彼女と走って学校に着く。クラス替え表を見て、手足が震える。永川笑愛の四文字が自分と同じクラスの欄に書かれていた、安堵した束の間。頭が割れるように痛くなった。
理由は簡単。いじめっ子の名前が私の名前が書いてある欄に記してあったから。永川笑愛と書かれたその下に、三嘴沙織、と。
新しい下駄箱の前で、少ししか履いていない上履きを履く。上履きを持ち帰った日は、上履きに画びょうが入っているのを確認しなくて済む。
憂鬱な気分で教室に笑愛と向かった。学校に入ってから、笑愛は何も喋っていない。ただ黙って、歩いていた。
教室に近づくたび、歩幅が小さくなっているのは気のせいだろうか。すれ違う人達が物珍しそうに私を見ているのが分かる。
呼吸が浅くなっていく。身体がもっと重くなって、前に進めなくなってゆく。足を引きずるように、前に出しても、進まない。
「あら、心優じゃない。久しぶり。元気だった?」
新しい、教室に笑愛とは言った途端、嫌な声色が耳を掠める。
傍から見れば、ごく普通の会話だろう。でも、答えられない。
「三嘴さん、おはよう。三嘴さんと羅月さんって仲良かったっけ?」
私の代わりに笑愛が、笑顔で三嘴に話しかける。
「仲良いわよぉ。ねぇ、心優?」
三嘴の言葉に、首を大きく振って、違うと大きな声で言いたい。けれど、否定できない。
「ふぅん。なんか見た感じだと、仲良いとは違う気もするけど」
「えー、じゃあどんな感じに見えるのぉ?」
「上下関係っぽく見える」
「ねぇ笑愛、貶してる?」
「貶すなんてそんなこと、私がするとでも?」
「すると思っているから聞いているんでしょ?」
「いや、私が人を貶したりするわけがないでしょう?今まで私が誰かのことを貶しているところを見たことがあるかい?」
彼女は何か思い立った様子で、少しばかりニヤニヤしながら、反撃をする。私には反撃スイッチが入ったような音が聞こえた気がした。
「先月の校外学習で、ギャンギャン音を鳴らしながらバイクを乗っていた人たちを、『不良共、うるせぇ、近所迷惑だ。音鳴らしながらバイク乗りたいなら手前らの夢の中だけにしろ。威勢を張るなら、ほかの方法でやれ!その小さな頭でエロいこと考えていないで、人の迷惑をかけない乗り方を考えやがれ、いい年して成長していない哀れな少年共』って貶していたわよね。それについてはどう弁解するのかしら?」
「あれは、貶したのではなく、事実を吐いただけだよ」
「いい年して成長していない哀れな少年、についてはどう言い訳するの?」
「三嘴さん、言い訳なんてひどい言い分だよ。私は言い訳するようなことは何も言っていない。あれは、私が思ったことを忠実に言葉で表現しただけ。そして何より事実。私以外にもそう思っている人もいるだろうし、あたしの語彙力は拙いものだからさ。どうも抽象的にしか表現できないようなのだ。神仏に誓ってもいいが、私はあの人たちを貶したのではない。もちろん謗ったわけでもない。あれは事実だ。そして、この世界は残念なことに、事実が一番大事と言われているようだから、仕方がないとも言えよう」
スラスラと難しい言葉を連ねる彼女に、三嘴は悔しそうに自席へ戻る。
「ははっ、今日も笑愛の勝ち!沙織、笑愛に口で勝とうなんて無理だよ。笑愛はこの学校きっての減らず口。笑愛の口から出るのは、正論と理屈と屁理屈って言われているじゃん?ていうか沙織、いろいろ分からない単語が出てきたから、諦めたのが分かるよ。まあ、諦めたくなるけどね、笑愛と口論していたら」
三嘴の取り巻きが私を冷たく一瞥して三嘴に笑いかける。
そして、低音の声が教室中に響いた。その途端、一気に静寂が訪れた。
「永川、さっきの言い分だと、人を貶したことがある、と認めているようなものじゃないのか。お前‘中傷的’にしか表現できないって言ったろ」
三嘴の斜め前に座っている黒髪の少年が読書をやめて、笑愛を見る。
