私のヒーロー。僕の英雄。

 どこにいても、何をしていても、いつもどこか息苦しい――こんな自分のことが大嫌いだ。


 しんどいな。
 クラスに馴染めず、一人で過ごす時間。
「おはよー」
「おはよう」
 騒々しい朝。早く学校に着いても誰とも話さないから、つまらない。正直言って、寂しい。でも、誰かと喋るのは怖い。
 私は、どこかでみんなに嘲笑されているのではないか、あの人私の苦手なタイプだ。そうやって、関わっていない人を疑って、信頼しないで生きてきたから。

「喜子ちゃん、喋ってくれないとわかんないよねー」
「遠藤さんって何考えてるかわかんねー」
 多分今、クラスメイトには感じ悪いやつ、喋りにくい子と思われている。

 鋭い棘が胸に刺さったように苦しい。自業自得なのだけど。
 とにかくとっても気まずい。今にも逃げ出したい。
 静かに深呼吸をした。
 大丈夫。
 孤独にはもう慣れた。
 慣れたはずなのに、友達と笑い合うことが恋しい。
 まだ頑張れる。
 自分を奮い立たせ、根性で学校に居続けた。

 学校を出た瞬間、緊張から解放された感じがして、胸を撫で下ろした。棘が外れた気がする。
 窓から見る青空よりも、外で見る青空の方が、空は見守ってくれているような気がする。

 今日も図書館に行こうかな。
 私は図書館にいる時が一番安心する。本を読んで、明日も頑張ろうと勇気をもらって、家に帰る。ほぼ日課。

 図書館の静けさは寂しくない。むしろ落ち着く。本のページを捲る音、シャーペンの動く音。大きな木のような温もりを感じる。
 気になった本を手に取り、いつもの席に座ろうと歩き出した。

 あれ?あの人、見ない顔だな。
 私のお気に入りのいつもの席の向かい側に座っている男の人。多分高校生。隣町の高校の制服だと思う。
 なぜ隣町の高校生がいるのだろう?
 疑問を胸にしまって、いつもの席に座った。
 彼は、勉強していた。彼の真剣な眼差し、一生懸命さは、本を読みながらでも伝わってきた。
 澄んだ瞳と指通り滑らかそうな艶のある髪、骨張った指。美しい、この言葉が彼には似合う。一目惚れ。彼は絵になる。
 彼と目が合った。すぐに本に目を落とした。
「何?」
 彼は優しく、静かな声で聞いてきた。
 どうしよう。見惚れてたなんて言えないし。
「見ない顔だなって。隣町に住んでるんですか?」
「普段は図書館使わないからね。隣町まで高校通ってる。この町で育った、高校一年生」
「そうなんですね。私も高校一年生です」
 なぜだろう。クラスで話す時の緊張感がない。気まずくない。怖くない。むしろ、すごく話しやすい。楽しく話せる。
「君は?ここ、よく来るの?」
「はい、ほぼ毎日。図書館って何だか落ち着くから」
「へー。本読むの好きなの?」
 私は首を縦に振った。
「自分の想像の世界に飛び込めるというか、本が色々教えてくれるというか。そういうところが好きで」
「楽しそうだね。いい顔してる」
 彼は優しく微笑みながらそう言った。
 私はなぜか驚いて、少し照れ臭くて彼から目を逸らした。胸がじわーっとあたたまる。
「そろそろ行かないと」
 彼は机の上を、片付け始めた。
「明日も来ますか?」
 私は安心して話せる彼と明日も会いたい、そう思った。
「来ようかな。君と話すの楽しいから」
 鼓動が早まるのと、頬が赤く染まっていくのが分かる。
「あの、あなたの名前は?」
「真野尚也。じゃあ、また明日」
 真野尚也くん。
 真野くんに明日も会えるというだけで、学校に行くのが少し楽しみになった。
 さっきまで、窓から見る空は寂しいような気がしたけど、どこから見ても空は見守ってくれてる、ような気がする。


 学校に行くのは、憂鬱だ。駅へ向かう道を引き返し、図書館へ向かった。
 家族には何も言ってないから、迷惑かけるわけにはいかない。
 塔矢は、まだ怒っているのだろうか。不安な気持ちが、頭から離れない。どんなに勉強しても、気が紛れない。
 ため息をついた。すると、僕のように悩みを抱えて暗い顔をしている女の子が、僕の目の前の席に座った。
 彼女は、何に悩んでいるのだろう。
 彼女と僕の悩みを分け合えたら、お互いに救われる、かな。


