ひと月の間に霞月の能力者が何人も行方不明になっている。
報告によれば、子供くらいの背丈の虫に体液を吸いだされ干からびるように死ぬのだという。
この情報は能力者に同行していた無能力者が自力で里に戻った際に証言したものだ。それは同時に、能力者のみを襲うという事実を明らかにした。
嗣己・明継・緋咲はその調査をするべく現場に向かった。
「能力者が次々とやられるなんてどんな相手なんだ?」
調査地点へ向かう途中、明継が嗣己に問いかけた。
「霞月の能力者もピンキリだ。強い力を持つ者を調査や化け物処理に回す分、使いに出るような奴らは最低限の力しか持たない。襲撃でもされればひとたまりもないさ」
「能力者の力を吸って生きているのかしら」
二峯村の一件を思い出して緋咲が呟く。
「なんで化け物は能力者の力を吸うんだよ?」
腑に落ちない様子で言う明継の視線を感じて嗣己が笑った。
「お前だって肉の分際で肉を食うだろう?」
「誰が肉じゃい!」
明継の抗議を鼻で笑う嗣己が、
「それにしても被害者が多すぎる。よほど虫の数が多いか――」
そこまで言ったところで、明継は空気の滞りを感じた。
ズン、と重い空気が一瞬体にのしかかるような、空気の境を通ったような、そんな感覚だ。
「おい、今変な感じ……」
明継は二人に話しかけようと口を開いたが、両者の姿が消えていることに気が付き足を止めた。
「え…………?」
微かだが、その感覚は嗣己と緋咲の体でも感じ取れていた。
「何かいるのか?」
周囲を警戒しながら嗣己が緋咲に問いかける。
「感知したのはほんの一瞬。もう消えてる」
嗣己が舌打ちをして明継がいたはずの場所を見つめた。
「明継を感知することはできるのか?」
「難しいわね」
「あいつがいつも垂れ流している雑音も聞こえんな。何かに連れていかれたか」
二人は周囲を見回した。深夜の森は静まり返り、漆黒に染まっている。
「気づいているか?」
「ええ。さっき感知した力とは違う。こいつら、一つ一つの力は小さいけれど数が多い」
緋咲がそう言うと、闇の中にずらりと樺色の光が浮き上がった。それは地上だけでなく上空からも二人を見つめている。
「明継はこいつらの仲間……或いはボスに連れていかれた可能性があるな」
嗣己の言葉を聞いて頷いた緋咲がクナイを構えたと同時に、上空に浮いていた光が一斉に羽ばたく。
鮮やかな樺色の羽がいくつも折り重なった様は大きな怪物のようだ。
印を結んだ嗣己がそれ目掛けて炎を吹きかけると、焼け焦げた表面がボロボロと地面に落ちた。地面にたたきつけられたものを確認すると、背中に蝶の羽をつけた小柄な人間のようだ。
再び上昇していく塊を目で追う嗣己の耳に緋咲の悲鳴が届く。
「ギャー!!」
嫌悪感で半べそをかいている緋咲の足には縞模様のついた巨大な幼虫が貼り付いていた。子供の胴回りほどもある体を這わせて登ってくる様に顔を真っ青にしながらクナイで取り払うと、その切り口から出た液体が散って緋咲の服を溶かし始めた。
「その調子じゃお前の体が溶けて終わるぞ」
「そんなこと言われたって!」
「お前、まだ印も結べんのか?無能の弟子は無能だな」
「穏平先生は無能じゃありません!」
抗議する緋咲に歩み寄った嗣己が、張り付いた虫を足で蹴とばし引きはがす。
片手で印を結んで地面に手をつくと、鋭く尖った木の幹が虫目掛けて大量に飛び出した。
串刺しになった虫がぼとぼとと転がり落ちる。
上空で様子を伺っていた虫たちが一斉に飛び去った。
◇
そのころ、明継はどうすればいいのかわからず森の中を歩いていた。
と言うのも、彼は緋咲ほど鋭い感知力がなく、精神感応も上手くない。
戦闘能力には長けているが、探し物をするのには全く向いていないのだ。
それなのに、明継の足は何かに引き寄せられるように勝手歩を進めた。
自分の足がどうしてこちらへ向くのか理由はわからなかったが、たどり着いた先に広がる鮮やかな花畑が目に入ると感嘆の息を漏らした。
「きれいだな……」
広がる花々には風船状の実が付いており、ぼんやりと光る姿は幻想的だ。
引き寄せられるように歩いていくと、先端を結びつけられた背の高い草がある事に気が付いた。
