明継(あきつぐ)が連れてこられたのは町のはずれにある林だった。既に陽は落ちかけていて、辺りは薄暗い。

「この辺りでいいか」

 しばらく歩いた後、周囲を見回したクグイが明継と距離を取って向かい合った。

「僕は手加減ってのが嫌いでね。そこを見込まれて嗣己(しき)に依頼を受けたと思ってるから」

 そう言うと、クグイの瞳に青い炎が浮かび上がった。


「ボーっとしてると死んじゃうよ!」

 その声と同時に明継の周りに人影のようなものが5体、揺らめいた。その影は短刀や小刀のような物を握り、構えているようにも見える。
 その正体を聞こうと明継は口を開いたが、腕を振り上げた影が迫るのを見てそれどころではなくなった。
 反射的に飛びのいた明継の頬を影が掠める。皮膚が裂け、血が流れた。痛みに気付き、傷口に触れた明継の目が驚きで見開く。

「あっという間に死なないでよ? おもしろくないから」

 クグイはそう言いながら体を黒く染めて溶かすように消えると、戦況が見渡せる背の高い木の上に再び現れた。
 明継を見つめる口元が満足げに吊り上がる。

「高みの見物かよ……!」

 明継は腕に黒い霧を纏わせた。鋭い刃物に変形させて切り付けるが、影はそれを嘲笑うかのようにふわりと裂けては元に戻る。
 何度切り付けても結果は同じ。いたずらに体力を削られていくだけだ。
 実体のない相手をどう倒せばいいのか見当もつかず、腕を硬化させて防御に徹底し始めると、周りを取り囲んでいた影が明継の頭上まで伸びあがり、ドームのような形状に変化した。
 明継は暗闇の中で敵を探すように視線を彷徨わせたが、嵐のような風と共に鋭い打撃が繰り返されると反撃ひとつできないまま、あっけなく膝から崩れ落ちた。

 全ての影が霧となって消える。
 いつのまにか地上に姿を現したクグイが明継の元へのんびりと歩いてきた。

「何もできなかったね」

 放心して座り込む明継を見下ろしたクグイが悦びに満ちた表情を見せる。

「もう終わりかい?」

「ふざ……けんな」

 明継が言葉を絞り出すと、クグイはにっこりと笑う。

「まだ生意気言う余裕があるんじゃん」

 その言葉と同時に、地面から伸びた無数の手の影が明継の体を這い上がった。それが首にまとわりつくと、ゆっくりと締め上げていく。抵抗の術を持たない明継はか細く声をあげながら生理的な涙を零した。
 圧倒的な力の差に、気持ちだけでは追いつけないことを明継は理解していた。興奮で麻痺していたはずの体の痛みも現われ始め、体と精神をじわじわと蝕み始める。

 クグイはその弱さを見透かすように表情を無くすと、首を解放した。
 咽せる明継の顔を覗き込む。

「彼女の最期はどんな風だったと思う?」

 月白色の瞳はひどく冷たい。

緋咲(ひさき)……? 緋咲に……何をした……?」

 明継の顔から血の気が引くと、胸の中で何かがざわめき始めた。

「最期まで可愛い声で泣いていたよ」

 クグイの口の端が吊り上がると、瞳に青い炎が揺れて、もう一度5体の影が蘇る。
 同時に明継の瞳の奥で黒い炎が揺らめき、ゆっくりと立ち上がった。

 一発でもいい。
 こいつを殴らなければ気が済まない。

 明継の意識を引き戻したのはその気持ちだけだった。

「邪魔だ!」

 明継が吠えると5体の影が一瞬で消える。
 脳内は怒りの感情で埋めつくされ、体が黒く染まった。黄金に塗り替わった瞳でクグイを睨みつけ、腕を長く鋭い形状に変化させていく。

 意識ははっきりしていた。
 クグイめがけて走り出す。
 強い嫌悪感を抱きながら腕を振り上げた。

「単純だね。きみ」

 背後から聞こえた声に明継が振り向く。
 薬品の臭いが鼻を掠めた。