大智 春 大学二年生
 週に一回ある唯一の休み。俺は大学とバイトで日曜日が僕にとっての最高で至福な日だ。平日は大学が終わってもバイトがあるし、土曜日はサークルとバイト。たまたま日曜日が空いたのが本当に救いだ。
 ただそんな休みも俺はぐうたらで暇と変化させた。明日が休みだと土曜日の夜に夜更かしし、日曜日から日曜日を迎える。朝起きて今日は何をしようかと考える前に寝たはずなのに疲れがどっとくる。疲れなのに体が疲れていないんだよなぁ。
 夜更かしは頭にかなりのダメージを与えるのか、毎回日曜日は頭が動いてなくてしっかり足で立てていない。頭がお酒を飲んで酔っ払っています。そんな状態だった。
 複数所持してるSNSを順序良く見て回って、体内時計に合わない時間をスマホの画面は表示している。
 特に驚くことはない。毎週いつもの事だ。けどせっかくの時間を無駄にしてしまったという罪悪感はあった。けれどもう過ぎてしまったことはどう足掻こうと戻ってこない。後の祭り。今の俺にぴったりのようだ。
 これがいつもの俺のルーティンという日課だ。ただストレスはなかった。この生活に異常な速さで慣れた自分が凄いと思う。
 これで良かったのに……。
 ストレスが無いのは自分が自分をサボっていただけだった。
 ある日の事。
「俺実は結婚したんだ」
 大学に入ってできた友達が発した一言に想像もつかない憎悪を覚えた。大学生活で今まで一番付き合いの長い親友。彼にはいろいろ励まされ、いろいろお世話になった。ある時は勉強を教えてもらったり、ある時は失敗を庇ってくれたり。周りの人達も「仲のいい」「親友のよう」と言われていた。
 置いて行かれた。そう俺は勝手に受け止めたんだろ。
 これだけで良かったのに……、
「俺、就職した」
「検定に受かった」
 みんなみんなが幸せな報告を持っている。そんな俺はどうだろう。
 "日曜日が無駄だ"
 そんな事をふと思いつき出した今日の日曜日。

 散歩がてら近所をふらつく。午前5時、ふと目覚めてしまった。まだ眠かったのに頭は完全に目覚めてしまったようで考えたくないのにいろんな事を考えてしまう。
 それが日曜日なのだ。
 何ができるか、何がしたいか。
 今こうふらついている。これでいい。散歩。何ものよりも手軽でただ歩くだけでいい。準備をする必要も無いし、お金も必要のない。
 なんて便利な趣味なんだ。
 次の週でそれは終わった。
 散歩は俺の体に毒として体を痛みつけていた。日頃の疲れきった体にはそれは悪影響だったらしい。
 場所だ。家にはいないようにしよう。
 散歩道にある一つの喫茶店を思い出してそこに長居することを決めた。
 木のドアを開くとカラカランと客が来たと知らせる音が鳴り響いた。
「お客様一名ですか?」
 こくり、と頷いて席へ案内される。人気の無い店内。店内に音楽が流れていないからなのかしんとしていた。何も調べずに入ったのが失敗だったようだ。
 メニューを見ると特別に秀でたご飯やデザートはない。ただ一つだけ言うならパンケーキが一際メニューで目立っていた。メニューに何か際立たせる細工がしてあるとかじゃないが俺の目はそれを捉えていた。
「ご注文は……」
 店員を呼んだ。先程席を案内してくれた若い女性。黒い長い髪を後ろに一つ束ねて喫茶店ならではの白の服と黒いズボンを着ている。
「パンケーキ」
 やらかしたと思った。声が小さくてボソボソとした声だったかもしれない。自分でもちょっと小さいと話している時思った。自分がどんな声を出したのかは相手の反応を窺うまでわからない。俺はあまり初対面の人との会話が苦手なのは多分これのせいでもあるだろう。
 耳をこちらに向けた。その時の耳にかかった髪をどかす。黒い髪と対照的に手は白い。
「パンケーキ」
 今度は言えた。彼女も耳に入ったのか持っている注文伝票にペンを走らせた。
 無言で厨房に向かったのには少し驚いた。マナーがなかったのに意外さを感じた。ちょっとした礼とか"かしこまりました"の受け答えがあってもいいじゃないか。この場は喫茶店で店内の音楽も無いから静寂で落ち着くには最適のはずなのに、どこか落ち着けない。俺をそんな気持ちにさせた。