 今日は雨だった。傘に雨が落ちる音がする。普段なら憂鬱な雨の日。でも、いつもより学校に行く足取りが軽かった。
 歴史の授業前、教科書を忘れたことに気づいた。最悪。
「野崎先生、教科書を忘れました」
「分かりました。隣の席の人に見せてもらってください」
 どうしよう。野崎先生に教科書を忘れたことを報告できたけど、隣の席の人に声をかけて見せてもらうのは、ハードルが私には高い。
 隣の席の、クラス委員の根岸さんに話しかけなければ。
 根岸さんは、なんでもできちゃうタイプ。艶のあるミディアムくらいの髪、甘くて可愛らしい香り。
 完璧そうな根岸さんに話しかけるの、緊張する。
 深く深呼吸をした。
「あの」
「どうした?遠藤さん」
「根岸さん、教科書を、見せてもらえますか?」
「いいよー」
 彼女は笑顔で私にそう言ってくれた。安心した。彼女は、良い人だ。
 その後の授業では何の心配もなく受けることができた。
 いつも通りじゃない、一歩進めた一日だった。
 憂鬱なんか、感じなかった。

 いつもよりも学校が楽しかった。
 今日も真野くんは、図書館で勉強しているのだろうか。
 昨日よりも胸が高鳴りながら図書館へと歩いた。

 真野くんは、昨日と同じ席に座っていた。真野くんを見るだけで、胸がいっぱいになる。
「真野くん、お疲れ様」
 真野くんは昨日と同じように勉強していた。
「ありがとう。そういえば、昨日君の名前を聞くの忘れてた。君の名前は?」
「遠藤喜子。あの、真野くん、ちょっと聞いて欲しいことがあって」
 真野くんは優しく頷いた。
 私は、今までの私と今日の根岸さんとのやりとりを話し始めた。
「私、クラスに馴染めなくて、なかなか話せなかった。周りにいる人に嘲笑されてるかもしれないとか思って。でも、今日、隣の席の根岸さんに話しかけることができた。緊張したけど、話せた。自分が知らないだけで、世の中、悪い人ばかりじゃないなって思った。」
「遠藤さんすごいじゃん!それはすごい進化だよ。勇気出せたんだね」
 私は嬉しかった。真野くんが真剣に話を聞いてくれて、褒めてくれて。
「今まで、他人のことを信頼せず、疑って生きてきた。でも、変わりたい。誰かと笑い合いたい」
「そう思うことって、自分という人間を良く見ているってことだと思う。それってすごく大切なことだよ」
 真野くん、人間としてすごく尊敬するよ。どうしたら、そんな大人な考え方ができるの?
「ありがとう。話、聞いてくれて」
「頑張って!遠藤さん。応援してる」
 真野くんは再びシャーペンを持って、勉強し始めた。
 私は本を探しに席を立った。今日はコミュニケーションについての本を手に取り、席に戻って読んだ。明日はもっと真野くんに驚かれたい、と思いながら。
 今日は風が強かった。せっかく張り切って髪をセットしたのに、と少し落ち込んだ。
 いつもより少し早めに家を出たので、教室にはまだ誰もいなかった。
 鏡を取り出して、前髪を櫛でとかす。よし、整った。
 ちょうど根岸さんが教室に入ってきた。
「根岸さん、おはよう」
 言えた。できた。
 根岸さんは少し驚いた顔をして、優しく、おはよう、と返してくれた。
「遠藤さんいつもより明るいね。その方がかわいいよ!」
 びっくりした。同時に嬉しくなった。
「ありがとう」
 私は、根岸さんと休み時間を過ごした。昼食も一緒に食べた。久しぶりにひとりぼっちじゃなかったから、嬉しさでテンションが上がる。
「根岸さんのお弁当かわいいね」
 色鮮やかでバランスの良さそうな根岸さんのお弁当。盛り付けまで完璧。美味しそう。
「ありがとう。毎日頑張って早起きして作ってるんだ」
「すごいなぁ、根岸さん」
 根岸さんは少し照れくさそう。
 私は、根岸さんと話すことを、真野くんと話す時くらい楽しんだ。

