新緑が夜闇に紛れて、葉が靡いている中、私はまるで小さい子供のように、浴衣でシャボン玉を吹いていた。
 誰もいない、何故か父と一緒に来た場所で。幼馴染みと出会った、この場所で。
 星々が煌めいている下で、シャボン玉を飛ばしていた。
 シャボン玉のように儚く消えてしまいたい、と何度も願いながら。
「永川?」
 幼馴染以外は知らないはず場所なのに、聞き慣れた声がした。
「沢海君?」
「お前、その恰好……」
「嗚呼、七夕だからって篠田(ささだ)さんにやってもらったの」
「篠田?」
「ああ、幼馴染のことね」
「篠田って、あの篠田?」
「あのって、私の幼馴染の篠田さんって一人しかいないんだけど」
「篠田って医者?篠田康夫(ささだやすお)?」
「うん、そうだよ。知り合い?」
「俺の主治医。ていうか、篠田って、お前の幼馴染なの。あれ、もう還暦になるだろ」
「まあ、そうなんだけどね。でも幼馴染って、幼いころから遊んできた人のことでしょ?間違ってはいないと思うけど」
「そうか」
 ちょっとした談話をして、いつかの日に座ったベンチに腰を掛ける。
「星が綺麗だな」
 ボソッと呟く沢海君にニヤッと笑って揶揄する。
「それ、私への告白?」
「単純に感情を述べたまでだ。星が綺麗だからな」
 彼を揶揄しても、簡単に躱されるから、面白みがない。告白だと思ったのに、と笑いながら茶化して、彼にバレないように溜息をつく。
「今日、七夕だけど、お前、何か願い事したか?」
「私が願い事をするような人間に見える?」
 自分で問うてから、少しばかり後悔する。つい先程まで、シャボン玉を吹いていたのを見られたのだ。仮面も何も、全く被っていない状態の自分を。
「見えるから聞いてるんだけど」
「……。」
「ついさっきまで、無邪気にシャボン玉吹いていたから」
「それと願い事って関係あるっけ?」
「あまりないな。で?願い事したのか?」
 沢海君は星空を見上げながら言う。
 本当は、シャボン玉を吹きながら早く死にたいだなんて願い事をした、なんて、誰に言えよう。
「沢海君はしたの?」
「質問を質問で返すのは、肯定しているのと同じだぜ」
「で?君はしたの」
「した」
 へぇ、と内心思う。沢海君は願い事だとか七夕だとか、信じないのだと思っていたから。
「なんて?」
「少しでも長く、生きられますように」
 彼の答えを聞いて、息が止まる。だって、自分のした願い事と、正反対のことだから。それでも、動揺したのがバレないように、彼に答える。
「そっか。沢海君、重病患っているんだもんね」
「お前は?何を願った?」
「私、願い事したとも何とも言っていないけど」
「したのは見え据えている」
「君に軽蔑されるから、言わない」
「俺に軽蔑されたくないのか」
 彼に言われて、あ、と思う。けれど、それでも勘づかれないように、取り繕う。
「別に、君だけって訳じゃない。他人に軽蔑されたくないんだよ」
 取り繕ったはずなのに、口をついて出たはちょっとした本音。
 どうして、と思う。なんで、いつもは完璧に演じられるのに、なんで、本音を零したの。
 ただひたすら、焦りが頭の中を支配する。
「別に、軽蔑も否定もしない。お前の願い事を聞きたいだけだ」
 いつの間にか星空から目を離した沢海君は、彼の綺麗な瞳で私を真っ直ぐと見る。
「なんでそんなに聞きたいの」
 焦りを隠して、精一杯取り繕う。
「気になるから」
 彼の真っ直ぐな言葉に、隠すのが面倒臭くなった。
 もう、いいか。
 きっとその言葉は、口癖となった言葉。もう、きっとそれは面倒くさくなって、諦めることが多くなったから。
 もう、何でもいいか。隠さなくとも。
「少しでも早く、死ねますように」
 彼の目を見て私は言う。自分が今どんなに彼にとって残酷なことを言っているのだろうと思った。彼は私とは真逆な人なのに。生きたくても生きられない人なのに。私は彼の瞳が揺れたのを見逃さなかった。
 今の自分の表情がどんなのかは知らない。
「そうか」
 この空気をぶち壊したくて、適当なことを言った。たった一瞬、いいかも、と思ったことを。
「ねぇ、沢海君。私の未来、あげるから、君の未来、頂戴?」
「は?」
「私は死にたい、でも君は生きたい。君の病気は致死率が高い病気なんでしょ?だから、私の残りの長い時間をあげるから、君の、残りの短い時間を頂戴」
「交換、いや託し合い、ってことか」
「そんな感じだね」
「じゃあ、願おう?君と私の時間を交換してくださいって」
 そう言って私は胸の前で指を組んで、ひたすら願う。
 私と、沢海君の時間を交換してください、と。もうこれ以上、生きたい人の未来を奪わないで、と。
 目を開いて、横を見ると、沢海君が微妙な顔をしていた。
 何というか、泣きそうな感じで、苦しそうな感じで。それでも、彼は自分を取り繕うと努力しているのか、必死に笑顔を作っていた。
「ありがとう」
「どういたしまして。ね、シャボン玉やる?」
 私は懐から、もう一つシャボン玉セットを取り出して渡す。
「ほら、やろう?」
「ああ」
 沢海君はそう言って、ストローをくわえて大きなシャボン玉を作る。
「えー!沢海君すごい。なんでそんな大きなシャボン玉作れるのー⁉」
「俺、シャボン玉作りのプロだから」
「調子に乗らないでよ。私にだって、できるもん」
「お前、ガキかよ。いつもの感じ、どうした?」
「君の前ではもういいかなって諦めたからいいの!」
 そう言って私は笑う。久しぶりに何も取り繕わずに笑った気がした。そして私の作ったシャボン玉はどれも小さくて、すぐに空へと儚く消えていった。
「お前、下手」
「うるさい。たまたま!」
「どーだか」
 私達は他愛もない話をして笑う。ただ、心から笑う、笑う、笑う。
 生きるだとか死ぬだとかはどうでもいい。ただひたすら楽しんで、心から笑う。
 そして最後に私達は写真を撮った。
 きっとそれは、私が撮った今までの写真の中で一番綺麗に撮れた写真だった。