 それにしても人気が本当にない。見る限り店内の客は本当に俺だけみたいで、厨房を見ても店員が彼女一人の姿しか見えない。
 一人で経営しているのだろうか、なら彼女は店員じゃなくて店長なのか。そういう事にしておこう。
 約三十分程してパンケーキが出てきた。
 三十分。この時間俺は何もしなかった。ただ窓から見える商店街の街並みをぼんやりと見ていた。ただ飽きる事はなかった。商店街をただただ人が歩いている。けれど一人一人速さや歩幅が違う。改めて見ると面白く感じる。
 こんな些細な事が面白いと感じるなんて、口が少し綻んだ。
 俺の目の前にパンケーキが置かれた。置かれた時軽い会釈をしたものの案の定反応はなかった。愛想の悪い人とそういう位置付けにしておこう。
 パンケーキ。クリームがただ乗っただけのものかと思っていた。だがしかし、輪切りのレモンが小山となったクリームに添えられている。クリーム単体ではなくクリームとレモンの二つで単体と言わんばかりの存在感をパンケーキの上で示し、演じている。
 白い見ただけでわかるふわふわっとしたものがパンケーキに包まれている。これはまたクリームかと机に置かれているフォークを手に取り優しく突いてみると白いものは小さくしぼんでいく。若干ながらしゅわしゅわと弾けでたような音もしたような。
 なんだろうと思いフォークで優しくすくい口に入れる。舌に乗ってそれは優しくほろほろと溶けたり、崩れていく。ただそれはふんわりとした軽い味だった。メレンゲ、これはクリームではなくメレンゲだ。
 手が止まらない。たまたま入った喫茶店で恐ろしいものを見て俺は今頬張っている。もうこれは食べるの次元で説明できない。もしそうしようもんならこのパンケーキからかなりきつめの制裁を受けることになるだろう。しかもおいしさはメレンゲだけではない。この全体にかかった透けて美しい茶色のシロップがちょうど良い甘味なのだ。程よく優しくパンケーキを包み込んでくれている。
「とても良い相性なんだな。しかも三人で」
 このパンケーキのスポンジ、それに包まれたメレンゲ、透き通ったカラメル。この三つを見て視界が悲しみを知らせる液体の影響で濁って見えた。
 
 大智 春 中学一年生
 中学校に進学した俺にはある二人の友達ができた。一人は蓮と言い運動系のクール男子。雰囲気から醸し出ていたが部活はサッカー部に入っているのだそうだ。二人は芳昌と言い蓮とは正反対で地味な男子だ。しかし、彼は学力に優れていて中学入学後に受けたテストで学年一位を叩き出している。お互いダメなところはお互いが支え合い直す。凸凹コンビだが彼ら二人はその凸凹が綺麗に揃っていた。
 ただ、その綺麗な凸凹を俺は壊してしまったみたいだ。俺はごく普通の人と思っていた。何をするにも平凡で何をするにも平均な中学生。だからこの凸凹にうまく吊り合いそしてうまく馴染めると思っていた。
 俺は彼らに見捨てられたようだ。三人で一緒に約束して遊ぶのが日課だった日曜日。だがある日、蓮が日曜日に予定が入ったと遊ぶのを断ったのだ。それに続いて芳昌も"やっぱり遊ぶんなら三人で"と断りの返事を俺に言った。 
 たまにはこんな事もある。絶対に信頼できる二人だからこそ俺は二人を疑わなかった。蓮には用事があって、芳昌は蓮を庇って。
 あの日の日曜日家にいればよかった。決して家から出るんじゃなかった。雨が降ればよかった。そうしたら無駄な外出なんてしなかったのに。いや、あれは無駄なんかじゃない。
 いろんな後悔といろんな憎しみがただただ生まれた。それは鍋が沸騰した時に出てくる泡のように火を切るまで止まる事を知らなかった。
 後悔はやがて憎しみに負けた。体の奥底からふつふつと湧き出てくるゾワゾワと体を揺るがす何かが足のつま先から頭のてっぺんまで登ってくる。しっかりとそれは指の先を経過するのがまた憎しみを増やす要因となっている。
「本屋行ってきます」
 こんな事言うんじゃなかった。本なんて好きになるんじゃなかった。この出来事の種を深く深く追求すると俺は最初から不利なステージに立ち不利な運命を辿っているみたいだ。
