月明かりだけが辺りを照らす頃。
霞月の屋敷の中で静かな寝息を立てていた元晴と清光の瞳が唐突に開いた。
2人は瞳に光を宿すことなく布団から抜け出すと、足早に部屋を出た。
彼らが向かった先は明継の家だ。
「明継」
清光が玄関扉の前で名前を呼ぶと、机に向かっていた明継が筆をおいて玄関へ駆けつけた。
「こんな時間にどうした? 何かあったのか?」
何事かと扉を開いた明継は2人を見て表情を曇らせた。清光も元晴も、ぼんやりとした視線を明継に向けたままぴくりとも動かない。
「お前ら、もしかして……」
明継は身構えたが、元晴の深紅の瞳が黄金に塗り替わると、だらんと腕を垂らして空虚を見つめた。
3人の影は霞月の門に向かった。
何かに操られるかのように歩き続ける3人に、門の見張りが声をかけようとしたが、口を開く前に清光の影が彼らを肉塊へと変えた。
霞月の門をくぐり、森の中へ消えていく。
その先には
「ご苦労様」
純白のドレスを身にまとった女が口元を喜びに染めて待ちわびていた。
緋咲がクグイの資料から見つけたal-mona――”アルモナ”とは彼女の事だ。
アルモナは明継を抱きしめるとその唇に優しくキスを落とした。
「私の大切な人。ようやく取り返すことができた」
瞳をくすませたまま立ち尽くす清光と元晴に視線を向けると
「お前たちも、よくやりました」
と、言って笑顔を見せた。
どこからともなく現れた大量の蝶々が四人を包み込むように舞う。それが次第に散り、姿を消すと、四人の姿も消えた。
◇
任務を終えて霞月に戻った緋咲は見張りがいない事に気が付き、胸がざわついた。
足が勝手に道を急ぐ。
真っ直ぐに明継の家へ向かった緋咲は、あけ放たれたままの玄関を潜り抜け、先ほどまで人が存在したことを物語る書類の山と未処理の硯を見つけた。
緋咲の眉間に深い皺が刻まれる。
◇
それから数十分後、嗣己が任務を終えて霞月の門をくぐった。
里に入るや否や、緋咲の声が脳内に響く。
(やっと帰って来た! 早く医務室に来て!)
「……うるさい女だ」
鳴り響く緋咲の声に顔を歪めながら屋敷へ向かうと、嗣己も緋咲と同じ違和感を感じて歩く速度を早めた。
嗣己が医務室へ到着すると、気が付いたクグイが呆れた表情で緋咲に視線を向けた。
「ここは会議室でもたまり場でもないんだけど?」
「そんなこと言ったって、穏平先生がいつも医務室に入り浸っているんですもの。そこに嗣己を呼べば早いじゃないですか」
クグイのもの言いたげな視線に穏平が苦笑したが、嗣己はその会話を断ち切るように口を開いた。
「明継がいない」
珍しく焦燥感をにじませた嗣己の声に、緋咲が表情を引き締めて視線を向ける。
「清光と元晴もいなくなってる」
嗣己がクグイに視線をやると、
「恐らく緋咲くんが対峙した女の化け物だ。双子はその力に共鳴して連れ去る手助けをしたみたい」
そう言ってクグイが表情を曇らせた。
嗣己は自分を落ち着かせるように目を瞑る。
「そうか……。あの時、女を始末しなかった俺に非がある」
重苦しい空気を打ち消すように、穏平が「それよりも」と、声を上げた。
「相手はそれなりの力を持った化け物だろ? 感知は無理なのか?」
その問いかけに、緋咲と視線を合わせた嗣己が首を振った。
「探るには力が弱すぎる。外に出られたとなると雑音も多くてはっきりとは突き止められない」
「明継の中身が現れるまで居場所は分からないって事か」
「だけど、その瞬間が来るのはそう遠くない」
落胆した穏平に、クグイが確信をもって付け加える。
「そうだな。いつでも出られるように春瑠と大紀にも声をかけておけ」
嗣己が緋咲に指示を出す。
しかし、緋咲の足は扉へは向かず、三人に向いたままだ。
「ひとつ、聞いておきたいんですけど」
動こうとしない緋咲を見つめる三人の視線に、少し躊躇いつつも続けた。