 今日は真野くんにどんなふうに話そうと、期待を膨らませていた。
 図書館に入る前に鏡と櫛を取り出して、髪を整える。よし。

「真野くん、今日は本読んでるんだね」
 うん、と本を読みながら真野くんは言った。
「そういえば、遠藤さんどうだった?根岸さんだっけ?」
「うまくいったよ。仲良くなれたよ。久しぶりに学校が楽しかった。それに少し、変われたような気がする。真野くん、ありがとね」
「そっか。よかった。力になれて」
 真野くんは私の方を見て、微笑んだ。美しく、優しく花が咲いたようだった。すごく愛おしい。この笑顔、大好きだ。
 真野くんはどんな学校生活を送っているのだろう。
「真野くんは?学校が楽しくなるような友達いる?」
 真野くんは少し悲しそうな顔をした。
「いるよ。すごく楽しい人」
 無理して笑ってるような顔。言いたくないことかもしれない。だから私はもう何も聞かなかった。聞けなかった。
 私と真野くんはそれから何も話さず、本を読んだ。ページを捲る音が少し寂しく感じた。
 夕暮れ時、真野くんは席を立って本を戻しに行った。
「じゃあ、帰らなきゃだから」
「うん。じゃあね、真野くん」
 何だか、真野くんに悪いことをしてしまった気がする。すごく気分が沈む感じがする。
 明日、真野くんに謝ろう。

 寝たら、少しは落ち込んだ気分が良くなるかなと思っていたのに。やっぱり真野くんに申し訳ない気持ちが、膨らんで行く一方。
「遠藤さん、おはよー」
「おはよ」
 根岸さんは、元気に私に挨拶をしてくれた。なのに私は真野くんのことが気になって、元気に挨拶できなかった。
「遠藤さんどうした?何かあった?」
 私は、根岸さんに真野くんとのことを話した。
「その、真野くん?がどう思っているかはわからない。だけど、真野くんが苦しんでいるのなら、遠藤さんが話聞いてあげたらどうかな?」
「そうだよね。そうだよ。うん、そうする。根岸さん、ありがとう」
「和華奈って呼んでよ。喜子」
「うん。ありがとね和華奈」

 今日は、授業の内容が全然頭に入ってこなかった。図書館で復習しようかな、と思いながらドアを開けた。
 真野くんがいない。
 いつもの席に真野くんの姿、真野くんの鞄はない。
 やはり、真野くんの気を害してしまったんだ。
 授業の復習をして、珍しく閉館時間まで本を読んだ。気が紛れると思った。でも、真野くんのことが気になる。真野くん、大丈夫かな。
 次真野くんにあったら、絶対に謝らなければいけない。
 心に真野くんへの申し訳なさを抱えて、家に帰った。
 今日は曇っていた。私の心も、空と同じな気がしていた。
「喜子?大丈夫?」
 和華奈は、私の気分が落ちていることに気づいている。
「大丈夫じゃない。昨日真野くん、いなかった。やっぱり真野くんのこと傷つけちゃったかもしれない」
 そっか、と和華奈は言って、一日寄り添ってくれた。和華奈は、休み時間には私の隣でいつものように話して、お弁当を楽しそうに食べて。寄り添うと言っても、いつものように接してくれただけ。でも、それだけで心強かった。
 それだけで、真野くんと向き合う勇気が出た。

「和華奈のおかげで元気出たかも」
「そう?よかった」
「ありがと。和華奈。今日も図書館行ってみるよ」
 和華奈は、頑張れと頷いてくれた。

 図書館への道は、真野くんが居るかの不安と、久しぶりに真野くんに会う緊張感で、少し長く、遠く感じた。
 気持ちを落ち着かせるために、深呼吸。そして慎重にドアを開けた。
 真野くん、居る。本を読んでいる。
「真野くん、久しぶり」
「久しぶり。遠藤さん」
「あの、真野くんに謝りたいことがあって」
 真野くんは、何が?と言いたげな顔をした。
「この前、私、真野くんを傷つけた。本当にごめんなさい」
「ああ、あれは、自分の失態を思い出して悔やんでいただけ。傷ついてなんていないよ。それに昨日来れなかったのは、体調が悪かっただけだから」
 真野くんは、大丈夫だよと続けた。
 そうなんだ、私はそう言って安心した。でも、真野くんの言っていた、「失態」とは何だろうと同時に思った。
 真野くんは、明るい人だと思っていた。だからこそ、真野くんが心配だった。
 前回のことがあるし、真野くんに聞くのは躊躇した。いつか、真野くんの様子を見て、聞いてみようかな。