 周りは水色単色で描ける空だけだ。雲一つない。太陽が周りを照らしてもう全てが開けて明るかった。けれど暑いとは感じない丁度良い気温で俺にまとわりついてくれる。過ごしやすい。そう言える日だ。
 家から歩いて15分程度で本屋に着いた。ここは市内で一番大きく人気カフェも併用しているからか地域の人が集う憩いの場としても使われている。文房具屋もあるから万能とも言える市自慢の本屋だ。
 今日は最近の人気ランキングで上位にのる単行本を買う予定だ。ちょっと高めなのが玉に瑕だがそのぶんしっかりと感動や物語の緻密な計画さを味わえるのが単行本の強みだ。
 自動ドアが開き本屋に入ると壮大な本の数に圧倒されるのと同時に冷房が効きすぎてて上着が欲しくなる気持ちが生まれる。壁が本棚となっているのを見るたびにこんな壁が欲しいと思ってしまう。
 買う予定の本はすぐに見つかった。店内の一番目立つ位置に十冊ぐらいが山積みに置かれている。
 俺はすぐにその一冊を手に取った。ややずっしりとくるこの重み。今すぐにでも読みなさいと言われているようで欲望が出てくるがしっかりそれを抑える。帰ったら読むから、じっくり読むから、そう自分に言い聞かせて。
 ここで長居したのがダメだったのかもしれない。いつもメリハリを怠けた罰がここに出たんだ。こんな残酷になって返ってくるとは思いもよらなかった。
 目的の本を手に取ってもなかなかレジへと足を運べないこの本屋と空間。そこら中にある単行本と文庫本をじっくり見てみようとそこへと歩を進める。
 速い。日頃の歩くスピードより断然速い。トコトコといつもなる靴がタッタッと短く音を刻んでいる。
 まだ読んでいないのに俺は満足感に浸っていた。この環境は本を読ますために意図して作られた環境と言える。本棚に並べられた本はどれも知らない物ばかり。小説を読み出したのがつい最近だからしょうがなく思うがいつかこの本たちも自分の手に取り読んでみたいと思う。きっと面白い、どんな世界に俺を連れて行ってくれるんだろう。
 そうこうしていると知らぬ間に本屋に一時間近くいたらしい。腕時計の分針が一周している。
 レジへと向かい会計を済ます。"ブックカバー要りますか"の店員さんの質問を"いらない"と答え会計を終えウキウキしながら帰りの出入り口へと向かう。高揚とした気分で今にもスキップをしそうでそんな気分だったのに目の前に考えられない二人の人物を目撃してしまった。
 "なんで、どうして"
 予定があると言った蓮、三人が良いと蓮に気を使った芳昌。彼ら二人がお互いニコニコと白い歯を輝かせ本屋に入ってくる。いや、正確にはカフェ店に入って行った。人間違えなのではと疑ったがそんな似ている人物がしかも二人とも似ているなんて到底考えにくい。
 彼らではなかったら頭が真っ白になっただろう。しかし彼らだった。頭が真っ白になる余裕すらなかった。今俺がこの場にいるのが何か許されないような気がして今にのこの場を離れたい。けれど動かせない。俺の足は石のように固まって、石化して。今すぐに外に出たい、頭を少し冷やしたい。
 こんな思い、生まれて初めてだった……。
 そこで記憶は終わり時間が過ぎた。
 次の日彼らは何事もなかったかのように学校に登校し俺のもとへと来た。昨日本屋で見たあのニコニコな笑顔のままだった。癪に触った。だからニコニコなんかに見えなかった。彼らは肉食動物だ。俺は彼らに狙われている。俺は無論草食動物。だから彼らからは今殺気を浴びされている。だからニコニコなんて言えるほど今の俺は正常ではない。ニコニコは他人なんて決してわからない。わかるのはニコニコな自分だけだ。
「おはよう」
 今度はなんだ。声を掛けられたら殺気なんかじゃない。脅迫か。なら俺は被害者であんたらは容疑者だ。けれどなんの容疑だ。こいつらが俺に何をした。
 裁判官として立たされた裁判。何をしたかもまともに答えられなければそもそも証拠もない。これは完全に詰みであり単なる自己満で自己中でしかない。
 何も手札がない自分がこの時嫌いになった。
「おはよう」
