嗣己が肩で息をする。
穏平の隣で待機していた大紀が、その力の大きさに体を震わせた。無意識に穏平の服の裾を握りしめた大紀に、穏平は何も言わずに一歩下がらせてかばうように腕を伸ばした。
「ううう……!」
鋭い痛みに前屈させていた嗣己の背が勢いよく反り返ると、胸から浸食を始めた黒い霧は一瞬で全身を漆黒に染め上げた。
嗣己が叫びともとれる咆哮を上げた瞬間、アルモナは警戒するように長剣を構える。同時に突き出した手のひらから硬化させた黒い霧を放つが、嗣己は空間移動を使用してアルモナの目前に現れた。
咄嗟に防御の姿勢をとったアルモナと嗣己の力がぶつかり合い、衝撃が円形に広がる。
その戦いを見つめていた者全ての体を揺さぶった。
春瑠の結界が揺らめくと、クグイの顔に苛立ちが浮かぶ。
「春瑠、集中しろ! キミの結界はこの程度で崩れるものじゃない」
「はい……!」
その間も黒い霧を纏った2人は何度かの攻防を重ね、衝撃に弾かれたアルモナが先に体勢を崩した。よろめく彼女の背後に現れた嗣己がアルモナの腹を手で貫くが、その体が崩れ落ちることはなかった。
腹から突き出た嗣己の腕を両手で掴んだアルモナが頭を振り上げ、顔面に頭突きを食らわせる。隙をついて腕を引き抜き距離を取ると、あっという間にその傷口を霧が塞いだ。
「とんでもねぇ戦い方だな」
穏平が固唾を飲み込むと緋咲の眉間にも皺が寄る。
「クソ! 早く、早く、早く……!」
苛立ちを吐き出すように口の中で呟き続ける緋咲はアルモナの体を目で追い続けた。
黒い霧を纏う漆黒の姿は外見こそアルモナだが、その中には明継の体と精神が閉じ込められている。彼女の体が砕かれるたびに緋咲は焦りを感じていた。
握った短剣が手の中で強く締め付けられていく。
「おわ、りか?」
アルモナが後ずさるのを見て呟いた嗣己は、引け腰の彼女に一瞬で迫り、その首を片手で掴み上げた。暴れるアルモナを物ともせずに、嗣己の体はぶれることなく彼女の顔をじっと見つめる。
アルモナの抵抗が弱まり始めると、彼女の胸から黒い結晶が姿を現した。
嗣己の黄金の瞳がその結晶を前にして宝石のように煌めく。
「ほう……? 良いものを……持っている、な」
目を細め、ゆっくりと手を伸ばす。
緋咲が胸のざわつきを感じて咄嗟に口を開いた。
「嗣己! アンタ、明継を殺す気!?」
青筋を立てた緋咲が叫ぶと、嗣己がゆっくりと首を回して緋咲を見つめた。
「ア、キツグ……?」
「バカでかい力取り込んで脳みそまでイってんの!? アンタの大好きな明継でしょうが!」
「アキ、ツグ……」
呟いた途端、嗣己の手から力が抜ける。
解放されたアルモナの胸に、結晶が再び吸収された。
彼女は何度か咳き込みながらも立ち上がり、浅い呼吸で嗣己を睨みつけた。
「うああああっ!」
叫びと共にアルモナの体から黒い霧が放たれた。それはまるで散弾銃のように嗣己の体に無数の穴を開ける。
膝をついて血を吐く嗣己に、顔を歪めた穏平が吠えた。
「クグイ、まだか!」
「キミはいつもうるさいなぁ!」
穏平が振り返れば、瞳に青い炎を宿したクグイが立っていた。
「失敗したら殺す! 早く行け!」
「よし来た!」
穏平は引きつった笑みで嗣己に向かって突進した。
再び意識を乗っ取られ始めた嗣己が本能のままに腕を振り上げる。
すると穏平は地面に吸い込まれるようにその場から消えた。
嗣己の腕が空を切り、居場所を探って首を回す。
次に変化が起きたのは嗣己の足元だった。
地面に亀裂が入るとそれを砕いて穏平の手が飛び出し、足を掴み、振りほどく暇も与えず穏平の”融合”が始まった。
嗣己の黒髪を白髪へと染め始める。
「ううううう!」
体の中で蠢くものを追い出そうと、嗣己は体をかきむしり、唸り声を上げる。しかしその髪の色が完全に白く染まるまでにそれほど時間はかからなかった。
