大智 春 大学二年生 
 この店長とは上手くやっていけるのかと思い始めたのはあの後家に帰った後だ。だって、いろいろ変だったし、愛想無いし。
 あの店に最初に入った時の店長の態度は目を疑ったもんだ。
 けど後悔するにはまず彼らに会ってからにしようと俺は考えを改めた。会えたら俺はもう用無しだしこの店を辞めてもいいだろう。うん、そうに違いない。
 その日はカップ麺を食べてお風呂に入って寝た。特に何も考えないようにしたけど彼らのことが何度も頭をよぎる。終いには夢にまで出てきた。
「大智」
 そう呼んだのは蓮だ。舞台は学校の正門で蓮は学校の玄関にいる。距離があるから蓮はだいぶ大きい声で俺を呼んだのだろう。
 蓮の元へ急ごう。そう思って足を一歩踏み出すと肩を叩かれた。正確には肩に手を添えられた。
「大智」
 そう俺の名前を読んだのは芳昌。頬が上がって笑っていて、大福のように思えた。
 俺は芳昌と一緒に蓮の元へと向かう。相変わらず蓮は手を広げたり、飛び跳ねたりして最大限に存在をアピールしていて。子供らしくて、おっかしくって笑ってしまうし、なんだか幸せだなという感情が笑って生まれた。
「遅いよー」
 蓮の元へ走って向かったのに、これ以上どうしろととは一つも思わなかった。なぜなら俺はわかっていたから。蓮のこれは俺と芳昌を笑わせるための冗談なのだと。
「ごめんごめん」
 俺は手を軽く揺らして謝って、背を向けた。そして芳昌の方へと向かう。
「毎回わざわざ来なくていいのに」
 芳昌の元に行くと彼は必ず言うのだ。だが芳昌を置いていくのは申し訳ないし蓮の元へなかなか辿り着かないのもなんか焦ったいし。だから俺はこんな風にしている。確か自主的にしていて蓮には'すごい'と褒められて、芳昌からは'大丈夫'とやや断られている。
 この凸凹に上手く乗るために。
 褒められるというプラスと断りというマイナスを合わせてゼロにするために。
 薄々と昔の自分を思い返した夢だった。だけど見捨てれなかったという思いも少なからずあるのだ。ただやっぱり自分優先だったと思う。
 歯を磨いたり着替えをしてと身支度を整えて昨日のカフェに向かう。制服は向こうにあるので用意するものは大抵いつもの外出セットと変わりない。
 このカフェには裏口がない。変わりに店長の家の玄関はある。
「うちの家の玄関から入ってきて。カフェの裏にあるから」
 これは昨日店長に言われた伝言だ。頭がいい風に落ち着いていて良かったなと思った。ツッコミそうになったがカフェを出て裏に行き見てみると店長の言った通りのことがそこには実在した。
 桜木という表札があった。
「店長は桜木って名字なの」
 それを見て咄嗟に質問をした。
「いや違うよ」
 店長の名前は大月明日奈というらしい。
「なんで、名字違うの」
「言うまでもないよ」
 そこで会話は終了して俺は帰宅したんだ。
「おはようございます」
 一瞬驚いてずっこけそうになった。ドアを開けてたら店長が、いや大月さんが玄関に丁度いたからだ。
「挨拶は」
 いや言える訳ないでしょこのタイミングと心の中でツッコミを入れた。
「はい、おはようございます」
 やや嫌気味な感じで言ったのが即バレた。
「暗い、感じ悪い。もう一回」
 よく学校でお目にかかる嫌われる先生のようなことを大月さんは言った。どうやらこのセリフは誰が言おうとも嫌われる対象に入るらしい。今少し嫌悪感を抱く。
「おはようございます」
 今度は文句なしだろうと体中から溢れる嫌みを強引に押さえつけてはきはきと言った。
「最初からなんでできないのよ」
 嫌みを押さえつける意味がわからなくなりそうだった。
「メニューを覚えて」
 着替えを済まして厨房へ向かうと大月さんにそう言われた。
「それって勤務外にすることなんじゃないの。ありがたいけど」
 正直なことと素直な感想をただ述べた。
「だってこの店客来ないんだもん」
「じゃあなんでこの店の店長してんのよ」
 やっぱツッコミを入れたくなる。別にお笑いが好きとかではないが大月さんの言ってることが矛盾してなさそうでしてるようでと行ったり来たりを繰り返していて。これほどツッコミを入れやすい人なんてそこまでいないだろう。
「うーん」
 なぜか大月さんは腕を組み何かを考え出す。
「何考えてんの」
 少しの沈黙が訪れる。
「言うべきなのか言わないべきなのかを考えている」
「なんでだよ」
 またツッコミを入れてしまう。ここにいたら癖になりそうだ。
「言うけど誰にも言わないでよね」
 大月さんはそれを隠す気はあるのだろうかと思う速さで俺の答えに返した。
「わかった」
 そういうと大月さんは口を開く。小さい穴がだんだんと大きくなっていく
「桜木お……」
 カラカランとお客の訪問を知らせる音が鳴った。それは鈴なんだと今初めて知った。
「いらっしゃいませ」と大月さん。
「いらっしゃいませ」と遅れて俺が言う。
 大月さんはお客を席まで誘導させる。訪れた客は高齢のお爺さん二人組だ。
 大月さんが席まで誘導させるとお爺さんたちはメニューも見る間もなく「パンケーキ二つとコーヒー二つ」と注文を入れた。
「承知しました。いつものパンケーキとコーヒーをお持ちしますね」
 注文を承った大月さんは厨房へ戻ってきた。
「常連の方なの」
