朝早く、緋咲(ひさき)の家を訪れたのは春瑠(はる)だった。

「緋咲さん」

 いつも通り声をかけるが、返事はない。
 出かけているのかと視線を彷徨わせると、扉が薄らと開いているのに気が付いて手をかけた。

「緋咲さんにしては不用心ね……?」

 あっさりと空いてしまった扉を不思議に思いながら中を覗きこむと、布団はまだ膨らんでいる。

「緋咲さん?」

 もう一度声をかけるが、緋咲は起きる様子を見せない。
 春瑠はついつい、いたずら心をくすぐられてしまった。


 布団へ歩み寄り、思わずにやける口元を手で押さえた。
 掛け布団を薄く開いて緋咲の体の向きを確かめる。
 抱きついて驚かせようと、布団にもぐりこんだ瞬間

「え!?」

 急に伸びてきた腕に捕まって春瑠が動揺の声を上げた。

清光(きよみつ)……? もう少し寝かせろ」

 そのまま抱きしめられて、春瑠は叫んだ。



「春瑠!?」

 緋咲が部屋に飛び込むと、目に涙をためた春瑠が飛びついた。
 布団の上に座り込んだ寝起きの元晴(もとはる)は、叩かれた頬を撫でながら不機嫌さを露わにしている。

「こいつが俺の布団の中に入って来たんだ」

 状況を飲み込めていない緋咲の視線に元晴が答えると、緋咲にしがみついた春瑠がキッと睨みつけて叫んだ。

「緋咲さんがいると思ったんだもん!」

「普段から緋咲の布団に忍び込んでんのか?」

「そ、そんなわけないでしょ!」

 顔を顰めて言う元晴に春瑠は動揺しながらも、先ほど自分がされた事を思い出して反論した。

「アンタだって清光って子とギューして二度寝してるんでしょ!」

「あぁ!? 違ぇよ!」

 図星をつかれたように語気を強めて否定する元晴に顔を突き合わせた春瑠が

「動揺してるじゃん!」

 と言うと、元晴も負けじと

「お前こそ!」

 と応戦した。

「二人とも落ち着いて」

 呆れたように緋咲が仲裁に入る。

「春瑠。この子は昨日の任務で連れて帰った子よ。元晴っていうの」

「なんで緋咲さんの家にいるんですか! 私はダメだったのに!」

「春瑠は連れ帰ることが分かっていたから事前に部屋が用意してあったの」

 春瑠をなだめつつ、元晴に視線を向ける。

「元晴。この子は春瑠よ。大紀(だいき)から聞いてるでしょ? 彼と同じ村で暮らしていた子」

「春瑠? お前が大紀の……」

 元晴の訝しげな視線に春瑠がまたむくれる。
 そこに入って来たのは緋咲の後ろで様子を窺っていた清光だ。

「春瑠さん。元晴が失礼をしたのなら謝ります」

「被害者は俺だぞ」

 駆け寄って謝罪を口にした清光に元晴が眉間にしわを寄せて抗議するが、清光はそれに構うことなく元晴を押しつぶすように無理やり頭を下げさせた。

「こいつ、ツンケンしてるけど本当は世話焼きで優しいヤツなんです。よかったら仲良くしてやってください」

 清光の登場で春瑠の表情が微かに和らいだ。
 その表情を読み取って、すかさず挨拶に移る。

「僕は清光と言います。こいつとは双子で。よろしくお願いします」

 微笑んだ清光に半べそをかいていた春瑠も表情を整え、目線を合わせた。

「清光さん……素敵なお名前ですね。初めまして。私は春瑠です。こちらこそよろしくお願いします」

 その可憐な姿に清光の顔が緩むと、元晴が顔をそむけて口の中で呟く。

「なんだよ、デレデレしやがって」

「あー、ヤキモチ妬いてる!」

 不貞腐れた元晴の顔を春瑠が覗き込み、揶揄うように笑った。

「はぁ!? ちげぇし!」

