すると、ポケットに入れていたスマホが鳴った。画面には芳子叔母さんからメールが届いたことを告げている。
【お見合いの件、来週末にセッティングしたからよろしくね!】
表示された画面に思わずうなだれた。
そうだった。仕事と喫茶店のことしか頭になくて、お見合いのことをすっかり忘れていた。
電話をもらったその日に、メールでお断りの返事を送ったはずだけど、――実際送信済みボックスに入ってるし――案の定、叔母さんの目には映っていないらしい。
「お見合いされるんですか?」
スマホの画面が目に入ったのか、夜弦さんがじっと私を見つめてくる。いつも絶やさない笑みが、ふっと消えた。
「えっと……まぁ、そうみたいです。実は、初めてここに来た日には連絡もらっていたんですけど、すっかり忘れていました」
「忘れていたって、あなたが望んだことでは?」
「……望んでいたら、私はここにいません。昔から、叔母の決定事項には逆らえないんです」
母が亡くなって、父に捨てられた私には、生きるためには叔母しかいなかった。だから育ててくれた恩を返さなければいけない。どれだけお見合いを断っても、最終的には叔母のいう通りにしなければならないのだ。
そう言って苦笑いをするも、彼は一向に表情を崩さない。むしろ眉間にしわが寄り、どんどん険しくなっているような気がする。
「……あなたはもう、ここには来ないほうがいい」
「え?」
「先程の男の体に、真っ黒な靄がまとわりついていました。あれはよくないあやかしが好んで取り憑いている証拠です。俺の力でもう襲ってはこないでしょうが、あなたがこの店に来れたことといい、偶然ではないでしょう」
「それって、どういう……」
「あなたがあやかしに好まれる体質だってことです。大抵のあやかしは人の心に付け込みますが、あなたは例外です。血肉が目的で狙われやすい。いずれ食べられて終わりです」
淡々と話す夜弦さんの表情は、先程の笑みの面影など一切なかった。確かにさっき、こまめちゃんが私から美味しい匂いがするというのは、体質の問題だったということ……?
「今はまだ前兆でしかありませんが、俺もこまめもいずれあなたを襲うかもしれない。これ以上あなたに関わるべきではないようですね」
頭を殴られるような衝撃だった。
あんなに優しい笑みが、唸るほど美味しかった料理が。この喫茶店での楽しい時間が、すべて否定されて一方的に突き放された気がした。
「あなたはもう、この喫茶店のことを忘れてください。繋ぐ小道が塞がれば、人間のようないらない存在が入ってこなくて済む」
「いらないって……本心ですか……?」
「いらないでしょう。俺は幼い頃、人間と暮らして、隠しきれなかった角を見られたことがきっかけで散々な目に遭いました。人間は皆同じです。何かに依存しないと生きていけない。それはあなたが一番よくわかっているはずだ。連絡してきた相手や先程襲ってきた男といった、彼らに従うことしかできない無能な人間は、悪いものに取り憑かれやすい。それがあなたなんですよ」
「でも、人間の食べ物に興味があるのは、夜弦さんが人間を好きだからでしょう!?」
「俺が人間を好き? ……とんだ勘違いですね。それとこれは別の話です。そしてそのことは、あなたに関係ありません」
「もし夜弦さんが本当に人間を嫌っているのなら、人間から教えてもらったパルフェを作ろうなんて思いません! 作っているときに込められた想いだって、食べれば伝わってくるんです!」
私がそういうと、彼は一瞬だけひるんだような気がした。しかしすぐ元の表情に戻ると、目線を逸らして続ける。
「あなたの話には付き合っていられません。俺も忙しいので、もう来ないでください」
「夜弦さ――」
「お代は要りません。――さようなら、迷子の人間さん」
「……っ」
夜弦さんの軽蔑するような目を見て、私は何も言えず、荷物をまとめて店を出た。後ろからこまめちゃんの声が聞こえたけど、振り返ることもできない。
勝手に連れてきたのにどうして――どうして、そんな苦しい顔をするの?