 注文をとっている感じあそこには初めてじゃないような親近感溢れる空気があって慣れた手付きで注文をするお爺さん。
「今は仕事だよ」
 俺の質問は突如舞い降りてきた仕事で掻き消された。
「今日は料理を届けるだけでいいから。流石に出来るよね」
  
「こちらコーヒーです」
 コーヒーをお客さんに届けるのはこれで二回目だ。それはなぜか。コーヒーをお盆から落として溢してコップを割って。
「料理を運ぶこともできないのか」と大月さんに雷を落とされた。自分でもなんで落としてこんなミスをしたのかわからなくて、お客さんもいたから肩身が狭い思いを少しの時間体験した。
「ご苦労さん」
 お爺さんたちの机にコーヒーを置くとたくさん顔にあるしわをいっぱい曲げて柔らかい表情で俺に感謝を伝えてくれた。
「ありがとうございます」とこの場を離れようとしたら「ちょっとお兄さん」とお爺さんたちに呼び止められた。何かやらかしたかとかさっきのコーヒーの件への苦情なのかとか身構える。
「はい、なんでしょう」
 怖気つくような気持ちで俺は今立っている。この雰囲気はあれだ。あれに近い。
 
 大智 小学生
「お前はどうしてこんなにも出来ない子なんだ」
 夕飯を家族が終わらせた後、俺は親父に部屋に呼び出された。親父の部屋は恐怖でしかない。
「聞こえてるのか、どうしてお前はこんなにも出来ない子なんだ」
 ドンと親父は拳を机に叩きつける。その衝撃と振動で机の上にあった親父の万年筆は転がって床へ落ちた。
 俺は今日いじめられて泥々の制服になったまま家に帰った。
「あんた何またやられてるの」
 そう言うのは姉の栞菜だ。
 俺は背が低いし体重も身長と比例しているかのように軽い。だから小学校の頃はいじめの的に打って付けでいじめっ子に数えることが出来ないほど散々な目に遭わされた。
「すべてこれを防げないお前が悪い」
 こういう姿で帰って来たら俺は毎回栞菜からこう言われるのだ。しかしこの言葉を浴びさられるのはこの場だけではない。
「すべてこれを防げない貴様が悪い」
 これは兄の逸平の言葉だ。これは栞菜よりタチが悪くこれを言った後俺を訓練という名の暴力で何度も殴りつけ蹴ってを毎回テキトーな時間受けることになる。毎回時間が異なるからこれには正当性が一向になくただ逸平の気分が晴れるまでの殴り放題のサンドバッグに俺はなるのだ。
 これだけ殴られようとも永久歯が飛んで抜けるようなことがなかったのが幸いで、骨も折れることはなく案外丈夫なんだと知らされた。だけど丈夫に良いことはなくて丈夫と分かればまた遠慮なく殴ったり蹴るを繰り返す。
 そうして母は俺を丈夫に産んだのか。それを悔やむのがその時間の時で計画性があって巧妙に練られた計画とか思っていた。
 逸平が一番激しいがそれを軽く超えてくるのが親父だ。
「お前はどうしてこんなにも出来ない子なんだ」
 兄姉とは言葉は違うが受け止め方は一緒で時によってはそれよりも酷く痛めつけられた。
 膝と足の裏が長時間立ち続けてて痛いのだ。
「お前はそこで立ってろ」
 これが始まりを告げる合図で俺はそれからただ立ち続けるのだ。その時はもちろん私語は禁止だし一歩でもそれ未満の範囲でも足を動かそうとするならば俺は親父に本を投げつけられる。それがまた分厚い辞書みたいな本だから痛い。
 やめてと言いたいが言われたら刺激して今よりも酷く暴れ出しそうな親父には太刀打ちできなかった。わざとしなかったと言った方がマシだろう。
 ならその時母はというとこの現場を見るは見るものの目て見ぬふりをして家事に逃げるのだ。我が子を助けることなく母は洗濯物を必死に畳んで箪笥に入れたり、お皿を洗ったりしている。
 何かと母が一番嫌いなのかもしれないが、体育のある月曜日に体育袋を開いた時の母の匂いとそれをきっかけで母のことを思い出すからか嫌いではなくなるのだ。だって母がいなかったらこんな匂いを嗅げないんだし。そう考えれば親父と逸平に殴られることも彼らがいなかったら有り得なくてないんだ。
 そう考えたらまだ我慢できてそれはいつしか我慢のための策となって俺は小学校を卒業した。
「転校するんだね」
 これは小学校最後の担任の言葉だった。頑張っての労いの一つの言葉もなくて事実しか述べられなくなるほど。その時初めて先生が嫌いになった。
「先生いじめられています」
 これを言った時の先生の顔は熱心でとても頼り難い先生のように思えたがこの時約一年思ってきたことが覆され最悪だとも思った。嫌これより最悪なのはまだある。
「卒業証書」
 式団で校長が生徒一人ずつに卒業証書を渡す恒例行事。また一人また一人と終わるにつれて自分の番が近づいてくる。ついに席を立ち次の次の次になる。
 次の次になった。心が踊り出して頭がいっぱいになる。だからもう何も考えれなくなる。
 次になった。手汗が出てきて卒業証書を何かの弾みで落とさないかが心配になるしちゃんと練習した通りの動きをできるだろうか。この時何度も頭で受け取って見せる。手の出し方、足の出し方、お辞儀をするタイミング。
 俺の番が来た。来たんだ。そのはずだった。 
「佐山咲」
 俺の後ろのやつが呼ばれた。この時の校長先生の顔を俺は鮮明に覚えている(校長先生が目の前にいたしそれ以外の選択肢はなかった)。名前と俺の顔を何度も往復して終いには後ろの名前を呼ばれた子が表に立った。