 遠藤さん、僕のことを気遣ってくれてるんだ。気持ちが表情に出てしまったから。
 そろそろ、僕も自分の悩みにしっかり向き合わなければ。


「和華奈ー。真野くんに謝れた」
「よかったね、喜子ー」
 和華奈は、私を抱きしめて、そう言った。自分ごとのように、喜んでくれた。
 私は、昨日のことを全て和華奈に話した。
「でもね、真野くんが言ってた、失態って何だろうと思って」
「真野くん、何か抱えているのかもね」
 そうだよね、私はそう言って今までの真野くんとの会話を思い出そうとした。

 そういえば。私が学校生活について、真野くんに聞いた時、真野くんは悲しそうな顔をした。学校で苦い思い出があったのだろうか。
「今度は、私が真野くんを助ける。この前は、私が救われたから」
「応援してる。何か困ったら、いつでも相談して。喜子の力になりたいから」
「うん!和華奈がいてくれると、心強いよ」
 和華奈は、にっこり笑った。太陽を浴びる向日葵のように。

 今日は、暑いくらいに晴れていた。雲のない青空。真野くんの気持ちも、こんなふうに、晴れてくれたらいいな。
 真野くんは、何もしていなかった。何もせず、佇んでいた。図書館の外にある大きな木のよう。
「真野くん、こんにちは」
「遠藤さん、こんにちは」
 真野くん、少し元気がなさそうに見える。いつものような笑みがない。
「今日は、来たばっかり?」
 真野くんは、首を横に振った。
「いつも通りの時間に来た。考え事してた」
 そうなんだ、と言い、どのように真野くんに聞こうか迷っていた。
「何か僕に聞きたいことがあるの?」
 心を読まれていた。表情や動きに思考が出ていたかもしれない。少しドキッとした。
「あのー、前に真野くんが言ってた、失態って何だろうって思ったの」
 彼は、控えめに深く呼吸をして、ゆっくり話し始めた。
 真野くんが言うには、友達とのちょっとしたすれ違いが原因だそうだ。

 真野くんの友達、三吉塔矢くん。
 真野くんは、三吉くんと中学の頃から仲が良かった。
 二人は、毎日一緒に電車に乗って登校し、休み時間になればどちらかの席に出向き、昼食の時間となれば二人で屋上でお弁当を食べる。
 部活の話、テストの話、学校内で有名になっている同級生の話、観たい映画の話など。二人が話す内容は尽きない。
 テスト前になれば、一緒に勉強する。部活の試合は、応援に行く。テストが終われば、二人で遠出する。

 三吉くんは、ノリがいい。三吉くんは、真野くんを笑わせるのが好きで、得意。三吉くんは、真野くんといる時が一番楽しくて、安心する。
 真野くんは、少し人見知り。三吉くんが真野くんのバリアを打ち破ってくれたらしい。真野くんは、三吉くんといる時が一番楽しくて、心が落ち着く。
 こんな、仲の良い、良すぎるくらいの二人がすれ違った理由は、真野くんのある一言だった。

 二人で遠出した時のこと。お土産屋にて。
「塔矢ー。これ塔矢に似てる」
 真野くんが、三吉くんに見せたのは、リアルな魚のぬいぐるみ。
「なんか授業中の塔矢みたい」
 真野くんは、一人で笑った。
 三吉くんは、嬉しくなかった。
「本当だ。俺にそっくり」
 三吉くんは、少しショックを受けていた。
 真野くんは、三吉くんの様子に目もくれず、魚のぬいぐるみに「塔矢ー」と声をかけていた。
「…………」
「塔矢?どうしたんだよー。ほら、お土産選ぼう」
「ああ。そうだな」
 三吉くんは、暗い顔をしていた。
 真野くんは、三吉くんを心配していた。いつも明るくて、いつも笑っている三吉くんだから。
 その日の帰り道も三吉くんが笑うことはなかった。
 真野くんは、三吉くんが笑わなくなった理由は、自分の発言にあると考えた。すぐにでも三吉くんに謝罪をしたかった。だが、顔を合わせての謝罪をした方が気持ちが伝わるだろうと思って、翌日、駅で謝ることにした。