「だい、き!」
嗣己の口を使って穏平が呼ぶとそれを合図に大紀が身を当てて、転げた先で馬乗りになった。
融合を果たした穏平はアルモナから嗣己を引きはがしたことにひとまず安堵したが、彼の役目はここで終わりではない。抵抗する嗣己を抑え、大紀の能力が発揮できるようにサポートしなければならない。
穏平の融合という能力は、物体を合わせたり切り離したりできる。その応用として今回のように自らがターゲットの体に入り込んで一体化し、その意識を乗っ取るという手法も取れる。
しかし今回の場合、嗣己の意識は体を渦巻く闇の力に取り込まれつつあるため、穏平が抑え込むのはどちらかと言えばその闇本体となる。
だが、研究初期に力を付与された世代の穏平は明継に封印された化け物をベースとしていないため、その力に耐性もなければ馴染みもない。そんな彼にとって、その強大な力を完全に制圧するというのには無理があった。
嗣己の髪色は黒から白へ、白から黒へとその制圧具合が一目でわかるほどに揺れ動いた。
その戦いを最前列で眺める大紀は不安げに顔を歪める。瞳には、今にも零れ落ちそうなほどの涙が溜まり、月明かりに反射した。
嗣己の冷たい瞳が大紀を覗き込む。
彼の口元が不敵な笑みを作ると、その恐怖心を取り込んだ。
髪が一瞬で黒へと染まる。
大紀はその瞬間、穏平と言う後ろ盾を無くしたのだと本能で感じて背筋を凍らせた。
いつもならどんな能力も一瞬で無効化する大紀だが、嗣己の中で渦巻く漆黒の闇を吸い取るのには時間を要した。それもそのはず、黒い霧は浄化されるどころか大紀が触れている皮膚からゆっくりと浸食を始めているのだ。
「先生……先生がいないと……」
大紀の心が揺れ動けば動くほど能力は弱まり、黒い霧の浸食は早まった。異常な量ともいえる力が大紀の体に流れ込む。
高い身体能力をもつ大紀と言えども、その体はまだ発達途中の子供のものにすぎない。
その強大な力は大紀の体に大きな負担を強いた。
「あ……ぅ……」
ねじ込まれるような激しい痛みに大紀の目から涙が零れた。体の防衛本能が嗣己の胸から腕を離そうと身を引いて縮こまる。
その様子を見つめていた嗣己が、真っ赤に染まる口を耳まで裂いて嘲笑った。
「面白い力を持っているじゃないか」
ゆっくりと体を起こした嗣己が大紀の体に手を伸ばす。
「お前を取り込めば、どんな力が手に入るんだろうな?」
大紀は自分の身に迫る恐怖に震え、零れてくる大粒の涙を止められなかった。
嗣己の細く長い指が体に迫る間、大紀は目をつぶって感情を吐き出した。
「もう嫌だ! 僕にはできない! 僕には何もない! 僕なんか……!」
「大紀」
低く落ち着いたその声は、大紀の言葉を遮るように力強く響いた。
我に返って目を開いた大紀の頭に触れたのは優しく、包み込むような温かさのある手だ。
「お前は……できる。強く、念じろ」
その言葉は間違いなく嗣己の口から放たれている。
しかし大紀はその表情に穏平を見た。
やわらかな髪を撫でた嗣己の手が、震える腕を優しく掴んで引き寄せる。
「や……すひら先生?」
そのまま嗣己に抱きしめられた大紀は恐怖よりもその温かさに安らぎを感じていた。
悪魔のように見えていた嗣己の唇が、今度は優しく弧を描く。
「俺はいつだってお前の傍にいる」
「先生……」
穏平に抱きしめられて泣きじゃくったあの日の感情が胸に迫ると、大紀の脳裏に春瑠、清光、元晴と過ごした日々が走馬灯のように駆け巡った。
大紀の瞳に赤い炎が揺らめく。
涙を振り切った大紀の腕に、今までに無いほど白く強い光が輝いた。
「うわああああああああっ!」
その叫びに呼応するように、光が全身に行き渡る。それは嗣己の体までをも包み込み、浸食を進めていた黒い霧は逃げるように散った。