 卒業証書はあったのに俺はその場で受け取る事ができなかったのだ。
「なんであの子出てきたの」 
「あの子どうしたのかしら」
「あの子恥ずかしいわね」
「お兄さん変なの」
 耳を澄ますたびいろんな言葉が聞こえた。在校生、保護者がヒソヒソと口もとを隠して横の人と話して。いや、在校生は盛大に笑っていたな。忘れないわあの大声。
「あの人変な人だ、あははははは」
 そいつは大声で笑って言いやがった。
 机の上にはしっかりと卒業証書が置いてあった。やはり先生の陰謀だ。先生もいじめのグルだったんだ。仲間なんていなかったんだよ俺には。
「さあ行きましょう」
 中学生になって母は父と離婚した。兄姉は父方へ行き取り残された俺は母方への強制送還となった。
「ごめんね、ごめんね」
 俺の両肩に手を添えて泣き崩れる母は見るに耐え難くなるはずなのに。
 俺の心は無心に近かった。その光景を見てなんとも思わなかった。
 今になって母はいろいろ助けてくれる。一番の行いは例の本屋さん事件で俺の不登校とのちの転校を認めてくれたこと。けど今になってはそれが間違いで母は所詮父の時に俺が抱いた時の母への気持ちと変わらない。やっぱ邪魔なだけだったんだ。
 俺は家族のお荷物でしかなかった。

 大智 春 大学二年生
「お兄ちゃん、お兄ちゃん」
 お爺さんたちの呼び掛けで我に帰る。
「何も聞いてなかったね」
 ふんわりと俺の心を撫でるような笑みをしたお爺さんたちは、心配をしつつ楽しい場を築こうとしているようにみえる。
 ブラックになっちゃいけなくて、仕事に自分の過去とかを出してはいけない。
 俺はお爺さんたちの座る席の横に座っていた。我がなかったときに座ったのかでは、そうではなくお爺さんたちが快く席に招いてくれたのだ。
「すみません。自分の過去に戻っていました」
 普段話したりすることが苦手なのだからお爺さん二人に囲まれてなんだか恥ずかしい感情で気まづさが忍び寄って出てくる。
「いいのう、若いもんの話も聞いてみるのも。どれ話してみんかい」
 お爺さんたちは俺の過去に興味深々だ。正直言いたくはなかったのだが口と体は感情に素直だった。
「いいですけど暗いですよ、それでもいいなら」
 どうぞどうぞと勧めるお爺さんたちに俺は過去にあった事を話した。涙が出てくるぐらいだったんだ。いつもはそれを思い返すと涙がたまらなく出て心が嫌に揺さぶられるが今回はそうならなかった。
 心が、一つ一つのピースを当てはめるようなパズルのように形を取り戻すような気がした。お爺さんたちは俺が話している時に背中に手を添えて軽く撫でながら「よく堪えた」「もう大丈夫だ」と声を掛けてくれた。上手く例えれないけど今はそんなことを考えることが精神的にも来ていた。過去の一つ一つのシーンを繋げるだけでもだいぶ限界だった。
 だから本当は今すぐにでも口を閉していい。けど今までこんなに親身になって話を聞いてくれる人がいなくて、新しい感覚に出会っている。新しい感覚って体が引き込まれる。地下深くに何かがあるようなそれろ鉱山で採掘する人みたいな気持ちでどんどんと掘っていって。それと同じように俺もどんどん口を開いていって話していく。
 話すってこんなにも楽しいんだって久しぶりに感じた瞬間。それを手放したくないとも体は思っているのだろう。 
 強く強く抱きしめている。
「良い話を聞かせてもらったよ」
 一人のお爺さんがそう言うともう一人のお爺さんはテンポよく頷く。そのテンポは俺の鼓動も上手く乗せてくれている。
「お兄ちゃんはよく耐えたよ、堪えたよ。わしらよりすごい」
 自分の感情に出口はない。死んだらあるじゃん。あるとしても意識がないからそれは出口とはなかなか言い難い。
「そのあとはどうしたんじゃ」
 お爺さんは話を進めてきた。
 
 大智 高校生
 いじめは結局解決はせず自然消滅と言える形で消え去った。ただ消え去っただけで本当に解決はされていないし俺を終始いじめてきたやつに天罰が降ることはなかったから、それは俺のイライラを暴騰させてくれた。
 今だに俺は小学校の頃に聴いた曲とか小学校の時に触れた物、場所、食べ物。それらを見て触って懐かしいと感じる傍らいじめのことが頭をよぎって心が縛られきつく苦しくなる。数十秒前の自分とはあからさまに態度、テンションが違っていて周りからは変な異物を見るように見られていただろう。
 高校の時の友人の誕生日会の時にでさえそれは自発的に出てきたのだ。"Happy birthday to you"とみんなが今日の主人公の友達を祝福する中俺は遠慮がちに手を叩く。みんなは口を開き各々揃えて歌うのに俺は口パク。悪いとはわかっていた、だからこれをしている時俺は心の中でただひたすらに謝っていた。
 "ごめん、本当にごめん。君が嫌いとかじゃないんだ、本当に……"
 どうやら泣いていたみたいなんだ俺は。自分では泣いているとはわからなかったが涙を目に溜めて、呼吸を乱す大智の姿があったらしい。
「大丈夫か」
「いきなりどうした」
 友達の心配そうな声はしっかりと耳に届いていたが自分への感覚はなくて「大丈夫」と返すのに「泣くのに大丈夫とかないだろ」ってひつこいぐらいに押し入ってくる。
「昔を思い出して涙が出てきただけだから……ごめんね、なんか水刺しちゃって。さあ、再開だ。一年に一回の日を迎えれたことに祝福だよ」