 大人しく相手にターンを回すことしかできない、ゴミみたいだ俺なんか。
 友達の断捨離をした。二人しかいないが。脳内断捨離リストには
 '田中 蓮'
 '下山 芳昌'
の二人の名前が載っていた。
 この一週間彼らに声を掛けられないよう一人トイレに篭ることにした。その一日目、授業終了のチャイムが鳴るとすぐさま片手に先日買った単行本を手にトイレへと向かう。そして個室へと入り鍵を閉め便器を下ろしてその上に座る。彼らにはこの姿は見られていないだろう。例え見られていたとしてもどこに行ったかはわからずわかったとしても俺がトイレから出てくるのを待つなんて絶対にしないだろう。
 あれからまだ一日だがあれだけで俺への信頼をガクッと下げた。株価の大暴落、なんとなくそんな感じだろう。もう信頼とかなかった。
 「おはよう」から「ばいばい」の二つで一日目は終了した。先週とあからさまに態度が違う俺をなんも庇う様子はない。ここから人の有り様がよく手にとるようにわかる。
 もう少しの声かけは想定していた。まだ自分でもありえないと思うことがあったのだ。短い時間だったけれど彼らは俺に積極的に声を掛けてくれたし、遊びに誘ってくれたし。あの日曜日はたまたまだったんだ。間違えない。きっとそうだ。そうわかっていたのに体はすでに悲鳴をあげていた。
「ただいま」
 下校中、少し頭痛がしてきた。たまにあることなので特に気にすることなく俺は足を進める。だが、歩けば歩くほどに頭痛は痛みが増していく。次第に歩くのがつらくなってきた。足どりがさっきよりも衰えている。俺は死んでしまうのだろうか、そう考えてしまう。
 やっとの思いで家に着いた。けど嬉しくない。そんなことより早く横になりたい。体が熱い。俺はどうなってしまうのか。家のドアに手を掛ける。
 ガッとドアを外側に開いた。

 蓮 ? ?
 次の日もその次の日も空席だった。そこの生徒は学校に来なくなった。あれからたまに学校に来るらしいけれど決して俺たちとは顔を合わせなかった。体育祭も文化祭も見に来たらしいが彼を見たという人たちは先生を除いて誰一人いなかった。さらに彼はどこの高校へ行くのかもわからなかった。なんで、どうしていきなり。
「なんでいきなりいなくなるんだよ」
 俺たち二人は泣いた。大粒の涙を目から周りの目を気にすることなく。けれど死んでいなくてよかった。またきっとどこかで会えるよね。
 俺たち二人はそう思うことしかできなかった。あの時渡すはずだった彼への誕生日プレゼントを手に握っている。彼に会いたい。今はその気持ちで精一杯なんだ。
 俺たちは佐藤大智に一体何をしたのだろうか。
 大智に逢いたい……。

 大智 春 大学二年生
 俺はこのパンケーキ以下。だからこのパンケーキを頬張る資格なんてない気さえする。
 "俺も君たちみたいになりたかった"
 あの後、家のドアを開けるなり俺の意識は飛んだ。何も覚えていない。気づいたら病院のベッドの上にいた。そして点滴を知らぬ間に打たれ一人ポツンと病室に取り残されていた。
 後に母から聞いた。
「あんた、家に帰って来るなりバタンって倒れるんだもん。驚いたよ。どれだけ名前呼んだり、体揺すっても目を開かないんだし。それにしてもあんたあの時体熱かったよー。よく歩いて帰って来れたわね」
 こんな感じでわかりやすい説明をしてくれた。おばさんみたいな陽気な声の調子でそんなに俺を心配してくれてないんだなと思ったがすぐに救急車を呼んで今この病院にいる事だけでも喜んでおいた。
 心因性発熱と診察された。そう判断され俺は点滴に打たれる生活はすぐに終止符を打った。この頭痛や熱はストレスと判断されたのだ。心療内科を受けた。ストレスは心の病気、だから薬で治すことはできない。
 心理療法を受け、やや万全の体調に戻ったが学校へ戻りたいなんて金輪際思うことはなかった。不登校に俺はなった。けれど体調は万全なので自分で学習を進めた。わからないところは親に聞いた。自慢にはならないがうちの母は勉強はまあまあできたらしい。父も近所で有名な高校を出ており大学も国公立へ進んだ。
