SIDE永川笑愛 
 昔の夢を見た。夢での私はいつかの場所へ行っていた。
 咲き匂うのは桜の花。
 耳を掠めるのは、珊瑚色の花弁が流れる川の音。
 見まわして見えるのは、桜色の花と、溢れかえるような春の緑色をした葉。
そして、少し離れたところには古くて大きな、それでいて上品そうな家屋がぽつんと佇んでいた。
 思い出すのは、とても不思議なこと。
 父が亡くなって初めて迎えた、母の誕生日の頃のとても不思議で懐かしい思い出。
 その思い出が、夢に出てきた。
 ただ、無心で歩いていた。父が亡くなって、放心していたのか、ただ、無心で歩いていた。
「ねえ、あなた、どうしたの?」
 どこからともなく鈴が鳴るような、綺麗な声がした。
 そこには、十五くらいの、背の高い女の子が立っていた。
「お母さんの誕生日プレゼント、買いに来たの」
「こんなところに?ここ、何もないよ」
「ううん。ここにはね、大きなお家があるの。そこにはね、沢山綺麗なオルゴールがあるの。去年のお母さんの誕生日に、お父さんと一緒に買いに来たんだ。あ、ほら」
 そう彼女に伝えて、私はオルゴールが売っている家屋を指す。
「あそこだよ」
 あそこ、と私が指した家屋のドアは閉まっていた。
「あのお家?」
 彼女は不思議そうに首をかしげる
「お店、閉まっちゃったのかな。去年はやっていたのに」
 ドアに掛けられている、板には‘CLOSE’と書かれていた。
 ‘CLOSE’と書かれたものを見て、私は家屋の前にあった、小さなベンチに彼女と座る。
「私、世那(せな)っていうの。あなたは?」
「笑愛」
「エマ?可愛らしい名前。今日はお父さんと一緒に来ていないの?」
「お父さん、去年の九月に死んじゃった」
「……そっか。それでも今日は、お母さんの誕生日プレゼント、ここに買いに来たんでしょ?」
 その言葉に私はフルフルと首を振る。
「違うの?」
「そうだけど、違う」
「じゃあ、どうしてここに来たの?」 
「お父さんに、会いに来たの」
「え?お父さん、亡くなったんじゃないの?」
 世那は不思議そうな顔をして、私に問う。
「うん、お父さん、死んじゃった。だけど、一年前の今日、お父さんとここに来たから、お父さんに会えるよ」
「というと?」
「一年前ね、お父さんと、ここのお店にオルゴール買いに来たんだ。お母さん、オルゴール、好きだから。だからね、一年前にここに来たお父さんと私に、会えると思う。今日、お母さんの誕生日で、お父さんに一緒に来た日だから」
「……会えるといいね」
 世那は少しだけ悲しそうに微笑みながら呟いた。
「会えるもん。あとちょっとで、お父さんと私、ここに来るもん。太陽があの木にかかって見えなくなった時、私たちがここに着いたんだから!絶対会えるもん!」
 語尾を強くして、私は世那に言う。
「そうだね、きっと会えるよ。ね、じゃあ。それまで、一緒に遊ばない?」
「え?」
「ここにはね、私の幼馴染が沢山いるの。それこそ、このお屋敷に」
「ここ、オルゴール屋さんじゃないの」
「うーん。私も驚いているところ。私が来た時にはもう、ここは変人たちの屋敷だったから」
「変人?」
「うん。どいつもこいつも奇人変人ばかり。年齢の範囲は大きいよ。七歳から、五十代前半まで。見た目は美男美女、もしくは普通なのに、考え方から生き方まで、全てが変なんだよ。一緒にいると、胃がキリキリ痛む日々なんだけどね、なんだかんだ楽しいんだよ」
 そう言う世那の言葉とは裏腹に、心の底からその者たち大事だというように笑った。
 そして、父を待っている間に出会った変人たちが、私にとっての幼馴染となった。
 けれど、その日、いくら待っても、父は現れなかった。太陽が木に隠れても、父は現れなかった。
 その場所には、変人と呼ばれる幼馴染のほかに、誰も現れなかった。
 それからのことは、あまり覚えていない。どうやって帰ったのか、どうやって足を動かしたのか、全く覚えてなかった。
 ほかの幼馴染達のことは覚えているのに、世那という少女の名と顔は、帰った頃にはもう忘れていた。

 だから、今でも、彼女の名前を思い出せない。