 本当は泣いていなにのに、自分のせいで流れを絶ってしまったんだからと急ぐ気持ちで盛り上げる。片手にしゅわしゅわと弾ける炭酸のジュースが入った紙コップを天井へ指す。 
 その時の紙コップはなんだか生ぬるく感じた。
 勢いに任せて飲んだジュースも炭酸のあの弾けるしゅわしゅわを舌があまり感じることなくけれど喉につっかえる跡を残しやっとの思いで飲み干した。
 友達も勢いでジュースを飲んでいた。
 その後は楽しく祝福が出来て閉幕となる時間までご飯をいっぱい食べてゲームをしていっぱい話して。この空間はあれから静まることがなかった。
 でもやっぱ俺はやらかした。何か味気ない、何かが足りない。完全なる盛り上げムードを下げなかったらこう感じることはあったのだろうか。
「ごめん、急に泣いたりして」
 友達みんなが帰ったが俺はまだ残っていた。今日の主人公へどうしてでも申し訳ない気持ちが隠せなくて面と向かって言おうと考えていた。
「あーあれね、特になんとも思ってないから大丈夫だよ」
 自分が思っていたほどの反応はなく、真逆の反応という点でも焦った。
「けど、どうして泣いたの、何を思い出したの」
 彼は鋭かった。
 "特に何もないってば"って言い返したかったがやはり出来なかった。口がモゾモゾと芋虫のように歩く。その芋虫が疲れ止まると俺の口は次は蝶の羽になる。
 またこれは昔の話になってしまう。
 
 大智 小学生
「お前、俺の誕生日を祝え」
 友紀は俺にそう言うと胸ぐらを掴んで俺を軽々しく持ち上げる。終わりの会という名の終礼が終わって教室は帰りの支度をする生徒とそれを終わらせ颯爽と帰る生徒らがいる。その、しかも俺の席は今教室のど真ん中だから嫌でも教室の真ん中で高々と俺は上げられる。
「な、俺ら友達だろ。もちろん来てくれるよな、祝ってくれるよな」
 俺が物理上見下ろしている位置にいるのに友紀の目線が圧が行動が俺の何よりも勝っていて俺は見下ろされているし見下されている。クラスメイトからの視線が冷たい。だから寒い。小学四年生にもなって軽々しく持ち上げられて恥ずかしい。だから暑い。
 俺は強制とされた選択肢を選び頷く。
「祝ってくれるならプレゼントあるよな。俺にお前の貯金全部くれ」
 俺は絶望だ。こいつはお金に手を出すのか。
「それは嫌だ」
 否定とは間違えなのだと散々こいつから学んだけど反面教師。
 俺の体は教室の壁とぶつかった。友紀は俺を投げ飛ばして壁にぶつけた。背中全体が今までに感じたことのない痛みを帯びている。
「わざわざ物を買わなくていいと言ってるのに、お前最低だな」
 俺は今なんと言われたのだろう。友紀の足が俺の腹へとめり込む。つまりは蹴られている。最悪昼に給食で食べたわかめご飯を口から出してしまいたくなりそうだった。
「なあ、プレゼントで俺の誕生日なんだからく、れ、る、よ、な」
 くれるよなが途切れて聞こえたのはこれを強調するためであった。右手の人差し指を途切れさすリズムに合わせて俺の鼻を押す。
 事を済ませた友紀らはランドセルを担がずに肩にかけ教室を後にする。
 痛みを帯びている背中と軽く蹴られた赤いあざが置いて行かれたと怒っている。
 ここまで無様にやられ俺に寄り添う奴なんて一人もいない。"大丈夫"その一言で俺はどれだけ心を開けただろう。鍵のない扉は開くことがなくただ置いたままの置物の役割を果たす。
 家に帰って親に詰め寄られる。
「なんでそんな服が埃だらけなの」
 居間に出向くと横になりせんべいを食べている母の姿があった。そのかすが床にところどころ落ちている。
「転んだ、学校で思いっきし」
 俺は家族のお荷物。だから学校では置物で家ではお荷物の役割を盛大に果たしている。
 "いじめられて"これは禁句なのだ。逸平、栞菜より俺は圧倒的に衰えていて常に俺は比べられ続けた。逸平はこんなに頭が良くて、栞菜はこんなにスポーツが出来て。三人目はこれらを組み合わせた素晴らしい子を生まれてくるという家族の期待を裏切り生まれた俺。
 そして上二人はいじめに遭ったことはない。からかい、ふざけなどには遭ったがそれをされた後にはそれの何倍もの仕返しを行いそいつらを散々な目にしたそうだ。
 自分で蒔いた種なのだから自分自らが対処をしろ。明確に言われたことはないが家はそういう法律があるのだろう。
「失敗作」
「お前はなぜこんなのを産んだのだ」
「俺の息子と名乗られたくない」
 逸平、栞菜、親父の順に言われた言葉。全部バラバラの時期に言われた、言われた場所も、時間も違うのにこれらを言われたシーン、状況は本当に鮮明に覚えていてなかなか忘れられなかった。
 憎悪、侮辱で心に残るのとはまた違った感覚だ。
 母からの言葉は無い。母は俺の味方、というわけでもない。むしろ状況を悪化させ、俺を常に下に置こうとする。俺を上手く使いこなす魔術師なのだ。
「私は悪くない。どうもこうも生まれた後の行動一つ一つで変わるのだから」
 栞菜が言ったという状況には母も居合わせていた。そしてそれは母に栞菜が言ったことだ。そう、つまりお前は母。
 あくまで私は悪く無いと言っている。間違いでは無いのだけれど実の息子を庇う様子もなく逃げていく
のには変わりない。
