明継(あきつぐ)は医務室へ向かっていた。
 すぐに回復すると聞いていた緋咲が中々帰ってこなかったからだ。

 医務室に到着すると、扉についた窓を覗き込んだ。
 いつもならデスクに向かっているクグイの姿は無い。ベッドを確認しようにも、カーテンが引かれていて中は見えない。しかし目を凝らすとカーテン越しに人影が写っている。ベッドから起き上がる影とそれに寄り添う影だ。
 明継はそれを緋咲(ひさき)だと思いドアノブに手をかけると、室内の話し声が微かに聞こえた。

「緋咲…とだけ」

「えっ……あっ……」

 二つの影が濃厚に重なった……ように、明継には見えた。

 胸のざわつきが一気に高まり、それに反応するように瞳の奥に黒い炎が燃える。
 力任せに扉を開け、ズンズンと突き進む。

「緋咲!!!」

 その勢いのまま、カーテンを開いた。

「あ、明継……? そんなに興奮してどうしたの?」

 緋咲は大きな目をまん丸にして、不思議そうに明継を見つめている。
 明継は、この光景に既視感を感じていた。ただし、その横でニコニコとしているのはクグイではなく穏平(やすひら)だ。

「お前だまされたな!? 健全な男子じゃないか!」

 そう言っていやらしい笑みを浮かべる穏平に、明継は嫌悪感をむき出しにした顔で応える。

「いくら何でも力を使うのはやりすぎだと思うがな」

 立ち上がった穏平がそう付け足しながら明継を腕の中に抱えると、頭に手を置いてぐりぐりと撫でまわした。

「うっさいな!! 離せ!!」

 払いのけようとしてもあまりの力の強さに抵抗もできない。

「も〜。いつまでいるのさ」

 明継と穏平が騒いでいると、部屋の中にあるもう一つの扉からクグイが顔を出した。

「げっクグイ」

「あれぇ? 明継くん来てたの?」

 顔を見た途端、眉を顰めた明継にクグイが食いついた。

「元気そうで残念だよ。やっと研究材料が手に入ると思ったのに」

 明継に歩み寄って視線を合わせたクグイの口元は弧を描いているが、目は笑っていない。

「死なない検体が手に入ったと思えば悪くないか。美味しい薬があるんだけど飲んで行かない?」

 クグイがそう言うと、明継は顔を引き攣らせて全力で腕から抜け出した。

「丁重にお断りします!」

 そして体を翻すと緋咲のベッドを護るように腕を広げて叫んだ。

「俺は緋咲を迎えに来たんだよ! 緋咲は大丈夫なのか!? ヤブ医者!」

「大丈夫よ。ちゃんと見てくれたから」

 二人に圧倒されて口を開くタイミングを窺い続けていた緋咲が、明継をなだめるようにようやく声を出した。

「そうそう。もう戻ってもいいって言ってるのに穏平がキミを焦らそうって言って帰らせなかったんだよ」

 補足するクグイに明継は真犯人を見つけて穏平を睨みつけた。

「いやぁ、緋咲を護ってくれた青年がどんな男前なのかと思ってよ」

 その視線にさすがの穏平もたじろいだが

「ついでにいたずらしたくなった」

 と付け加えた時は少年のような笑顔を見せた。







 医務室から追い出された3人は部屋へと続く廊下を歩いていた。ただし緋咲に限っては穏平にお姫様抱っこをされた状態だ。

「あの……自分で歩けます……あと恥ずかしいです……重いし……先生……お願い」

「俺は緋咲が軽すぎて心配だがなぁ。今は病み上がりなんだからじっとしておけ」

 真っ赤にした顔を俯かせて緋咲が懇願したが、穏平は笑ってはねのける。

「俺の最大の敵……穏平」

明継から怨念めいた視線を浴びながら、穏平は気にするそぶりも見せず問いかけた。

「初任務の事は聞いてるのか?」

「緋咲の体調が戻ったら行くって聞いてる」

「穏平先生とまた一緒に行けますか?」

 明継の回答に頷いた緋咲が真っ先に問う。嬉しそうな緋咲の顔に明継はモヤモヤしながらも、明継自身も穏平が同行してくれるなら幾分か不安が和らぐだろうと感じていた。穏平の人柄にはそんな安心感がある。

「今のところ俺は里での育成がメインだからなぁ。任務の同行は基本的に嗣己(しき)がするんだ」

 穏平が緋咲を任務の補助として連れて行ったのは指導の一環として認められたものだからだ。二人の顔が途端に不安に染まる。

「おいおい。緋咲はまだしもなんでお前まで暗い顔するんだよ」

「あいつ何考えてるか分かんないんだもん」

 そう言って明継が口を尖らせると穏平は笑った。

「試験の最後、誰かさんは嗣己の顔を見た途端に安心しきって気ぃ失ってたけどな?」

「記憶にございません」

「お前いっつも意識が飛んでるもんな」

「なんだと!?」

 憤慨する明継を前に、穏平の明るい笑い声が響いた。






「回復してるからと言って無理はするなよ? 休めるときはちゃんと休め」

 2人の部屋の前で緋咲を降ろした穏平が念を押すように言うと、緋咲は微笑みながらお礼を言い、明継もつられて頭を下げた。
 部屋に入る緋咲を見送った穏平は、それに続こうとした明継の後ろ襟を捕まえて廊下に引き戻した。バランスを崩しそうになった明継の体を腕力で制止させて目線を合わせる。

「緋咲が大切か?」

 唐突な問いかけに明継は戸惑いを見せたが、すぐに表情を引き締めて答えた。

「あたりまえだろ」

 いつになく真剣な眼差しを送っていた穏平の顔が一気に柔らかくなった。

「正直、お前がいなかったら緋咲は死んでいた。死んでいなくとも試験は通らなかっただろう」

 口を開こうとする明継の言葉を待つ前に、穏平は続けて言う。

「俺の指導不足を他人に頼るのも情けない話だが、お前の強い気持ちは緋咲の命綱になる。それは試験で確信した」

 穏平の瞳はどこか寂しく、どことなく不安そうである。緋咲とは一回りほどしか離れていないまだ若々しい印象の穏平ではあるが、まるで旅立つ娘を心配する父親のようにも思えた。

 明継は覚悟を決めたような眼差しで穏平を見た。

「緋咲は俺が死なせない」

 その瞳と言葉の強さに、穏平は明継の頭を撫でて笑みを見せる。

「しばらくしたらお前と緋咲、それぞれに家が与えられる」

「え? 別に緋咲と一緒でいいよ」

 唐突な話に、きょとんとした明継が当然のように言う。

「お前は能力者として認められたんだ。当然の権利だろ? それにお前はよくとも緋咲はよくないだろ」

「そうかなぁ?2人でいた方が何かと安心だしさ。俺は別に――」

 それでも全く乗り気でない明継に穏平はぐっと顔を近づける。

「俺としては、その年頃で部屋が同じではお前が緋咲に何かしでかすんじゃないかと心配なんだ」

 明継は数回瞬きをしてから意味を理解すると、顔を真っ赤にした。

「お、俺はそんな事しない!」

「本当か~?」

「あたりまえだろ!?」

 訝し気な眼差しを向ける穏平に明継の顔は更に赤くなっていく。
 穏平はその反応を見て笑うと、

「その様子なら問題ないな」

 と言って体を翻し、廊下を歩き始めた。

「なんなんだよ」

 手を振る背中を見送りながら、穏平とのやりとりを反芻する。



 緋咲の事は俺が護る。

 それを改めて誓うと、緋咲の待つ部屋に戻るのだった。