「あら、沢海君、君いたの。全然気が付かなかったよ。ていうか君が三嘴さんの斜め前ということは、私はまた君の隣なのかい?」
「話を逸らすな」
「私の言ったのは‘abstract ’のほうだよ」
笑愛が、沢海君、と呼ばれた少年に言い返すのに対して、相手側も負けていない。
「はあ。‘abstract’で捉えようが‘defamatory’で捉えようが、今回はお前の勝ちではないような気がするが」
「ほう、何故」
「永川、お前が使った‘ちゅうしょうてき’って掛詞みたいにしたんじゃないのか。誰にも気付かれないように認めて、反論したように俺は思うんだが、どうだ?」
笑愛はもう降参だというように、両手を耳の辺りにまで上げて、苦笑した。
「流石だね、沢海君。気付かれないように自白したつもりだったけど、気付かれちゃったよ。三嘴さん、おめでとう。今日は君の勝ちだよ」
「いや、今日は、永川、三嘴は引き分けだろ。良かったな、永川の連勝記録ストップさせることができて」
沢海君、と言う名の少年は、嘲るように三嘴を一瞥して、冷たく言い放つ。沢海への視線は先程、笑愛と言い合いしていた視線とは偉い違いだった。
「そして、永川。俺はお前に歌を贈ろう。忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな」
「沢海君、私は君に愛を誓った覚えはないが?これはもしや、君からの告白と受け取ってもいいのだろうか」
「馬鹿野郎、これは告白の歌じゃねぇだろう。神に誓ったのにも関わらず、誓いを破って、お前が命を落とすことを心配しているんだよ」
「え?心配してくれているの?」
「皮肉を言ったつもりなんだが、全く伝わってないな」
キョトンとする笑愛に対して、彼は苦虫と噛みつぶしたような顔で頭を掻いた。
「沢海、ドンマイ。笑愛には皮肉は伝わらねぇよ。自己肯定感がとんでもなく高いからな。諦めろ」
クラスメイトであろう男子が沢海君を茶化す。それから、本鈴が学校中に鳴り響いた。
私の重荷は、少しだけ、軽くなった気がした。
理由は簡単。いじめっ子の名前が私の名前が書いてある欄に記してあったから。永川笑愛と書かれたその下に、三嘴沙織、と。
新しい下駄箱の前で、少ししか履いていない上履きを履く。上履きを持ち帰った日は、上履きに画びょうが入っているのを確認しなくて済む。
憂鬱な気分で教室に笑愛と向かった。学校に入ってから、笑愛は何も喋っていない。ただ黙って、歩いていた。
教室に近づくたび、歩幅が小さくなっているのは気のせいだろうか。すれ違う人達が物珍しそうに私を見ているのが分かる。
呼吸が浅くなっていく。身体がもっと重くなって、前に進めなくなってゆく。足を引きずるように、前に出しても、進まない。
「あら、心優じゃない。久しぶり。元気だった?」
新しい、教室に笑愛とは言った途端、嫌な声色が耳を掠める。
傍から見れば、ごく普通の会話だろう。でも、答えられない。
「三嘴さん、おはよう。三嘴さんと羅月さんって仲良かったっけ?」
私の代わりに笑愛が、笑顔で三嘴に話しかける。
「仲良いわよぉ。ねぇ、心優?」
三嘴の言葉に、首を大きく振って、違うと大きな声で言いたい。けれど、否定できない。
「ふぅん。なんか見た感じだと、仲良いとは違う気もするけど」
「えー、じゃあどんな感じに見えるのぉ?」
「上下関係っぽく見える」
「ねぇ笑愛、貶してる?」
「貶すなんてそんなこと、私がするとでも?」
「すると思っているから聞いているんでしょ?」
「いや、私が人を貶したりするわけがないでしょう?今まで私が誰かのことを貶しているところを見たことがあるかい?」
彼女は何か思い立った様子で、少しばかりニヤニヤしながら、反撃をする。私には反撃スイッチが入ったような音が聞こえた気がした。