「元晴ー!」

 そこへ突然響いた声は緋咲の家の中に飛び込こみ、そのままの勢いで元晴を抱きしめ押し倒した。

「ぐあっ!」

「昨日はちゃんと眠れた!?」

元晴に覆いかぶさり、嬉しそうに問いかけるのは大紀だ。

「じゃねーよ! 飛び込んでくるな!」

「えへへ、ごめん。元晴に早く会いに行かなきゃと思ったら勢い余って突っ込んじゃった」

 怒鳴る元晴に怯む様子もなく、大紀が緩み切った顔で謝る。
 そんな2人の様子に真っ先に困惑を見せたのは春瑠だ。

「任務で会った綺麗な子って女の子じゃなかったの!?」

「うん、男の子だよ! ふふ……やっぱり綺麗だなぁ。僕が一生大事にするんだ」

 うっとりとした大紀の眼差しに春瑠が慌てふためく。

「ちょっとアンタ、純粋な大紀を誑かさないでよ!?」

「誰も誑かしてねぇ!」

 今度は3人のやりとりを見ていた清光が、冷ややかな視線を元晴に送る。

「僕が明継(あきつぐ)たちと対峙してた時に、元晴はそんな約束してたんだ?」

「ちがう! こいつは……」

「違わないよ! 約束したもん!」

「大紀! お姉ちゃんは認めないからね!?」

「僕は必死だったのに、元晴は大紀とよろしくやってたんだ。ふ〜〜〜ん」

「俺の話を聞け~!!!」

 3人に迫られた元晴が叫んだ。






「ずいぶんと賑わってるな」

 朝の準備を済ませた明継が覗き込んだ。

「皆、個性豊かよ」

 家主を置いて騒ぐ彼らを指し示すように手のひらを向けた緋咲がため息をついた。

「村にいた時より表情が明るくて良かった」

 家の中で戯れ合う姿を見て安堵する明継の表情に、緋咲が目を細める。

「……明継のそういうところ、すごく好き」

「え……」

 緋咲に面と向かって好意を示されたのがずいぶんと久しぶりな気がして、明継が微かに頬を染めた。
 その表情を向けられた緋咲も、思わず頬を染める。
 故郷や家族を失った彼らにとって自分のアイデンティティの一部を共有できる存在は他にいない。明継と緋咲はお互いを"絶対に失いたくない相手"なのだと意識し続けるうちに、いつの間にか兄妹のような存在から、失ってはならない大切な存在へと変わりはじめていた。


「そう言えば」

 明継が胸の高鳴りをごまかすように言葉を発した。

「清光たちの部屋と振り分けが決まった。落ち着いたら指導も始まるらしい」

「そ、そう。良かった」

 緋咲も頭を切り替えて返事をし、心を落ち着かせる。

「次の俺たちの任務も決まった」

「あの子たちも連れていくの?」

「今回は3人だ」

「そう」

 短く答えた緋咲の視線はじゃれ合う4人に向かっている。
 年のそれほど違わない4人が集まれば年相応の少年少女の顔になる。
 円樹村(えんじゅむら)にいた頃の自分と明継を重ね合わせて緋咲の表情が微かに曇った。

 そんな彼女を見かねて明継が声を張る。

「春瑠! 大紀! そんなにのんびりしていていいのか? 遅刻するとうるさいぞ。特にクグイが」

「もうそんな時間!? 元晴のせいで緋咲さんとの時間が台無し!」

 春瑠が元晴を恨めしそうに見つめながら幼さの残る頬を丸く膨らませる。元晴が揶揄うように舌を出すと、また始まりそうな小競り合いを予測して明継が手を叩いた。

「清光と元晴は屋敷に移動! やることは沢山あるぞ。さぁ準備準備!」

 せっつかれるように春瑠と大紀が部屋を飛び出すと、元晴は身支度をはじめ、清光は部屋を片付け始めた。

 こうして清光と元晴の、霞月(かげつ)での生活が始まったのだった。