そろそろ遺書を書こうと、ベッドを起こして傍に置いてあったペンを握る。だけど、それすらも叶わない。病気のせいで、筋力が落ちているのだと脱力する。
 やっぱり、そろそろだな。俺でもわかる。もう、先がないことくらい。
 もともと俺の病気は、一年以上生きていられるのが、とても稀なことなのだ。
 でも、やっぱり、俺はもうダメなんだ、と実感する。医者は、一か月くらいはもつと言っていたが、きっともうすぐ限界だ。  刻々と死に近づいているのを感じる。
 ちょうどその時、病室のドアが開く音が鼓膜を揺らした。
「沢海君、気分はどうかね?」
 あいつの幼馴染であり主治医である篠田康夫(ささだやすお)が顔を見せる。
「最悪」
「そうか」
「なあ、篠田」
「先生を付けろと言っているだろう」
「俺、あとどれくらいで死ぬの」
 篠田の目を真直に見つめながら俺は言う。篠田の目が微かに揺らいだのを見逃さなかった。
「なあ、どうなの」
「どうなんだろうな」
 篠田は、篤実な人だ。だから、はぐらかすなんてことはしない。なのに、どうして今日は誤魔化す?
「前に、余命を伝えただろう」
「ああ、だけど、俺が生きるのはあと数日だろ」
「お前が生きたいと思うのならば、死なずに済むかもしれないが」
 篠田は病室にあった椅子を出して、どっかりと座って、足を組む。
「俺の病気の生存率って三パーセントなんだろ。死ぬに決まっているじゃん」
「お前の生存率はゼロじゃない。三もある。充分だろう」
 それは、いつか、俺が思っていたことだった。でも、それはもう過去のこと。まだ、病状が軽かった頃のこと。
 篠田は、今から俺は笑愛の幼馴染として話すが、と前置きして言葉を紡ぎだした。
「お前は、七夕の日、笑愛と託し合ったのだろう?あいつの残り長い人生と、お前の残り僅かな人生を。だからその代わりに、笑愛は早くに死人となった。自裁だけれども、笑愛はお前の短い人生を託され、お前はあいつの長い人生を託された。なら、それを全うするのが、いや、少なくとも全うしようとするのが、筋ではないのか」
 篠田からの言葉で心に浮かぶのは、あいつと過ごした、七夕。そして、託し合った時のこと。淡い色の、ところどころに花が散っている浴衣を着ながら、頑是なく笑っているあいつの姿を。
「もし、笑愛に懸想するのなら、お前は自身その迷いに負けるな。生きたいと思え。お前の病は確かに生存率が他より低いが、低いだけだ。少なくとも、三パーセントの人間は今でも生きている。お前があいつを恋慕するのなら、その三パーセントに食い込め。お前が、お前自身の心の迷いに一瞬でも負けるのなら、お前は死ぬが、凌ぐというのなら、一縷の望みはある。全てはお前次第だ」
 そう言って篠田は立ち上がった。そして病室から出るとき、掠れたような声で、死ぬなよ、と言ったのが聞こえた。
 俺があいつと初めて出会って、姉が最後に呟いた時のように。聞こえるか否かの声量で、聞こえるか否かの声音で、篠田は呟いた。