 不登校で過ごした受験期間。見事第一志望校へ合格できた。
 本当につまらなかった。でも自分が壊れてしまうぐらいならそれぐらいお安い御用だった。
 三位一体になりたかった。あのメンバーで。
「さっきから一人で何ぶつぶつ言ってるの」
 目を開くと前に店長の女の子が俺の顔を腰を曲げ俺の顔を伺う様子で覗いてきた。白い腕を後ろに置いてその両手を後ろで組んでいる。
 男で思春期真っ只中だからか店長の白い腕に目を留めてしまう。このパンケーキのように柔らかいのだろうかとかこのパンケーキのようにふわふわに近い手触りをしているのだろうか。
「どこ見てるの」
 見ているのがバレた。そんなただ一瞬目を留めただけなのに。腕に汗が出て潤い出すけど化粧品の香水コマーシャルみたいな潤いとは程遠い。
 焦り出した。
「あ、いや。たまたま目が君の腕に……ね……」
 咄嗟に思いついて口にした言い訳のショボさに自分が嘆かわしくさえ思えてくる。
「男ってやつは本当にクズだねー。しかもテキトーに言ったのに自分の過ちを自ら告白してくれるとは」
「俺嵌められたって事だよな」  
「鈍いねー。そうだよ、嵌めたんだよ」
 店長の仕掛けた罠にまんまと引っかかったみたいだが特に負けた、悔しいとは思わない。だって自分が確実に悪いんだから。
「それで、何ぶつぶつと言ってたの」
 向かいの席によいしょと腰を下ろす店長。
「このパンケーキ食べて昔を思い出してた」
 ふむふむと相槌を打つ店長。視線は一直線に俺を差している。
「お母さんが作ったパンケーキに似てたとか」
「あーそっちか」
 昔を思い出してたについて、確かにこれは二つの見方があり、店長は俺とは逆の二つ目の方を選んだようだ。
「ただの甘いもの好きの初心者の意見なんですが、このパンケーキはスポンジとメレンゲ、そしてカラメルの三つが三位一体となって素晴らしい味を引き出しています。おかげで今まで食べたことのない、味わったことのない経験と体験をさせてくれました。ただ、その三位一体なんですが昔の自分の記憶にちょっと引っかかってしまいまして。思い出していたのです」
 味の評価をした時、店長の顔は少し誇らしげに緩んだがその後の話を聞いて察したらしい。表情は瞬く間に緩みを忘れた。
「すみません。味と私事は全く関係はないのですがつい思い出しちゃって。本当申し訳ないです」
 味をやはり追求するだろう飲食店。そしてそこで出される一品は人の事情など知る由もないんだから。俺は店長に深々と頭を下げた。味とか店以外のことをこのパンケーキに、こいつが原因だと幼稚な行いをしたから。
「私事って何」
 深々とした謝罪があっさりスルーされたのに驚きを隠せなかった。しなくてよかったのか、それとも馬鹿にされていると感じたのか。
 こういう時スルーされた側の行動の選択肢は主に二つらしいが俺は一つだけだった。
 一つ、聞かれたことに答える。
 二つ、自分のスルーされた、今で言う謝罪を貫き通す。
 圧倒的前者だった。
「私事って何」
 行動の選択肢とか頭で考えていたら時間が少し経っていたみたいだ。
「私事っていうのは…………」
 俺は先ほどの中学の凸凹コンビの件について店長に全て話した。簡潔に俺は彼らの邪魔者でお払い箱だったというテーマにして話した。
「あなた誕生日はいつか教えてくれる」
 話を全て聞いた店長の顔に変化はなく姿勢も決して崩すことはない。そこが申し訳半分で凄いと思う(顔が可愛いからつい見ていたとか足が綺麗だなとか思いながらの付け足しだったから)。
「七月十四日だけど……」
 想定外の質問に少し戸惑いながら返す。
「じゃあその本屋さん事件はいつ頃の話か覚えてる。明確な日は流石に覚えていないでしょうから、そういえばあの時暑かったなとか、ちょっと肌寒かったとか」
 あの事件は只今より店長によって『本屋さん事件』と名付けられた。あの日の本屋さんは確か…………、
「本屋さんに入った時確か冷房が効き過ぎてた。だから上着が欲しくなった。だから夏なのかな」
「夏ねー」