その中は子供一人が入れる程度の空間があり、覗き込めば細い足が見える。小さな寝息を立てている少女かとも思ったが、背中に視線を移すとそこには薄い羽がついている。
「蝶々……?」
呟くと、少女の目が開いた。
明継は驚いて身を引くが、相手はぐっと身を乗り出して不思議そうに視線を向けてくる。
口を動かす仕草でしゃべりかけられているのは明継も理解したが、その声は聞こえない。
少女の口元に気を取られていると、突然腕に痛みが走った。視線を向ければ、少女の鋭い爪が明継の腕の中へ食い込んでいる。
痛みに顔を歪めた明継の目の前で少女は舌を伸ばし、それを蝶々の吸収管のように変形させた。
とびかかるように押し倒すと腕の傷口に吸収管をねじ込み、痛みで暴れる明継を少女とは思えぬ腕力でねじ伏せた。
腕の中身を吸い上げられるような異様な感覚に体を震わせていると、腕がみるみるうちに水分や組織を失いミイラのように枯れていく。
「うわああああ!」
明継が悲鳴を上げると、同じような個体が何匹も現れてわらわらと群がった。彼女らは皮膚を傷付け、吸収管をねじ込む。
「いやだ!やめろ!」
起き上がることも許されない明継の顔は恐怖で引きつった。
このままでは死ぬ。
その言葉が頭の中を駆け巡った瞬間、体の奥から黒いものが湧き上がるのを久しぶりに感じた。
「早く!」
明継はその力に向けて怒りにも似た声を上げていた。
明継の意思で引きずり出された黒い霧が一瞬で全身にいきわたる。その衝撃は爆風となって円形の衝撃波を生み出し、虫たちを一気に弾き飛ばした。
明継に害をなすものがなくなったのを確認したように黒い霧は徐々に引き、明継の体を元に戻した。
◇
「明継が力を使ってる!」
感知と同時に緋咲が走る。
いくつかの林を越え、その先に見えたのはどこまでも広がる草原だった。
一瞬で消えた爆発的な明継の力を探るように緋咲がその中に入ると、何かに足を取られてバランスを崩した。
嗣己がその体を支えて元に戻すと、その原因となった物を見つめた。
「こんなところで死んでいたのか」
そこにあったのは干からびた人間だ。身に着けている衣類には霞月の印が入っている。
周囲を見回せばそんなものがゴロゴロと転がっていた。
「あいつもここで襲われて力を使ったんだろうな」
嗣己の言葉に、もう一度緋咲が意識を集中させる。
「明継が近くにいる……いるはずなのに姿が見えない」
「ふむ……時空が違う……かもな」
嗣己は眉間にしわを寄せた。
明継を隔離したという事は、体の中にある力を取り上げようとしているか、連れ帰ろうとしている可能性がある。
「本体を締めあげるのが一番早いだろう。化け物の位置は分かるか?」
「薄い膜が張っているような感覚があって正確じゃないけど……このレベルなら多分行けるわ」
「お前、思っていたより使えるな」
感心したように言う嗣己に、緋咲は顔を歪めて返した。
「じゃあ、穏平先生への悪口は撤回してくれる?」
嗣己と緋咲がたどり着いたのは巨大な石を切り出した遺跡だった。元々神殿として使用されていたここは、いつしかその使命を全うし、苔むして遺跡となった。
それでもなお、暗闇に通じる入口は人を寄せ付けない強い圧力を持っている。
「どうやって明継を見つけるの?」
緋咲が聞くと、彼女の腕を嗣己が掴んだ。
「空間移動の応用だ。ここにいることが分かっているならそいつと周波数を合わせればいい」
ズン、と重力に押されるような感覚を受けると嗣己の手が離れた。
「これで……?」
「ああ。明継と化け物の気配も強くなった」
緋咲が表情を引き締めて踏み出す。しかしその目の前に現れたのは見覚えのある虫たちだ。
先ほどとは比にならない数の幼虫が遺跡の隙間からわらわらと這い出し、成虫が空を黒く染める。
「中に入るには害虫駆除が必要みたいだな」
「げぇ、また虫」
青ざめた緋咲の顔色を見て、嗣己が呆れて首を振った。
「お前は中に入って本体を叩け」
「え、でも」
「こいつら相手にお前は足手まといだ。かと言って二人で入れば雑魚が中まで押し寄せる。よってお前が一人で中に入れ」
「中に何がいるのかも分からないのに!?」
「安心しろ。亡骸は拾ってやる」
緋咲はまだ訴え続けていたが、嗣己は構わず体に触れて遺跡の中に緋咲を転送した。
「帰ったら穏平にクレームを入れんとな」