 母は親父たちの支配下。だから、いじめのことを言おうものならどれだけの速さで親父たちの耳に入るだろうか。自分なりに何かは仕返した。ただ当たり前のようにやり返され結局仕返しをする前よりも関係は悪くなった。
 自分が何か手を加えるとそれはダメな方向へと向かう。美味しいカレーにさらに美味しくしようと自分なりに調味料を入れて結果美味しくなくなる。この時の戦犯としてカレーを楽しみにしていた人、カレーを食べた人から向けられる人らからの視線を感じてしまう。
 今この部屋に自分一人しかいなくてもそう感じてしまう。
 ある意味一人になれないのだ。泣こうなんか思えば誰かに見られている気さえして泣けない。泣いたら負けの感情、思い込みがなかなか頭を離れない。
「あらそう」
 母が会話を終わらすとどこか安心する。
 こんな俺でも一応自分の部屋があるから階段を登り突き当たりにある自室へと入る。でもやっぱり一人になんかなれないし、いちいち学校の時の自分を演じていてただ椅子に座ってただいるわけでもないしあるわけでもない人の視線を浴びつつ時間が経つのを待つ。そんな日々だ。
 思い出したくないことは頭から本当に離れない。"誕生日プレゼント、誕生日プレゼント"。通過してくるはずのない電車がまた前を通って、行ったなと思ったらまた前を通って。うるさい、圧といった存在感がなかなか拭えなかった。どこに行こうともお前がそこにいて、何をしていてもお前が言った言葉が俺の頭を電車の如く通過して。 
 "お前"と呼んでしまった。俺はどうなるの、だってそこに友紀がいる。友紀の友達もいる。みんな俺を見ている。俺はこれからどうなるの。また投げられるのか、蹴られるのか。
 今から俺はどう調理されるの……

「いつまで寝てんだ」
 逸平の姿が目に映る。閉じていた目を開こうと精一杯の気持ちで目に力を入れて目の周りの筋肉を伸ばそうとする。
 そうこうしていたら俺は床に尻をついた。肩が誰かしらに触られて感色があって、周りには逸平しかいなくて。
「鈍いんだよ、早くしろよ」
 俺の体は彼らに何もされなかったみたいで、逸平のやった行動なんてこれぐらいしか記憶されなかった。この時間帯は夕ご飯の時間。俺は下へと向かう。
 ご飯、お風呂を済まして自室に向かうと引き出しの中から貯金箱を取り出す。家族に取られるかもしれないから一度開けたら終わりの貯金箱にしてある。
 ガサゴソと散らかっている引き出しの中を右手をあちらこちらに動かしながら探し出す。大きいから見つけるのには苦労しない。それに小銭特有のぶつかり合う音が聞こえるはずだから今まで取り出すのに手間取ったことがない。
 一瞬、心臓に冷たい冷気が吹いた。
 "まさか"という感情が生まれて吹いたであろう。
 右手だけに頼っていたが頭を引き出しに入れた。少し暗かったが明るい色の貯金箱はおそらく目立つであろう。
 オレンジ色だしある程度のサイズである。ただ目的としているそれはこの中になかった。
 足を動かした。階段を一段一段とガサツに降りていく。
「俺の貯金箱知らない?」
 居間のドアを開いて家族全員の顔を伺いながら聞いた。声は全員に行き渡っていた。絶対そうだ、そのはずだ。耳につっかかることなく入ってきた自分の声。十分だと思える声量だ。
 だが家族の耳には届いていない。聞こえなかったではなくこれは無視なんだとすぐに理解できた。
 ならもう一度と吐き出そうとする声。しかしそれはわざと躊躇った。終わりがわかっていた。だから俺は家のゴミ箱を知る限り探し出した。台所、母の部屋、親父の部屋、逸平の部屋、栞菜の部屋と。二箇所目の所にあった。母の部屋。
 貯金箱が壊され、そのかけらがゴミ箱の中に散りばめられている。それらを全部目に入る限り拾い集めた。食べ物欲しさにゴミ箱を漁る猫より可愛くない絵面を描いている。
 右手が赤く染まっていた、と分かれば右手が痛かった、と感じれば無数の細かな傷が出来ていた。
 お腹の空気が荒れ始めた。今までにない振動で揺れ始めてきて、自分の呼吸もそれに合わせて揺れ始めお腹の空気のように荒れ始めた。
 "邪魔だ"と耳に入った。
 "邪魔だ、邪魔だ、邪魔だ"
 声の主はいつもどこか聞き馴染みのある声をしていて、この部屋の持ち主の母と栞菜ではない。女の声ではない。家にいても聞く声。なら友紀ということでもない。でも学校でも聞く声。親父でも逸平でもない。
 "邪魔だ、邪魔だ、邪魔だ"
 そう耳に入ってくる。これには主語がない。一体何が邪魔なのかと思う。
 大きくなった。耳の鼓膜が大きく震え出す。思わず両手を使って耳を覆った。左耳は無傷だったから左手の温度が耳を包んだ。けれど、傷もついてそこから溢れ流れ出てきた血は全く水を含んでいない絵の具のように耳にのしかかった。
 手と鼻の距離が縮まったから鉄の匂いがした。
 耳と頬を繋ぐ骨が出たり引っ込んだりを繰り返す。
 俺の頭は何かと何かを結びつけた。肩の力が抜け手は重力に任せて無気力となり床につくと無気力な手はやっと止まった。
 声の主は自分なんだとわかると頭の中が熱くなった。
 邪魔としていたものがなくなった。止まった両手を交互にしながら両目を拭う。
 鉄の匂いと口に飛び込んだ水の酸っぱい味を体は堪能した。

「はいこれ」
