今日も定時きっかりに仕事を片付けて席を立つ。
 同僚から会社近くに新しくパティスリーができたと聞いて、これは是非とも行かなくちゃと、ひとりで勝手に張り切っていた。桜が散り始めたこの季節なら、まだ桜モチーフのケーキや抹茶系も残っているだろうし、ちょっと高いだろうけどメロンのケーキも出ているかもしれない。退勤後に行ったところでどれくらい残っているのかは検討もつかないが、そこはもう、運に任せるしかない!

 スマホで道順を確認しながら、到着したエレベータに乗り込む。すると突然、隣から「オイ」と肩をつつかれた。顔を上げると、同僚で元彼氏の(えの)()(はる)()だった。

「さっきから声かけてんだから気付けよ」
「……ご、ごめん。何?」
「何? じゃねぇよ。最近付き合い悪いから、気になって……」

 ちょっと照れたしぐさをして視線を逸らす。ちょっとツンとしたところが可愛いと思っていたけど、今ではどうしてこんな人が好きだと思ったんだろうと、頭に氷水をかけられた気分だ。

「それに、あの一方的な別れ方はなんだよ。ちゃんと話そうぜ」
「話したところで、はる……榎木くんは聞いてくれないでしょ」

 初めて喫茶店に行った帰り、改めて吹っ切れた私は榎木くんに別れ話を持ち掛けた。もちろん、声は聞きたくなかったから文面にして、一方的に送り付けるという、なんとも強引なやり方だ。
 それからすぐ返信が来て「わかった」の一言で終わらせたのは、紛うこと無き彼のほうだったことは、すっかり忘れているらしい。

「私は別れたい理由をすべて開示して、あなたに事細かく説明したつもり。それを榎木くんは了承したじゃない」
「それは話し合おうって意味で……」
「だったら言葉が足りなかったんじゃない? 話し合おうって言われても、私はもうこりごり」
「待てって、梓!」

 エレベータが一階のロビーに到着すると、私はさっさと降りて会社の外に出る。早歩きをして振り切ろうとしても、男の人の足には敵わない。すぐに追いつかれて、腕を強引に掴まれてしまった。

「いっ……!」
「な、話し合おう? お前には俺が必要だろ? 価値がない人間が企画を考えたところで無能同然なんだよ! 俺が使ってやってるんだ、感謝してくれたっていいだろ!」

 何を焦っているのか、榎木くんの目が血走っていた。ここまで切羽詰まっている表情は初めて見た。そのせいか、彼の体の周りに黒い靄が見える。

「私は……っ」

 それでも、同情してはいけないと思った。今まで私が考えた企画は、すべて彼の手柄にされていたのだ。もうこれ以上、私は何も奪われたくない。

「私は――あなたの都合の良い道具なんかじゃない!」