「このリスクを承知の上で、どうして中身を取り出しておかなかったんですか?」
「実験は少しずつ進めていたよ。力の分離も近いうちに考えていた」
彼女の質問が想定内だと言わんばかりにクグイが即答し、穏平が補足するように口を開く。
「春瑠からお前に渡した薬品がその証拠だ」
緋咲の脳裏に小さな瓶が思い浮かんだ。
「力の分離も、ようやくこいつの承諾を貰ったところだったんだが」
穏平が口の端を上げて嗣己を見た。
「……分離を渋ってたのって、あなただったの?」
目を泳がせた嗣己を面白そうに見つめていた穏平が
「なんで渋ってたのか、緋咲にも教えてやれよ」
と言うと、嗣己は
「それは言わなくてもいいだろう」
と渋った。
「ここまで聞いてお預けじゃ緋咲も気持ち悪いだろ?」
「それに、緋咲くんには短刀を預けてる。もう共有してもいいんじゃない?」
いつもは仲たがいしているくせに、こういう時だけは息を合わせて畳みかけてくる。
と、嗣己は二人を恨めしそうに見つめながら、しぶしぶ口を開いた。
「力を奪えば明継は死ぬ」
「死……ぬ? 体に負担がかかるとは聞いたけど」
「力を吸われた春瑠が疲弊した姿を見せていたように、能力者のエネルギーである力を引きはがせば死に至る」
「明継くんは僕らと違って化け物がそのまま入れられているわけだし、回復力も異常だからね。キミに説明した時は剥がしてみないとわからない、という意味で言ったんだ」
緋咲の動揺を見たクグイが補足する。
「明継くんは十何年も血肉を分けて腹の中で化け物を育ててきたんだ。たとえ死ななくても後遺症は残るだろうね。普通の人間としては生きていけないかもしれない」
「なによそれ……聞いてない」
「未熟なキミにこんな事を言ったら何をしだすかわからないでしょ?」
怒りを含んだ緋咲の声にクグイが呆れたように言葉を返す。
「まぁ落ち着け。クグイは口下手なだけで、本心はお前に負担をかけたくなかっただけだ」
咄嗟に緋咲をなだめる穏平に、クグイは不本意だといいたげに視線を送った。
緋咲もその説得で納得がいったわけでは無かった。
しかし今、優先すべきは明継の身の安全だ。
緋咲は再び3人に向き直る。
「でも、今まで体の主導権を握っていたのが明継なら、今回も表出化を抑えられるんじゃないんですか?」
その問いに穏平の表情が曇る。
「それはどうだろうな。お前が出した報告でいけば、アルモナ……と言ったか。彼女は明継の中身を心底愛しているように思える。万が一、分離が叶わなかった時にその愛情が暴走に変わるかもしれん」
「そんなめんどくさいやつ霞月に置いておきたくないし。僕は……というより霞月は元々明継くんの中に封じ込められた化け物の力が目当てだからね。サッサと回収したかったんだけど」
クグイと穏平の視線が嗣己に集まる。
嗣己は眉間にしわを寄せて顔を背けたが、緋咲は躊躇うことなく疑問を投げかけた。
「そんなに……明継を失いたくなかったの?」
嗣己が視線をさまよわせると、緋咲に焦りのような感情が湧いた。
それを知ってか知らずか嗣己が歯切れ悪く答える。
「……俺はアイツの事と霞月の事情を天秤に駆けて判断しているつもりだ」
緋咲は答えを求めるように穏平に視線を送ったが、彼は肩をすくめるだけだった。
「それで、今後はどうする?」
空気を変えるように穏平が切り出した。
「彼が彼のまま戻る可能性は限りなく低い。力に支配されて現れるか、アルモナに取り込まれて現れるかのどちらかだね」
クグイの推測に穏平と嗣己が意見を交わす。
「つまり、力でねじ伏せるか……明継の意志を呼び起こす鍵を見つけ出すか……」
「中身が中身だ。力でねじ伏せるのは現実的ではないな」
そしてクグイが結論付けた。
「じゃあ、可能性があるのは後者だ」
三人の視線が一点に集まる。
その視線の先には瞳を瞬かせている緋咲がいた。