穏平の隣で待機していた大紀が、その力の大きさに体を震わせた。無意識に穏平の服の裾を握りしめた大紀に、穏平は何も言わずに一歩下がらせてかばうように腕を伸ばした。
「ううう……!」
鋭い痛みに前屈させていた嗣己の背が勢いよく反り返ると、胸から浸食を始めた黒い霧は一瞬で全身を漆黒に染め上げた。
嗣己が叫びともとれる咆哮を上げた瞬間、アルモナは警戒するように長剣を構える。同時に突き出した手のひらから硬化させた黒い霧を放つが、嗣己は空間移動を使用してアルモナの目前に現れた。
咄嗟に防御の姿勢をとったアルモナと嗣己の力がぶつかり合い、衝撃が円形に広がる。
その戦いを見つめていた者全ての体を揺さぶった。
春瑠の結界が揺らめくと、クグイの顔に苛立ちが浮かぶ。
「春瑠、集中しろ! キミの結界はこの程度で崩れるものじゃない」
「はい……!」
その間も黒い霧を纏った2人は何度かの攻防を重ね、衝撃に弾かれたアルモナが先に体勢を崩した。よろめく彼女の背後に現れた嗣己がアルモナの腹を手で貫くが、その体が崩れ落ちることはなかった。
腹から突き出た嗣己の腕を両手で掴んだアルモナが頭を振り上げ、顔面に頭突きを食らわせる。隙をついて腕を引き抜き距離を取ると、あっという間にその傷口を霧が塞いだ。
「とんでもねぇ戦い方だな」
穏平が固唾を飲み込むと緋咲の眉間にも皺が寄る。
「クソ! 早く、早く、早く……!」
苛立ちを吐き出すように口の中で呟き続ける緋咲はアルモナの体を目で追い続けた。
黒い霧を纏う漆黒の姿は外見こそアルモナだが、その中には明継の体と精神が閉じ込められている。彼女の体が砕かれるたびに緋咲は焦りを感じていた。
握った短剣が手の中で強く締め付けられていく。
「おわ、りか?」
アルモナが後ずさるのを見て呟いた嗣己は、引け腰の彼女に一瞬で迫り、その首を片手で掴み上げた。暴れるアルモナを物ともせずに、嗣己の体はぶれることなく彼女の顔をじっと見つめる。
アルモナの抵抗が弱まり始めると、彼女の胸から黒い結晶が姿を現した。
嗣己の黄金の瞳がその結晶を前にして宝石のように煌めく。
「ほう……? 良いものを……持っている、な」
目を細め、ゆっくりと手を伸ばす。
緋咲が胸のざわつきを感じて咄嗟に口を開いた。
「嗣己! アンタ、明継を殺す気!?」
青筋を立てた緋咲が叫ぶと、嗣己がゆっくりと首を回して緋咲を見つめた。
「ア、キツグ……?」
「バカでかい力取り込んで脳みそまでイってんの!? アンタの大好きな明継でしょうが!」
「アキ、ツグ……」
呟いた途端、嗣己の手から力が抜ける。
解放されたアルモナの胸に、結晶が再び吸収された。
彼女は何度か咳き込みながらも立ち上がり、浅い呼吸で嗣己を睨みつけた。
「うああああっ!」
叫びと共にアルモナの体から黒い霧が放たれた。それはまるで散弾銃のように嗣己の体に無数の穴を開ける。
膝をついて血を吐く嗣己に、顔を歪めた穏平が吠えた。
「クグイ、まだか!」
「キミはいつもうるさいなぁ!」
穏平が振り返れば、瞳に青い炎を宿したクグイが立っていた。
「失敗したら殺す! 早く行け!」
「よし来た!」
穏平は引きつった笑みで嗣己に向かって突進した。
再び意識を乗っ取られ始めた嗣己が本能のままに腕を振り上げる。
すると穏平は地面に吸い込まれるようにその場から消えた。
嗣己の腕が空を切り、居場所を探って首を回す。
次に変化が起きたのは嗣己の足元だった。
地面に亀裂が入るとそれを砕いて穏平の手が飛び出し、足を掴み、振りほどく暇も与えず穏平の”融合”が始まった。
嗣己の黒髪を白髪へと染め始める。
「ううううう!」
体の中で蠢くものを追い出そうと、嗣己は体をかきむしり、唸り声を上げる。しかしその髪の色が完全に白く染まるまでにそれほど時間はかからなかった。