 店長は考えことを始めて腕を組み始めた。不可解な質問攻め(っても誕生日と事件の日聞かれただけだけど)を受け俺は一体何をしたらいいのかと行動すら考えてしまっているのだから店長の手助けとかはもっての他。そして店長の企んでいることも全くわからない。
 しばらくの沈黙が続いた。店長の考え込んでいる姿をただぼんやりと眺めることができるぐらい時間は止まらずに進む。危うく眠りそうになるのだが店長を見ているとなかなか眠れない。寝てもいいのかというのが原因だ。今の関係上私事に店長を巻き込み考えさせている。人様に迷惑をかけているのに自分はすやすやと眠るなんて俺にはできない芸当だ。
 それにしても店長は本当に姿勢を崩さないなとちろちろ足とか肌を視線を経由しつつ全体に視線を視野として広げる。
「やっぱり一つしか出てこないな。最低な事を考えたら二つになるけど」
 やっと口が開かれ沈黙が終わった。『やっと』 とか待たされたという言葉を使ってしまったのに心から謝っておく。
「店長の意見を聞いてみたい。せっかく考えてくれたんだしなんだか勿体無い」
「ならお言葉に甘えましょうか」
 俺は息を呑んだ。何かよろしくない事を言われるのではないかとか思ってしまった。記憶上俺は彼らに何かした記憶がないが気づかないうちに酷いことをしてしまったのではないのか。そう批判的な考えが頭に浮かんできた。
「彼らはあなたへの誕生日プレゼントを買っていたのではないでしょうか。それが違うのなら……」
 思ってもいない回答に肩をすくめた。
「可能性とかはわからないですがそのような気もしてきて思い浮かびました」
 一つの回答しか聞き取れなかった。衝撃すぎたのだ。耳なんて機能しなかった。
「誕生日プレゼントを彼らは買っていたのか、しかも俺のを」
「おそらくの推測ですが」
 自分の過去にとった行動に後悔をした。穴があったら入りたい、これは今の俺にとても適している。今この場には俺と店長の二人きりだが一人に、いや今の自分が恥ずかしいからいっそのこと今の自分からも逃れたい気分だ。
 これがもし事実ならと考えた結末が怖かった。本当に自分を投げ捨てたいとそんな衝動に駆られた。
 だって………、
 これが本当なら俺は彼らを裏切った。'田中蓮''下山芳昌'をしかももう二度と関わらないようなリストにも登録をして。けれど彼らは俺を友達と見ていた。
 これが本当なら俺は彼らの気持ちを受け止めることができなかった。誕生日プレゼントを渡す人がいなくなったらそれはプレゼントでもなんでもなくただの置物で傍からしたらゴミのしかすぎない。
 いや、だがしかしだ………、 
「けれど彼らは本屋でもなく文房具屋でもないカフェに入って行ったんだ。どうしてカフェなんだ、カフェなんかにプレゼントなんてないだろう」
 必死に抵抗しているのか自分の声はどこか荒っぽかったし、先ほどよりもよく耳に入ってくる。そしてこの抵抗を意とした言葉を一つ一つ並べてみたらいろいろと可能性は出てきた。それらがプレゼントじゃない可能性。いや違う。それがプレゼントの可能性だ。
「カフェでプレゼントを決めていたのではないでしょうか。彼には何がいいのか。意外と友達へのプレゼントは難しいのですよ」
 そうなのだ。カフェに行った後にプレゼントを買いに行く彼らの姿は想像できる。
「で、その調子だとあなたはプレゼントはもらってないのでしょうね。宝の持ち腐れになっているのね」
 俺を蔑むような店長の言動は俺の逆鱗に触れかけた。ただそれは、触れてはいけない事だとしっかり知っていた。悪いのは俺だ。何が信頼を下げただ。
「そしてあなたは彼らの連絡先も知らなそうね」
 心に言葉の雨が降り注ぐ。みんなが知っているあの液体の雨ではなくそれらは石で硬くて痛かった。
「どう、私の推理。あたってそうでしょう」
「あぁ、間違えないと思う。なんだかそんな気がしてきた」
 根拠も証拠もないのに俺は友達を容易く裏切った。酷い罪悪感、いやそんな言葉だけで表せれないぐらいの気持ちに俺は陥った。自分で蒔いた種なのだから仕方ないのはわかっていた。だから、この感情を表に表現することはなかったが……、
「ハンカチあげるよ」
