彼女が死んでから四日が経っても、経ったという感覚も笑愛が死んだという感覚も、何もなかった。また明日、彼女に会えるとさえ思った。
 葬儀は昨日終わったというのに。私はまだ、受け入れられていない。
 あの時、冷たくなった頬を、包帯だらけの頭部を、冷たくなった手を、他人と同じように触れた。私もまた他人と同じように、ごめんなさい、と呟く。
 近くにいたのに、気付かなくてごめんなさい、と。同類なのに、共感できなくて、話を聞くことさえもできなくて、ごめんなさい、と。
 でもまだ、私は貴女が死んだなんて、受け入れたくなんかない。
 学校の生徒の一人が、学校で自殺したというのに、学校が休みにならないのは全く不思議でたまらない。
 彼女が死んでから、四日経った火曜日。
 私は何も持たずに、ただ制服を着て、いつもより早く学校に行った。
 誰もいない教室。電気すら点いていない教室に踏み込む。
 何か、ある気がしたから。
 三日前まで笑顔で登校していた笑愛の机には、白い菊の花が飾られていた。
 彼女の笑顔なんて、彼女の存在なんてまるでなかったみたいに、机には花が咲いていた。
 そっと、彼女の机を撫でる。そして、自分の机の中を見た。机の中には毎週金曜日に贈られていた封筒が。贈られていた頃と変わらず、白い手紙が入っていた。
 違うのは。いつも、ワープロで書かれている宛名が、笑愛の、手本のような字で書いてあること。いつも書かれていない贈り主の名が書いてあること。
 贈り主の名。それは、永川笑愛。恐らく、笑愛の、遺書。
 誰もいない廊下に出て、屋上に向かう。
 あの時、笑愛は何を考えていたのだろうか。
 人は死ぬ前に何を考えるのだろう。
 あの時、笑愛がいた場所に。あの時、笑愛が飛び降りようとした場所に。
 明日なんて、想像もできない碧い空を眺めながら、笑愛が立っていた場所に立つ。
「ホントに、どうして生きなくちゃいけないんだろう」
 いつか、呟いた言葉をもう一度呟く。
 いつかの遠くで、私の鼓膜を揺らした声の主は、もういない。
 本当に綺麗な碧色だ。まだ、朝だというのに。飛んでも、痛くなさそうな、そんな空。 
 どれくらい経ったのだろう。誰もいない屋上のドアが開いた。
 一人の男子生徒。まだ、言葉も交わしてない子だ。そして、笑愛の最期を看取った子だった。
――沢海繋
「羅月……さん、何してんの」
「呼び捨てでいいよ。クラスメイトからそう呼ばれているんだから」
「で、何してんの」
「別に、空を……」
「見ていただけじゃないだろ。空が碧かったから、飛ぼうとでも思っていたんだろ」
 沢海繋の鋭さは笑愛に値するほどだった。ご名答、と笑って答える。
 どうして、分かったのだろう。
 この疑問は二度目だ。五か月前の今頃、笑愛と出会い、自傷していることに気付かれ、強引に握手を交わされ、なんだかんだ言って楽しい日々が続いて……嗚呼、だめだ。泣いちゃいそう。
「なぁ、これ読んだか?」
 沢海繋は笑愛が残したものを私に見せた。
「まだ。家に帰ってから読む」
「待っていられるのかよ、午後まで」
 沢海はもしかしたら、私よりも頭が抜けているのかもしれない。自殺した子の第一発見者と第二発見者が学校にいたら、先生に質問攻めになるでしょーが。
「どうして、貴方たちはまだ帰ってなかったの?」だの、「永川さんは直前に何か言ってなかった?」だの、面倒臭い質問されるのは、ご免だ。
「ろくでもない校長の話を聞くのが嫌だから、すぐに帰るよ」
 たった三日前生徒が飛び降り自殺したというのに、校庭はいつも通りだった。あれだけ血まみれだったのに。
 おい、と屋上を去ろうとした私の後ろから、再び声がした。
「死ぬなよ」
 無責任に大人からその言葉を言われるのは嫌だった。何もわかっていないくせにあーだこーだ、言う大人から発せられるすべてが。死ぬな、と言われたりするのが。
「いま、はね」
 羅月、ともう一度、沢海繋の声がした。
「いま、だけじゃねぇよ。これからも、だ」
 何故か、彼になら、言われてもいい気がした。笑愛を看取った同士だ。仲良くしていいかもしれない。
 私は軽く笑って、屋上をあとにした。
 大丈夫、大丈夫。
 まだ、我慢できる。
 大丈夫じゃなくても紡いでしまう言葉を、いつも繰り返している言葉を、もう一度繰り返した。