「その子を追ってきただけで……」
『にんげん、まめのうしろにくっついてきた!』
むくっと顔を上げた猫が、私に向かってそう言った。
幻聴でも見間違えでもなかった。本当に猫が喋っている。
「立ち話もあれですから座ってください」
カウンター席に案内されて座ると、彼は慣れた手つきで先程淹れていたコーヒーをカップに注いで私の前に置いた。ふわりと漂うコーヒー独特の香りの中に、どこかチョコレートを感じさせるような甘い香りがする。
「砂糖はそのポットに。ミルクはこちらで出しますが、いかがしますか?」
「い、いえ。大丈夫です……あの、このお店とか通りとか、初めて知ったんですけど」
「それはそうでしょうね。人間の世界ではありませんから」
「人間の世界……ではない?」
私が首を傾げると、彼は猫を指しながら続ける。
「あやかしによって導かれない限り、普通の人間はこの店に辿り着くことができないってことです」
聞きなれない単語がいくつか出てきて、私の頭はパンク寸前だった。横目でクッションに丸くなる灰色の猫を見ながらそっと彼に問う。
「もしかして……この猫は……」
「ええ。こまめは猫又というあやかしです。そして俺も、鬼のあやかしですよ」
にっこりと浮かべた神々しい笑みからは、どこか脅しかかっているように見える。外見から私より少し年上な感覚がしていたが、鬼ともなれば何百年は生きているのかもしれない。一見はどこにでもいそうな普通の人だが、容姿端麗でコーヒー一杯を注ぐ姿さえも美しい所作は、長年続けてきたからこその結果だ。
そんなことを考えながらじっと彼を見ていると、照れくさそうにはにかんだ。
「嬉しいですね。大抵の人は、どうやったら人間の世界に戻れるかと慌てるものです。あなたは帰りたがらないんですね」
「……帰ったところで、私には何もないので」
そう、何もない。好きだった人も家族も、現実にはもういない。
また誰かの下で言われるがままに働き、誰かのもとに嫁ぐ世界に戻るなんて御免だ。だから、あやかしの世界から一生抜け出せないのならそれでもいいと、不覚にも思ってしまった。
『にんげん、まめのうしろにくっついてきた!』
むくっと顔を上げた猫が、私に向かってそう言った。
幻聴でも見間違えでもなかった。本当に猫が喋っている。
「立ち話もあれですから座ってください」
カウンター席に案内されて座ると、彼は慣れた手つきで先程淹れていたコーヒーをカップに注いで私の前に置いた。ふわりと漂うコーヒー独特の香りの中に、どこかチョコレートを感じさせるような甘い香りがする。
「砂糖はそのポットに。ミルクはこちらで出しますが、いかがしますか?」
「い、いえ。大丈夫です……あの、このお店とか通りとか、初めて知ったんですけど」
「それはそうでしょうね。人間の世界ではありませんから」
「人間の世界……ではない?」
私が首を傾げると、彼は猫を指しながら続ける。
「あやかしによって導かれない限り、普通の人間はこの店に辿り着くことができないってことです」
聞きなれない単語がいくつか出てきて、私の頭はパンク寸前だった。横目でクッションに丸くなる灰色の猫を見ながらそっと彼に問う。
「もしかして……この猫は……」
「ええ。こまめは猫又というあやかしです。そして俺も、鬼のあやかしですよ」
にっこりと浮かべた神々しい笑みからは、どこか脅しかかっているように見える。外見から私より少し年上な感覚がしていたが、鬼ともなれば何百年は生きているのかもしれない。一見はどこにでもいそうな普通の人だが、容姿端麗でコーヒー一杯を注ぐ姿さえも美しい所作は、長年続けてきたからこその結果だ。
そんなことを考えながらじっと彼を見ていると、照れくさそうにはにかんだ。
「嬉しいですね。大抵の人は、どうやったら人間の世界に戻れるかと慌てるものです。あなたは帰りたがらないんですね」
「……帰ったところで、私には何もないので」
そう、何もない。好きだった人も家族も、現実にはもういない。
また誰かの下で言われるがままに働き、誰かのもとに嫁ぐ世界に戻るなんて御免だ。だから、あやかしの世界から一生抜け出せないのならそれでもいいと、不覚にも思ってしまった。