「私……?」
霞月の屋敷の中で静かな寝息を立てていた元晴と清光の瞳が唐突に開いた。
2人は瞳に光を宿すことなく布団から抜け出すと、足早に部屋を出た。
彼らが向かった先は明継の家だ。
「明継」
清光が玄関扉の前で名前を呼ぶと、机に向かっていた明継が筆をおいて玄関へ駆けつけた。
「こんな時間にどうした? 何かあったのか?」
何事かと扉を開いた明継は2人を見て表情を曇らせた。清光も元晴も、ぼんやりとした視線を明継に向けたままぴくりとも動かない。
「お前ら、もしかして……」
明継は身構えたが、元晴の深紅の瞳が黄金に塗り替わると、だらんと腕を垂らして空虚を見つめた。
3人の影は霞月の門に向かった。
何かに操られるかのように歩き続ける3人に、門の見張りが声をかけようとしたが、口を開く前に清光の影が彼らを肉塊へと変えた。
霞月の門をくぐり、森の中へ消えていく。
その先には
「ご苦労様」
純白のドレスを身にまとった女が口元を喜びに染めて待ちわびていた。
緋咲がクグイの資料から見つけたal-mona――”アルモナ”とは彼女の事だ。
アルモナは明継を抱きしめるとその唇に優しくキスを落とした。
「私の大切な人。ようやく取り返すことができた」
瞳をくすませたまま立ち尽くす清光と元晴に視線を向けると
「お前たちも、よくやりました」
と、言って笑顔を見せた。
どこからともなく現れた大量の蝶々が四人を包み込むように舞う。それが次第に散り、姿を消すと、四人の姿も消えた。
◇
任務を終えて霞月に戻った緋咲は見張りがいない事に気が付き、胸がざわついた。
足が勝手に道を急ぐ。
真っ直ぐに明継の家へ向かった緋咲は、あけ放たれたままの玄関を潜り抜け、先ほどまで人が存在したことを物語る書類の山と未処理の硯を見つけた。
緋咲の眉間に深い皺が刻まれる。
◇
それから数十分後、嗣己が任務を終えて霞月の門をくぐった。
里に入るや否や、緋咲の声が脳内に響く。
(やっと帰って来た! 早く医務室に来て!)
「……うるさい女だ」
鳴り響く緋咲の声に顔を歪めながら屋敷へ向かうと、嗣己も緋咲と同じ違和感を感じて歩く速度を早めた。
嗣己が医務室へ到着すると、気が付いたクグイが呆れた表情で緋咲に視線を向けた。
「ここは会議室でもたまり場でもないんだけど?」
「そんなこと言ったって、穏平先生がいつも医務室に入り浸っているんですもの。そこに嗣己を呼べば早いじゃないですか」
クグイのもの言いたげな視線に穏平が苦笑したが、嗣己はその会話を断ち切るように口を開いた。
「明継がいない」
珍しく焦燥感をにじませた嗣己の声に、緋咲が表情を引き締めて視線を向ける。
「清光と元晴もいなくなってる」
嗣己がクグイに視線をやると、
「恐らく緋咲くんが対峙した女の化け物だ。双子はその力に共鳴して連れ去る手助けをしたみたい」
そう言ってクグイが表情を曇らせた。
嗣己は自分を落ち着かせるように目を瞑る。
「そうか……。あの時、女を始末しなかった俺に非がある」
重苦しい空気を打ち消すように、穏平が「それよりも」と、声を上げた。
「相手はそれなりの力を持った化け物だろ? 感知は無理なのか?」
その問いかけに、緋咲と視線を合わせた嗣己が首を振った。
「探るには力が弱すぎる。外に出られたとなると雑音も多くてはっきりとは突き止められない」
「明継の中身が現れるまで居場所は分からないって事か」
「だけど、その瞬間が来るのはそう遠くない」
落胆した穏平に、クグイが確信をもって付け加える。
「そうだな。いつでも出られるように春瑠と大紀にも声をかけておけ」
嗣己が緋咲に指示を出す。
しかし、緋咲の足は扉へは向かず、三人に向いたままだ。
「ひとつ、聞いておきたいんですけど」
動こうとしない緋咲を見つめる三人の視線に、少し躊躇いつつも続けた。
