僕はいつも独りだ。周りに人はたくさんいる。周りから見たら“人気者”な方なのかもしれない。だけど、独り。
僕のことを”親友”って言う人は僕に言う。「こんなに友達が柳優の周りにきてくれるのに、1人なわけないじゃないか」。
あいつは僕に1人じゃないなんて言うけど、僕は自分のことを1人だなんて思ってない。独りぼっちなんだって。多分伝わらないんだな。
柳優は僕の名前だ。これでリュウと読むのはかっこよくて結構気に入っていた。だが歳を重ねるにつれだんだんと、”女らしさ”を求められるから、見た目や仕草とかは女らしくて名前だけかっこいいのってなんだか変なんじゃないかって、そんなことすら悩むんだ。

僕はみんなと少し違うんじゃないかって、そんな風に思う。
例えば…ああそうだ、女のくせに自分のことを”僕”だなんて呼んじゃってるところとか。「その歳で僕ってイタイ」とか言われるけど、そんなのわかってる。思春期とか厨二病とか、自分が1番痛感してるよ。だけど、僕は僕でいなきゃいけないんだ。
別に僕は男になりたいとは思っていない。だけど、女でありたいとも思っていない。好きなものとかは女の子のものだし、見た目も女の子らしい。お世辞だろうけど、可愛い、とはよく言われる。なら女じゃんって思うけど、男であらなきゃいけないんだ。

僕の今までの人生で出会ってきた人に理解はないだろうから極力言わないようにしてるけど、実は僕は女の子が好きなんだ。

言ったことがあるが、その時返された言葉は受け入れるような優しいものではなかった。それからは理解してもらうことを諦めた。
言ったらいじめられるかもしれない、自分を否定されるかもしれない。なら隠していた方が、まだずっとずっと楽なんだ。だから本当の僕なんて誰も知らない。みんなが知っている僕は、恋バナで「かっこいい男の子が好き」だと言う異性愛者の僕だから。誰もそれを疑わないし、疑われないように徹底している。
ただ、僕の恋愛対象は女の子で、そんな彼女らの恋愛対象はやっぱり男の子だから、僕が男の子にならないと恋は叶わない。だから一人称を変えている。同性愛者って疑われるくらいなら厨二病って嘲笑された方がマシだ。もうそのキャラで確立しているんだから、変化を厭う僕は今のキャラを演じ切るつもり。

同性愛者って、それを言うだけで第一声が「襲わないでね」。
偏見がすぎる。
割合で言うと多いのは異性愛者だから同性愛者が片っ端から狙うだなんて思い込みがあるのかもしれない。だけど、冷静に考えてみてよ。例えば女の子で異性愛者の多くの人が好きなのは1人の男性。だから男子全員に「襲わないでね」なんて言われても、そんな男たらしじゃないわ!ってなるはずなのに。それと変わらないのに。

「好きになった人がたまたま同性だったんだよね?」そんなことも言われることがあるらしい。これはおそらく言っている側はフォローだとかそういう意味合いで、全く悪気はないんだと思う。
だけどその言葉と現実の違和感にむずむずしてしまう。
同性愛者は同性だからこそ好きになる。
異性愛者は異性の1人が単純に好きだけど、それは条件がついている。異性愛者が好きになる人は異性だから好きなんだ。そもそも同性を恋愛対象の中に入れてない。同性愛者も同じで異性を恋愛対象に入れてない。同性愛者だと名乗る人は、同性だから好きになる。性別は関係ある。

どんだけ頑張っても、異性愛者とは恋愛関係になれないんだ。だから僕はいつも思い込む。「同性だから違和感なくこんなに近づける!最高!」と。
本心じゃないことくらい自分でもわかってる。ただ、茶化さないとやっていけない。
悲しいことに同性愛者は変われない。そしてマイノリティ。だからこそ、「実らないならせ めてくっつかないと!」と。茶化して明るく。
「認めてもらわなくても想いが伝わればいいんだ!」と暗示をかけて自分を沈める。諦めさせる。
そしてそれで明るくいつも通り。いつも通り。
そのいつも通りがちょっとだけ、ほんの少しだけ辛い。

同性愛者とかジェンダーにおいてマイノリティな芸能人が、テレビとかでそれを売りにすることがある。自分の考えが合っているかはわからないが、わざとそう茶化して振る舞わないとやっていけないのではないかと。それが偏見をさらに拡張しているが、偏見通りに生きた方が楽な時もあるんだと思う。
「好きになった人がたまたま同性だった」。『たまたま』をつけるだけで、異性も愛せることもある、という猶予を。本当は同性愛者にそんな猶予はないけど、それでもそう言わないと辛い時もある。

どうせみんなマイノリティになりたくない。
そして多数派の自分が「普通」だと思い込んでいるから、差別しているつもりはなくても「普通」と「普通から外れた人」になる。
それは間違っているけれど、ただ、それは仕方のないことで、知らなければわからないこと。自分が今まで生きてきたことが常識になるから、仕方がないこと。

同性が好きって、人を好きになっても理想通りに進むことは少ない。何も言わなければ多くの異性よりも同性というステータスで近くにいれるけど、恋愛感情を伝えた途端から異性よりも遠ざかる。話せなくなる。同性愛者を、自分自身を否定される。
それが何回も何回も続いて、時には哀れみの目で見られるのが嫌だから、茶化すしか無くなる。
そんなの全員じゃないだろう。だけど、個人的にはそう思う。

きっと届かない人には一生届かない。どんなに想ってても届かない。異性愛者も同じだと思うが、それよりも、届く機会が少ない。だって、マイノリティで偏見が多いから。
だけど、それでも好きな人は好きだから。ほんとは同じ同性愛者の人を好きになれれば、幾分か楽なんだけど。理解がある分真剣に振ってくれるとか可能性もあるんだけど。恋は落ちるもので、選ぶものではないから。
強いて言うなら、運が悪かった。恋は厄介。

女の子らしい自分も好きだから本当は女の子として好きな子にアプローチしたいけど、それこそ未来がなさすぎる。
元から僕は暗示が効きやすい性質だから、自己暗示で生きてきた。僕は男の子にならなければ、僕のキャラはこれだ、と。今となっては正直、どれが本当の気持ちなんだかわからない。
もしかしたら女の子が好きなのも嘘だったりして。
何も信じられなくて、だから僕も僕の周りも本当の僕なんて知らなくて、やっぱりいつも独りなんだ。自分もいない心の底で。