 翌日、いつもの時間に三吉くんが駅に来なかった。
 真野くんは、一人で学校に行った。結局、三吉くんは、この日学校を欠席した。
 三吉くんにメッセージを送ったり、電話をしたりした。しかし、三吉くんからの返信、三吉くんが電話に出ることはなかった。
 真野くんは、もし三吉くんが明日学校に来ても、合わせる顔がないと次の日から学校に行かなくなった。

 そんな時期に、私は真野くんに出会ったのだ。真野くんは、誰にも相談せず、誰にも心配かけないように、毎朝制服を着て図書館で過ごしていた。
 あれから一ヶ月。真野くんは、未だ、あの時の自分の発言を悔やんでいる。あんなふざけ方しなければ、三吉くんは傷つかなかったのにと。
 真野くんは私と同様に心に棘が刺さっていて、苦しんでいると考えると、何もせずにはいられなかった。
「ねえ、真野くん。三吉くんに会ってみたら?」
「塔矢、僕になんて会いたくないかもしれない」
「とにかく、会って言いたいこと全部伝えた方がいいよ」
 真野くんは、そうだよねとスマホを取り出して、メッセージアプリを開いた。緊張で入力する指が震えているように見える。

「遠藤さん、塔矢と会う時、同席してもらっても良いかな?遠藤さんがいると、安心する。きっとどんな結果になっても大丈夫な気がする」
 胸が張り裂けそうなくらい嬉しかった。真野くんは、私を必要としてくれてる。勘違いかもしれないけど、涙が出そうなくらい嬉しかった。
「私が真野くんと三吉くんの力になれるのなら」
 真野くんは安心したように笑顔になった。
 ベージュのニットにデニム、ゴールドのアクセサリーを纏った真野くん。いつもは制服だから、新鮮。真野くんって、おしゃれだな。
 そんな真野くんは、緊張していた。肩で息をするくらいに。何度も深呼吸をして呼吸を整えている。でも、なかなか手の震えは止まらない。
「真野くん、大丈夫だよ。落ち着いて」
「うん」
 真野くんは少しぎこちなく返事をした。
 部活のジャージ姿の三吉くんがやってきた。肩掛けカバンを持っている。クラスのムードメーカーのような、明るくてエネルギッシュな顔立ちの三吉くん。
 三吉くんは、私の方を見て首を傾げている。
「あ、遠藤喜子と申します。真野くんの付き添いです。どうぞお気になさらず」
「そうですか。尚也、ファミレスかなんかで話さない?」
「うん。ファミレス行こう」
 真野くんはどこか不安そうだ。声が震えている。
 気まずい雰囲気の中、駅の近くのファミレスへ歩いた。

「喉乾いたー。ドリンクバー頼もう。二人は?何か頼む?」
「私もドリンクバー」
 僕も、と隣に座った真野くんが言った。
 私もなぜだか緊張する。

 三吉くんはコーラを、真野くんはオレンジジュースを、私はアイスティーを、コップに氷と共に入れた。
 誰も何も喋らない。周りでは、たくさんの話し声が聞こえるのに、ここの席だけ静か。少し気まずいような沈黙。
 真野くんがこの沈黙を破った。
「塔矢、本当にごめん。あの時、塔矢と遠出を楽しんで調子乗ってあんなこと言った。今まですごく悔やんでた。塔矢に合わせる顔なんてないと思ってた」
 真野くんは申し訳なさそうな顔をしている。
「尚也、気にすんな。あのさ、俺、確かにあの時怒った。ショックだったから。でも、尚也が怒ってる俺のこと気にしてたの知ってる。だから、あんな不機嫌になってしまって本当に申し訳ないと思っている。それに、俺は尚也とまた笑いたい。尚也のたくさんの笑顔を、引き出したい」
 三吉くんは、真野くんに笑いかけた。

 私は、三吉くんのこと、そこまで知らない。だけど、三吉くんはすごく友達思いということはわかった。
「それに、俺が休んだ次の日から尚也、学校来なくなったじゃん?俺が休んだのは、尚也が嫌になったわけじゃなくて、ただの風邪。でも、連絡できなかったのは、俺もごめん」
「塔矢は僕のこと、嫌いになってない?」
 真野くんは、瞳に涙を溜めて三吉くんに問いかけた。
「嫌いなわけない。俺、尚也が一番大切な友達だから」
 真野くんはほっとしたように息を吐いた。