 俺は泣いていた。後悔とそれ以外の何かに心が満たされていた。店長からもらったクリーム色のハンカチで店長の目を気にすることなく永遠と出てくるのではないかと思わせる涙を拭った。

 涙が止まってまたしばらくこのパンケーキを食べていた。添えてあるレモンには手をつけずにこの三位一体をゆっくりとそして昔のあの残された微かな三人の記憶をしっかり味わいしみじみと思いながら次から次へと味わってお皿の上にはレモンと食べていいのか毎回わからない葉っぱが残っていた。
 セルフィーユという名前らしい。
 食べ終えしばらくは何もしようとは思わなかった。何かしなければと思うけど行動はなんとなく焦っているような気持ちにさせられた。
 おかげで静寂な時間ができた。店長はキッチンでお皿を洗っていたり、料理器具を棚に戻したりしている。ただ飲食店なのに料理を作っている姿は見ていてなかった。お客が俺しかいない閑散としている店内は嫌でも静寂に包まれる。
その静寂が少し揺らぎ出したのはやることを終えた店長が店の奥の方に入ってまた店に出てきた時だ。右手に茶色の紙袋を持っている。本屋さんでよくレジ袋の代わりに買える紐の付いていないあの薄い紙袋。
「本当は私インチキしたから推理でもなんでもないんだよ」
 持ってきた紙袋を俺の座っている席に置く。その紙袋には緑色でもう存在しない本屋さんの名前が印刷されていた。しかもこの本屋は確か……、
「どこから貰ったの。この紙袋」
 俺があの日人生を狂わせ先ほどまで後悔と嘆いていた時にいたの本屋さんで、今は建物の老朽化でその本屋さんは潰れたのだ。代わりにと言わんばかり別の本屋さんが出来たが出来上がった時には俺は引っ越してそこの本屋さんには行ったことがないので縁が無い。
 ただその本屋さんはもうないのだからどこからそれを入手したのかという疑問が俺の頭いっぱいに満たす。
 やっぱり想像もできなかった。店長はやっぱり俺より遥か上をいっている。
「多分その子達来たよ、この店に。そしてこれを私に渡して言ったの。"もしもだけど佐藤大智って人がこの店にきたらこれ渡してくんね"って。"誕生日プレゼントだから"とも付け加えて言ってました」
 俺の頭にはたくさんの疑問があって考える力が鈍っていた。店長の言ったことを単語に分けて一つずつ並べていく。並べる時間より店長の次の発言の方が早かった。
「佐藤大智ですか」
 この返答には考える時間は要らなかった。
「はい、俺は佐藤大智です」
 店長の顔が一瞬明るくなった。店長が紙袋を俺に差し出してきた。           
 この二人のやりとりに会話はなかった。ただ店長もわかっていただろう。俺もわかっているんだから。
 "この場に会話はいらない"

 俺は泣き崩れた。膝が床に付き両手を両目に添えて目を隠すように。手が濡れて湿っぽくなっていく。そして手に収めた彼らからの手紙がほろほろと落ちていくのではないかと思いたくなるぐらいに。
"大智、誕生日おめでとう!俺らより先に先輩になって、誰よりも信頼できる仲間だよお前は。てかさ、お前しかいないんだ。この凸凹の蓮、芳昌を支えられるのは。俺らはな実は小学校の時結構やり合ってたんだ。意見が合うことがほぼ無くて、ずっと喧嘩だったよ。けどさ中学校に入って大智がいたから俺らは今楽しくそして喧嘩の数も減っている。また言うことになるけど俺らは大智がいることによって今がある。だからこれからもよろしくな!"
 目元に涙が溜まって、湿っていて。けれど最後まで読んだら溢れて溢れ出してきた。
"ずっと一緒の三人組 メンバー二人より"
 
「いい子達じゃないの」
 涙が収まって少し間ができたタイミングで店長は声をかけてきた。
「謝りたい、彼らに謝りたいです」
 この気持ちと彼らへの感謝。それらを体中に満たした俺は行動をしなければならない。
「ここで働いてもいいですか」
 それは自分でも驚いた。
「どうしていきなり」
 だが俺の口は止まらずすらすらと単語を並べる。
「ここに来たら、いつか彼らと会えると思ったから」
 店長の顔はまた一瞬明るくなって丸めた手から親指を出し前にだす。
 こうして俺はこの店に働くことになった。