小学五年生の二月にとある伝染病が流行って、私は引っ越した。知り合いも友達も誰一人いない新しい学校。だからだろうか。小学六年生の思い出なんて、何一つなかった。記憶にあるのは、仮面の中で汚れていく自分の姿と、仮面を被ってときに感じる、自分は‘正しい’という錯覚だけ。本当は ‘正しさ’なんて、ひと欠片もないのに。
時が経つのは早い。
私は何も成長しないまま、小学校を卒業し、自分のどす黒い、死にたいという感情に囚われ続けていた。あっという間に中学二年生になったが、今も、小学五年生の時の自分もずっと同じ感情にいるし、成長したのは死、に関する知識だけだった。
徐々に、自分を隠すことが辛くなっていったのは言うまでもない。
くだらないことで笑うクラスメイトや先生に見せる仮面を作っていることに、ひどく疲れるようになった。疲れる、と感じるようになったのは、自分を隠すようになってすぐのことだった。
自分を隠しているときは疲れを見せられない。でも、本当は疲弊しきっている。だから、疲れを紛らわしたくて、けれども他人を信じることができなかったから、自分で発散する方法を編み出した。
それが、自傷行為。
紛らわす方法が間違っていることは分かっていたが、もうどうでもよかった。間違っていてもいいじゃない。自傷行為をしたっていいじゃない。法律上でも違法ではないのだから。
カッターの刃を手首に立てて、ゆっくりと、血が出るくらいの強さで切るだけ。
カミソリの刃を腕に立てて、神経がプッツリと音を立てるくらいに深く、ゆっくりと切るだけ。
カッターで切っても、あまり血は出ない。だから、カミソリで切った。
血がたくさん出るから。カミソリのほうがカッターよりも痛みを感じられるから。だから、カミソリのほうが好きだった。
血を見るたび、心の底から安堵ができた。
神経が見えたり、切れたりするたび、心の中の錘が軽くなった。
自分が生きているということを、実感できた。
疲れては切る、疲れては切る、その繰り返し。
でも、親にバレてしまった。
もう嫌だった。何もかもが。
だってきっと、やめさせられるから。唯一の発散方法が断ち切られるから。
また、身体が重くなる。息が苦しくなる。
どうしても母は私に自傷行為をやめさせたいらしく、医者にも診せられた。母には根掘り葉掘り聞かれた。もうすべてが嫌だった。
「どうして自傷行為なんてやるの」
「どうしてやめないの」
「どうして私を悲しませるの」
「どうして誰かに相談しないの」
「貴女よりも苦しんでいる人は社会にはたくさんいるのよ」
「そんなんじゃ社会に出てつぶれてしまうわよ」
「どうして、そんなに弱くなっちゃったの」
「早く自傷行為をやめてもらいたい」
どうしてどうしてどうして、ただそれだけ。娘を否定するようなことだけ。やめさせるようにするだけ。望み通り医者にも行ったのに、医者が自傷行為をやめさせてくれないだのなんだの、文句を言うだけ。
医者も医者で、リスカをする回数を制限して。
――うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい
どうしてやめさせようとするの。どうして私を否定するの。どうして身体の傷に触れるの。どうして自傷行為をやめなくちゃいけないの。どうして自傷行為の回数を制限するの。見られて不快な思いをさせないように長袖を着ているのに。誰にも見られないようにしているのに。何がいけないの。ただ、楽になりたいだけなのに。自傷行為の何がいけないの。何がいけないかも分からないのかって?分からないよ。分かるわけないじゃん。他人のことが信じられないのもそうだけど、自分なりの解決法を見つけたというのに、何がいけなかったの。自分を傷つけて何が悪いの?法律上も違反しないように、切るカッターの刃もカミソリの刃も六センチ未満にしているし、親の親権っていうものだって、子どもの利益のためにあるんでしょ。やめさせるのは私の利益になるの?ならないでしょ。もっと溜め込めって?無理に決まっているじゃん。もっと頑張れ我慢しろって?もう頑張ったし我慢もしたじゃん。死にたいって思わないように頑張ってけど、結局思ってしまうんだもの。仕方ないじゃない。染まってしまったんだもの。しょうがないじゃない。なのに、どうして、私を責めるの。全部私が悪いみたいに。私はただ、楽になりたいだけなのに。なんで、私を責めるの?世の中には私よりも苦しんでいる人がいるって?そんなの、知っている。自分はその苦しんでいる人の足元にも及ばないって?誰が決めたの。誰がそう言ったの。アンタが勝手に思っているだけでしょう!アンタの秤にかけて私の悩みが軽いとか、アンタがそう思っているだけでしょう!こっちは悩んで悩み苦しんでいるというに。勝手に傷跡見つけて、勝手にやめさせようとして、勝手に心配して。そんなのアンタ一人でやっていてよ。私には関係ないんだから。勝手に、私の心に介入してくるなよ。放っておいてよ。黙っていてよ。何も言わないでよ!別に社会に出て潰されたっていい。私は今を生きるのに精一杯なんだから。未来とか将来とか、そんなの、どうでもいいの。こんな世界、どうでもいい。こんな世界、息苦しい。生き苦しい。すごく、生き苦しい。明日を迎えるのがもう嫌で、嫌で仕方がないの。
だからさ、もう、放っておいてよ。
もう、疲れたから。