 真野くんも三吉くんも顔をいっぱい使って笑顔になった。私もつられて微笑んだ。
「尚也を連れてきてくれたのって、遠藤さん?」
「はい。真野くんは三吉くんのことすごく大切に思ってます。そうじゃなきゃ、悩まないし、相談しないです」
「遠藤さん、それは内緒にしてよ。なんか恥ずかしいじゃん」
 真野くんは、少しだけ頬を赤くして私に言った。
 
 三人は笑った。三吉くんは豪快に笑う。真野くんは顔にたくさん皺を作って笑う。彼らの笑顔をいつまでも見ていたい。
 彼らの友情は羨ましいくらいに輝いている。喧嘩するほど仲が良い。良すぎるくらいに。
「ごめん。今日この後部活だから、もう行くわ」
「頑張って」
 真野くんと私は声を揃えて、三吉くんに言った。
 三吉くんは、私たちに背中を向けて、手を振ってファミレスを後にした。

「遠藤さん、本当に今日はありがとう。おかげで塔矢と仲直りできた」
「私は付き添っただけだよ。でもよかった。楽しそうな真野くんが見られて」
 真野くんは、満足げな笑顔を見せた。
 私は、その笑顔を見て、嬉しくなった。


 
 塔矢と仲直りして、二週間。
 塔矢は、遠藤さんと根岸さんとも仲良くなった。
 僕は、学校に行くようになった。塔矢と駅で待ち合わせて、電車に乗って。
 休み時間になったら、二人で話すし、昼食は二人で屋上に行って食べる。
 以前までの日常が戻ってきた。

 遠藤さんも、学校を楽しんでいるみたいだから、よかった。遠藤さんの笑顔が増えたと、根岸さんから聞いた。
「真野くん?どうしたの?」
 彼女は、優しく僕の方を覗いた。
「最近、いろいろ見えるようになったから、楽しくて、思い出してた。遠藤さんと出会えたからだよ」
 彼女は頬と耳を赤らめて微笑んだ。彼女の笑顔は、僕の心を元気にするようなエネルギーがある。
 彼女の笑顔をもっと見たい。彼女のことをもっと知りたい。
「ねえ、遠藤さん。これからも図書館来てよ。僕が学校行き始めたからって何も変わらないから」
「行くよ。真野くんと会うの楽しいから」
 僕の早まる鼓動は、僕の好きな笑顔の子に伝わっていないだろうか。

 彼女がいなければ、自分を変えることができなかっただろう。偽りの自分を変えることができたのは、遠藤さんがいたから。


 和華奈と仲良くなって一ヶ月。あれからずっと学校が楽しい。
 登校するときにカバンに入っていた、不安などもうない。期待しか入っていない。
 家に帰れば、次の日の学校が楽しみでならない。
 和華奈に真野くんと三吉くんを紹介した。すぐに仲良くなってしまうところ、和華奈はすごいなと、つくづく思った。
 前の自分からは考えられないくらいに、生活が変わった。

 真野くんも、学校を楽しんでいるようだから、よかった。三吉くんから、真野くんの話をよく聞く。
「ねえ、真野くん。私、真野くんに出会えて良かったよ」
 真野くんは、不思議そうにまっすぐ私の目を見ている。
「真野くん、ありがとう。真野くんがあのとき図書館にいてくれたから、学校楽しめてる」
「力になれてるのなら、僕も嬉しいな」
「真野くん、また三吉くんに会わせてよ。真野くんの面白いエピソード聞きたい」
「恥ずかしいから嫌だよ」
 恥ずかしそうに、いたずらするように彼は笑った。
 彼の笑顔、私の鼓動を早める。彼の笑顔は、私を元気にする力がある。
 強く美しく咲いている、花のような笑顔、大好きだ。
 もっとこの笑顔を見たい。彼のことをもっと知りたい。
「僕のことも助けてくれて、ありがとう」
 私の早まる鼓動は、彼に届いてしまっていないだろうか。

 彼がいなければ、自分を変えることができなかっただろう。偽りの自分を変えられたのは、真野くんがいたから。


 少しだけ息がしやすくなった気がした。

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