明継(あきつぐ)の体力が戻った頃、穏平(やすひら)から能力測定の日時が言い渡された。そして同時に聞かされたのは、その担当に嗣己(しき)がつくということだ。

 当日、指定された場所へ足を運ぶ明継は何度もため息を吐いた。
 到着後も落ち着きなく体を揺らし、思考を巡らせては表情をコロコロと変える。
 なにせ最後に見た嗣己は、横たわったままピクリとも動かなかったあの姿だ。しかもそれが明継を救うための代償だったと聞かされていれば、気に病まない方が無理というものだ。

 悶々とした状態で待つ明継の後ろに、音もなく人影が現れる。
 彼は明継が自分の存在に気がついていないのを知ると、ゆっくりと腰を曲げて耳元に唇を近づけた。

「明継」

 突然、吐息混じりの低音が耳元にかかった明継は背筋を震わせ膝から崩れ落ちた。
 後ろを振り向けば、嗣己が笑いを堪えて震えている。

「お前!! 病み上がりの時くらい普通に出てこい!」

 顔を真っ赤にして耳を抑える明継に、嗣己が声を出して笑った。その無邪気な笑顔に明継が目を惹かれていると、視線に気づいた嗣己が途端に表情を強張らせた。

「どこか悪いのか?」

 いつになく感情的な嗣己に、言葉を失った明継が全力で首を横に振る。

「それならよかった」

 細めた金瞳が輝いた。






「嗣己の体は大丈夫なのか?」

 目的地へ歩き始めた嗣己を追いかけながら明継が問いかける。
 事前に聞かされていた情報が情報なだけに、明継の視線は幽霊でも見るかのようだ。

「とっくの昔に回復していたんだが、クグイが離してくれなかった」

「……そうだったのか。このまま帰ってこなかったらどうしようかと思った」

 屋敷には、嗣己だけでなくクグイも姿を現さなかった。穏平からしばらくクグイに会うなと言われていたものの、明継はそれを好都合と思えるほど薄情ではない。

「それは不要な心配をかけたな。俺が無茶をしたせいで過保護になっていただけだ。アイツも今は落ち着いている」

「……ごめん」

 蚊の鳴くような小さな声に、嗣己が足を止める。

「お前がしおらしいと調子が狂うな」

「そんなこと言ったって」

 嗣己は振り向き、明継の顔を見た。

「俺の意思でやった事だ。お前がいちいち気にするな」

「そこまで図太くなれないよ。大怪我だったんだろ? 本当に大丈夫なのかよ」

「大丈夫だ」

「こんな短期間で回復できないだろ」

「問題ないと言っている」

「お前はいつも何も教えてくれない!」

「どうしたら納得するんだ!」

 徐々にヒートアップした二人の視線が交わう。
 引くつもりのない明継の視線に、大きなため息をついた嗣己が突然服の裾をまくり上げた。
 明継はその行為に動揺したが、すぐに表情を曇らせて短く声を上げた。

「うわ」

 嗣己の白い肌に、弾丸のようなものが貫通した傷跡がいくつも残っている。

「ハチの巣じゃん! こ、こわ……」

「作り話だとでも思っていたのか?」

「だってそれで生きてるって言われたら信じらんないよ」

「ある程度は例の力で回復していたそうだ。クグイの治療で中は完全に治ったし、残っているのはこの傷跡くらいだ」

「痛々しすぎる……」

「もう痛くもかゆくもない。これも恐らく綺麗に消える。クグイが躍起になっていた」

「これを? どうやって?」

「そんな事は知らん。数日間、体中に何かを塗りたくられていた。それじゃないか?」

「ふーん……」

 明継がもの言いたげな視線を向けながら口を尖らせる。

「なんだその顔」

「え?」

「は?」







 そうして二人が辿り着いたのは、霞月(かげつ)の屋敷から随分と離れた林の中だった。

「なんでこんなひと気の無いところなんだ?」

「お前は中身を失ったら死ぬはずだったんだ。念には念だ。何でもいいからさっさと始めろ」

 手で払い除ける仕草をした嗣己に、不服そうに明継が背を向ける。

「属性は木でいい。まずは芽吹かせる程度から徐々に段階をあげろ。いいな?」

「はいはい」

 明継が印を結ぶ。
 頭の中でイメージするのは小さな草の芽吹きだ。

 いや、もう少し逞しく伸びる木が良いかもしれない。

 そう思った明継はイメージを膨らませて地面に優しく手のひらを置き、力を送り込む。

 ズン!

