明継(あきつぐ)は暗闇にいた。
 そこには一筋の光も存在しない。
 ただ聞こえるのは獣の唸る声。
 ふと、そのどこかから足音を潜ませて近づく何者かの気配に気が付く。

 どこに、なにが、どうやって?

 その恐怖に怯えながら唯一動く目を必死に動かしてもがいた。
 それでもその何者かはゆっくりと近づき、顔を覗き込み、大きな掌で明継の首を掴むと

「おああ゛っ……づ!!!!」

 払いのけようと無理やり動かした体が、明継に覆いかぶさっていた青年にぶつかった。明継は衝撃を強く受けた額をさすりながらあたりを見回した。
 そこは古風な木造建築で縁側の向こうには立派な庭がある。陽がよく差し込むこの部屋は、ざっと見て10畳ほど。そこに敷かれた布団の上で明継は眠っていたのだ。

 その視界の中に、陽の光に反射して輝く黄金の瞳を見つけた。
 一気に記憶がよみがえる。

緋咲(ひさき)…緋咲は!?」

 どれだけ見回してもそこにいるのは金瞳の男ただ一人だ。

「娘はもう働いている」

 その男――嗣己は額をさすりながらため息をついた。
 村で遭遇した時と比べれば、彼の声はずいぶんと気が抜けている。

「緋咲をどこへやったんだよ!? それにここはどこだ!? お前は誰!?」

 掴みかかって捲し立てる明継に、面倒くさそうに返す。

「何でもかんでも聞くな。お前は俺が怖くないのか?」

「いやっ! こ、怖いけど!」

 明継は思い出したように手を離すが、頭の中は疑問でいっぱいだ。

 円樹村はどうなったのか?
 ここは誰の家でどこにいるのか?
 緋咲が働いているとはどういう事なのか?
 無理やり働かされているのではないか?

