母親に殴られてから、何度、あの四文字を願ったことか。
 誰にも届かない言葉なんて、意味のないはずなのに。(心優)の頭の中を支配するのは、やっぱりその意味のない言葉だけ。
 ドアが開く音がする。あまり帰ってこない父親の冷静な声が耳を掠る。
「やめなさい」
「でも、この娘は……!」
 母親のヒステリックな声が聞こえるけれど、どうでもいい。もう、どうだっていい。
 バン、という力強い音がする。いつも自分に与えられる‘その音’が、母親に与えられていた。父親が母親の頬を殴ったのだと理解する。父親が怒り心頭なのが、視界に映った。
「殴られて、どんな気分だ?痛いのではないのか?それをお前は十三歳の娘に、ビール瓶で叩きつけて殴ったんだ。心優のほうがお前より痛いことは、聡いお前なら分かるだろう」
「でも……!」
「でももへったくれもない。心優」
 父親の冷徹な瞳が私のほうに向けられて、身を縮める。
「出ていきなさい」
「え?」
「今、は、出なさい」
 有無を言わせない父に、はい、と聞こえるか否かの声で頷く。父の迫力で、私は肝心な語句を聞き逃していたことに気付かなかった。