 俺の全財産を誕生日会当日友紀にプレゼントとして渡した。お金は無くなったから渡さなくてもいいと思ったが母の財布から盗んだ五百円玉をせめてものプレゼントとして渡した。
 盗んだお金は自分に需要がなくなんの気持ちも抱かずに他人に譲渡することができる。
 友紀の手に一枚の五百円玉を乗せた。喜ぶ事もありがとうと言葉をかける事もない。これはもうすでに知っている事だったから今更何か嫌気を指すことはなかった。もちろん次の事も予期していた。
「お前、舐めてんのか」
「これが俺の全財産だよ」
 目が吊り上がっている。親父のように拳を机にぶつける。机の上にあるこの場にいる人数引く一のコップは姿勢を崩して音を立てながら体勢を立て直す。
「お前もっと持っているだろう。一万円とか二万円とか。俺はそれぐらい持っているぞ」
「そうだ、そうだ」
「舐めてるのかー」
「五百円なんてお小遣いだ」
 友紀の発言を火蓋に他の野次馬はお得意のヤジを飛ばす。これは間違えなく俺の全財産なのにと誤解を呟かれた時のなぜだか恥ずかしく足場をなくした気持ちと元あった本当の自分の全財産が恋しく感じる。
「何か言えよ、嘘つき」
 冤罪の生まれ方を学ぶ。確かな証拠もなく人は誰かを犯人扱いにする。一人が不適切な誤解をある一人に向けるとそれはやがて広まりみんなはその一人を悪い奴と考える。確かな証拠がないにも関わらず面白そうや楽しそうという娯楽に、自分は正義かもしくは正義に味方する心優しい観衆を演じる。
 振り回された不確かな情報を片手に一人の人物にただただ負荷をかける。やがてその一人の言い分は信じれないと彼は嘘つき、つまりは容疑を否認していると。
「なら俺はどうすればいいんだよ」
 またあれだ。今度は友紀の家で発作は発生した。
 貯金箱の件であったお腹の空気が荒れた時の症状を調べたら過呼吸、発作と出た。
 "お、おい"
 多分こう聞こえた。多分、正確には聞き取れなかったからわからない。
 自分の声が勝っていた。友紀の声よりも遥か上に俺の声は君臨していた。
「うるせー、何が嘘つきだ。取られたんだ、あのババァに。そうさ二万近くあった。けど全部取られた。だからどうしろと。何を渡せと」
 畳の床は草の生い茂ってげっそりとした感触と共に悲鳴を上げる。俺の拳も悲鳴をあげているのだろうか。
 びっくりした。友紀らも居間の俺を見て驚いただろうが自分自身もかなり驚いている。この場にいる人全員はおそらく一緒なことで驚いているのかな。だって俺がこうなって彼らはこうなっている。
 目をまんまると開き俺をじっと凝視する視線はなかなかに耐えれるものではない。ただ今の俺はそれをなんとも思わず耐えている。
 また拳が痛くなる。例の音と一緒に痛く叩かれる。
「落ち着けって」
 誰か一人の声が聞こえた。そしてその声の主は俺を抑えようと拳と俺を繋ぐ腕を取り押さえる。その勢いに乗ってか俺は彼らによって体全体を取り押さえられた。
「なんで、俺なんだよ。他にいるだろ。どうして俺がこんな目に遭わなきゃいけないんだよ」
 一文字一文字ははっきりと聞こえない、おどおどとした口調と滑舌で俺は言ったらしい。
 俺は犯人だ。そして凶暴者だ。どこかしらから持ってきた縄やガムテープで俺の手、腕、足は縛られ部屋の片隅に放置された。その無様な姿をさっきまでの驚いた顔を捨てたとても喜ばしい英雄がするかのような笑顔を浮かべて写真を撮る。
 俺は完全に身動きが取れなかった。この家を支える支柱に俺の体を縛る縄がそこにくくりつけられていた。動ける範囲はとても限られていた。口はガムテープでモゴモゴと何を言っても決して言葉にすらならない。
「じゃあ悪を倒した祝いに俺を祝ってくれ」
 そう言ったのは友紀だ。机の上に乗り片手にコップを持って乾杯の合図を出す。乾杯の表紙でジュースが多少溢れる気配があったが彼らは気にする事なく続ける。 
 溢れたジュースは畳に一つの印となって染みていく。コップから出されて彼らはしっかりと人間に飲まれて自分の役目を果たすのに自分は床にこぼれて染みて終わり。自分は取り残されました。
 俺と同じだ。いつも感じたりしたことがなかったが今俺は溢れたこのジュースの気持ちがわかった。彼はジュースで生まれてきた以上人間に飲まれるという役割がありそれを達成しないといけない。今の俺はここに来た以上彼を祝わなければいけない。ただどうかと考えると、彼は溢れて床に落ちもうあそこには戻れず、俺も騒ぎを起こし彼らに存在する輪を壊してしまった。
 染み込んだジュースは周りの畳へと広がっていく。今の俺にはこれはジュースの涙に見える。右往左往から出す涙は俺に"君も泣いていいんだよ"と囁いているようだった。
 "Happy birthday to you"
 彼らは乾杯を終えた後歌い始めた。今の俺は溢れたジュースを見ているから上を向けないし向きたくも思わない。今はこのジュースが俺の心をなんとかしてくれるはず。そう勝手に期待はしてみたものの自分は変わるわけがない。
 代わりにと言わんばかりに彼らの歌が心を動かす。あぁまただ。
 ある日心は大事な式を壊しました。
 心はその式の主人公とその部下たちに捕まりました。
 その続きが俺とそっくりだ。
 心も俺と同じで縄で縛られている。手を後ろに組まされ足もしっかりと締め付けられている。一人の男が心を見下ろしている。足を心に乗せて何かを言っている。最悪心には手や足があっても耳がなかった。たまたま目とはあった。