「このリスクを承知の上で、どうして中身を取り出しておかなかったんですか?」
「実験は少しずつ進めていたよ。力の分離も近いうちに考えていた」
彼女の質問が想定内だと言わんばかりにクグイが即答し、穏平が補足するように口を開く。
「春瑠からお前に渡した薬品がその証拠だ」
緋咲の脳裏に小さな瓶が思い浮かんだ。
「力の分離も、ようやくこいつの承諾を貰ったところだったんだが」
穏平が口の端を上げて嗣己を見た。
「……分離を渋ってたのって、あなただったの?」
目を泳がせた嗣己を面白そうに見つめていた穏平が
「なんで渋ってたのか、緋咲にも教えてやれよ」
と言うと、嗣己は
「それは言わなくてもいいだろう」
と渋った。
「ここまで聞いてお預けじゃ緋咲も気持ち悪いだろ?」
「それに、緋咲くんには短刀を預けてる。もう共有してもいいんじゃない?」
いつもは仲たがいしているくせに、こういう時だけは息を合わせて畳みかけてくる。
と、嗣己は二人を恨めしそうに見つめながら、しぶしぶ口を開いた。
「力を奪えば明継は死ぬ」
「死……ぬ? 体に負担がかかるとは聞いたけど」
「力を吸われた春瑠が疲弊した姿を見せていたように、能力者のエネルギーである力を引きはがせば死に至る」
「明継くんは僕らと違って化け物がそのまま入れられているわけだし、回復力も異常だからね。キミに説明した時は剥がしてみないとわからない、という意味で言ったんだ」
緋咲の動揺を見たクグイが補足する。
「明継くんは十何年も血肉を分けて腹の中で化け物を育ててきたんだ。たとえ死ななくても後遺症は残るだろうね。普通の人間としては生きていけないかもしれない」
「なによそれ……聞いてない」
「未熟なキミにこんな事を言ったら何をしだすかわからないでしょ?」
怒りを含んだ緋咲の声にクグイが呆れたように言葉を返す。
「まぁ落ち着け。クグイは口下手なだけで、本心はお前に負担をかけたくなかっただけだ」
咄嗟に緋咲をなだめる穏平に、クグイは不本意だといいたげに視線を送った。
緋咲もその説得で納得がいったわけでは無かった。
しかし今、優先すべきは明継の身の安全だ。
緋咲は再び3人に向き直る。
「でも、今まで体の主導権を握っていたのが明継なら、今回も表出化を抑えられるんじゃないんですか?」
その問いに穏平の表情が曇る。
「それはどうだろうな。お前が出した報告でいけば、アルモナ……と言ったか。彼女は明継の中身を心底愛しているように思える。万が一、分離が叶わなかった時にその愛情が暴走に変わるかもしれん」
「そんなめんどくさいやつ霞月に置いておきたくないし。僕は……というより霞月は元々明継くんの中に封じ込められた化け物の力が目当てだからね。サッサと回収したかったんだけど」
クグイと穏平の視線が嗣己に集まる。
嗣己は眉間にしわを寄せて顔を背けたが、緋咲は躊躇うことなく疑問を投げかけた。
「そんなに……明継を失いたくなかったの?」
嗣己が視線をさまよわせると、緋咲に焦りのような感情が湧いた。
それを知ってか知らずか嗣己が歯切れ悪く答える。
「……俺はアイツの事と霞月の事情を天秤に駆けて判断しているつもりだ」
緋咲は答えを求めるように穏平に視線を送ったが、彼は肩をすくめるだけだった。
「それで、今後はどうする?」
空気を変えるように穏平が切り出した。
「彼が彼のまま戻る可能性は限りなく低い。力に支配されて現れるか、アルモナに取り込まれて現れるかのどちらかだね」
クグイの推測に穏平と嗣己が意見を交わす。
「つまり、力でねじ伏せるか……明継の意志を呼び起こす鍵を見つけ出すか……」
「中身が中身だ。力でねじ伏せるのは現実的ではないな」
そしてクグイが結論付けた。
「じゃあ、可能性があるのは後者だ」
三人の視線が一点に集まる。
その視線の先には瞳を瞬かせている緋咲がいた。
「私……?」