何度もごめんなさいと思った。何度も謝った。誰に謝っているのかなんてわからない。ただ、ひたすら誰かに謝っている。
 死にたいと思って、ごめんなさい。私よりも死にたいと思っていい人がいるのに、私が思ってしまって、ごめんなさい。名前にふさわしく生きることができなくて、ごめんなさい。
 いつの間にか、毎日、そう思うようになっていた。
 嗚呼、どうして、死にたい、なんて思ったのだろう。
 そんなこと、むやみに思ってはいけないと分かっていた。興味本位で試してきた自殺未遂。いじめられた人が思う、私よりも苦しい人たちが思う、死にたいとは全く別の感情。
 死にたいだなんて思ってはいけない。自分よりも苦しんでいる人しか思ってはいけない。そんなことは、重々承知していた。分かっているのに、死にたい、とむやみに思ってしまう自分が嫌だ。
 こんな感情に早く解き放たれたかった。
 早く楽になりたかった。
 金子先生の正しさを汚そうとした自分、父が亡くなっても泣かなかった薄情者の自分、むやみに死にたいと思ってしまう自分、 どんどん汚れていく自分。すべての自分が嫌で、嫌で仕方がなくなった。
 こんなにも汚れているのに、こんなにも退屈なのに、死ねない。
 どうして、死ねないんだろう。
 どうして、生きていなくちゃいけないんだろう。
 どうして、自殺しちゃいけないんだろう。
 明日になれば、もっと汚れる。時が経てば、この感情を忘れてしまう。
 嗚呼、どうして。
 このまま目をつぶって、もう目なんか覚めなければいい。死んでしまえばいい。
 明日なんて来なければいい。未来なんてなくなればいい。
 明日が怖い、未来が怖い。汚れていく自分が怖い。
 そして、なにより、明日が、見えない。明日が来ても、その日の明日が何も見えない。
 だから、自分を隠した。死にたいと思う前の自分の、笑顔だった自分をみんなに見せた。
 誰にも、こんな汚い自分を見せないために。
 こんなことをむやみに思っている、浅はかな人間だと思われないために。