 必死に足掻く。最悪この場に身を留められているわけではないから右左と心は動けた。
 蹴られた。下は海だ。暗い暗い海。底はあるのだろうか。
 心全体が海の表面にぶつかった。足が奥底に眠るかのように沈んでいく。よく見たらボーリングの球ぐらいの錘が心の足に付いていた。
 心は……
 俺の心は沈んでいく。それこそ海底の底の見えない暗く黒い場所に。
 上が白で下が黒という印象は俺の頭から離れない。だから上が黒で下が白いのはとてつもない違和感を感じるし今すぐに上下か白黒を取り替えたくなる。
 心は黒いところにどんどん沈む。止まらない。
 心はハートの化身か何かなのでピンク色です。
 だけどピンクは黒に一瞬で染まった。周りに呑まれて彼は変わった。だけど黒くなる前に彼は周りに水を出した。ここは海底だから水なんて見えないはずだがそれらは光を宿らせていた。
 それは心が流した涙なのだろうか……
 俺は心と同じだ。涙が出ていた。畳が黒く滲むのが見える。そして楽しそうな表情を浮かべた友紀らが俺に詰め寄るのも確認できた。"泣き止め"と唱える呪文も無視してそれは止まらなかった。
 
 大智 高校生
「だから俺はこうなってしまいます。本当ごめんなさい」
 これで俺は周りからの評価等を下げたよ。小学校にいじめられていたことは今まで誰にも言って来なかった。だから"こいつはいじめていい人種なんだ、過去に何かしでかしたんだ"とこう思われても仕方がない状況だ。
 またバカにされる時期が始まるんだ。
「言ってくれてありがとう」
 そういってくれたのは鉄真だ。俺に深く詰め寄りこれらを思い出させた。何度忘れようと試みたか、決して忘れることができなかったみたいだ。これで結論が出た。
「誰かに相談したのか」
「いや誰にも」
「おい」 
 鉄真がいきなり怒り出した。さっきまで優しかった表情は鬼のような形相へと変わっている。
「どうしたのいきなり」
「どうしたのじゃねえよ」
 俺には鉄真がなぜいきなり怒り出したのか検討もつかなかった。鉄真はいきなり態度を急変させたり今みたいに怒ったりすることもない。
 怒られたのに涙は出なかったし、さっきまで出ていた涙は不思議と止まった。
「なんでそれを言わなかった」
「なんでって、言いたくなかったから」
「俺らが信用ならなかったのか」
 周りの友達も俺と鉄真に集まり出した。なんだなんだといった表情なのは無理もないだろう。
「普通言いたくない、自分が聞いて嫌なことを友達なんかに聞かせれるわけがない」
 優斗が俺ら二人の間に入ってきた。
「何があったの大智。なんで鉄真は怒ってるの」
 状況が読めていない。空気が読めていない。他に何か言えたはずだ。そんな言葉は一文字たりとも浮かばなかった。多分それが相手を友達を痛みつけてしまいそうな言葉だったから。
「俺のせいなんだよ、きっと」
 俺は下がる。それで鉄真は少し心を解き放ってくれるだろう。
 予想は見事に外れた。
「いや俺らのせいだ。殴れ。友達の過去を知れず、気付けづに今まで一緒にいてしまったこの代表の俺を思う存分殴ってくれ」
 外れがまた外れを引いた。
「殴れない、どうして殴らなきゃいけないのだ」
「大智のことをよく知れなかった無知の俺が悪い」
 何がなんなのか一つもわからないまま言われた通りに俺は右手に拳を作り始めた。
 懐かしい感じがしたのに顔が綻ぶことがなかった。憎しみとが入り混じった表情ができているに違いない。
「落ち着けお前ら。まず説明してからだ」
 大きく振りかぶった。本当はやりたくない。けれどやるしかないんだ。早く誕生日会を再開させなければならないのだ。ここと鉄真は頬を叩く。叩く音は弾力があってあまり痛そうとは思わず気持ちよさそうとさえ思えてくる。
 スピードを早めた。俺の拳は迷いなく鉄真の頬へと真っ直ぐに向かっていく。
 やがてそれは鉄真の頬に辿り着くはずだった。的を外した。痩せ細った鉄真らしくない頬に当たる。拳を出す直前目を瞑っていた。
 "殴れ"といった鉄真も実はというと目を瞑っていた。だから俺も思わず目を瞑っていた。
 間違えて誰かを殴ったという問題が頭に浮かび上がってきた。
 ゆっくりと瞼を上げる。そこにはやっぱり鉄真とは違う顔の形をした人が立っていた。
 優斗だった。さっき俺らの間に入って喧嘩を止めようとした優斗だった。
「いってえええええ」
 しっかりと聞こえる声量と聞き間違えるはずのない一文字一文字のはっきりとした言葉はこの誕生日会場全体に広がった。優斗には申し訳ないけれど俺は笑っていた。
 腹を抱え今さっき優斗を殴ったことも忘れて思いっきり笑った。笑っていたら視界がだんだんと元に戻ってくる。鉄真の姿は低い位置にあった。結翔と颯大に庇えられ二人の下敷きになっていた。
 俺の笑い声は一つじゃなかった。この声は鉄真の笑い声だ。俺らは笑う。さっきまでのあの空気を俺らは忘れてただ笑う。
 笑い声が五つ聞こえるようになってまた笑った。
 
 大智 春 大学二年生
「なんだか若い話じゃのう」
「だって若いからね」
 この話をしてまたお爺さんたちは俺の背中を揺すってまた声を掛けてくれた。相変わらず言葉は同じ。けれど想いというか気持ちというか、それらはさっきよりも重く重大な何かを背負っている気がした。