「わかったわかった、うるさいな。もうすぐ来るから黙ってろ」

 明継の思考を読むように嗣己が言うと、部屋の向こうから足音が聞こえ、襖が勢いよく開いた。

「明継! 目が覚めて良かった……!」

 そこに現れたのは緋咲だ。
 彼女は目に涙をためながらも満面の笑みで抱きついた。
 体には傷一つなく、振る舞いにも違いはない。

「娘は朝から働いているというのに、お前はよくも昼過ぎまで眠っていられたな。首を絞めて起こしてやろうかと思ったがこちらが被害を被った」

 2人の様子を傍観していた嗣己がもう一度額を擦った。

「明継には休息が必要なの。急かさないで」

 緋咲がきっと睨む。

「気の強い女だな」

 ため息交じりの言葉に緋咲は負けじと睨みつけたが、敵意がないと分かると明継に向き直って体の調子をうかがった。

「そいつは頑丈なんだから大丈夫だ。それよりお前らの話をしよう」

 最初はもの言いたげな表情を向けていた緋咲も、嗣己が放つ雰囲気を感じて耳を傾けた。

「まず、お前らの親の故郷はここ。霞月の里だ」

 初めて聞く情報に2人は目を合わせた。
 嗣己は構うことなく話し続ける。

「この里で生まれた人間には”力”が与えられている。もちろんお前らも例外じゃない」

「力……?」

 明継が疑問符を浮かべる横で、緋咲は表情を強張らせた。

「力の種類は人によって様々だ。一概には言えんが、お前達の年代なら素質は皆持っている。どこまで覚醒させられるかは本人次第だがな」

「俺の村にそんな人はいなかった。もちろん、俺だって」

 訝し気な視線を向けて言う明継を、嗣己は鼻で笑った。

「あの村の人間は皆、無能力者だ。お前と、その娘以外はな」

 明継がそれを確かめるように緋咲を見たが、彼女は目を合わせようとはしなかった。
 
「明継。お前は今でも異常な量の力を垂れ流している。本当に自覚はないのか?」

 ない。

 嗣己の質問に、明継の脳はその回答を一瞬ではじき出した。
 いくら記憶を遡ろうと結果は同じだ。そこに結びつく答えは出てこない。

「それはそれで恐ろしいな」

 嗣己が呆れて笑う。

「この里では力の使えん者に厳しいぞ。お前も早く覚醒しなければ人間として扱われんだろうな」

 その言葉を聞いた明継の脳裏に人気の無くなった円樹村が映った。

「村の人たちは今どうしているんだ?」

「お前が知ってどうする」

「どうって……俺たちの親や親戚がいるんだ、聞いて当然だろ」

 明継が迫っても、嗣己は口を開かなかった。

「みんなはきっと大丈夫。この人の心がそう言ってる」

 黙り込んだ嗣己の代わりに口をひらいたのは緋咲だった。
 それが憶測ではない事を、凛とした瞳が訴えている。

 嗣己は面白くなさそうに眉を顰めると

「これから何をするかはお前がこいつに教えてやれ。これ以上サボるなよ」

 と付け加えて音もなく消えた。

 嗣己の姿が消えたことに明継は目を瞬かせていたが、緋咲は立ち上がると「来て」と短く告げて、足早に部屋から出て行ってしまった。
 明継は戸惑いながらもその後を追った。








 この屋敷は霞月という里に存在する、巨大な建設物だ。廊下だけでも気が遠くなる長さがあり、そこに面する部屋数はおびただしい。それなのに屋敷の中はしっかりと管理が行き届いていて築年数を感じさせない。

 そんな屋敷を知り尽くしたかのように歩く緋咲を明継が不思議そうに見つめる。
 明継が声をかけるか迷っていると、緋咲が先に口を開いた。

「あの人の名前は嗣己(しき)。明継よりすこし年上ね」

 その声は淡々としている。

「この里は円樹村から10里ほど離れているみたい」

「10里!?」

 耳を疑う明継に緋咲は困ったように笑ってから口に指を添えた。

「あまり大きな声を出しちゃだめよ」

「ご、ごめん。だって、どうやってこの距離を来たんだ!? 10里なんて歩いて何日かかる!?」

 明継は窘められたことを恥じて小声になったが、気になったのは質問の答えよりも、落ち着き払った緋咲の様子だった。

「それに……どうして緋咲はそんなに落ち着いているんだ?」

「……ここでは沢山の情報が拾えるから」

 そう言う彼女の視線はどこか遠くを見つめていた。

 その寂しげな横顔を明継は知っていた。
 円樹村で共に過ごす間、緋咲が垣間見せた表情だ。当時はお互いが気を使った結果、そこに踏み込むことはなかった。

 でも、今の状況で躊躇う必要があるだろうか?

 そう思った明継はとっさに緋咲の名前を呼ぼうと口を開いた。
 だがそれを止めたのは、他でもない緋咲自身だ。
 歩を止めた緋咲が急に振り返る。
 彼女の瞳は明継を真っ直ぐに見つめて短く問いかけた。

「私の声、聞こえる?」

 意味が分からず固まってしまった明継に緋咲は少し悲しそうな顔をしたが、すぐ微笑んだ。

「この話は仕事が終わってからにするね。まずは自分の仕事をしなくちゃ」









 緋咲が明継を連れて向かったのは広大な農地だった。
 田畑には農作業をする人々が点在するが、その目はぼんやりとしていて生気がない。
 ほかに目立つものといえば畑の周りを歩く黒尽くめの男たちが、十手のようなものを握りしめて働き手たちを監視している事だ。

「仕事を終えたらさっきの部屋に戻って来て」

 明継にそう伝えると、緋咲は足早に自分の持ち場に帰っていった。

 改めて広大な農地を眺めた明継は、自分がこの里の労働力としてみなされている事を実感した。

 円樹村の人々がどうなってしまったのか。
 自分たちはこれからどうなるのか。

 もちろん、気になることは山ほどあったがそれを考えるのは緋咲の話を聞いてからでもきっと遅くない。
 明継は自分の気を引き締めるように、頬を叩いた。