けれども、姉は今でも生きている。少女と、口喧嘩して二年がたった今も。いや、正確には違う。あいつが亡くなって、あいつの心臓が姉に提供されたから。
 二〇×四年、九月十四日、土曜日の、午前に。
 姉に、心臓を提供したのは、姉が、憎んでやまない、嫌ってやまない自殺者。
 二〇×四年、九月十三日、金曜日の十三時に自殺を図って、心拍が安定して助かったはずの、あいつの臓器が姉に提供された。
 二〇×四年、九月十四日、土曜日、午前二時。
 それが、あいつの、死亡時刻。
 心拍が安定して、呼吸もしていたはずだった。なのに、それは、時限爆弾がその時刻に爆発するかのように、突然電池が切れる機械かのように、異常が見られて何故か脳死した。脳死なんて、あり得るはずのないことだ。脳幹も大脳も正常に動いていたはずだった。なのに、あいつは何故か脳死した。
 外で、待っていることしかできなかったのは確かだ。だから、騒がしくなったとき、あいつに何かあったのかと問い詰めた。そして、看護師や医師に羽交い絞めされながらあいつの‘さいご’の姿を見た。
 死体は、綺麗だった。飛び降りをして、傷だらけなのに、包帯だらけなのに、綺麗に見えた。だから、医師に脳死したと言われたときに確かに心臓が止まった気がした。
 あいつは、臓器提供を許可しているから。前にそう言っていたから。身分証の裏に、そう書いたと言っていたから。だから、脳死、ということは。
 すぐに理解した。
 姉の心臓移植の順番はきっと最上位にあるはずだ。あいつの心臓は脳死だから動いている。だから、あいつの心臓は姉に提供される。ほかの臓器も誰かに提供される。
 俺の予想は裏切らなかった。姉の心臓は移植されて、あいつの心臓は今、姉の身体で働いている。
 あいつは、姉に言われた通り、ちゃんと命を、生きたい人に、譲った。それも、譲れ、と言った張本人に。
 姉のことが嫌い。
 姉なんて、あいつの心臓を使うくらいなら別に助からなくてもよかった。
 あいつの心臓を使うくらいなら、希死念慮を軽蔑している人じゃなくて、自殺願望を憎んでいる人じゃなくて、自殺者を憎んでない人に提供されてほしかった。姉に提供されるのなら、別に姉は亡くなってもよかった。
 どうして。
 姉とは違う人に提供しないと、あいつが報われない。あいつの苦しさが報われない。
 どうして、あいつは、犬猿の仲のはずの姉の命を助けたんだよ。
 なぁ、もし神や仏がいるのなら、あいつを報ってくれ。
 もし、もしもこれが大切な人が亡くなった時の感情だというのなら、こんな感情。