「だい、き!」
嗣己の口を使って穏平が呼ぶとそれを合図に大紀が身を当てて、転げた先で馬乗りになった。
融合を果たした穏平はアルモナから嗣己を引きはがしたことにひとまず安堵したが、彼の役目はここで終わりではない。抵抗する嗣己を抑え、大紀の能力が発揮できるようにサポートしなければならない。
穏平の融合という能力は、物体を合わせたり切り離したりできる。その応用として今回のように自らがターゲットの体に入り込んで一体化し、その意識を乗っ取るという手法も取れる。
しかし今回の場合、嗣己の意識は体を渦巻く闇の力に取り込まれつつあるため、穏平が抑え込むのはどちらかと言えばその闇本体となる。
だが、研究初期に力を付与された世代の穏平は明継に封印された化け物をベースとしていないため、その力に耐性もなければ馴染みもない。そんな彼にとって、その強大な力を完全に制圧するというのには無理があった。
嗣己の髪色は黒から白へ、白から黒へとその制圧具合が一目でわかるほどに揺れ動いた。
その戦いを最前列で眺める大紀は不安げに顔を歪める。瞳には、今にも零れ落ちそうなほどの涙が溜まり、月明かりに反射した。
嗣己の冷たい瞳が大紀を覗き込む。
彼の口元が不敵な笑みを作ると、その恐怖心を取り込んだ。
髪が一瞬で黒へと染まる。
大紀はその瞬間、穏平と言う後ろ盾を無くしたのだと本能で感じて背筋を凍らせた。
いつもならどんな能力も一瞬で無効化する大紀だが、嗣己の中で渦巻く漆黒の闇を吸い取るのには時間を要した。それもそのはず、黒い霧は浄化されるどころか大紀が触れている皮膚からゆっくりと浸食を始めているのだ。
「先生……先生がいないと……」
大紀の心が揺れ動けば動くほど能力は弱まり、黒い霧の浸食は早まった。異常な量ともいえる力が大紀の体に流れ込む。
高い身体能力をもつ大紀と言えども、その体はまだ発達途中の子供のものにすぎない。
その強大な力は大紀の体に大きな負担を強いた。
「あ……ぅ……」
ねじ込まれるような激しい痛みに大紀の目から涙が零れた。体の防衛本能が嗣己の胸から腕を離そうと身を引いて縮こまる。
その様子を見つめていた嗣己が、真っ赤に染まる口を耳まで裂いて嘲笑った。
「面白い力を持っているじゃないか」
ゆっくりと体を起こした嗣己が大紀の体に手を伸ばす。
「お前を取り込めば、どんな力が手に入るんだろうな?」
大紀は自分の身に迫る恐怖に震え、零れてくる大粒の涙を止められなかった。
嗣己の細く長い指が体に迫る間、大紀は目をつぶって感情を吐き出した。
「もう嫌だ! 僕にはできない! 僕には何もない! 僕なんか……!」
「大紀」
低く落ち着いたその声は、大紀の言葉を遮るように力強く響いた。
我に返って目を開いた大紀の頭に触れたのは優しく、包み込むような温かさのある手だ。
「お前は……できる。強く、念じろ」
その言葉は間違いなく嗣己の口から放たれている。
しかし大紀はその表情に穏平を見た。
やわらかな髪を撫でた嗣己の手が、震える腕を優しく掴んで引き寄せる。
「や……すひら先生?」
そのまま嗣己に抱きしめられた大紀は恐怖よりもその温かさに安らぎを感じていた。
悪魔のように見えていた嗣己の唇が、今度は優しく弧を描く。
「俺はいつだってお前の傍にいる」
「先生……」
穏平に抱きしめられて泣きじゃくったあの日の感情が胸に迫ると、大紀の脳裏に春瑠、清光、元晴と過ごした日々が走馬灯のように駆け巡った。
大紀の瞳に赤い炎が揺らめく。
涙を振り切った大紀の腕に、今までに無いほど白く強い光が輝いた。
「うわああああああああっ!」
その叫びに呼応するように、光が全身に行き渡る。それは嗣己の体までをも包み込み、浸食を進めていた黒い霧は逃げるように散った。