「そのあとはどうなったんだい」
 俺の横に座るお爺さんは俺に問いかける。
 
 大智 高校生
 あのあと、俺は鉄真を殴りかけたことと狙いを外したその腕の無さ、鉄真はいきなりこんな問題になり"殴れ"と友達に暴力を勧めたことを優斗に怒られた。
 優斗はその日が誕生日の子で要するにその日の主人公だった。それにこの五人グループのリーダー的役割を担っていてとても頼れるやつだ。けれど俺の過去を言わなかったんだから俺は'頼れる'とか'信頼'とかを使ってはいけない気がした。
「ごめん。友達なのになんか信用されていないことと大智を救えなかった自分が憎たらしかった」
 いきなり怒った理由として鉄真はこう語った。この会話でわかるだろうが鉄真はとても友達思いの良いやつだ。決して自分の誤ちを他人に押し付けない。"ごめん、俺のせいだ"と友達との関係に絶対自分を入れる。この喧嘩だってそう。
 俺と友紀との関係に彼は突っ込んできた。小学校のトラブルで鉄真とはもちろん会えていないし存在すら知らない。"自分がその場にいなかったのが悪い"と最終的にいったがそれはなんだか面白おかしくて馬鹿馬鹿しくて怒られているのにまた五人で笑う。
「で、大智の気持ちもわからなくはないな。俺は大智側」
 これは結翔だ。彼は思ったことはズバッと言って何事もストイックで。けれどそんな彼は頼もしかった。けどやっぱりそう思ってはいけない。'頼'なんてここでは本当に使ってはいけない。
「けど言ってくれたら良かったのに」
 最後に颯大がそう言う。彼はとても人望が厚い。クラスで結構人気があり顔はイケメン、性格も前向きで一緒にいると心が晴れる。
「だよな、本当にごめん」
「だから謝るな」
 そう言ってくれたのは鉄真であり、優斗であり、結翔であり、颯大であり、つまりは四人全員だった。
「今すぐ言え。鉄真に言ったことを一言も溢さず。もし溢したら大智、貴様を○す」
 そう結翔は言った。最後の方は笑いながら言っていたから流石に冗談だろう。そうであって欲しい。
 やはりもっと早く言っておけば良かったなと俺の全細胞は俺に訴えかける。全否定を喰らって居場所がなくなるかと思ったが居場所はさっきまでと同じ位置にあった。
「俺らは何もできなかったのか」
「大智を救えなかった」
「大智に気づいてやれなかった」
「大智のことをよく知らなかった」
 鉄真はまた怒りを覚えたようで今座っているソファの背もたれに強く頭を打ちつけ始めた。"おいおい俺の家のソファ"と優斗がなだめるも優斗も同じくソファに頭を打ちつけた。
 さっきの怒り方とか鉄真がそれをしているのはなんだか想像できたが優斗は真面目なやつだから意外だなと思った。なんだろう人の意外な一面を見るとまた笑って。
「あははは」 
 鉄真と同様、また腹を抱えて笑った。ソファ組に取り残された結翔と颯大も俺に釣られて笑い出した。そして気づかないうちにまた五人で笑っていた。
「もう五人がここに揃ったんだ」
 誕生日会の時についていた席に各々それぞれがついて再度、今日の主人公の優斗がこの場を収めるために言葉を放った。
「そうだな、この五人がいれば最強なんじゃないか」
 鉄真が机に肘をついて顔をその腕につながる手で支えてそう言った。
「鉄真、間違えない」
 これは結翔だ。鉄真を指差して言う。
「大智、もういじめられることはないんだから安心しろよな」
 最後に颯大が締めくくるようなかっこいい口調で言った。抱きしめらるシチュエーションなんだろうが男同士でその一線を越えてはならない。
「みんな、ありがとう」
 みんなはどんな風にこの言葉を捉えたのだろう。
 俺は他人の嬉しい情報とかは残念ながら乗れない。友達が言葉と体と顔を懸命に使って自分にあった嬉しいことを俺に表現している。それなのに俺はその友達に乗れない。
 あの畳のジュースのことが浮かんできた。乗れないんじゃなくて俺が友達を見捨てたと言うような気分さえした。初の友紀側の視点を見て勝ち誇ったプライドを得た感じがした。人に危害を加えるのはこんなに生々しいものなのか。
 意図としていないだけマシだなと心から感じてしまうがそれを感じてしまうことに耐えきれない罪悪感があった。心臓を酷く締め付けられてるといった痛みもあって居心地が悪い。
 今回はその逆だ。
 今俺はとても嬉しい気持ちでいっぱいだ。心に十分と満たされたものの表現するのはやはり罪悪感へと変わった。今までの前科となった事柄が流れる。わざとじゃないのに、俺は盛大にそれを祝福したいのに。そんな想いも感情も相手には届いていない。
 流れる、友達の笑顔。あの後がどうなったのかはすごく簡単で和やかな友達の出来事を祝福するのに対する出来事が切り離されて付けられて沈黙の静寂になる。
 こんな気持ちになっているのか、俺と同じなのかは人間である以上わからないがそうに違いないと断言してしまう。悲しい、嬉しいとかはたとえ人間でも分けて感じることができる。そう考えるとやっぱ俺が感じることとかは友達も一緒な感じ方をするんだろうなって思うから何をされた訳でもなく一人寂しく孤独の空へと追いやられる気持ちになる。
 あぁ友達も今までこんな気持ちだったんだな。
 五人は笑っていた。 
 俺は後に遅れて笑い出した。