「先月の校外学習で、ギャンギャン音を鳴らしながらバイクを乗っていた人たちを、『不良共、うるせぇ、近所迷惑だ。音鳴らしながらバイク乗りたいなら手前らの夢の中だけにしろ。威勢を張るなら、ほかの方法でやれ!その小さな頭でエロいこと考えていないで、人の迷惑をかけない乗り方を考えやがれ、いい年して成長していない哀れな少年共』って貶していたわよね。それについてはどう弁解するのかしら?」
「あれは、貶したのではなく、事実を吐いただけだよ」
「いい年して成長していない哀れな少年、についてはどう言い訳するの?」
「三嘴さん、言い訳なんてひどい言い分だよ。私は言い訳するようなことは何も言っていない。あれは、私が思ったことを忠実に言葉で表現しただけ。そして何より事実。私以外にもそう思っている人もいるだろうし、あたしの語彙力は拙いものだからさ。どうも抽象的にしか表現できないようなのだ。神仏に誓ってもいいが、私はあの人たちを貶したのではない。もちろん謗ったわけでもない。あれは事実だ。そして、この世界は残念なことに、事実が一番大事と言われているようだから、仕方がないとも言えよう」
スラスラと難しい言葉を連ねる彼女に、三嘴は悔しそうに自席へ戻る。
「ははっ、今日も笑愛の勝ち!沙織、笑愛に口で勝とうなんて無理だよ。笑愛はこの学校きっての減らず口。笑愛の口から出るのは、正論と理屈と屁理屈って言われているじゃん?ていうか沙織、いろいろ分からない単語が出てきたから、諦めたのが分かるよ。まあ、諦めたくなるけどね、笑愛と口論していたら」
三嘴の取り巻きが私を冷たく一瞥して三嘴に笑いかける。
そして、低音の声が教室中に響いた。その途端、一気に静寂が訪れた。
「永川、さっきの言い分だと、人を貶したことがある、と認めているようなものじゃないのか。お前‘中傷的’にしか表現できないって言ったろ」
三嘴の斜め前に座っている黒髪の少年が読書をやめて、笑愛を見る。
「あら、沢海君、君いたの。全然気が付かなかったよ。ていうか君が三嘴さんの斜め前ということは、私はまた君の隣なのかい?」
「話を逸らすな」
「私の言ったのは‘abstract ’のほうだよ」
笑愛が、沢海君、と呼ばれた少年に言い返すのに対して、相手側も負けていない。
「はあ。‘abstract’で捉えようが‘defamatory’で捉えようが、今回はお前の勝ちではないような気がするが」
「ほう、何故」
「永川、お前が使った‘ちゅうしょうてき’って掛詞みたいにしたんじゃないのか。誰にも気付かれないように認めて、反論したように俺は思うんだが、どうだ?」
笑愛はもう降参だというように、両手を耳の辺りにまで上げて、苦笑した。
「流石だね、沢海君。気付かれないように自白したつもりだったけど、気付かれちゃったよ。三嘴さん、おめでとう。今日は君の勝ちだよ」
「いや、今日は、永川、三嘴は引き分けだろ。良かったな、永川の連勝記録ストップさせることができて」
沢海君、と言う名の少年は、嘲るように三嘴を一瞥して、冷たく言い放つ。沢海への視線は先程、笑愛と言い合いしていた視線とは偉い違いだった。
「そして、永川。俺はお前に歌を贈ろう。忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな」
「沢海君、私は君に愛を誓った覚えはないが?これはもしや、君からの告白と受け取ってもいいのだろうか」
「馬鹿野郎、これは告白の歌じゃねぇだろう。神に誓ったのにも関わらず、誓いを破って、お前が命を落とすことを心配しているんだよ」
「え?心配してくれているの?」
「皮肉を言ったつもりなんだが、全く伝わってないな」
キョトンとする笑愛に対して、彼は苦虫と噛みつぶしたような顔で頭を掻いた。
「沢海、ドンマイ。笑愛には皮肉は伝わらねぇよ。自己肯定感がとんでもなく高いからな。諦めろ」
クラスメイトであろう男子が沢海君を茶化す。それから、本鈴が学校中に鳴り響いた。
私の重荷は、少しだけ、軽くなった気がした。