彼に問いたかった言葉は喉の奥で詰まっていて、人間の世界に戻った後も出てこなかった。
【お見合いの件、来週末にセッティングしたからよろしくね!】
表示された画面に思わずうなだれた。
そうだった。仕事と喫茶店のことしか頭になくて、お見合いのことをすっかり忘れていた。
電話をもらったその日に、メールでお断りの返事を送ったはずだけど、――実際送信済みボックスに入ってるし――案の定、叔母さんの目には映っていないらしい。
「お見合いされるんですか?」
スマホの画面が目に入ったのか、夜弦さんがじっと私を見つめてくる。いつも絶やさない笑みが、ふっと消えた。
「えっと……まぁ、そうみたいです。実は、初めてここに来た日には連絡もらっていたんですけど、すっかり忘れていました」
「忘れていたって、あなたが望んだことでは?」
「……望んでいたら、私はここにいません。昔から、叔母の決定事項には逆らえないんです」
母が亡くなって、父に捨てられた私には、生きるためには叔母しかいなかった。だから育ててくれた恩を返さなければいけない。どれだけお見合いを断っても、最終的には叔母のいう通りにしなければならないのだ。
そう言って苦笑いをするも、彼は一向に表情を崩さない。むしろ眉間にしわが寄り、どんどん険しくなっているような気がする。
「……あなたはもう、ここには来ないほうがいい」
「え?」
「先程の男の体に、真っ黒な靄がまとわりついていました。あれはよくないあやかしが好んで取り憑いている証拠です。俺の力でもう襲ってはこないでしょうが、あなたがこの店に来れたことといい、偶然ではないでしょう」
「それって、どういう……」
「あなたがあやかしに好まれる体質だってことです。大抵のあやかしは人の心に付け込みますが、あなたは例外です。血肉が目的で狙われやすい。いずれ食べられて終わりです」
淡々と話す夜弦さんの表情は、先程の笑みの面影など一切なかった。確かにさっき、こまめちゃんが私から美味しい匂いがするというのは、体質の問題だったということ……?
「今はまだ前兆でしかありませんが、俺もこまめもいずれあなたを襲うかもしれない。これ以上あなたに関わるべきではないようですね」
頭を殴られるような衝撃だった。
あんなに優しい笑みが、唸るほど美味しかった料理が。この喫茶店での楽しい時間が、すべて否定されて一方的に突き放された気がした。
「あなたはもう、この喫茶店のことを忘れてください。繋ぐ小道が塞がれば、人間のようないらない存在が入ってこなくて済む」
「いらないって……本心ですか……?」
「いらないでしょう。俺は幼い頃、人間と暮らして、隠しきれなかった角を見られたことがきっかけで散々な目に遭いました。人間は皆同じです。何かに依存しないと生きていけない。それはあなたが一番よくわかっているはずだ。連絡してきた相手や先程襲ってきた男といった、彼らに従うことしかできない無能な人間は、悪いものに取り憑かれやすい。それがあなたなんですよ」
「でも、人間の食べ物に興味があるのは、夜弦さんが人間を好きだからでしょう!?」
「俺が人間を好き? ……とんだ勘違いですね。それとこれは別の話です。そしてそのことは、あなたに関係ありません」
「もし夜弦さんが本当に人間を嫌っているのなら、人間から教えてもらったパルフェを作ろうなんて思いません! 作っているときに込められた想いだって、食べれば伝わってくるんです!」
私がそういうと、彼は一瞬だけひるんだような気がした。しかしすぐ元の表情に戻ると、目線を逸らして続ける。
「あなたの話には付き合っていられません。俺も忙しいので、もう来ないでください」
「夜弦さ――」
「お代は要りません。――さようなら、迷子の人間さん」
「……っ」
夜弦さんの軽蔑するような目を見て、私は何も言えず、荷物をまとめて店を出た。後ろからこまめちゃんの声が聞こえたけど、振り返ることもできない。
勝手に連れてきたのにどうして――どうして、そんな苦しい顔をするの?
彼に問いたかった言葉は喉の奥で詰まっていて、人間の世界に戻った後も出てこなかった。