何もかもが嫌。誰も本当の私のことを見てくれないし、認めてもくれない。くれるのは、同情と哀れみだけ。そんなの、要りっこない。
ねぇ、早く楽にならせてよ。
早く死なせて。
死ぬ勇気をください。
もう、生きたくないから。
時が経つのは早い。
私は何も成長しないまま、小学校を卒業し、自分のどす黒い、死にたいという感情に囚われ続けていた。あっという間に中学二年生になったが、今も、小学五年生の時の自分もずっと同じ感情にいるし、成長したのは死、に関する知識だけだった。
徐々に、自分を隠すことが辛くなっていったのは言うまでもない。
くだらないことで笑うクラスメイトや先生に見せる仮面を作っていることに、ひどく疲れるようになった。疲れる、と感じるようになったのは、自分を隠すようになってすぐのことだった。
自分を隠しているときは疲れを見せられない。でも、本当は疲弊しきっている。だから、疲れを紛らわしたくて、けれども他人を信じることができなかったから、自分で発散する方法を編み出した。
それが、自傷行為。
紛らわす方法が間違っていることは分かっていたが、もうどうでもよかった。間違っていてもいいじゃない。自傷行為をしたっていいじゃない。法律上でも違法ではないのだから。
カッターの刃を手首に立てて、ゆっくりと、血が出るくらいの強さで切るだけ。
カミソリの刃を腕に立てて、神経がプッツリと音を立てるくらいに深く、ゆっくりと切るだけ。
カッターで切っても、あまり血は出ない。だから、カミソリで切った。
血がたくさん出るから。カミソリのほうがカッターよりも痛みを感じられるから。だから、カミソリのほうが好きだった。
血を見るたび、心の底から安堵ができた。
神経が見えたり、切れたりするたび、心の中の錘が軽くなった。
自分が生きているということを、実感できた。
疲れては切る、疲れては切る、その繰り返し。
でも、親にバレてしまった。
もう嫌だった。何もかもが。
だってきっと、やめさせられるから。唯一の発散方法が断ち切られるから。
また、身体が重くなる。息が苦しくなる。
どうしても母は私に自傷行為をやめさせたいらしく、医者にも診せられた。母には根掘り葉掘り聞かれた。もうすべてが嫌だった。
「どうして自傷行為なんてやるの」
「どうしてやめないの」
「どうして私を悲しませるの」
「どうして誰かに相談しないの」
「貴女よりも苦しんでいる人は社会にはたくさんいるのよ」
「そんなんじゃ社会に出てつぶれてしまうわよ」
「どうして、そんなに弱くなっちゃったの」
「早く自傷行為をやめてもらいたい」
どうしてどうしてどうして、ただそれだけ。娘を否定するようなことだけ。やめさせるようにするだけ。望み通り医者にも行ったのに、医者が自傷行為をやめさせてくれないだのなんだの、文句を言うだけ。
医者も医者で、リスカをする回数を制限して。
――うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい
どうしてやめさせようとするの。どうして私を否定するの。どうして身体の傷に触れるの。どうして自傷行為をやめなくちゃいけないの。どうして自傷行為の回数を制限するの。見られて不快な思いをさせないように長袖を着ているのに。誰にも見られないようにしているのに。何がいけないの。ただ、楽になりたいだけなのに。自傷行為の何がいけないの。何がいけないかも分からないのかって?分からないよ。分かるわけないじゃん。他人のことが信じられないのもそうだけど、自分なりの解決法を見つけたというのに、何がいけなかったの。自分を傷つけて何が悪いの?法律上も違反しないように、切るカッターの刃もカミソリの刃も六センチ未満にしているし、親の親権っていうものだって、子どもの利益のためにあるんでしょ。やめさせるのは私の利益になるの?ならないでしょ。もっと溜め込めって?無理に決まっているじゃん。もっと頑張れ我慢しろって?もう頑張ったし我慢もしたじゃん。死にたいって思わないように頑張ってけど、結局思ってしまうんだもの。仕方ないじゃない。染まってしまったんだもの。しょうがないじゃない。なのに、どうして、私を責めるの。全部私が悪いみたいに。私はただ、楽になりたいだけなのに。なんで、私を責めるの?世の中には私よりも苦しんでいる人がいるって?そんなの、知っている。自分はその苦しんでいる人の足元にも及ばないって?誰が決めたの。誰がそう言ったの。アンタが勝手に思っているだけでしょう!アンタの秤にかけて私の悩みが軽いとか、アンタがそう思っているだけでしょう!こっちは悩んで悩み苦しんでいるというに。勝手に傷跡見つけて、勝手にやめさせようとして、勝手に心配して。そんなのアンタ一人でやっていてよ。私には関係ないんだから。勝手に、私の心に介入してくるなよ。放っておいてよ。黙っていてよ。何も言わないでよ!別に社会に出て潰されたっていい。私は今を生きるのに精一杯なんだから。未来とか将来とか、そんなの、どうでもいいの。こんな世界、どうでもいい。こんな世界、息苦しい。生き苦しい。すごく、生き苦しい。明日を迎えるのがもう嫌で、嫌で仕方がないの。
だからさ、もう、放っておいてよ。
もう、疲れたから。
何もかもが嫌。誰も本当の私のことを見てくれないし、認めてもくれない。くれるのは、同情と哀れみだけ。そんなの、要りっこない。
ねぇ、早く楽にならせてよ。
早く死なせて。
死ぬ勇気をください。
もう、生きたくないから。