理のような龍神と比べると見劣りしてしまうが、人間な中では美人の分類に入るはず。
 彼女を美人思わないなら千歳の美的感覚を心配してしまう。
「まあ、周りの男とかは美人だって騒いでたかも」
「でしょう?」
「けど、俺はああいうの無理。生理的に受け付けない。無駄にプライド高くて、自分を立ち位置をよく理解してない。姉が花印だからこの町で暮らせているのにそれを理解していない勘違い女」
「どういうこと?」
 ミトにはよく理解できなかった。
「花印の家族って他の町の人より優遇されてるのは知ってる?」
「えっと、家族のカードとか?」
「まあ、それもある」
 町に来てから蒼真に渡された身分証の役割もあるカードは、町で暮らす人全員に配られている。
 花印を持つミトは、どの店でも無料で利用できるというまさに特別待遇を形にしたものであるが、それは家族に渡される身分証も同じだ。
 蒼真によると、家族のカードでは半額になるのだとか。
 花印を持つ者の身内というだけで、優遇されるのである。
「お店以外でも、病院にかかる時に優先的に診てくれたり、施設を利用する時に待ち時間を短縮したり、他にもいろんなサービスが使えるんだよ」
「そうなんだ」
「そうなんだって、知らないの?」
 初めて聞くような反応を見せるミトに、千歳胡乱げな視線を向ける。
「確か蒼真さんに説明された気がするんだけど、一度にたくさんのこと聞いたから全部は覚えきれてないの」
 あはは……と笑って誤魔化すミトに、千歳は深いため息をつく。
「まあ、それはいいや。あの勘違い女はさ、花印を持つ姉のおかげでそれらの待遇を受けてる。早い話おこぼれにあずかってるだけなのに、それが許せないんだと」
 どうやら愛梨のことは千歳の中に『勘違い女』で定着してしまったらしい。
「無駄にプライドが高いからこそ、地味な姉の方が特別に扱われるのが嫌なわけ。花印がないだけで自分は下に見られる。自分は貧相な姉よりもっと価値がある人間だと思いたいんだよ」
「ふんふん」
 そういう考え方をする人も中にはいるのだろう。
 ミトの両親はそういう考えをする人たちではないが、姉妹であからさまな格差があったら不満を持つ者もいるだろう。
 姉妹だからこそ生まれる不満。
 そう考えると、ミトに兄弟がいないのは幸いだったのかもしれない。
「きっと姉が龍神を選ばなかったのも信じられないんじゃない? 勘違い女なら迷わず龍神を選んでただろうね。龍神に選ばれるのとそうでないのとでは、龍花の町すべてでさらに扱いが変わってくるからさ」
 千歳は断言する。
 しかし、ミトは異を唱える。
「でも、彼女、千歳君が好きなんじゃないの? あんなあからさまににらんできてたし。千歳君の気を引こうと必死だったし……」
「ああ、違う違う。あれは俺が神薙だから目をつけられたってだけだよ」
「そうなの?」
「言ったでしょ。なるのに難関な神薙になると給料が他より多いって。それだけでなく、この町では一目置かれる憧れの職業でもあるからね。そんな神薙を彼氏にできたら、そりゃあもう鼻高々。周りにも自慢してマウント取れるよねー」
 千歳自身のことなのに、まるで他人事のように言うので、自慢しているようには感じない。
 むしろ若干嫌そうな顔をしている。
「もしかしてだけど、これまでにも?」
「うん。めちゃくちゃ告られた。全員神薙だからって理由」
「あー……」
 それは嫌そうな顔にもなるというもの。
「でも、勘違い女はこれまで接触してかなかったんだよね。すぐに誰かの世話係になると思ってたみたい。世話係になったら相手の世話で恋人どころじゃなくなるし。だけど、我儘女その一、その二の申し出にも断ったから、世話係になる気がないと判断したんだろうね。それなら自分もチャンスがあるんじゃないかと、今アタックされてるって感じ」
 千歳の表情からは、めちゃくちゃ迷惑というのが言葉に出さずとも分かりやすく浮かんでいた。
「最近現れないなと思ってたんだけど……」
「風邪で休んでたらしいよ」
 先ほど彼女自身が言っていたのをミトは思い出す。
「はぁ……」
 千歳はそれはもう深いため息をついた。
 おそらく、これからの学校生活を想像したのだろう。
 きっと今後もあきらめずに千歳に接触してくるはずだ。
 ミトもそう予想して、困ったように眉尻を下げる。
 千歳に関わってくるということは、ほぼ一緒にいるミトも間違いなく巻き込まれるに違いない。
 千歳だけの問題ではなくなってしまった。
「早くあきらめてくれるといいね」
 こくりと静かに頷いた千歳。
 波琉を怒らせるような問題にはなりませんようにと、ミトは心の中で願った。