 と、大きな音がして、明継は嫌な予感がした。

「嗣己、これ……」

 慌てて振り返るが、嗣己は忽然と姿を消している。

「え、どこ――」

 行った?

 と、言葉を終えるより先に、明継の足元の地面が裂けた。
 その裂け目は一気に広がり木の根が勢い良く飛び出したかとおもえば、大木が急速に伸び上がった。

「わ、わ! ちょっ」

 大地を引き裂いて生まれた大木は数十本。それらは明継を弾き飛ばしてぐんぐん伸びていく。
 無防備な状態で投げ飛ばされた明継が受身も取れずに地面に叩きつけられ、苦悶の声が上がると、木々の成長はピタリと止まった。





「死んだか?」

 明継の顔にかかっていた木漏れ日を、美しい顔が覆い隠す。
 その表情に感情は無いが、金瞳だけはギラギラと輝いていた。

「死んでねーよ」

 霞みがかった視界を振り切るように頭を振った明継が勢いよく飛び上がる。

「分かってたんなら俺も一緒に連れて行ってくれよ!」

「お前は俺をハチの巣にしたうえ串刺しにもするつもりか?」

「う゛……」

 言葉に詰まる明継を見て、嗣己が笑う。

「腹の中に飼っていた化け物を抑えるために、お前の力は使われていたようだ」

「コントロールが悪いって話じゃなくて?」

「違う。それが必要なくなって発動できる力の量が増えたんだ。その分感覚がずれる」

「俺自身が力を持ってるってこと?」

「そうだ。お前と化け物の力の境は誰にも分からん。だから試験的に印を結ばせた」

「それ最初に言っておいてくれない?」

「徐々に力を上げろと言っただろう」

「そうだけどさぁ」

 ごねる明継に嗣己が眉をしかめた。

「さてはお前、言う通りにしなかったな?」

 明継が微かに体を跳ねさせ、小声で答えた。

「う……ちょっと盛った」

「なぜ」

 一気に不機嫌になる嗣己の声色に目を逸らしながら、気まずそうに口を開く。

「嗣己は俺の力に興味があったんだろ? それがなくなったって言われたら俺だって、ちょっとはいいところを見せておかないと……嗣己に飽きられるかも……なんて……思うじゃないか」

「……」

 目を瞬かせた嗣己の視線が明継に刺さる。
 その沈黙は異様に長く、明継は気まずそうに目を伏せた。


「可愛いこと言うんだな」


 嗣己がポツリと呟いた。

「い、一応俺はお前の教え子なんだしさ。そう言う気持ちも持つよ」

 気恥ずかしさから慌てて言葉を紡いだ明継に、嗣己は穏やかな視線を送った。

「正直、俺はお前の中身にそれほど執着していない。万が一お前が力を失っていたとしても、俺はお前を可愛がり続けていただろう」

「な、なんで? 霞月は中身が必要だっただけだろ? 嗣己は俺のどこが良いの?」

 自分から聞いておきながら、バカみたいな質問だと明継は後悔したが、嗣己は気にするそぶりも見せず口を開いた。

「そうだな……お前がまだ四、五歳頃の事だ」

 そこまで言うと、今度は長い沈黙が始まった。

「え、終わり?」

 痺れを切らした明継が聞くと、

「いや。長くなりそうで面倒になった。気が向いたら話してやる」

 と、考えるのをやめた様子で言い放つ。

「それ一生話さないやつじゃん!」

「別に良いだろう? お前を可愛がることには変わりないんだ」

 首をかしげる嗣己に、明継は複雑な表情で返した。