叫んだその瞬間――突然、バチン! と何かが弾けるような大きな音がした。
思わず目を瞑ってしまったけど、音が聞こえたと同時に掴まれていた腕が突き飛ばされる勢いで離れて、よろけてその場に座り込んだ。
何が起こったのかわからないまま、恐る恐る目を開くと、榎木くんは地面に這いつくばって、真っ青な顔色をしている。目線の先には、私を隠すようにして立っていたある人物に向けられている。黒髪に、広い背中。シャツにスラックスとシンプルな服装に揺れるサロンエプロン。――夜弦さんだ。
「――汚い手でこの人に触るな」
「ヒィッ!?」
今まで聞いたことがないほど低く脅しかかった声に、榎木くんは悲鳴を上げて逃げ出した。彼も体格や身長は平均男性より上だが、鬼である夜弦さんには敵わない。
「梓さん、大丈夫ですか?」
榎木くんを一瞥してから振り向いた夜弦さんは、一瞬で焦った表情を作って私に手を取って立ち上がらせてくれた。喫茶店で会う時よりと雰囲気が違うのは、人間に合わせているからだろうか。
「う、うん……どうしてここに?」
「どうしてって、買い出しですよ」
差し出された逆の手で持っているエコバックには、パンパンに食材が詰め込まれていた。
「困っているようだったので間に入りましたが、お邪魔でしたか?」
「……いえ、助かりました。ありがとうございます」
夜弦さんの顔を見て、ホッとした自分がいる。腕を掴まれたまま榎木くんの話を聞いてしまっていたら、何をされていたかわからない。付き合っていた当初から暴力はなかったけど、言葉だけはいつも刺々しい人だった。
「梓さん、今日はもう帰るだけですか?」
黙ったままの私に、夜弦さんが顔を覗き込むようにして聞いてくる。整った顔がいきなり近づいてくるから、思わずのけ反ってしまった。
「まぁ、はい……そうですね」
スマホの画面には、パティスリーまでの地図が表示されていたが、ここから走っても閉店には間に合わなさそうだ。諦めて次回に回そうと思った。
そんな私を見て、夜弦さんは満足そうに笑った。
「とりあえず、店に行きましょうか」
私の手を改めて取り直すと、そのまま彼は歩き出した。足の長さが違うのに、彼がこっそり歩幅を合わせてくれていたことは、この時の私は知らない。